2002/10/13-14 釜の沢西俣
釜の沢西俣遡行記録
▼作成 土松隆志(23期)
▼日程 2002年10月13日〜14日
▼メンバー L土松、田中、小野(以上23期)
▼総評
西俣のほうが東俣よりずっとナメ、滝が多く、秀逸な沢である。特に右沢に入ってからは大荒川谷を彷彿させる奥深さがある。登攀は総じて簡単。だが、東俣よりだいぶ長い。ナメラ沢の下降を加えるのなら東俣がいいだろう。
▼行動記録
○10/12
23時、新百合発、田中カーで西沢渓谷へ。2時着、車の中は寒くてろくに寝られない。
○10/13 快晴
200/603西沢渓谷→630/650東沢出合(入渓準備)→730/750ホラの貝のゴルジュ入口→908/945東のナメ沢→1053/1120魚留の滝→1220/1300両門の滝→1355/'1700m付近(泊)
■雲一つない快晴。しかし極めて寒い。
■山の神までは左岸の巻き道をたどる。
■紅葉は、沢の下部のほうはちょっと早かった。上部はジャストだったろうが如何せんコメツガなど針葉樹ばかりになってしまう。ヤチダモ、イタヤカエデ、ヤマモミジ、クルミ、ウルシ(?)、ダケカンバ、ツツジ(コメ、ヤマ、ミツバ、ヤシオ)などなどが色づく。
■両門の滝では東俣、西俣両方の滝から滑り台してみた。釜は案外浅い。
■西俣の30m滝は左から巻く。下からだと上の様子がまったくわからないので、事前に少し東俣側に登って(すると滝の全貌が見える)、目印など見当つけておくとよい。懸垂せずに沢へ復帰できる。
■巻き始めると沢の上空にヘリコプターが!どんどん降りてきて両門の滝の20mくらい上、うちらの目の前でホバリング。驚いて田中のほうを向くと「え、俺が呼んだんじゃないよ!(けっこうびびってる)」ヘリから二人の人がロープを使って下りて、ヘリは去っていった。その後もまたヘリの音が聞こえたから、この時は応急処置用に人を下ろしただけだったのだろう。次の日、その時両門の滝に居合わせた人にあったので話を聞いたところ、両門の滝の東俣のほうの落ち口付近から滑落し、釜まで落ちたらしい(落差30m)とのこと。結果、片足を骨折。ヘルメットを着けていなかったというから片足の骨折ですんだのはかなりの幸運だろう。沢の上空相当低いところまでヘリが下りられるということには個人的にかなり驚いた。
■両門の滝直後に続くいくつかの滝は、遡行図には「意外に悪い」と書いてあるが別に悪くない。しばらくナメが続くとゴーロ帯に入る。
■ゴーロ帯にはいくらでも幕営適地がある。流木も多い。
■寝床を決めて薪を集め、いざ焚き火開始。しかしなかなかうまくいかない。いろいろ試行錯誤の上、空気の通り道が重要だということに気づく。結局ちゃんと薪は燃え上がった。サツマイモは美味。
○10/14 晴れ
/745出発→838/857二俣→950/1007'2080m付近(10m滝)→1100/1130ミズシ(遡行終了)→1155/1220甲武信岳→1500頃西沢渓谷
■ゴーロ帯はこの後も長く続く、途中伏流するところもある。
■右沢左沢分岐は右に入る。遡行図には1:1とあるがこの時は2:1くらいだった。このあたりからナメ、滝が連続する美しい渓相になる。
■実際の滝の数は遡行図の3割増くらい。実際の滝の大きさも遡行図の3割増くらい。大滝沢本流とは大違いである。遡行図では巻くように書いてある滝もほとんど総て直登可能。6×10m滝だけは上部を左から小さく巻いた。
■10m滝辺りから沢は開けてくる。ここで右の樹林帯へ入り、沢から離れる。途中ガレ場もあるが基本的には針葉樹林の中の長く急な登り。薄い踏み跡がある。尾根に乗るとミズシまではすぐ。ミズシで装備解除。
小野「おつれさまでしたー。」
土松「いや、家に帰るまでが沢登り。気を抜いちゃいけない。」
田中「ちがうな。今日の思い出を自分の中で消化できるようになるまでが沢登りだ。」
わけわからん。
■甲武信の山頂からは戸渡尾根をまったり下る。土松のスニーカー崩壊寸前。5月、ヌク沢の帰りに歩いた時にはシャクナゲの花ばかりだった戸渡尾根も、今はカエデやカンバが鮮やかに色づく。
■帰りも田中の運転。おつかれさまでした。