2005/8/1-4 夏合宿A隊

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夏合宿A隊山行記録 
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■期日 
2005年8月1〜4日 

■山域 
北アルプス 

■メンバー 
CL白川 SL高柳 松村 畑山 岡野 春口 古戎 

■総評 
・天候も良く、比較的気持ちよく登ってこられた。 
・水場は合戦尾根の第一ベンチに一箇所のみ。後は 
小屋で買って飲む事になる。 
燕山荘:1リットル200円 
常念小屋:1リットル100円 
蝶ヶ岳山荘:1リットル150円 
・蝶ヶ岳から長塀山へ下る場合、山頂から長塀山方面へ 
直接下るのではなく、少々北よりに下ると登山道がある。 
我々は素直に山頂から長塀山方向に下ったため、廃道跡に 
吸い込まれて100mほど道を失ってしまった。我々の歩いた 
廃道跡は尾根のやや南側、現在の登山道は尾根のやや 
北側に付いている。 
・高低差は比較的少ない、北ア、南ア全体で見ても体力的に 
それほどきついものを要求されないコースであった。 

■行動記録 
1日目:中房温泉6:10〜12:30燕山荘                歩行時間約4:40 
2日目:燕山荘5:30〜9:30大天井小屋11:40〜14:30常念小屋 歩行時間約5:30 
3日目:常念小屋5:00〜6:20常念岳6:40〜12:10蝶が岳山荘  歩行時間約5:00 
※これらの途中で適宜20分ほど休憩を入れた。 

31日 
新宿駅で集合する。周りには登山前だというのにホームに銀マを 
広げて酒宴(狂宴)を繰り広げている団体がいっぱい。 
あのノリになれない自分たちがなぜか悔しいような気がする。 
見送りに来てくれたのは土松さん、山崎姉弟、安中さん。マリリンは 
いつでもキャピキャピ。よくわからないマスコットなんか持っている。 
マリリンから重さ(ではなかった、愛情)いっぱいのゼリーをもらい、 
安中さんからは山での便利グッズをもらう。この差し入れの偉大さを 
あとで知ることになる。 

電車に乗り込んで一路穂高駅へ。穂高駅で下りるときに岡野君の 
しでかした微妙に重大なミスにはここでは触れないでおこう。 

8月1日 
さて、中房温泉に到着後、歩く順番を決めるのだが、ここで高柳さんが 
僕的に怖い発言。 
「やっぱりSLが先頭を歩くもんじゃない?」 
ヤバイ、自分の荷物の重さを考えれば高柳さんがトップだとペースが速くて 
絶対にバテる・・・。CLがヘバるとか情けないところは見せられん・・・! 
昔の夏合宿に比べると軽いほうだが、今の自分の荷の重さは27kg。 
一番軽い岡野君の5倍ほどの重さである。大体自分、6月初めの乗鞍以降、 
大した山に登っていない。酒とたばこで体力も相当磨り減っている。 
内心冷や汗をかきながら、「やっぱCLがトップを歩くべきでしょう。」と 
言っておく。この場はこれで収まってよかった。 

さて、合戦尾根の急登であるが、なるべくゆっくりのペースを心がけたので、 
メンバー全員疲れはしたが、特にバテる事も無く登れたようである。 
水場は第一ベンチに冷たい流れのみ。 

燕山荘到着後、古戎君が体調不良気味で、頭痛を訴えていた。 
高山病を疑うも、確証がない。確かに夜行列車であまり睡眠が取れない 
ままに、標高差にして1200mほどを一気に登ったら高山病になっても 
おかしくない。 
しかし、標高が2700mとやや低めのこと、そして自分が以前高山病に 
かかった時と頭痛の痛み方が違っていたことなどで確証が持てず、 
頭痛薬を飲んで安静にしてもらった。畑山さんもこの後頭痛を訴え 
始める。こちらは自分の以前の症状と似ていたため、高山病と判断。 
しかし本人曰く大丈夫との事であった。 

燕山荘では贅沢にも昼飯を山荘内で食らう。一食800円也。その後、 
燕岳へ向かう。ちょうどいい時期だったのか、コマクサが大群落を 
つくり、オブジェのような奇岩と合わせて見るものを飽きさせない景色 
である。残念ながら古戎君は体調不良のためテントでお休み。 
あとでテントに戻ると登れなかった事を悔しがっていた。 

この日の夕食はなんと春口さん手作りのハンバーグ。まさかこんなに 
うまいものが山の中で食べられるとは思ってもみなかった。レベル高ぇ・・! 
夜には松本の夜景と槍ヶ岳を見ながら露光撮影をする。星空が綺麗だった・・・。 

8月2日 
本日は緩やかな稜線を大天井岳へ向かう。この辺りのコマクサ群落には、 
燕岳の群落よりも大規模なものが多々ある。涼しく軽快で艶やかな稜線歩き。 

さて、日も高く昇り、大天井岳の登りに差し掛かるとそうも言っていられなくなる。 
ここでも昨日と同様、ゆっくり歩きを心がける。皆さんお疲れの中、大天井山荘に 
到着。到着と同時に登り始めから曇りだした天候が一気に晴れる。穂高、槍が 
間近に見える。うん、来てよかった・・・。山頂からの眺めは絶景であった。 

小屋に戻って今日も昼飯は山荘内で食らう。そのせいで行動食がぜんぜん 
減らない。大天井小屋でのお勧めメニューは豚汁セット1000円。その他の 
メニューは800円で定番品がちらほら。 

結局2時間以上休憩してしまう。この間に岡衛門が実はとっても面白いネタを 
多々持っている子だったことや、古戎君がやっぱり面白い子だったことを確認。 
気が付いたらこの小屋でテントを張っていました、なんてことになりそうだったので 
ここは気を引き締めてだらだらと行動開始。 

大天井岳から横通岳までの区間は緩やかな下りが多い。 
途中、東天井岳で雪庇跡の残雪を発見、雪合戦をしようと誘うも誰も応じず。 
仕方ないので松村さんと2人でやる気のない雪合戦をしてみる。 
気が付くと雪の近くにストックが転がっていたので雪の上に立てて”墓”を 
作ってみる。あとで気づいてストックを取りに来た人から、わかりやすい場所に 
立てていてくれたお礼を言われたが、こちらはただ単に遊んでいただけである。 
この区間でもところどころでコマクサの群落があった。 

常念小屋に着くとテント場自体は広いものの、トイレと小屋に近い便利な方の 
テント場はいっぱいになりかけている。急いで場所を確保してテントを張る。 
みんなで昼寝するが、僕はやはり低血圧だということをこの時再認識。 
人に起こされると極端に機嫌が悪くなる・・・。 
今日の夕飯は古戎君。イタリアンでトマトソースとその他諸々をグジャグジャに 
混ぜ合わせるらしい。食べてみるとかなりいける。今年の一年生は料理の 
レベルが高い。名前が無いので適当に雷鳥汁と名づけていた。誰かに 
聞かれたら思いっきり勘違いされそうな名前。(日本の雷鳥は世界的に見て 
肉が非常においしいらしいし。) 

8月3日 
本日は常念岳の登りからスタート。急登だが、ちょうどいい具合にガスが出て、 
ブロッケン現象が見えた。僕は丹沢塔の岳に引き続き、人生2度目のブロッケン。 
一年生は初めて見る人もいたのではないだろうか。 

常念岳頂上では残念ながら一面のガスに覆われる。行きの電車から一緒だった 
髭のおじさん達と畑山さんが仲良くなって一緒に記念写真を撮っていた。 
畑山さんは髭おじさんが萌えらしい。彼らの一人の事をこれからずっと髭爺と 
呼ぶ事になった。 
常念の下りではガスも晴れてきて、目の前にはスカッとするダイナミックな景色が 
広がる。カメラマンが多いし、多少岩場チックなので、ここはかなりゆっくり下る事 
になった。 
蝶ヶ岳の登りに差し掛かる頃には今日もだいぶ暑くなってきた。今日はこれで最後だ、 

と思い、暑さはとりあえず我慢。蝶槍まで、バテた人を出さずに登る事ができた。 
蝶槍には登らず、横尾分岐の手前のピークで休止する。そこで今山行10数度目か、 
また髭爺たちに会う。どうやら写真を後で送りたいのでこちらの連絡先を聞くために 
止まっていたらしい。わざわざ待っている髭爺たち萌えである。 

そこからなだらかな稜線を少し行くと最後のテント場のある蝶ヶ岳山荘。ここでも 
昼飯は山荘内で食らう。昼は毎回山荘内、の贅沢な山行であった。ここのバイト 
のにーちゃんがテント場代を1張り500円と間違えるも、こちらが 
「1人500円ですよね?」とつい誤って訂正してしまった。惜しい事を・・・。 

テントを張り終えるとパラパラと雨が降り始める。皆昼寝開始。 
僕は悪夢を見て起きてみるとガスが晴れかかっている。さっきまで見えることの 
無かった雄大な槍穂高連峰が見え始め、悪夢を見て鬱になっていた気分が 
吹き飛ぶ。やっぱ来てよかった・・・。そう心から思える光景であった。 

この日の夕食は高柳さん。とりあえずうまい。というか今山行中、夕食は毎回 
レベルが高い。こんな事は滅多に無いのではないだろうか。去年の夏合宿は 
確か、夕飯が素うどんだったり素うどんだったり素うどんだったり・・・だったような。 

具なしマーボー3連続、という話もどこからか聞いたことがあるような・・・。 
夕食後、最終日というのに畑山さんが持ってきた「鬼ごろし」は空かなかった。 
日本酒は紙パックではダメ、ということなのですな。今度は体力の許す範囲で 
ビンで持ってくれば即空きますよ。 

皆が就寝後は僕は1人で蝶ヶ岳山頂から露光撮影。古戎君も当初は写真撮影 
するつもりだったが、やっぱり面倒くさいし寒いので止める事に。 
山の夜の撮影は何気に気合と根性が必要です。 
一面の星空、とはいかないが、ガスと星空と槍穂高連峰と・・・なかなか見られる 
ものではない。最後の夜を1人暗闇の中で佇んでいた。 

8月4日 
今日はもう下るだけ。蝶ヶ岳山頂でご来光を眺めた後、長塀山方向へ下山・・・ 
と思いきや、道がやけに荒れている。少し行けば道が良くなるのだろうと50m 
ほど進んでみても全然よくならない。背中に春口さん以下6名の冷たい視線が 
突き刺さってくるような気がする・・・。 
なるべく平静を装ってさらに進んでみるが、ますます道が荒れてくるのでひとまず 
山頂へ戻ることを告げる。ここで、もし戻っても道が見つからなければ、横尾へ 
下山する事も選択肢の1つに入れた。が、ここからは見えない尾根の反対側に 
道があることを経験上の勘のようなものが教えてくる。 
皆を待たせて、そちらに向かって5mほど這松を漕ぐと、あっけなく正規の 
登山道に復帰した。20mくらいは藪漕ぎしなきゃならないかもしれないと思って 
いたので拍子抜け。 
とはいえ皆に大変な思いはそれほどさせずに済んだのでよかった。 

それからは順調に下る。途中妖精の池で妖精を探したが、見つからなかった。 
ここで仮説を立てる。 
①池の上に見える、もやのようなものが実は妖精である。 
②妖精はみんなの心の中に生きている。 
③妖精の行動時間は朝10:00から夕方6:00までである。 
④山の上は寒いので妖精は夏でも冬眠中。 
⑤実は妖精はここにはいない。 
もちろん⑤は論外。④の可能性もあったが、さすがに妖精もそこまで弱くは 
無かろうと思い、①、③を疑ったが、やはりここは②だという事にして 
出発する。1年生の2人から「どういうまとめ方ですか・・!?」とつっこまれる。 

幾つか妖精の池に似た所を通り過ぎ、急坂を下り、何度か休憩を挟み、 
徳沢に降り立つ。(ホントはここまでの過程が長いんですけどね。特筆 
することが無いので。) 
徳沢で梓川の支流の綺麗さに歓声をあげ、水浴びをし、ビールを飲み、 
アイスを食べ・・・などしているうちにあっという間に1時間たってしまう。 
下山後ということでいい感じにだらだらしている。 

各駅停車で明神、温泉、昼飯と休憩を入れ、午後二時のバスで松本へ。 
温泉では僕が早めに上がって服を着ていると岡野君が、「女子風呂に 
蛇が入っていった!」といって更衣室にメガネを取りに来た。なぜ蛇が 
出たらメガネなんだ・・・?と思いつつ、うる覚えの記憶の中から「日本に 
いる水蛇は毒を持っていない」という嘘だか正しいんだかわからない知識を 
引っ張ってきて、とりあえず安心する事にする。 
この清水屋ホテルの温泉にはカッパがたくさんいてとっても和んだ。 

松本駅で夕食を買い、甲府あたりでB隊と遭遇。まあ同じ電車に乗っていた 
可能性はダイヤの関係でかなり高かったわけだが、ちょっと驚いた。 
新宿駅でシメて解散。 

■感想と反省 
・今回、CLであるにも関わらず、共同装備の救急箱を忘れてしまった。 
僕自身で個人装備として絆創膏、包帯、テーピング、三角巾、消毒液 
は持っていたが、もし個装では足りない様な怪我をだれかがしてしまって 
いたら相当ヤバかった。(それくらいの怪我には救急箱も対応できない 
可能性は高いが。) 
・今回、CLであるにも関わらず、あれほど計画書で持って来いと書いていた 
米の持参を忘れてしまった。女性が多くて足りたのが不幸中の幸いであった。 
・今回、古戎君が燕山荘から蝶が岳まで断続的に頭痛を訴えていた。 
高山病とは断定できないが、高山にいることの影響はあるのだろう。 
高山病には前日の睡眠時間などが大きく関係しているというから、 
今後ムーンライト号を使ってあまり眠れないままに登山口まで行くことに、 
多少の議論の余地があるのではないか、と思った。少なくとも反省会で 
話し合っても良い内容でしょう。過去に夏合宿で高山病になった事例が 
あれば教えていただけるとありがたいです。 
・今回、皆様のほどよいフォローとツッコミのおかげでなんとか楽しく夏合宿 
を終える事ができました。A隊のメンバーの皆様、ありがとうございました。