2006/6/23-25 八ヶ岳

八ヶ岳山行記録  作成:古戎
■日程 2006/6/23-25(金—日) 夜行1泊2日
■山域 八ヶ岳
■メンバー CL古戎 SL山下 山崎(崇)
■行動記録
24日 美濃戸口9:30〜10:25美濃戸山荘10:40〜11:35南沢との交差点11:50〜13:00行者小屋13:30〜14:30文三郎尾根の分岐
14:40〜15:15赤岳山頂15:40〜16:40行者小屋
25日 行者小屋4:30〜5:00赤岳鉱泉5:10〜(2回休憩)〜6:50硫黄岳7:05〜8:00赤岳鉱泉8:40〜9:45美濃戸山荘10:05〜
10:45美濃戸口

23日
23:05中央本線勝沼ぶどう郷駅
勝沼ぶどう郷駅に"ひとり"で着く。実は20時ごろに山下が「自分は現地集合する」宣言をしたため、そのままわらわらと
現地集合の流れになったのだった。渉さんとは中央線新宿駅21:04発の同じ電車に乗ったはずだったが、車内でも乗換えの
高尾でも会えず、ぶどう郷でようやく再会を果たした。ちょうど勝沼ぶどう郷につく頃、山下よりメール。
「ぶどう郷までつけそうにないので大月で寝ます」土曜の朝はちゃんと定刻の電車に乗ってくれることを願った。
渉さんと無線で遊んで寝る。

24日
5:50中央本線勝沼ぶどう郷駅
起きてみると駅の外が明るい!空が青い!影が濃い!天気がいい!それまでの週間天気予報が軒並み高確率で雨だ雨だと
報じていたせいで、実はあまり乗り気でなかったのだが、天気のよさに思わずルンルンになってしまう。渉さんに
晴れ男認定されてなお気分よくホームに行く。2人してこれなら中山さんは必ず来るだろうと確信。
6:18中央本線勝沼ぶどう郷駅ホーム
やって来た電車のシートの上に山下が転がっていた。聞けば1時間しか寝れなかったらしいが、何とか電車に乗って
くれていて一安心。ようやくパーティーがそろって、一路、茅野駅へ。
8:30茅野駅バスターミナル番乗り場
美濃戸口までのバスの中で、先週の部会でかなわなかった山崎先生による読図講習会開講。コンパスの切り方について
ご教授いただいたが、実際使ってみないことにはよくわからない、と山下。僕も内心で共感。車窓から見える景色のよさに、
雨だと決め込んでカメラを持ってこなかった自分を恨めしく思う。
9:30美濃戸口
美濃戸口から美濃戸山荘まで、車も通れる砂利道を行く。全体として緩やかな上り坂で、夏らしく青々としたシラカバ林が
続いていた。シラカバの葉の向こう側にきらきら光る青空が見える。本当に天気がいい。途中道が二股に分かれていて
(どちらに行ってもいいのだが)、左の広い道をすすむと、林の向こうに八ヶ岳が顔を出していた。何台かの車に
追い抜かれたが、もちろん中山さんではなく、果たして中山さんは来ているのかどうか、三人で気にしながら歩いていた。
10:25美濃戸山荘
山荘で休んでいると山荘のお兄さんが山菜を甘辛く炊いたものを出してくれた。暑くて汗もかいていたから、塩気の
あるものは嬉しい。コーラや牛乳やビールだけでなく、トマトやきゅうりまで売っていて、山下が牛乳を買って、飲んだ。
美濃戸山荘からも緩やかな登りが続く。南沢沿いを歩くので、渉さんは入渓したくてたまらない様子で、入渓拒否したら
分隊案まで出てくる始末(誇張しすぎですごめんなさい)。2時間のコースタイムだったから、半分に分けて、南沢を
またぐあたりで休憩をとることにした。行きのバスの中での山崎先生の読図講習会で得た技能を利用しながら、進む。
いま自分がどこにいるかちゃんとわかると、結構楽しい。前日大月でよく眠れなかった山下は結構辛そうで、
「来週の日光白根用のペースで歩いている」らしくかなりトボトボ歩いていた感じだったが、ペース的にはちょうど
コースタイムといったところだった。
ちょうど中間地点のあたりで南沢を何度かまたぐと(地図では一回しかまたいでないのに・・・)、登りはさらに緩やかに
なり、枯れ沢を歩くころにはほとんど平地になっていた。見晴らしがよく、鋭い山が迫っていた。読図講習会実地研修の
おかげで横岳だと判明。
13:00行者小屋
小屋のテン場には大学生らしき団体がいくつか先にテントを張っていた。女の子が多い。というか声がでかい。
夜中までうるさくされたら厄介だな、と思うが、果たしてそのとおりだった。
天気は相変わらずだったが、少し雲が出てきて、だんだんと厚く、数を増してきた。行者小屋の向こうに屹立する赤岳、
横岳、阿弥陀岳の姿には息をのむ。赤茶けた山肌。猛々しいシルエット。果たして2時間で登れるのかと不安に思うほどに
高くそびえているように見えた。テントを張って一休みしつつ、各自サブザックを用意・・・と!思ったが、
「ピストンはサブザック行動」と書いた自分が肝心のサブザックを忘れていたのを発見。仕方なくいらない荷物を
テントにおいて、メインザックで出発することに。
文三郎尾根までは平坦な道。尾根も20分ほど歩けば森林限界に達し、視界が開けた。赤岳山頂に雲がかかって来たのが
見える。ルートはガレガレした岩場で歩きにくかったが、階段があったおかげで、思いのほかあっという間に赤岳と
中岳を結ぶ稜線上にまで来てしまった。そこでいったん休憩するが、そこから見える阿弥陀岳、中岳の稜線は圧巻だった。
そこに来る間にまた大学生らしいバーティーとすれ違う。10人近いパーティーでやっぱり女の子が多かった。
多分、彼らとも行者小屋で同じ夜を過ごすことになるんだろう。
15:15赤岳山頂
鎖のかかる岩場をのぼって、頂上に着いた。ごつごつした岩が突き出た上に、三角点と祠が建っていて、狭い。
少しガスが出ていて眺望はあまりよくないが、雲の切れ間から阿弥陀岳や権現岳、その向こうには編笠山も見えた。
青空も時々のぞく。山下は赤岳頂上小屋にいいものを買いに行ったが、僕は動く気がしなくてその場に残っていた。
熟年パーティーがいくつかやってきて、その度に写真を撮ってくれと頼まれた。すいませんもう一枚お願いできますかと
言ってくるのはたいていオバさんである。せっかく晴れ間が見えていたので、それが写るように撮ってあげたが、
そのせいで多分きっちり逆光だろう。あんまり長くいても帰りが遅くなるので、下りは一気に行者小屋まで下った。
ただ、ガレガレしていて足取りはとてもおぼつかず、山下に「酔っ払い」呼ばわりされてしまう。どっちが・・・ry
16:40行者小屋
恐れていた事態。頭が痛い。去年の夏合宿でもそうだったが、2500mを越えた場所に行ってしまうとこうなるらしい。
稜線上で寒風にさらされ、一気に駆け下りてしまったせいで、小屋に着いたときにはズキズキするようになっていた。
悪いことは続くらしい。山下がコッヘルとカートとヘッドをひとつずつしか持って来ていないことが判明。
ご飯を炊くのに・・・。けれど、僕たちには渉さんがいてくれた!荷物から「こんなこともあろうかと」カートを
取り出す渉さん。素敵すぎる。ただ、その晩のおかずはインスタントの豚汁とイワシ缶だったので、渉さんのカートを
使わなくてもなんとかなった。そんなこんなで夕食の準備をしていると、隣のテントのご夫婦がウルメイワシと
さくらんぼを下さった。感激!さくらんぼなんて絶品だった。
良いことがあればやっぱり悪いことがあるらしい。文三郎尾根ですれ違った大学生パーティーはやはり行者小屋に
泊まっていた。女の子が多く、ノリがテニサーのそれで、騒ぎ声が頭に響く。なぜか棒を探していると思えば、
スイカが出てくる始末。僕は頭痛、山下は睡眠不足で結局、3人は7時には就寝体制だったが、例の大学生パーティーは
10時まで騒いでいた。
そういえばこの日、結局中山さんに会えずじまいだった。

25日
3:05起床
朝食はスパゲティミートソースとスキムミルク。ゆで汁は捨てるわけに行かないので最小限に抑えたが、
それでも残ってしまった。この辺り、山での食事の難しさを実感。
4:30行者小屋
出発の直前、振り仰いだ阿弥陀岳にちょうど朝日がかかった。頂上付近のごく一部だけだったが、燃えるように輝いていた。
赤岳鉱泉までの道はほとんど下っているのを感じないような平坦な道。一瞬、林が開け、横だけが顔を出すが、
それ以外はほとんど鬱々とした樹林帯の中を進む道だった。
5:00赤岳鉱泉
赤岳鉱泉の小屋は比較的大きくて新しい。テントは15張以上張れるだろうか。小屋の脇にメインザックを置き、
サブザックで硫黄岳を目指す。久しぶりの山行でお尻の筋肉がはって痛い。ゆっくりと歩くことにする。
20分ほどはそうきつくない登りだったが、それ以降は赤岩の頭まで疲れた大臀筋にくる上り坂。尾根道ではあったが、
周りは樹林帯で視界はよくない。木々の隙間から横岳、中岳、赤岳、阿弥陀岳がのぞき、休憩の合間にそれを利用して
最後の読図講習会。山の位置から自分の位置を割り出すのはなかなか難しかった。森林限界に近づくと、
視界が開けてきて、阿弥陀岳の遠く向こうに南アルプス連峰が雲海から顔を出しているのが見えた。
硫黄岳から横岳に続く尾根線上にケルンが等間隔に並んでいた。
6:20赤岩の頭
赤岩の頭に近づくと急に視界が開けた。赤岩の頭からは中央アルプスと南アルプスを眺めることができた。
雲海も横、赤、阿弥陀のシルエットも叫びたくなるほどきれい。赤岩の頭から硫黄岳は白い砂地のあとに小さな岩ころが
重なりあった滑りやすい登り道が続いた。登るたびに風が強さを増してくる。山頂付近は大きな岩場で、
このころになると這い蹲るように生えていた高山植物も見られなくなっていた。
6:50硫黄岳
山頂付近はとても平らで広々としていたが、その分ものすごい強く冷たい風が南から吹き上げてきた。とにかく寒い。
爆裂火口の断崖絶壁は、火サスの犯人が来たら必ず自白するほど圧巻だったが、記念写真も早々に引き上げた。
赤岩の頭までの下りは先ほどの岩くずが広がるあたりが滑りやすく、とても下りにくかった。ペンギンのようにして下りる。
赤岩の頭まで下りたところでちょうど登ってきた茶髪の大学生3人組とはち合った。何事もなく通り過ぎようとしたら、
ひとりが悲鳴を上げてへたり込む。「すげー!」と叫びながら。景色のすごさに思わずへたり込んでしまったらしい。
渉さんが他の2人に呼び止められて、「それが中央アルプス、あれが南アルプス」と説明していた。
赤岩の頭から赤岳鉱泉までは一気に下る。お知りはへとへとだったが、くだりは使う筋肉が違うので助かった。ただ、
その代わり膝と足の親指の裏に負担がかかったけれど。下りていく途中、渉さんがさっきの大学生について「人は見かけに
よらないね」としみじみ言っていた。確かに感動で腰が抜けるほどの青年は絶対に悪い人じゃないだろうと思う。
8:00赤岳鉱泉
下りのコースタイムがゆるゆるで予定よりかなり早くついてしまう。八ヶ岳山荘がいつから入浴可能か調べてこなかった
ため、これからは少しゆっくり下っていくことに。行動食を食べながら40分ほども休む。
赤岳鉱泉から美濃戸山荘までの北沢沿いの道は本当に沢のすぐ近くを通り、迷うことはないだろうが、ルートが
見つけにくかった。苔むした大きな岩や岩の上をなめるような流れのすぐ横を通ったりと、変化があって歩くのには面白い。
堰堤広場の少し手前の道の左手には、真っ赤な小川が流れていた。
9:45美濃戸山荘
ここまでくればもうほとんど平坦な道である。時間的には余裕だったため、ここでもかなり休憩する。山下は普通に
寝てしまっていた。
10:45美濃戸口
11:26発のバスに間に合わせるために大急ぎで入浴。

■感想
とにかく晴れてくれてよかった。それが何よりもこの山行の最高の成功だと思う。ルート的には山行経験者には物足りない
ものだったのかもしれないが、1泊2日の山行で2900mもの高みから下界を見下ろせたことは、満足だった。ただ、
やはり山頂付近は足場が悪く、上級生がいないことには登れないな、と思った。