2014/9/7-19 南アルプス全山縦走
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
南アルプス全山縦走山行計画書メンバー・在京用 ver.2 作成者 川名
■日程
9/6(土)-9/19(金)+予備日3日(-9/22(月)) 山中12泊13日
■山域 南アルプス
■在京責任者
9/6-12 中村
9/13-15 松本
9/16 大塚
9/17-22 位高
■在京本部設置要請日時 9/22(月) 21:00
*長期の山行になるので、適宜在京に途中報告を行う予定
■捜索要請日時 9/23(火)9:00
■メンバー
CL川名 SL遠藤・久光・荒田
■集合 9/6(土) 高尾駅6:42発松本行中央線内
■交通
行き
高尾駅06:42-09:41岡谷駅09:45-飯田線(豊橋行)-13:23平岡駅 (昼食は電車内で各自)
平岡駅13:40ータクシーー北又渡ー徒歩2:10ー易老渡 約\15000
帰り
9/18,19,22下山の場合、青木鉱泉からタクシーで韮崎駅へ 約\7000
9/20,21下山の場合、青木鉱泉8:50/12:15/15:00/17:00ー0:55ー韮崎駅 \1700
また、夜叉神峠へ下山する場合
9/18,19,22 夜叉神峠10:56/12:41/14:41/17:11ー12:10/13:50/15:55/18:20甲府駅 \1420
9/20,21下山の場合、夜叉神峠08:41/11:01/13:26/14:51/15:51/17:11ー1:14ー甲府駅
途中下山の場合、奈良田・広河原・北沢峠からバスあり。
奈良田6:35/9:50/13:50/16:15ー1:30ー身延駅 \1000
平日:北沢峠9:15/11:15/13:30/15:30-0:25\750-広河原10:15/12:00/14:00/16:30-1:50\1950-甲府
土日:北沢峠7:25/9:45/13:30/15:30-0:25\750-広河原8:00/11:10/14:00/16:40-1:50\1950-甲府
それ以外の場所に下山した場合はタクシーのみ。
■行程
0日目
平岡駅13:40ータクシーー北又渡ー徒歩2:10ー易老渡 約\12000
易老渡にはトイレはあるが水場なし。水は十分持って行くこと。
1日目(7:40)
易老渡ー2:00ー面平ー2:35ー三角点(2254.1)ー0:30ー易老岳ー2:35ー光岳小屋 \400
時間、天候に余裕があれば光岳ピストン+イザルガ岳ピストン(小屋から往復0:40)
光岳ピストン:光岳小屋ー0:25ー光岳・光石ー0:30ー光岳小屋
光岳ピストンはこの日できなければ2日目に。
2日目(9:20)
光岳小屋ー2:15ー 易老岳ー1:45ー希望峰ー1:00ー茶臼岳ー2:00ー上河内岳の肩ー0:10ー
上河内岳ー0:10ー上河内岳の肩ー1:10ー岩頭ー0:50ー聖平小屋 \500
仁田岳は希望峰から往復0:40。
3日目(7:25)
聖平小屋ー1:30ー小聖岳ー1:20ー前聖岳ー2:00ー兎岳ー0:45ー小兎岳ー1:10ー
百間洞下降点ー0:40ー百間洞山の家
奥聖岳は前聖岳から往復0:45
大沢岳は百間洞下降点から往復0:45
4日目(5:20)
百間洞山の家ー0:10?ー分岐ー1:10ー百間平ー2:00ー赤石岳ー0:45ー
小赤石岳の肩ー0:40ー大聖寺平ー0:35ー荒川小屋 \600
5日目(6:55)
荒川小屋ー1:45?ー中岳ーここからピストン 1:30ー東岳(悪沢岳)ー1:10ー
中岳ー0:15ー前岳ー2:15ー高山裏避難小屋 \600
6日目(5:35)
高山裏避難小屋ー1:10ー板屋岳ー0:30ー大日影山ー1:45ー小河内岳ー0:45ー
前小河内岳ー0:45ー烏帽子岳ー0:40ー三伏峠小屋 \600
7日目(9:40)
三伏峠小屋ー1:25ー本谷山ー2:00ー塩見小屋ー1:20ー塩見岳ー0:35ー
北俣岳分岐ー1:20ー北荒川岳南ザレ場ー1:30ー竜尾見晴ー1:30ー熊ノ平小屋 \600
8日目(8:10)
熊ノ平小屋ー0:40ー三国平ー2:00ー農鳥小屋ーここからピストン 0:50ー
西農鳥岳ー0:40ー農鳥岳ー0:40ー大門沢下降点ー0:40ー広河内岳ー0:30ー
大門沢下降点ー1:00ー農鳥岳ー0:40ー西農鳥岳ー 0:30ー農鳥小屋 \500
三国平から間ノ岳経由で農鳥小屋の場合
三国平ー1:20ー三峰岳ー1:00ー間ノ岳ー1:00ー農鳥小屋
メンバーの体力・天候によっては広河内岳をカットして北岳山荘まで進む。
9日目(8:20)
農鳥小屋ー1:30ー間ノ岳ー0:50ー中白根山ー0:30ー北岳山荘ー1:20ー北岳ー0:40ー
両俣小屋分岐ー1:00ー中白峰沢の頭ー 1:00ー中白峰沢の頭取付点ー1:30ー両俣小屋 \500
両俣小屋分岐から両俣小屋へは増水時渡渉できないので注意。
その場合、北岳ピストン後北岳山荘→翌日間ノ岳経由で高望池か。
10日目(10:00)
両俣小屋ー1:00ー野呂川越ー1:50ー高望池ー4:00ー仙丈ヶ岳ー0:40ー小仙丈ヶ岳ー0:40ー
薮沢・小仙丈ヶ岳分岐ー1:20ー北沢 駒仙小屋ー0:30ー仙水小屋 \400
11日目(10:10)
仙水小屋ー0:40ー仙水峠ーここからピストン 1:30ー駒津峰ー1:30ー甲斐駒ケ岳ー1:00ー
駒津峰ー1:00ー仙水峠ー1:30ー栗沢山ー1:00ーアサヨ峰ー2:00ー早川尾根小屋 \400
12日目(7:25)
早川尾根小屋ー0:30ー広河原峠ー1:20ー白鳳峠ー1:00ー高嶺ー0:40ー赤抜沢の頭ー0:10ー
オベリスクー0:10ー赤抜沢の頭ー0:30ー分岐ーここからピストン 0:40ー観音岳ー0:30ー
薬師岳ー0:45ー観音岳ー0:30ー分岐ー0:40ー鳳凰小屋 \800
13日目(3:50)
鳳凰小屋ー0:50ー五色滝ー0:40ー白糸滝ー1:00ー南精進ヶ滝ー1:20ー青木鉱泉
下山口は夜叉神峠に変更する可能性もあり。この場合
12日目(6:40)
早川尾根小屋ー0:30ー広河原峠ー1:20ー白鳳峠ー1:00ー高嶺ー0:40ー
赤抜沢の頭ー0:10ーオベリスクー0:10ー赤抜沢の頭ー0:30ー分岐ー0:40ー
観音岳ー0:30ー薬師岳ー1:10ー南御室小屋 \500
13日目(3:40)
南御室小屋ー0:40ー苺平ー1:10ー杖立峠ー1:10ー夜叉神峠小屋ー0:40ー夜叉神峠登山口
■エスケープルート
ー希望峰:引き返す
希望峰ー上河内岳:茶臼岳登山口へ
上河内岳ー小兎岳:聖平小屋から聖沢登山口へ
小兎岳ー荒川小屋:赤石岳東尾根経由で椹島へ
荒川小屋ー前岳:荒川岳から二軒小屋へ
前岳ー竜尾見晴:三伏峠から鳥倉登山口へ
龍尾見晴ー三国平、中白峰沢の頭ー苳の平:両俣小屋から広河原へ
三国平ー間ノ岳:奈良田へ
間ノ岳ー中白峰沢の頭:北岳肩の小屋、白根御池小屋経由広河原へ
苳の平ーミヨシの頭:北沢峠へ
ミヨシの頭ー地蔵岳:広河原へ
それ以降:青木鉱泉or御座石温泉or夜叉神峠へ
■地図
2.5万分の1 「河内」「光岳」「大沢岳」「赤石岳」「塩見岳」
「間ノ岳」「夜叉神峠」「仙丈ヶ岳」「鳳凰山」「甲斐駒ケ岳」
エアリア 「41 塩見・赤石・聖岳」「42 北岳・甲斐駒」
■共同装備
救急箱(有紗): 遠藤
テント(ステラ): 川名
ポール: 荒田
ペグ: 荒田
鍋(新しく購入した、北海道で使用したもの)*1: 遠藤
カート*7: 久光
ヘッド*1: 荒田
おたま(uniflame): 遠藤(駒場になければ川名がお茶大に取りに行きます)
しゃもじ: 川名
ラジオ: 川名
ツェルト: 川名
■食当
兎岳避難小屋には水場がないので注意。小兎岳側へ往復1:30?で水場あり。
朝 夕 夜
0日目(9/6) ---- ---- 荒田(炊込ご飯)
1日目 川名(棒ラ(酸辣)) 遠藤(ヌードルカレー) 久光(白飯+中華丼)
2日目 荒田(リゾット) 川名(棒ラ(豚骨)) 遠藤(白飯+牛丼)
3日目 久光(ドライカレー) 川名(ヌードルチリ) 遠藤(白飯+?丼)
4日目 川名(棒ラ(醤油)) 遠藤(ヌードルカレー) 久光(白飯+麻婆丼)
5日目 遠藤(ヌードルチリ) 川名(棒ラ(豚醤)+ポテト)久光(白飯+親子丼)
6日目 荒田(パスタトマト) 川名(カレーうどん) 遠藤(白飯+シチュー)
7日目 荒田(わかめうどん) 川名(棒ラ(豚骨)) 荒田(山菜おこわ)
8日目 川名(棒ラ(酸辣)) 遠藤(ヌードルカレー) 久光(エビピラフ)
9日目 荒田(カレーうどん) 遠藤(ヌードル?) 久光(チキンライス)
10日目 荒田(きのこペンネ) 川名(山菜そば) 久光(牛飯)
11日目 遠藤(ヌードルカレー) 川名(棒ラ(豚醤+ポテト))久光(炒飯)
12日目 荒田(パスタブロッコリ)遠藤(ヌードルカレー) 久光(梅じゃこ飯)
13日目 荒田(リゾットチーズ) ---- 久光(しそわかめ飯)
14日目 遠藤(ヌードルチリ) ---- 久光(青菜ご飯)
15日目 川名(棒ラ(醤油)) ---- 遠藤(五目ご飯)
16日目 荒田(リゾットサフラン)---- ----
荒田10食 遠藤12食 川名11食 久光11食
■個人装備
□ザック □ザックカバー □サブザック □登山靴 □替え靴ひも □ヘッドランプ □予備電池
□雨具 □防寒具 □着替え □地図 □コンパス □水 □ゴミ袋 □筆記用具 □計画書
□トイレットペーパー □ライター □非常食 □行動食 □常備薬 □学生証 □保険証
□現金 □遭対マニュアル(緊急連絡カード含む)□新聞紙 □軍手 □日焼け止め □帽子
□天気図用紙 □コッヘル □武器 □ナイフ □シュラフ □銀マット □風呂セット(□サンダル)
*軽量化に努めること。
■遭対費
600円
■備考
日の出: 甲府9/7 5:22
日の出: 甲府9/19 5:31
日の入: 甲府9/7 18:05
日の入: 甲府9/19 17:48
NHKラジオ第二: 静岡 639 飯田 1476 甲府 1602 駒ヶ根 1512
青木鉱泉 \1000 7:00-21:00
甲府の温泉:喜久の湯 \400 10:00-21:00
南ア全山山行記録 文責:川名(34期)
■日程 2014年9月6日ー9月19日(移動日1日、山中12泊13日)
■山域 南アルプス
■メンバー・オーダー 久光(34期3年)ー荒田(33期4年)ーSL遠藤(35期2年)ーCL川名(34期3年)
■行程
■0日目 ----不安だらけの移動日----
□天候 晴
□行程
北又渡14:55ー2回の休憩ー16:46易老渡
久光が遅刻し、特急で追いかける羽目になったものの、それ以外のメンバーは八王子駅にて集合。車内での会話はもちろん今後の不安やら、荷物の多さになる。遠藤は95Lザックで今山行に望み、久光はサブザックを外付けしてなんとか収めていた。荒田さんも初日分の食料を両手に下げていると、各々パッキングに苦労した模様。共装・食当の割り振りは川名、久光を重めにしたものの、重さは約27kgで全員同じくらいになってしまったようである。長い長い青春18の旅で、7時間もの間電車に揺られて平岡駅へ向かう。車内で川名は持参した豚の角煮を食べる。今後2週間まともな肉を食べられないのかと思うと気が滅入る。
平岡駅に着くと、予約していたタクシーが待っていた。4人で予約したのだが、9人は乗れそうなジャンボタクシーが待機している。別のグループが手配したのかと思ったが、他にタクシーはなく、確認すると我々の乗るタクシーであっているらしい。料金が跳ね上がるのではと不安だったが、北又渡までは16000円で、予約の際に聞いた15000円より1000円高いだけだったので、誤差の範囲なのだろう。易老渡までタクシーで入れる場合もあるのだが、今年は落石のため北又渡のゲートが閉まっており、ここからは2時間の林道歩き。まだ登山は始まってすらいないのだが、途中で荒田さんが肩の痛みを訴え、途中2回の休憩をはさみつつ、易老渡に到着。駐車場にテントを張る。駐車場の周囲には小さな小屋とトイレが有り、余分な荷物は小屋においてテントのスペースを確保する。トイレは手入れがされていないのか汚い。また、駐車場から北又渡側へ3分ほどの場所で水が出ていて、久光はここで飲水を補給していた。しかし、エアリアではここに水場マークはなく、煮沸したほうが良いだろうし、場合によっては涸れていると思われる。
夕食を作りつつ今後の行程や行動食について話をする。荒田さんは共装の分担が少ないのに何がそんなに重いのかとその内訳を聞くと、一眼レフや三脚のカメラセットで相当の重量と体積を取られたらしい。さらに、そのせいで持参した行動食がほぼゼロと言っていいレベルで少なかった。川名が行動食を多めに持ってきていたので、川名の予備日分の行動食を配給して何とか乗り切ることにする。これらのミスが後々に響くこととなる。荒田さんは食料を犠牲にしていたが、川名はどうかというと食事を多く持ってきた分シュラフを持ってきていないので、ザックの容量が十分でない場合は何かしらを犠牲にする事になる。
夕食は炊き込みご飯。以降では全てアルファ米であるのに対し、唯一米を炊いて作ったが、炊飯に失敗する。芯だらけの硬い米に難儀しつつなんとか平らげる。夜にはかなり強い雨が降り出し、雷も落ちていた。沢沿いなので雷の恐れは小さいだろうと思っていたが、かなり近くに落ちることもあってなかなか怖かった。しかもテントの下はアスファルトなので、水がテント内に貯まる。シュラフを出して寝た者は早々にシュラフを濡らすはめになったそうだ。
■1日目 ----標高差1700m----
□天候 雨のち晴
□行程
3:00起床 易老渡5:10ー5:40休憩5:45ー6:05休憩6:15ー6:20小さなコルー6:50休憩7:03ー7:18面平ー7:50約1700m 8:03ー8:50約1900m 9:05ー10:05約2200m 10:17ー10:21 2254.6三角点ー10:53易老岳11:35ー12:30急登手前12:40ー途中10分休憩ー13:57イザルガ岳水場14:10ー14:19水場ー14:27イザルガ岳ー14:38分岐ー14:54光岳小屋15:28ー15:41光岳ー15:53光石16:07ー16:33光岳小屋
前夜の雨は朝頃には弱くなってはいるが、未だにしとしとと降っている。しばらくは樹林帯の中なので小雨でも大した問題ではないが、問題なのはむしろ水を吸って重たくなったテントである。今日の行程は行動時間は長くないものの、登山口から稜線上まで約1700mの標高差を稼がなければならない。テントを持つ身としては、テントがずっしりと重くなり、憂鬱な気分での出発となった。
歩き始めると30分もたたないうちに、荒田さんが腰の痛みを訴え、休憩を取る。この腰の痛みがこの日の行程を大きく遅らせることとなる。始めの内は30分に1回程度の休憩を取ってなんとか歩いてもらうが、このペースでは遅々として進まない。後半は1回の行動時間を長めに取ると、座れそうな倒木などがある度に座って小休止を取るという有様。共装の配分は荒田さんには軽くなるようにしたのだが、さすがにブランク期間+荷物の重さが祟ったと見える。
なんとか1500mを登り切り、易老岳に至る。このころには雨も止んでいた。ここまでの行程には目ぼしき所はなく、単に標高を稼ぐための道だったという印象。易老岳も展望のない地味なピークである。その先の稜線歩きも展望はないものの、登りではないのでこれまでと比べてとても歩きやすく、所々お花畑もあって癒される。しかし、イザルガ岳手前の急登で再び荒田さんがバテて休憩。途中の水場には前夜の雨の影響か、多量の水が湧いていたので、ここで水を汲んでいく。イザルガ岳分岐では、荒田さんは休みを取るために光岳小屋に向かい、他の面子はイザルガ岳をピストン。ガスっていたために展望はなかったが、晴れていれば360°開けていてかなり良い展望が得られそうである。
光岳小屋でテントとツェルトを設営後、光岳へ向かう。一同軽くなった荷物に感動し、荒田さんに至ってはバテバテだったのが嘘のようにトップで意気揚々と歩いていた。光岳頂上は標柱があるものの展望はない地味な場所である。ちなみに、南アルプス南部の山頂や分岐の道標は立派なものが東海フォレストによって設置されている。頂上から10mほど行くと展望台があるものの、ここでの見所はなんといっても光石である。光石に着く頃には晴れていて、非常に良い展望が得られる。また、光石に限らずこの辺りには露岩帯がいくつかあり、そのいずれも陽の光を反射して白く輝いている。光岳そのものは地味であるのに百名山に選ばれたのは、この光石があるゆえなのだろう。
さて、テン場に戻った頃には天気図放送は終わってしまっていたので、光岳小屋の軒先を借りて夕食・夜食を作り始める。ガイドの方も宿泊していて、我々が今後2週間の縦走を予定していることを話すと、応援としてご飯やら梅酒を差し入れて下さった。とてもありがたいことである。差し入れと合わせて持参した食料も腹に入れる。まだ元気のある川名や久光はガッツリと食事を取れたのだが、荒田さんは疲労が胃腸にも来たのか、あまり食べられなかったそうだ。光岳小屋で提供される天気予報の情報を確認すると、明日以降の天気はしばらく良さそうとのこと。展望は楽しめそうだが、明日まだ荷物が重いうちに9時間以上の行程を歩かなければならず、しんどい1日である。これをなんとか乗り切ろうと決意して就寝。
■2日目 ----10時間の大移動----
□天候 曇
□行程
3:10起床 光岳小屋5:10ー水場(水汲み)5:38ー6:38易老岳南東ガレ場6:50ー7:18易老岳ー7:53鞍部手前8:03ー8:13鞍部ー8:55希望峰9:03ー9:16仁田岳9:22ー9:32希望峰9:42ー10:25茶臼岳10:36ー10:51分岐ー11:39奇岩竹内門11:51ー12:19上河内岳の肩12:21ー12:29上河内岳12:40ー12:46上河内岳の肩12:58ー13:26南岳ー13:49 2561m 14:05ー14:46分岐ー14:49聖平小屋
前日に3時起床でヘッデン行動を要したことから、起床を10分遅らせる。筋肉痛が心配されたが、朝起きても身体に異常はないようで安心した。前日の疲労具合を鑑みて、荒田さんの荷物を3人で分けた後に出発。朝焼けと雲海の上に浮かぶ富士山が非常に美しい。上空は雲が覆っているものの展望はばっちりあるので、陽射しが抑えられてなかなかよい天気である。前日は天気が悪かったが、稜線歩きの日に好天で本当に良かった。しばらくは傾斜のゆるい道であり、荷物を分けた甲斐もあってか、コースタイムより若干速いくらいの良いペースで進むことが出来る。せっかくなので、仁田岳をピストン。仁田岳への道はハイマツがうるさいが、辿り着いた山頂での展望は素晴らしい。また、ピストン行動中は荷が軽くなるのもあって、しばしの癒やしタイムを楽しむ。
希望峰へと戻った後は再び歩みを進める。仁田池はかなりしょぼいのでガッカリしたが、このあたりまで進むと森林限界を越えて展望が開ける。聖、赤石、荒川と今後の山々が見えるほか、遠方には中央アルプスも見える。聖岳の威圧感も大したものだが、茶臼岳から望む上河内岳についても、この標高差を越えなければならないかと思うと気が萎える。しかし、途中には亀甲状土や縞状の文様が複雑に走る奇岩などの絶景があり、これらで気を紛らわせながらなんとか上河内岳を登り切る。ここでも良い展望が得られ、さすがは200名山といった所である。
残りの行程に目立った登りはなく、後は聖平小屋に向けて降りるだけである。途中の崩壊地に気をつけつつ、なんとか2時間下ると綺麗な小屋が見え、ようやく聖平小屋に到着。聖平小屋はテン場もよく整地されていて広く、またトイレも綺麗である。昨日の光岳小屋もそうだったが、ペーパー完備+水洗式+洋式と、山のトイレにあるまじき豪華さで、非常に快適な所。受付でテン場の手続きを済ませると、なんとフルーツポンチの差し入れを頂いた。こちらの小屋では登山者全員に好意でフルーツポンチを提供しているらしく、疲れた体に甘いものが染み渡る。さらに、今回はジュース2本とマルちゃん正麺*5袋も無料で提供していただいた。8月中の天候不順のために登山客が少なく、小屋閉めまでに食料が余ってしまうので、その分を配布しているそうだ。昨日に引き続き、本当にありがたいことである。ただし、マルちゃん正麺を食べる分、今日消費する予定だった予定していた食料を予備日分に回すこととなり、自分の分の食当を消費して荷物を軽くするつもりだった川名としては少しつらいところである。
これまでの2日間、初日は1700mの登り、2日目は10時間のコースタイムの行程と、流石に辛かったが、一番しんどい2日間をなんとか乗り切ったことに安心する。以降は荷物も軽くなっていき、7日目まではコースタイムも8時間以内とだいぶ楽になるので、しばらくは楽な思いができると思っていたのだが…。
■3日目 ----「ボラ」は伊達じゃない----
□天候 快晴のちガス
□行程
3:10起床 聖平小屋5:23ー5:51薊畑ー6:21約2500m 6:31ー7:05小聖岳ー7:20休憩7:30ー8:40聖岳8:51ー9:07奥聖岳9:17ー9:31聖岳9:51ー10:49聖兎のコル11:07ー11:54兎岳避難小屋12:07ー12:21兎岳ー12:29 2799.3三角点ー12:38兎岳ー13:11小兎岳南ピーク13:17ー14:27中盛丸山14:39ー14:53百間洞下降点ー15:34百間洞小屋
起床すると、天気はピーカン。幸先は良さそうであり、稜線上に出ると富士山や上河内岳が美しく、聖岳頂上での展望が楽しみである。しかしながら、前2日間の疲労の上に、聖岳までの標高差700m以上の急登とあって、皆バテバテになる。やっとの思いで聖岳山頂に立つと、最高のご褒美が待っていた。青空をバックに、前方には赤石・荒川や、これまで見えなかった仙丈・甲斐駒も見える。振り返ればこれまで歩いてきた稜線の展望があり、遠くには富士山に中ア、北アの連峰も望むことができる。奥聖岳へのピストン中では展望に加え、綿毛をつけたチングルマのお花畑もある。
聖岳でのご褒美に癒やされて、さて残りの行程も頑張ろうかと志して出発したものの、さすがにそこは山がでかい南アルプス。次の兎岳へのアップダウンでも皆がバテて、コースタイムよりも遅れ気味になる。また、このあたりには岩場もたまに出てきて中々大変なところでもある。兎岳避難小屋は小屋前に2張り分ほどのテントサイトがあり、見た目はボロいものの、中は改修済みできれいになっている。しかしやはり避難小屋らしい面もあり、水場やトイレはなく、携帯トイレが備え付けてあるのみである。ここに泊まる羽目にならなくてよかったと思いつつ、兎岳に登り、三角点をピストン。ただし、この三角点はそれほど展望が良くなるわけではなく、道中でハイマツを踏み潰して進まなければならず植生へのダメージも大きいので、三角点好きでもなければ行かなくて良いと思う。
無駄な三角点のピストンでさらに気力を消耗し、この後の部分ではだいたいのメンバーが体力の限界を迎えつつあった。特に、初日からしんどそうだった荒田さんの消耗が激しい。健全な精神は健全な肉体に宿るとはよく言ったもので、疲労が溜まったメンバーの間では罵詈雑言が飛び交い、「そもそも計画に無理があるんだよ」、「いや、ちゃんと軽量化をしてこない方が悪い」などと醜い言い争いが始まる。川名はまだ疲労がそこまでではなかったので、大沢岳へのピストンをしたいなどと口にすると、「いい加減にしろ」とメンバーからブーイングの嵐。仕方がないのでカットして、ようやく百間洞小屋に着く。98年、99年の南ア全山においても、同じ行程でやはり百間洞に至る日がヤマ場となっていて、「ボラる」行程は伊達ではないと痛感した。
百間洞のテン場は小屋から離れたところにあり、一番小屋に近い所に張ったのだが、小屋とテン場の往復だけでも余計に疲れる。水場・トイレは小屋の近くにあるので、テン場利用者にとっては不便。さらに、ここまでの道中で他の登山者に「百間洞では夕食に凄い分厚いトンカツが出るんだよー」などと聞かされていて、当人たちは好意で話してくれたのだろうが、棒ラーメン・カップヌードル・アルファ米ばかりの食事をする我々にとっては聞きたくもない話であった。恨めしい思いをしつつ、持参した食料を「美味い美味い」と言い張って完食。荒田さんが風邪気味らしいので、救急箱から薬を出して飲んでもらうが、救急箱の中身がカビだらけになっている。何があったのかと確かめると、どうやら久光が沢で濡らした後に全く手入れをしなかったらしい。ちゃんと管理しろ!
■4日目 ----初めての癒やし日----
□天候 晴のちガス
□行程
3:10起床 百間洞7:43ー8:41百間平8:51ー9:45休憩9:54ー10:42赤石岳11:17ー11:31分岐ー11:44小赤石岳ー12:12休憩12:22ー12:35大聖寺平ー12:56荒川小屋
前夜風邪を訴えていた荒田さんはやはり体調が優れないらしい。今朝は尻から出血していたようで(なぜそんなことに?)、この日は行程が短いということもあり、出発前に休憩を取ることにする。休憩中に川名は大沢岳をピストンしたい欲望に駆られたが、さすがに前日の皆からのブーイングもあって自重した。7時前に体調を尋ねるとなんとか行けそうとのことなので、これまで以上に荒田さんの荷物を他の3人に分けて、出発。
前日の疲労が残っているかと心配したが、朝の休憩の甲斐もあってか予想以上にいいペースで進む。霞んでこそいるものの天気はよく、この日も展望が楽しめる。百間平では尾根が広がって歩きやすく、非常に快適な道である。赤石岳への登りでは我々と似たような風貌のパーティーと遭遇し、尋ねてみると富山大のワンゲルとのこと。彼らは三伏峠ー光岳の縦走を予定しているそうで、互いの健闘を祈って別れる。
昨日の聖岳ほどの疲労感はなく、赤石岳に登頂する。これまでは遠くに見えていた荒川岳にもだいぶ近づいたものだ。赤石岳避難小屋に顔を出してみると、ここのオヤジさんが中々面白い人柄であった。遠藤がここでバッジを買った時には、「ありがとー!」とハグまでしてくれたそうだが、久光が同じくバッジを買った時には「やったー、これで500円だー!」というリアクションだったらしい。この差は購入者の人格の差によるものだろうか。また、こちらでも余った食料を分けていただいた。本当に行く先々でお世話になり、感謝感謝である。小屋前の神社に立っている石柱はここで遭難した人のものだそうで、かなりの数が林立している。我々も注意せねばと気を引き締め、この先の行程を進む。
とはいっても、荒川小屋までは2時間程度の下りを残すのみで、楽な行程である。途中の「位久光霊神の碑」に久光が異常な興味を示していたが、見てみると伊藤佳司なる人物の遭難碑であった。久光姓じゃなくて残念だったな。最後まで良いペースで進み、13時前に荒川小屋にたどり着く。この小屋もやはりトイレが綺麗だった。南ア南部の小屋は東海フォレストが運営しているためか、設備が充実しているところが多い。
くつろぐ時間が十分にあるので、赤石岳避難小屋での差し入れも食べて豪勢な食事をとる。差し入れの中には焼き鳥缶もあり、久し振りの肉を楽しむことが出来た。また、これまで荒田さんがフルーツ缶を持ってきていたことも判明したので、重量を減らすためにこれも消費する。実は、前日にも荒田さんは食いきれずに冷えた飯を、自分で持参したカートとヘッドで温めて食べていた。本人曰く、「予備のために持ってきた」そうだが、カメラと行動食の件もあり、不必要な物を持ってきて必要な物を持ってきていないという感は否めない。もう少しきちんと準備してきて欲しかったというのが本音である。
■5日目 ----唯一の悪天----
□天候 ガスのち雷雨・雹
□行程
3:10起床 荒川小屋5:19ー5:45標柱ー6:05鹿柵ー6:19休憩6:26ー6:44分岐ー6:53中岳ー6:57中岳避難小屋7:06ー7:43悪沢岳8:03ー8:40中岳避難小屋9:03ー9:09分岐ー9:14前岳ー9:53森林限界ー10:14小広場10:35ー11:24高山裏避難小屋
いつものように3:10に起床するも、荒田さんは寝不足で2度寝、久光も盛大に鼻血を出すという始末。この日が中日であり、余裕のある行程でよかった。もっとも昨日も中日だったはずなのだが…。今日は初日以来の天気が悪い日で、ガスの中荒川小屋を出発する。中岳への登りの途中には鹿柵がある。これほどの標高のところにも鹿が出るのか。稜線まで登ると北風が吹き、ガスも相まって中々寒い。中岳避難小屋にザックをデポさせてもらい、悪沢岳へのピストンに向かう。ここの登りはかなりの急坂で岩場でもあるが、サブザックでの行動なのでペースは速い。急登手前にはお花畑があり、ガスの中で展望はなくても楽しみがある。急登を登り終えると悪沢岳に至る。南部最高峰であるものの、展望はないのでこれまで登ってきた山々に比べると感慨はない。20分ほど滞在した後に出発。中岳避難小屋に戻る。
ザック回収の際、こちらの小屋主さんとお話をして、前岳の西側で道が崩壊しているため、ハイマツを踏んででも崩壊地を巻いて進んで欲しいとの助言を受ける。避難小屋を出発し、中岳、前岳を過ぎると、確かに道が崩壊している。というより、前岳山頂の部分でもかなり崩壊していて、あまり隅に行くと地面が崩れるのではないかという気がする。危険地帯にはペンキで大量に×印が付けられているので、これに従えば問題なく通過できる。この後は黒部五郎と並んで?有名なカール地形が広がる部分で、中岳のオヤジさんにもぜひ楽しんでいって下さいと言われた名勝であるのだが、残念ながらガスのために何も見えなかった。晴れていればモレーンもはっきり見えるそうである。仕方がないのでテクテクと高山裏避難小屋へ歩いて行く。途中の水場は水量は少ないものの一応流れていた。
高山裏避難小屋にたどり着くと、どうやら我々が一番乗りのようである。ここと小河内岳避難小屋は小屋主さんは8/31までしか居ないので、気軽に使わせて頂く。この周囲は北八ヶ岳のように苔が美しいところである。小屋には15人ほどは泊まれるだろうか。水場までは往復15分程度で、トイレは易老渡以来久しぶりの汚いトイレ。後に単独行のおじさん1人と、信州大学農学部森林学科の4人パーティーが来る。あちらは広河原ー聖光小屋の行程を予定しており、男2人、女2人のパーティーで、むさい男だらけの我々からすれば羨ましい限りである。雷鳥にも一緒に南ア全山に来てくれるような女子はいないものだろうか。
13時頃からは天気が大きく崩れ始め、雷が鳴り出し、雹も降ってくる。これだけ天気の悪い日が、行程中で唯一予定されている避難小屋泊の日に当たったのだから、全くもって幸運である。あまりに早く小屋に着いてしまったので時間が余って暇だったが、小屋に置いてあったPEAKSを読んだり、信州大学のパーティーと情報交換をしたり、一緒に天図を取ったりして時間をつぶす。ちなみに、小屋の中では電波が入りづらく、窓の近くにラジオを置いてなんとか聞くことが出来る。この日の夜食(といっても16時位に食べるが)は毎度のようにアルファ米だったのだが、出来た米をコッヘルに入れると、「カラカラ」と乾いた音がして、全く火が通っていない。アルファ米での失敗など聞いたことがなく、調理の下手さに呆れるが、それでもなんとか食べられるのはさすがにアルファ米といったところか。
夜に外に出てみると、伊那の町の明かりが見える。下界を離れて5日目だが、まだ下界が恋しいと思わないのはやせ我慢ではないだろう。まだまだ山を楽しみたいという気持ちのほうが強い。ただ、この日の夜の冷え込みには参った。これまでの夜はシュラフなしでも問題なかったが、やはり避難小屋での夜は寒い。テントと比べて体積が広すぎるので、体温で空気が温まらないのが原因なのだろう。この晩は凍えてあまり眠れない夜を過ごすこととなった。
■6日目 ----南部最後の1日----
□天候 ガス→快晴→ガス
□行程
4:00起床 高山裏避難小屋5:47ー6:36板屋岳ー6:48休憩6:58ー7:10瀬戸沢の頭ー7:20大日影山ー7:53原っぱー8:02休憩8:11ー8:44小河内岳9:20ー9:50前小河内岳ー10:23烏帽子岳10:43ー11:14三伏峠小屋
テントをたたむ手間もなくこの日の行程も短いので、遅めの起床。信州大のパーティーを見送った後に我々も出発する。早朝はガスっていたものの、気温が上がってくると、ガスも晴れてピーカンに。一方で下を見れば雲海が広がり良い天気である。前日の荒川岳でこの天気だったらなあと思いつつも、そこまで望むのは贅沢というものだろう。快晴であることに感謝しつつ先に進む。板屋岳を越え、瀬戸沢の頭あたりまで来ると西側の展望が広がる。大日影山には標柱はなかったような気がするが、我々が見落としていただけかもしれない。
森林限界を超えると真っ青な空と聖・赤石・荒川の展望が得られる。さらに進んで小河内岳まで来ると、この先の塩見に加え、遠方の仙丈、甲斐駒、間ノ岳も視界に入ってきて、テンション上がりまくり。これだけの快晴ですぐに小屋に着いてしまうのもつまらないので、小河内岳避難小屋を偵察しに行く。すでに小屋主はいないが、2階から小屋の中に入れる。ただし、トイレは使用不可なので要注意。高山裏の汚いトイレを使うのを我慢していた遠藤はここのトイレをあてにしていたのだが、仕方なくハイマツ帯に隠れて用を足していた。小河内岳を発ち、烏帽子岳まで進むと、農鳥岳も見える。ここから三伏峠まではわずかであり、せっかくの好天で早々と行動を終えてしまうのももったいないのだが、三伏峠から次のテン場の熊ノ平まではコースタイムで9時間以上ある。大人しく三伏峠で泊まることにして、この日も午前中で行動は終了。
今日までしばらくの間ゆるい行程が続いたが、明日以降は再びコースタイム8時間以上、日によっては10時間の厳しい日程となる。これに備えるため、荷物や靴を干したり、水場で体を拭いてリセットを図る。ちなみに、今日の行程に物足りなかった川名は、テン場から塩川ルートと三伏山をピストンした。どちらもエアリアで展望が素晴らしいと書かれているのだが、塩川の展望ははっきり言って良くない。また、塩川ルートが通行止めになっていることもあって、豊口山分岐から先は倒木も多く非常に道が荒れている。一方で、三伏山の展望は素晴らしかった。あまりに素晴らしいので日の入りの時刻に再度訪ねたものの、残念ながらガスで日が沈むところは見えず。ただ、伊那の街並みが高山裏よりもよく見えるので、結果的には良かった。
これにて山中では6日間を過ごしたことになる。南アルプスのどこを境に北部と南部を区切るのかは定かではないが、今回の日程から言っても地形から言っても、この三伏峠が一つの境になるのではないかと思う。エアリアでも、今日までは『塩見・赤石・聖岳』だったが、明日からは『北岳・甲斐駒』へと移る。当初に比べれば荷物もだいぶ軽くなってはいるが、以降の行程は再び大変なものとなる。今後に期待と不安を抱きつつ、休息を取る。
■7日目 ----後半戦突入----
□天候 晴
□行程
3:00起床 三伏峠小屋5:07ー5:15三伏山ー5:33休憩5:58ー6:20本谷山ー6:48稜線を外れるー7:01休憩7:11ー7:33分岐ー7:46塩見小屋8:02ー9:05塩見岳西峰ー9:10塩見岳東峰9:36ー9:57北俣岳分岐ー10:47「キャンプ場跡」標柱11:03ー11:14北荒川岳ー12:05休憩12:18ー12:25竜尾見晴ー12:58安部荒倉岳13:12ー13:33熊ノ平小屋
昨日マークしておいた三伏山で日の出を見るために、この日は少し早い起床。しかし、他の全員の準備ができている中で、荒田さんの姿が見えない。「長いトイレだな—」と凍える思いをしながら待っていると、トイレとは反対方向から三脚を携えてやって来るではないか。なんでも星の写真を取りに行っていたそうだが、それは山で一番忙しい朝にすることではないだろう。予定よりも少し遅れて小屋を出発。三伏峠の先で日の出待機を兼ねた休憩を取る。塩見岳の南から出てくる日の出の神々しさに感動し、今日も陽射しの後押しを受けながら先へ進む。
前3日が休息日だったおかげか、コースタイムを巻く良いペースで歩いて行き、塩見小屋に至る。小屋は増築工事中。また、男性の小用トイレのみは無料で使うことが出来る。塩見岳への急登では岩場が多く、これまで1度もストックを手放さなかった遠藤もついにストックをしまってよじ登っていく。塩見岳山頂では、今日も好天に恵まれて絶好の展望が得られる。南方には荒川岳や赤石岳を始めとするこれまで登ってきた峰々が、北を見ればこれまで頂のみが見えていた山の、その広く長い尾根も見ることが出来る。塩見岳はちょうど南アルプス中心の展望台のような立ち位置にあると言えるだろう。また、「高度感がある」とは遠藤の言だが、なるほどバットレスを擁する塩見岳は各方面が切れ落ちていて、中々の景観である。
塩見岳北側の急なザレ場を下った後は、三峰岳へと続く緩いアップダウンの続く尾根歩き。個人的には本山行中一番のお気に入りのコースである。人少なく静かな山歩きが楽しめるところであり、周囲はダケカンバがまばらに立つ草原が広がっている。さらに枯れてしまってはいるものの、マルバダケブキが密生しているところもあり、花の時期にはまさしく「天国」となるのだろう。歩いているうちに前方の間ノ岳、農鳥岳が徐々に迫ってくる、と展望についても申し分なしである。「天国」の先にはエアリアで「キャンプ場跡」の標柱があるとされるザレ場があるが、ここには小さな廃屋がある。さらに先まで進むと樹林帯となって展望はないが、これまでの重荷を背負った縦走で痛めた足には落ち葉の道が歩きやすく幸せだ。たまに出てくる岩場を越えつつ、安部荒倉岳に至る。安部荒倉岳は地味なピークで、西側の展望がわずかにあるくらいでパッとしない。最後まで良いペースで進み、14時前に熊ノ平小屋に到着。
熊ノ平小屋はその名前との関わりがあってか、くまモンスタンプが置いてある。物好きな人はわざわざ集めに来たりもするのだろうか。ここで夕食を作っている時、再び荒田さんの尻から血が出ていることが判明。見てみるとズボンにまで染み出しているレベルである。百間洞の時からずっと裂けているらしく、自己申告で既に治りかけだから問題ないとのこと。他のメンバーも、久光は鼻血、遠藤は血便と何らかの異常が起こっている。川名はビタミンのサプリメントを摂っていたおかげか、目立った障害はなかったが、唇の日焼けは如何ともしがたく唇から出血。さすがに1週間まともな食事を取らずハードな運動をし続ければ、どこかおかしくなるというものか。また、このころには大分膝にも痛みが出てくる。最後まで遂行することに若干の不安が出てくる。
■8日目 ----人混みの白峰三山へ----
□天候 晴のちガス
□行程
3:10起床 熊ノ平小屋5:13ー5:56三国平分岐ー6:21休憩6:33ー6:46水流ー7:02水流ー7:45分岐ー7:54農鳥小屋8:14ー8:44西農鳥岳ー9:12農鳥岳9:21ー9:44大門沢下降点ー10:09広河内岳10:25ー10:43大門沢下降点ー11:13農鳥岳11:28
今日も荒田さんは星を撮っていたが、さすがに前日の注意を受け入れて夜中に撮りに行ってくれた。また、やけに冷え込んで寒いと思ったら、外では夜間に霜が降りたようだ。熊ノ平小屋を出てすぐの木道も霜のために滑りやすくなっている。荒田さんがコケて手を擦りむいたので、応急処置をした後に出発。三国平分岐からは、三峰岳、間ノ岳のトラバースとなる。この道は間ノ岳の懐に潜り込んで行くような道であるので、間ノ岳の迫力が凄まじい。途中三国沢と農鳥沢の間には2箇所で水が湧いている。1つ目は水量多く、2つ目は少ないが、どちらも農鳥オヤジによると飲用不可だそうで、エアリアにも水場との記載はない。
白峰三山の分岐まで来ると途端に人の数が増える。三連休の真ん中で、南アでも一番人気の白峰三山ともなれば仕方がないか。しかし、これまで平日中に渋い南ア南部の縦走を続けてきた我々からすると、あまりの混雑っぷりに辟易する。農鳥小屋にたどり着き、ザックをデポして広河内岳へのピストンを始める。農鳥岳山頂では狭い山頂に20人近くもの人がたむろしているので、ピークをスルーして一段低い所で休憩を取る。大門沢下降点までは人混みが続いたが、そこから先まで行くとさすがに人は減る。久光も「広河内岳はカットして休みたい」などと言っていたが、辿り着いてみれば良い展望がある。農鳥岳からでははっきりと見えなかった白峰南嶺も見え、ここからやって来る強者5人と遭遇。「白峰南嶺に行かなきゃ南ア全山じゃないっしょ!」などと言われてしまったが、さすがにそこは勘弁して下さい…。
展望を楽しんだ後は農鳥小屋へ戻る。やはり多くの人とのすれ違いがあり、無駄に時間を食ってしまう。早めに農鳥小屋に戻れたら北岳山荘まで進む予定だったのだが、農鳥小屋に留まることにする。13時頃に受付をしたのだが、この頃には既にテン場はほとんど埋まっていて、地面が斜めになっている所に張る羽目に。ツェルトを張るスペースもなく、狭く傾いたテントでこの日は就寝。昨晩に引き続いて夜は冷え込んだが、それも放射冷却によるものであれば喜んで受け入れよう。
■9日目 ----予想外の難所----
□天候 晴のち曇
□行程
3:10起床 農鳥小屋5:10ー5:22分岐ー6:22間ノ岳6:48ー7:30中白根山ー7:56北岳山荘8:13ー8:33分岐ー8:53吊尾根分岐ー9:09北岳9:43ー9:56両俣小屋分岐ー10:33中白根沢の頭10:50ー12:05中白根沢の頭取付点12:20ー13:18休憩13:28ー14:08両俣小屋
4:00頃にテントを出ると、まだこの時刻でも甲府の夜景が見える。高山裏や三伏峠では伊那の街並みを見ていたことを思うと、夜景という面でも自分たちの歩みを実感する。少し時間が立つと空が明るくなり、今度は雲海に浮かぶ富士山のシルエットが見事である。日の出を期待しつつ出発。間ノ岳、農鳥岳が段々と赤く染まっていく。今度は東方を遮る山並みがないので、雲海から立ち上る日の出は最高の瞬間だった。
間ノ岳では昨年の白峰三山では得られなかった展望があり、これまでは見えなかった我々の登る最後の百名山、鳳凰三山もお目見えする。いよいよ終わりも見えてきたというところだろうか。間ノ岳を出発し、次は北岳へ。途中の北岳山荘で、やはり農鳥小屋の汚いトイレを我慢していた遠藤が用を足す。ちょうど物資の運搬の時間だったようで、10分おきに3回もヘリが来ていた。この後は多くの人とすれ違いながら北岳へ。山頂もやはり大混雑。ここでもガスがかかることなく良い展望であるのだから、まあそれも仕方ないか。
今山行中最高峰の頂に30分位上滞在してたっぷり楽しんだ後は、両俣小屋分岐からマイナーコースを辿って両俣小屋へ。さすがにここからは人と会うことはなく、踏み跡もやや薄くなる。道を見失うレベルではないが、注記しておくと、中白根沢の頭東側では稜線のやや南側に道がついている。展望があれば北岳側からは看板跡が見えるので、それを目印にすると良い。エアリアにもある通り、中白根沢の頭は巻いて進むが、頂上へ向かう道も付いている。頂上までは往復5分程度で、北岳、仙丈、甲斐駒に囲まれた位置にある展望台なので、中々良い景色。このルートを通るときには山頂に寄ることをお薦めする。
ただ、楽しんでいられるのもこれまで。中白根沢の頭から取付点の間の急坂は落石注意の箇所が多い。また、急な下り坂は膝にかかる負担も大きく辛い。なんとか取付点にたどり着くと、野呂川左俣沢の左俣大滝が奥に見える。沢好きとしてはこれにだいぶ癒やされたが、まだまだこの先も道が悪い。沢沿いを赤ペンキ、赤テープを頼りに進んでいくが、沢から離れると半分藪漕ぎ、沢沿いに進めば危うい渡渉を繰り返す羽目になる。おまけに、赤テープの示す道が途中で分かれたりして、かなり荒れた道となっている。左俣沢そのものは、綺麗な釜がいくつかあるものの倒木が多く遡行の対象になることは殆ど無いだろう。両俣小屋は野呂川左岸にあり、ここへ行くためには左俣沢と右俣沢の出合よりすこし下流側の、「北岳」を示す大岩の所を渡渉する必要があるのだが、この渡渉がまた滑りそうな危険地帯である。この先の渡渉点も探してみたものの、結局はここで渡ることとした。両俣小屋にたどり着くまで、遠藤を除く3人は皆渡渉に失敗し靴を濡らしてしまったが、サンダルを唯一持ってこなかった遠藤が濡らさなかったのは不幸中の幸いか。
増水している訳もないのに、これだけ道が荒れているのはいったい何があったのかと両俣小屋のおばちゃんに聞いてみると、そもそも2011年の台風で道が荒れてからは通行禁止の扱いにしているとのこと。だったら分岐に注意書きでもしておいて欲しいと思ったが、点線ルートであるのだから文句を言っても仕方ないか。しかし、エアリアの記載からは増水していなければ問題ないかのような印象を受けるが、この点は改善してもらいたい。1年生を連れた夏合宿などではこの道は歩くべきではないだろう。
両俣小屋には車が入ってこれるのか、轍のついた道が通っている。そのおかげか、水場には洗い場があり洗剤も置いてある。さらにはゴミ捨て場もあり、山小屋というよりはキャンプ場といった感がある。これまでの10日間の縦走で、コッヘルに溜まった汚れやらゴミやらを捨ててリセットさせてもらう。明日明後日はコースタイム10時間の行程なので、これは大変ありがたかった。
■10日目 ----山の生活が身に沁みる頃----
□天候 快晴
□行程
3:10起床 両俣小屋4:52ー5:41野呂川越ー6:06休憩6:16ー6:19横川岳ー7:22高望池7:34ー7:46伊那荒倉岳ー8:16苳ノ平ー8:44休憩8:57ー9:48休憩9:59ー10:20大仙丈ヶ岳ー10:49仙丈ヶ岳11:25ー11:38小仙丈カール分岐ー12:04小仙丈岳ー12:20六合目12:30ー12:42五合目ー13:13二合目ー13:35北沢峠13:53ー14:00長衛小屋14:17ー14:44仙水小屋
さすがに10日間も山に入ればその生活にも慣れ、この日は少し早い出発。両俣小屋のおばちゃんには、野呂川越への道は迷いやすいので暗い中では行動しないようにと言われていたが、問題ないと判断してして進む。このルートで進む場合には渡渉の必要もなく、道も荒れてはいないのでコースタイムを巻くくらいのペースで進む。野呂川越までの急登を登った後は、長い長い仙塩尾根が続く。暇つぶしに各々が食料をかけて、今後仙塩尾根ですれ違う人数を予測する。
仙塩尾根はしばらくは樹林帯のゆるい上りが続く。歩いているうちに徐々に森林の相観が変わっていくのが面白い。高望池は涸れていてあまり美しくはないが、所々に現れる露岩帯では展望が開けてアクセントになっている。森林限界を超えると仙丈ヶ岳が眼前にそびえる。南側から眺める仙丈はそのカール地形がはっきりと見えて素晴らしい。千丈を眺めるのであればここからの展望が一番良いのではないかと思う。大仙丈ヶ岳への急登とその後の岩場を越えれば、仙丈ヶ岳に到着。結局、仙塩尾根で出会った人数は、高望池でヤミテンしたと思われる3人パーティー含めて8人であり、全員予想を外す。すでに連休も終わっているというのに意外にも多くの人が通っているものだ。
仙丈ヶ岳では、この日も天気が快晴であることもあって、やはり良い展望である。光岳を除く南部の百名山からは仙丈ヶ岳が見えていたが、それは仙丈ヶ岳からもそれらの山々が見えるということを意味する。良くもまああそこから歩いてきたものだと我ながら感動。また、かつてはあれほど遠くに見えていた仙丈ヶ岳にもとうとう辿り着いたのだという感慨もある。長らく展望を楽しんだ後は、北沢峠への下り。小仙丈ヶ岳には巻道がついており、意識しないとこちらに引きこまれて山頂に立てないので注意。この後は正面に甲斐駒を間近に見ながら下って行き、森林限界以下では多くの登山者を追い抜いて北沢峠にたどり着く。
舗装された道路は10日ぶりの光景。バス停があり、長衛荘もかなりの充実っぷりと既に下界の感があるが、我々はまだここで歩みを終える訳にはいかない。荒田さんが行動食を買い足した後は、これ以上下界の雰囲気に毒されないように、より山の中へ、山の中へと進み、仙水小屋でテントを張る。仙水小屋は長衛小屋に比べると、小屋の規模もテント場も小さく快適とは言いづらいが、そのほうが今の我々には親しんでいる。また、電波も基本的には通じていないのだが、小屋のスタッフに頼めば、docomoのガラケーであれば通話・メールとも可能である。なんでも谷の中でなんとか電波を反射させ、パラボラで集めて通信できるようにしたらしい。また、無料か有料かは確かめていないが、充電もさせてくれるそうである。
ここまで順調に進んできたのだが、実は以前からの懸念事項が一つあった。それは、早川尾根における登山道の崩落である。広河原峠ー赤薙沢ノ頭間での崩落のため、通行禁止になっているという情報は、南部を縦走していた頃にからすれ違う登山者から聞いてはいたものの、まだその頃には先の話でどうするかは決めていなかった。しかし、この頃になってくると直近の話であり、どうするかを決めねばならない。在京にも情報を問い合わせ、登山者からの情報では「通行止めだけど問題なく通過できる」と聞かされる一方で、両俣小屋・こもれび山荘・長衛小屋の小屋主さんの話では、やはり通過できないとのことであった。しかし、ここを通過しないとなると、1:20で行ける所を6:00かけて900mもの標高差を登り下りするか、早川尾根を通らずに南アルプス林道を延々と歩かなければならなくなる。それらはできれば避けたいところだ。仙水小屋のご主人にも話を聞いてみると、通過には何の問題もないとのこと。なんでも1週間前に巻道を作り、赤テープの印も付けてくれたそうだ。この情報に後押しされ、予定通り進むことを決意したのだが…。
■11日目 ----終わりが近づく残り3日----
□天候 快晴のちガス
□行程
3:10起床 仙水小屋5:00ー5:29仙水峠5:43ー6:35駒津峰6:46ー7:08六方石ー7:15分岐ー直登ルートー7:49甲斐駒ケ岳8:23ー8:57摩利支天9:04ー9:26六方石9:35ー9:52駒津峰ー10:34仙水峠10:54ー12:05栗沢山12:20ー13:11アサヨ峰13:24ー14:21 P2553 14:32ー15:04早川小屋
ヘッデン行動で仙水峠についた後は、甲斐駒ピストンのための準備をする。この間にちょうど日の出の時刻を迎える。もう何度目かも分からないほど見てきた日の出だが、やはり何度見ても素晴らしい。サブザックで軽くなった荷物で足取りも軽く、駒津峰に到着。甲斐駒ケ岳の展望台として良い所だ。その先の六方石には直登ルートか摩利支天ルートかを表す看板があるが、実際の分岐はその先で岩にペンキで表されている。登りでは直登ルートを選択。それほど難しくなく、高度感があるわけでもないので、岩場が好きな人にはおすすめできるルートであるが、身長の小さい初心者にはやや難しいかもしれない(それでも、通過できるとは思うが)。分岐から40分足らずで甲斐駒の山頂に立つ。この日もやはり良い展望である。雲海が広がっているので、下界では曇りのようだがここでは快晴。青い空と花崗岩の風化した白砂のコントラストが美しい。
山頂を発った後は、行きとは別の摩利支天ルートで下る。こちらも山には不釣り合いなほど立派な駒嶽神社や、摩利支天などの見所が多い。滑りやすい砂の斜面に気をつけながら、六方石、駒津峰を経て仙水峠に戻る。ここからは再びメインザックでの行動となる。栗沢山への道はわかりづらいが、木の看板付近にある踏跡ではなく、岩場のケルンに従っていけば良い。ここの450mの登りは甲斐駒ピストンの後では中々つらい。栗沢山の頂上に着くも、このころにはガスりだしていて展望なし。展望のない山頂は久しぶりだ。ここからアサヨ峰へはハイマツの中の岩稜歩きがメインで、一部のメンバーには歩きづらく不評だったが、個人的には楽しめた。アサヨ峰より先、森林限界まではハイマツがややうるさい。平日という日程もあるだろうが、やはり早川尾根は人が少ないらしく結局早川尾根までは登山者に1人も会うことはなく、静かな樹林帯歩きを経て早川尾根小屋に到着。
早川尾根小屋ではご主人が麦茶で我々を出迎えてくれた。どうやら我々以外の宿泊者はいないようだ。ここでも気になっていた崩壊の情報を尋ねる。今日もすれ違ったガイドの人に、「テープに沿って歩いていけば問題ない」という話を聞いていたので、進むのを後押ししてくれる情報が聞けると思っていたのだが、「いつまた崩れてもおかしくない状況で通るべきではない」とのこと。仙水小屋ということが違うぞ?と思っていると、「仙水のオヤジが何を言おうと、通ったこともないくせに無責任なことを言うべきではない」との言。先週テープをつけて回ったという情報と食い違っている。どうやらこの件については2つの小屋で軋轢があるらしく、そういえば仙水のオヤジの方も「早川尾根小屋が勝手にバリケードを張っている」と言っていたような…。はてさて、ここに来てまたどうするか迷ってしまう。これについてもはンバー間でも意見が別れ、ひとまず現地に行ってみて通過できそうであれば通過し、ダメそうであれば引き返して巻く、という所で落ち着く。
また、この小屋ではご主人がケーナとオカリナの演奏をして登山者をもてなしてくれることでも有名である。これも楽しみにしていたのだが、今回は日が沈んだ後には小屋に鍵がかかっており、残念ながらそれを聞くことは出来なかった。我々が崩壊地を通過しようとしているということを聞いて、機嫌を損ねてしまったのだろうか…。残念だが、そうなれば我々だけでも楽しもうというもの。すでに下山までの目安もつき、天候悪化で予備日を使うこともなさそうなので、予備食分を盛大に放出して宴会を楽しむ。この日の晩だけで5食分の食料は平らげただろうか。それだけの量を苦もなく食べられるというのだから、長期縦走で我々の体も変わってしまったのだろう。腹一杯で迎える夜はとても幸せで、今山行中で一番の快眠を得ることが出来た。
■12日目 ----トラブルと、多くの「最後」----
□天候 晴のちガス
□行程
3:10起床 早川尾根小屋5:10ー5:31広河原峠ー6:05崩壊地ー6:19赤薙沢ノ頭ー6:30白鳳峠6:49ー7:35高嶺7:47ー8:23赤抜沢ノ頭ー8:30オベリスク9:03ー9:09赤抜沢ノ頭9:22ー9:54分岐ー10:16観音岳10:30ー10:52薬師岳11:00ー11:06薬師岳小屋11:22ー11:32砂払岳ー12:02南御室小屋
この日は最後のまともな行動日にして、最大の懸念たる崩壊地の通過がある日。これまで聞いてきた話を統合すると、道自体は悪く無いのだろうが、地盤に衝撃を与えるなどして運悪く地面が崩落する危険があるのだろうと推測される。広河原峠に到着すると、ロープで白鳳峠への道は塞がれて通行禁止との看板が立っている。これを乗り越えて進んでいくと、確かに赤薙沢ノ頭のやや西側で北側斜面に対して大崩落が起きている。また、これも聞いていた情報通り、崩落地の手前から南側斜面に巻道が付いている。まずは川名が偵察に向かうと、木に黄・赤色のテープが多数取り付けられて迷う心配はなく、崩落後も少なからぬ人が通っているのか、踏み跡もはっきりと付いている。巻道は崩壊地からだいぶ離れているということもあって、通過には問題ないと判断するも、地面への衝撃を少なくするため、互いを見失わない程度の距離を取って進むようにメンバーに伝える。
さていざ出発、という段になるも、当初から通過を渋っていた荒田さんは中々歩き出そうとはしない。ここに長く滞在するのも嫌なので、久光と遠藤を先に行かせて川名が荒田さんを説得する。ザックを担いで歩き始めてくれたかと思うと、1人で突き進んで遠藤、久光を追い抜かし、全く姿の見えないところまで走って行ってしまう。後から追いかける形になった3人が無事崩落箇所を通過し、赤薙沢ノ頭に至るも姿が見えず、白鳳峠まで行った所でようやく荒田さんを見つける。本人が言うには、いつ崩落してもおかしくない所だったので速く通過したかった、とのことだが、この行動はやはり頂けないと思う。パーティーとしての秩序を乱すものであるし、それほど焦った状態で単独で歩いている方が、崩落箇所よりもよっぽど危険な状態だろう。
ともかく、崩落箇所を通過できたことによって残りの行程は楽なものになった。白鳳峠から高嶺までは急登で岩場も多いが、樹林帯を抜けると展望が開ける。昨日はガスでイマイチだった早川尾根での展望は良く、南アルプスでは白峰三山に仙丈、甲斐駒、遠方には富士山に八ヶ岳、そして何よりも間近に見る鳳凰三山が最高。高峰を少し過ぎたあたりのピークからは、鳳凰三山の三座すべてが見られる良い展望台である。また、この辺りでは既に紅葉の始まっている所もあった。思えば9/6に出発してから今日で12日が経っていて、9月も下旬に差しかかろうとしている頃である。このようなところでもこの山行の長さを実感する。
白砂の地面を歩きつつ、まずはオベリスクのそびえる地蔵岳へ。荒田さんはオベリスクには登らず地蔵の並び立つ所で待機するが、他の面々は行けるところまで進む。下部では多くの人が登るためか岩にステップが刻まれているので、ルートを正しく取れば簡単に登れる。川名は頂上直前、ロープの垂れ下がるワイドクラックまで進んだが、ここをロープを使わずに登るのはかなり難しそう。といって、上部の支点の状況は見えず、ロープもどれだけ信頼できるものか分からないので、ここで断念。賽の河原へ引き返す。しかし、頂上まで行かずともここからの展望も中々のもの。曇り空の隙間に青空も見え、ここで集合写真を取る。これで百名山での集合写真も最後。この頃まで来ると、「最後」と付くものが多くなってくる。
地蔵岳より先まで進むと、早くもガスがかかってきてあまり展望は楽しめなかったが、甲斐駒と同じく鳳凰三山も白砂の地面が美しい。観音岳、薬師岳を踏破して、鳳凰三山全ての頂を踏んだ後は、薬師岳小屋で一休み。この先を下っていくうちに森林限界に。これで展望を楽しみながらの稜線歩きともお別れである。途中の変わった形の巨岩を楽しみつつ、スタスタと下っていけば、最後の宿たる南御室小屋に到着。
明日もまだ4時間の行程が残っているとは言うものの、もうここまでくれば予備日を使うこともない。昨日に引き続き大宴会を開催し、最後の夜を楽しむ。2週間山での生活を続ければ食事の嗜好もおかしくなるというもので、川名はマヨネーズをかけたアルファ米を美味い美味いと言いつつ食べる。遠藤はといえば、乾パンが砕けた粉に練乳をかけて、恍惚の表情を浮かべて食している。この異常行動には、もう終わりが間近に迫っているという安堵と物寂しさも関わっているのかもしれない。日が沈めばいつものように食事の始末をして、いつものようにテントに戻り、いつものように4人が狭いテントに集まって眠る。何度も繰り返してきたことだが、この日のそれは特別なものだった。
■13日目 ----下山、そして伝説へ...?----
□天候 曇
□行程
4:00起床 南御室小屋5:51ー6:15苺平6:20ー6:28辻山6:43ー6:52苺平7:05ー7:48杖立峠ー8:07 P2001 8:25ー8:42夜叉神峠8:58ー9:27夜叉神峠登山口
とうとう南ア全山最終日、すなわち下山日にして山での生活を終える日である。これまでは山のルールに則ってきた我々も、この日ばかりは下界のルール(バスの時刻)に従い、やや遅い起床となる。最後の朝食を平らげ、南御室小屋を発つ。既に12日間の山行を終え、歩くことに慣れてザックも軽くなった我々の足取りは軽く、コースタイムを大幅に巻いていく。13年の鳳凰三山の記録にもある通り、この部分はエアリアのコースタイムがゆるいというのも一因だろう。余裕もあることなので、辻山に寄ることにする。ここは白峰三山に仙丈ヶ岳の展望が良い。これまでの行程全て、とはいかないが荒川岳も見え、改めてここまでの道程に思いを馳せると、感慨深いものがある。
辻山から苺平へと戻る。なお、エアリアには記載がないが、この道の途中には分岐があり、南御室小屋への近道となっている。おそらく最新の2.5万に載っている道であろう。この先の単調な下りを進めば夜叉神峠に至る。この時点でバスの時刻まで2時間も残しており、夜叉神峠小屋の中に入って時間をつぶしたり、最後の山バッジを買ったりする。しかし、あまり長居するのも申し訳ないので、登山口へ向けて最後の歩みを進める。
登山口まで残りあと僅かという所で、すれ違った登山者から声をかけられる。見てみると、なんと初日の晩に光岳小屋でお会いしたガイドの方ではないか。彼はあの後北アルプスを歩き、さらに今度はアサヨ峰へと登るそうだ。これまで13日間歩き続けた我々を自身で誇らしく思っていたものだが、これほどの頻度で山に入る彼もまたさすがと言わざるをえない。年間山行日数200日は伊達じゃないといった所か。これまでの互いの健闘を称えつつ、今後の無事を祈って、再度互いの目的地を目指す。それにしても、今山行の始めと終わりを見届けてくれた人がいるという偶然には感謝するしかない。
残り僅かの行程を軽やかに進んでいき、ついに下山、夜叉神峠バス停へと至る。最後まで無事に全員が歩き通すことが出来たということに何よりも感動・安堵した。傍目には何ら絶景ではないものの、我々にとっては特別な意味を持つバス停前で集合写真を取る。甲府から来たバスには13日前の我々と同じく、これから頂を目指す登山者が降りてくる。中には大きなザックをパンパンに膨らませた大学生らしきパーティーもいて、心の中で彼らへエールを送る。12泊13日という近年では類のない長期山行だったが、皆に感想を尋ねてみると、意外にもまだ余力があり、それぞれが楽しんでくれたようで何よりだった。さすがに、「この後続けて別の山行く?」というふざけた提案に賛同した者はいなかったが…。
甲府行きのバスに乗り、待ちに待った甲府の市街地へ降り立つ。頭にフケを貯め、ヒゲを蓄え、異臭を放つ野蛮人たちは、まずは文明人となるべく市街地の銭湯、喜久の湯へと向かう。ここで2時間もの間入浴して2週間体に貯めた垢やら汚れやらを思う存分落とし、その後は念願の下界の飯を食らいに行く。下山口を計画段階の青木鉱泉から夜叉神峠に変更したのは、主稜線を歩き通したいと思ったのもさることながら、切望していたご飯を確実に食べられる甲府へ行くためである。百間洞でその名を聞いた時から下界での飯はこれと決めていた、トンカツを食べに和幸に入る。山のようにキャベツやご飯をおかわりする我々に店員さんも慣れたのか、最後には少なめと頼んでも一般では大盛りに相当する量のキャベツが盛られた。まだまだ文明人になりきれていないということだろうか。そのような状況でも、体重を気にしてご飯はおかわりしない久光が滑稽だった。腹を十分に満たした後は、遠藤の念願だったパフェを食べに行く。パフェを食べる時の遠藤は、さすがに山中での乾パン+練乳の食事よりも幸せそうだった。
各々下界でやりたかったことを楽しんだ後は各停の電車に揺られて帰宅の途に着く。18時を回るともう眠くなるのは、2周間の山行の疲れから来るものか、はたまた山生活で身に沁みついた習慣から来るものだろうか。各々への慰労と感謝を示し、2週間をともに過ごしたパーティーは解散した。
■教訓
・4人で使うのに最適のサイズのテントがなかったので、3-4人用のステラとツェルトを持って行った。ツェルトに余分な荷物を入れてテント内のスペースを広くしたが、これは正解。人数あたりの重量比で言えばだいぶ軽くなる。
・川名はシュラフを持って行かなかったが問題なく遂行できた。ただし、靴下を2重にしたり、防寒具は多めに持っていくなどの対策をした上である。何らかの対策をすれば寒さに強い人ならシュラフを削ることも可能だと思うのだが、周囲にこの話をすると普通はそんなことできないと言われてしまった。一番良いのは、高額だが夏用のダウンシュラフを持っていくことだと思う。遠藤はシュラフカバーも持ってきていたが、天気が良いのでほとんど使わなかった。ダウンシュラフを使ったことがないので、濡れた時にどれだけ保温力が低下するのかは分からないが、これも削れるのかもしれない。あるいはシュラフカバーのみを持ってくるとか。
・今回川名は最後尾を歩いていた。ここなら写真を取っても後続に迷惑をかけることはないので、写真を取って前と開いた間を小走り気味に追いかけて詰める、ということを繰り返したが、その結果7日目くらいからは膝に痛みが来るようになった。この痛みは山行を終えた後も長引いてなかなかしんどかった。膝へのダメージは基本的に回復しないそうである。当たり前のことだが、重荷を背負う場合には小股で負担をかけない歩き方をするように気を付けるべき。また、ストックを用いるというのも荷重を分散するという意味では有効手段だが、ストックを使っていた遠藤も膝痛があったらしい。速いうちからテーピングなどの処置を施すのが良いかもしれない。
・計画を立てるにあたり、一番気を使ったのが食料計画である。1日3000kcalを取ることを目安に、行動食1500kcal、テン場での食事で1500kcalを取るように設定した。そのため、夕食・夜食とテン場についた後に2回の食事を取るようにしたが、これは正解だったと思う。ただし、過去の記録や他の山のエキスパートなどの記録をみると、粗食でも計画の遂行という意味では可能である。もちろん食料を減らせば軽量化出来るというメリットはあるが、健康を維持しつつ登りたいということであれば食料を多めに持っていくのが良いと思う。
・3食設定したとはいえ、テン場での食事で1500kcalを軽い食材で達成するというのは難しい。今回はメインの食材として、アルファ米+フリーズドライの丼、棒ラーメン、カップヌードル、フリーズドライの麺類を持参した。これらはいずれも重量対カロリー比が良いものであるが、棒ラーメンは少しこの点において劣る。一方で、容積対カロリー比で言えば一番優秀なので、ザックが小さい場合には棒ラーメンは優秀な食材となりうる。また、これらに何かしらの副菜を付け合わせるようにしたが、その中ではマッシュポテトが優秀だった。水とバターだけで戻せる乾燥マッシュポテトがあり、チューブ状のバターを持って行けばそれでカロリーを増やすことも出来る。何よりも美味しい。個人的には今山行中で一番美味しかった食事がマッシュポテトである。
・軽量化という観点から、鍋1つ、ヘッド1つで調理できるような食料計画にしたが、これは結構無理なく実現できる。普段の山行でも米を炊いたりしなければ出来ると思うので、軽くしようと思った時には良い手段だと思う。
・行動食については、近年では個人がそれぞれ好きなものを持ち寄るスタイルが取られているが、かつては共装として皆で配分したそうである。これについては個人の嗜好も大きく、個装で持ってくるのが良いと思うが、今回のような長期山行ともなると荒田さんのように十分量を持ってこないメンバーも現れるというトラブルも出てくる。最低限、自分の持っていく量が山行で十分な量なのかカロリー計算をした上で持ってくる、という条件をメンバーに課しておいたほうが良いかもしれない。できれば糖質、タンパク質、脂質の割合なども考慮すると良いと思う。今回川名が煮干を大量に持っていたのはタンパク源としての重量比の優秀さ故である。その後の山行に持って行く度に他のメンバーから白い目で見られてしまっているが…。
・体に塗る日焼け止めを持っていくのは当然のこと。意外と穴だったのが、唇の日焼け対策である。唇が切れると口を大きく開けなくなるので、食事や会話の度に痛みが走りなかなかつらい。メンバーによって唇が切れた者と切れない者がいたものの、日焼け止め効果のあるリップクリームがあると良いと思う。また、ビタミン剤のサプリメントは粘膜の保護に有効らしいので、気休め程度の効果かも知れないが野菜の不足する食事が続くので持って行くと良いかも。
・今回はカートを大*2+小*3を持って行ったが、13日の行程ではギリギリの個数だった。予備日を使っていたら足りなくなっていたかもしれず、久光が間違えて小*4にしたのが図らずも救いになった。もっとも、棒ラーメンなどはアルファ米の2倍近い水の量を沸騰させなければならないので、これも食事の内容によってその消費量は大きく左右すると思われる。いざとなればアルファ米は水でも戻して食べられるが、やはり温かい飯が食べたくなるので、よく持っていく量を考えられたし。
・荒田さんは準備期間が短いという事情があったそうだが、一眼レフやフルーツ缶、個装のカートとヘッドといったものを持ってくる一方で、行動食の量は明らかに足りなかった。結果、川名の予備食分の食料を分けることになり、序盤ではバテた荒田さんの荷物を他のメンバーで分けるということになった。長期縦走では軽量化が要であり、必要最低限のものは全て持ってきた上で、要らないものはなるべく削っていかなければならない。必需品を全て揃えた上で初めて、自分の余力に応じて嗜好品を持って来るべきである。
・今回の山行中、天気図を取っていたのは久光のみであり、また天気図を見ても天気の予想にまでつなげることは難しかった。結局、ほぼ毎回山小屋の主人に翌日の天気を聞いたりして乗り切ったが、これは好天で安定していたから出来たことで、褒められたものではない。気象に関する知識や経験も積み重ねていく必要性を感じた。
・長期山行ともなると、メンバーが対立することも多々ある。このような場合に統制を取ることは大変だが、リーダーとして重要な責務である。リーダーを務める者は覚悟して取り組んで欲しい。
□電波情報
易老渡 docomo×
光岳小屋 docomo○
聖平小屋 docomo×
赤石岳山頂 docomo◎ au× softbank○ (看板の情報による)
荒川小屋 docomo○
高山裏避難小屋 docomo×
三伏峠小屋 docomo○ au烏帽子岳側の稜線で△
両俣小屋 docomo×
高望池 docomo○
仙水小屋 docomo(FOMA)○
南御室小屋 docomo○
夜叉神峠バス停 docomo○
■各メンバーの感想等
下山前夜に参加メンバーに以下の項目でアンケートを取ってみた。今回の山行で南アルプスのほぼ全ての主稜線を歩いた者達の感想なので、今後南アルプスに行きたいという人や、長期縦走をしてみたいという人は参考にしてほしい。
1. 山行中一番良かった場所/山小屋
荒田:聖岳/聖平小屋
久光:仙塩尾根からの仙丈/聖平小屋
遠藤:塩見岳/聖平小屋
川名:塩見岳ー熊ノ平小屋間の仙塩尾根/聖平小屋
2. 山行中一番酷かった場所/山小屋
荒田:最初の登り/特に無し
久光:北岳ー両俣小屋/農鳥小屋
遠藤:易老渡ー静岡平の登り/農鳥小屋
川名:初日の登り/なし
3. 次に長期縦走に臨む者への教訓
荒田:食料を多めに。百間洞には14時前に着く。
久光:カメラのバッテリーは予備を持っていく。
遠藤:食糧は多めに。
川名:教訓の項を参照。
4. 山行を通じての感想
荒田:温泉入ってカツ丼食べたい。好天は正義。
久光:早寝早起き、風呂無し、ボットン便所、低い気温。下界の非日常が、これだけ長期の山行になるともう一つの日常になってしまったように感じる。特別楽しい瞬間というものが特にあった訳ではないが、最高の景色を眺めながらひたすら山を歩き続けた2週間、振り返ってみればかけがえのない、楽しく充実した山行だった。
遠藤:長期の山行は久しぶりだったが、最初は辛くても徐々に慣れてきた。南ア縦走を何度もやりたいとは思わないが、違う山域で長期の計画をたてる機会があればと思う。
川名:総評を参照。
5. その他何か言いたいこと
荒田:3年前の夏合宿で南アに来た時は、南アの十分の一も分からなかった。世の中には自分のまだ知らない山がたくさんあるということを思い知らされた。
久光:2-3泊の合宿とは別の良さが長期山行にはあります。時間のあるうちにしか出来ない体験、一度されてみることをお薦めします。
遠藤:下界での便利な生活を捨てなければならないが、長期山行でしか味わえないことも多い。達成感を味わいたい人は是非ご一緒しましょう。
川名:総評を参照
■総評
今回の山行中で一番の問題箇所が何かといえば、早川尾根の崩落地点ということになるだろう。メンバー間で意見が対立した状態で突入したことも問題であったし、リーダーの指示に従わないメンバーが出たという点も分かりやすいパーティーとしての問題である。また、そもそも通過すべきだったのかどうかも、事後検証したい。後に崩壊箇所は巻道を使って通行可能となったようだが、だからといって通行するのが正解とするのも結果論でおかしい話であると思うし、今回のような状況になった場合にどうするのか、一度部会で話し合いたい。なお、個人的な感想だが、早川尾根よりも荒川岳の崩壊箇所の方がよっぽど危険だと感じた。
思えば南ア全山なる山行があることを知ったのは、2013年の大峰・不動小屋谷で19期の荒木さんに、学生時代に一番印象に残った山行として伺ったのが初めてだった。その後、23期土松さんからも南ア全山をお薦めされ、自分の中で大いに興味が湧いてきた。その感情の中には、困難な山行に精力的に取り組んでいた、10年以上前の雷鳥に対する憧れのような部分もあったと思う。しかし、実際に自分の足で約2週間かけて南ア全山を歩いてみて、これからは自分の経験として語ることが出来るようになった。その感想が諸先輩方と異なるものかというとそんなことはなく、やはりとても印象深く、また後輩に薦めたくなるものであった。
まず、自分の過去の山行と比較しても群を抜いて長い山行であるという点で、計画段階から本腰を入れて、真剣に取り組んだ山行であった(普段がふざけているという訳ではないが)。出発前夜には背負ったザックの重さにビビり、本当に遂行できるのかと不安にかられた。実際に入山してみても、メンバーの体調不良や装備の問題など多くのトラブルが発生し、やはり通常の山行と比べてハードなものであることを実体験した。
しかし、そのような苦しみとともに、山は楽しみも与えてくれた。特に今回はほぼ毎日好天に恵まれたということもあり、展望に関しては文句のつけようがなかった。広がる視界にそびえる山々を、自分たちが既に歩き、あるいは今後歩いて行くということを思うと、そのスケールの大きさに我ながら感動した。また、長期間山中にいると、山の中での生活が非日常ではなく日常になってくる。だが、それは山に飽きるということを意味するのではなく、これまで気付くことの出来なかった山の楽しさを見出すということを意味し、長期山行でこそ味わえることが数多くあった。
長期と通常の区切りが具体的に何泊程度にあるのかは定かではないが、やる気に溢れる後進には「自分の思う、通常の度を過ぎていると思う期間」の山行をぜひ実施して欲しい。それほどの長期山行を行う際は、必然的に山に挑む心構えが異なっているだろう。また、山中でそれだけの日々を過ごして、初めて気付くことも多々あることと思う。長期山行がこの南ア全山の後、再び10年近くも間が空いたりするとしたら、私としては残念なことである。この記録を読んでくれた方々が、長期山行に対する意欲・興味を少しでも高めてくれることを祈りつつ、筆を置くこととする。