2015/8/5-11 裏銀座縦走
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
裏銀座縦走 確定計画書(8月3日)
作成者:木下(亮)
□日程 8月5日(水)—11日(火)…13日(木) 6泊6日予備日2日
□山域 北アルプス
□メンバ(計4名)
CL木下,SL遠藤,位高,加藤
□集合
新宿駅(中央東口改札付近) 8/5 0830
東口ではなく中央東口、改札を出た壁際に溜まれる。万一混雑している場合は東口改札との間にある緑の窓口まわりの壁際にて。
□交通
■行き
新宿0846—(0941高尾0954—1400松本1409)—1503信濃大町
※遅れた場合、新宿0854—0951高尾に乗車しても同着ですが、新宿を0856~1045に発つ列車では大町着が1658になります。
18きっぷ使用 1人当たり2370円
信濃大町駅1520~1605七倉温泉
タクシー 所要約45分 約8400円 (4人1台)
高瀬ダムまではアルプス第一交通と信州アルピコタクシーの許可車のみ入れる。第一交通に予約済み。
アルプス第一交通 0261-22-2121
信州アルピコタクシー 0261-23-2323
大町市観光協会 0261-22-0190
■帰り
a新穂高ロープウェイ~平湯温泉
所要33分 890円
0955以降1835までほぼ毎時1本
0916/0955/1055/1155/1255/1346/1455/1555/1655/1755/1835
b平湯温泉~松本バスターミナル
所要1時間25分 2370円
(回数券4枚綴り8440円あり)
1105以降1705までほぼ毎時1本
1105/1205/1305/1405/1445/1605/1705
c新穂高ロープウェイ~松本バスターミナル(平湯温泉経由)
所要2時間 2880円
新穂高発1130と1330のみ
d平湯温泉~新宿駅西口
所要4時間30分 5860円
(回数券4枚綴り21100円あり)
1120以降1800まで計5本
1120/1430/1600/1700/1800
e松本駅—新宿駅
所要4時間半~6時間半
18きっぷ使用で1人当たり2370円
f平湯温泉~高山濃飛バスセンター
所要50分 1570円
1005/1235/1335/1435/1535/1835
東京方面に帰る方はa+b+e又はa+d又はc+e
※記載より手段や便数が少ないことはないと思われますが、実際には運航会社がもう少し多い可能性はあります。
□行程
0( 5日) 高瀬ダム
-0°20'→濁沢キャンプ場
[0°20'] 1630頃到着予定
※初日のキャンプ場の先にある水場は水質が怪しく、無いものと考えた方が良さそうです。
1( 6日) 濁沢キャンプ場
-4°55′→烏帽子小屋=烏帽子岳ピストン(所要1°35′)
[6°30′] 1300頃着予定
※前述のように烏帽子小屋まで水場はありません。烏帽子小屋も料金や給水可能量は不明です。
2( 7日) 烏帽子小屋
-1°30′→三ツ岳
-2°00′→野口五郎岳
-0°30′→真砂分岐
-2°00′→水晶小屋=水晶岳ピストン(所要1°10′)
-0°40′→ワリモ北分岐
-0°40′→祖父岳
-0°45′→雲ノ平キャンプ場
[9°15’] 1530頃着予定
※早目に出発しましょう。
※水晶小屋で買うことはできますが基本的に野口五郎小屋から雲ノ平まで給水できません。
3( 8日) 雲ノ平キャンプ場(=祖母岳ピストン(所要1°40′))
-1°00′→祖父岳
-0°40′→ワリモ北分岐
-1°10′→鷲羽岳
-1°00′→三俣山荘
[3°50′~5°30′] 1130頃着予定
4( 9日) 三俣山荘
-2°00′→黒部五郎小舎=黒部五郎岳ピストン(所要4°10′)
[6°10′] 1200頃着予定
5(10日) 黒部五郎小舎
-2°20′→三俣蓮華岳
-1°20′→双六岳
-0°45′→双六小屋
[4°25′] 1030頃着予定
6(11日) 双六小屋
-1°10′→弓折分岐(=弓折岳ピストン)
-2°50′→登山口
-1°25′→新穂高ロープウェイ
[5°25′] 1100頃着予定
※予備日2日目に双六小屋にいる場合、おおよそ1000までの出発が、在京本部設置日時までの下山のリミットです。ただし、天候にもよりますが双六小屋からは衛星電話が通じるようです。
□エスケープ
最寄りの小屋に一時避難するものとして、ルート上各小屋からの下山路を示す。
■野口五郎小屋まで:高瀬ダムへ下りる
■水晶小屋から:まっすぐ新穂高方面(わさび平小屋)へ下りる
水晶小屋
-2°30′→野口五郎小屋
-2°40′→烏帽子小屋
-3°30′→高瀬ダム(タクシー電話あり)
水晶小屋
-2°05′→三俣山荘
-2°20′→双六小屋
-1°40′→鏡平山荘
-2°40′→わさび平小屋
-1°05′→新穂高温泉
※水晶小屋からは新穂高方面の方が小屋、水、人、下界の設備などは充実しています。
※三俣山荘と双六小屋は電話や診療所などがあり拠点になりそうです。
雲ノ平小屋-3°30′→三俣山荘
雲ノ平小屋-2°55′→水晶小屋
黒部五郎小舎-2°30′→三俣山荘
黒部五郎小屋-4°00′→双六小屋
□山小屋の連絡先・料金・設備等
☆濁沢キャンプ場 (高瀬館0261-22-1446・10時~20時)
500円/人らしい
七倉ダム手前の高瀬館または烏帽子小屋で支払い
水場マークはあるが名の通り期待せぬ方がよさそう
☆烏帽子小屋 090-3149-1198(6時~19時)
800円/人・素泊まり6000円・有料水マークあり
水200円/Lとの情報あり
野口五郎小屋 090-3149-1197
素泊まり6000円・水200円/L
水晶小屋 (三俣山荘090-4672-8108)
素泊まり5500円・通過者は水300円/500mL
☆雲ノ平山荘 (三俣山荘090-4672-8108)
1000円/人・テン場に水場便所あり・素泊まり5500円
小屋では水50円/500mL・茶200円/500mL
☆三俣山荘 090-4672-8108
公衆電話・診療所あり
1000円/人・水場あり・素泊まり5500円
水無料・茶200円/500mL
(ジビエシチュー2600円美味そう・喫茶も充実)
☆黒部五郎小舎
(双六小屋0577-34-6268・8時~19時
/双六小屋携帯090-3480-0434・6時~20時)
10分歩くと携帯電話が繋がる
1000円/人(水含む)・素泊まり6500円
☆双六小屋
0577-34-6268・8時~19時
/携帯090-3480-0434・6時~20時
公衆電話・診療所あり
1000円/人(水含む)・素泊まり6500円
鏡平山荘 090-1566-7559・6時~20時
(双六小屋0577-34-6268・8時~19時)
携帯電話が繋がる
素泊まり6500円
わさび平小屋
(双六小屋0577-34-6268・8時~19時
/鏡平山荘携帯090-1566-7559・6時~20時)
公衆電話あり
800円/人・素泊まり5500円
新穂高ロープウェイ 0578-89-2252
□地図
■2万5千地形図「烏帽子岳」「薬師岳」「三俣蓮華岳」「笠ヶ岳」(「槍ヶ岳」)
※「槍ヶ岳」は完全に範囲外ですのでお好みでどうぞ。「笠ヶ岳」も昭文社があれば全員持つまでのものでもないかと思います。
■山と高原地図「35鹿島槍・五竜岳」「37槍ヶ岳・穂高岳」
□日没日出
8/13日没(甲府):1838
8/14日出(富山):0507
※上記が山行期間・周辺地域で最も早い日没と最も遅い日出です。
8/5→13日没(長野):1850→1842
8/6→14日出(長野):0457→0503
□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:
松本;540kHz,白馬;1026kHz (長野;819kHz,富山;648kHz,高山;792kHz )
■NHKラジオ第二:
松本;1512kHz (長野;1467kHz,富山;1035kHz,高山;1125kHz)
■NHK FM:
松本;84.8 MHz,白馬;83.3MHz,奈川;85.4MHz
(富山;81.5MHz,宇奈月;84.9MHz,高山;86.1MHz)
□警察署電話番号
■長野県警察本部 026-233-0110
長野県警大町警察署 0261-22-0110 (始点・烏帽子~双六の東側)
■富山県警察本部 076-441-2211
富山県警富山南警察署 076-467-0110 (烏帽子~黒部五郎の北西側)
■岐阜県警察本部 058-271-2424
岐阜県警飛騨警察署 0577-73-0110 (黒部五郎の西側)
岐阜県警高山警察署 0577-32-0110 (黒部五郎~双六の南西側・双六~終点)
裏銀座縦走記録
木下 8月17日作成 8月27日補訂
□日程 8月5日(水)‐11日(火)
□山域 北アルプス
□メンバ(計4名)
CL木下,SL遠藤,位高,加藤
以下の時刻は遠藤さんの記録に基づいている。木下はバテと面倒くささとで2日目の途中から記録を取ることを諦めている。これは全く職務の放棄であり深刻に反省すべきである。
□0日目(8月5日)
■計画
新宿0846—(高尾0941・0954—松本1400・1409)
—信濃大町1503・1520
~高瀬ダム(計画書「七倉温泉」は誤り)1605
-0°20'→濁沢キャンプ場
[0°20'] 1630頃到着予定
■行程
新宿0834
—信濃大町1503
~高瀬ダム1608
→濁沢キャンプ場1625
オーダ:木下‐位高‐加藤‐遠藤
■ルート状況・行程の詳細・雑感
新宿からは予定より二本早い列車の運転席後ろに乗車、高尾で少し待つことにした。一番長い高尾松本間はボックス2つに二人ずつ座ることができた。4時間は本を読むか寝るか。特に女性二人はかなりの時間眠っていたようだ。松本に着くと隣のホームに大糸線の列車が既に停まっている。これに乗り換えるのだが、先着の特急あずさからの乗り換え客が多いらしく、席は埋まってかなり混雑していた。特急に乗らないなら松本で小一時間潰して次の列車を待った方が快適そうである。大町駅到着前後に小雨。
七倉高瀬間は指定車しか入れないので事前にアルプス第一交通か信州アルピコタクシーに電話確認し予約するのがよい。途中の七倉温泉までは事前予約の乗合タクシーも日に数本出ている。今回は第一交通に予約し、駅前に停まっていた女性運転手の車に声をかけたのだが、予約の指令のまわっている車ではなかったらしい(移動中の列車内で電源を切っていた携帯電話に黒部観光旅行というところから電話がかかっていたらしいという事に下山後に気付いたが、それも関係するのか、謎である)。ともかくもその車に乗せてもらった。
濁沢キャンプ場の料金(500円/人)は烏帽子小屋か七倉手前の高瀬館という宿かどちらかで支払う。烏帽子小屋でまとめるのが楽だが高瀬館で頼めば水も汲ませてもらえる(濁沢には水場なし)ようなので、乗合タクシーでないなら寄り道してもよいだろう。今回は確認のために高瀬館に立ち寄りそこで支払った。
七倉温泉の駐車場には守衛所のような建物があり、オジサンが二人中に座っていた。登山ポストもあり登山届の提出を促される。なぞるようになっているルートの概念図が込入ていて示しづらい。
高瀬館と七倉の登山届の寄り道で、大町駅からすぐに乗車した割には高瀬ダムには16時過ぎの到着になったが、メータは8500円でとめてくれた。この高瀬ダムは黒部ダムに次ぎ二番目、ロックフィル式では最大のダムだそうである。あまりダムには感動したことのないたちである。
重たい荷物(私は乾いたテントと水5Lを積んだ状態で29kg程だった)を引きずりおろし、トンネルと吊り橋を通過するとキャンプ場だ。トンネルの入り口には「展望台」があって、晴れていれば槍の穂先が見えるらしいが曇っていて確認できず。キャンプ場は、ここに泊まる人もそういないだろうが、そこそこ大きい。周辺を管理する人の作業小屋(施錠してあるようで避難はできなさそう)とトイレがある。このトイレが茂みの奥の暗がりにあり、薄暗い時などとても気味が悪い。男の小用なら全くオープンだから大したことはないのだが、女性陣には頗る不評。戦後すぐダム建設前のこのあたりではなにやら物騒な事件もあったらしいし。なおキャンプ場は川原にあるため大雨の際は危険で使用できない。
下車時点では曇天だったのだが、キャンプ場に着くや否や雨が降り始め、急いでテントを建てているうちに本降りになった。1時間程度で止んだがその晩は荷物とともの窮屈な寝床になった。上下両側に二つずつザックを置いたのでかなり狭い。
晩は遠藤さんの牛丼にゼリーのデザート。玉ねぎの調理にはみな涙を流していた(私は調理せずに鼻をつまんでいたがやはり目が痛かった)。
標高が低く風も抜けないので、シュラフに全身を入れると暑い夜だった。女性陣はシュラフ無しで通したようである。
□1日目(8月6日)
■計画
濁沢キャンプ場
-4°55′→烏帽子小屋=烏帽子岳ピストン(所要1°35′)
[6°30′] 1300頃着予定
■行程
濁沢キャンプ場0514
→登山口12番(0530)
→11番0552・0601
→9番(権太落し)0640・0653
→6番0748・0815
→4番(2208.5)0901・0927
→タヌキ岩(0936)
→2番1007・1027
→0番烏帽子小屋1058・1109
→前烏帽子岳1121・1127
→烏帽子岳分岐(1135)
→烏帽子岳1150・1211
→烏帽子岳分岐(1227)
→前烏帽子岳1238・1242
→烏帽子小屋1253
オーダ:木下‐位高‐加藤‐遠藤
■ルート状況・行程の詳細・雑感
朝は遠藤さんの雑炊、牛丼の残り飯で豪華にカニ雑炊を。シメに鍋の米を洗いながらの茶。なぜかこの日は出発が遅れている。さほど眠たくはなかったが狭いテントであまり寝られなかった気はした。これがのちのバテに影響したかどうか。
登山口までは川原を歩く。山側をトラバースしたりちょっとした登りがあったり、朝一にはややきつい。沢を渡るところには立派な橋があるのだが、橋が悪いのか道が変わっているのか、すぐ上流の簡素な木橋を通る道に回される。登山口には山からの湧水がパイプで引いてあり水場になっている。沢からの水では無いようなのでさほど汚くは無かろうが、水を十分に持って来ればここで給水する必要はない。
登山口が12番、ゴールの小屋が0番の表示で、だいたい等間隔に番号札が立っている(我々は13個すべて確認できた)。登りならおおよそ15分~25分の間隔のようだが、9‐8‐7が短く7‐6が長いなどバラつきはある。バテずにいいペースで歩けているなら2ピッチ目くらいからは1ピッチ3個というのがよさそうだが、今回は長かった6番の少し前あたりから木下がバテ始め、4番ではもうバテていた。4番で、すでに2食分の食料が減っていた遠藤さんに救急箱を渡して少し気分を楽にする。バテると足が前に出ず、そこで小休止を取るとザックに向かうだけで気分が悪くなってなかなか腰が上がらなくなる。休止が長くなってしまうなら初めから2個1ピッチとしてこまめに止まる方がよいのかもしれない。また全ての番号が小休止の適地になっているわけではなく、9番など狭いうえに落石に注意が要る。
道はよく整備されていて歩きやすいが、さすがに日本三大急登である。ほとんど息つく間もなくずっと樹林帯の中を一本調子に登り続ける。この道は下りでは使いづらいだろう。序盤の急階段などはまだましで、尾根筋に乗ったと思って少し油断してしまうとそこからがきつい。そもそもが急な尾根だが、ぴったり稜線に張り付いておらず稜線の右から左へ左から右へと度々渡り返すので更に余計な急登が生じる。2番くらいからやっと少し高度感が出てきて登りきると、グッと下って小屋に出る。
小屋のまわりはよく手入れされた花畑になっている。トイレは昼間でもかなり暗いがそこそこきれいで手洗いの水も出る、紙あり。テン場は小屋から野口五郎側にアップダウンのある道を少し進んだ先、需要に比してあまり大きくない、800円/人。水は200円/L、バッチ500円。
荷物を小屋の前にデポし、サブザックでテン場と反対側の烏帽子岳に向かう。一つ目の大きなピークは前烏帽子岳、山頂に何かの神が祭ってある。ガスが多かったが烏帽子岳の立派な姿が見られた。一度下りて分岐を左に進む。途中コマクサも咲いていた。
直下から見上げる烏帽子岳は大きい。登りつめていくとかなり大きな岩場になる。矢印や丸印が入り組んでいて見づらい(ルートが二つ書いてあるように見えた)が奥のクサリを強引に登り、岩肌をトラバースしてさらに登ればだいたい頂上で、登りはさほど怖くない。ストックは岩に取り付く前にしまうかデポするのがよい(小屋に置いてくるのがよかろう)。
大きな岩々で出来ている狭い頂上は風が出てくると寒い。山頂を示す標柱が、縛られたアンドロメダのように岩に立てかけられている。標柱の岩をよじ登ると最高点のようだが、怖くて岩の隙間から顔を出して覗くのが精一杯だ。ガスガスで何も見えなかったが朝一などで晴れていれば立山(と剣)がよく見えるのではないか。
下りの岩場はさらに慎重に。来た道を引き返してザックを回収しテン場へ。
隣のモンベルのテントは小学生くらいの男の子とそのお父さん、このパーティは翌朝の出発から水晶小屋までは追いついたり追い越したりで、我々が水晶岳をピストンしている間に離れてしまうまで我々のアイドルであった。我がパーティのあるお姉さんは、お父さんがたばこを吸っているのは減点ポイントだが子持ちもまたよいとかなんとか……。
晩は木下、マーボ春雨の予定だったが重たいレトルト中華丼を先に消費することにした。丼の具が3食分しかないので、これに加えてマルタイの棒ラーメンを2輪。
この夜は遠藤さんがポールでツェルトを立てて中に荷物を入れたので、テントは広く快適であった。ただしツェルトには細引きがついておらず完全な立て方はできなかった。雨が降ればどのみち濡れるので、くるむだけでもよかろう。
□2日目(8月7日)
■計画
烏帽子小屋
-1°30′→三ツ岳
-2°00′→野口五郎岳
-0°30′→真砂分岐
-2°00′→水晶小屋=水晶岳ピストン(所要1°10′)
-0°40′→ワリモ北分岐
-0°40′→祖父岳
-0°45′→雲ノ平キャンプ場
[9°15’] 1530頃着予定
■行程
烏帽子小屋0436
→稜線上0509・0520
→三ツ岳(お花畑・稜線分岐手前)0609・0623
→小屋手前ノピークノ前ノ鞍部0719・0737
→野口五郎小屋0755・0810
→野口五郎岳0828・0848
→真砂分岐(0919)
→真砂分岐ノ先ノ鞍部0941・0955
→東沢乗越1039・1059
→水晶小屋1147・1210
→水晶岳1239・1254
→水晶小屋1325・1343
→ワリモ北分岐(1411)
→岩苔乗越1419・1432
→祖父岳1510・1523
→雲ノ平テン場1621
オーダ:位高‐加藤‐木下‐遠藤
■ルート状況・行程の詳細・雑感
行程が長いので2時半起き4時半出発。かなり暖かく動きやすい朝だった。朝は木下の雑炊とさんまの味噌煮缶、前の晩の残り飯にわかめスープとひじき豆、さらにしゃぶしゃぶ餅を入れて。例によってやや塩味の米茶を飲む。
テン場から野口方面の道がわかりにくく、後ろの団体ともども行止まりに突当たってしまう。ちゃんと見ていれば道も矢印も見えるのに、危ない。盲目的に前について行ってはいけない。
朝焼けの稜線歩きはいい気分だ。見事な形の烏帽子ややや遠く立山を後ろに見、左手には燕から餓鬼岳の尾根がギザギザしている。右手の赤っぽい立派なピークは赤牛岳だろう。日が昇り、槍を見ながら三ツ岳の急登を登る。ずどんと続く急登は見た目に圧倒されるが、ゆっくり登ればさほどきつくはない。花もちらほら残っている。
三ツ岳を登ったあたりから進む角度が変わり水晶も見えてくる。岩がちの双耳が威圧的なオーラを放つ。
ぽつぽつと咲いているコマクサを見て、三ツ岳のやや広い鞍部で小休止。まだ空気が温まっていないので日陰で荷を下ろすと寒い。ここから少しの間、稜線上の展望コースとトラバースのお花畑コースとに分かれる。風はないがアップダウンが面倒なのでお花畑コースをとる。花はほとんど残っていないが気持ちのいい草地だ。
小ピーク手前で休止したがこれを越えるとすぐに野口五郎小屋、昔はテン場があったが風の事故が相次ぎ閉鎖したらしい。さもありなんという稜線すぐ下の狭い広場に、小屋が窮屈に立っている。小さくあまりきれいには見えない小屋だがオヤジさんは親しみやすそうな人だった。この山から名を取った野口五郎はここに登ったことはないとのこと。バッジはたしか500円。
まさに「五郎」という幅の広いゴーロを注意して登る。山頂じたいが広いので大きく外れなければどこがルートという事もないようだが、最高点の少し手前でゆるっと分岐した右手は山頂を巻く道なので左の稜線上を歩くこと。小屋からすぐの白い山頂からは好い展望、次に目指す水晶小屋も見える。昼寝をしたくなるが先は長い。ゆっくり写真を撮ったり行動食をつまんだり靴紐を結んだりしていると姉さんに早くしろと怒られてしまう。
一気に下ると下り坂の途中に真砂分岐、鞍部で小休止、更にひと山越えて東沢乗越でも一本。前日の疲れもあってかバテ始めていることは休止の時間を見てもわかるだろう。前二人のお姉さんは元気で、私は終始置いて行かれていた。
東沢乗越から水晶小屋までの一気の登りは昭文社のコースタイムでは短すぎる。赤茶けた山肌の狭いトラバースのアップダウンから、最後のひと登りへ。バテた身体にはきつい急登の上にふらつく足元では危なっかしい道が続く。
水晶小屋は小さく、しかしどこから歩いても遠いのでいつも混んでいるらしい。本日は大変混雑しているのでテントを持っている人は雲ノ平(2時間半)か三俣(2時間)まで歩くことを勧めます、との張り紙は張りっぱなしなのではなかろうか。木下は牛乳(300円、常温のものとやや冷たいものから選ぶのだが、クーラ・ボックスがだいぶぬるくなっていて冷たい方も殆ど常温だった)で、遠藤さんは缶ジュース(400円、ブルジョワだ)でのどを潤す。バッチは600円。ザックを小屋の前にデポしサブザックで水晶岳に向かう。
植生保護で小屋前のトラバース道は封鎖されており、小屋の裏手から余計にひとコブ越えねばならない。しばらくは気持ちの良い稜線の道だが途中から岩がちになり、対向者と待ち合いながら注意して進む。ここまで来てこの狭い岩道を通らねばならぬとは、水晶岳は見た目ほどにはあまり品のある山ではないな、と思う。赤茶色の岩でなくもう少し締まった黒っぽい色なら多少印象も違っただろうか。疲れていたせいが大きいのだろうけれども。
頂上は暗いグレーの岩で出来ている。人が立って動くのを見ると怖いくらいの狭さだ。雲ってきたが今来た水晶小屋や目指すべき雲ノ平山荘、更に翌日の三俣山荘も見えた。
読売新道の縦走路なので双耳の隣のピーク(こちらより低いが三角点がある)にも行かれるが、姉さんたちが下りはじめてしまったので引返すことにする。下りはますます速い二人である。置いて行かれるのは仕方がないと慌てているつもりはなかったのだが、私は岩がちの狭いトラバースで足がもつれてしまった。何ともなく山側に身体を戻したが、省みればば危うく転落のところであった。疲れはかなり危ない。
頂上直下、北東側に残雪が残って雪の上を涼しい風が吹き抜けるところには花も多く残っている。この草むらで雷鳥の親子を見ることが出来た。
水晶小屋から少し下って岩苔乗越、ここから次の祖父岳までの登りが大きく見え、皆ブーブー言っている。しかしコースタイム40分はかなり正しかろうな、と私は思ったのだが、急に強気になったねと言われる。疲れすぎてハイになっていなのだろうか。
ハイマツに潜るような道やハシゴの登りを抜けて、やはりコースタイム通りに祖父岳に到着、広い山頂だ。ガスが濃いと危なそうなので地面に一本張られている緑のロープから外れないように。
後に雲ノ平山荘のバッチ売り場だったかで気づいたのだが、祖父岳は「じいだけ」と読むらしい。鹿島槍の隣も爺ヶ岳だから、丸山というには大きくなだらかな山を「じい」とあてるのだろうか。では祖母岳は「ばあ」か「ばば」か、はたまた祖父に合わせて字を借りただけかと思ったが、帰って調べてみると「ばあだけ」らしい。
一気に下ると正面に雲ノ平山荘が、続いて真下にキャンプ場が見えてくるのだが、山と高原地図ではまっすぐに下りずに右の稜線の外側に見えるトラバースを通って回り込むことになっている。黒いゴーロを抜けて木道に乗りしばらく行くと、案の定、テン場へ続く谷筋はロープで封じられ、植生保護の為真っ直ぐ下りる道は通行止め、小屋方面から回り込むように、との張り紙があった。なお地形図で直進している道は付き方が違っている、テン場への閉鎖されている道の南側での合流点は祖父岳からの道よりも北側である。
この巻き道が存外に長く精神を消耗する(イライラする)。始めは歩きづらいトラバース、稜線を渡り返すと両側から攻めてくるハイマツの中を潜る木道になる。ザックの脇につけたマットが引掛かって大変だった。ハイマツが低くなってきたあたりでオコジョが顔を見せてくれたのがひと時の救いだ(怯えていて可愛そうだったが)。さらに木道を進むと小屋とテン場の分岐になる。閉じられていたテン場への分岐から20分か30分か、長かった。女性二人にはザックをデポして小屋へ、テン場代の払いと情報収集に行ってもらい、男二人で幕営地を探す。谷筋から上へのびるテン場は時刻の遅いのもあって空いている場所が少ない。高校生や大学生のパーティのデカいエスパースも多かった。だいぶ上の方でやっと場所を見つけ、やや傾斜地だったがテントを張った。水場がすぐ近くだったのは却ってよかった。
小屋の往復で女性陣のこの日の行動時間は12時間20分ほどになった。水晶小屋くらいからはかなり曇って遠くでは何度か雷も鳴っていたが、最後まで雨に降られることはなかった。
テン場は1000円/人、水は太いパイプから豊富に流れ出ている。冷たいだけでなくとてもうまい水で、北アにこんな水場があるのかと意外だった。一度行ってみたいというだけで寄り道した雲ノ平であって、到着までにひどく苦しめられたので、この水を得られたことがせめてもの救いである。男二人はここで髭剃り、私は山行中唯一の歯磨きをした。水量が多いのだからパイプを二つか三つに割ってくれればいいのに、歯磨きなどで順番待ちが出来てしまっていた。テン場のトイレは汚い。バイオ式だが不具合があるらしく、流れぬ場合は備え付けの鉄の棒でかき混ぜながら押込めとのこと。大きい用事は出来るだけ山荘の方に回したい。
晩は位高さんのレトルトハヤシライス、甘いココアでコッヘルを拭う。僕がただ二パック持ってきた鬼殺しを沢(水場からの垂流し)で冷やしておいて、寝る前に皆で冷で飲んだ。僕は舐める程度に。四人とも量はほとんど飲んでいないのに、疲れていて酔いが回りやすいのか、笑い上戸の姉さんもいた。ちょっと周りにはうるさかったか。
この日はツェルトを立てるのが面倒くさく、荷を今度はテント内の足側に寄せて寝たが、やはり傾斜地では寝ているうちに身体が落ちるのでさらに狭く感じる。
夕方にはやや遠くでかなり大きな雷の音もあったが、テン場でも結局雨は無かった。未明から起床時にはかなり寒い夜だった。
□3日目(8月8日)
■計画
雲ノ平キャンプ場(=祖母岳ピストン(所要1°40′))
-1°00′→祖父岳
-0°40′→ワリモ北分岐
-1°10′→鷲羽岳
-1°00′→三俣山荘
[3°50′~5°30′] 1130頃着予定
■行程
雲ノ平テン場0456
→分岐0505・0512
→雲ノ平山荘0525・0530
→祖母岳0543・0553
→雲ノ平山荘0608・0634
→分岐0643・0700
→日本庭園ノ先急下リ始点0807・0830
→黒部源流標0859・0917
→三俣山荘・テン場0952・1102
→鷲羽岳登リ1144・1153
→鷲羽岳1215・1240
→三俣山荘1327
オーダ:加藤‐木下‐位高‐遠藤
■ルート状況・行程の詳細・雑感
朝は位高さんの短いパスタスープにバターロールパン、トマト又はエビスープで。3・5トライアルに成功。
前日までにかなり疲れていたこと、疲れていたところに前日の終盤は祖父岳のアップダウンで手こずった悪いイメージがあること、重たいザックを背負て鷲羽から三俣へのガレた急斜面を下ることはもとから危惧されていたこと、さらにせっかく雲ノ平だから「日本庭園」など別の道も歩いてみたいという声もあり、それらを考え合わせて、前日のうちにルート変更を決定していた。すなわち、祖母岳ピストンの後、祖父岳には登り返さずに黒部源流に回りそこから三俣山荘へ、鷲羽へはサブザックでピストンするというものだ。行動時間は長くなりワリモ岳もパスすることになるが、鷲羽越えが身軽にできるのはだいぶ安全だろう。テン場分岐にメインザックをデポしてサブザックで雲ノ平の散策に出かける。
雲ノ平山荘はとても綺麗、中にトイレがあり靴を脱いで上がれば自由に使うことが出来る。協力金100円、和式だが明るく紙もある。鏡のある流しもあった。バッチは600円。
祖母岳は小高い丘のようなところだが朝の陽の中で山々が美しく見える。丁度水晶のてっぺんあたりから日が昇って眩しく、水晶の姿は写真に収めづらかった。雲ノ平のお散歩は、期待したほどには「秘境」の気分ではない。もう少し早い時期ならもっと花が咲いているのだろうか。コバイケイソウやチングルマ(半分以上が綿毛になっていた)などは多くみられた。このところ雨が少ないらしく、木道のまわりの湿地気味のところが干上がっていたのも景色を悪くしていたのかもしれない。雲ノ平という名前の割にあまり平らではなく、両側に丘が迫っている。木道は整備が回りきっておらずがたつくものも多かった。
ザックを拾い、三俣方面へ。どのあたりが日本庭園なのかよくわからない。テントを張れそうな広場や二塊の残雪の脇を通り、高いハイマツ帯を抜けると急な下りの上に出た。山と高原地図で「第二雪田」となっているポイントはどこを指すのかわからなかった。また地図を見ていた時にはつづら折りの「急坂」を勝手に登りだと解していた(私だけではなかったらしい、より危ない)のだが、きちんと読めば当然下りであって、その始点がここであった。ここまでの一本では地図上の自分達の位置がわからず、小休止を入れてよいものか否か、妙に焦っていた(テン場分岐から岩苔乗越方面分岐までコースタイム30分のところを35分程度だかかかっていたのも時間が読めなかった一因である)がこれで一安心。落ち着いて地図を確認すべし。
ガレた急坂は上り下りともきついことは確かだが、下り1時間10分のコースタイムはウソだろう。さて登りには確かに1時間20分を要するのか、そうだとするとかなりきつい登りだ。細かくマルやバツの印がついている。バツの方に入ると歩きづらいだけでなくところによっては下りた先の沢で渡れなくなってしまうかもしれないから要注意。下り終わると幅の広い渡渉点にロープがついている。このロープを下流側に握られれば良いのだが上流側についてしまっている。渡ってみると見た目ほどには怖くない。
渡り終えて矢印に従って支流の沢を登ると岩苔乗越方面と三俣方面の分岐、右にとった先が黒部源流の標で少し広場になっている。直登はしんどそうだから岩苔乗越から雲ノ平に行きますという年配夫婦に出会った。確かにいまの急坂を登るのは大変そうだ。昨日その道を通りましたがそちらも祖父岳など結構アップダウンがきつかったですよ、とは言わぬ方がよかったかなあ。
暑い中しんどいがひと登りで三俣山荘。途中から沢沿いの道になる。どっしりと鷲が羽を広げた形に見える鷲羽岳(ただし元は三俣蓮華岳が鷲羽岳の名だったらしい)、そして槍穂、展望の良い小屋だ。今日は布団1枚に2人だという。テン場は1000円/人、バッチは600円だったか。小屋の外にシンクが出ていて水が使える。靴を脱げば小屋の中には広いトイレと更衣室、鏡のついた明るい流しがある。歯磨きや髭剃りはここが楽そうだ。トイレは和式だが明るく綺麗で紙もある。
混雑しているのでテン場は協力してくれとのこと。テン場は小屋から遠い。沢沿いをゆるゆる登っていくが下の方の平らな土地は先客で埋まっている。水場は下から1/3くらいにあり、細いパイプからちょろちょろと出る程度のものである。あまり混むことはないが2、3人並ぶと時間がかかる。この水場の前によさそうなスペースがあったのだがどうも水場への道のようなので、そこを塞いでも交通は妨げられないのだが、遠慮してさらに上へ登る。後にここにはソロか2人くらいのテントが張ってあったが、まあ小さいのでいいだろう。少し登って、やや傾斜地、道際だがスペースを見つけて設営。やはり「ソロテント問題」は本当なのか、赤いエアライズのソロテントが沢山立っている。隣のソロのオジサンはスモーカのようでかなり興ざめだ。
テン場探しに加えて日差しの中でややだらけてしまい1時間以上テン場にいたらしい。サブザックにかえて鷲羽を目指す。鷲羽への急登はガレていて小休止もとりづらい。ちょうど団体が何組か下りてきたところで、幅のない頂上だが我々が着いたころには満員ではなかった。雲がやや多く湧き、飛行機雲も綺麗に見え、空に四角い筋状の虹が見えるなど、上空の湿度は高いようだったが周囲の山々はよく見えた。ここまで歩いてきた山やこれから進んでいく山、或いは槍や燕の稜線など360度の展望である。幸せな頂上だ。雲ノ平にいた大学生パーティは大きな荷物を背負てワリモの側から登ってきたようで、昼休憩を取りながら無線で別隊の仲間と交信していた。
鷲羽池への道は地形図にはなく昭文社でも点線なので池に下りるということは端から眼中になかったのだが、「山と渓谷」9月号に鷲羽池のルポが乗っていた。行けばよかったか。
山荘の食堂の匂いや「オムライス」などの言葉の響きに惹かれつつ、テントに戻る。加藤さんのポトフと銀飯、男どもを外に残し、テントの中で女性二人で食当をやっていた。遠藤さんによれば加藤さんと位高さんの二人で食当をやる機会は初めてだったらしい。天気がいいので皆で外に出て食う。3日目にしてジャガイモやニンジンやタマネギにベーコンのたっぷり入ったスープ、ベーコンの保存性は微妙なところだが、姉さん方の手料理が頂けるとは、山荘のジビエシチューよりも価値のある一杯ではないか。この日の加藤さんはトップを歩き、夕食を作り、テントから大きな蜂を追い出すなど、大活躍であった。男どもは蜂にもビビッて全く使えない。
私はこのあたりから少し風邪気味で鼻が出ていた。雲ノ平の夜が寒かったのもあって、念のためシュラフシーツもセットして就寝。荷物はツェルトにくるんで外に出した。夕方一時は雲がかなり成長していたが、結局雨は無し。
□4日目(8月9日)
■計画
三俣山荘
-2°00′→黒部五郎小舎=黒部五郎岳ピストン(所要4°10′)
[6°10′] 1200頃着予定
■行程
三俣山荘0457
→残雪ヲ越エテ0535・0545
→三俣蓮華岳分岐(0617)
→黒部五郎小舎0709・0826
→水場(沢)0917・0927
→黒部五郎岳1010・11:34
→水場(沢)ヤヤ下流1214・1225
→黒部五郎小舎1308
オーダ:遠藤‐位高‐加藤‐木下
■ルート状況・行程の詳細・雑感
朝、加藤さんのスープパスタにフランスパン。3・5トライアル成功。
朝一にいきなり残雪越えがある。カチカチに凍っていて、横にすべれば沢へバイバイである。踏み跡があるが危なっかしい。三俣山荘には注意情報も出ていなかった気がするが。
登りが終わって正面が開けてくると、黒部五郎の左、遠くに大きな山塊が見える。はて彼の山は何ぞやと議論が続き、白山らしいと決着がついたのは五郎の頂上だっただろうか。三俣蓮華分岐の前後、北斜面の細いトラバースでは鷲羽、水晶、祖父、赤牛に雲ノ平の地形がよく見える。遠くから見る雲ノ平はテーブル上の台地からストンと落ち、まさに平だった。山と高原地図に残雪注意と表記されているところには、登山道まで迫る目立った雪は残っていなかった。笠ヶ岳がよく見え、それを背景に記念撮影している人もいた。
黒部五郎を正面に見ながらハイマツ帯に潜って急坂を下ると小舎に到着。先にテントを張ることにする。テン場は小屋から少し離れて、風の抜ける鞍部にある。もう一段離れて下ったところにも続いていて、そちらに下りればアクセスは悪いが風は少しましなのだろうか。この日はエアライズではなくモンベルのソロテントが多数立っていた。
黒部五郎小舎は1000円/人、バッチは600円だっただろうか。この日は小屋は布団2枚に3人とのことだった。水は表の缶ジュースの水槽に垂流されているものと裏のトイレの手洗いシンクのものとが使える。夜朝は表の蛇口は閉じられているようである。トイレ(外トイレとあったので小屋利用者は別のトイレが使えるのかもしれない)はあまりきれいでない。今山行中では雲ノ平のテン場を別にすれば最も悪いだろう。紙はある。
サブザックに替えてカールコースで五郎を目指す。小屋前の道標は「カールコース/Kar
Course」と独英で表記してあった(まあ正しいと思う)。初め、トップの遠藤さんはすっ飛ばして凄いペースで歩く。皆元気だからついては行くのだが、脚は疲労がたまっているからしょっちゅう引掛かる。怪我でもしたらお話にならないし、更に疲れを溜めて翌日以降下りなどに影響してもいけない。不用意なペースアップは得をしないので慎むべし。私はアンチ・ランニング主義者である(全然走ってはいないけれど)。ちょっとペースを緩めてもらって、登りがきつくなると更にゆっくりにはなったが、コースタイム2時間半を殆ど1時間半で登ってしまった。
前半は樹林帯に入ったり出たり、残雪の下から湧く沢を渡るとガレ場を急登して稜線上へ、登るとすぐに肩である。肩には四高何某君の遭難の碑、山頂にも別の人の遭難碑がある。
黒部五郎は、僕にとってはずっと憧れの山であった。高1の時に肩まで来て雷雨で登頂を断念して以来、四年越しの頂であった。こここそ今回の山行のメインディッシュだといっていい。ついにその黒部五郎に立つことが出来た。360度の大展望。南に笠、乗鞍、御嶽、南東に槍穂と霞沢の稜線、東に鷲羽や水晶ら歩いてきた山々、北東に後立山の山々(目立つ二つのピークは地図と睨めっこしてその時は五竜・鹿島槍だと思ったのだが、どうやら白馬三山あたりだったらしい)、その隣手前北に剣・立山、さらに手前北西に薬師、薬師平や北ノ俣のなだらかな稜線も美しい、そして西遥かに浮いた白山の峰、北アルプスを、岐阜長野富山三県を、一望す。
日差しが暑いが、見飽きることのない惚れぼれするような展望だ。1時間以上も山頂にいたらしいがあっという間だった。山頂には蝶もオコジョもいた。
この上なく名残惜しいが、来た道を引き返す。カールから見上げる黒部五郎も非常に立派で、圧倒的な大きさを持っている。哲人であり鉄人である風である。素晴らしい。大きさも風格も佇まいも、北ア一の山は間違いなくこの黒部五郎だ。強いが強さをひけらかさぬ、静かにして堂々とした体躯。美しいカール。黒部五郎の名もまたよい。
山静かにして太古に似たり
唐庚の醉眠という詩の一句という。私には高校のころから思い入れのある言葉である。何度も振り返り振り返りながら小舎に戻る。
のんびりと昼寝をしながら夕の準備。遠藤さんのチャプチェ(マーボ春雨の味違いである)、おかずが6人前に米が2合半、よく食ったものだ。夕方から雲が多く、一瞬雨がぱらついたかに思われて外で広げていた調理道具ともどもテントに避難したが、結局それ以上の降雨は無し。この日もツェルトに荷物をくるんで外に出した。となりのソロのお兄さんはやはりスモーカだった。私は胃薬と風邪薬を飲んで、シーツを入れて就寝。
後から振返ると、どうせ黒部方面は寄り道なのだから、三俣にテントを張ったままサブザックで往復して三俣に帰るのでもよかったかもしれない。コースタイムは9時間近いがサブザックだから身軽だし、翌日もう少し余裕をもって一気に下ることが出来るだろう。もちろん黒部と双六に泊まっていくのがもっとも安定ではあろう。
□5日目(8月10日)
■計画
黒部五郎小舎
-2°20′→三俣蓮華岳
-1°20′→双六岳
-0°45′→双六小屋
[4°25′] 1030頃着予定
(翌日)
双六小屋
-1°10′→弓折分岐(=弓折岳ピストン)
-2°50′→登山口
-1°25′→新穂高ロープウェイ
[5°25′] 1100頃着予定
■行程
黒部五郎小舎0518
→急登終リ0606・0618
→三俣蓮華岳分岐(0641)
→三俣蓮華岳0712・0800
→中道ルート分岐(0840)
→双六岳0900・0915
→巻道ルート合流(0945)
→双六小屋0957・1027
→弓折乗越1120・1126
→鏡平山荘1200・1210
→シシウドヶ原1239・1249
→イタドリヶ原(1306)
→チボ岩(1319)
→秩父沢ノ手前ノ小沢ノ渡渉(秩父小沢?)1327・1334
→秩父沢(1338)
→わさび平小屋1425・1438
→笠新道分岐(1448)
→新穂高ロープウェイ1530・1555
~平湯温泉16時半頃
オーダ:木下‐位高‐加藤‐遠藤
■ルート状況・行程の詳細・雑感
朝は遠藤さんの辛ラーメン、味の粉は減らしたのだが、ただ辛いだけ。トムヤムチキンという缶詰をタレごと入れると辛さとともに味とまろやかさが増してなんとか食える味になった。今日は双六までだという気の緩みからか3・5トライアル失敗、この20分の遅れが予定変更後の下りの焦りに影響したかもしれない。
前日下った急坂を登り、三俣蓮華まで前のパーティを抜きながら良いペースで歩く。途中、何度振り返っても黒部五郎が惜しい。幾たび見ても神々しき美しさである。となりの薬師なども美しくて惚れてしまうが、やはり黒部五郎には強さがある。薬師とみょうとのようにも見える。
顧ても顧ても、名残惜しきかな、黒部五郎。
三俣蓮華は広い山頂だが人も多かった。山頂の三又の道標には双六・槍・黒部五郎・薬師・鷲羽・水晶とオールスターズの顔ぶれが並ぶ。このあたりからは鷲羽の形が綺麗に見えたが、羽を広げた鷲というよりもむしろ耳を広げた象のようだった。
ここで主に女性陣から、今日のうちに一気にわさび平または新穂高まで下山したいという意見が出た。確かにもともと4時間半コースのこの日は予定を上回るペースで歩いていて、双六小屋着は早そうだ、下山も十分に可能である。そして早く風呂に入りたいとか早く実家に帰りたいという女性陣の思いの深さは私には計り知れない。そうするとわさび平どまりでは意味がない、それならば翌日双六から下った方が安全である。しかし新穂高下山後にバス便があるかという事が問題であった。新穂高16時55分発のバスに乗れば平湯に17時半着。松本行は17時過ぎに終わっており、風呂に入ると新宿行き18時発も厳しく、18時35分発高山行しかない。しかしそれでも良い、加藤さんは岐阜の実家に帰り、残り3人は皆で高山で夜を明かし翌日観光がてら東京に帰ろうと言われる。結局、この「高山まわり」という観念が後に影響することになった。
それならばと、サクサクと双六まで進む。トップだった私は妙な焦りが出てかなり飛ばしてしまったが、それでは下りが持たない。丸山を越え、落ち着いて双六岳まで。双六岳は山頂と直下の稜線が広いが、標柱が多く道もはっきりしておりそんなに迷うことはなさそうだ。
ここで木下から再提案。10日の午後が雨がち、翌11日の午前が晴れならば計画通りに双六小屋で一泊すること、下山するとしてもやはり当日中に東京に戻れなければ意味がないから平湯18時発新宿行きに乗るべくサクサクとコースタイム通りに下って15時55分発平湯行きに間に合わすつもりで行くこと。この了解を得て双六小屋に向かう。
双六岳からの下りは始めガレ場が続き注意を要する。中道巻道と合流してさらに急坂をまっすぐ下ると小屋に出る。
小屋の予報は10日は夕立程度、11日は晴れがちとのこと、この時点で計画復帰を判断してもよかったが、下りたいという声に押されて下ることにする。それほど言うならば1555に下りてやろうと、私はいささかムキになっていた。バッチ(600円?)を購入、糖分を補給し、足の指々に絆創膏を巻きまくり、下山路に入る。
テン場に沿う道が弓折方面へ続く。弓折乗越までの初め1時間はアップダウンの大きい道である。下りではあまり飛ばせない(飛ばさない)だろうからとここをかなりハイペースで歩いた。こんなことをしている時点で私は正常な判断が出来ていなかったのではないか。弓折岳にも行きたいところだったが、他に行ってみたいというメンバがおらず時間も気になるので、一本の後下りにかかる。草刈り道具を持ったオジサンともすれ違った。鏡平までは前のパーティに詰まって時間が押した。双六から新穂高までずっと対向者が多く道幅も広くないので、すれ違い待ちによってもペースが抑えられた。しかしそのおかげで安全に下れたのかもしれない。最後尾でデカいザックを担ぎ野口五郎の手拭をその字が見えるように頭に締めた遠藤さんはすれ違うオジサンたちに大人気だった。
鏡平は水200円/L、水が有料の割にかき氷がウリらしい。通過者のトイレ使用は100円。雲が出て鏡池に槍は映らなかった。小屋の前後道沿いに続く池塘は降雨不足で水位が下がったり干上がったりしているのが確認できた。
下りでは飛ばさないつもりでいたのだが、シシウドヶ原までコースタイム50分を30分で下りてしまった。その後も上手く抑制が利かずかなりのハイペースで下山。計画通りの行程ならコースタイムよりゆっくりと下るつもりでいたのだが。小池新道はよく整備されており、階段はなく、岩積みの道も大きな段差はあまりない。ただ単調ではある。また鏡平から登山口までとわさび平から新穂高までが長い。
川原に出て、意外な程の大きさで残った残雪を通過すると登山口、林道に出る。林道からの姉さん方の速いこと!
全くついていけない。わさび平まではまだよいが、そこから1時間はだんだん姿も見えなくなるくらいに引き離されていた。
わさび平小屋では水が使い放題、果物や野菜の浮いた水槽がシンボルのようで水槽の絵のバッチもあった。そうめんや丼なども旨そう。遠藤さんはラムネを飲んでいた(開栓に難儀していた)。
ずっと左手に流れる左俣谷(右俣谷と合流して蒲田川になる)はなんと神通川水系とのことで、北陸電力の作業車も走っていた。林道は未舗装の中に荒く舗装された区間が混じり、稀にきれいな舗装もある。固い登山靴には歩きづらく単調で長い。苦痛が続く。根性との勝負である。橋を過ぎ、冷気の出る風穴(わさび平への下り途中にも一カ所あったようだった)を過ぎ、下界風の建物の気配が見えてくるとようやくゲート、ぐるっと曲がりながら下ってまっすぐ橋を渡ると新穂高温泉のバス停、左の細い道に入るとやはり橋を渡って新穂高ロープウェイのバス停である。
□5日目(8月10日)下山後から6日目(8月11日)
■行動と雑感
さて15時55分のバス(高山まで直通らしかった)に乗ることが出来た。ロープウェイの建物で切符を買って乗車し、降車時に切符を渡す方式だ。ザックはトランクにも入れてもらえるが2席使って座っていた。しかし想定より混んできて、登山者でない人の方が多いようだったので、6席に4人と4つを積んで、何とか立ち乗りの人は出なかった。このバスに乗れたことで、東京に帰れるものだと勝手に思いなしてしまっていた。もちろん新宿行バスが満席である可能性も頭にはあったが、全て新宿に行かれる想定で先のことを考え始めていた。ご家族が旅行中で帰宅できない位高さん(早く下山したがっていたくせに!)は親御さんに新宿のホテルを取ってもらっていた。
平湯温泉着、乗客達の最後にザックとともに下りて、まず切符売り場に向かう。18時発新宿行きに3人乗れるかと尋ねると、皆様男性ですよねと渋い顔をする。男2女1ですと告げて調べてもらうと女性専用席しか空いていないという。こちらは男が二人いるのだから女性席を1ペア潰しても誰も損はしないと思うのだが。ホテルもとってある位高さんは、皆と高山へという選択肢とも迷ったようだったが、お母上と相談の上で無事に新宿への切符を手にした。後から考えれば、風呂に入る時間を削って17時5分発松本行に乗るか、或いはそのまま平湯にとどまるのが正解だったように思う。平湯(または引き返して新穂高)ならばテントを張れるスペースも小さな民宿もあったのではないか。しかし元から「高山まわり」で考えていた我々は、岐阜に帰る加藤さんとともに高山行路線バスの切符を3枚買っていた。
ササッと風呂に入り、位高さんを見送り、在京の川名さんに電話をかけ、飯を食う時間もなく高山へ。実は新穂高発のバスから高山駅にかけてもうひと騒動あったのだが、それは省略する。文明の利器を行使して調べてみると、高山から岐阜への特急はもう終わっていて、バスの高山到着後すぐの鈍行が、乗り換えて岐阜にたどり着く終列車(ディーゼルカーなので終電ではない)だという。下山を祝って盃を回す時間など完全になくなってしまった。高山へのバス車内は我々3人以外皆外国人。見たことも考えたこともない夕闇の道を、異国の言葉が飛び交うバスで走る心細さといったら。
バスが遅れれば美濃太田で駅寝のところだった(実はその方がよかったかもしれない)が無事に19時50分発の列車に乗り継ぎ。加藤さんはもう地元だから安心してだいぶ寝ていたが、私はちょっとうとうとしたくらいで到着。岐阜に着いたのは22時59分であった。ここまで一緒だった加藤さんも、改札でお迎えのお母上を見つけると笑顔でダッシュ。こちらを振り向いての手の一振りで、異邦の男二人は深夜の街に完全に取り残された。
暫し岐阜駅前を徘徊、駅ビルのサイゼリヤはラストオーダを過ぎていたので駅向いのサークルKで弁当を買い、駅寝するには駅が大きく人も多そう(治安が不安)、ネットカフェやホテルを探すには駅前が小さい、ということで名古屋に移動することにした。ホームの待合室でコンビニ弁当を食い(風邪気味で腹の調子もよくなかったくせにヘンな時間にヘンなものを食ってしまった)、乗車。18きっぷで乗って00時01分着だったので、ゆっくりとトイレに寄り、翌日急な体調不良で新幹線帰宅することにしてもいいように18きっぷの新たな枠を使わずひと区間分の切符を買うつもりで改札に行ったら、駅員さんは時刻表を調べてタダで見逃してくれた。
名古屋、大きな駅だ。ビジネスホテルに予約なくチェックインするには遅いし、駅前に見つけたネットカフェは満席だし、始発まで5時間半くらいだから、当初はだだっ広いコンコースに座り込んで夜を明かす作戦だったのだが、警備員が各所のシャッタを閉めながら回ってきて無言の圧力をかける。仕方なく外へ出るとドアも施錠されてしまった。朝5時前まで開かないようだった。スマホで24時間営業のマクドナルドを調べて向うも、1時から3時の間はテイクアウトのみとのこと。同じビル内のネットカフェも満席。なすすべなく、そのビルのドアの内にあった自販機で飲料を買いその前にしばらく座り込んでいると、天井から声がする。警備室です、ご用のない方の長時間の滞在はご遠慮願います、と。カメラで見張られていたようだ。街はこんなにも厳しいのか。我々は生きていけぬのか。山よりもよっぽど不安な、身の危険を感じる夜であった。
俺たちゃ街には住めないからに。
道の反対側に見えた別のネットカフェに遠藤さんが偵察に行く。駅から遠いのとあまりメジャーでないチェーンであることとで、そこには空席があった。私はネットカフェ初体験であったが、万が一にでも命を売るよりはここで魂を売っておいた方がよかろうと、そこに入ることにした。
中京地区の新興勢力らしい「亜熱帯」という店である。会員登録などして入店が1時17分。先ほどのマックが開く3時を回るまで2時間半滞在することにする。一応綺麗にはしてあって、私は使わなかったががシャワーもフード・サーヴィスもあるらしい。ただ周りの若い客や店員がしょっちゅう話しているので静かではない。いやそれより、換気の悪い店の狭い個室内に2時間以上籠っていると精神的に参ってしまう。初めこそ小一時間仮眠できたが、緊張と不安もあってそれ以上眠ることは出来なかった。当初は18きっぷで東京まで帰るつもりだったのだが、もうどうしても新幹線に乗りたくなってしまった。名古屋到着時に18きっぷの新しい枠を使わなかったのはいい判断だった。3時半くらいまでなんとか2時間強粘って出ていく。しかしこれで支払ったのは千円程度、店員は3人か4人いたのだがどうやって儲けているのだろう。
開店していたマクドナルドに戻って、コーヒーとアップルパイでさらに2時間弱、動かない頭を無理やりまわして今後の作戦を打ち合わせながら過ごす。こちらの店はレジのオジサン一人と厨房の外国人のお兄さん一人でよく頑張っていた。
5時半、客の増えてきたマクドナルドを出て名古屋駅まで歩き、新幹線の切符を購入。学割証は無かったが仕方ない。小田原まで8千円強。遠藤さんは東京まで。駅には人も増えてきて、東京の夢の国からの夜行バスが到着したのか頭に耳の生えている御嬢さんも何人かいた。6時開門らしい新幹線改札の人だかりに我々もザックを担いで並ぶ。自由席争いなのか、改札が開くとほとんどの人が猛ダッシュでホームに駆け上がるのだが我々にそんな元気はない。多くの人は新大阪方面のようだった。
遠藤さんは6時20分発、始発のひかり500号に乗り込む。それを見送ってから名古屋の駅弁「こだま」を購入した私も46分発こだま630号のN700系の最後尾車両に座り、ようやく安心したのであった。
□全体の反省など
・「チーム・ガサツ」での山行であったが、木下はガサツなばかりか自ら動く気が全く無く鈍かった。周りが3年生であることに甘えていた。リーダとしても一メンバとしてもそれでは無能である。
・結局、前夜の濁沢を除いて雨には全く降られなかった。とくに行動時間の長い6日と7日は地球気の解説資料でも夕方のゲリラ豪雨の恐れが指摘されていたのだが、12時間近く歩いても雨が無かったのは奇跡的である。
・アブやブヨなど虫が異様に多かった。男二人はかなり刺された。北アはおろか南アでも経験のないほどだった。
・スモーカも多かった。
・救急箱には風邪薬も(用法解説とともに)入れておきたい。
・救急箱にムヒ類は必要だが、直液式は衛生面で都合宜しくないので軟膏が良い。
・救急箱には湿布よりもバンテリンのような塗薬が欲しい。
・救急箱のアルコールはあまり意味がない、消毒用ならばウェットティッシュが欲しい。
・共装の分担や途中での調整は慎重にすべし。
・記録はリーダは必ず、更にパーティで複数人がとるべし。
・計画変更は慎重にすべし、じっくり考える時間がないのならば計画通りにすべし。
・リーダはつねに一番余裕を見せていなければならない。
天候にもメンバにも恵まれた山行だった。あとの三人にとってどうだったかはわからないが、顔ぶれも人数も私にとっては殆ど望みうる最高の形であった。こうでなくっちゃ山はやってらんねえなとも思う。実によい山行であった。
この企画に集まって下さったメンバの皆様、在京責任者を務めてくださった川名さん、私自身を含むパーティの家族、山行中に出会った方々、様々なところで協力して下さった人々に、大きに感謝するばかりです。