2015/8/19-20 五竜岳

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
五竜岳山行 確定計画書(8月17日)
作成者:木下(亮)

□日程 8月18日(水),19日-20日,21日(金) 前泊・1泊2日・予備日1日
□山域 北アルプス

□メンバ(計6名)
CL木下,SL尾田,福田,柳田,飯田,藤井

□集合
 8月18日
柳田・飯田・藤井:新宿駅(中央東口改札側の壁際)1520
木下・尾田・福田:立川駅(西改札前の通路)1550

□交通
■行き
 新宿1537
→1601立川1604(→2000松本2015→2112信濃大町2205)
→2234神城(駅寝)
  18きっぷ使用・一人当たり2370円
■帰り
 神城(1021/1236/1646)→新宿(1721/1940/2315)
  18きっぷ使用・一人当たり2370円


□行程

一日目(19日)
 神城駅(0730)
~とおみ(0800・0815)
-(テレキャビン)-アルプス平(0823・0830)
~小遠見山(1020)
~五竜山荘(1410)
[歩行計6°10′]

二日目(20日)
 五竜山荘(0500)
~五竜岳(0600・0630)
~五竜山荘(0710)
~小遠見山(0900)
~アルプス平(1020)
-とおみ(1030)
~神城駅(1050)
[歩行計5°10']

※テレキャビン:
  通常0815-1600(下り最終は1630)
  所要8分・950円・荷物100円?
  (株)五竜 0261-75-2101


□エスケープ
アルプス平方面へ帰る

□山小屋の連絡先・料金・設備等
五竜山荘 (白馬館 0261-72-2002)
 800円/人・水100円/L・素泊まり6600円

□地図
■2万5千図 「神城」
■山と高原地図 「35鹿島槍・五竜岳」

□日没日出
8/21日没(長野):1832
8/22日出(富山):0513

□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:白馬;1026kHz,松本;540kHz
■NHKラジオ第二:松本;1512kHz
■NHK FM:白馬;83.3MHz,宇奈月;84.9MHz,松本;84.8 MHz

□警察署電話番号
 長野県警大町警察署  0261-22-0110

五竜岳山行記録
 木下(亮)

□日程 8月18日(火),19日-20日
□山域 北アルプス
□メンバ(計6名)
CL木下,SL尾田,福田,柳田,飯田,藤井


□計画

一日目(19日)
 神城駅0730
~とおみ0800・0815
-(テレキャビン)-アルプス平0823・0830
~小遠見山1020
~五竜山荘1410
[歩行計6時間10分]

二日目(20日)
 五竜山荘0500
~五竜岳0600・0630
~五竜山荘0710
~小遠見山0900
~アルプス平1020
-とおみ1030
~神城駅1050
[歩行計5時間10分]


□行程

一日目(19日)
 神城駅0730
→アルプス平0829・0841
→見返り坂の上の広場(1750~1800mくらい)0922・0933
→小遠見山1016・1031
→大遠見1136・1156
→西遠見山?(西遠見の標の後)1247・1300
→途中路上に座り込んで5~10分の休止を2回か3回
→五竜山荘1511?
オーダ:
 大遠見まで;木下‐藤井‐飯田‐柳田‐福田‐尾田
 大遠見から;木下‐飯田‐藤井‐柳田‐福田‐尾田

二日目(20日)
 五竜山荘0533
→五竜岳0634・0659
→五竜山荘0744・0812
→西遠見の手前0911・0919
→大遠見0951・0957
→小遠見山1049・1100
→アルプス平1155?(リフトに乗った飯田さんと尾田さんは1202?)
→とおみ1215・1220
→神城駅
オーダ:
 山荘→山頂   ;尾田‐藤井‐福田‐柳田‐木下
 山頂→山荘   ;木下‐藤井‐福田‐柳田‐尾田
 山荘→アルプス平;木下‐飯田‐藤井‐柳田‐福田‐尾田


□ルート状況
 神城は小さい駅だが6人なら十分に寝られる。先客がいなければ(お盆以前の土日などでなければそうそう人はいないだろうが)10人くらいは寝られそうだ。ただし、自動照明のトイレ以外は列車が着いた時にはすでに真っ暗である。
 神城駅ととおみ駅に隣接するエスカルプラザとを結ぶ無料送迎バスは夏場も運転していた。歩くなら駅北側(か南側)の太い道をずっと上がっていくだけ、ペンション街を抜けて右折するとすぐにエスカルプラザだ。エスカルプラザ内の風呂は夏は休日のみの営業。テレキャビンの切符はエスカルプラザ1階か2階から外に出たとおみ駅の二カ所で購入でき、往復で1800円。とおみ駅やアルプス平駅で購入する人はザックを見て荷物代をとられているようだったがエスカルプラザの切符売り場のオバチャンは何も言わず、帰りの改札でも「行きはタダでした」と言ったら「じゃあ次回からね」と見逃してくれた。
 リフトを右に見ながら広い坂状の花畑を進み、山道に入る。小遠見山まではハイキングコースになっているが、指導標のコースタイムは山と高原地図よりもハイペースだ。小遠見山と大遠見の間は昭文社の6割くらいの時間で歩ける。このあたりでは熊やサルの目撃情報もあるとのことで、今回は登りの日、道の真ん中に何か獣の内蔵が綺麗な形で丸々ひとつ落っこちていた。その大きさや、傍に一つまみだけあった毛先だけ薄茶色の白い毛からして、サルの物だろうと思う。
 「小遠見山」と「中遠見」は山のてっぺんに道標があるが、「大遠見」「西遠見」はピークではない。中遠見以外は休憩適地である。登るところでは結構な急登もある。小ピークを繰り返すので、あと一つか、もう一つか、と最後の白岳まで長く感じられる。また西遠見の先から白岳まで高度感のある稜線歩きが続くがさほど油断しなければ難しくはない。何度か大きな一枚岩の急登がクサリ場になっているところがあるので一人ずつ、クサリに頼りすぎずに登る。
 五竜山荘はテント800円/人、水は外のタンクから自由に汲んで100円/Lを箱に入れる。小屋の奥にある外トイレはテン泊者はタダだがあまりきれいでない。バッチは600円、大小(本当に小さいものが沢山)のスタンプや自分で名前を書き入れる五竜岳登頂証明書などが置いてある。
 テン場はとても狭い。土地が無いので早く着かなければ張れないのだが、一つ一つの枠もかなり小さく整地してあるので中型以上のテントではたとえ早く着いたとしても場所選びに難儀するだろう。稜線直下なので風も強く、小さく背の低いテントでないと不安になる。
 五竜山荘と五竜岳との間は難しい道が続く。ガレた細いトラバースや大きなクサリ場など、気が抜けない。落石も起こさぬように。縦走路の最高点に着いても、そこから分岐して山頂までの十メートル程度がまた細くて怖いので要注意。
 五竜山荘からの下りはサクサク行けるだろう。クサリ場も下りの方が楽に感じた。リフトのアルプス平駅はテレキャビンの駅を行き過ぎたところにあるので登り返さなければならない。リフトは高度が低いようだったので、さほど怖くなく花の季節には気持ちよいだろう。


□雑感
 昨年は五竜・鹿島槍縦走のつもりが天候不良で鹿島槍だけ、今年は五竜・唐松縦走のつもりが稜線上の難所通過にビビッて計画変更、今年もやはり天気は芳しくなく、そして同じ神城駅の駅寝からのスタートである。
 大町までの鈍行の旅は長い! 年に二度もやる物ではない。大町駅で登山届を提出し神城駅へ。駅寝が嫌いでお馴染みの私も今回はよく寝られたが、初めてだった1年生には厳しかったようだ。やはり慣れが必要だろうし、テント泊を何度か経験していない人を駅寝させるのは計画に問題があるということだろう。
 始発列車が来て人が動き始めたので、予定より30分ほど早く6時過ぎに起床。駅のドアの張り紙によるとどうやらスキーのシーズン以外にも日に何本かエスカルプラザまでの無料バスが出ていて始発はテレキャビンの営業開始8時15分に間に合う8時発であるようだったが、果たして本当に来るのか本当に無料なのかやや不安であり、30分待つのは嫌だから歩こうという尾田さんの意見で歩くことにした。エスカルプラザまでどの道に入ればいいのか少し不安になるが無事に到着、1階で往復切符を買い2階から外に出てテレキャビンに並ぶ。エスカルプラザ2階にはギャラリィ・コーナがあって何某氏の素敵な版画が沢山展示されていた。じっくり見たいところだったが始発すぐに乗ろうという事でパス、結局帰りにもこれを見る時間は無かった。
 テレキャビンは何も特別なことはない普通のロープウェイで、ゴンドラも8人乗りと大きくはない。そこに6人とザックが一気に乗り込む。分乗すればいいものを。毎秒5mで上がっていくと、下から見ても明らかであったが、途中から真っ白なガスの中に飛び込む。向こうから帰ってくるゴンドラには誰も乗っていないし、もしかして霧の中で何か出るのか、などと言っているうちに到着。揺れの少ないロープウェイだった。
 真っ白なアルプス平を出発。いつぞのどこぞの山みたいだな、と思い当たる山行が2年生以上には皆あっただろうし、1年生にはそれにあたる思い出として記憶されるのだろう。少々急な登りが続くが、目指す小屋までは長いのでだれないように進む。リフトの終点を過ぎ、稜線に上がる地蔵の頭とアップダウンの少ない地蔵の沼の分岐、とりあえずまっすぐ登る方をとる。見返り坂を過ぎてベンチのある広場まで50分もなかったのだが、1年生2人はすでにきついようだった。「まさに360°の大展望」を謳う小遠見山でもまわりは真っ白。唐松から縦走して下りてきたというオバチャン二人は毎日雨風ガスで酷かったと一方的に自分の苦労を語って下りて行った。
 大遠見まではコースタイムが長すぎる。2本の予定を長めの1本で行ってしまった。しかしこの途中で飯田さんはかなりバテてしまっていた。貧血のような眩暈に吐き気や息切れがするとのこと。いくらロープウェイで一気に上がったからといって標高2000mもないところで高山病はないだろう、おそらくは前夜の寝不足が原因か。救急箱に貧血の薬があると古い資料に書いてあったと言うので見てみたが、やはりそのようなものはなかった。重い荷物を3年生たちが持ち、オーダを入れ替えて進む。たしかこの大遠見の少し先で、前述のサルの肝を見た。まず大きな赤い植物の実のようなものが3つか4つ、糞から取り出したようなすこし消化されかかったような見た目で落っこちているのに気づき、不審がって目線を上げたところ、三歩先にそれがあった。とても綺麗に落ちていて、隣に毛が一つまみ。まずはその内蔵から食いそうなものだが。これが食えれば鉄分の補給になるのになあ。残念ながらその写真を撮る勇気はなかった。
 たまにガスが薄くなるとすぐ近くに五竜の山肌が見えるようになってくる。ガスの向こうからいくらでも出てくる新たなピークにくじけそうになりながら、どうにか最後のピークを越えて小屋に到着した。テン場がほとんど残っておらず、私が宿帳を書いている間に男たちは一つだけあった平らな場所にゴアライトを早々と張ってしまって、エスパースの張りどころに困った。ソロテントなら張れるのか、いや張ることを想定した土地ではないのか、かなりの傾斜地に何とか設営。斜めに立っている上に、土地が岩と密度の低い土で出来ているのでペグも打ちづらく、風も強く、背が高くて耐風性に不安のあるエスパースにはやや怖い一夜となった。
 夜は藤井さんの焼きそば、銀鍋で6人前のそばと野菜を炒めるのは少々窮屈なようだった。食事しながらごちゃごちゃと話合た挙句、尾田さんと柳田さんがゴアで、それ以外がエスパースで寝ることになった。ツェルトも持っていたのだが荷物を出す場所もなし。皆ちゃんと寝られただろうか。強い風が吹いたり、それが止んだと思ったらぱらぱらと雨が降ったり、天気の悪い夜だったようだ。その割には寒くなく、シーツを入れフリースを着て寝たら十分過ぎるくらいに暖かかった。
 翌朝、テントをたたまずに5時に出発して五竜岳をピストンするつもりで3時半に起床。朝食は飯田さんのスープパスタ、このところ朝食にトマトスープパスタというのは定番になりつつあるようだ(私は雑炊か雑煮の派閥である)。スープ類にはパンがあるとなおよさそう。
 さて5時が迫ってくるが濃いガスは晴れない。それどころかガスはますます上がってきて、テン場でも数十メートル先が見えないくらいだったので、しばらく行動を延期し、エスパースだけ先にたたむことにする。5時半になっても晴れないが、体調が不安だから残って寝るという飯田さんと六人のメインザックをゴアライトに残し、五人は登りにかかる。初めの歩きやすい道が終わってだんだんとガレてくるあたりでうまいことガスが晴れ、目指す五竜や後ろの山荘、そして唐松や白馬の山々も見え始めた。時折左手が開けると鹿島槍も覗かれる。
 緊張する道を登っていって頂上、空は暗いが360度の素晴らしい展望だった。西に剣、立山、南には麗しの鹿島槍、その間には先週歩いた裏銀座やその周辺の山々が見える。水晶や鷲羽、赤牛、薬師など、更に槍穂もしっかりと見える、遠くに目立つのは笠なのだろうか。赤牛の稜線からわずかに頭だけ見えているのがゆかしき黒部五郎だ。そして振り返ると唐松から白馬に続く山々。黒部五郎から見えた後立山のピークはどうやら白馬三山だったらしい。
 当初の縦走計画で泊まるはずだった唐松山荘からいまゴアライトを残している五竜山荘、そしてこの五竜岳へと至る道は、いかに険しいところがあるといってもさほどダイナミックには見えない。しかしここから鹿島槍まで、八峰キレットを越えていく道はかなりアップダウンがあり、すぐそこに見えている出だしからして高度感があり、そして何よりも長い。冷池山荘や爺ヶ岳は鹿島槍の山を回り込んだ向こう側である。昨年の山行、晴れていても行けたかどうか。この先も自分ではキレット越えの計画は立てないだろう。
 それにしてもやはり鹿島槍はよき山だ。登ってみるとさほどの感動は無い狭い山頂だったが、あれが鹿島槍だとはっきりとわかる、そうして主張は強すぎない、よい形をしている。山行が良かったという思い出のせいもあるだろうが、そう気軽には登ってほしくない大切な山である。鹿島槍から見た五竜よりも五竜から見た鹿島槍の方が近くにでかでかと聳えているようだった。
 感慨深い展望だが列車の時刻もあるので山頂に別れを告げ、テン場に戻って撤収する。山荘出発は大遠見・小遠見間のコースタイムが長いことを考えれば12時半の列車にギリギリ間に合う時刻だった。
 一本目から藤井さんは膝がガクガクするといい飯田さんも足取りが重いようだった。一本目の休止で雨がぱらつき始める。何人かはここでカッパを着けて進む。大遠見の手前で向かいから女子校のクラブなのか女の子たちと先生が何人もやってきて、雨の中細い道で足止めを食った。大遠見で皆カッパとザックカバーを着けた。
 最後の登りを何とか頑張って小遠見山に着くころには雨が上がって日差しが出ていた。小遠見山からは鹿島槍、五竜、唐松、白馬といった後立山の稜線がよく見え、振り返ると白馬や神城の街が見えた。小遠見山には巻道もあったが下りでも寄り道して正解だったようだ。
 階段の多い道を下る。空が明るいので前日とはまるで違う道に見える。やはり同じ列車に乗りたいらしい男女パーティが我々を軽快に抜いていく。飯田さんは階段が辛そうだ。膝か足の裏が痛かったのか、或いは靴擦れでもあったか。行きで通った地蔵の頭は巻いてアップダウンの少ない沼のコースをとる。丈の長い草が多いがもう少し早ければ花がよく咲いていたのかもしれない。最後、歩いても1kmに見たない区間だが、リフトに乗りたいという飯田さんを尾田さんに付き添いをお願いしてリフトに乗せ、残る四人は手入れのされた花畑をリフトより早い猛ペースで下る。
 アルプス平駅でリフトの駅から登って来る二人を待ち、テレキャビンに乗車。係のお兄さんが、下で回収しますと言ってタオルのおしぼりを渡してくれた。また6人ですし詰めになる。これを下りたらまた駅まで20分早歩きするぞと脅しておく。
 とおみ駅に到着し、さて何かバスなどないものかと出口まで駆け降りると、何人か登山者が溜まっている。そしてそこには無料送迎バスの時刻表があった!
次のバスは1220発、素晴らしい。約5分後に出て丁度36分発の列車に間に合うのだ。皆救われた気持であった。
 神城からの列車は中々混雑していて、我々は座れたが駅を経るたびに登山客が増えていく。大学生が引率する小学生のキャンプ・イヴェントのような集団や地元の高校生たちも乗り込んできて、時間帯からすると都心の電車よりも混んでいたかもしれない。私は京都から4人で来て八峰を越えたという「おっちゃん」と山の話をしていた。
 松本で途中下車、翌日に燕への移動のある尾田さんはここで別れて特急に乗ることになった。五人は既に14時半だが昼飯を求めて駅前をぐるぐると彷徨い、結局駅向いの商業ビルの中の王将に入った。雷鳥の辞書にはサイゼリヤと王将の二つしか飯屋の名が無いのか。
 16時前の列車に乗って東京を目指す。柳田さんは私の隣でほとんど寝ていたが、毎度1年生女子二人と同じボックスに座った福田さんは何やら楽しげにずっとお話ししていた。なかなかやるもんだなあ。
 3回乗り換えて、立川に20時、新宿には20時半頃の到着であった。


□反省

・ロープウェイで高度をかせげるとはいえ、高低差もアップダウンも手ぬるくはない道であって、「誰でも来てください」と宣伝したのはメンバの油断を招いた可能性が高い。
・駅寝はテン泊や小屋泊の経験が少ないとやはり厳しいようだ。私自身も苦手だが体力に不安のある時には更に注意が必要だ。
・鹿島槍ピストンなどと違って歩く道の大半は縦走路から外れた尾根なので、展望や道の面白さが落ち、メンバの満足度は高くなかったかもしれない。
・「誰でも来て」と言っておきながら時間を気にして焦ってリードしているようではいけない。
・一年生2人に上級生男4人と余裕があったはずだが(じっさい荷運びに関しては余裕があったが)、行動全体としてあまり密でスムーズな動きにはならなかった気がする。連携や信頼がいまひとつ緊密でなかったか、あるいは(CLに限らず)リーダ性のあるメンバの不在か。
・救急箱には眩暈や吐き気に効く薬、貧血に効く薬もあるとよい。これらはそれほど稀な不調ではないと思う。

以下は1年生へのアドヴァイスを中心に
■装備
・服装;綿製品がよくないというのは常識である。Tシャツ、上シャツ、ズボンなどは綿混紡率の低いものを、特にTシャツは運動着になる化繊のものを着てこなくては、汗や雨などで濡れると動きづらいばかりか低体温症になる恐れがある。すなわち遭難や死に繋がる問題である。
・靴;きちんと締められているだろうか。購入した時に店員や上級生に締め方を教わっているだろうか。ベロをしまって足をしっかりホールドするように締め上げなくてはいけない。疲れや痛みが大きく違うだろうし、疲れて不用意に出した足が想定外に捻られたときに怪我をするリスクも変わってくる。
・ザック;パッキングには慣れも必要であるが、本を読むなどして勉強し、出来るだけ綺麗に背負えるように。薄く細く高くバランスよく積むこと。見た目の美しいものは正しい、すなわち疲れにくく安全なスタイルである。同様に、たくさんついている紐はどこに結ばれているのか何のためについているのか理解し、正しく締めなくてはならない。ひもは締めるための物であって、だらりとぶらさっがていていいものは無いはずだ。当然背負い方も重要である。どのように持ち上げ、どの順にベルトを締めて調整するのか、どの順に開放して下ろすのか、すべてに正しく美しい方法がある。
・食料;アメでもパンでも、小休止の度に何か口に入れて糖を補給した方がよい。どのようなものが適しているのか研究すること。水も、ミネラルウォータだけ持ってきても疲れた体に入らないことは明らかである。運動会に、或いはクラブ(サッカーでも吹奏楽でもよい)の練習や本番に、持って行く水筒には水を入れるだろうか。運動中は薄めのスポーツドリンクが良い。液体でも粉でも、市販のものでいくらでも対応できる。
・その他;カッパやシュラフやマットなど袋にしまわれているものは、山行前に家で一度展開し、故障が無いかチェックし、再びきちんとしまえるか練習するのが当然である。入っていた袋には戻せるはずだ。
■心構え
 体力や技術はすぐにつくものではないが、気合と根性はできるだけ入れておかねばならない。バテるなとか休むなということではなくて、小休止だと言った途端に道の真ん中に座り込むとか朝の作業中に何もせず立っているとかいうことは改善されねばならぬということだ。また自ら山に歩きに来ているのだから、「休憩ですか、やったー!」はちょっと恥ずかしい。遠足ではないのだ。もちろん山行数日前からの睡眠時間など体調管理にも当然気を付けねばならない。
 この夏山の思い出と反省を持って、今後もいろいろな山に参加してほしい。
 
  おはようございます。36期木下亮平です。
 夏の五竜岳の山行に参加してくれた二人の一年生、藤井さんと飯田さんが山行記を書いてくれましたので、そのままお送りします。2日間の日程を一日ずつ分担して書いてくれたようです。
 他の夏山の山行記(と山行記録)も楽しみにしています。(通例、オフィシャルな夏合宿の山行記が新歓パンフレットに載るのでしょう。)

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メンバによる記録

□1日目(8月19日) 藤井

五竜雑記

8月18日から前夜泊、一泊二日で五竜に行きました。当初の予定では唐松も一緒に登る予定でしたが、私ともうひとり一年がいることなどを考慮してくださり、難易度をさげてくれた山行となりました。今回の山行記では、私と飯田さんとで分担し、私は二日目の朝からの記録をかきます。

朝6時40分起床予定でしたが朝5時には完全に起きていました。はじめて駅寝というものを経験しました。尾田さんが「寝れた?」(関西弁のイントネーションで判断が遅れてしまったのですが)と気遣ってきいてくださったのですが、想像以上に寝られませんでした。でも他のみなさんはぐっすり寝ていたので、個人によるのだと思います。そして7時半に出発。その前に、無料のシャトルバスが出ているからそれに乗るか、歩いてテレキャビンの駅まで行くかという話になりました。結局リーダーの発表で、歩きで行くことになりました。私は荷物をもってみて歩き始めると意外に足腰に来るので驚きました。そして無事キャビンの駅につきました.チケットを買うときに、購買のおばさんがガスが出ちゃってると、おっしゃっていて私はなんのことか分からなかったのですがあとで霧のことだと分かりました。実際テレキャビンののぼった先が真っ白で見えなくて、なかなかお目にかかれないすごい光景だと思いました。8分のったあと、ついに駅につきました。あたり一面おどろくほど真っ白でした。たくさん花が咲いてるのですが、あまりよく見れませんでした。歩き始めて、最初の方は舗装された木の階段になっていたので歩きやすかったです。でもそのまま歩き続けるとだんだん道が自然とが一体化していきました。思っていたよりも荷物をもちながら歩くのがつらく、早くも疲れてきました。さっそくペースを落とさせてしまったのでとても申し訳なかったのですが、歩きやすくなりました。そしていざ最初の休憩となると、飲んだ水が美味しすぎて感動しました。霧はあいかわらずだったので、景色は最高!という訳ではなかったのですが、とても気持ちがよかったです。でも尾田さんと福田さんがまだ7分の1にいってないとおっしゃったので、すこしめげそうになりました。気をとりなおして歩き始めました。でもたいして持っていないはずなのですがやはり荷物が重く感じていました。そんなとき木下さんの指摘で、腰のひもと肩の上のひもをすこしきつくすると、肩への負担が一気にふっとんで楽になりました。さらに一瞥しただけで、ひもが裏返っていることを見抜いたのですごいと感動しました。歩いている間、霧であまり日がでていなかったので、登っているときは景色がみえなくて残念に感じていたけれど、今思うと気温がちょうどよくて歩きやすかったと思います。長く続く階段をみるとすこしうっと思いましたが柳田さんのアドバイスでゆっくり小股で歩くとだいぶ楽でした。実際前をあるいてらっしゃる先輩の歩きはとても軽快で一定のリズムでした。その間千里の道も一歩からということわざが頭の中で何度もなりました。小遠見山での休憩の間、CLの木下さんがしっかり地図を確認してくださるので安心でしたが、つぎはのぼりくだりのぼりのぼりです。と言われると、のぼりさらにのぼり?ってなりすこしきがひきしまりました。のぼりが続くと下りがとてもありがたくかんじます。その休憩中に出会ったお二人の婦人が、ちょうど私達は天候が悪かったがこれから登るならちょうど晴れるのでは、と励ましてくださったことに気をよくして、なんとかまた歩いた。途中飯田さんがすこしばててしまって、荷物を先輩方が分配してらっしゃった。手際が素早くて感嘆です。一瞬荷物を入れ替えます、と木下さんがおっしゃった時、テントを持つのが交代だと勘違いしてすこしあせりってしましました。まだまだ余裕がないので反省です。上級生になったら負担できるようがんばりたいと思います。そのあと長いこと歩いたあとの休憩の中で、福田さんがカタパンをくばってくださった。一見クッキーのようなお菓子でしたが、想像を絶する固さでした。もはやパンなのかわかりませんでした。普通に前歯ではかめないので、はじめにすこしなめてから奥歯でかじります。これはアゴの筋肉をきたえるのにいいのではないかと感じました、味もたぶん美味しかったです、ごちそうさまでした。あと柳田さんがぷりっつの麻婆豆腐味をくださいました。最近のお菓子の味はバラエティに富んでいると感動しました。疲れてあまり楽しむ余裕はなかったのですが、今振り返ると山中はなんか湖があったり、橋というほどではないですが小さい板があったり、どんどん景色が変わるのでおもしろかったです。何回かトトロを思い出しました。西遠見山を超えたあたりから、そろそろ終盤だという雰囲気がでていましたが、なかなか着きません。最後の一本のはずがすごい長いです。そんな中、途中木下さんがご機嫌がよろしくなったのかたびたび口笛をふかれていました。このように口笛がふけるくらいゆっくり歩くと疲れないのでよい、というアドバイスのようですが、正直そんな余裕はとてもありませんでした。その口笛の曲はウルトラマンで、私は知らなかったのですが3年の他の先輩はみなさん知ってらっしゃって、しばらくウルトラマントークでもりあがってらっしゃっいました。ウルトラマンの底力を感じました。逆にウルトラマンのかわりに女の子が見るアニメはなんだろう?という話をすると、プリキュアやドレミちゃんがあがりましたが、福田さん曰くぷりきゅあは男の子もみるそうです。ちなみに柳田さんは口笛ができないそうです。だんだん標高が高くなって、途中きりも晴れて五竜の山が一瞬見えたりしました.まだ雪が残っているところもあって、どこからか川の音も聞こえて、とにかく圧巻でした。北アルプスの山々はとてもきれいでした。柳田さんが尾田さんを被写体に写真をとってらっしゃったりしたのですが、とても絵になっていました。霧が晴れると、歩いて来た道が見えて、もうここまで歩いたのかとなんだかすこし嬉しくなりました。実際はまだまだここからも道は続きましたが、良い景色のおかげでなんとか歩こうと思えました。ようやく五竜山荘に着いた時、あまりの寒さにびっくりしました。先輩方は着いてすぐにテントの準備をされていて、その仕事の早さにも驚くと同時に、呆然と何もできずにたちつくしてしまったのが申し訳なかったです。山の上に、カラフルなテントがあってなんだかすごくかわいかったです。夕ご飯ははじめての食当で焼きそばを作りました。(木下さんがほとんどやってくださいました。)そしてできればこれに白飯もあったほうがよいというアドバイスをいただきました。炭水化物+炭水化物!?と衝撃を受けましたが次回から気をつけます。木下さんと福田さんはもうすぐ眠りにつかれましたが、私と飯田さんがまだ起きていると、柳田さんが日の入りがきれいだと教えにきてくれました。実際ちょうど沈む時で、たくさんの人がテントから出て眺めていました。そのあと明日の五竜に向けて早く寝ました。すべてが正しい記憶ではないとは思いますが、以上でひとまず私の雑記を終えて、飯田さんにバトンタッチしたいと思います。


□2日目(8月20日) 飯田

 登山初日の記述については藤井さんに任せ、私は二日目、20日について記述していきたい。
 朝は3時半にアラームで目覚めた。テントは初めてだったが駅寝に比べると大分快適で、よく眠れた。テントの立地が悪かったせいで枕元に置いていたものは全て足元へ移動してしまっているが仕方ない。
 朝ごはんの食当は私で、ショートパスタ入りのトマトスープを作った。玉ねぎをテント内で切っていたらテント内がタマネギ臭くなった上藤井さんの涙腺を刺激してしまったらしい。もう玉ねぎをテント内で切るのは止めよう…。
 前日に睡眠の重要さを痛感したので五竜岳登頂をパスしてゆっくりと休ませてもらい、おかげで体調はかなり回復した。風が冷たくはあるが気持ちの良い朝だ。ガスは晴れて見通しも良く、テン場から、昨日登ってきた、そしてこれから下っていく稜線を辿る。こうして見ると短い道のりに見えてしまう。テントを片付け、いよいよ出発…の前に、柳田さんからラーブ味のプリッツをいただいた。ラーブとは、タイのひき肉料理らしい。スパイシーで、異国の味がした。ピリッと気合が入る。
  五竜山荘を出発し少し登って白岳頂上へ。どうやら昨日は頂上を通過していなかったようだ。頂上というのは、例え通り過ぎるだけであってもやはりテンションが上がるものだ。そして、あとはひたすら下っていく。昨日の登りでは周りの景色まで見る余裕が無かったが、足下には高山植物、視線を上げれば山並み、そして遠くに見える山間の街が美しいことに気付く。心が洗われるようであった。
 しばしのなだらかな下りの後はクサリ場や急勾配が現れる。こういった場所にはまだ慣れておらず、特に下りはなかなかに怖い。亮平さんのアドバイスも受けつつ慎重に進むが、何度か転んでしまった。バランスを取る感覚が掴めていない。
 予報では午後からのはずであった雨が一本目の休止の途中からぱらぱらと降り始め、どうか強くなりませんように…と願いつつ先を急ぐ。大遠見の手前で、女子中学生か高校生か数十人とすれ違った。雨具や登山靴が自分とお揃いの人が何人かいる。若い女の子と持ち物が同じ、それだけで何となく嬉しいものだ。
 大遠見から中遠見を越え、小遠見までなんとか辿り着く。雨もすっかり上がり日差しが眩しいほどであった。往路で小遠見を通過した際はガスが酷く何も見えなかったが、今回は素晴らしい展望。南西には鹿島槍も望める。「360度の展望が楽しめます」という趣旨の看板は嘘ではなかった。
 小遠見を過ぎたらロープウェイまでもうすぐ、のはずであったがこの1時間が大変長く感じられた。靴擦れをおこし、足の指を痛めてしまったようだ。足取りも重くなる。帰宅して見ると爪がなかなかグロテスクなことになっていたので、対策せねばならない。
 ただ、足が痛いからといって、のんびりしていれば帰りの電車に間に合わない。それを逃すと帰宅が四時間も遅れるらしい。先輩方も励ましてくださるので、一歩一歩階段を下ってゆく。
結局、ロープウェイ乗り場まであと数百メートルの所から私はリフトを使わせてもらった。尾田さんも付き合わせてしまった。痛む親指と、自分の体力のなさが恨めしい…。とはいえ前日とは打って変わってガスは晴れており、リフトからの景色もなかなかに楽しめた。遠くから福田さんがこちらに手を振っている。私の後ろのリフトに乗っている尾田さんに向けたものだろう、仲が良いなあ。そう思っていたが、リフトを降りて尋ねてみた所、尾田さんは気付いていなかったらしい。気付いていた私が何かリアクションをすべきだったのだろうか…という罪悪感にひとり襲われた。
 急いでロープウェイに乗り込むと、ありがたいことにおしぼりをいただいた。暫しの休憩だが、電車の時間は差し迫っている。ロープウェイを降りてからも神城駅まで急がねばならない。猛ダッシュ、まではいかなくとも猛ウォークが必要らしい。猛ウォークに向けて足を引っ張るまいと気合を入れる。
 いざロープウェイを降り、急いで駅へ向かおうとすると、駅まで無料のシャトルバスがちょうど良いタイミングで出ているではないか。猛ウォークしなくて良い!助かった…。もし電車を逃していれば原因はのろのろ歩いていた私にあることは明白であったので、安堵感も人一倍大きい。山へ来たのに結局最後は文明の利器に助けられてしまう形となった。
無事電車に乗ることが出来た私たちはまた鈍行に長時間揺られて東京まで戻り、それはそれとして楽しいう旅だったのだが、ここでは割愛させていただく。