2015/8/31-9/2 魚沼駒ヶ岳・中ノ岳

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
魚沼駒ヶ岳・中ノ岳山行 確定計画書(8月29日)
作成 木下(亮)

□日程 8月30日(日)・31日‐9月2日・3日(木), 前泊・2泊3日・予備日1日
□山域 越後三山

□メンバ(計3名)
CL木下,SL松本,加藤


□集合
 8月30日
新宿駅(中央東口改札側の壁際)1410


□交通

■行き

 新宿(4番)1419→高崎(5番)→水上
→小出1926
  18きっぷ使用 一人当たり2370円
 小出駅前1935
→大湯温泉2002
  南越後観光バス 25分 390円
(大湯温泉銀泉荘泊)
 大湯温泉(交流センターユピオ)0715
→駒ノ湯温泉登山口
  奥只見タクシー 10分? 1500円?
  025-792-4141 「ユピオ前・朝7時15分・3人」で予約済み
  ユピオは宿からやや遠いので時間・場所とも後で変更の可能性あり

■帰り

・十字峡からのタクシーを予約できる場合
 十字峡登山センター
→六日町駅
  タクシー 30分? 6000円?
 十字峡登山センター
→しゃくなげ湖観光センター又は野中
  タクシー 20分? 2000円~2500円?
  美咲タクシー 0120-73-2348 025-772-3472
  銀嶺タクシー 0120-40-2440 025-772-2440
 ただし十字峡登山センターからは電話が通じない模様、中ノ岳山頂(又は下山路上)での予約が必要(どこからも電話が通じない可能性もあり)

・野中バス停から
 野中0945/1125/1330/1525/1620/1710/1820
→六日町駅1012/1152/1357/1552/1647/1737/1847
  南越後観光バス 27分 400円
 六日町1127//1445//1727
→新宿1557/1906/2146
  学割2930円 18きっぷ使用なら1人あたり2370円
 六日町1038~2053
→越後湯沢→大宮
→新宿1243~2331
   新幹線利用 ほぼ毎時一本以上の窓
  学割2930円+自由席2590円/指定席2910円

・予備ルート使用時
 銀山平(1202/1617/1727)
→浦佐(1305/1720/1830)
  南越後観光バス 800円
 浦佐(1343//1727)→大宮
→新宿(1544//1920//2118) 新幹線利用
  学割3200円+自由席2590円/指定席2910円
 浦佐(1434//1716)
→新宿(1906/2146) 鈍行 (1202のバスがマストです)
  学割3200円 18きっぷ使用なら1人あたり2370円


□行程

31日
 登山口0725・0740
→小倉山1110
→駒ノ小屋1340
 [歩行計6時間]

1日
 駒ノ小屋0430
→駒ケ岳0500・0530
→中ノ岳避難小屋1105
→中ノ岳1115・1145
→中ノ岳避難小屋1155
 [歩行計6時間25分]
 参考:中ノ岳避難小屋から御月山方面「祓川」水場まで、行き1時間20分・帰り1時間40分 水量等詳細不明

2日
 中ノ岳避難小屋0500
→中ノ岳0510・0530
→池ノ段0550
→日向山0750
→十字峡登山センター1110
→野中バス停1300
 [歩行計7時間40分]
十字峡からの中へのダム沿いの道は、山と高原地図の赤ラインは左岸を通っているが土砂崩れで通行不可、右岸を通る。

予備ルート
 駒ノ小屋0430
→駒ケ岳0500・0530
→駒ノ小屋0550・0600
→小倉山0740
→道行山0850
→明神峠1000
→銀山平バス停1210
道行山から東へ急坂のルートなら
 道行山0850
→銀山平バス停1130
※予備ルートは
 ・31日朝に雨強く大湯温泉で停滞(連泊)し1日から登山する場合(在京責任者に連絡)
 ・1日に駒ノ小屋で停滞し、2日以降天気や元気をみて縦走を断念するがエスケープではなく、かつ在京責任者に電話が繋がる場合
 に使用します。


□エスケープ
駒ノ小屋→駒ノ湯へ引き返す
中ノ岳避難小屋→十字峡へ進む
・2つの避難小屋の中点は天狗平・檜廊下間
・駒ノ湯と十字峡の中点は檜廊下・四合目間
銀山平方面下山時→そのまま下りる


□宿・山小屋の連絡先・料金・設備等
■銀泉荘
 025-795-2700
 1泊2食 7000円+消費税+入湯税
 3人2部屋なので1人部屋の分割増があるかもしれない
■駒ノ小屋
  テン泊500円・小屋泊2000円(ただし協力金に近い)
  管理人は不定期、9月平日なのでいないかもしれない
  小屋前の水場は8月中に枯れそうだが小屋から急坂5分のところに水場あり、ただし水量は多くない
  トイレが小屋内にあるらしい
  毛布あり
■中ノ岳避難小屋
  宿泊協力金
  天水タンクあり
  トイレが小屋内にあるらしい
  往復3時間祓川水場は美味いらしいが水は未確認
 いずれも水はあり調理には困らないと思いますがあまり生のまま行動水にはしたくないので、出来るだけ水を担いで登ってください。


□風呂
■大湯温泉
 交流センターユピオ
  1000-1800 500円 火曜(9/1)定休
  025-795-2003
■駒ノ湯温泉
 駒の湯山荘
  0800-1600 500円
  090-2560-0305
■銀山平温泉
 白銀の湯
  1000-1900 650円
  025-795-2611
 かもしかの湯
  1000-1800 500円
  025-795-2448
■三国川ダム
 ダム直下に露天風呂
  200円 詳細不明
■六日町温泉
 湯らりあ
  1000-2130 400円
  025-770-0215

□地図
■2万5千図 「八海山」「兎岳」「奥只見湖」
■山と高原地図 「15越後三山」

□日没日出
9/3日没(新潟):1812
9/4日出(新潟):0515

□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:新潟;837kHz,六日町;1323kHz,小出;1368kHz
■NHKラジオ第二:新潟;1593kHz
■NHK FM:新潟;82.3MHz

□警察署電話番号
 新潟県警小出警察署  025-793-0110 (始点・東側)
     南魚沼警察署 025-770-0110 (西側・終点)

魚沼駒ヶ岳山行記録
 木下(亮) 9月8日作成

□日程 8月30日(日)-9月2日(水)
□山域 越後三山
□メンバ(計3名)
CL木下,SL松本,加藤

□計画
1日
 駒ノ湯登山口0725・0740
→小倉山1110
→駒ノ小屋1340
 [歩行計6時間]
2日
 駒ノ小屋0430
→駒ケ岳0500・0530
→駒ノ小屋0550・0600
→小倉山0740
→道行山0850
→明神峠1000
→銀山平バス停1210
 [歩行計7時間]
道行山から東へ急坂のルートなら
 道行山0850
→銀山平バス停1130
 [歩行計6時間20分]

□行程
1日
 駒ノ湯登山口0525・0548
→550m?0630・0646
→800-850m?0729・0742
→1026m?0833・0848
→小倉山0946・1005
→百草ノ池1051・1110
→前駒1145・1202
→駒ノ小屋1226
オーダ:松本‐加藤‐木下
2日
 駒ノ小屋0436
→駒ケ岳0451・0510
→駒ノ小屋0530・0554
→百草ノ池0635・0647
→小倉山分岐(0715)
→1241mの手前下りの1240m?0737・0748
→道行山分岐0800・0801
→道行山0802・0805
→道行山分岐0806・0816
→明神峠三角点0859・0913
→五合目(1054)
→三合目1014・1020
→銀の道終点・石抱橋1035
オーダ:木下‐加藤‐松本

□天候と判断
 出発前や30日夜の予報では連日曇一時雨や曇のち雨(予報日によっては2日や3日は曇)だったが、メンバの予定や希望、そしてもし山に行けずに温泉旅行になってもよいだろうという私の判断で予定通り30日に現地入りした。
 31日朝のアメッシュ予報で中越南部には夕方までずっと雨雲がかかるとのことだったので31日の予定通りの出発は中止し、その後も天候は回復しないようだったので当日中の行動はキャンセルした。実際にその日宿の周辺にいた限りでは雨は短い時間に強まったり弱まったりを繰り返しながら一日降り続いたので、この判断は適切であったと考える。
 続いて、山行を中止して帰京するか連泊して短縮ルートを歩くかの判断をせねばならなかった。連泊しても天候が変わらず或いは悪化して登山できない可能性は十分にあったので、連泊してそのまま帰ることになっても後悔せぬなら連泊、もし山に行かず旅行をするだけでは後悔するのであればそのようなパーティで山に行っても楽しくなかろうから帰ろうと選択肢を提示したのだが、なかなか決まらず、しかし何としても山には行きたいというメンバ2人の圧力で連泊を決めた。翌日は昼ごろから雨の予報だったので当初予定よりも早く出発するつもりで支度することにした。
 1日朝の予報では雨が早まって昼前から小雨の模様、中止にしてもよかったが、前日よりはよくなっていること、縦走でなく1泊に変更していること、どうしても山に行きたそうな2人の雰囲気などにより出発を決めた。
 1日は百草ノ池あたりから雨が降り出したがさほど強くなく、雨じたいは危険なほどではなかった。ただし前駒前後から稜線に出ると風が強く、体感温度も下がった。風が強いのと疲労とで当日中の登頂はしなかったが、小屋前からはかなりよい展望が得られた。
 夜の間も雨風があり、2日朝は風の中登頂した。雲が厚く遠くまでの展望は得られなかった。小屋からの下山中は時折小雨があり、雲も下りてきて道行山は真白のガスの中だった。下山完了し風呂から上がってバス停までの30分は弱くない雨、バスに揺られて浦佐駅では一時的に雨はあったがずっと日差しが出ていた。

□ルート状況
■小出駅~大湯温泉~駒ノ湯
 乗車するつもりだった19時35分発のバスは日曜祝日は運休、全く気にしていなかったが30日は日曜だった。タクシーだと20分程度で4000円強。小出駅前には店は少なく、川を渡った商店街にはスーパ・マーケットや薬局などが、メインの商店街から一つ南に外れた商店街には食堂が数軒ある。コンビニは大湯方面にバスで数駅移動しないとない。大湯温泉には宿が多いがスキーシーズンでないとほとんど客がいない。今回の銀泉荘は素泊まり4000円、朝食付き5000円、2食付7000円からで、調べた限りでは他の宿はもっと高い。朝食抜きなら500円引き、或いは頼めば朝食をおにぎりにしてくれるとのこと。駒ノ湯の登山口まではタクシーで約10分、1500円強。
■駒ノ湯~小倉山
 駒ノ湯へ渡る橋を右に見て数十メートル先で舗装道が終わる。続く林道は左へカーブしていて、真直ぐ続く細い道が登山道だ。吊橋を渡り登りにかかる。小倉山まではきつい急登が続く。山と高原地図にはクサリ3箇所と書かれているが、実際には1つだけだった。クサリはてっぺんが留まっているだけで垂れ下がっていて、岩が雨でぬれていたこともあって少し怖い。この山域ではどこでもそうだろうが、この区間は木が多いこともあって虫が多い。ハチやハエの類や、クモ、奇妙な形のものもいた。
■小倉山~駒ノ小屋
 百草ノ池まではダラダラとした道が続き却ってしんどい。「百草ノ池」の標柱からは池は見えず、数十メートル先から左手に見える。湿地内立ち入り禁止とのこと。少し登って視界が開けたところが前駒なのだろうが、標柱は無く地形も目立たない。道は小ピークを巻いている。ここから先岩場が続くので注意を要す。稜線の上に細い鉄塔が立って羽根のない風力計がついているのがずっと見えているが、そこが小屋である。最後まで急登なので小屋の姿は見えないが、水場が枯れていなければ道に水が流れてくるのですぐ近くに小屋があることがわかる。
 小屋からは山を背にした東半分の展望が開けている。残雪が消えて以降の水場への道は確認しなかった。小屋の裏が少し整地されて闇テン場になっており2張か3張は張れそうだった。小屋前の広場の脇にも張れるのだろうか。小屋は二重扉の二階建て。登山者名簿に名前を書いて宿泊費2000円を入れる。管理人部屋には「ちょっと出かけています」と「気象通報を聞いています」の札しかなく、「ちょっと出かけて」いることになっていたが、結局誰も来なかった。ハンガや毛布や銀マット、サンダル、更には季刊雑誌「山の本」の最新号もあった。バッチと缶ビールの値札が出ていたが品物は見当たらず残念。トイレは広く、男子小便用と洋式とがある。洋式の穴は前後に仕切られて小便のスペースと大便と紙のスペースになっており、後のおがくずの中に用を済ました後、隣の自転車をこいでおがくずを攪拌することでバクテリアによる分解を促進する仕組み。小屋前の水場は残雪が消えるまで出ている。朝は気温が低いので出が悪いが昼間は勢いよく出ていた。
■駒ノ小屋~駒ケ岳
 ちょっとした岩場のある坂を登ると稜線に出る。右の丸いピークが駒ケ岳で、すぐに着く。すぐ西に八海山が見えるが、中ノ岳からの稜線と八海山とで、南西側の展望は広くない。北西側には街が見える。
■小倉山~明神峠
 小倉山の直下が分岐で石の指導盤が埋まっている。暫くは駒ヶ岳の展望がよい。道行山は途中の分岐からすぐ、道は草木が濃いが何もない狭い頂上からは周囲が開けている。アップダウンしながらほとんど高度を下げずに明神峠へ。標柱のあるのは本来の峠ではなくピークの上である。今回はルート上どこでもヘビをたくさん見たが、特にこの区間に多かったように思う。もちろんトカゲの類やカエルもたくさんいた。
■明神峠~石抱橋
 標柱のピークを下ると枝折大明神のある峠(地形は鞍部ではない)、ここが十合目で、左に大湯への道を分け、少し進んで真直ぐ尾根を行くのが枝折峠への道、右に分岐して下るのが銀山平への道である。そもそも数が多くない登山者の大半は枝折峠から歩くようで、銀の道は殆ど歩かれていないらしい。細い道を行くが、倒木が邪魔をしたり、雨の流れで道が細く深くなって平均台のように足を縦に並べないと歩けなかったり、楽しいがなかなか厄介な道である。「九合目
問屋場」「八合目 水場」というように順に白い標柱が立っていたり倒れていたりする(四合目だけ未発見)が、あまり等間隔ではない。山と高原地図に記載のある五合目「松尾根」はさほど広くなく休憩には適さない。三合目「オリソ」で林道と交際し、左にずれたところから山道が再開する。北ノ又川を渡る右手の橋が石抱橋だ。
■石抱橋~白銀の湯~銀山平
 橋を渡って「白銀の湯」の看板に従い右に800m行くとログハウスがいくつか立ち並ぶ区画に出る。左手一番手前の大きいのが白銀の湯だ。来た道を引返し、石抱橋を渡らずに何もない道を真直ぐ進み続ける(下山して橋を渡ったら白銀の湯と反対の左側に進む)と、右に荒沢岳の登山口、左に浦佐の街へ続く橋とトンネル、そしてようやくまとまった建物が見えてきて左側が船着き場とバス停になる。白銀の湯から早足で30分ほどだ。
■銀山平~浦佐駅
 バスは空いているが(空いているから?)荷物代100円を取られる。浦佐駅前にはセブンイレブンがあり角栄さんも立っているが食堂は少ない。少々物価が高いが「ファミリーダイニング」に入るしかないだろう。
■ほかのルート
・車やタクシーなどアクセスさえ確保できれば枝折峠からの道が最も楽で、短く、歩かれている。
・大湯からの銀の道は銀山平への道と同程度以上に歩かれていないだろう。
・西側の水無側(越後三山森林公園キャンプ場など)からの道は駒ノ湯から以上にきつそうだが、2011年の豪雨以降この登山道や川沿いの林道が復旧しているのか怪しい。
・道行山から南東への急坂ルートは、下りた先の北ノ又林道が復旧しておらず通行できないと道行山分岐に張り紙があった。
・駒ケ岳から中ノ岳への縦走路の様子は不明だが最近歩いている人もいるだろう。
・中ノ岳から十字峡への道は長く急で、豪雨以降さらに歩きづらくなっているのかもしれない。十字峡から野中へのダム周りの車道は計画書に記載した通り右岸のみ通行できるとのこと。

□雑感
 天候が不安だったが、メンバともいろいろと相談をし、このメンバだったら旅行になっても楽しいだろうなと、予定通りに出発した。高崎までは座れず、二回乗り換えて小出へ。駅寝が出来るものか否かはわからなかった。すっかり考慮の外にあったのだがこの日は日曜日で目当てのバスが無く、タクシーで大湯に到着、少々痛い出費になってしまった。
 8時頃に宿に着いてまずは夕食を。一番安いプランだったが魚に肉に山菜にたっぷりのご飯と十分な内容だった。温泉はミネラルが溶けた薄い塩水という感じのアルカリ性。緊張と興奮と雨の音と布団が薄いのとで寝づらかった。
 翌朝、前述のような予報だったので、朝食の間相談し、行きたそうな残念そうな顔をする二人を見ぬようにしながらタクシーのキャンセルの電話を入れる。さて連泊か帰るかという話になった。二人は何としても行きたいようなのだが、私はパーティを安全に帰すことが使命なのだからその保証はできない。山に行かなければ満足できないのならば、そんなパーティで山に行っても楽しくも安全でもないから行くべきでない、とも提言したのだが、却って判断に困ったか。雨なら尾瀬にピクニックに行くという話も出たがさすがにリスクが大きいので却下。全然話が進まないがチェックアウト時刻を回ってしまったので、最後「私は明日九割九分山に行きますよ」という加藤さんの(唯一に近い)一言で連泊を決定。今度は素泊まりにした。しかし彼女は「放っておいてください」と部屋に引きこもってしまわれた。
 いや確かにそれは当然である。見知らぬ土地の見知らぬ宿で、街には他に人がほとんどおらず、雨の中、男二人に気を遣って暮らすのは、それは大変だろう。そんなことにも気が回らなかった。旅行になっても満足だとか、山に行かねば不満ならば帰ろうとか、そんな身勝手なことを言えたのは私だけだったのだ。私にとって満足なパーティが必ずメンバ全員にとって満足であるはずはない。自己の幸せを他人に強要してはいけない。例えば誰にとっても同期か同性が必ずいるというようなことは必要条件ではなかろうか。
 私は散歩をしたり昼寝をしたり松本さんと近くの食堂にうどんを食いに行ったりしてすごし、昼も食べなかったという加藤さんになんとか天岩戸からお出ましいただいて、三人で小出駅前に夕飯に出かけた。外れの商店街の食堂で定食を食い、大通りのスーパで夜のおやつや翌朝のおにぎりを買い出して、例の19時35分発で宿に戻った。
 朝、諸の税を入れて1万2千円強の宿代を支払って5時15分に宿前に予約してあったタクシーに乗り込む。細い道を進んですぐに登山口に到着。買い出してあったおにぎりを押し込むが、夜中1時が消費期限だったために冷蔵庫に入れていたせいもあって固くポソポソだった。5個のうち4個はツナだったので、私はまずいツナおにぎりを2個食う事になった。
 あまり歩かれていないらしい道はきつい登りで、水5Lを背負っていることもあってそのうちにバテそうな予感がする。きついきついと言いながらこまめに休みつつ登る。ヘンなおにぎりが悪かったか、皆食料もあまり喉を通らないようだった。加藤さんは荷物が相当重かったようだ。私は再分配しましょうと言ったのだが、クサリ場の前で松本さんにストーヴとガス缶を渡したきりで、僕に水2Lを持たせてくれたのは百草ノ池だった。多少協装の配分を少なくしたといっても、予備食しか持っていない私やいくらか宿に放棄してきた松本さんと違って加藤さんは食料をフルで担いでいたわけだし、水は殆どひとしく5L担いでいたので、いくらなんでも荷の分配が酷かった。今回は全く姉さんに迷惑をかけっぱなしである。つくづく人を幸せには出来ぬなと思う。
 風の中岩場を登り、最後の最後まで姿の見えなかった小屋に到着。まだ水場は枯れていなかった。小屋のすぐ上、駒ケ岳との間に見える小さな残雪が水源だろう。雨もだいぶ混じっているはずだが美味い水だった。丈夫で綺麗な小屋には他に人はいなかった。汗と雨とでびしょ濡れの体で寒く疲れてしまったので駒ケ岳往復はせず、着替えて休憩。まずは松本さんが担いできて無用になってしまったインスタントのフォーを食べて体を温める。その後二人は昼寝をしていたが私は外のハシゴで二階の冬季入口に登って、他に誰もいない山に歌っていた。
 起きてきた二人も外に出て景色を眺める。風は変わらないものの夕方に少し日差しが出て、気温も寒くはないようだった。松本さんは怖い怖いと言いながら僕のところに上ってきた。加藤さんは2階の窓から顔を出す。
 夕は加藤さんが担いでくれたマーボ春雨にクラムチャウダ。今回は成人山行なので、全て済ましてから例によって辛い汁を吸う。13度と15度と品を変えて。湯煎して燗にしたのだが、揮発したアルコールが鼻を突いて私にはきつかった。エタノールが口中を通過する感覚も好きでない。松本さんもあまり飲めぬとは知らなかった。昼寝をしなかったためか私はとっとと寝てしまったが、二人は涼みに外で月見酒をしていたとかいなかったとか。
 朝も姉さんの焼きそばにわかめスープ。やや風があるが暗いうちに駒ケ岳に登る。可愛らしい良い頂上である。街の夜景がよく見えたが雲が多く展望はあまり利かなかった。風が強く寒いので日の出前に下りはじめる。雲に隠れて太陽の完全な形は認められなかったが、朝日に照らされた山肌が美しい。
 小屋に戻って掃除をし、ザックを担いで下山にかかる。荷はだいぶ軽くなっているはずだが前日の疲れもあるのか、無人の山に姉さんの声が何度か響き渡った。しかし僕に手を差し伸べられても屈辱だろうとも思い、立ち上がるのを待つしかない。
 小倉山を過ぎて、2組の2人パーティとすれ違った。もの好きな人もいるものだ。お互いにほとんど人に会っていないから、挨拶だけではすまず二言三言会話になる。
 道行山は真白で展望なし。急坂ルートを下れれば昼のバスに余裕で間に合うのだが通れないとのことで、銀の道ルートにする。銀の道は歩かれておらず独特な雰囲気で、夏休みの山の企画というよりは山村の廃れた峠道を歩く企画(まさにその通りだが)とか低山のロングトレイル企画(私の得意分野だ)とかのような趣があって楽しい。そもそもこの山は麓の村々との精神的な距離が近いようで、古くから農業や観光業のバックグラウンドとして文化的に密着してきた、地元に愛される山のようだと、大湯での余計な一日の間に感じていた。つまり里山や低山と同じような在り方をしているのだ。
 車道(352号線)を通すために山肌を固めたコンクリートの頂点を通ったり、倒木を持ち上げてくぐったり、探検隊のようである。林道にでると建物(じつは白銀の湯の界隈である)が見えるが山道に戻るとそれを通り過ぎて東に進んでいく。平坦な道を行くと銀の道の案内板があり、更に出口に開高健「河は眠らない」の大きな石碑と釣り場の管理小屋がある。川近くの木にサルが登っていて、小屋から白犬が吠えていた。橋にいたオジサンに声をかけると小屋の管理人だそうで、暇だからサルを追い返したり見物したりしているとのこと。銀山平までは遠いぞと心配してくれたが、とりあえず白銀の湯に向かうため橋を渡って西に戻る。ポツポツ雨が降ってくる。
 白銀の湯は新しく立派な施設だがお客がほとんど来ないらしい。30分弱で入浴を切り上げて慌ただしくバス停へ。すでに本降りになっていた。何もない車道を雨の中30分歩くのは苦しい。なんとかバスの数分前に到着した。
 バスは冷房が少しきつかったがほとんど客はおらず、加藤さんはウトウト、松本さんは本を開いて勉強していた。ザックが倒れぬように握りしめて寝にくそうにしている加藤さんに、持っておくから離していいですよと声をかけるもやはり聞き入れてもらえず。
 浦佐駅到着時は晴れ。少し高そうだが他にはラーメン屋くらいしかないので駅前のファミレスで昼をとる。隣のセブンイレブンで列車の旅の友を買い出し、出るとお天気雨だったがすぐに止んだ。駅前の角栄さんの像に挨拶に行く。実は私は角栄さんと同じ誕生日、松本さんは角栄さんの命日が誕生日と、縁があるのだ。
 18きっぷは松本さんの一枚しかなかったが大人しく鈍行で帰る。14時34分の列車に乗り二回乗り継いで、時刻表では池袋に19時丁度、新宿に19時6分の到着だった。

□反省
・荷の分配は油断せず慎重に行うべし
・パーティのメンバ構成には、特に宿泊山行や下界での宿泊または停滞を考慮すべき山行では、十分注意すべし。どのメンバにも同期又は同性のメンバがいることは必要条件であろう。
・山に行けなくても満足、と思えるパーティが理想である。山に登ることじたいは本質ではない。最大限楽しく、最大限幸福な選択を、常に安全側になるように注意しながら判断すべし。
・計画書の情報に注意し、どう転んでも不足しないだけの資金を用意すべし。
・道路状況や交通機関の運行情報に注意すべし。

 結果から振り返れば、初めから1日遅らせておけばよかったのだが、事前の天気予報ではどの日が一番安全なのか決めがたかった(2日と3日はましなようだったが)。しかし余計に1日滞在したことで、24時間と5千円の代わりに勉強したことや考えたことは多い。山と地域との結びつき、温泉場の歴史と文化と現状、そして山を企画することの難しさ。パーティの最大幸福はなにか。独りよがりではいけない。信頼の上にあぐらをかいてはいけない。油断してはいけない。
 魚沼駒は、佳い山である。

 手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ