2015/9/15 曽爾高原
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
曽爾高原ハイク 確定計画書(9月12日)
作成 木下(亮)
□日程 9月15日(火)
□山域 曽爾高原
□在京本部設置要請日時 2015/9/15 1900
□捜索要請日時 2015/9/16 1000
□メンバ(計2名)
CL木下(亮) SL平岩
□集合
9月15日 名張駅前(名張駅西口)バス停 0800
当日朝夜行バス着ではやや危険なので前日までに奈良周辺に入っていることが望ましいです。
□交通
便宜上大和八木を起終点として記載しますが登山点の下車までと下山点の乗車からは自由です。
■行き
大和八木0707→名張0743 (準急名張行き)
大和八木0724→名張0756 (急行青山町行き)
近鉄 560円
名張駅前(名張駅西口)0805→槻ノ木橋0830
三重交通(山粕西行き) 700円
■帰り
曽爾村役場前1303/1618→榛原駅1358/1713
奈良交通 1030円
榛原→大和八木 13~20分 毎時約7本
近鉄 350円
又は
曽爾村役場前1114/1414/1659→名張駅前(名張駅西口)1158/1458/1743
三重交通 840円
名張→大和八木 28~38分 毎時約3本
近鉄 560円
短縮時は
田良路1121/1421/1706→名張駅前(名張駅西口)1158/1458/1743
三重交通 760円
名張→大和八木 28~38分 毎時約3本
近鉄 560円
□行程
槻ノ木橋0845
→俱留尊山1035・1100
→亀山峠1135
→古光山1320・1345
→曽爾村役場前1525
※俱留尊山は私有地につき入山料500円が必要
短縮時は
亀山峠1135
→太良路1255
太良路方面に下ると温泉「お亀の湯」があります。
亀山から先古光山前後の道が厄介そうであることや「曽爾高原」として栄えているのが亀山峠から太良路への下山路沿いであることも踏まえ、天候や気温、疲労状態、道の状態、時刻などをみて、エスケープでなくても短縮して太良路へ下ることがあり得ます。
□エスケープ
俱留尊山まで:引き返す
後古光山まで:亀山峠から曽爾高原駐車場方面へ
後古光山から:役場前に進む
□地図
■2万5千図 「俱留尊山」
■山と高原地図 「51大台ケ原」
□遭難対策費
100円/人*2人
計200円
□日没日出
9/15日没(津) :1802
9/16日出(奈良):0540
□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:大阪;666kHz
■NHKラジオ第二:大阪;828kHz
■NHK FM:大阪;88.1MHz,奈良;87.4MHz,名張;84.4MHz
□警察署電話番号
奈良県警桜井警察署 0744-46-0110
同 宇陀警察庁舎 0745-82-0110
三重県警津南警察署 059-254-0110(俱留尊山の東側のみ)
こんばんは、36期木下亮平です。
先日の曽爾高原の記録などを3本立てでお送りします。
曽爾高原は朝からアクシデントはありましたが実に気持ちの良いハイキングでした。皆様にも是非訪れてほしいと思います。
たまには遠征もよいものです。特に低山を歩きに遠征するというのはなかなか出来ないことですが、十分に価値のあることだと思います。
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山行記録について思うこと
9月26日記
雷鳥では山行を実施するとリーダが山行記録を作成し公開することになっている(雷鳥ウェブページを見ると「リーダーは山行記録をMLに流し、山行記をメンバーの一人が書いて流す。記録・山行記は印刷して部室のファイルに保存する」となっており、もとは山行記も毎度書くことになっていたようである)が、山行記録にはどのような意義があるのか。
例えば、
1.(全てのメンバが一つの山行に参加すべきであるという前提に立って)山行のありようや雰囲気を全メンバで共有するため
2.反省点、気づいたこと、装備の不備、メンバの技術や体力などの状況に次回以降の山行で注意するため
3.毎回記録を付けることで、仮に事故があっても特別な手続きを介せずに基本的な記録をのこすため
4.これまで雷鳥を作ってこられた先輩方やこれから受け継いでいく未来のメンバ達、応援してもらっている外部の方に活動を報告するため
5.組織として歴史をきちんと積んでいくため
6.今後同じ山や近くの山に入ろうとするメンバにとって有益な情報をのこすため
などであろうか。
私は実用的には1と6が、組織の運営としては5が特に重要であると思う。そのためにはやはり、記憶の新しいうちに正確で有益な情報を整理して、情報源として読みやすくかつ活動記録としても面白いものを、出来るだけ素早く書き上げねばならないだろう。理想的には次の山行が始まる前に情報を共有したいところである。
さて私自身の記録がその理想に適っているかといえば、自信を持ってイエスとは言えない。今回の記録も山行からもう2週間近く経ってしまったし、過去の自分の記録をしばらくしてから読み返して冗長な文章や情報のまとまりのなさに嫌になることはしょっちゅうである。だから毎度、少しでも良い記録になるように、インターネットに公開されても恥ずかしくないように、少しずつ工夫はしているつもりである。
私たち2年生は雷鳥の執行学年であって、山行主催回数が多く、その山行に次代を担う1年生や山行未経験者が参加することも多いから、その記録は共有情報としても活動記録としても特に重要である。しかも暇な時間を比較的多く持っているはずである。だから自分の主催する次の山行に出発するまでには、充実した記録を書き上げて公開しようと努めるべきではないか。また上級生や院生の方はお忙しいのであろうが、雷鳥の山行として実施している限りはやはりある程度のものをある程度の時間で作成されたいと思う。
部会がある学期中には、出発直前の打ち合わせだけでなく山行直後の簡単な反省会や報告会を開いて全体で情報を共有することも手であろう。例えばこの夏にはツェルトに細引きが付属していないということに一部のメンバは気がつきながら次に同じツェルトを使うメンバに伝達されないという事態が起きていた。これは夏休みにかかる期間であったのでそもそも通常の部会はなかったのだが、このくらいのシンプルでかつ致命的な情報はもっとインスタントに共有されねばなるまい。もちろん対面で情報を交換するには毎週の部会や装備会などに殆どの人が参加するという事が前提であるし、この例のような長期休暇中の情報共有方法は別に考えねばならない。部会参加はもちろん強制ではないが現役生は基本的には顔を出すべきだと思うし、休暇中も毎週又は隔週で任意参加の部会を開催するのも手ではないかと考えている。
またまとまりのない文章を書いてしまいましたが、雷鳥ウェブページの「山行記録」欄に計画書ばかりが並んでいるのが何とも淋しく。また、たまたま川名さんの記録連投に重なってしまい申し訳ありませんが、作文の構想は9月半ばから持っていたものです。
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曽爾高原ハイク(俱留尊山)山行記録
木下
□日程 9月15日(火)
□山域 曽爾高原
□メンバ(計2名)
CL木下(亮) SL平岩
□計画
槻ノ木橋0845
→俱留尊山1035・1100
→亀山峠1135
→古光山1320・1345
→曽爾村役場前1525
短縮時は
亀山峠1135
→太良路1255
□行程
槻ノ木橋1041・1050
→分岐1130
→倶留尊石仏
→分岐1138・1145
→林道終点1205・1207
→倶留尊山1231・1245?
→二本ボソ・二本ボソ小屋1301・1316
→亀山峠
→亀山1342・1358
→お亀池~曽爾高原
→お亀の湯1455?・1615
→太良路1640?
□ルート状況
■名張駅
東西どちら側にもコンビニあり。構内のトイレは東口側。西口名張駅前のバス待合所で名張発のバスの切符を売っていて、バスは小銭でも切符でも払える。
■槻木橋~分岐
バス停を下りて橋を渡ると東屋とトイレがある。
延々と林道が続く。途中に「倶留尊山荘」という丸太の小屋があるが鍵がかかっていて人の気配はない。営林小屋のようなものだろう。ひたすら進むと、山と高原地図にはないが地形図に見られるように南側からの道と合流する分岐になっている。
■倶留尊石仏
分岐の指導標では0.1kmとなっているが鳥居をくぐり石畳ふうの坂を登って小屋までは200m近くあるだろう。小屋は開くが中は何もなし。「倶留尊大権現」とも言われる石仏はどれのことなのか。
■分岐~林道終点
引き続き林道が続く。終点には廃れたプレハブ小屋があり入山料徴収の看板が立っている。地主さんの物であろう車も止まっていた。
■林道終点~稜線上
林道終点の広場の左の方、看板の裏からトロッコ(農作業用のモノレール)が伸びていて、地面に名刺大の小ささの「倶留尊山ルート↑」の指導標が刺さっている。これは間隔をあけて続いているので見落とさぬように。
モノレール沿いを登るが微かな踏み跡のほかは道がほとんどなく、急登で、スカスカの崩れやすい土に小石が乗っかっているので、踏ん張ろうとすると足元が崩れたり石を落したり、なかなかやっかいである。片手をモノレールにかけて握ると裏側の油が手を汚す。
途中でモノレールは二股になっているが例の小さな赤い矢印を探しそれにしたがって右手に行く。木々の間を無理矢理這い上がると稜線に出る。ここにベンチがある。
■稜線上~倶留尊山
雰囲気の良い道だが意外な岩場、急登がある。下りは少し怖い。山頂からの下り始めなど要注意。ところどころ右手が少し開けて農村や付近の山が見える。
山頂は草木であまり見晴らしはよくない。北側三ツ岩方面への道はあまりはっきりしていない。
■倶留尊山~二本ボソ小屋
二本ボソまでの稜線はやはり岩場や急登が多少ある。二本ボソは西側を除いてぐるりと開けていて展望がよい。東に一段下って突き出たところはイワシの口というらしい。
倶留尊山や亀山・古光山の稜線だけでなく国見山や高見山、大洞山、尼ヶ岳(伊賀富士)なども見える。年に一度あるかないか、富士山も見えるという。そんなことを説明してくれたのは二本ボソの山頂の先にある小屋にいたオバチャン(おばあちゃん)。ここで入山料500円を払う。休憩スペースやトイレもあり、ペットボトルも250円で売っている。
■二本ボソ小屋~亀山
少し下ると急に西側の木が無くなり視界が開けて、「展望絶景」の展望広場になる。お亀山の美しい曲線に抱かれた曽爾高原とお亀池が見事である。写真集や広告の写真もこの付近から撮られるのだろう。
右に高原を見ながら開けた明るい草の道を下っていくと亀山峠、展望の案内板があって、真っ直ぐ高原に下る道を分ける。
ふた登りで亀山である。後古光山、古光山が間近に見え、集落を挟んで向かい側の兜岳や鎧岳もきれいに見える。
■亀山~お亀池
山と高原地図とは道のつき方が違うようだが、亀山から(南)西に階段を下ると、途中で古光山への道を分けて高原に下りてくる。出たところが「茶店」だが茶店は海の家のような小屋だけで、廃れてはいないが秋のシーズン中には営業しているのか怪しい。
茶店の前からお亀池の周りや近くをぐるりと回る道が出ていて、地形図とも多少違っているが、どう通っても茶店の前に戻る。あまり北に行くと青少年自然の家に出るらしいがそこからでもお亀の湯にまっすぐ下れるだろう。
■お亀池~お亀の湯
亀山から茶店に出て左(西)に行く整備された道を下るとすぐに舗装道に出る。地形図では真っ直ぐ下りる徒歩道があることになっているがよく分からない。車道を左に進み、ぶつかったT字路を右へ。途中で「東海自然歩道」という標が出てきて、うねる車道をショートカットして下りる歩道を歩く(おそらく地形図の徒歩道の後半、自然の家から下りてきて西にまっすぐ下る道に一致している)。歩道・車道・歩道でカーブを2回ショートカットできる。しばらく行くとお亀の湯、いくつか店の建物があって意外に賑っている。
■お亀の湯
店がいくつか立つ広場の中で一つ高い丘の上にある。650円(休日100円増し)とやや高いが有名な温泉らしい。透明だがかなりとろみのあるアルカリ性。休憩所、食堂、土産物屋などあり。水曜定休。
■お亀の湯~太良路
お亀の湯のすぐ下手の分岐を右(北)に行く(左に行ってもさほど変わらないしどこかしらのバス停には着くだろうが)。若い足なら30分はかからない。バス停にはトイレあり。向かいに商店がありこの店で名張駅までのバスの切符を売っているので丁度の小銭が無ければここで買うのが便利。
□雑感
朝、ユースホステルを出て大和八木から準急名張行に乗る。相部屋だったオッチャンのいびきがうるさくて……。名張が終点だから万が一寝てしまってもいいやと思っていた(実際には全然寝なかったが)のだが、この列車は名張からそのまま急行五十鈴川行になるというトラップがあった。名張駅前には西口に観阿弥像、東口に江戸川乱歩像が立っている。
西口の「駅前」のバス停(東口は東口バス停)の待合室で平岩さんを待つ。携帯電話に平岩さんから何件か着信が入っていたので嫌な予感を抱きつつ折り返すと、八木から逆方向(上本町行)に乗ってしまって引返したが名張には8時20分着とのこと。5分発のバスには間に合わない。とりあえず名張まで来てくださいと伝えて策を練る。
名張から曽爾村方面に行く次のバスは丁度2時間後、数日遅ければ(ネットの時刻表では10月からとなっていたがバス停には19日からと書いてあった気がする)9時35分発で曽爾高原の奥まで入るバスがあったのだが……。榛原まで移動しても昼前までバスはない。タクシーだと5000円前後するし、どんなに急いで行ったところで予定から30分近くは遅れる。当初のフルのプランは長い行程なので遅れると厄介だ。大人しく2時間繰り下げて短縮ルートで下りることにした。古光山前後は岩場や急登があって楽しそうではあるが人が少なそうでやや不安があるし、短縮すればのんびりと風呂にも入れるので丁度良かった。予定変更の旨を、現在のところML報告は必要ないだろうと添えて在京責任者の福田さんにメールで連絡。
さて平岩さんは到着したけれども、見知らぬ田舎町で朝から1時間半潰す術を僕らは知らない。市内には「夏見廃寺」という飛鳥時代の寺跡があるらしく少し興味をひかれたが、距離がありすぎるようだった。平岩さんが三重交通のオッチャンに訊いても「藤堂屋敷くらいしかないですね」とのこと。9時前に駅を歩き始めて数分、9時開門の屋敷に一番乗り。立派な家ではあるが最盛期の一部しか残っておらずかなり小さい。30分近く滞在した間に他の見学者は来なかったが、土日の昼間なら客もいるのだろうか。
9時半ごろ駅に戻り、バスを待つ。やはり曽爾高原方面にハイクに行く人が2組ある。一方は年配夫婦で山から下りた太良路のバス停でも一緒になった。他方はオッチャンばかり5人前後のパーティで、何人かはバスを待ちながらすでに缶ビールを飲んでいる。後から来てもう飲んでいるのかと言う仲間に痛み止めだよなどと答えているので我々も夫婦も笑ってしまう。
ようやっと10時5分のバスが来て乗車。土砂崩れの影響で迂回路を通るため最初のいくつかのバス停はとばすとのこと。細い道で何度かすれ違いをしたりカーブの切り返しをしたり、スリルのある道だった。それでも槻ノ木橋には時刻表通りに(もしかしたら少し早く)到着。
動かないで半袖になると少し涼しいくらいの良い気候だった。ここからは舗装された道をひたすらに歩いていく。ほとんど景色もないのでかなり苦しい1時間である。今回は東京からの移動に靴を持つ(或いは履く)都合で、いつもの登山靴ではなく半ば退役しているボロボロのトレッキングシューズを履いていたのだが、やはりこの道は軽い靴でないとしんどいだろう。岩の上に大きな蜂の巣を見かけたくらいで特に書くべきこともない。上に書いた倶留尊山荘は戸は開かなかったが窓は引きあけることが出来た。暗く何も見えないがカサコソと物音がしたようで気味が悪い。もう使っている人もいないのではないだろうか。杉林はずっとほったらかしという風ではなかったがあまり熱心に手入れしている感じでもない。或いはここ数年手が回らなくなっているのか。
分岐のところに「山神」の石と鳥居がある。鳥居の先が石仏らしく、「大権現」に期待して奥へ登ってみたのだが、どれがその石仏なのかいまいち判らなかった。縦に伸びた大きな岩に供え物が置かれているが、石仏が刻まれているようには見えない。風雨で磨れてしまったのか、石の形に現れた権現さんなのか。隣には小さな石仏もある。ネットで調べてみると「高さ15mの石仏」との記述も見えるが、まさか。その大岩だって5mもない(3m前後だっただろう)。別のところに何かあるのか、崖の側に彫ってあるのか。
少し急になった林道を登って、終点の広場へ。地形図で道が途切れているところだろう。一瞬迷うが、右奥の筋は土砂や枯れ木で埋もれた谷筋で歩けそうにない。左のトロッコのわきにごく小さな指導標がある。紙片をラミネート加工して細い材木に張り付け地面に刺しただけのものである。曽爾村観光協会と書いてあるが地主に遠慮しているのだろうか。まあどこを登っても無理矢理であることに変わりはないし、登りつめた稜線は同じなので、足元が滑らぬように気を付ければ大丈夫だろう。
怖い土の急登を登っていく。モノレールが二股になっていて、レールが繋がっている右の方にまた矢印がある。トロッコは左に上りたい時にはポイントの部分だけレールを交換するらしく、脇には接続が逆になっているレールが置いてあったが、長い間使っていないようだった。
後で二本ボソ小屋前でトロッコが停まっていたので、レールに沿って行けば(行かれれば)そこに出るのだろう。小屋のオバチャン二人はこれに乗って通勤するらしい。林道終点の広場から10分くらいとのこと、広場まで車で来るのだろう。矢印の案内は、右にトラバース気味に登るレールからそれて上へ向いている。背の低い木々が枝を伸ばしている間を分けて登るとすぐに稜線に出た。
まずは左に倶留尊山まで。ちょっとした急登を経て山頂に着く。すすきが一叢にベンチが二三脚。山頂の北側半分は木に覆われて日陰になっている。中央の三角点の隣に傷んだ山頂標と、割れて捨て置かれている古い山頂標、登ってきた団体が記念に勝手に木々にかけた小さな山頂標もいくつかある。蝶が数羽とトンボがたくさん飛んでいる。人差し指を立てて手を伸ばすと、すぐに一匹留まってきた。じっとしているから帽子のつばにも留まる。川苔山ではダメだったのに、やはり上方は違うのかなあ。
引返して稜線を行くと急な下り登りですぐに二本ボソ、ここは眺めがよい。三重の山村、田んぼが真下に見える。亀山の稜線も見える。小屋まで行って入山料を払うと、オバチャン(この文章では一人称に基づいてオッチャン、オバチャンと書いているが、客観的にはおじいちゃん、おばあちゃんの方が正確である)の一人が話しかけてくれる。シーズンには少し早いから人が少ないし、遠くから若者が来てくれたのはうれしいのだろう。大阪からかと訊くので東京だと答えたらたまげていた。小屋から出てきて二本ボソの山頂まで連れて戻って、どれが何山だとか、この辺は杉がほとんどだがもう少ししたら倶留尊山だけ紅葉になるとか、稀に富士山まで見えるんだとか、雲海が出て山の先っぽだけ見えたときは美しかったとか、いろいろ話してくれた。東京はオリンピックだと言ってだいぶ派手にやっているのだろうとか。そんなことはないけれども。小屋の日陰にベンチがあるからゆっくり休んで行けとも言ってくれたが、我々はだいぶ元気なので、ちょっと休んでから礼を言って出発。
ずっと木の多い道を歩いてきて「展望広場」に出た瞬間の感動は素晴らしい。憧れの曽爾高原の景色である。美しい曲線に、高原の側はまだ明るい草の緑、稜線の東側は暗い木の緑、お亀池はヨシかススキか黄色みを帯びている。5月の緑も、6月の雨あがりも、11月のススキも、素晴らしく映えるだろう。冬の展望もいいだろうし、或いは雨さえ美しいかもしれない。真夏以外ならいつでも美味しい山であろう。
丈の長い草が少し邪魔だが、右手に高原の風景を見ながら、独特の雰囲気の明るい道(しかし奥多摩のようには判然としない道である)を下っていく。奈良までの旅費を出してでもみんな来るべきだったよなあと思う。気持ちの良いハイキングである。
亀山峠では高原から展望広場あたりまで頑張って行ってみようという下界の人たちも登って来る。短縮ルートではここから下ることにしていたが、地形図には亀山からお亀池に下りる道があったのでもうひとこえして亀山へ。向かい側の山やススキ越しの古光山を眺めながら休憩。地形図で古光山にまっすぐ進んでいる道は見えず、西へ山と高原地図に一致して下る道が見えるので下っていくと、だいぶ下りたところで古光山方面の道を左に分ける。山と高原地図ではここを左にとっているが、右にお亀池の方へ向かう道もきちんと(並の登山道以上に)ついており、それを進むと「茶店」の前に出た。このあたりは地形図の道と方向はほぼ合っていたが付き方が多少違っているかもしれない。
左に下れば道に出るのだろうと思われたが、青少年自然の家の方まで行ってみようと、池の西側に沿う道を歩いて北の方へ向かう。右手、池の上に亀山の稜線が立っている。左手にはすすきがなびく。池は草や土の堆積でいまは湿地状になっているらしいがヨシか何かに覆われていてほとんど判然としない。柵があるから境界がはっきりとわかる程度である。その柵には電燈の灯籠が並んで立っている。
しばらく行くと広場に出る。なぜか松が数本生えていて、ベンチやテーブルもいくつか設置されている。北に行くには少し丘を越えねばならないようだったので西に進むと、両側をススキに囲まれた道はだんだん南にカーブして、結局茶店の前に出てきてしまった。遠足のウォークラリーか何かだろう、小学生の一団をこのあたりで見かけた。
もとの道を西に下り、すぐに車道に出る。右は駐車場のようだったので左に、突き当たったT字路を右に、太い車道をしばらく歩く。180度のカーブをターンしたところで左にはキャンプ場、右には青少年の家の看板、高原からここに下りてくることも出来るようだ。その先でショートカットする山道に乗る。この道は「東海自然歩道」というらしいが何が東海なのだろうか。こちら側は三重県ですらないが。一度車道に出てもう一度山道、さらにまっすぐ車道を進むと右手にお亀の湯などの建物が現れた。
15時ころに到着し、受付の人に尋ねると太郎路までは徒歩30分程度、そこから曽爾村役場まではかなり遠い、太良路のバスは17時過ぎまでない、とのことが確かめられたので、ゆっくり風呂に入ることにした。
風呂はかなりヌルッとしている。アルカリ性透明無臭ヌメリ有りは好きな方だが、個人的な好みを言えばちょっとヌメリが強すぎる。前日の旅行中にすりむいていた脛のかさぶたがまた開いてしまった。湯は臭いはないが循環のためにカルキ臭い。男湯は内湯二つ露天一つで、内湯の一方が過熱加水なしのかけ流し、残りは循環とのこと。露天は結構浅く、寝そべるようにして入る。サウナもあったが干からびてしまうので入らなかった。かけ湯用の湯桶があり、入浴前にかけ湯してくださいと書いてあるのだが、体を洗わずにはいることを認めているのだろうか。じっさいにかけ湯だけで湯船につかる人も何人かいたし、そのかけ湯も立ったまま乱暴にやって湯が湯船の方に飛び散っている人がいた。西日本の入浴マナーは悪いのだろうか、あるいは田舎だからか。
余裕を持って出発。道の向いの屋台では「こんにゃくなのにおはぎ
これぞ草餅」というわけのわからない物を売っていた。太い道をまっすぐ行きかけたが山と高原地図に従い引返して右へ、ヘアピンカーブの後、木に囲まれた薄暗い車道をまっすぐ進むと橋を渡ってすぐバス停だ。
ここで朝の夫婦と遭遇。福田さんに下山報告をし、向かいの商店で切符を買って乗車。バスは時刻表では名張駅に17時43分に着くことになっていたが、名張駅45分発の急行にはタッチの差で乗れず、18時3分の快速急行に乗車。こいつは前4両が名張からの始発で先に入線し停車していて、後4両が五十鈴川から満員で到着し、名張で連結する。
18時34分、大和八木に到着。私は連泊のYHに、平岩さんは夕食と今井町の散策にと別れた。
曽爾高原は実にいいところです。関東人には(もしかすると関西の山をやらない人にも)知られていないようですが、アクセスもさほど悪くないので、是非一度訪れてほしいと思います。お茶大の表だか裏だかの茶道部は曽爾村に合宿しに行ったそうですよ。
□反省
・いかに見知らぬ土地であるとはいえ、予定通りに集合しないことは(山の外で起きる失敗として)罪が重い。乗車ホームまで書かなかったことや集合を着駅にしたことは不親切だったが、時刻だけでなく種別や行先までは計画書に明記していたので。行動時間には失敗しても取り返せるバッファを見込み、慌てないために準備にも行動にも余裕を持つべきである。
・予定のバスに遅れると当分バスが無いことやメンバが2人しかいないことから遅れた場合の行動を考えていなかったのだが、どのような場合でも集合に間に合わなかった場合の行動計画をあらかじめ決めておいて計画書に記載すべきである。
・コースを短縮したものの出発の繰り下げと風呂の時間とで下山連絡が目安時刻から大幅に遅れてしまった。終バス時刻や在京本部設置要請の時刻には余裕があったためパーティの側では全く気にしていなかったのだが、在京メンバの一部には心配をかけたようである。出発繰り下げと短縮ルートへの変更を在京責任者に連絡する際、「MLへの報告はまだしなくてよいと思うが在京責任者の判断で」との旨を添えてメールで済ませてしまったが、組織全体のことを考えると、電話連絡しML報告もしてもらうべきだった。短縮ルートについても計画書のコースには途中に風呂があると書いただけで到着目安時刻には風呂の時間を反映しておらず、書き方を工夫すべきであった。
・東京近郊の山のようには歩かれていないことや山と高原地図の情報が少ないことを承知していながら、現地で地図をじっくり読んで進む先を判断することを軽んじていた。普段よりは地図を頻繁に見ていたが、例えば亀山から下りる先の道は本当にお亀池に繋がっているのかということは確かではなく、さらにその区間は短くはあるが計画書記載ルートのいずれにも含まれないものであったから、この行動は軽率であった。亀山まで行った後亀山峠まで引返してお亀池に下りるべきであり、当初(短縮ルートへの変更後)もそのように考えていたのだが、他のハイカーが結構いたことに油断し、同じルートを引き返すよりはと行動中に決めていた。少なくとも小屋のオバチャンに道を尋ねるべきであった。