2016/6/26 茅ヶ岳

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
茅ヶ岳山行 確定計画書(6月25日)
作成者:木下

□日程 6月26日(日)
□山域 奥秩父
□捜索要請日時 2016/06/27 0900
□メンバ(計4名)
 CL木下 SL寺垣 福田 川瀬

□集合 6月26日(日)
 韮崎駅0828着中央線最後尾車両(八王子駅0635始発・高尾駅0642発・松本行)
 0837着特急利用や現地泊など、バスに間に合えば構いません。
□交通
 (行き)
 韮崎駅0851→深田公園0911
  山梨峡北交通バス 510円
 (帰り)
 茅ヶ岳(金ヶ岳)登山道入口→韮崎駅
  1347/1517/1617/1727 発 所要50分
  山梨峡北交通バス 720円
 ふれあいの里(登山口)→韮崎駅
  タクシー 30分 ~5000円
   韮崎タクシー 0120-69-2235
   大泉タクシー 0120-382-312
   須玉三共タクシー 0551-42-2328
 韮崎駅からJR線 毎時2本
  新宿まで列車所要約3時間 2590円(高尾から京王線利用で2020円)
  1432/1508/1538/1610/1638/1648/1744
 →1714/1804/1837/1855/1855/2005/2030
  ※1638発がホリデー快速ビューやまなし号、一本前も同着です。
   1517のバス、またはふれあいの里から1530程度までのタクシー連絡で間に合う見込みです。

□行程
 深田公園入口0920
→女岩1040
→茅ヶ岳1140・1200
→金ヶ岳1300・1320
→ふれあいの里(登山口)1450
→登山道入口1525
 (歩行計5時間25分)
□エスケープルート
■金ヶ岳まで:引き返す
■金ヶ岳から:進む
□地図
■2万5千図 「茅ヶ岳」「若神子」
■山と高原地図 「26 金峰山・甲武信」

※韮崎までのバス途中下車で「明野温泉太陽館」に寄れます。820円と高いです。
※登山口「ふれあいの里」には有料シャワーがあるそうです。
□遭難対策費
 100円/人*4名
 計400円
□雨天時
 前日17時予報までに判断します。

□参考情報
■日没日出
 日没19時過ぎ
 日出4時30分頃
■ラジオ周波数
 NHKラジオ第一:東京; 594 kHz, 甲府; 927 kHz
 NHKラジオ第二:東京; 693 kHz, 甲府; 1602 kHz
 NHK FM:東京; 82.5 MHz, 甲府; 85.6 MHz
■警察署電話番号
 山梨県警本部 055-221-0110
 北杜警察署 0551-32-0110
 韮崎警察署 0551-22-0110

茅ヶ岳山行記録
 7月2日 木下 作成

□日程 6月26日(日)
□山域 奥秩父
□メンバ(計4名)
 CL木下 SL寺垣 福田 川瀬
□オーダ
 木下・福田・川瀬・寺垣
□天候
 曇り~晴れ

□計画
 深田公園入口0920
→女岩1040
→茅ヶ岳1140・1200
→金ヶ岳1300・1320
→ふれあいの里(登山口)1450
→登山道入口1525
 (歩行計5時間25分)

□行程
 深田公園入口0922
→1150m付近?1004・1007
→稜線ニ出ル1049・1100
→茅ヶ岳1117・1140
→金ヶ岳1222・1240
→1300m付近?1325・1340
→ふれあいの里入口1403
→登山道入口1435?

□ルート状況
■韮崎駅~深田公園入口
 駅前に座席の多い立ち食い蕎麦屋がある。コンビニは遠いらしい。
 バスは交番前から、みずがき山荘行きに続いて出る。マイクロバスだった。深田公園入口まで510円、ICカード不可、20分くらい。下車時に申し出ると明野側の「クララの湯」100円引き券を貰える。
■~茅ヶ岳
 はじめはほとんど登らない。深田記念公園へは一度登山道から離れて左手に上がる。林道を渡るところで林道を左に少し進めば尾根ルートに乗れるはずだが、登りはほとんどの人が女岩ルートをとっていた。
 少しずつ登りがきつくなり、女岩前後は胸突き。女岩手前で道がつけ変わっており、女岩は気づかぬ間に通過していた。水場へも行かれないはず。女岩手前~稜線のあたりのルートは山と高原地図もやや不正確かもしれない。道ははっきりしている。
 稜線に出たところが少し広くなっている。急な尾根の登りは時折後ろの景色が開ける。深田終焉碑を経て山頂。
 山頂は広いが平らでなく、道が集まっているので、混雑時は場所どりが難しい。八ヶ岳・南ア・富士山が見える。
■~金ヶ岳
 茅ヶ岳からの道がわかりづらい。登ってきた道の正面に見える二コブが金ヶ岳で、その方向に急に下る、低木の茂った道がそれである。こちら側はぐっと人が少なくなる。急な下りのあと急な登りで出たなだらかな場所が南峰で、観音峠への道が分かれる。もう一度小さな下り登りで北峰。
 山頂は広くない。南側だけ開けていて、斜面がきれいに見える。
■~登山道入口
 全体に急な下り。はじめの方が少し厄介。1メートルくらいの一枚岩をロープを頼って下りた後、もとは尾根上の岩を右に巻くように道がついていたらしく、こちらは右側が切れ落ちているが一瞬のことで大したことはないのだが、その道はトラロープで封じてあって、木の茂っている左側をトラバースするようにロープで誘導される。しかし土が柔らかいので道が崩れてしまっていて、短い距離だが尾根へ復帰するのに少し苦労する。ロープをくぐって上を歩いてもよさそう。
 やや急な道を下っていって林道を渡ると少し左側から道が再開する。ほとんど平坦な道はバーベキューをしているキャンプ施設を見ながら車道に下りる。ここはふれあいの里入口で、ふれあいの里は右に少し進んだところらしい。途中左手に東大宇宙線研究所を見て車道をまっすぐ下ると、大きな十字路に出る。北東角、看板の下にバス停がある。向かいに駐車場と納屋のようなものがあって日陰はある。数百メートル北に蕎麦屋があったがやっていなかった。
■~韮崎駅
 登山道入口バス停から南に歩くとおそらく15分くらいでハイジの村がある。中央の「ハイジの村」と道沿いの「クララ館」にもバスが止まり、ここからなら韮崎駅まで510円なので、こちらでバスを待った方がよさそう。温泉もビールもあるらしい。
 バスは登山道入口からだと720円。新しめの山と高原地図でもタクシーが3500円程度とのことなので、4人ならタクシーでも大差なく、時刻によっては下山時点で呼んでおけば早い電車に乗れるだろう。バスは、計画書には駅まで所要50分と書いていたが、調べなおしたら25分だった。実際も30分程度で到着した。

□雑感
 茅ヶ岳、言わずと知れた、深田久弥最後の山である。昭和46年3月21日、深田ら一行は宿を出発した。歩き始めて2時間余り、10時55分に頂上まで15分の鞍部で大休止をとった。ここで深田は紙袋から落としてしまったアンパンを食べたという。11時20分、次は山頂でビールだと歩き始めてすぐ、足を踏み出したその格好で倒れた。(高辻謙輔『日本百名山と深田久弥』による。)
 山で死んだということは受け入れ難い気持ちがあるけれども、深田久弥の文章は高校の頃から、僕の山への思いを支えているものの大きな一つであるから、先人の弔いに、5つで100円の小さなアンパンをザックに詰めて出かけた。「我が山山」などタイトルからして思い入れがあるので携えて行かれればよかったのだが、深田久弥の本はたいてい図書館で借りて読んでいたために、残念ながら手元になかったので、ヤマケイ新書の『山の名作読み歩き』を鈍行旅の友にして。
 日曜の早朝なのになかなか混雑した電車で韮崎に到着。伊藤秀五郎「静観的とは」、鷹野照代「風の道」などを読んだ。福田さんとは車内で合流、前日に観光して宿泊すると言っていた寺垣さんも結局日帰りで、同じ列車だったらしい。少し腹が減っていたので、遠くから特急で追いかけてくる川瀬さんを待つ間に、迷った挙句独りで蕎麦屋に入った。大盛り無料だったが自重して、かけそば並、うまかった。
 僕が蕎麦を食っている間にバスは並んでしまって、立ち乗りになった。たかが20分のことだから若者は立つのがよかろう。立ち乗りも満員での運行だった。
 到着した駐車場も自家用車で一杯で、山は混雑しているらしかった。下り際に念のためクララの湯割引券を4枚貰って下車。平岩さんにメールで、4人のTシャツとザックの色を書き添えて出発報告。
 曇がちの天気で暑いこともなく、初めは快適な森林ウォーク。1年生から4年生まで、文学部から工学部まで、面白い顔合わせなので、各々の勉強していることや学校のことを話しつつ、賑やかに歩いた。尾根に上がる手前は少し急登になったけれども、大したことはなかった。寺垣さんは空腹だと言っていたが、急登で次々と老パーティに道を譲られてしまったので、少しペースを上げて稜線まで出てしまった。ここで小休止、深田久弥がアンパンを食ったのもこのあたりだろうからここで配ればよかったのだが、それは果たされなかった頂にとっておいて、ここでは福田さんの堅パンを皆で食した。
 歩いている人の多くは高齢のパーティだった。最後尾でトムラウシTを着ていた寺垣さんはしょっちゅう話しかけられていた。高齢とは言っても元気な人が多く、「若くて疲れ知らずだね」などと声をかけてくれたパーティは、休憩の間に抜きつ抜かれつ、帰りのバスも一緒だった。
 やや狭い尾根をぐいぐい上がると、意外と小さなところに「深田久弥先生終焉之地」の碑が立っていて、誰が為の賽銭のつもりか、10円玉が何枚か置かれていた。
 山頂までは、ほんとうにあと少しだった。パッと開けると人、人、人。恐るべき深田人気である。通行や記念撮影の邪魔にならぬよう、隅に小さくかたまって休止。アンパンを配って一つずつ食った。周りには高い木が無いから富士山のほかに南アルプスや八ヶ岳の山体も間近に見られたが、頭に雲を被っていて山はわからなかった。
 余談。山頂で手首を何かの虫に刺された。チクチクしたのでムヒを塗ったら、1時間後には小さな腫れも全くなくなっていた。ただし救急箱「アゲハ」にポイズン・リムーヴァが入っていなかったことに注意されたい。夏山前に買い足してもよいと思う。
 金ヶ岳への道は入り口が心許ない。木が茂ってしまって、茅ヶ岳のピストン路ほどには歩かれていないようだった。僕は人がいなくなると途端に歌い出すらしい、寺垣さんに言われて気がづいた。急激に下って、登って、それでも金ヶ岳にはそれなりの人が休んでいた。南側だけ開けた斜面には何となく趣があった。韓国か中国の方の、ソロのオジサンの写真を撮ってあげて、交代に集合写真を撮ってもらった。
 下りはじめは前述の通りの、やや厄介な道。先頭の僕は誘導に沿ってトラバースしたが、福田さん以降は何ともなく尾根上を歩いていた。下りもわいのわいの歩いてしまったが、人の少ない・急な・午後の・下りの道であるから、もう少し注意深く歩いた方がよかっただろう。ペースも少し速くなっていたと思う。
 予定より早く下山した。ホリデー快速に間に合うバスには十分に乗れる時刻だったからそのまま歩きだしてしまったが、むしろバスの待ち時間が生じてしまうくらいだったので、このあたりでタクシーを呼んでおけばよかった。少し下った先、宇宙線研究所の前で記念撮影。後で調べたところ、この施設は現在ではほとんど使われていないらしい。畑や大きな家を見ながらの下り、寺垣さんは見える雲々の分類を見定めていた。
 バス停に着いたのがバス時刻の小一時間前。クララの湯まで徒歩10分少しだとして、往復すると風呂に入ったり休んだりする時間がないからと、ほとんど無思考に、その場で待つことにしてしまったが、クララの湯にも当然バスは停まるのだから、歩いてみればよかった。納屋の軒先のようなトラクタの駐車スペースのような日陰にたむろして喋っていた。北に道を登った先に蕎麦屋が見えたのでそちらに行ってみたが、やっていないようだった。
 みずがき山荘行きに続いて韮崎駅行きのバスが来た。乗車整理券を運転手さんからもらう。下車時の運賃も運賃箱ではなく、会計レジ脇によくある金皿(カルトンというらしい)に出す方式。登山道入口からの乗車時にはガラガラだったが、「クララ館」からは山中見かけた顔でそこそこ埋まった。運賃が二百円安いのでこちらに誘導しているのかもしれない。
 バスの所要時間について計画書が間違っていて、想定よりも早く駅に着き、ホリデー快速までまた小一時間あった。登っている間から、山行後は駅蕎麦だねと言っていたので、やはり駅前の「丸政そば」に、今度は4人で入った。立ち食い蕎麦屋だがテーブルと座敷があり、靴を脱いで座敷に上がった。そば、うどん、黄そば(中華めんらしい)から選べて、暖かい麺は大盛り無料、今は期間限定で冷たい麺も無料、揚げ玉自由。かつてはネギも自由だったのを、原価高から「断腸の思いで」中止したらしい。かけそばは290円、種類豊富な天ぷらはいずれも安く、皆満腹になってしまった。
 さてそろそろ、とホームに上がったが時刻表に目当ての列車が無く、一瞬慌てた。日曜だけの運転だから載っていなかったようだ。慌てたついでに一本前に来たこれも臨時扱いの特急はまかいじに飛び乗ってしまったら大変なところだった。そういえば、全く気にしていなかったのだが、韮崎なら大抵の駅から学割が使えたはずで、皆往復で800円程度損してしまっていた。計画時にもうちょっと気を回せればよかった。
 きちんと計画書の通りにやってきたホリデー快速の綺麗な車両に乗り、自由席の二階の1ブロックに4人で座った。斜向いのオジサン二人は酒を飲んで出来上がっているようだった。それを除けば音も揺れも静かな車両だったから、我々はだいたい本を読みながら過ごした。寺垣さんは福田さんの哲学書を開いたまま半分寝ていたが、僕がイシグロカズオを読んでいる間に川瀬さんが『山の名作読み歩き』を(みづから!)読んでくれたのは収獲である。深田久弥に、山の文学に、ハマってくれるといいなあ。

□総括
・茅ヶ岳は地味で良い山であったが、深田人気で混雑していた。
・山の文学をどんどん読もう。深田久弥でも大島亮吉でも木暮理太郎でも伊藤秀五郎でも、ひとつ夏山の前に読んでおくと、山の味わいがだいぶ変わるだろう。絶版も多いが図書館にはきっとあるはず。
・絶対にこの山に行きたいんだ!、このメンバと歩きたいんだ!、と愛を持って計画を作れば、よい計画、よい山行になろう。

□反省
・人が多かったけれども少し気が緩んでお喋りしすぎだった。もっと地形に気を配って歩くべきだった。
・ 計画や行動ににちょこちょこ抜けているところがあった。計画を立案すると決めたならばもっと頭を使って気を配っておくべきだった。