2017/6/3 御正体山

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
御正体山行計画書
作成 木下
□日程 6月3日(土) 日帰り
□山域 道志山塊
□在京本部設置要請日時 2017/6/3 1930
□捜索要請日時 2017/6/4 0900
□メンバ(計3名)
CL木下 SL菅沼 川瀬
□集合
 高尾0747発 富士急行線直通 河口湖行き 2両目

□交通
■行き
JR中央線・富士急行線
 高尾0747→都留市0849 (前半分が富士急行線直通)
 高尾から1040円 新宿から京王線利用で1400円
 ICカード可
富士急山梨バス
 都留市駅0910→道坂隧道0940
 650円 ICカード可
遅れた場合
 都留市駅→道坂隧道 タクシーで所要約30分 4000~5000円

■帰り
タクシー
 御正体入口→都留市駅
  所要約20分 2500円強
  富士急山梨ハイヤー(都留) 0554-43-2800 0120-889-229
  ツルタクシー 0554-43-2349
富士急山梨バス
 御正体入口1522→都留市駅1540 460円
※御正体入口→都留市駅は歩いても1時間強
富士急行線・JR中央線
 都留市発1612/1634/1710/1754/1805
→大月着 1628/直通/1729/1812/1819
 大月発 1633/快速/1740/1826/1826
→高尾着 1708/1723/1810/1907/1907
■御正橋へエスケープ時
富士急山梨バス
 御正橋1526
→山中湖旭ヶ丘1550・1622
→富士山駅1657
御正橋から都留市駅または富士山駅までタクシーだと1万円程度

□行程
 道坂隧道0950
→道坂峠1005
→岩下ノ丸1120
→御正体山1335・1400
→峰宮跡展望台1430
→御正体入口1630
 [歩行計6時間15分]

□エスケープルート
御正体山まで:道坂峠へ引返す
御正体山から:御正体入口へ進む
牧ノ沢山~御正体山あたりで早急に下りるべき時は白井平分岐から御正橋へ

□地図
2万5千図 「都留」「御正体山」
山と高原地図 「27(28)高尾・陣馬」

□遭難対策費
100円/人×3名
計300円

□参考情報
■日没日出
 6月3日日没(東京) 1853
 6月4日日出(甲府) 0430
■ラジオ周波数
 NHKラジオ第一:東京594kHz/甲府927kHz
 NHKラジオ第二:東京693kHz/甲府1602kHz
 NHK FM:東京82.5MHz/甲府/85.6MHz
■警察署電話番号
 山梨県警大月警察署 0554-22-0110

御正体山行記録
木下 作成
□日程 6月3日(土)
□山域 道志山塊
□天候 晴
□メンバ(計3名)
CL木下 SL菅沼 川瀬

□計画
 道坂隧道0950
→道坂峠1005
→岩下ノ丸1120
→御正体山1335・1400
→峰宮跡展望台1430
→御正体入口1630
 [歩行計6時間15分]

□行程
 道坂隧道0937・0950
→岩下ノ丸1043・1055
→白井平分岐1138・1148
→御正体山1220・1250
→峰宮跡展望台1310・1315
→林道出合ノ上1350?・1355
→御正体入口1445

□オーダ
 木下-川瀬-菅沼

□紀行
 御正体山はこのあたり(富士急行線より東側)では一番高い山で、その品のよい名前と、信仰の山である歴史と、「一等三角点がありながら展望がない」というキャラクタと、そして歩くのにたっぷりと時間のかかるらしい山の深さとで、ずっと心惹かれていた。コースタイムで六時間だから、暑すぎず日の長いこの時期しかないだろうとかねてから心積もりをしていたのだ。梅雨にかかる心配もあったが、やはり今回もよく晴れた。このところ続けて乗っている「0747発河口湖行き」を今回は都留市で降りて、バスまでの待ち時間は外に出ているとかなり暑かった。長いコースのつもりだったので、これはしんどくなりそうだと思った。
 バスで道坂隧道までの道は村や小さな田んぼを見ながら、歩いても楽しそうだった。トンネルに着くと、運賃表の表示は「道坂墜道」と、縁起でもない誤字をしていた。しかし調べてみると、誤用なのか代用なのかわからないが、隧道を「墜道」と書く用例、文化も、少し昔にはあったらしい。隧と墜では字義が全く違うと思うがいかが。運賃表に出せる漢字が限られているなら、「トンネル」とすればいいのではないだろうか。
 トンネルの左側に登山口がついている。峠に上がるまではちょっと急だが、周りは既に美しい雑木林になっていて嬉しい気分だ。しかも木々で日が遮られると全然暑くなかった。峠からは左に取れば今倉山、右に取れば御正体山で、道標も立っている。
 ここからの尾根道は大きなアップダウンなく、雑木林に囲まれながら割に明るく、時には木の隙間から隣の山や麓の里の景色も見えて、快い。人の気配はほとんどないが道は判然している。御正体山を歩くには表参道の三輪神社(細野)からの道と山伏峠からの道がメインのようだが、この道坂峠からの尾根はよい道である。もとは昭文社の「高尾・陣馬」一枚で収まっていることや道志の他の山との関連からこのコースを選んだのであるが、横山厚夫さんも著書で、登りはこの尾根を歩くべしと書かれていた。
 愉しく歩いていると、三角点のあるやや暗いピークに出た。ここには「日本国領土
岩下ノ丸」と書かれた訳のわからない木の札が下がっていたが、しかしこれが無ければここが岩下ノ丸であると断定するのに迷ったかもしれない。何しろここまで、昭文社のコースタイムの半分で来てしまったのだから。全体で六時間かからないのであれば、秋冬にだって焦らずに歩ける。その方が雑木林の葉も落ちて、尾根からの展望はずっとよいだろう。横山さんがこの尾根道について「山頂の眺めの乏しさを補ってあまりある」(『一日の山・中央線私の山旅』)と書いているのも、それで頷ける。もちろん時代とともに木はだいぶ茂ってしまっているのだろうけれども。そういえば、今時の若い者たちは岩下志麻の名前すら知らないらしい。川瀬さんはさすがにメナード化粧品くらいは聞いたことがあるようだが、菅沼くんはそれもダメだった。
 このあたりからしきりに、ヒグラシらしき蝉の声が聞こえていた。まだ夏のはじめ、歩いていても木々の間を風がよく通って涼しいので、ヒグラシの鳴き声はなんだか不思議な気分だった。ヒグラシは下山まであちこちで鳴いていたし、下山中にはツクツクボウシのまだ拙い声も聞かれた。
 白井平分岐までもコースタイムの半分で来てしまったが、いちおう一休みしてから急登にかかった。ちょうど菅沼くんが北アの裏銀座を歩きたいという話をしていて、この急登はブナ立尾根のミニチュアみたいな雰囲気だと、何となく感じた。もちろんごくごくミニチュアである。急登の間にも後ろの二人は、サークルの運営についてあれやこれやと話していた。この人たちはこのところ毎週のように山に行っている。頼もしくなったものだと、僕は前で聞きながら歩いていた。
 「七合目」「八合目」という小さな石標をみながら登ると、やっぱりすぐに山頂に出た。林がぽっかりと刈られた、明るくて静かな山頂だ。信仰の歴史の中ではだいぶ後になってから祀られたようだが、イザナキ、イザナミの御坐する小さな祠がある。その縁であるのか、
皇太子殿下もご登頂なさっているらしい。
 パイプを吹かしたり昼寝をしたりしてずっと過ごせるような、佳い山頂である。風が無いから火を使うのも楽だろうが、あまりワイワイと鍋を囲むような雰囲気でもない。コースタイムから期待していたような山の大きさこそなかったが、しかし可愛らしさとともに気品が漂う頂だ。昭文社がコースタイムを過剰に示しているのは、人が気軽に来ないようにすることで「静かなる山」を守る為ではないかしらん、とも思われた。
 ただ一つその雰囲気にそぐわないのは、「高山植物を大切に!」という看板が都留市と山梨県との連名で出ていることだ。1700
mに満たない山である。都留市にとっては高山であろうけれども、山梨県には日本で一・二・四番の高峰があるというのに。
 下りも一応コースタイムを見込んで、15時22分のバスに間に合うように13時前に出発した。少し行ったところに小さな祠が建っていて、ここが峰宮跡だとわかる。この山で即身成仏した修験者もあったと読んだことがあったので、ここで入定したのだろうかと思ったが、下山後に見た案内板の説明ではそうではないらしい。そのすぐ先が「展望台」で、富士山が見えるように木が少し刈られている。近くに大きく聳えているらしいことはわかったが、雲がかかってごく裾野しか見られなかった。僕はあまり近くから見る大きな富士山は好まないので、まあよい。
 ここからは急な尾根を一気に下る。こちら側は林も少し暗く、やや面白みに欠ける道だ。話しながら歩いていたら、どういう訳だったか、朝ドラ俳優で誰が好きかという話題になった。川瀬さんは、福士蒼汰は声は好きだが顏は好みでないという。では玉木宏などいかがかと問うと、これが図星。「私は断然、ディーンより玉木です」とのこと。
 尾根を横断する林道と出会う直前、工事中の道路のために木が丸ごと刈られていて前方北側の展望が開けた。中央線沿いの山々がよく見える。後ろから人も来ないので、しばし山座同定に勤しんだ。正面に小さく盛り上がるのが高川山、一番奥に大きく連なるのが大菩薩あたりだろうか。
 三叉の舗装道のうち、尾根に沿って下る道に乗って進んで行く。昭文社の地図ではもう一度登山道に復帰できることになっているが、その入り口がわからなかったのでそのまま林道を歩くことにした。少々長い舗装道歩きだ。前半はよく手入れされた明るい道だった。後半は沢沿いに廃屋を見ながらの暗い道になるが、だんだんと鎮守の森らしき雰囲気になってくる。道路工事の大きなトラックに抜かれながら歩くと、やがて三輪神社の参道下の横手に出た。
 バスまでまだ四十分近くあったので、もう少し頂上でのんびりしてもよかった。意外と手軽に歩ける山だということが分かったから、また季節やルートを変えて楽しめそうだ。そういえば菅沼くんに、どうしてこの山行に参加したのかと尋ねたら、「こういう機会でないと一生歩かない山だろうから」というような答えが返ってきたのだが、どうだろう、十年か二十年に一度くらいは、再訪する価値の十分にある山ではないかしらん。
 参道の階段を上がってみると、土地の広い割に小さな社が建っているきりで、人の気配はなく、便所も見当たらなかった。階段下の案内板によれば、美濃国の生まれである妙心上人が富士山での修行の後、二百年ほど前にこの山を開いたらしい。山伏峠の方に少し下りたところにかつてあった上人堂に籠って入滅し、その即身仏は岐阜県の横倉寺に安置されているということである。
 午後には一便しかないバスに乗って、駅に戻ってきた。駅前にはセブンイレブンもあったが、小さなスーパに入ってみた。八百屋と酒屋を繋げて惣菜コーナを足したような店だ。歩いている間は下りたらアイスが食べたいなどと話していたのだが、バスを待ったり車内で揺られたりしているうちに身体は冷めてきたので、格安の手作り弁当をひとつずつ買うことにした。蕎麦党の菅沼くんはぶっかけそば二百円、川瀬さんは天丼三百円、僕はカツ丼三百円。駅は安全のために特急が通過してしまうまでホームに渡れないということで、広い待合の椅子に腰かけて食した。値段の割にご飯がかなりぎっしりと入っていてお腹一杯だ。
 乗込んだ富士急線も、大月からの中央線も、結構混雑していた。三人とも高尾で京王線に乗換え。川瀬さんは渋谷での次の予定のために、ザックに着替えとスニーカを忍ばせていたらしい。山狂いである。(無理して来てくれてありがとう。)

□ルートまとめ
・御正体山はあまり大きくないが、静かで美しい上品な山だ。昭文社のコースタイムはかなり過剰に書かれているので、秋冬でも安心して歩ける。あまり人が大勢来るようになっては困るから、大きな声では言えないけれど。
・道坂峠からの道はとてもよい。一度は歩いてみる価値がある。
・山頂は展望こそないがよい雰囲気だ。静かな味わいを楽しみたい。雲が無ければ峰宮展望台から富士山が見える。
・三輪神社への道は表参道なので文化的に重要だが、あまり面白くない。林道に出るところは景色がよい。林道は山をトラバースする道と尾根沿いに下る道の三叉路で、下る道をとる。いくらかショートカットできる登山道に戻る入口はよく分からなかった。

□反省
 小休止を入れるのは、立ち止まって足を休めることよりも、ペースを保ってメリハリをつけて歩くことや、水分糖分を摂取することの方に大きな意味があると思う。従って出来るだけ決まった間隔(50分前後)で必ず止まって行動食を口にするよう心掛けるべきだ。今回は下りで、景色を見たり地図を確かめたりするために細かく止まっていたので、「ここで一本立てましょう」ということが無いままに下りてしまったが、少ししんどかったかもしれない。少ししんどいということは、思わぬ怪我などのリスクが高まっているということだ。

□後記
 また今回も、山行を終えてから記録を提出するまでだいぶ経ってしまって、しかも何だかダラダラとした文章になってしまった気がします。自分の過去の記録はしょっちゅう読み返して、これは割とよく書けているなとか、これはもう見るのも嫌だなとか、色々に思うのですが、そうして暫く時間をおいてからでないと、自分の作文は評価し難いものです。
 和歌を詠むということは、その対象を讃嘆するということです。山行記録を書くのも、山や人を讃える行為です。山や仲間や山行の機会に感謝して思い出を確定する為に、よい文章を書く努力をせねばならないと思っています。