2017/8/6-12 キリマンジャロ

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
キリマンジャロ山行計画書
作成者:山本
■日程
2017/8/6(日)-8/12(土)
山中6泊7日 予備日応相談(最低1日あり)
■山域 キリマンジャロ
■在京本部設置要請日時
8/18(金) 12:00(日本時間)
■救助要請日時
8/18(金) 18:00(日本時間)
■メンバー(計2人)
CL 山本 SL 谷口

■集合
8/4(金)18:00 成田空港第一ターミナル4F中央コスモスプラザ

■交通
※時間は全て現地時間です。
□行き
[8/4(金)]
・エチオピア航空673便 21:15成田発 翌日0:55香港着
[8/5(土)]
・エチオピア航空673便 1:45香港発 7:45アディスアベバ着
・エチオピア航空805便 10:30アディスアベバ発 13:20ダルエスサラーム着
・プレシジョンエア436便 15:30ダルエスサラーム発 16:55キリマンジャロ着
→キリマンジャロ空港より麓のモシまでツアー会社のバスで移動

□帰り
[8/14(月)]
・キリマンジャロ空港までツアー会社のバスで移動
・プレシジョンエア431便 10:00キリマンジャロ発 11:20ザンジバル島着
→到着後、ザンジバル島観光
※ザンジバル島入島時に黄熱病イエローカードの提示の必要はないが、トラブル発生の可能性あり。
[8/16(水)]
・プレシジョンエア431便 11:40ザンジバル島発 12:10ダルエスサラーム着

※8/16(水)ダルエスサラーム着以降、2人の経路が異なります。
◎谷口
[8/16(水)]
・エチオピア航空804便 16:45ダルエスサラーム発 19:25アディスアベバ着
[8/17(木)]
・エチオピア航空638便 0:40アディスアベバ発 14:50シンガポール着
・エチオピア航空1342便 22:50シンガポール発 翌日6:45羽田着

◎山本
[8/16(水)]
エミレーツ航空726便 16:45ダルエスサラーム発 23:20ドバイ着
[8/17(木)]
・エミレーツ航空203便 2:50ドバイ発 8:50ニューヨーク(JFK)着
→19日よりニュージャージー州プリンストンにて東京大学体験活動プログラムに参加
[9/2(土)]
・中国国際航空820便 12:40ニューヨーク(ニューアーク)発 翌日14:30北京着
[9/3(日)]
・中国国際航空183便 17:10北京発 21:30羽田着

■行程
登りはMachame Route、下りはMweka Route
[1日目]
Machame Gate(1490m) - Machame camp(2980m)
時間: 7時間
距離: 18km
地形: Montane Forest
[2日目]
Machame camp(2980m) - Shira campsite(3840m)
時間 : 6時間
距離 : 9km
地形 : Moorland
[3日目]
Shira campsite(3840m) - Lava Tower(4630m) - Barranco camp(3950m)
時間 : 6時間
距離 : 15km
地形 : Semi Desert
[4日目]
Barranco camp(3950m) - Barafu camp(4550m)
時間 : 6時間
距離 : 13km
地形 : Alpine Desert
[5日目] ※仮眠後、夜中発
Barafu camp(4550m) - Stella Point(5685m) - Uhuru Peak(5895m) - Mweka(3100m)
時間 : 12時間(山頂まで6時間)
距離 : 30km(山頂まで7km)
地形: Stone scree and ice-capped summit
[6日目]
Mweka camp(3100m) - Mweka Gate(1980m)
時間: 4時間
距離: 15km
地形: Forest
※上の行程は標準的な5泊6日の行程です。実際は4日目に高度順応日を設けるため6泊7日となります。4日目は行程の途中Karanga
ValleyにあるKaranga camp(4033m)で一泊する予定です。

■エスケープルート
ガイドに従う。基本的に高度を下げることになると思います。

■地図
・International Travel Maps “Kilimanjaro & Tanzania North” (62500分の1)
・“Kilimanjaro A Complete Trekker’s Guide”
前者は日本の書店で売っています。現地でも地図をもらう予定です。

■備考
□言語 スワヒリ語(国語)、英語(公用語)

□時差(タンザニア) 日本時間マイナス6時間(サマータイムなし)

□日の出・日没
8/12(土)
日の出 6:35AM
日没 6:35PM

□偏角
キリマンジャロ 1°7 ‘W

□緊急時
・駐日タンザニア連合共和国大使館 http://www.tanzaniaembassy.or.jp/
03-3425-4531
・在タンザニア日本国大使館 http://www.tz.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html
+255-22-2115827/9

□ツアー会社等
・Kili-Climber`s & Safari LTD.  http://www.uhurutreks.com/index.html
+255 754 290477 or +255 27 2756434
・Tausi Palace Hotel(ザンジバル島)
下山後8/14,15に宿泊予定
Wi-Fiあり
+255 773539944

□遭難対策費
600円×2 合計1200円

□参考
・外務省海外安全情報(タンザニア)
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo_111.html#ad-image-0
・JICA生活情報(アフリカ) https://www.jica.go.jp/regions/seikatsu/africa.html
・参考にしたブログ http://yyfield.blog.fc2.com/blog-entry-212.html
・参考にしたブログその2  http://daiki55.com/kilimanjaro1/
・ヤマレコ過去記録(2017/1/1~1/6)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1029703.html
・ヤマレコ過去記録(2012/12/25~12/31)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-258202.html
・ヤマレコ過去記録(2011/8/14~8/20)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-131962.html

キリマンジャロ山行記録
作成者 山本
■日程 2017/8/6(日)~2017/8/12(土)
■山域 キリマンジャロ
■メンバー CL山本 SL谷口
※ガイド1名、アシスタントガイド1名、コック1名、ウェイター1名、ポーター6名
■日程
□0日目 ~人生初のアフリカへ~
*記録
 余裕をもって成田空港に集合し、エチオピア航空で香港へ。早速ここで機内食が出た。香港では乗り換えず、同じ飛行機でアディスアベバへ。約10時間の長いフライトで、機内食が2回出た。高地のアディスアベバは予想以上に寒く、半袖半ズボンの二人はさっそくアフリカの洗礼を受けることとなった。国際線の乗り継ぎエリアではWi-Fiが使えず、飲食店やお土産屋も一切ないので暇を持て余した。アディスアベバからダルエスサラームは3時間強といったところだが、ここでも機内食が出たので、結局機内食だけで一日四食も食べることになった。ダルエスサラームでタンザニアに入国。日本でビザを取っているとスムーズに入国できる。なお、ダルエスサラームではWi-Fiが使えた。キリマンジャロ空港までは予想外のプロペラ機で結構揺れた。行きは通路右側に座るとキリマンジャロが見えるようである。機内からキリマンジャロを見て歓声を上げる白人たちは、新幹線から富士山を見て喜ぶ日本の外国人と何も変わらない。
 空港からホテルまでは旅行会社の車で移動したが、危険すぎた。未開の土地に道路と自動車だけ与えても、それは「インフラ」と呼ぶには程遠いと感じた。モシのホテルでは、夕食を食べながら旅行会社のボスに料金を支払った。後述するが、事前交渉していても現地では全く信用ならないので、はっきり主張しましょう。今回は、若干の値切りと全額クレジット払いの条件を通すことができた。

□1日目 ~不信感の募る初日~
*天候 曇り
*行程
13:30 登山口
14:20 トイレ
14:20-14:25 Picnic Area
16:25 登山道東の滝
17:25 Machame Camp
*記録
 朝食(口に合うものは皆無だが…)を食べた後、9時半にホテルに集合。今回の登山チームがバスに集結し、モシの街で食料や登山道具の補給をして、40分ほどでマチャメルートの登山口に着いた。
登山口の前には、生活をかけて登山道具やシャツを売る現地人が大挙しており、根負けした我々はサブザック用のザックカバー($5)を買った。登山口ではまずランチボックス(韓国風巻き寿司、チキン、果物など)を食べた。登山口なのにトイレは非常に汚く、今後が思いやられる(結局登山口よりひどいトイレは少なかったように思う)。ゲートの事務所で入山料を支払うが、ガイドたちは並び方を知らないのだろうか、一つしかない窓口はカオスと化していた。事務側の手際も非常に悪く、1時間以上も事務処理能力の低さを嘆いていた(これはタンザニア全般に言える)。ようやく出発かと思っていたところ、突然ガイドのMaroから$20貸してくれと頼まれる。ポーターの一人の母親が先ほど亡くなって金が必要なのだという。意味が分からない…そもそも何故今この場に来ているのかすら理解できないものの、とりあえずポーターを呼んで話を聞いたが、ニヤケ顔を見てヘイトが溜まる。結局頑なに断り続けたところ、ガイドも諦めたようで今後この話が出ることはなかった。初日からガイドを含め各スタッフに不信感を募らせてしまう船出である。というか、そもそも何でこんなにポーターの人数が多いのか…話が違う…
 諸々で出発が非常に遅れてしまい、日没までにキャンプに到着できるか不安であるが、何とか出発することができた。ゲートを出るとすぐ、木の上にサルがいた。初日は熱帯雨林を歩くルートで、土も熱帯の赤土である。ツルが巻いた低木や枝葉が屋根のように空を覆う高木など、アフリカの植生は面白い。キリマンジャロに特徴的な花も多く、ガイドの解説を楽しむことができた。非常に裾野の広い森林で、キリマンジャロのスケールを体感した。水の音は聞こえないが、後半に登山道から少し離れた脇道に滝があった。水は山頂からの融雪水で非常に冷たい。ツルツルの岩盤を流れる5mほどの滝で、登るならロープが必要だろう。少し速めに歩いたのか、日没前に余裕をもってキャンプに到着した。ポーターやコックは先に到着してテントを準備しており、テントの前でチーム全員の集合写真を撮った。ゲスト用のテントが一棟、ゲストの食事用のテントが一棟あり、キリマンジャロ登山は接待でありビジネスであることを感じる。初日の夕食はパン、野菜スープ、ポテト、ミートソース、もやしのサラダだった(食事は写真を参照)。かなり美味しく、量も食べきれないほどだった。初日のキャンプから約3,000mだが、日本の高山と比べるとずいぶん温かい。この山行を通して、冬山用のシュラフはとても快適だった。他の隊のキリマンジャロの歌を聞きながら、8時ごろに就寝。

□2日目 ~つらい登り、ついに姿を現したキボ峰~
*天候 曇りのち晴れ
*行程
8:45 Machame Camp
9:40-9:45 休憩
10:15-10:25 展望
11:30-11:40 休憩
12:45 Shira Camp
※お散歩
16:30 Shira Camp
17:00 展望
17:30 Shira Ⅱ Camp
18:10 Shira Camp
*記録
 朝食、洗顔、トイレ(臭い)を済ませて出発。ポーターやコックは先に出発して、ゲストが来るまでに次のキャンプ地でテントや食事の準備を進める。昨日に引き続き、しばらくはMontane
Forestの地形である。午前中は毎日曇っているようだが、乾季なので雨が降りそうで降らない。乾季なのに色とりどりの花が見られ、この山行を通して花には元気づけられたと思う。
しばらくすると樹高が低くなるに伴って岩が目立ってくる様子で(Moorland)、展望のいい岩場で休憩を取る。岩場から見下ろすキリマンジャロの裾野の熱帯雨林は果てしなく続き、この山の裾野のスケールの大きさには本当に驚かされた。確か岩場のあたりで標高が富士山の3,776mを超え、人生最高標高を更新した。今年の冬にボルネオ島のキナバル山(4,095m)に登っている谷口の人生最高標高更新は明日にお預けである。岩場に入っても植生は面白い。花や木、苔は写真をアップしているので是非ご覧ください。岩場でまた休憩を取り、ガイドからもらった乾燥バナナを食べた。キリマンジャロでは5,000m付近まで大きな黒いカラスが生息している。カラスは食べ物を狙っているが、意外と危険ではないらしい。キリマンジャロの地形は変化に富んでいるものの、岩場に入ると単調な地形が続いたせいで、(最終日のアタックを除くと)この日の登りが一番つらかった。
 昼過ぎにキャンプに到着し、すぐに昼食を食べた。野菜スープとナポリタンスパゲッティだった。美味しい。この日は時間があるので、しばらく休憩して16時から散歩に行くことになった。休憩中は意外とすることがなく、谷口が持参した『山と渓谷』7月号と8月号を読んでいた。日本アルプスの3,000m峰、岩稜についての特集が組まれていて、日本の山もいいなぁと二人で想像していた。山本は赤木沢・温泉込みの裏銀座4泊5日、谷口は槍・奥穂高・西穂高縦走3泊4日(大キレット!ジャンダルム!)
を考えていた。年に一回は上高地に行きたいものだと毎年思うが、アフリカで2週間も過ごしているようでは今年も厳しい。
 16時になるとウェイターに呼ばれて散歩に出発した。今回宿泊するキャンプは正確にはNew Shira
Campで、散歩の目的地はマイナーなShira RouteにあるShira Ⅱ
Campである。途中少し道から逸れてキボ峰方面の眺めがいい岩場に行き、展望を楽しんだ。Shira Ⅱ
Campは小さなキャンプ地で、マイナーなルートゆえ強そうな装備の白人が多かった。帰路では大きな洞穴、New Shira
Campへの補給を行うための黄色いヘリポートが見られた。キャンプ地に帰ると、雲の晴れたキボ峰がはっきりと見える。実はモシの街でも初日の行程でもキボ峰は全く見えなかったので、キボ峰の姿をはっきりと目視できたのは2日目が初めてである。帰って来たのが18時過ぎだったこともあり、夕食前に夕焼けの雲海と赤く染まったキボ峰を見ることができた。夕食のメインはココナッツ風味の白米とチキンで、これも美味しくいただいた。肉が食べられるって普段のお泊り山行よりも幸せかも…。

□3日目 ~高くそびえるLava Towerとジャイアントセネシオの出迎え~
*天候 晴れ
*行程
8:30 Shira Camp
9:25-9:30 休憩
10:15-10:20 休憩
11:00-11:05 休憩
11:10 Lemosho分岐
12:05-12:50 Lava Tower
14:10 Barranca Camp
*記録
 朝食はいつも通りのメニューだった。アボカドがフルーツ枠になっていたのが謎。初めて4,000m後半に突入する日で、若干高山病が気がかりだった。キボ峰に西側から近づくコースで、地形は事前のお知らせ通りのSemi
Desertだった。高木が完全に消えた半砂漠でも花は咲いているのだから立派である。登りが長く続くので結構きつい。Lava
Towerに近づくと氷河の白色が目立ってきており、その反面で近年氷河が消失したのだろうなと容易に推察される斜面もかなり多い。雨季の前後に氷河の融雪水が流れる大きな涸れ川(乾季も伏流しているかも)が途中現れ、思わず足を止めて写真を撮っていた。4,600m超のLava
Towerに近づくにつれ、気分は悪くないのに胃液が逆流する感覚に襲われた。結局何の問題もなかったが、軽い高山病の兆候だったのかもしれない。昼前に西側からのLemosho
Routeとの合流地点を通過した。Lemoshoは最低7日かかるハードだが美しいコースで、強そうな装備の白人が何組かいた。
 Lava Towerは地蔵岳オベリスクのような巨大な岩の塔である。ロープと相当の技術がないと登ることは出来ないだろう。そもそもキリマンジャロ登頂の方が大きな目標なので、試しに登ってみようとすら思えなかった。情報が錯綜しているため確かではないが、最近Lava
Towerは登攀禁止という話があったりなかったり。死人が出たことは確かにあるらしい。岩の裾野で初日に似たメニューのランチボックスを食べた。やっぱり3日目にチキンが食べられるって幸せ。登山者の落とす食べ物が多いので、この標高でもカラスやネズミがかなりの数生息していた。Lava
Towerはこの日の最高標高で、ここで高山病を訴える登山者が多いということである。幸い食欲十分だったので、高山病については一安心。
 午後は緩やかな下りだった。砂漠にはっきりと表れる登山道が美しい。次第に水流を伴う川の水が目立ってくる。水と共に植物の緑も増えてきて、このあたりが高度帯に応じて景観が明瞭な変化に富んでいるキリマンジャロらしさだと感じる。特に目立つのはキリマンジャロを象徴する植物ともいえるジャイアントセネシオで、二人ともセネシオの大木の横ではしゃいで写真を撮っていた。彼方の砂漠と山頂の氷河と目の前のセネシオが同居していてどこか不思議。川にはいくつかの難しい滝も見られる。冷たい融雪水の滝と遊んで標高5,000mまで沢登りをしたい人は、ぜひキリマンジャロへ。エスケープルートも無限にあるので悪天でも死なないでしょう(逃げても低体温症で死ねると思います)。そういえば、水源地としてのキリマンジャロ探検が熱かった時期もあったそうだが、ナイルの源流が特定されると急速に尻すぼみになったらしい。
 ジャイアントセネシオを楽しんでいるといつの間にかBarranco
Hutに到着していた。確実に頂上に近づいているという感覚がある。おやつにポップコーンを作ってもらい、夕食はマカロニとサラダなどだった。2日後には夕焼けに染まる山頂にたどりつけているのだろうか…
 しっかり寝つけていたが、0時頃に外で人が吐く音で二人とも起こされた。翌朝聞いたところ吐いていたのはガイドのMaroだった…

□4日目 ~楽しい岩壁~
*天候 晴れ
*行程
9:15 Baccanco Camp
10:10-10:15 休憩
10:45-11:00 頂上
12:45 Karanga Hut
*記録
 高地順応のため日程を伸ばして余裕があるので、この日は遅めの7時半に起床し、出発も遅めだった。ガイドが吐いていたことを知り、自分たちに高山病の症状はないものの、この先の高地順応に不安が高まった。
 この日はキボ峰の南壁をしばらく登り、その後東にトラバースしてKaranga
Hutに抜けるルートである。朝食後すぐに登るので、この岩壁は”Breakfast
Wall”というらしい。適度にスリルのある岩場だが、毎年滑落は起きているだろう。特に大荷物を担ぎながら岩場を進むポーターの滑落は想像したくない。日本にある鎖やハシゴは当然存在しない。行ったことはないが、きっと剱岳はこんな感じなのだろう。高度を上げて見下ろすと高度感があるので、なかなかの壁だと思う。壁の頂上からは下界の雲海、山頂の氷河が綺麗に見えた。西のMt.
Meru(4,566m)が一番綺麗に見えたのはここだったかもしれない。
 トラバース路は4,000mを超えているが、まだ高山植物やセネシオが見られた。白と黄色の広大なお花畑が見られたのが印象深い。このあたりでガイドと環境問題の話をしていた気がする。トラバースの結果谷に降り、ここから一気に登るとKaranga
Campである。この谷を流れる川はMachame
Routeで最後の水場なので、キャンプから水を汲みに降りてきたポーターが多い。最後の登りは急登でつらかった。
 Karanga Campはトイレが…隣の隊のガイドが日本語をかなり話せるArusha在住の教師で、面白い人だった。夕食にトマトソースと白米が出てきて美味しかった記憶がある。夜は互いの人生談義で若干夜更かししてしまった。

□5日目 ~眠れぬ夜~
*天候 晴れ
*行程
9:15 Karanga Camp
9:55-10:00 休憩
10:30-10:35 休憩
11:30 Barafu Camp
*記録
 昨日に続いて日程に余裕があるので遅めに出発。この日からは植生がほぼ見られなくなり、ついに完全に山岳砂漠に突入した。ひたすら砂漠が続くので写真も記憶もあまり残っていないが、砂漠にポーターのカラフルな装備が映えていた。
 Barafu Campには大きなアンテナが建てられており、携帯で電話できるらしい。また、東側に茶色のMawenzi峰がはっきりと見える。昼食を取って昼寝し、夕食は早めの時間だった。夕食後は今夜のアタックの打ち合わせをして、テントに戻った。流石にこの高度だと寒いので、タイツなどアタック用の服装で寝ることにした。防寒具やカメラなどの準備も終わらせて準備万端で寝袋に入るが、全く眠れない。アドレナリンのせいではなく、急にアタックに向けて生活リズムが変わったことが原因だろう。羊を数百匹数えても眠れず、結局寝つけたのは9時頃で、2時間半ほどしか眠れなかった。

□6日目 ~山の日に極寒のアフリカの屋根へ~
*天候 晴れのち曇り
*行程
0:05 Barafu Camp
1:05-1:10 休憩
3:00-3:10 休憩
3:30-3:35 休憩
4:30-4:35 Stellla Pointa
5:30-5:40 Uhuru Peak
6:00-6:10 Stella Point
6:25-6:35 休憩
7:20 Barafu Camp
(以降、仮眠後)
11:00 Barafu Camp
11:50-11:55 休憩
12:20-12:30 High Camp
13:50 Mweka Camp
*記録
 睡眠時間は明らかに足りていないが、それほど眠くない。パンと紅茶でエネルギーと水分を摂取し、起きて30分ほどで出発した。私たち二人とガイド・アシスタントガイドの4人である。
 登山道は渋滞していたが、団体客やお年寄りが多いので意外とすいすい抜いていった。高山病も眠気もなく順調に進んでいたが、これが順調すぎたのだ…。また、ヘッドランプだけでは被写体が暗すぎてカメラは使い物にならなかった。太陽に期待。4,500mほどまで登るとトイレに行きた過ぎて苦しかった。さらに、この頃から明らかに体感温度が下がってきた。カイロは気休めにしかならないし、ネックウォーマーも凍るし…。相変わらず乾燥しきった唇のカサカサもつらい。5,000mほどまで登ると、今夜Barafuから登ってきた登山者全員を抜かしてしまい、私たちのチームが一番に山頂に着くことになってしまいそうであることに気付いた。山頂が混雑していないのはいいが、いやこれ絶対に早すぎて日の出は見られないだろ…。山頂までの登山道には避難小屋もトイレもないので、明るい時間に登頂するためには寒さに耐えつつ時間をやり過ごさないといけない。ここまで順調に来ていた分、焦りが強い。しかし、動かないで待っていられるほど寒さは甘くないので、行きたくないと思っていても歩を進めるしかない。寒い寒いと文句を言いながらも、何だかんだStella
Point(5,756m)までは冷静さを保ちながら登ることができた。
 Stella Pointから先はキボ峰の御鉢を囲む稜線である。ここからは全方向から風が吹き下ろすので、気温自体は大差ないとしても、体感は全く別次元の寒さだった。Stella
Pointでは風よけの岩陰で休憩を取ったが、寒すぎて全く休憩にならなかった。退くことはありえないが、進むも地獄、進まぬも地獄である。Marangu
Routeから合流してきたチームが先にUhuru
Peak方面に進んでいったので、私たちも山頂アタックを決めた。このままいけばこの日二番目の登頂となる。山頂までは片道一時間と伝えられた。右に巨大な火口、左に巨大な氷河が広がり、景色は最高だった。考え事をする余裕はなく、足だけを動かして30分ほど歩き、休憩となった。この休憩ポイントは風よけ機能が皆無で、ニット帽を持っていない谷口は寒さが限界の様子だった。谷口ほどではないにしても山本も寒さが限界に近く、現実逃避から危うく寝落ちしそうだった。”Wake up! You will die!”というガイドの叫び声で我に返り、進む決心をした。Uhuru
Peakまでの30分は写真も記憶もほとんどないが、山頂の木製の看板が目に入るとお互いねぎらいあっていた気がする。日本からここまで果てしなく遠かったが、山頂の看板は意外と小さかった。
 山頂は真っ暗だった。スマホのカメラは使い物にならず、一眼でフラッシュを焚いて何とか顔を被写体として認識してくれるレベルだった。ずっとここにいて日の出を待ちたかったが、どうしようもなく風と寒さがつらかった。後から振り返られる形の思い出を作れるように何とか粘って色々したが、皆10分で限界となって撤退した。帰り道は半分ほどの時間でStella
Pointまで到着して若干憤りもあったが、こればかりは仕方ない。下山路ではつらそうな顔の登山者を横目にすいすい降りていったが、明るい山頂を楽しめる彼らが羨ましい。日の出の時刻は5,000m付近で迎えた。オレンジに染まるMawenziや彼方のケニアの町が見えた。下りは砂走りが多く、太陽のおかげでそれほど寒くもないので(むしろ暑かった)、順調なペースで快適だった。下から見る山頂は楽そうに見えるのに…。4,800mほどから雲海に浮かぶBarafu
Campが現れた。竹田城も美しいが、ここも天空の城ラピュタを思い起こさせる。キャンプに着くとポーターたちにお礼を伝え、しばらく休憩になった。谷口は寝ていたが、山本はほとんど寝られなかった。昼食は野菜のスープや新鮮なフルーツで、かなり豪華だった。Mwakaから補給が入ったらしい。
 昼食後、また準備をしてMweka Campまで出発。タイツを脱いでいない谷口はかなり暑そうだった。Mweka
Routeは比較的新しいルートで、Mwekaまで一直線に下る。登山客の下山路やポーターの補給路として使われている。機能性重視で勾配も急なので、あまり面白みはない。改めてキリマンジャロの裾野の巨大さを実感した。下り一辺倒で膝に来ていたが、何とか耐えられた。
 Mweka Campはかなり大きいキャンプ場である。雨水を用いた水道もある。キリマンジャロでの最後の晩餐はミートスープと白米がメインだった。こんな美味しい夕食を山で食べられて幸せ。いつも通り食事終わりにガイドがテントに入ってきて、明日の予定の話かと思えば、急にチップの交渉が始まった。こちらの希望額と算定基準を提示したところ、受け入れがたいとのこと。特にポーターが低すぎるから考え直してほしいと伝えられた。二人で話し合ったところ、各役職の配分は変えるにしても、合計額は今日のところ妥協しないという結論になった。ガイドの額を増やしたところ、彼個人としては満足している様子が伝わったが、チームとしては受け入れられないらしい。過去のチップ額やゲストからの感謝の手紙を見せてもらったが、とても学生に払える額ではない。そもそもチップはゲストの言い値である上に、手紙の偽造だって否定できないので、保留で明日に持ち越すことにした。「金を貸してくれ」という初日の意味不明な出来事で生まれた不信感も大きかった。寝袋に戻って寝る準備をしていると、ガイドから忠告を受けた。Mwaka
Campは街から近く、さらに外国人が無防備に寝ているので、格好の盗みの場所だということ。もちろん用心したが、先ほどのチップの生々しい話が頭に残っていたので、むしろ疑いたくなくない仲間を疑ってしまった。様々な不安を感じつつも、ハードな一日の疲れには勝てず、すぐに眠りに落ちた。

□7日目 ~非日常の終わり~
*天候 曇りのち晴れ
*行程
8:25 Mweka Camp
10:30 Mweka Gate
*記録
 朝起きて真っ先に懐の貴重品を確認した。何も盗られてなくて一安心。疲れもない。Mwekaから昨日補給が入ったのだろう、朝食には新鮮な果物が多かった。朝食中からガイドにチップの話を投げられて、朝から嫌な思いをした。向こうは必死なのだろう。荷物をまとめて準備を済ませると、キリマンジャロの歌を歌っている他チームの様子を動画撮影した(本当はマナーがよくなかったみたい…)。後から振り返ると、動画はその時は日常だった非日常を追体験させてくれるので本当にいいものである。容量は食うものの、写真より断然いい。
 Mweka Gateまでの下りは一本道だった。ガイドはちょくちょくチップの話を振ってくるが、これはビジネスだからと心を鬼にする。登りではガイドを先頭にガイドのペースで歩くよう指示されていたが、下りは自分たちのペースに任された。初日に似た熱帯雨林が続き、自然よりもこの一週間の思い出の方を考えてしまっていた。何度も谷口と話し合っていたが、何よりも無事に二人で登頂できてよかった。途中から中国系の家族に遭遇して渋滞に巻き込まれた。登頂の年齢制限に引っかかる小さい子供もいたので、山頂は登らずに途中までトレッキングに来ていたのであろう。珍しい金持ちもいるものだ。
 2時間ほど歩くと、もう登山口だった。ポーター以外にも、草刈りをする子供、キリマンジャロTシャツを必死の表情で売りつける男…記念撮影を終えると、登山証明書を発行する事務所の前に通され、しばらく待たされた。チップの受け渡し(結局こちらの言い値で受け入れてもらった)、登山証明書への署名、登山者用の自由コメントへの記入を終えると、すぐに旅行業者のバスでモシに帰ることになった。街に帰る前に土産屋に寄ることになったが、その道中は生活感あふれるタンザニアの現実がまざまざと見て取られた。土産屋は品ぞろえの良い綺麗な施設だが、立派すぎてむしろ眩暈がするほどだった。隣の民家は何もかもが貧相なバラック小屋だが、観光客向けの土産屋には、きれいすぎる水洗トイレに、門には監視カメラと警備員まで付いている。柿ピーをつまみにキリマンジャロビールを飲みながら、絶望的な格差を目にしていた。
 モシの街に着くと、テントなどの装備を倉庫に返却して登山チームとはお別れ。ガイド一人は残って旅行業者のオフィスまで来てくれた。荷物を受け取り、お礼に日本国旗と谷口の登山靴をあげた。貴重品の入ったスーツケース一つは外の金庫に保管しているというので、車で移動する。移動に時間がかかり、さらに金庫などなさそうな町はずれに入ったので不安が募る。結局西洋的な大豪邸に到着し、ガイドが嫌そうな顔をして言うには、旅行業者のボスの自宅なのだという。労働者を搾取する会社であるという情報は持っていたが、これほどまでの格差なのか…「過去と未来、貧困と繁栄、堕落と希望」という地球の歩き方の記述が脳裏に浮かび、絶句。無事スーツケースも回収でき、山行自体は無事終了したが、後味の悪い終わり方だった。

□下山後
 ホテルで浴びた一週間ぶりのシャワーは人生で一番のシャワーだった。一週間ぶりのインターネットも楽しみにしていたが、街の停電でしばらくWi-Fiが使えないというアフリカらしい何とも何ともな落ちが待っていた。

■感想
・日本では2016年に山の日が祝日として新設されたが、2017年の山の日にキリマンジャロに登ることができてうれしい。
・熱帯雨林、半乾燥地帯、砂漠、岩稜、氷河と変化に富んだ地形を楽しむことができるのがキリマンジャロの魅力。この意味ではマチャメルートがおすすめで、単調かつ比較的高山病のリスクが高いマラングルートはあまり好みではない。
・乾季(8月は麓の降水量が20mm/月)に登ることになるので、気候が安定していることもキリマンジャロの魅力の一つ。日本の8月は台風だが、今回は一週間も滞在して一度も雨が降らなかった。ただし、山頂を含め高地で雨が降ると低体温症ですぐに死ねると実感したので、雨具は必須である。実際に、ガイドが雨による低体温症で亡くなった例もある。
・ベースキャンプですら3,000mを越えているので、高度感覚がおかしくなる。低緯度の熱帯地域につき高度の割に寒くはないが、山頂だけは今まで体験したことのない寒さだった。
・キリマンジャロ登山に必要なものをまとめると、資金力・体力・英語力・高山病対策・日焼け対策・防寒である。今回は無事登頂を果たすことができたのでおおむね問題はなかったが、強いて言えば防寒に改善の余地があったと思う。
・今回は高山病が不安で行程を通常よりも1日伸ばした。無事登頂できたので結果的に正解だったが、5泊6日でも登頂できていただろうとは思った。4日目Barafu到着時の疲労次第。
・夜明け前で暗すぎて、山頂できれいな写真(人物・氷河・火口など)を撮れなかったのが最大の後悔。今回の登頂時刻は完全に間違いだったが、それでも暗い被写体に対応できる撮影技術があればよかった。
・キリマンジャロ登山はタンザニアの国家的産業であり、開発途上国でありかつ最貧国であるタンザニアの強烈な光と闇を垣間見ることができる。忘れてはならないのは、先進国から来たわれわれ観光客も当事者であるということである。

■これからキリマンジャロに行く人に向けて
①持っていった方がよかった持ち物について
・防寒具
…巷のうわさ通り、多少の防寒の備えさえあれば、確かに行程の大部分はハイキング感覚で歩くことができます。ただし、山頂アタックだけは全く別物です。冬山並みの防寒対策をしないと、せっかく山頂にたどり着いても滞在することすら困難です。実際、今回のケースでは夜明け前だったので、気温-20℃、風速10mといったひどい状況(体感温度はおよそ-30℃)で、山頂滞在は10分が限界だった。
ニット帽・ネックウォーマー・高機能なアウター・タイツは必須で、ニット帽なしの谷口は相当寒そうだった。足先も相当冷えて痺れたので、カイロや追加の靴下なども必要だと思った。
また、寝袋も必ず冬山用を持参すること。
・リップクリーム
…乾季に登ることになるので、空気の乾燥が深刻。鼻と唇が乾ききって痛い目にあった。今回一番忘れて痛い目にあったもの。
・暇つぶし(本、トランプ、オフラインで遊べるアプリなど)
…各日の行動時間はそれほど長くないので、意外とテントの中で暇。
・日本食
…食事に飽きてきた後半に味噌汁が飲みたくなるはず。お菓子もあるとうれしい。

②食事について
・三食ともゲスト専用の食事用テントで食べるのが基本。ただし、行動時間が長めの3日目はランチボックスが用意され、途中のLava Towerで食べた。
・基本的に清潔かつ美味しい料理が出てくる。コック・ポーターを始め感謝してもしきれない。
・麓からの補給次第では、果物や牛肉も食べることができる。量は食べきれないほどで、残してしまうこともあった。また、高山病対策には水分が重要なので、スープや温かい紅茶などで積極的に水分を摂取することになる。
・水については、(Barafu
Campを除き)基本的にテント場の近くに水場があるので、出発前と到着後に好きな量をもらうことができる。若干濁っているが、全く気にならない。

③トイレについて
・清潔ではない。基本的に臭うが、耐えられる範囲。少なくとも日本の悪名高い小屋よりはまし。
※マラングルートの小屋(Kibo Hutを除く)は水洗トイレで、シャワーもついているらしい。

④ガイドについて
・私達は今回のガイドのパフォーマンスについておおむね満足しているが、初日のトラブルや登頂日のペース配分の誤りについては不満を感じている。
・旅行業者は選べてもガイドを選ぶことは出来ない。ガイドを信頼してはいけない局面もあるということを肝に銘じてください。ペースや道がおかしいと感じたら、はっきりとガイドに意見を伝えることが必要でしょう。

⑤チップについて
・事前にチップの額も契約に含めてしまい、契約時に文書に書いてもらうことを強く推奨する。なお、今回はメールと口頭で二回打診したが、両方とも断られた。
・それが無理な場合、下山時にチップを手渡しする一般的なスタイルになるが、額が大きくなりがちであるうえに、必ずトラブルの元となる。それは今回も例外ではなかった。なお、チームのパフォーマンスを評価して金額で格別の感謝を伝えたい場合は、この限りではない。
・チップの主張額の根拠となる数字や英字文書を用意できると、交渉の際に説得力が増す。
・また、チップの相場や為替、タンザニアや地域の経済事情(1人当たりGDP、平均賃金など)を下調べしておくことは、チップの額を決定するうえで大変有用でしょう。