2017/9/9-10 西丹沢縦走

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
西丹沢縦走(畦ヶ丸・加入道山・大室山・檜洞丸) 
作成 木下
□日程 9月9日(土)・10日(日) 一泊二日・予備日なし
□山域 丹沢山塊
□在京本部設置要請日時 2017/9/10 1900
□捜索要請日時 2017/9/11 0900
□メンバ(計1名)
木下
□地図
■2万5千図 「中川」「大室山」
■山と高原地図 「28(29)丹沢」

□行程
■ 9日 西丹沢自然教室(0945頃出発予定)
-2°00′→善六ノタワ
-1°00′→畦ヶ丸
-2°45′→加入道山(1615頃到着予定・避難小屋泊)
  [歩行計5時間45分]
■10日 加入道山(0530頃出発予定)
-1°30′→大室山
-1°15′→犬越路
-2°40′→檜洞丸
-1°20′→石棚山
-1°45′→箒沢公園橋(1500頃到着予定)
  [歩行計8時間30分](中川まで更に車道1時間)
□エスケープルート
・バン木ノ頭~シャカグチ丸あたりまで:畦ヶ丸から自然教室へ
・馬場峠~大室山あたりまで:白石峠から自然教室へ
・熊笹ノ峰~檜洞丸あたりまで:犬越路から自然教室へ(但し増水時要注意)
・檜洞丸以後:石棚山から箒沢へ
※ルート上に水場がないため、携行水量に余裕をもって下山できるようにエスケープします。

□交通
■行き
・小田急線
 新宿0631/0639/0651→新百合ヶ丘0657/0710/0718→新松田(着)0749/0801/0814
  新宿から780円 新百合ヶ丘から540円
・富士急湘南バス
 新松田駅0810/0825→西丹沢ビジターセンター0921/0936
  1180円ICカード可 往復2120円(新松田駅前窓口にて取扱い)
  バス往復と中川温泉のセットで2250円との情報もあり
■帰り
・富士急湘南バス
 西丹沢VC1440/1540/1625/1705/1858
→箒沢  1445/1545/1630/1710/1903
→中川  1453/1553/1638/1718/1911
→新松田駅1549/1649/1734/1814/2007
   箒沢から1130円 中川から1030円
   往復はそれぞれ 2030円 1850円
   箒沢→中川は220円
・小田急線
 新松田→新宿 毎時6本 新宿まで80分前後 780円

□山小屋
・畦ヶ丸避難小屋 トイレあり
・加入道山避難小屋 トイレなし
・犬越路避難小屋 トイレあり
・青ヶ岳山荘 トイレ100円
  素泊まり6000円 食事付8000円 要予約
  水販売あるが宿泊が予約制のため売店は閉まっていることもある
  090-3404-2778(SMS推奨)

□日帰り温泉
・中川温泉ぶなの湯
  2時間700円 10時~19時
  0465-78-3090

□遭難対策費
 200円/人*1人
  計200円

□日没日出
■9/10日没(横浜):1756
■9/11日出(甲府):0525

□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:東京594kHz/富士吉田1584kHz
■NHKラジオ第二:東京693kHz/甲府1602kHz
■NHK FM:東京82.5MHz/小田原83.5MHz/三ツ峠86.0MHz

□警察署電話番号
・神奈川県警 松田警察署  0465-82-0110
・      津久井警察署 042-780-0110 (畦ヶ丸~大室山の北西側)
・山梨県警  大月警察署  0554-22-0110 (大室山~檜洞丸の北東側)

西丹沢縦走(畦ヶ丸・加入道山・大室山・檜洞丸)記録
木下 作成
□日程 9月9日(土)・10日(日)
□山域 丹沢山塊
□メンバ(計1名)
木下

□天候
  9日晴ノチ曇
 10日晴ノチ曇

□実際の所要時間(休憩別)
■1日目 西丹沢自然教室0910発
-1°39´→善六ノタワ
-0°46´→畦ヶ丸避難小屋1150着1205発
-2°03´→加入道山1431着
  [歩行4時間28分・休止0時間53分]
■2日目 加入道山0544発
-1°06´→大室山0653着0700発
-0°59´→犬越路0801着0820発
-2°09´→檜洞丸1044着
-0°04´→青ヶ岳山荘
-0°04´→檜洞丸1127発
-0°53´→石棚山
-1°42´→箒沢公園橋1416着
  [歩行6時間57分・休止1時間35分]

□ルート状況
■交通と温泉
 新松田の駅を出て左側に西丹沢行のバスが停まる。バスの後ろ側に案内所があり往復券が買える。富士急湘南バスのウェブサイトには往復券の情報しかないが、中川温泉(通常700円)とのセットがあり、西丹沢まで2250円。「西丹沢自然教室」は「西丹沢ビジターセンター」に改称したため、地図やバスの案内では混用されているが、バスで「西丹沢」と言えば同じ終点を指す。
 石棚山稜から下りてきたバス停は「箒沢公園橋」で、「箒沢」より二つ山側なので、箒沢の通過時刻ギリギリだと既にバスは過ぎた後かもしれない。箒沢公園橋の通過時刻は西丹沢を発車した1分後のようだった。
 ぶなの湯は「中川温泉入口」ではなく一つ山側の「中川」で降りて坂を下った先。セット券の注意書きにも車内アナウンスにも、ぶなの湯の最寄り停留所が示されないので要注意。その「ぶなの湯」は山帰りでない子連れなどで混雑している。2日歩いた後でセット券を持っているなら行ってもよいかなという感じで、700円を払って行くのはためらわれる。
■避難小屋とトイレ
 畦ヶ丸、加入道山、犬越路の三つの避難小屋の中では、加入道のものが最も新しく綺麗で、犬越路も同じくらい綺麗だが、畦ヶ丸はかなり経年感がある。畦ヶ丸にはストーヴと和式トイレが、犬越路には洋式水洗ポットントイレがある。加入道の小屋には雨水タンクがあるが、蛇口をひねって出てくる最初の水がいつの雨だか知れないから、掃除くらいにしか使えなさそう。
 避難小屋には使用日誌が置いてある。日付、天候、氏名、年齢、所属、計画などを書く。宿泊地だけでなく休憩の旅に書いておけば遭難時にも役立つだろう。
 青ヶ岳山荘を含む全てのトイレは、使用した紙を持ち帰らなければならない。念のためポリ袋・新聞紙・汚れたジップロックなどをセットにして携行しておくのがよい。西丹沢のビジタ・センタには下界式の水洗トイレがあり、紙が流せる。大石キャンプ場は借りられるトイレがあるものかどうかわからなかった。
■西丹沢→畦ヶ丸
 今回のルートの中ではもっとも普通な道。よく歩かれているようだ。前半の沢沿いの道には深山味がある。岩がごろごろ転がっていたり高い位置にかけられた木橋に登ったりと小さなアップダウンが多い。渡渉も何度かあるので油を塗った革靴がよい。
 畦ヶ丸の山頂は地味で、ベンチもなかった。下って登った100m先に小屋があり、ベンチもある。
■畦ヶ丸→加入道山
 ひとけのない静かな山歩きが楽しめる。逆に少し寂しくもあり、クマとの遭遇が怖くもなる。だいたいは細めの尾根道で、歩きづらいところはない。白石峠の位置は山と高原地図が正しい。地形図の間違っていることはきちんと指導標にも出ている。
 加入道山は明るく気分の良い山頂である。ベンチがいくつかある。
■加入道山→大室山→犬越路
 西丹沢から大室山に行く人は多いはずだが、少し時期が早いせいもあるのか、草が道に迫っているところが多かった。午前中は露に濡れるし、日が昇れば蒸してくるだろう。アザミの棘も痛い。
 大室山手前はトリカブトの群生が素晴らしい。山頂は静かで風格がある。ベンチは分岐点に一つある。分岐から犬越路へ下る途中、右手に畦ヶ丸周辺の稜線や富士山が見え、丹沢の深みへ来た気分が味わえる。犬越路は南面が開けて明るく、ベンチもある。
■犬越路→檜洞丸
 岩場や鎖場が連続する。間あいだに短い馬ノ背もある。時折後ろの大室山や右手の畦ヶ丸の側や正面の檜洞丸の方の展望が開ける。こちらも歩く人は少なくないはずだが獣が近そうな雰囲気がある。檜洞丸直下からは木の階段になり、後ろぐるりが開けて展望がよい。途中に滑りやすい痩せ尾根があるので要注意。
 檜洞の山頂は広く、ベンチが点在している。山小屋はぐっと下ったところにあり、その斜面の正面に、蛭ヶ岳を中心とした丹沢主脈が聳えている。
■檜洞丸→箒沢
 はじめは緩い歩きやすい道だが、石棚山から先が急な下りで、指導標はきちんとついているが道はあまり整備されておらず、注意を要する。暗い道をひたすらに下っていく。沢に出てからも意外と長いが、渡渉は小さな一か所だけ。

□記録と雑感
 串田孫一さんの文章は、実にいい。『山のパンセ』などを読むと、山の詩情に溢れているし、静かなる山を独りで歩いてみたいと思うようにもなる。僕は飯を食うにも、ぶらりと散歩に出かけるにも、旅をするにも、一人でいるのが好きなのだから、山だって一人で悪いはずはない。雷鳥でもこれまで時折、単独行の記録が提出されていて、そこにはたいてい「たまには単独行もいいものですよ」といった誘いが書き添えられている。この五月に和歌山で初めて単独ハイクをしてみて、では次は一人で山に泊まってみようかという気になっていた。
 少し前までは僕も、単独行をしていいのは加藤文太郎さんだけだなどと信じていて、例えば僕が二年生の時に、四年にもなる先輩が一人で丹沢を二日歩くなんていう計画を出して来たら、それで事故でも起きたら迷惑だから止めてくれと、言ったかもしれない。だから今度、この山行計画を提出した時に、先輩方からひとつも注意を受けなかったことをいくらか嬉しく、誇らかに思うとともに、後輩達から何の文句も出なかったことが意外だった。
          *
 丹沢は、僕と山との関係において大きな位置を占めている。小田急沿線のわが街は、少し高いところに上ると、晴れた日ならば大山を筆頭に丹沢の山々がよく眺められるし、市歌にも「丹沢の峰」が「富士の山」や(多摩の)「川の流れ」と並んで登場する。さらに母は相模の国の生れであるから、丹沢山塊には小さいころからずっと親しみがある。しかし大学に入ってから丹沢を歩く機会はなかった。日帰りのできる表丹沢の大山、塔ノ岳、鍋割山などは、南関東で山をやって来た人ならば中学高校の内に何度か歩いていることが多いだろうし、それより深い核心部では幕営が出来ないからサークルでは計画しづらい。そうして、雷鳥のホームページから山域別の記録を見てみると、丹沢の項の近年の記録は沢ばかりだ。低山派としてはこれは如何にも口惜しい。
 ところへ、静かなる山を独りで歩こうという機運が巡ってきた。地図を開くと、西丹沢の山々がもってこいではないか!
          *
 余裕を持って出掛けようと、予定よりも早い電車に乗って、新松田からは予定より一本前、7時30分発のバスに乗り込む。愛想のよい運転手さんの笑顔がよい。乗客は15人程。
 今回の旅は、これまで日帰りハイクと旅行にしか使っていなかった45-60Lのザックを一杯にして背負っている。19kgくらいだ。35期の遠藤さんは、2015年に私的に単独で槍穂を歩いた記録(北アルプス長期縦走記録[raicho11560]に「Appendix」として付されていたもの、よい記録なのでウェブの記録ではカットされているのがたいへん惜しい。)の中で、幕営二泊の山行でありながら「ザックも60Lで必要十分」と述べておられる。僕も出来る限り荷は削ったはずなのに、小屋一泊でパンパンなのはなぜだろう。水7Lと救急箱は嵩張るなあ。この立派な救急箱を持っていても、一人で使いこなせる自信はない。
 靴はソールを張り替えてもらって、ビブラムの角がピンと立っている。思いのほか早く戻ってきてくれたので早速の復帰登板だ。オリジナルとは違うソールになったので、見栄えはもとよりいささか鈍くさくなってしまったけれど。
 8時15分頃、玄倉のバス停に着くと、10分前を行くはずの先発バスがまだ停まっている。前のバスは地元の通学生も乗って混んでいるようだ。その後も自由乗降区間でぽつりぽつりと降りて山に入る人がいるらしく、先発のバスに律速されながら走る。
 8時40分頃、2台一緒に、ほとんど後発の定刻どおりに、西丹沢に到着。結構な人出だ。登山届を出すようにと強く促されるので、みんなちゃんとビジタ・センタで計画書を書いている。僕も余分に刷って来た計画書をポストに一部投函して、トイレに入る。荷物を見るとほとんどの人は日帰りのようで、それも畦ヶ丸の側でなく檜洞丸や大室山の方へ行くらしい。コースタイムが長いから素早く出発していく人々を見送って、こちらはのんびり支度していると、指導員のおばちゃんに見つかってしまった。「今日はどちらへ」と。顔と計画を覚えてもらえるのはありがたいが、放っておくと昨日の天気がどうだとか今日は晴れてよかったとか、話が止まらないようなので、追い立てられるようにザックを担いで、9時10分、「じゃ、いってきます」
 吊橋を渡った後、間隔を空けて立っている指導標を見ながら沢沿いを進む。きつい階段で堰堤を越えると明るい河原になり、それからだんだんと山の中に入る。昨夜は多少雨が降ったらしいが、沢の水は多くなく、むしろやや少な目かもしれない。それでも靴の表面を濡らす渡渉が何度かある。下棚沢、本棚沢を分けると沢はほとんど涸れて、急に遠のく川の音に淋しさを感じる。河原からだんだんとハードなトラバース路に上がり、気づくともう、右岸の急登にかかっている。
 10時12分、出だしから1時間も歩いてしまってのどが渇いてきたので、登りが緩くなったところでザックを下ろして水分補給。10時17分に出発すると、ジグザグともう一段上がったところが少し開けた小さな平地になっていて、ベンチが置いてあった。だいたい860mくらいのところだろう。
 少し緩くなった登りを歩き続ける。この辺りはちょっと地形が入り組んでいる。左に折れて、短い馬ノ背の先にベンチがあったので、10時54分ザックを下ろす。ここがきっと、「善六ノタワ」であろう。おにぎりを一つ口に入れて、11時04分出発。
 暫くの登りの後、山頂から届く談笑の声を聞きながら、少し急になったひと登りを終え、畦ヶ丸に到着。あまり広くない、木に覆われた地味な山頂だが、高年の団体があちこちに座り込んで大きな声で喋っているので、三角点にタッチしてそのまま避難小屋に向かう。下って登って100m、小屋の前のベンチにザックを下ろす。11時50分。小屋の中に入るとソロのおじさんがいた。もう泊まる準備をしているのだろうか。せっかくトイレのある小屋だから小用を足しておこう。小屋の中も暗いが、トイレはもっと暗い。ベンチに戻ってアンパンを食っていると、さっきの高年パーティの数名が小屋を見にこちらにやってきた。12時05分出発。
 急激な下りからはじまる静かな尾根道は、一気に人の気配が消えて、少し心細くなる。なんとなく空も暗くなったように感じる。気持ちが焦って足が速くなってしまう。12時20分モクロボ沢ノ頭、12時44分バン木ノ頭を通過。バン木ノ頭には老齢のご夫婦が仲睦まじく休憩しておられた。
 12時57分シャカグチ丸で休止。あまり顕著でない細長いピークだ。おにぎりを食いながら、ザックに着けた熊鈴に手を伸ばして時々キーンと鳴らしてやる。大室山あたりに群生しているらしいトリカブトが、ここらにもぽつぽつと咲いている。13時09分出発。
 暫く行くと幅の広い尾根になって、踏み後を辿って進んでいくと、一番高く見えたところは水晶沢ノ頭だった。13時45分。白石峠はまだ先だ。
 次のピークが地形図上の白石峠だ。東側には植生保護柵が張られている。この柵が途切れてつけられている作業道が地形図で用木沢出合に下りる道と同じようなので、ここにはロープが張られて注意喚起の看板が出ている。14時01分、白石峠の鞍部に到着、ベンチにザックを下ろす。谷を東側から風が抜けて寒い。ここから今日の宿までは遠くない。14時12分に出発し、31分に加入道山に着いた。今日の行動時間は5時間21分。
 加入道山は顕著なピークではないが、適度に明るく、落着いた趣のある、素敵な山だ。まずは熱いお茶を飲もう。今回は鍋も食器もなく、シェラカップ一つ。普段研究室でコーヒーを飲んでいるチタンシェラカップの火入れ式だ。自分の卒業研究がチタンに関わるものなので記念になろうかと買ったコイツが、山で鍋代わりに役立つことになろうとは。茶を一杯沸かすのはあっという間だ。ここまでで飲んだ水の量は1.7L。
 数名いた日帰りの人も15時頃には皆下り始めてしまった。せっかく担いできた救急箱を出して、疲労を感じていた膝上の筋肉にPIPのテープを貼ってみる。バンテリンなどはなかったが、これでも少しスッとするようで気持ちいい。独り占めの山頂でラジオをつけてベンチに寝そべる。
 15時40分頃、雲が出てきたので小屋へ入ることにする。明るくてきれいな小屋だ。するとラジオからニュース速報が。北朝鮮がミサイルを打ったかと思ったら、陸上100mで9秒台が出たとの由。
 小屋に荷物をすべて移して、板の間に転がれば、まさに「たった一人の山」だ。浦松佐美太郎さんの場合はいつものガイドを伴わずに一人でウエッターホルンを目指したという話だからちょっと状況は違うけれど、それでもなんだか、一国一城の、いや一山一屋の主という気分だ。小屋の使用日誌を書いてから、串田さんの『若き日の山』から「独りの山旅」「孤独な洗礼」を読んで、たった一人の山を味わう。
          *
 余談。浦松さんは、『たった一人の山』の中の幾篇かで(それが若い頃の文章であるせいもあろうが)「山登りは、究極まで持ってゆけば、山との闘いである」(「登山三昧」)「登山が最も激しいスポーツの一つである」(「山のあぶなさ」)ということを明確に書かれている。これだけ立派な山をやった人の言うことだから、それは確かに一つの真実であろう。しかし、もし立派な山岳人とその猿真似をさえする術を持たない一介の学生とを並べることが許されるならば、僕は、山を敵に回してはならないと思っているし、山はスポーツでないと信じている。「スポーツ」というのも言葉の定義次第で、例えば「自分たちの野球」「自分のテニス」というようにそれを自己表現の一つと捉えるなら、山とスポーツとには身体を運動すること以上の共通項がある。しかしそれでも、スポーツの一つの極みに山があるとは思われない。
 これは同じく立派な山岳人であった伊藤秀五郎さんも、「静観的とは」(『北の山』所収)や「登山の本質に関する一考察」(『北の山
続編』所収)で述べていることである。「静観的とは」で伊藤さんは、山をやることの価値を、激しい登攀を果すことではなく山の中にイデア的なるものを見出そうとすることに置いている。ここでイデアという語を持ち出したのは僕の勝手な解釈だが、僕がイデアなる概念を得るより以前に素朴に発想したことと極めて近い主張であったから、この文章に出会った時、大変な喜びと驚きをもって読んだことを覚えている。
 激しい登攀と静かなる里山歩きとをともに好んだ人は幾らも挙げることが出来ようし、日本山岳史に欠かすことの出来ぬ人の中で、高山より深山に惹きつけられた人も多い。もちろん、高山も低山も、夏山も雪山も、沢も藪もスキーも、みな「山」であるべきはずだ。
 これら様々な態度で山を愛する人々が共通して賛同できるようなドグマを見出さねばならぬ。それがこのところの研究課題である。どんな態度にも寛容であること、すなわち無思考に留まることではなしに、そこに共通する山の本質を明らめんと努力することは、いやしくも山を志す者にとって意味のないことではなかろう。それは「なぜ山へ入るのか」という問いへの答えにも繋がるからである。
 先に挙げた伊藤さんの「登山の本質に関する一考察」は理解できる一つの回答を示している。しかしこれは、単純な岩登りを排斥しすぎていることと、山に入らぬ活動を登山と認めていないこととに、不足がある。即物的な快感を得る岩登りと詩的な情を味わう山歩きとを区分することは簡単そうに思えるけれども、そこには身体的の愛と精神的の愛とを区分しようとするのと同じような危険を感じる。また、「登山の本質」と「山の本質」との違いのためでもあろうが、山を歩くことのかなわぬ人が本を読み、地図を開き、あるいは山を眺めて楽しむことが、なぜ「山」でないことがあろう。本質的な境界は、活動の行われる場所が山にあるか否かではなく、その活動が山を志したものであるか否かにあるべきではないか。
 もしかしたらこんな哲学はとうに誰かが完成したものかもしれない。もしそうであるならばそれを知って理解するために、そうでないならば何らかの真理に近づくために、たくさん本を読み、たくさん山をやらねばならぬ。しかし僕にできる山はごく限られている。これでは伊藤さんの言う「少しの危険もないような尾根すじや渓谷を、いつも哲学者や詩人ぶった態度で思索や冥想に耽りながら歩いて」「ただ空想で山を論じて」「あまりに不用意に、流行的に」静観的を標榜している人間たちのごく底辺に過ぎない。
 若人たちにはあくまでも高みを目指して、様々な山をやってほしい。出来ることならそれは雷鳥の山行として実施し、記録を提出して、その悦びを共有してほしい。
          *
 16時30分、外はだんだんガスがかかってきた。湯を沸かして夕食にする。今回は「カレーメシ」なるものを買ってみた。それに一つ余しておいたおにぎりを。カレーメシは普通のカレールウのようなものが入っているので、カレー自体はやや酸味のある濃厚な味でよいのだが、カップ麺と同じ化学調味料の味がするのと、アルファ米ではないから米の触感はまだまだという感じ。
 シュラフに潜ってだらけていると、外から人の声がする。もしや今晩は一人ではないのだろうか。近づく足音。16時50分、大きなザックを背負った中年夫婦が入ってきた。話を聞くと、道志の側から上がって、犬越路まで行って、泊りはせずにまた帰るところだという。外は雨が落ちてきているらしい。大きなザックはトレーニングでもしているのだろうか。水を大量に余らせているから分けてあげようかと言われたが、僕も十分に持っているので断った。二人そろって首に電池式の扇風機をぶら下げている。歩いている間ずっと風が吹くようになっているようだ。17時ちょうど、二人が出て行く。これから下りると日が暮れてしまうが、大丈夫だろうか。
 まだ外が明るいので、アウレーリウスの『自省録』の第一巻だけを読む。こんなところで読んでも内容は頭に入らないが、彼は人の美点を見つけるのが上手ないいヤツだなあという気がする。17時40分、少し暗くなってきた。疲れた体に食いなれないものを食ったせいか、胃がもたれる。救急用品はいくらでもあるので、胃薬を飲む。それから熱いカフェオレを淹れて、ビスケットを3枚。17時55分に就寝。
 ときおり何かの物音がする。外の風の音か、雨垂れの音か。獣が小屋に入ってくるのでなければよいが。緊張しながらふと枕元を見たとき、コトコトコトコトという足音とともに小動物の影が走る、ネズミだ!噂には聞いていたが、やはりいるのだ。そこらに食料をほっぽって、ザックも開け放しにして置いていたのではいけない。全部口を占めて、食料はザックの中かテーブルの上へ撤収する。
          *
「山に登るということは、絶対に山に寝ることでなければならない。山から出たばかりの水を飲むことでなければならない。なるべく山の物を喰わなければならない。山の嵐をききながら、その間に焚火をしながら、そこに一夜を経る事でなければならない。そして山その物と自分というものの存在が根柢においてしっくり融け合わなければならない」(『山と渓谷』に所収の「山は如何に私に影響しつつあるか」から)と述べられた田部重治さんの意図するところには、街から食料も水も担いでふらっとやってきて小屋に一晩泊まるだけの旅では全然及ばぬであろうが、低山なりといえども山に泊まって二日をかけて歩くことの価値は十分にある。さりとてやはり、夜は辛いものだ。四人でテントに寝ていたって夜の長いのは辛いけれども、しかし仲間がいれば朝になってまた笑いあえる希望がある。たった一人、仲間も誰もいない夜は、この夜を明かして明日になれば今日より長い行程をまた一人で歩かねば帰られぬのだという寂しさでいっぱいだ。まだまだ修行が足りない。隣に見知らぬオヤジが寝ているよりはよいだろうけれども。
          *
 ぼうっとしたり、ふと目覚めたりを繰返す。浅い眠りを何度か重ねて、気づくと4時ちょうどになっていた。携帯電話の目覚しは作動していたもののうまく鳴っていなかったが、起きるべき時刻に起きることが出来た。
 まずはお茶を沸かして飲む。外を見るとまだ雲が低い。日出直後の5時半ではまだ暗いかもしれないし、獣がうろついているかもしれない。朝飯はもう少し後にしよう。仕方なしにラジオをつける。NHK第一ではラジオ深夜便で「音の絵本」というような話をしているが、次にかかるのが怖い山姥の話らしい、いけないけない。適当にチャンネルを回すと、ラジオ日本が演歌番組でなく俗っぽいトークを流している。聞いているとどうやら、パーソナリティの男女はアダルト・ヴィデオ業界の人で、ゲストの男女はコンビの芸人さんらしい。今はこのくらいバカみたいな話をしてくれた方がいい。
 4時45分、湯を沸かしてアルファ米に注水する。出来上がりまで15分待たねばならない。5時になって茸飯が出来上がり、フリーズドライの豚汁とで朝食だ。これで400円余りなら大したものだ。外を見ると雲がすこしずつ破れて、青い空がのぞいている。朝が近づいて雲が晴れてきたのだ。こうなったら早く出発しなければ。昨晩余していたビスケット2枚も食べて、小屋の裏手でキジを撃って、荷物をまとめる。箒で塵を掃き、5時44分に出発。小屋で使った水は1.5L。
 歩き始めは丈の短い草原につけられた気持ちのいい道だ。モズの仲間か、小鳥たちが集まってしきりに鳴いている。熊鈴がうるさいだろうけど、これは魔除けだから、しばらく勘弁してね。向こうから人の音がしてきた。ずいぶん早いな。すれ違ったのは沢足袋に小さなリュックのオジサンだ。どこから来て、どこで夜を明かしたのだろう。
 少し行くとトリカブトが群生している。あそこにも、ここにも、青紫の花をたくさんにつけている。足下には時々、ノイチゴのような実や花も見られる。6時24分、ザックを下ろして水を飲み、27分に出発。その先が1543mピークのようだから、止まったのは1450~1500mくらいのところだろう。周りの草木は丈の高いものに変わり、朝露とクモの巣とアザミの棘とに攻撃される。これならばスパッツをつければよかったか。
 6時47分に分岐を通過し、6時53分大室山に到着。少し道志の雰囲気もあるような、静かで落ち着いたよい山だ。ベンチがないので7時ちょうどに発って、7時05分、分岐に戻った。ベンチの上で靴紐を結び直すと、引張られた紐から濁った水気がジュワッと出てくる。7時07分出発。
 下って行くと右手に、歩いてきた稜線の畦ヶ丸の突起と、その後ろに富士山のシルエットが見える。山深い雰囲気が感じられる。昨日歩いた道に比べてこちらの方がよく歩かれているはずなのに、どうも草木が深い。腰まであるササが両側から迫って、ズボンがぐっしょりと濡れてしまった。カッパを穿いてもよいくらいだ。でもすでに濡れてしまったので、今更穿いても仕方がない、あとで広い道を歩くうちに乾かすしかないだろう。
 7時30分、二人目とすれ違う。白髪のオッチャンは犬越路で泊まったそうだ。「お一人でしたでしょう、私も一人でしたよ」と。それは静かな晩が過ごせて、お互いによかったですね。「じゃ、お気をつけて」
 急な坂を一気に下りて、8時01分に犬越路。南面が開けていい気分だ。小屋は加入道よりは古いようだが綺麗で、トイレは洋式の半水洗だ。ベンチに足を投げ出して、ジャムパンを食い、紐を締め直す。檜洞丸の方面は上の方にガスを被っているようだ。大室山から犬越路、犬越路から檜洞丸の標高差は、高尾山を下りて登り返すくらいのものがある。休んでいる間に神ノ川から上がってくる人が二人あった。8時20分出発。
 歩き出すとまた少し暗い道になってきた。振り返る大室山は大きくて、ここが南アルプスの入口だと言っても通りそうだ。富士山は隠れてしまった。時折、右手南西側から谷を上がって吹いてくる風に、獣の臭いを感じる。フンの臭いとは違う気がする。多分シカでもなく、クマかイノシシじゃないか。ちょっと気を焦らせて、ぐいぐいと登っていく。少しはっきりした稜線に出て、何となく安心する。
 ここから岩場や鎖場の連続だ。ひとつひとつの高さは大したことないし、手懸りも多いが、体重をかけると剝れそうな突起もまれにある。独りの緊張感がふっと高まる。
 9時25分、一気の登りで疲れたので、ザックを下ろして水を飲み、27分発。少し上がったところで傾斜が緩くなり、右手の景色が開けたので、9時37分小休止。大笄の前1400mくらいのところだろう。ランチパックを食って47分に出発。
 日が差してきて草いきれのする暑い道になった。ヤタ尾根を分岐して次の熊笹ノ峰を10時09分に通過。いよいよ檜洞丸が目の前に見えてきた。最後は階段の連続が2本あるようだ。10時24分、階段に取付く1500mくらいの地点で水分補給、27分に発。
 一本目の階段を上り終えると、二本目の階段との間が赤土の痩せ尾根になっていて、濡れると滑りそうだ。上の方には右手から薄いガスが流れ来て丹沢らしい雰囲気である。二本目の階段はガレた斜面についている。周りは開けて展望がよい。今度はなんだか、北アルプスの小屋へ登っているような気分だ。単に山で一晩過ごした汗の臭いがそういう記憶を呼び起すものであろうか。階段を上りきって、草花の茂った斜面を上がると、そこが広い山頂だった。10時44分着。少し時間が早いので、先着しているのは三、四人くらいで、だいたいソロのオジサンだ。明るいが展望はあまりなく、下から見上げる大きさの割に地味な山だ。中央付近に小さな祠があって中に小さな小さなお地蔵さんが御坐す。ともかくも証明写真だけ取って、小屋に下りてみる。46分発。
 山頂からぐっと下ったところ、お花畑の斜面を背にした小さな青い屋根の小屋に10時50分に到着。「青ヶ岳」は檜洞丸の別称で、ここに多く住んでいたカモシカをアオと呼んでいたからとも、青々と立派な山だからとも言われているらしい。小屋の外には、蛭ヶ岳から縦走してきたのかお兄さんが一人休んでいた。その蛭ヶ岳は小屋の正面に目立つピークを擡げている。小屋に入ってバッチを探してみたが、写真を加工した缶バッチしかないようだ。ここの小屋のウェブサイトはなんだかどぎつかったし、挨拶した若い小屋番も何となく冷たい。山頂の方が広いので、53分にまたザックを担ぎ、山頂に戻る。
 10時57分、山頂にいくつかあるベンチの空いていたものに腰を下ろし、足を投げ出して休憩。犬越路からの道に近いベンチだったので、そちらから上がってきたオッチャンに声をかけられた。この辺の山岳指導員か清掃ボランティアからしく、腕章をつけている。「小田急沿線に住んでるんだったら、もっと丹沢に来てよ」と。全くその通りです。
 帰りのバスは13時台にはないので長めに休んでいこう。カフェオレを沸かしてカロリーメイトとアンパンを食う。それから脚のストレッチがてらぶらぶらしていると、ソロの人に「写真を撮ってもらえませんか」と。田口浩正や松尾諭とシリーズのお兄さんだ。
 一組二組、人が増えてきた。バスの時間を狙って、11時27分に出発。はじめは緩やかな明るい道を行く。途中に小さな風力と太陽光の発電装置みたいなものが設置してある。環境負荷の調査か何かか。そうだ、ここはずいぶん前に親に連れられて歩いたことがあるぞ。この場違いな実験装置に見覚えがある。
 緩い尾根を下っていくうち、ふと指導標を見たら「石棚山」とあった。地形としてはなんの「山」でもないようだ。12時20分に通過、その先の分岐の直下で小休止。12時24分着、29分発。
 分岐を過ぎてから途端に暗く急な荒れた道になった。ルートがはっきりしないところもある。疲れのたまった膝を気にしながら慎重に下る。小ピークを三つ過ぎて、コースタイムより早いがそろそろ板小屋沢ノ頭かと思ったが、まだ中ほどの1210mピークだった。12時52分、頂点から下り始めたところでザックを下ろし、水を飲んで靴紐を締める。55分発。
 一気の下りで板小屋沢ノ頭に着いたのは13時08分。一休みして14分に出発。まだ下りは急だが、石棚山から板小屋沢ノ頭までの方が傾斜や道の状態はキツかった。とにかくそう思い込んで、焦らぬように下っていく。膝と腿がだいぶしんどくなってきた。暗い急な道で谷も尾根も狭いので地形はよくわからなくなっているが、道ははっきりしているから、時計を見ながらあと半分、あと少し、と黙々と下る。近づいてくる沢の音に気を励まし、しかし急かぬように落ちつけながら。
 13時53分、ついに板小屋沢に下りてきた。荒れたトラバースを過ぎ、ハシゴで堰堤を越え、川を渡り、脚は勝手に早回しに回る。そんなに焦ることはない、ここで転んでもしょうがない、と思うのだが、大股で飛ぶように歩き、キャンプ場に出た。
 34期川名さんは2015年の記録(檜洞丸ハイク記録[raicho11577])に「大石キャンプ場に着くと、クラブで流れていそうな曲が大音量で響いていた」と書いておられるが、今日はそんなことはないようだ。河原には高校生が大学生か、お兄ちゃんたちが遊んでいる。
 橋を渡ってバス停に14時16分に到着。今日の行動時間は8時間32分。在京責任者の遠藤さんに連絡し、バスまでまだ25分あるのでザックをデポして川に下りてみる。靴を脱いで足を入れていると、さすがにキンとする冷たさだ。タオルを絞って川から上がり、大きなトンボを見ながら通りへ戻る。河原への入口で振返ると、そこには「この先有料につき川遊びは事務所に届出るべし」という旨の看板が立っていた。世知辛いぜ。
 バスを待っていると、山頂で写真を撮ってあげた松尾諭似のお兄さんが下りてきた。彼はユーシンの側から上がったのだという。以前にツツジ新道を下りたこともあるが今日の石棚山稜の方がキツかったかもしれないとのこと。僕もツツジ新道で下山した方がよかったか。その方が地図上でも始点と終点が一致して、よりエレガントなルートになる。あるいは逆向きに歩いて犬越路に泊まり、畦ヶ丸から大滝に下りるのも形は良い。でも全体としての上り下りは、今回の右回りでよかった気がする。
 程なくして41分発のバスが到着。一日で飲んだ水は2.1L。残りは1.7Lと、予定よりも多めに余してしまった。今日はもう半リットルほど飲んだ方がよかった。
 14時53分に中川で下車、松尾氏とともに「ぶなの湯」へ坂を下りていく。バスに乗っている僅かの間に曇ってきたようで、歩いているうちぽつりぽつりと降ってきた。登山客はあまり来ていないようだが、キャンプや川遊びをした下界人がたくさん入っていて、大きくない風呂は混雑している。しかもあまりマナーのなっておらん客が多く、長居していられない。僕はバスとセットで殆どタダだったからよかったが……。
 15時45分に坂を上がってバス停に戻る。雨は上がっていた。松尾氏も戻ってきて、53分のバスに乗車。座ることはできたが1時間前よりも少し混んでいるようだ。さらに玄倉で観光客らしき人がたくさん乗ってきた。
 谷峨駅を過ぎた16時半頃からひどい渋滞で、新松田に着いたのは定刻より30分ほど遅れた17時20分頃。駅に向かうと小田急線もダイヤが乱れているようだ。参宮橋近くの沿線火災で経堂までの運転とのこと。家には帰れるが、どうもツイていない。風呂に寄らなければうまく間に合っていたかもしれない。19時を過ぎて帰宅した。
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 雷鳥には僕なんかよりもずっと力のある人がたくさんいるので、そういう人は一度単独行を経験してみて、それが自分に向いているものかどうか、確かめてみるのも悪くないだろう。「経験する」というステップならば、いきなり完全な単独行をするよりも、遭難対策のしっかりとしたサークルの内でやっておく方がよいとも考えられる。新入生をリーダ格まで育てるのと同様に、リーダのできる人材を独りで山のできる人材にまで育てることも、サークルの役割であろう。四年生になってそれをするのでは老害な感も否めないが……。
 単独行をするなら、地味な山よりも派手で人の多い山の方が安心かもしれない。でも静かな西丹沢は、少人数でじっくり歩くのにうってつけだ。

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ついでながら、最近の山行計画書の在り方について小感をば。

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山行計画書の更新について
 このところ、「特に変更が無ければこれを以って確定版とします」というような文句が、いささか濫用されているような気がする。また煩いことを言って、と思われるのも嫌だけれど、少し気になったもので。
 私が雷鳥に入って以降のメールを見返してみると、一年生の時に来た先輩たちの計画書でもすでにこの文句が使われている。しかしそれはだいたい、山行の前日や二日前の更新版につけられたものであって、すなわち、「これで計画を確定する自信はあるが、出発直前の修正が無いとは言えないから」という性質のものであったと理解している。対して最近のものは、初出版からこの文句がついていたり、出発の一週間近く前で既についていたりする。
 MLに計画書を提出するということは、雷鳥メンバのチェックを受けるということのはずである。従って、計画によほど自信があるならば別だが、初出版ではむしろ「どんどん注文を付けてください」というくらいの態度であるべきではないか。また、山行直前に「この計画で出発します」と宣言してもらわないと、在京責任者以外は下山報告のあるまでその山行のあることを忘れてしまうことになりかねない。山行計画書をMLに提出することと登山口のポストに提出することとは、意味が違うはずだと思うのであるが、いかがだろうか。
 山行計画を立て、計画書を作るとき、いちばん大切なものは「まごころ」であろう。百恵ちゃんじゃないけれど。