2017/9/23 坂戸山

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
坂戸山ハイク計画書
作成者 木下
□日程 9月23日(土) 日帰り
□山域 南魚沼
□在京本部設置要請日時 2017/9/23 1700
□捜索要請日時 2017/9/24 0900
□メンバ(計2名)
L木下 川瀬

□集合
 JR上越線 高崎1024発水上行 車内
□交通
■行き
○JR高崎線・上越線など
 新宿0742//0827→0944//1015高崎
 高崎1024→1128水上1140→1236六日町
  新宿から3670円 学割2930円
■帰り
・JR上越線・高崎線など
 六日町1446/1726→新宿1855/2204

□地図
■2万5千図 「六日町」
■山と高原地図 「15越後三山」

□行程
 六日町駅1300
→鳥坂神社1315
→城坂
→坂戸山1415・1430
→薬師尾根
→鳥坂神社1510
→六日町駅1525
 [歩行計2時間10分]
□エスケープ
 引返す/進む

□宿・温泉
・大和屋
  六日町駅徒歩一分
  025-772-2070
  朝食付き4990円 素泊り4040円 夕食1189円
  付近にスーパ、コンビニあり
・六日町温泉湯らりあ
  400円 1000~2200 石鹸類なし
  025-770-0215 駅徒歩5分

□遭難対策費
 100円/人*2人
  計200円

□日没日出
 9/23日没(新潟):1740
 9/24日出(長野):0536

 □ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:六日町1323kHz/新潟837kHz/東京594kHz
■NHKラジオ第二:新潟1593kHz/東京693kHz
■NHK FM:越後湯沢85.3MHz/新潟82.3MHz/沼田83.4MHz/東京82.5MHz

□警察署電話番号
 新潟県警南魚沼警察署 025-770-0110

坂戸山ハイク記録
木下 作成
□日程 9月23日(土)
□天候 曇時々雨
□メンバ(計2名)
L木下 川瀬
□オーダ 川瀬-木下

□計画
 六日町駅1300
→鳥坂神社1315
→城坂
→坂戸山1415・1430
→薬師尾根
→鳥坂神社1510
→六日町駅1525

□行程
 六日町駅1236(着)
→大和屋旅館1255
→鳥坂神社1310・1315
→城坂
→稜線出合1402
→坂戸山1415・1433
→薬師尾根
→鳥坂神社1511
→六日町駅前スーパ1536(着)
→大和屋旅館1556

□ルート状況
■駅・街・宿
 巻機山の記録を参照されたい。
■坂戸山各コース
 坂戸山は坂戸城のあった山で、六日町の街と文化的に密着した里山である。駅前に案内板があり、麓まで所々に城址を指す矢印もある。鳥坂神社前には駐車場がある。展望のよい山頂にも神社がある。
 城坂コースは遊歩道というにはややキツイ山道だが山として歩くには一番よさそう、かつてここには何があったという城跡の標がいくつかある。
 薬師尾根は表参道のようになっていて、神社や薬師堂から小さな石仏を見ながら上がっていくが、上半分は階段の連続で、特に雨に濡れた下りは意外と辛い。
 北側から辿る裏坂戸コースは展望がよかろうと思って初めはそちらをとることも考えており、バスに乗らなければいけないアクセスに加えて道が荒れているような記録をネットで読んだために止めにしたのだが、神社には「危険です。通行しないでください。」という貼紙が出ていた。

□紀行
 国境を越える長い長い上越線を曇天の六日町で降りると、デカいザックを背負って同じ列車に乗っていた中高生らしき一団も一緒に下車した。谷川か八海だろうと思っていたのだが、巻機でご一緒かもしれない、山は混みそうだ。
 改札を出たところが広かったので、サブザックに換えて荷造り。「コインロッカあります」の貼紙には「さかどやマン」なるキャラクタが描かれており、愛すべき里山の味わいに期待が膨らむ。坂戸山の標高は四捨五入すると634メートルだから、さかどやマンはスカイツリーを脇に従えて背比べをしている。東京都民としては登らずにおれまい。そのスカイツリーには上がったことが無いけれど。
 今晩宿泊の大和屋にはあらかじめ電話をしておいたので、コインロッカは使わずにメインザックは宿に預けておく。「昼は留守にしているかもしれませんから玄関に置いておいてください」と言われた通り、玄関は開いていたが人はいないようだった。
 駅前から宿のあるアーケードを通って魚野川を渡る。ずっと正面に見えるのが坂戸山だ。田圃と雪国らしい住宅の間を山の方へ進むと、細長い池が内堀の跡で、その先が鳥坂神社だった。駐車場にはそこそこ車が停まっているが、どこから何をしに来た人たちであろうか。
 はじめは平らな道を行く。所々、平らにならされた土地が残っている所に城跡の標が立っているが、遺構はほとんど見当らない。古い石垣の崩された大石が、来たるべき石垣再建の時のためにまとめて放置されていた。
 やがて「城坂」にかかると、その入口には石碑が建っていた。「明珠必スシモ崑崙ニ在ラス僻境豈ニ蛟龍無カランヤ」云々として、上杉景勝と直江兼続を讃えている。こういう精神で、もしかしたら角栄さんのような人も生まれたのかもしれない。石碑の末には「昭和十九年八月大東亜戦熾烈下建之」とある。
 時々雨がぱらついたり止んだりする中、草木の多い道を登って行く。親子連れや祖父母と孫のような組にすれ違う。それなりに歩かれている山だからヘビなどの動物は気にならなかったが、大きなクモが何匹かぶら下がっていた。後ろを振り返れば六日町の街とその周りの田圃、向かいの山塊がよく見える。やがて稜線に乗り、桃の木平を経て山頂に着いたと同時に雨が降り出した。南へ下りた麓には大山阿夫利神社があるらしいからここは雨の山でもあるのだろう、穀倉地帯だから確かに雨は重要だ。ともかくも山頂の神社の軒で雨宿り、こちらには富士権現が祀られている。
 暫くして小降りになったので、軒先を下りてぐるりの展望を確かめる。雲が低いので背後の金城山や北の八海山はその山塊の足下しか見えない。正面を見ると、魚野川を挟んで向かいに並ぶ魚沼丘陵と、その間の六日町の街、街の限界から先は川に沿った狭い平地に目一杯広がる黄色の田圃と、黄色の中にぽつりぽつりと点在する集落、上越線の駅と思しきあたりにはまた街が広がっている。城を置くには絶好の立地だ。
 存分に写真を撮ってから下りにかかる。初めは滑りやすい急な階段で、気が緩んでいると危ない。道は緩やかになっていくが階段は続き、数十分のことだが飽き飽きして来る。こちらから登って来る人とも数人すれ違った。階段が終わると土砂の流出防止のためか細かいネットの張られた(或いは表面に土嚢を積んだような恰好の)坂になり、スピードが出てしまうがネットの凹凸に合せて足を運ぶのであまり歩きやすくはない。道沿いには麓を向いた小さな石仏が間を空けて立っており、如意輪さんや千手さんや様々御坐した。最後の石段を下りて坂戸薬師堂、更に少し下りて鳥坂神社に戻ってきた。
 明日の朝食と明後日の行動食を仕入れるためにスーパに寄る。駅前から外れた少し遠くにイオンの大きな看板もあったが、駅まで戻るとバスロータリィに面した新しい一棟が、市立図書館とスーパ・マーケットの複合施設だった。在京責任者の福田さんに電話を入れ、買い物の後、宿に戻って他のお客の戻る前に風呂を済ませる。夕飯は意外な「カニづくし」だった。

□総括
 横山厚夫さんのいわゆる「行きがけの駄賃登山」というやつで、巻機山の前泊を利用した小さなハイキングだが、山の旅という情趣が深まってよかった。六日町は街も大きくて便利なので、大和屋旅館を起点にした上越線の中低山の旅もいくつか考えられる。雪の時期は長いが、残雪と新緑の5・6月、紅葉と新米の10・11月に、ちょっとした旅行のつもりでいかがだろうか。坂戸山にもまた天気の良い日に訪れたいものだ。
 今回は「山のための旅」だったが、「旅のための山」というのもありだろう。街や村と文化的に密着した里山を歩くことは、その土地を知ることになる。