2017/9/23-25 巻機山
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
巻機山行 確定計画書
作成者 木下
□日程 9月23日(土)-25日(月) 前泊・一泊二日・予備日なし
□山域 三国山脈
□在京本部設置要請日時 2017/9/25 1800
□捜索要請日時 2017/9/26 0900
□メンバ(計2名)
L木下 川瀬
□地図
■2万5千図 「巻機山」
■山と高原地図 「15越後三山」
□行程
■20日
清水0740
→桜坂駐車場0820
→六合目1100
→小屋1250・1320
→巻機山1410・1430
→小屋1500
[歩行計6時間30分]
※小屋から巻機山・牛ヶ岳・割引岳へのピストンは適宜カット・入替え
■21日
小屋0500
→巻機山0550・0600
→牛ヶ岳0640・0700
→巻機山0730
→割引岳0815・0830
→小屋0920・0950
→六合目1105
→桜坂駐車場1245
→清水1315
[歩行計7時間00分]
※小屋から巻機山・牛ヶ岳・割引岳へのピストンは適宜カット・入替え
※清水バス停から沢口バス停まで更に1時間程度(桜坂から分岐して沢口まで1時間10分程度)
□エスケープ
小屋・桜坂・清水へ引返す
□集合
9月23日夕方 六日町駅前 大和屋旅館 (坂戸山ハイクに参加しない場合ここで合流)
□交通
■行き
・JR高崎線・上越線など
新宿0827/1012/1419→六日町1236/1435/1908
3670円 学割2930円
大宮→越後湯沢で新幹線(自由席2590円)を利用すると2時間~2時間20分
○南越後観光バス
六日町駅前0650→清水0720 470円 ICカード不可
■帰り
○南越後観光バス
清水 0720/====/====1345/====/====/1840
→沢口 0730/0855/1130/1355/1520/1630/1847
→六日町駅前0810/0920/1155/1435/1545/1655/1910
清水から470円 沢口から360円
・タクシー
清水→六日町駅 約30分 5500円前後
美咲タクシー 0120-73-2348
銀嶺タクシー 0120-40-2440
桝形タクシー 025-772-4121
六日町タクシー 025-772-2550
○JR上越線・高崎線など
六日町1131/====/1446/====/====/1726/====/====
→水上発1314/1419/1553/1647/1744/1844/1933/2016
→新宿着1620/1729/1855/2001/2104/2205/2242/2331
・越後湯沢大宮間で新幹線利用の場合
六日町1237//1533/1628/1709//1950//2052
→新宿 1444//1741/1859/1920//2215//2331
□宿・小屋など
○大和屋
六日町駅徒歩一分
025-772-2070
朝食付き4990円 素泊り4040円 夕食1189円
付近にスーパ、コンビニあり
夕食付(朝食無)二部屋予約済
○巻機山避難小屋
綺麗そう、トイレも清潔そう
水場は沢なので枯れなかろうが沸かさずに飲む水は担いで上げた方が安心
水場まで少し歩くため給水用の空ボトルなどあると便利
闇テン場があるとの話もあり
・上田屋
清水の蕎麦屋、旅館もやっている(いた?)
山菜そば950円?
025-782-3403
□日帰り温泉
■六日町
○六日町温泉湯らりあ
400円 1000~2200 石鹸類なし
025-770-0215 駅徒歩5分
×島新田温泉金城の湯
300円 1000~2100 月曜定休!
025-782-1739 バス途中下車で行かれそう?
■湯沢
・江神共同浴場
400円 1300~2200 水曜定休
025-784-2727 東口徒歩3分
・ぽんしゅ館 酒風呂
800円(HP割700円) 1030~1730
025-784-3758 改札50m
■水上
・ふれあい交流館
570円 1000~2100 隔週火曜定休
0278-72-8885 駅徒歩12分
■上牧
○風和の湯
550円 1200~2000 水曜定休
0278-25-4126 駅徒歩5分
□遭難対策費
200円/人*2人
計400円
□日没日出
9/25日没(新潟):1737
9/26日出(長野):0538
□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:六日町1323kHz/新潟837kHz/東京594kHz
■NHKラジオ第二:新潟1593kHz/東京693kHz
■NHK FM:越後湯沢85.3MHz/新潟82.3MHz/沼田83.4MHz/東京82.5MHz
□警察署電話番号
新潟県警南魚沼警察署 025-770-0110
群馬県警沼田警察署 0278-22-0110 (山頂付近から南東側)
巻機山行記録
10月14日 木下亮平 作成
□日程 9月24日(日)・25日(月)
□天候 24日晴 25日晴
□メンバ(計2名)
L木下亮平
川瀬翠
□オーダ 川瀬-木下 (25日朝の小屋から山頂一帯往復は木下-川瀬)
□計画
■24日
清水0740
→桜坂駐車場0820
→六合目1100
→小屋1250・1320
→巻機山1410・1430
→小屋1500
■25日
小屋0500
→巻機山0550・0600
→牛ヶ岳0640・0700
→巻機山0730
→割引岳0815・0830
→小屋0920・0950
→六合目1105
→桜坂駐車場1245
→清水1315
□行程
■24日
清水0717・0719?
→桜坂駐車場0747・0806
→四合目ト四合五勺ノ間0851・0901
→五合目0915
→六合目ノ先1500-1550m1015・1027
→七合目1034
→前巻機山(ニセ巻機山)1117・1132
→小屋1138・1210
→巻機山頂標分岐1229
→巻機山頂ケルン1239
→朝日岳縦走分岐(“ヤッホーポイント”)1244・1255
→牛ヶ岳山頂限界1310・1325
→割引岳(破目岳)1409・1440
→小屋1513
■25日
小屋0458
→巻機山頂分岐0516・0521
→割引岳(破目岳)0538・0551:0548ニ牛ヶ岳カラ日ノ出
→牛ヶ岳三角点0633・0651
→小屋0726・0806
→六合目0905・0917
→井戸尾根登山口1019
→桜坂駐車場1024・?:単独登山者ノ自家用車ニ同乗
→沢口バス停1053?
□ルート状況
■巻機山の計画
山と高原地図のコースタイムはやや過剰で、桜坂駐車場から小屋まで、日帰り装備ならば登り3時間、下り2時間というところだろう。駐車場から最高点までの往復なら休憩を入れて7時間程度、牛ヶ岳や割引岳を廻っても9時間程度で、清水から歩いても小一時間増しというくらいなので、朝早く着くことが出来るなら、(推奨はしないが)日帰りは可能だ。実際に大半の人は日帰りで、あちこちの沢を登って来る人をあわせて日曜の昼間は結構混んでいた。夕方のバスで来て駐車場そばのキャンプ場にテントを張るという手もある。
米子沢を上がってくる人は予想以上に多かったが、山と高原地図にも点線で記載のある割引沢とヌクビ沢からはあまり来ないようだ。駐車場には大雨などの災害でこのコースに整備が行届いていない旨の警告が出ていた。
一泊すれば朝は人が少ないので、巻機山をたっぷりと味わうには小屋泊がおすすめだが、さらに静かな山を楽しみたいなら、紅葉最盛期を外し土休日も外すことを推奨する。まだ紅葉には少し早い9月下旬の日曜月曜でも、小屋はそこそこ混んでいた(我々を含めて9人が泊まった)。大学の都合を考えると9月上中旬の平日がベストか。
日帰りの人が多いので、我々のように鍋と米を担いで救急箱とサブザックも持ってという格好だと、不思議そうに見られる。谷川まで縦走するのかと訊かれてピストンですと答えるのは気が引けるし、巻機山の雰囲気やキャパシティから言っても、荷物は出来るだけ小さい方がよいと思う。夏山の気合を持って挑む山ではなく、黙々と歩く静かなる山でもなく、ただ大きく明るく美しい山歩きだと心得ておくのがよさそうだ。
■小屋・水場・トイレ
小屋はあまり大きくない。快適に使うとなると一階に4人程度、二階に8人程度が限界か。土間は靴を置く程度の幅で、混んでいれば一人か二人は寝られるが、炊事をする場にはなっていない。二階へは狭く急な梯子段を上がらなければいけないが、二階の方が快適だろうし、一階を占有できるつもりでいても後から後から人はやってくるので、早いうちに二階に場所をとるのが良いと思う。
小屋の中には緊急用電話が置いてあったが使えるものかはわからない。また使用日誌があるので書いておこう。避難小屋なので無料だが、トイレチップに多少の気持ちを込めておくとよいかもしれない。小屋の前にはいくつかベンチがあり、木道を挟んで少し開けた広場がある。ここが数張程度の闇テン場だろう。
水場は小屋から歩いてすぐの沢だが、沢へ下りる最後がかなり急で狭い道なので、サブザックに容器を入れて、登山靴をちゃんと履いて行った方がよい。沢は綺麗で水もよく流れているが、浅いので大きな容器に入れるのは難しい。
★トイレは魚沼駒と同じ自転車式のもので、洋式と男子小用が一部屋になっており、それが二部屋、小屋の内にある。もとは紙も一緒に捨ててよかったものが持帰らなければいけないように書換えられていた。ポリ袋が置いてあったが、予め持帰り用の袋などを準備していった方がよい。女性にはなかなか不便なことだと思う。なお2年前の魚沼駒では紙も捨ててよかった。小屋の外にも裏手に和式の汚いトイレがある。そちらは紙を捨ててよいのか、よく分からない。★
桜坂駐車場のトイレは当然、紙の流せる水洗だが、かなり汚い。落着けるトイレは駅まで戻らないとないかもしれない。
駐車場の料金所と清水の民宿でワッペンとバッチを売っているようだが売切れもあるらしい。ワッペン500円、バッチは400円、いぶし銀でなくツヤ黒のカラーだ。
■交通
鉄道に関しては時刻表を見ればわかるだろうから割愛する。上越線は好きだが高崎線がとにかく長い。
バスは便数が少なく不便だ。それに時刻表を見ると、朝一番に清水を出るバスがいつ送り込まれているのか、六日町から清水に走ったバスがいつ帰って来るのか、不思議だ。11時半沢口始発のバスは六日町から沢口まで来て折返したので、8時前に清水に着いたバスが客扱いせずに沢口まで回送されるわけではない。運転手さんは往復とも愛想のよい人だった。なおザックが大きいと荷物代として100円割増になる。元の運賃が安いから気にならない。
★平日には南魚沼市民バスが走っているようだ。沢口を9時半ごろと13時半ごろに出て六日町の方へ向う。他にもいくつか路線があり、坂戸山や金城山の計画を立てるにも上手く使えるかもしれない。★
駐車場は土日はかなり混雑する様子。昼ごろになって空くのを見はからって到着して小屋に泊まるという人もいた。
清水の集落から六日町や塩沢の駅までは、歩いても3時間か3時間半くらいのものだろう。天気さえよければ歩くのもさほど苦にはならないと思われる。山や田圃を見ながら、小さな神社やお寺に立ち寄りつつ歩くのも楽しかろう。バスが少ないから初めから歩くつもりでもいいのではないか。
■六日町の宿・店・温泉
大和屋旅館は駅前アーケードの中で、駅からもすぐ見える。取仕切っている親爺は田舎風だがごく親切な人だ。二階に10ほどの客室があるようで、泊り込みで働いている土建屋さんなどが多く使っている風だった。通された部屋は八畳間で、テレビは有料、ごみ箱やティッシュ・ペーパはあったりなかったりする。共用の電子レンジと冷蔵庫があったが冷蔵庫はどこかの会社の専用になっていた。風呂は17時からシャワーや湯の栓を開けて入れることになっているようだが早めでも入れてもらえる。早く入ると張ったまま冷めた湯が丁度良いが、夜中には湯が入替って熱々だった。風呂場は一つなので女性が使うときは貸切り扱いになる。夕飯は18時と決まっており、朝も時刻はわからないが同じ様子で6時50分のバスには間に合わないらしい。素泊り四千円の宿の千円の食事だから期待するものではないが、量は十分だった。今回はワタリガニの類を仕入れたらしく、カニの味噌汁に酢の物にグラタンとカニづくし、加えて煮物やロールキャベツや刺身がついた。食事は部屋に運んでくれる。二人二部屋夕食付、諸の税を含めて11,170円。
大和屋の隣が六日町タクシーで、もう一つ隣が「ビジネスホテルライフ」なので、安旅館よりホテルを求める向きはこちらへ。越前屋というのもほどほどの旅館で近くにあるようだ。
六日町はそこそこ大きな町で、飲み屋寄りの店はいくつかあるから、素泊りにしても夕食に困ることはないだろう。駅のロータリィに面した所にスーパ・マーケットがあり、市立図書館と一つの建物になっている。少し離れたところにはイオンもあるようだ。コンビニは駅の裏にセブンイレブンがあるはずだが、大和屋から交差点を曲がってすぐのところにもファミリーマートが出来ていた。
六日町温泉の日帰り入浴は「湯らりあ」が便利。新しく明るい建物だが銭湯なので風呂も休憩所も狭く、石鹸類はない。湯はかなり熱く、長居できない。番台のオバチャンはやはり田舎風だが親切な人だった。金城の湯というのもよさそうだ。調べてみると大和屋もタイミングが良ければ日帰り対応しているようなことが出てくるが、男女交互に入ることになるので不便だろう。湯沢までの列車は毎時一本以上出ているから、風呂や帰りの食事を湯沢で済ます手もある。
□紀行
朝、昨日のうちにスーパで買っておいたおにぎりをお茶で流し込んで腹を拵え、6時20分ごろに大和屋を出た。コンビニに寄って行動食のおにぎりを買い込んでから駅に戻る。バス停には先に一人男性がいて、結局終点までこの3人だった。美しい山里の風景を見ながらバスは国道を走る。左手に大きくはだかる金城山のてっぺんから日が差して、田圃は輝いていた。
田圃と農家の集落がふと途切れて林に入り、その林を抜けた清水の集落には定刻より少し早く着いた。まずはウォームアップのつもりで、舗装道を駐車場まで歩く。細い道ながら途中何台も車が上がってきて抜いていく。天気の良い日曜だ、不便な山だがこんなにも人は来るのだ。案の定、桜坂の駐車場は殆ど満車だった。誰もいなかった魚沼駒の思い出から勝手に静かな山を想像していたのだが、どうもその期待は裏切られたようだ。願わくは小屋が空いていてほしいものだ。駐車場の料金所のボックスには「バッチ400円、ワッペン500円」と貼出されていたがまだ人が来ていない。在京責任者の位高さんに出発報告をしようとしたのだが、ここではもう携帯電話の電波が入らなかった。
一番奥の駐車場からゆるっとカーヴして上がっていくと登山口で、歩いてきた道が真直ぐ進む先は割引沢、ヌクビ沢のコースだろう。そちらも魅力的だが、今回は右に折れて、井戸尾根コースに入る。初めは少し暗い森の緩い登りだ。だんだんと傾斜が急になり、また昨日の雨で濡れた道に少々厭らしさを感じもするが、想像を超えるしんどさではない。むしろ下りでも同じように泥がついていたら難儀しそうだなあと思う。くねくねと登って行く狭い道の途中で休憩したが、すぐ先で景色が開けたと思ったところがもう五合目だった。川の音が聞こえる。登りに飽きる前によい景色を見せてくれて、気分は晴れやかだ。
ここからの尾根はしばらくシラカバ(あるいは白っぽいブナなのか)の林で、北八のような雰囲気だ。ここもさほど急ではなく、そろそろ下りてくる人ともすれ違いながら行く。日帰りの人はみな荷が小さく、三倍くらい大きなザックを背負った我々に、「何泊されるのですか」「谷川の方まで行かれるのですか」などと問うてくるので、「行って一晩泊って帰るだけですよ」と答えるのはちょっと気恥ずかしい。やがて左側が開けて天狗岩や割引岳がよく見えるようになる。このあたりが「六合目」になっていてきちんと標柱も立っているが、登りでは景色ばかり見て標柱を見落としてしまった。五合目があっという間だった割に六合目は随分遠いぞと思って、時間が経ったのでまた狭い道の上で休憩して歩き出したらすぐに、1564mの七合目だった。五・六・七と、登りが辛くなる前のちょうど良い所に景色のよい休憩ポイントがあるのだ。
それにしてもこの七合目に出た開放感は素晴らしい。樹林が無くなり、乾いた砂と岩の広い道から立上る斜面は日を浴びて緑・黄・橙の斑模様に刺繍され、ぐっと盛上った頂点が前巻機。青緑に茂った笹がややうるさいが、概ね紅葉時期に入ったというところだろう。八ヶ岳や日本アルプスと比べても遜色ない大きな景色だ。そしてここから前巻機までの登りは大変そうだ。
一歩一歩ごとに開けてくる上越国境の山々の展望を励みに、急な道を登って行く。最後は笹や灌木も無くなって、果ての見えない階段を上がる。日が照って暑くなってくる。前を歩く川瀬さんが「そろそろ休憩しますか」と訊ねるのに、「見たところたぶんあと20分くらいだから前巻機の上まで頑張ろう」と答えたのは自分への励ましだ。この見立てはそう悪いものではなく、長く伸びた山頂に上がって山頂標に着いたのは先の休止から小一時間ほど経ったころだった。
小屋はすぐ先だが、せっかくの山頂だからゆったりと過ごそう。正面には大きな巻機山が秋の色をして屏風のように広がっている。小屋の立っているであろう鞍部は幅広くなだらかに平地を作っていて、山頂の稜線へ延び上がる面についた急な道には人がうじゃうじゃと取付いているのが見える。ここ前巻機山の山頂標は「ニセ巻機山」となっていて、九合目の標も立っている。米子沢から来たという二人組は、すでに何度か登ったことのある巻機山頂には行かずに井戸尾根を下りるものと見えて、山頂標の「ニセ」を手で覆って記念撮影していた。ここで15分ほど休んでいる間に、割引岳の方から山岳警備のヘリが上がってきて、巻機山頂の方へ行ったり来たりしていたのは、何があったのであろうか。
高原を散歩する気分の気持ちよい下りはすぐに終わって、木立を背に立つ可愛らしい小屋の前にはかなり大勢の人が休んでいた。昨日六日町で一緒に列車を下りた中高生の一団もいた。荷物がだいぶ小さくなっているので、どうやら桜坂にキャンプして日帰りで戻るらしい。ともかくも小屋に入る。急な梯子から二階を覗くと、すでに4人が荷物で場所を占めていた。時刻を考えるとこれより大きく増えることはないだろうし、梯子を上がるのも面倒だし、一階を占有できれば飯を食うにも朝早く出るにも便利だろうと思って、一階に荷物を置いた。
まずは水汲みに出かける。小屋からまっすぐに道を辿っていくと、突然灌木の中の急な下りになって、ペットボトルを口にくわえて下りたところが米子沢の源流だった。沢から上がってくる人は少し手前で分岐して小屋の近くに出ることになっているので、水場になっている流れには人が干渉していないはずだ。ここからは登山道の人々が目に入らず、聞こえるのもほとんど沢の流ればかり、気持ちがよい。
米を浸水し、サブザックで山頂へ。予定より一時間以上早いからのんびりと散歩しよう。小屋の先は湿地帯になっていて、織姫の伝説のあるらしい池塘の脇を木道で歩く。急な階段をひと登りしたところが開けていて、「巻機山頂」の標と「役行者」と彫られた三角点大の石が立っていた。ここは割引岳方面と牛ヶ岳方面との分岐に過ぎないが、巻機山は大きくなだらかで、地形図を見ても1900mくらいの等高線から上は「巻機山」の山頂としてよいような感じがする。ともかくもここまでくれば登頂の証拠写真は撮れるようになっているのだ。
ここから東に折れて、先に牛ヶ岳の方を歩く。南側の山々がよく見える。すぐ先、少し上ったところにケルンが積まれていて、どうやらここが最高点らしい。地形図でも山と高原地図でもこの辺りに山名が書かれている。道幅が少し広がった程度のところだが、ここまでは来ようという日帰り登山者が多いのか、結構混雑していた。時刻も12時半だから登頂のピークを少し過ぎたくらいか。ここで昼飯を済ませて下りようという人が多いようだった。
人混みを避けて先へ進む。山稜は少し幅が広くなって、またぽつぽつと小さな池塘が道沿いに見られる。するとすぐ先から、「ヤッホー」という声とそれへの見事なこだまが聞こえてきた。朝日岳への縦走路の分岐で、大学生らしき一団が遊んでいた。「ぜひヤッホーとやってください」と言い残した彼らと入替りで我々も叫んでみる。川瀬さんはもうちょっと腹から声を出さないとね。谷川にいる杉山君らにも届くかと思ったが、後で記録を読むともう下山したころだったようだ。
景色がよくベンチもあったので腰を下ろして山座同定を試みる。展望に期待して20万図「高田」と「日光」を持参したのが報われた。南にまっすぐ伸びた縦走路の尾根より左側で、一番目立つのは武尊だろう。武骨な山容から左右に長く稜線を引いている。その隣、一つ手前にたおやかな姿を見せるのが至仏だ。麗しい容貌、ああ、今まで何となく避けていた尾瀬の山もやっぱり行ってみたいなあと思う。さらに左、奥まったところからきつく盛上ってアピールしているのはきっと燧じゃないか。至仏と武尊の間のずっと遠いところでぼこぼこと頭を出しているのは、男体山か白根山か、日光の火山群だろう。さて、大きな山体がそれぞれに個性的な形をもった上州野州の山に比べて、縦走路の反対側、上越国境の山々はずっとアルペン的で、鋭いピークがギザギザと続いて重なり合っているので複雑だ。前巻機へ登っている間からずっと目立っていたマッターホルンのようなピークは大源太山、背は低いが格好がいい。その後ろで形は少し鈍るが標高はずっと高く、先端が尖っているのは万太郎山だろうか。そうすると右に伸びる稜線上に続くのは仙ノ倉、平標だ。左側はいよいよ谷川のはずだが、茂倉岳、一ノ倉岳、オキノ耳、トマノ耳と続く山々のどれが見えているのか、ただ大きな連嶺がどしりと鎮座している様子である。その谷川一帯の左に続く大きな山はきっと朝日岳なのだ。今我々の座っているここから稜線を伝って走る縦走路はどれほどか気持ちよいだろう。34期久光さんが一時期呪文のように口にしていた「白毛門・巻機」への憧れがよくわかる。先ほどの大学生パーティもこちらから来たのかしらん。
再び歩き出して目指す牛ヶ岳にはガスが流れてきた。右手の谷筋に小さく残った雪渓を見ながらひと登りすると、山頂はいよいよガスの中。傍からはさんざん姿を見せておいて、いざ登るとガスに包み隠す、こういう山はなんだか高貴な感じがする。3年前の北岳もそうだったじゃないか。牛ヶ岳もうんと気高い山なんだ。登りきったところに三角点と朽ちた山頂標らしきものがある。笹に覆われてひどくぬかるんだ道を進んでいくと左の草地に小さな石の祠があり、さらに先の方でいよいよ道が下り始めるというところまで行って腰を下ろした。ガスは時折薄くなって部分的に破れることもあるが、ほとんど真白の世界。人混みが目に入らないし声も聞こえないから、やっと「静かなる山」を独占した気持ちだ。
来た道を引返す。するとやはりガスはない。ケルンも分岐もだいぶ空いていた。分岐から今度は割引岳へ向うと、北斜面のトラバースは少し植生が違うようだ。笹が少なく、丈の短い草や花が多く、黄色味を帯びた原っぱになっている。鞍部へ回り込むと正面に大きな三角形。麓からも美しく見えた割引岳の円錐だ。気持ちの良い稜線歩き。
深田さんは『日本百名山』の「巻機山」でも『山岳展望』に所収の「巻機山」でも、「割引山」(ここではワリビキとルビを振っている)は「破目山」(ワレメキ)であったはずだと論じ、「山岳愛好諸子に望む、是非諸君の地図の割引山を破目山と訂正して頂きたい」と書いている。「陸地測量部の地図の山名には、あまり迂闊な宛字が多すぎる」という主張にも「割引山などは浅草興行界の夜の割引を思い出させる」というセンスにも同調するが、深田さんは同時に、破目山というのは今の天狗岩のことで清水の集落から見て前後に重なる割引岳と取り違えたものであろうということも主張しているのだから、この割引岳を「破目岳」とすることには合理性がない。さすればこれは何と呼ぶべき山か。「あのへん全体を漠然と巻機山と呼ぶことに賛成したい」という一文は、牛ヶ岳に関しては、そのひときわ高貴なることに目を瞑って同意してもよいが、この割引岳の見事な円錐を大きな巻機山に含めるのには賛同しかねる。深田さんはガスガスの山頂(おそらく現在の山頂標のある分岐点)に立っただけのようだから、この円錐形を間近に眺めることはなしに、地図のみを見て論じているのではあるまいか。山と高原地図によると割引岳(ルビだけはワレメキとしてある)のすぐ西から「金山沢」というのが流れているから「金山」というのもありそうな気がするが果たして。しかしそもそも、清水の村人が天狗岩と割引岳とを別に考えていたというのもどれほど妥当か疑わしい。村から見れば縦に連なったひと続きの山として「破目山」としていたかもしれない。
いや、名前なんてどうだっていいじゃないか。ただ話したり書いたりする便宜で記号を与えているだけで、交響曲を「驚愕」とか「田園」と呼ぶのと同じことだ。呼称が伝統的に正しものかいい加減な間違いなのか、人間の文化にとっては一大事だけれども、そんなことは山にとっては与り知らぬことであろう。深田さんも晴れた日にもう一度この山を歩いていたら、原稿の三分の二をこんな命名論で埋めることもなかったろうに。この二段落も深田さんへのオマージュとして挿入するのである。
さてその円錐形の山頂は割合と広く、「割引岳」の山頂標と祠が建っている。振返ると牛ヶ岳までの山稜が大きやかに美わしい。北側、魚沼三山の方は雲が低く垂れこめているが、北西へ金城山から坂戸山を経て六日町に消える稜線はガスを透かして延びており、西にかけて山と山との間に下界の黄色な平地がよく見える。南側すぐ先に立上っているのが天狗岩で、ずっと渓を辿った先が清水の村だ。時刻の遅いのもあるが、巻機山頂に比べるとこちらまで来る人は少ないのだろう、気持ちの良い山頂である。
小屋へ引返す。二階はある程度埋まっているのでこのまま一階に陣取っておけば占有できるだろうと暢気に構え、まだ飯を炊くには少し早いからダラダラと過ごしているうち、後から後から小屋泊の人がやって来た。駐車場が空くのを見計らって遅く登って来た人もいるようだ。二階には6人、最後にやって来た9人目のオッサンは何の遠慮もなく二階を覗くこともなく、川瀬さんの隣に場所を占めてしまった。
米を炊き、まだ外が明るいので小屋の前のベンチに移動してビーフシチューを作る。玉ねぎとコーンビーフをワインで炒め、水とルウを投入。ご飯にかけてのビーフシチュー丼は、悪くないがコーンビーフの脂と焦げた味が強かった。食っているうちに巻機山は橙に染まり、小屋との間にはガスが流れてきた。小屋に入ってスープで鍋を片付け、用意していたコーヒーも少々の甘味もなしでしまった。明日は5時ごろに出よう、それには少し早いだろうが3時半ごろに起きようかと相談して、隣のオヤジにも通告したが、彼は我々が4時前にすぐ出発するものと取違えたであろうか。
翌朝、3時半より早く目を覚まし、シュラフを片付け、川瀬さんがアラームで起きるのを待つ。やはりまだ時刻が早いようだから暫くぼうっとして、3時50分ごろに支度を始めた。晩に炊き余しておいた米に玉子スープと薄切餅を入れておじやに、さんまの缶詰も開けた。食事が終わって最後に茶を沸かそうという4時10分ごろ、それまでじっとしていたオヤジが目覚めたらしく、我々が火を使っているのを認めると「外でやれよ、バカ」「こっちは夜中ぢゅう鼾で寝らんなかったんだから、朝ぐらい静かにしろよ」「だいたい小屋の中で火を使ってるのがおかしいだろうが」と大声で散々な言いようだった。ここでそのセリフの一々の真偽を判じても詮無い言訳にしかならないから止しておく。我々にも非はあったろうし、彼の言うことに道理と思えることもあった。ただ品と遠慮と自省のない人間にはなるまいと強く自戒するものである。山のこころのわかる人間にならなければいけないと決意するものである。あとで小屋に泊まっていた別の人から又聞きしたところによると、この人は近くに住んでいてこのあたりの山を様々なコースで歩いては記録を昭文社に提供しているらしい。静かなる山を目指したつもりがこういう人に捕まってしまうというのもままあることかもしれない。我々もその現代的登山案内の恩恵にはかなり与っているので、あまり文句も言えまい。
怒声は止まず二階にも迷惑だから、鍋を掴んで二人して外へ出て、片付を済ます。小屋へ戻ったら即座に出発したいが、まだ真暗な上にガスガスで、これでは歩けない。寒い屋外で時間を潰して、時刻を見計らって小屋に戻り、鍋の代りに昨日のままのサブザックを掴んで出発した。5時前、もちろん今日の一番乗りだ。
ヘッドランプの明りで小屋から逃げるように黙々と登るうちに空はほの明るく白んできて、分岐に腰を下ろして一休み。川瀬さんの希望でまずはワレメキ岳に向う。ガスの流れと空の明るさとが刻々と変化して景色が動いてゆく。夜の霧は晴れたが、植物たちが目覚めて下の方から新しいガスがだんだんと上がってくる。やがて牛ヶ岳の方から、薄いガスの向うに太陽が現れた。朝だ。ガスの中に巻機のたおやかな山稜が浮かび上がる。石の祠が橙に染まる。
分岐に戻ってそのまま牛ヶ岳の方へ進む。沢口11時半発のバスに間に合わせたいということも気になったが、そんなことは忘れて、朝の山を存分に楽しもう、帰りの足はまた後で考えよう。昨日ヤッホーしたところからは雲海が見事だった。牛ヶ岳へ向うと今まで薄靄の向うに見えていた山頂がだんだんとガスに飲まれていってしまう。なんと奥床しい山であることか!
小屋を出てまずこちらに来た人があるらしい。下りてくる一人と入れ違いで着いた三角点の前にはもう一人、人のよさそうなオジサンがいて、この人は埼玉の少年野球チームか何かのトレードマークの大書きされたシャツを着ていた。「さっきまでブロッケンが見えていたんですけどね」と。惜しい!いまや東側のガスも高く上がって太陽の光は散漫になってしまった。自分の影が雲によく映る所はないかと祠あたりまで行ってみるがむなしく戻る。オジサンは「ガスがだんだん上がってじきに晴れ上がるんじゃないか」と期待して待っているらしく、我々もその言葉を信じて、すぐ後に来たもう一人と4人で待つが、上がるガスあれば湧くガスありで、いっこうに晴れそうもない。この気高い牛ヶ岳がそう簡単に展望を我々のほしいままにさせることもないのだろう。オジサン二人を残して我々は引返す。
振返る牛ヶ岳は相変わらずガスの向うだが、下りた小屋はからりと晴れていた。水を汲み、掃除をし、支度をととのえて出発する。小屋に泊まった人はまだ山頂にいるか、今朝は登らずに下りてしまったかで、我々のすぐ前に30代くらいのお兄さんが出るとあたりに人はいない。昨日の午後の喧騒が嘘のようだ。秋の静かな山に別れを告げる。
下りは正面にパノラマを見ながら快調だ。急なところも狭い所もあるがさほど苦には感じない。朝何時に出たのかしらん、もう登って来る人がいる。老人のツアーらしき大パーティもゆっくりゆっくり登って来る。先の、野原ひろしをずっと爽やかにしたようなお兄さんとは結局抜きつ抜かれつ、お互いにペースメイクして下っていった。時刻を見ると、沢口まで歩いてバスに間に合わせるのはギリギリ厳しいかもしれない。もしバスが清水から回送されるものなら抜かれるときに頼み込めば乗せてもらえるだろうか、駅まで歩いても3時間くらいなものだろうし景色はよさそうだったから、下りてまだ元気ならそれも悪くはないね、もし誰か車に乗せてくれる人があったらまさに渡に船なのだけど。二人でそう話を決めて、その相談がすぐ後ろのお兄さんに聞こえていることも心の片隅で期待しつつ、歩いていく。七合目から道が林の中に入っても昨日のようにぬかるんでいることはなく、やや急ながら多少飛ばしても膝への負担はあまり感ぜず、するすると下ると、見込み通りに小屋からほぼ2時間で登山口に着いた。
日曜朝よりはだいぶ空いた駐車場を、それでも日本各地から集まったナンバ・プレートを見ながら過ぎると、料金所には優しそうな爺さんが座っていた。ワッペンは売切れで清水の民宿に行かないとないとのことで、二人してバッチを買い、爺さんと世間話をしながら帰り支度をしていると、爽やか兄さんが車を料金所につけて、君たちはタクシーかと声をかけてくれた。チャンス。バスの積りだがだいぶ歩かなくちゃいけないし、時刻も怪しい。そう答えると兄さんは車を少し動かして、ハッチバックのトランクを開け荷物を整理しだした。期待が高まる。そして「ちょっと狭いけど、どうぞ」と。願ったり叶ったり。
後部座席は我々の荷で半分潰してしまったので、木下が助手席に、川瀬さんが後ろに乗込む。お兄さんはたぶん六日町ではなく湯沢の方へ、南へ帰るのだろうから、「国道を少し下りた沢口のバス停まで」お願いして送ってもらう。車中は山岳談議で盛上った。彼は避難小屋に泊まる山行が好きなようで、中でも巻機の小屋は目の前に山頂があり、綺麗な水場があり、清潔なトイレがあり、一番よいのではないかとのこと。東北の飯豊や朝日の小屋もよいという話になって、つい半月ほど前に朝日連峰に合宿していた川瀬さんにはタイムリィだった。さらに話題は、百名山ハンタの人は「飯豊山」の山頂だけに登ろうとするが大日岳などを縦走した方がずっと楽しいこと、逆に百名山を深田さんと同じルートで歩くべく今や廃道のコースを辿る人のあることなどへと移った。ああこの人は、山のこころのわかっている人なんだ。
グーグルマップと行きのバスとで見ていた景色を頼りにバス停を見つけて降ろしてもらう。お兄さんは「ではまたご縁があったら」と笑顔を残して走り去った。何と爽やかな。
バスまでは40分ほどの暇だ。小さな田圃と、用水路沿いに咲くコスモスと、川原に薄の茂った登川の流れ、極めて居心地の良い明るくのどかな田舎の山里。ゆるく下りながら伸びる国道のずっと先には、向いの山地との間に街が見える。顧みる巻機山は周りの山々よりひときわ大きく、上半部が雲に隠れている。下界はよく晴れて景色も美しいので、少し先のバス停まで商店や神社を訪ねながら散歩してもよかったのかもしれないが、カマボコ型のバス待合所の周りを二人好き勝手にぶらぶらして過ごした。
バスは清水からではなく六日町から来て折返した。バスの車窓の、見飽きることのない美わしい風景。黄色い田圃の中、数枚おきに蕎麦の白いお花畑のようになっているのは減反のためか。小さな神社やお寺が国道沿いに点在している。巻機山は雲と山の向うだが、右手に金城山がずっと大きく聳えている。村を守るがに立派な姿だ。近いうちに是非とも歩かねばならぬ。魚野川を渡るころになると坂戸山の方が近くなる。可愛らしい双耳の峰が立ち、左側の山頂には赤い屋根の神社もはっきりと見える。やがて懐かしき六日町の商店街からロータリィに到着。素晴らしい好天で、バスの上から30分で済ましてしまうのには勿体ない行程だった。
湯らりあに向う。風呂は空いていたが熱々で、「六日町温泉は熱い温泉です」「埋めすぎないでください」の貼紙に遠慮してかなり辛抱してから上がったが、それでも川瀬さんはまだ長かった。小さな休憩スペースで待つ間、やはり巻機から下りてきたというオジサンに捕まって話を聞いた。昨日は平ヶ岳を歩き、この二日の晴天を国境の山に満喫したらしい。
入口に貼ってあった時刻表を見ると13時29分に湯沢行の列車がある。番台のおばちゃんも親切に手元の時刻表で調べてくれた。水上行の一時間ちょっと前だから、これに乗って湯沢まで出た方が食事には便利だろう。風呂屋を出て、南魚沼市役所の脇から駅前に戻り、土産物屋で純米吟醸「巻機」の小瓶を買ってから駅に入る。地元の人で席の埋まった2両のワンマン車は、飯士山を筆頭にスキー場の開かれた山々を眺めながら走る。湯沢では自由通路にザックをデポし、西口を出てすぐのちょっと怪しげなうどん屋で腹を満たした。
高崎までの上越線は、乗換えが厄介だが景色がよいので楽しい。土合からは大きなザックを背負った高校生の集団が乗ってきた。ザックや登山靴が数種類に統一されていて、ザックに縫い付けられた高校名を見るに、埼玉県下のいくつかの高校山岳部が合同で谷川合宿でもしていたようだ。女の子たちもザックを担いで水上での乗換えに階段を駆上っていた。
高崎からは全く通勤電車の雰囲気。日の暮れかかる深谷で川瀬さんと別れてから、新宿までの長いこと。途中でもう一泊して、低山なり温泉なりを挟んでから帰りたい気分だ。
□反省
・山のキャラクタが思っていたものとちょっと違った。世間的には割と気軽に行ける柔らかな山であるらしい。2人組で小屋泊りするならもっと荷を小さくすることもできただろう。山のキャラクタ、キャパシティに対して適切なパーティ、装備、計画というのを狙っていきたい。小屋の混雑予想も見誤った。
・他の登山者へは十分に配慮しなければいけない。ちょっとした思い違いや機嫌の良し悪しでどうなることかわからない。雷鳥の山行は殆どテント泊で、人の少ない避難小屋泊と、反対に管理のしっかりした有人小屋泊がたまにある程度なので、混雑するがルールのない小屋で自主的にどう過ごすべきかという勉強が不足しているかもしれない。
・自分の主義を人に押付けてはいけない。また、これはあまり些末なことだが、自分の鼾には殆ど気が付かないものだから、「昨晩の君の鼾はうるさかった」という議論は止した方がよい。
□総括
人はやや多かったが、明るい秋の山と上越国境の展望を満喫し、山仲間や土地の人の親切にも触れ、充実した山行だった。昼過ぎと朝早くと二度山頂を歩いたことでさらに味わい深かった。上越線沿線には魅力的な中低山がまだまだたくさんある。谷川岳はその入口に過ぎない。どうせ水上の向うまで行くのなら、たまにはもう少し足を延ばしてみませんか。