2017/12/3 笹尾根から生藤山
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
笹尾根から生藤山 山行計画書確定版
作成者 木下
□日程 12月3日(日) 日帰り
□山域 笹尾根・甲武相国境
□在京本部設置要請日時 2017/12/3 1800
□捜索要請日時 2017/12/4 0900
□メンバ(計7名)
CL木下 SL飯田 福田 寺垣 川瀬 吉田 村田
□地図
■2万5千図 「猪丸」「五日市」「与瀬」
■山と高原地図 「23/24奥多摩」「27/28高尾・陣馬」
□行程(通過目安時刻)
下和田バス停0955
→日原峠1130・1140
→浅間峠1225
→熊倉山1315
→三国山1340・1350
→生藤山1355・1405
→佐野川峠1445
→軍刀利神社1455
→御霊1535
[歩行計5時間10分]
※御霊から上野原駅まで更に1時間程度
□エスケープ
・引返して人里へ
・浅間峠から上川乗へ
・三国峠から井戸へ
・佐野川峠から石楯尾神社へ
・計画通り御霊へ
□集合
JR中央線・青梅線・五日市線 新宿0744発・立川0811発
ホリデー快速あきがわ3号武蔵五日市行 2両目車内(必ず前4両に乗車のこと)
□交通
■行き
・JR中央線・青梅線・五日市線
新宿0744→武蔵五日市0848 800円
・西東京バス
武蔵五日市駅1番0900→下和田0940 770円IC可
※自由乗降区間(休日は冬季に限る)のため手前の登山口で下車できる見込み
■帰り
・富士急山梨バス
御霊 1444/1544/1643
→上野原駅1501/1601/1700
300円IC可
・JR中央線
上野原1506/1541/1606/1640/1652/1704/1725
→新宿 1622/1658/1714/1750/1804/1804/1837
970円 高尾から京王線利用で680円
□遭難対策費
100円/人*7人
計700円
□日没日出
12/3日没(東京):1628
12/4日出(甲府):0639
□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:東京594kHz
■NHKラジオ第二:東京693kHz
■NHK FM:東京82.5MHz
□警察署電話番号
警視庁五日市警察署 042-595-0110 檜原村 :始点から三国山まで
山梨県警上野原警察署 0554-63-0110 上野原市 :笹尾根の南西側
神奈川県警津久井警察署 042-780-0110 相模原市緑区:三国山から終点まで
笹尾根から生藤山 山行記録
作成者:木下
□日程 12月3日(月)
□天候 晴
□メンバ及オーダ(計6名)
村田 吉田 川瀬 飯田 木下 福田
※36期寺垣は当日不参加
□計画
下和田バス停0955
→日原峠1130・1140
→浅間峠1225
→熊倉山1315
→三国山1340・1350
→生藤山1355・1405
→佐野川峠1445
→軍刀利神社1455
→御霊1535
□行程
下和田バス停0953
→人里休暇村付近ニテ登山口ニ迷フ
→820m?1057・1110
→日原峠1136
→浅間峠1212・1230
→熊倉山1312・1325
→三国山1346・1405
→生藤山1411・1416
→御霊1523
□ルート状況
■交通
ホリデー快速あきがわ号は拝島でおくたま号と分割併合する。武蔵五日市・奥多摩寄り4両があきがわ号、新宿・東京寄り6両がおくたま号である。
五日市で下車して数馬行きのバスに乗るハイカはかなり多い。駅のトイレもバスも大混雑する。都民の森直通の急行バスが11月で終わって人が集中するためもあろう。殆どの人は終点数馬まで行く様子。今回は同時に4台が出た。自由乗降可能だが申し出られる雰囲気ではない。バス停で降りた方が支度もしやすい。
■日原峠まで
登山口がわかりにくく、迷う。下和田のバス停からバス通り(都道)を戻ると秋川に赤い橋が架けられており、それを渡ると正しく山に入れる。これは地形図及び山と高原地図と違っていて、いづれの地図でも人里休暇村の奥から川に下りると橋があるように描かれているが、踏み跡を無理に下りても川は渡れない。なお人里休暇村は小さなキャンプ場のような場所で、人の気配はないがトイレが開いているので借りることは出来る(声の掛けようがないので無断使用になってしまう)。
登りはじめは針葉樹林の暗い道だが、高度を上げていくと急に雑木林に変わる。展望はないが所々から木々を透かして奥多摩三山くらいは明らかに同定出来る。途中で工事中の林道を横断するがこれも地図にはない。
峠直前の水場はそれなりに流れていた。なお日原峠は「にっぱらとうげ」と読みたくなってしまうが、「ひばらとうげ」と読むらしい。確かに鍾乳洞のある日原(にっぱら)とは場所が離れている。山梨側へ峠を下りた集落が日原(ひばら)らしい。
■三国山まで
笹尾根はいつものように気持ち良く歩ける。展望は変わらず。浅間峠は歩いてきた稜線の高度からぐっと降った低い鞍部にある。ぼうっとしていると左の尾根に逸れて川乗へ下りてしまいそう。(狭義)笹尾根の終点である浅間峠は大きな峠で、もちろん浅間信仰の祠があり、これは明治26年に建てられたらしい。道標は大正14年とのこと。
次第に林が疎になり、一段高い熊倉山は小さいが明るい。南面がやや開けている。その先、軍刀利神社元社は小さな祠だが鳥居が立派で、尾根の広がったところにあるので休憩適地、富士山が眺められる。元社から奥の院へ降る地図にない踏み跡もあり、「45分初心者不可」と札が立てられている。
三国山もベンチがいくつかあってゆったりしている。西側の展望が少し開けるが、午後では散漫。富士山くらいは明らかで、南アルプスもそれとわかれば悪沢・赤石あたりが見える。
■御霊まで
三国山から生藤山は三国峠の小さな鞍部を挟んですぐ。生藤山頂は小ぶりで、展望も三国山より良いことはない。このまま稜線を辿れば陣馬へ、奥高尾へ続く。「笹尾根」を広くとれば高尾山まで含むことも出来るが、地形や標高を考えるとこのあたりで一区切りだろう。
三国峠からは三国山へ登り返さない短い巻道がある。ここから佐野川峠、軍刀利神社、御霊と降る道は所によって踏み跡やや薄く、分岐が多く、かなりややこしいので迷いやすい。地形図とコンパスをすぐに取り出せるようにして頻繁に確認し、いつでも引返せる心構えでいるしかない。
山と高原地図に従ってバス通り(県道)に出たら、駅の方(左)へ少し降ったところが御霊のバス停、屋根のある待合所はないが、いざとなれば付近の駐車場や納屋で雨宿りできそう。
□出来事・風景・雑感
終点で電車を降りるとバスの前は思いがけない人ごみだった。この時点で山行を止めたくなるような。バス四台分の乗客は殆どが終点の数馬まで行くようだったので、静かな冬の尾根を歩く計画は狙い通りに実施できた訳だが。大半は高年のハイカだったが、彼らは敢えて日曜日に出掛けなければならない身分であろうや。この分では無雪期の休日には三頭山に行かれない様子。我々とて講義の一日くらい抜け出して、山を歩けばよいのだ。
それにしても「数馬」の名は、かほどにも都会人の心を惹きつけるものであるのか。それが為に、かつてその称讃された美しさは恐らく永久に失われてしまったとしても。「都民の森」の愚かしさよ。都会人が親しむために人の手によって作られた「自然」は、本来親しむべき自然ではないではないか。
〇
身支度をして登山口を目指す。今日は若い順に並んで歩こう。山へ入るには秋川を右岸へ渡らなければならない。最初に見えた小さな橋には何の道標もなく、あまり歩かれている様子もない。地図に従って人里休暇村から危うい踏み跡をたどって川原へ下りるも、渡れる場所はなさそうだ。また急な坂を這上って赤い橋へ引返す。
仕事道かもしれないからダメだったらすぐ引返そうと言って登り始めた道は、どうやら峠道の雰囲気で、暗い植林の中だが気分はいい。しかし林が開かれた明るい一筋が、心を曇らせる。林道の工事だ。何処から何処へ行く道であろうか。植林の手入れに必要な物なら仕方ない、遊びに来た我々のどうこう言えるものではない。
〇
一時間ほど歩いた。ふと出た平らな広場は程よく日が差し、林の向うには奥多摩の山々が見える。柔らかな落葉の上に腰を下ろす。左に大きく見切れる三頭山、正面に優美な御前山、右に立派な大岳山。
〇
土俵岳の東を高度を保ってトラバースし、右から稜線が下りてくるのと合流したところが日原峠。小さなお地蔵さんが迎えてくれた。ニッパラではなくヒバラ峠。地図を見れば、甲州側へ降ったところ、猪丸の上に位置する集落が「日原」なのだ。してみると、秋川側でこの峠と繋がる集落は和田、人里にあったろう。つまり本来主流だった道は今回歩いた和田の東からのものではなく、もう一つ西側、集落の中央に位置する事貫から始まっている道ではないかしらん。山と高原地図にはないが地形図に書かれているこの道、登りでとれば迷うことはなかろうと思うのだが、しかしこの道と合流する点に置かれていた道標には、「秋川を渡る桟橋はありません。道不明瞭」と書かれていた。歩く人は滅多にないのだろうか。
〇
雑木林の静かな尾根。無名の人々の文化の薫りのする尾根。所々に紅葉も残るが、殆ど冬枯れの、太陽の低く差す陽だまりの尾根。愉しき尾根歩き。
風もない、鳥も鳴かない。自分たちの足音と話し声がよく聞こえる。
〇
今日は頭の中に、ベートーヴェンのエロイカが鳴り続けている。昨晩のコンサートの所為、そんな英雄的な山ではないのに。冬枯れの尾根にはたぶん、シューベルトのリートの方が相応しい。しみじみと野山を歩こう、ゲーテのさすらい人のごとく。
全ての頂に憩いはあり
全ての梢にそよ風をも
お前はほとんど感ぜず
小鳥たちは森の中に静まっている
まあ待ちたまえ
じきにお前も憩うのだ
しかしこれもあまり静観的ではなかろう。
〇
浅間峠には浅間神社があるに違いない。そうしてぐるりと見回すと、峠の隅に二本の大きな杉、間に縄を渡して、その奥に小さな祠がある。気高き祠の正面に彫られた明治廿六年の文字。峠の真中の石の道標には大正十四年とある。
広い峠でゆっくりと休む。静かな山歩きに六人連れはちょっと多いかしらん。ザックもまた大きい。夏山と同じ救急箱ではどうも過剰だ。日が短いからツェルトは仕方ないか。カッパだって今日の天気なら、冬だから念のために持っているというくらいの装備なのだ。
〇
熊倉山は小さいがきつく盛上がったピーク、三国山まで歩いてもよかったが何となく座り込んでしまった。南に遠くの山が見えたのは丹沢の方だろうか。
三国山でも長く休み、生藤山でも休み、少々だらけてしまったが、バスに間に合うのならまあよい。どのみち気ままな、小さな山歩きだから。
三国山からは一番手前に権現山の筋、そして遥かにシルエットばかりの富士山と、幾重の山々の間に目を凝らせば南アルプスの大きな二山、悪沢と赤石に違いあるまい。もっと気温の低い日の朝のうち、或いは雨の気配のない冬の曇ならば、もっとよく見えたろう。午後の温まった空気と逆光の日差しとで、景色はひどく散漫だった。
〇
軍刀利神社と名のつくものは、熊倉山から三国山への稜線上に元社が、そこから井戸の集落へ向けて降ったところに奥の院と、更に下に本殿に相当する神社があり、また佐野川峠の下にも小ぶりの神社が木造の建屋の中にある。「グンダリ」と聞くと密教の軍荼利明王を思うが、これらは「ダ」音にあてた字が違っている。調べてみるとどうやら、もとは神仏習合した信仰だったものが廃仏毀釈に際して表記を改めたということのようだ。今回は通らなかった井戸の神社と奥の院はなかなか立派だそうだ。「刀」を名に持つこれらの他に、「楯」のついた石楯尾神社もすぐ近くの上岩の集落にある。いづれも日本武尊東征の際の武具に由来しているそうだ。
〇
生藤山からの降り、道標は少ないが分岐や踏み跡、廃道と新道が入り乱れており、植林の枝が枝打ちされたまま道を埋めているところもあった。山と高原地図で「初心者のみの山行要注意」と書かれた道志山塊よりもよほど迷いやすかろう。よく言われるように、低山の方が道迷いの危険は多いのだ。
佐野川峠の下の神社で道は二手に分かれ、尾根を真直ぐ行く方が歩きよさそうだったが、地図を見て右へ降った。これは正解。その後トラバースしていく道が突然右に折れて降るのを怪しみ、稜線へゆるく登る踏み跡を辿った。この分岐は地図を見て悩むには少し狭いので、はっきり分からなければまずは登る方、稜線に乗る方を採るのも正解。その稜線上では左から尾根を下りてくる道と合せて右へ降る方へ、「鎌沢」と道標が出ていた。1・2年生たちは山と高原地図を見て悩んでいるようだったので、地形図とコンパスを出してみると、先の神社で分けた道と再び合流して東へ降るところのようだった。ただし地形図でも山と高原地図でも、分岐や道や尾根の位置関係が少しずつ違っているように思う。いづれにしてもトラバースから折れて降るのが正しかったらしい。道と地形を読むにはガイドマップでなく地形図を出すのが鉄則、また予定ルートより少し広い範囲の集落の名前をさらっておくのも重要だ。
先頭集団はその後にもまた殆ど丁字型の分岐で悩んで、いまいち結論しないまま右へ降る方を採ったようだが、コンパスを使えば左へ戻るのでないことはほぼ明らか。更に山と高原地図では薄茶の破線になっている道が明瞭な踏み跡で分岐している所も多かった。410mで右へ谷を廻り込む道とまっすぐ降る道とが分岐して、山と高原地図では右を赤色正規コース、直進を茶色破線にしているが、直進の方がどうも自然で、我々はそのまま進んで問題なかった。
このあたりならどの踏み跡に入り込んでもすぐにどこかしらの集落には下りられるのだろうが、少し怖いので途中からコンパスを首に下げ、地形図を出したまま最後尾を歩いた。こんな道でも各々勉強になったのではないか。
〇
とうに消えていった文化、消えずに化石した文化、まさに消えつつある文化、今を生きている文化、名も無き記憶の重なる道、積る枯葉を踏み分けて、辿る我等も傍観者ではいられない。
里山に、落葉を踏めば遠くから、鹿ならぬ犬の、一日の終りを嘆くがに鳴く声がする。かさりこそりと峠道を、御霊さして降りゆく。
〇
冬の夕暮れ。太陽は低く、静かにしかし着実に、短波光を減じていく。これはベートーヴェンよりブラームスの第三番。
冬の夕暮れ。短い昼が終わる年の暮れ。お前もじきに憩うのだ。お前は己の昼間を、存分に歌ったか。
□反省
・事前コストの低い小さなハイクをやってみる、ということが一つの裏テーマだったのだが、やはり事前にあれこれとじっくり考えた方が山行の質は上がる。またどんなに小さな山でも地図は読み込んで、少なくとも企画者CLは、付近の地名がすぐ思い浮かぶようでないといけない。
・どのメンバも山行に参加するからには、いつ先頭を任されても、いつ道の相談をされてもよいように、予習しておくべし。
・山と高原地図は歩きやすい道と便利情報が見やすく描かれたガイドマップに過ぎない。主題図の一つだと認識しよう。一般ルートは地形図より現実に即して描かれていることも多いが、よく見れば薄茶の破線も多く、重要な分岐が読み取りづらいことがある。地形表現が粗いのは周知の通り。これはあくまでも「参考書」として脇に置きながら、山行前の予習や山中での読図には地形図を用いるべし。またコンパスもすぐに取り出す癖をつけよう。蛇足ながら、山と高原地図は裏面の広域図が山座同定に便利だと思っていたのだが、最近の改訂はどうやら、広域図を縮尺も図幅もずっと小さくし、展望概念図やら分岐拡大図やら交通案内図やらを充実させる方向にあるらしい。これではますます「ガイドマップ」で、山中では用がない。
・昨年度の笹尾根山行[raicho12184]の記録から、1時間早いバスに乗れるくらいの時間で歩けるかと思ったが、道に迷ったりゆっくり休憩したりして、ちょうどコースタイム通りだった。高尾での乗換えに殆ど日没という時刻だったが、12月ではこんなものだろう。焦るよりゆったり歩いてよかったと思う。ただし人数が多いと休憩が長くなりがちなのは、少し考えなければいけないかもしれない。
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本山行で先頭を歩いた39期村田くんがよい山行記を書いてくれたので以下に掲載します。
文中に登場する「高さが1mちょっとの叩くと大量のタネが放出される植物」は、私も気になったので調べてみたところ、「ウバユリ」のようです。これはその名の由来に江戸風の可笑しみがあります。
植物、動物、地質、気象など、その場でわかる知識がもう少しあれば、山はもっと楽しかろうなと、私も折々思います。
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生藤山山行記 12月4日 村田
○行きの交通にて
夏合宿以来ひさしぶりの山行であったので前日から入念に準備し先輩方と合流することになっている立川駅にも2,30分ほど余裕を持って到着したのだが、計画書にはあきがわ号の二両目に集合とあったのが駅の看板によると7~10号車があきがわ号となっているらしく(途中で連結解除する)さっそく混乱する。加えてメンバーの一部の先輩と面識がなく、そのため雷鳥のメンバーと同世代とみられる山行きの格好をしたペアが2号車のほうでこちらを時々見ながらうろちょろしていたのも混乱の原因となった(結局違った)。連結解除のタイミングもよく知らなかったため、ここで間違えるともしかすると置いていかれる可能性もある。自分は人見知りをするので一人で云々考えていたが、計画書には二両目に集合とは書いているもののそれは2号車とはかぎらないという、つまり後ろから数えて二両目に集合すればいいという結論に至り、実際に乗車すると先輩らと無事に合流できた。
そこから、途中のバスは少々混雑していたものの、無事下和田のバス停にたどり着いた。そこで、誰が言うでもなく先輩方がてきぱきと靴紐を結んだり衣服調節を行ったりしているのをみて、自分もそれに習いつつやはり先輩方は山行に慣れている方々なのだと感服した。と、思うのも束の間、木下先輩が年齢の若い順で行こうと言い出し、心の準備もなく人生初の先頭を務めることになってしまい、正直まだあまり山歩きに自信がなかったため相当焦った。やはり山行にハプニングはつきものなのだと思い知った。
○〜日原峠
自分が先頭を歩き始めさっそく入口を間違えるというハプニングが起きる。実際入口らしきものではあったのだが、入ってすぐに現れた川が、渡るにはちょっと危険そうであったため、引き返して別の入口っぽくない入口から山に入った。引き返す途中で同じように迷っていると見える年配の方がいて、ともに同じように引き返した。正しい方の入口まで同行したので近い行程なのかと思ったが、山に入ってからはその方に会うことはなかった。
山に入ってからもペースが遅くないかとか道を間違えないかとかとしばらく緊張したまま歩いていたのに対し、先輩方が自分に高校の時の校歌を歌えと言ってきたり、もし熊が出たら吉田先輩が倒すからその前にいる村田は囮だなどと言われたりして、今日はなんという役回りだと思った。
しばらく進んで緊張も解けてきた頃、人がほとんど立ち入っていないのか、道の落ち葉がかなりふかふかであった。ここまでのふかふかした落ち葉の道は今まで経験したことがなかったので歩きやすいような、歩きにくいような独特の歩き心地だった。途中でとった一本も平らな広めの場所にふかふかが積もっており天気もよく晴れていて、木下先輩が今日はずっとここで過ごすのもいいと言っていたが内心大いに賛成であった。もっと早い時期ならばきっと紅葉が見られたのだろうが、こういう落ち葉山行も新鮮であった。
ここの休憩から日原峠までは道も迷うことなくほぼ時刻予定通りにたどり着いた。
○〜浅間峠
途中先輩方があれはどの山だとか話していたが、山の名前もまだあまり知らず地図を見ても山の位置関係をうまく景色と対応させられなくて、いまいちどれがどの山かわからなかった。まだまだ読図と山歩きの経験が必要だろう。
笹尾根は木漏れ日のさす中ふかふかの落ち葉を踏みながら概ね水平方向に歩いて、前回の山行の記憶が朝日連峰の夏合宿の最終日が決死行軍のようなものだっただけに、それと比べてとてもほのぼのとした気分で歩けた。
日原峠から浅間峠までは1時間ほどで着き、時間的にもちょうど昼御飯どきであった。ちなみに山に入ってからここで初めて他の登山客に出会った。自分でもパンやカロリーメイト等用意していたが、福田先輩からいただいた堅パンなるものの硬さが強烈であった。硬い分中身の詰まったクッキーで、味も個人的に好みだったので、いつか機会があれば購入してみたい。
また名前は知らないが、高さが1mちょっとの叩くと大量のタネが放出される植物がここに生えていた。たんぽぽのタネと同じような仕組みのものだが、タネや植物のサイズが大きく見ていて不思議でとても驚いた。ちょっとしたことだがこういうあまり知らなかった生き物やその生態を偶発的に知ったり見られたりできるのも山の面白みの一つだと思う。
○〜軍刀利神社、三国山、生藤山
ここでも先輩方が景色の山の話をしていたがやはりよくわからない。途中富士山がうっすら見えたのはさすがにわかった。首都圏近辺の富士山が見られる山は多いが、見つけると見慣れた姿の安心感というかそんなものを感じる気がする。また、地図の情報からなんとなく察していたが尾根も山頂でも木が多く、あまり展望が良いポイントはなかった。道理で人が少ないはずである。しかし今回急に先頭を歩くことになった身としては、人が少ない方が歩きやすくてその点ではよかったと言える。
○〜御霊
三国山、生藤山で休みを取りすぎて下りは若干時間の余裕がなくなってしまい、だからといって焦るのはよくないのは分かっているつもりなのだがどうもペースが早くなってしまったかもしれない。今後新歓ハイク等をやるとすればその時は気をつけねばならない。また途中大きめの枝が散乱している道があり、枝の踏み方によってはときどき枝が勢いよく立ち上がってくるので割と歩きづらかった。
ここの下りの道はひたすら南に向かっているのだが道の分岐が多くかつ入り組んでいたりエアリアに載っていない道がいくつかあったりして、二五万が活躍するところとなった。正直それまで二五万を使う場面をなかなか見てこなかったため、いまいち大事さを分かっていなかったが、たしかにエアリアだけは縮尺が大きいし道も書いてないものが多く、山歩きには不十分である。しかし二五万を使いつつも何度か道を間違えてしまい、今回は先輩と相談しながら道を修正できたものの、仮に自分がCLだった場合、予定の道から相当離れてしまっていたかもしれないと思うと、先頭の責任の重さを感じずにはいられない。
結局迷いながらも車道にたどり着いたが、出た場所が定かでなく目的のバス停のある方向がわからなかったため、とりあえずバスの通る車道沿いに歩けばそのうちバス停に辿りつくだろうということになった。
結局歩き始めて数分も経たないうちにバス停を見つけ、しかもそれがちょうど目的のバス停だったので結果オーライであった。バス停にはめずらしくサボテンが生えていたが疲れていてあまり見なかった。もし計画書通りの道を外れてしまったとしても、正しい道を歩くということよりちゃんと時間内に帰れるように臨機応変に動くことの方が山行においては求められるのだろう。今回は図らずも学ぶことの多い山行であった。
■反省
・途中靴紐が解けることが何度かあった。靴か紐の長さが合っていないのかもしれない。
・今回は大丈夫だったもののクリームパンのようなものはリュックの中で潰れると悲惨なことになるのでよろしくない。
・下りが登りより楽だからといってペースを上げすぎてはいけない。
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山歩きは、先頭だけが地図を見て水先案内し、後はゾロゾロついていく、というものではないので、大丈夫。
ペースは最後の下りが(道が危うかった割に)やや早かったですが、だいたい丁度よかったと思います。「遅いと思われていないか」と不安になりがちですが、それで遅いことは殆どありません。まづは自分が一日歩き通せるペースを作るつもりでいいと思います。
靴紐が解けるのは長さというより、結び方の問題か、靴との相性か。長めに余っているならとりあえず、蝶結びで二重に回すか、蝶結びの上からもう一度結んでみてはどうでしょう。