2017/12/27-28 蕎麦粒山・有間山・蕨山

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
蕎麦粒山・有間山・蕨山 確定計画書
作成者 木下
□日程 12月27日(水)・28日(木) 一泊二日予備日なし
□山域 奥多摩・奥武蔵
□在京本部設置要請日時 2017/12/28 1800
□捜索要請日時 2017/12/29 1000
□メンバ(計2名)
CL木下 SL遠藤

□地図
■2万5千図 「武蔵日原」「原市場」
■山と高原地図 「23/24奥多摩」「22奥武蔵」

□行程(通過目安時刻)
■一日目
 東日原バス停1310
→一杯水避難小屋1540・1605
→三ツドッケ1630・1640
→一杯水避難小屋1700
 [歩行計3時間15分]
 ※三ツドッケ往復はカット可
 ※一杯水の水場は枯れている可能性が高い

■二日目
 一杯水避難小屋0700
→仙元峠0800
→蕎麦粒山0820・0840
→日向沢ノ峰0925
→タタラノ頭1100・1110
→橋小屋ノ頭1140
→蕨山展望台1225・1245
→藤棚山1315
→金比羅神社奥ノ院1440
→さわらびの湯1530
 [歩行計7時間40分]
※蕎麦粒山から日向沢ノ峰の巻道は通行注意、尾根道を通行すべし

□エスケープ
 仙元峠辺りまで :ヨコスズ尾根を引返して日原へ
 桂谷ノ峰辺りまで:仙元峠から浦山大日堂へ
 有間峠辺りまで :日向沢ノ峰から舟井戸経由で鳩ノ巣駅へ
 藤棚山辺りまで :蕨山から名郷へ
 それ以降    :金毘羅尾根を進んでさわらびの湯へ
※川乗林道は崩落のため通行止め
 踊平から獅子口小屋跡は通行止め・獅子口小屋跡から大丹波川は通行注意
 有間峠の広河原逆川林道は浦山大日堂側凍結のため通行止め・名栗湖側工事のため施錠

□集合
 JR青梅線 青梅駅1145発奥多摩行 車内

□交通
■行き
・JR中央線・青梅線
 新宿1037→(直通)立川1103→1137青梅1145→1220奥多摩
  1080円
・西東京バス(鍾乳洞行)
 奥多摩駅(1番)1230→1254東日原
  460円IC可

■帰り
・国際興業バス
 河又名栗湖入口発 1224/1335/1418/1455/1457/1537/1626/1705/1731/1812/1848/1932/2045
  飯能駅まで44分 さわらびの湯発は各1分前 ただし17時台まで
  620円IC可
・西武池袋線
 飯能→池袋 ほぼ10分ヘッド 50分前後
  (小手指で快速急行に連絡する各停より後の急行の方が便利か)
  470円

■エスケープ時
・西東京バス
 東日原発 0633/0735/1750/1852
・国際興業バス
 名郷発 1042/1127/1322/1442
・秩父市営バス
 浦山大日堂発 0745/0900/1130/1400/1600
・タクシー各社
 奥多摩側 リーガルキャブ。 042-550-2712
      京王タクシー   0428-22-2612 (青梅・小作)
 飯能側  西武ハイヤー   042-972-8180 (飯能)
      埼玉第一交通   0429-72-7222 (飯能)
 秩父側  秩父丸通タクシー 0120-02-3633
      秩父ハイヤー   0120-118-184

□温泉
 さわらびの湯
  10時‐18時 800円
  042-979-1212

□遭難対策費
 200円/人*2人
  計400円

□日没日出
 12/27日没(東京):1635
 12/29日出(甲府):0655

□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:東京594kHz
■NHKラジオ第二:東京693kHz
■NHK FM:東京82.5MHz
□警察署電話番号
 警視庁青梅警察署  0428-22-0110 (奥多摩町:始点から日向沢ノ峰まで)
 埼玉県警秩父警察署 0494-24-0110 (秩父市 :三ツドッケから橋小屋ノ頭までの稜線の北西側)
 飯能警察署 042-972-0110 (飯能市 :日向沢ノ峰から終点まで)

蕎麦粒山 山行記録
木下 作成
□日程 12月27日(水)・28日(木)
□天候 27日晴・28日晴
□メンバ及オーダ
 CL木下 SL遠藤

□計画
■27日
 東日原バス停1310
→一杯水避難小屋1540・1605
→三ツドッケ1630・1640
→一杯水避難小屋1700
 [歩行計3時間15分]
■28日当初の計画
 一杯水避難小屋0700
→仙元峠0800
→蕎麦粒山0820・0840
→日向沢ノ峰0925
→タタラノ頭1100・1110
→橋小屋ノ頭1140
→蕨山展望台1225・1245
→藤棚山1315
→金比羅神社奥ノ院1440
→さわらびの湯1530
 [歩行計7時間40分]
■28日朝に変更後の計画
 一杯水避難小屋0730
→仙元峠
→蕎麦粒山0850
→仙元峠
→一杯水避難小屋1100
→東日原1300
 [歩行計4時間40分]

□実行程
■27日
 東日原1258・1310
→860m(採石場ニ接スル支尾根上)1345・1355
→1289mピーク先ノ小鞍部?1506・1517
→一杯水避難小屋1548
■28日
 一杯水避難小屋0737
→仙元峠0827
→蕎麦粒山0841・0921
→一杯水避難小屋1015・1055
→990m(トラバース終点)?1154・1206
→東日原1233

□計画変更について
 出発前から気温の低いことは承知していて、場合によっては小屋から引返したりエスケープルートを使ったりして早く下りてくる選択肢を考えてはいたが、特に明確な基準を設けていたわけではなく、また今回の判断にも特段の根拠があったわけではない。しかし一日目の行動はなかなか苦しかったため、二日目も重い荷を背負って午後遅くまで歩くのは大変だろうという気持ちと、夜の間の寒さや物凄い風に脅かされたこととが計画変更の主な理由である。加えて遠藤さんにとっては久々の山行だったし、また夜は木下以上に寒かった様子だった。計画がそもそも蕎麦粒山をメインに据えていたことも変更の判断に加勢した。二日目の朝に二人はこの変更に合意し、出発前にメールで、SL遠藤さんから在京責任者菅沼くんに連絡した。
 傍から見たら甘い自己批判であるかもしれないけれど、これは天候や計画の安全性を見誤ったための消極的な変更というより、最初から考慮していた選択肢を安全で楽しい下山のために活用した積極的な変更だと思っている。その点を初めから計画書に反映できていないことに多少の問題がある気はするが、そこには雷鳥のシステムや計画書フォーマットの問題も絡みそうだ。少なくともこの判断によって我々二人は満足に山行を終えることが出来たし、この二人だったからスムーズに最良の判断が出来たとも思っている。どこにも明示してはいないが本山行の主たる計画目的は遠藤さんを山へ連れ戻すこと及び遠藤さんとともに奥多摩を歩くことにあったわけで、山中で体感した条件の下でこの目的を最大限に果たすための判断をしたつもりである。

□計画書訂正
 エスケープ時のための交通に東日原発のバス時刻を記したが、これは東日原始発のものだけを見ていたらしい。平日日中は鍾乳洞までバスが行くので、その折返しがもっとある。少なくとも往路で乗ったバスの折返しはあるはずなので、注意していれば気付けた。このために今回はバス時刻がはっきりとは分からない中での下山になった。


□ルート状況
■東日原~一杯水避難小屋
 バス停には屋根、トイレ、ごみ箱あり。東日原の停留所は集落の東側なので、鍾乳洞の方へ移動すると商店や自販機、交番、郵便局がある。
 道標に従って人家の前の細い道を上がって行く。植林の急登を経てトラバースになると、道を境にして山側が雑木林、里側が杉林になる。道は細く、落葉や積雪があると外側を踏抜き易いから意識して山側を。初めのうちに高度は稼いでしまって、後半は殆ど水平だが、傾斜のきつい斜面のごく細いトラバースや細長い馬の背などが続き、岩稜ではないものの、特に冬枯れの時期は夏山縦走の訓練にもなりそうなスリルが所々にある。
■一杯水避難小屋~蕎麦粒山
 ほとんど高度を変えずに道がついている。トラバースは多少危ういところもあり、アップダウンを厭わなければ無理に尾根伝いに歩く踏み跡もあるようだ。蕎麦粒山は小さな山頂だが上品で趣がある。特に冬枯れの時期は東側の展望がよい。
■一杯水避難小屋
 五人か六人ならゆったりめに使える、詰めれば十人か、十五人か。秋の土日などには混雑するらしい。救急箱と掃除道具とスリッパくらいは置いてあるが、マットなどはない。汚いハンガがいくつか掛けてある。使用者が書き込めるノートがある。バス時刻表は少し古く、多少違っているようだった。
 トイレには外へ回らないと入れない。そこそこ広く、綺麗だが、穴が大きいし排泄した先が絶望的に深いので物を落としたら最後。紙の備えやゴミ入れはない。外のドラム缶にゴミがいくつか捨てられていたが誰か回収してくれるのだろうか。
 一杯水の水場までは少し歩く。上の方からゴムホースが伸びてきているが、水は出ていなかった。小屋のノートによると、ホースに息を吹くと積った落葉が外れて水が出るようになり、十分か十五分後にはきれいな水が出るとのこと。冬場はどうか知らないが、ホースの元まで登りつめれば水はあるということか。
■もえぎの湯
 奥多摩駅からだいぶ歩く、780円。湯は強めのアルカリ性、ややカルキ臭く、風呂場は湯気が濛々。高校生か大学生か、遊びに来ている少年たちで混んでいた。食堂は空いていた、なめこそば750円、ビールと焼鳥セット1000円など。


□紀行

 我らが遠藤さんが久々に山に帰ってきた。彼を知る者にとってこれは大きな喜びだろう。奥多摩党の遠藤さんのために、かねて佳い山と聞いていた蕎麦粒山へ、敢えて冬の避難小屋に泊まって歩くことにした。さらに後半は奥武蔵の方へ折れて、なかなか行きづらい有間山と愛すべき蕨山とを結んでいつもの名栗湖へ下りる、わが奥武蔵シリーズの番外編。
 しかし今月は平年より寒い。予定の二日間は特に寒い予報で、不安な決行でもあった。

    〇

 日原でバスを下りたのは昼一時になろうとする頃、冬の低い日にぬるんだ空気が入山の緊張を妨げる。防寒着と寝具と食料とに気合が入って、テントもないのに二十キロにもなる荷を背負ってゆっくりと歩きだす。
 家の脇を過ぎる細い道を上がっていくと、井戸の周りにシジュウカラが群れて送り出してくれる。振返ると日原の集落を眼下に、奥多摩の峠路らしい景色を眺める。
 最後の人家を過ぎると爪先上がりの急登、廃屋を横目に心細い植林の下、辛抱して九十九折を登っていく。やっと支尾根に上がって荷を下ろすが、立止まると震えるほど寒く、夜が思いやられる。
 暫くは採石場の囲いを右に見ての登り、その後は左手山側に冬枯れの雑木林、右手谷側に暗い杉の植林を見る細いトラバース路が度々急な支尾根を回り込みながら、ダラダラとしかし手ぬるくない登りを続ける。落葉の積ったトラバースは、目に見える道幅より実際は七割程しかなく、谷側は土と落葉の柔らかい堆積で踏むと崩れてしまうので、せり上がった山側を無理に踏んで歩いていく。
 登りが緩くなってもトラバースはより厳しく、傾斜のきつい壁に細くつけられて、深い落葉の中に石や木の根が隠れている。低くなりゆく太陽に、じっくり景色を見る余裕はないが、葉を落とした樹間から、遠くに都会の街並みが見える。
 トラバース路では山壁に遮られて淀んだ空気が幾分か暖かかったらしい、道が尾根に上がった途端、新鮮な冷たい空気に曝されて、歩いていても底冷えがする。谷から時折、息の長い風が流れて来てなお寒い。
 三時過ぎ、開けたところで倒木に腰を下ろす。風景はだいぶ橙味を帯びてきた。正面の林がざわざわと鳴るのを聞いて身を屈めると、風は左手の一段低くなった小鞍部を回り込んで流れてくるらしい、時間差をもって身に凍みる。
 小屋はもう目の前だと思うものの、歩けども歩けども気配がない。もしやどこかで通り過ぎてしまったのではないかとも不安になりつつ我武者羅に歩いて、半時間の後に到着した。小屋の外、戸の脇につけられた温度計は氷点下六度、内に入って窓際のものは三度を示していた。

    〇

 小屋までの道すがら、落ち葉や霜柱の足跡を見るに、今日降って行った人があるようだったが、小屋の内には誰もいなかった。まして山中では誰にも会わない。
 荷を下ろし、三ツドッケには行かないことにして、防寒の支度をする。私は下着からすべて乾いたものに着替えて、ズボンもタイツの上に起毛の寝間着を穿いてその上に山ズボン、上はアンダ・シャツの上からダウンベストにフリースにダウンジャケット、寝具も銀マットの上にエアマットを重ね、シュラフはいつも夏用の薄い化繊なので親の同じものを拝借して二つ重ねた中にシュラフシーツも入れて、持てるだけの物はすべて持ってきた。この小屋もかつては土間にストーヴがあったそうな。風に落ちた枝を拾ってきて焚き火が出来たらいいのに。
 早く御飯にしても夜が長くて耐えられないので、暫くはぼうっとして、だいぶ暗くなった五時半ごろ、支度にかかる。今日は鍋、白菜・人参・エリンギ・すいとんを鍋に詰め、上に豚肉、少しの水で煮る、味はコンソメ二つとふじっこの塩昆布のみ。切って煮れば出来上がりなので余計な世話もいらず、お手軽な割に山としては上々の出来。ここまで食べきってもなお寒かったが、残り汁にうどんを入れて満腹になる頃には指先も温まってきた。
 片付けと翌朝の支度を済ましてシュラフに潜りこむ。長々し夜は、シュラフから出ずに寝たフリでもしておくほかない。

    〇

 九時。だいぶ寝た気がしたがまだ三時間にもならない、随分長い夜になりそうだ。身体がぽかぽかと温まってきて指先が暑い。汗をかいては後で冷えるから、帽子をとってシュラフの口も少し開ける。凍死寸前の人が雪中で裸になるというあれではないかとハッと思うが、それが意識できているのだからまだ大丈夫か。

    〇

 十時半。いつの間にか風はぴたりと止んでいる、寝ながら見上げる窓の外、月灯りが鋭く闇を切って小屋の内へ斜めに射込んでいる。月はいつも、静かに・冷たく・厳しく・貴く・美しく、雲居はるかに輝いている。

  So was it when my life began;
  So is it now I am a man;
  So be it when I shall grow old,
  Or let me die!

 窓の隅に上弦の月が沈みゆく。

    〇

 四時半。だいぶ寝たようだが、轟々と激しい風の音に目を覚ます。気温も下がったように感ぜられる。もし昼になってもこの風なら、引返して下山するのも困難だ、狭いトラバース路ならなおのこと。もっと穏やかな天候になっても、昨日の午後の寒さや今の睡眠の不自由を思うと、予定通り八時間の行程は厳しいかもしれない。暖かくなったら蕎麦粒山までは行って、引返すか鳩ノ巣へ下りるか。
 便所に出たら身体は冷え切ってしまうだろう、もう一時間ばかり辛抱だ。

    〇

 六時前。起床予定を過ぎているが、風の音と寒さに怖気づいて、シュラフから出る勇気がない。
 六時を回って遠藤さんもモゾモゾしだしたので、互いに寒さと寝坊とを託ちながら起き上がる。まづ熱いお茶でも飲まないことには始まらない。水もお茶も抱いて寝なかったために容器の中で半ば氷っているのをシェラカップに出して沸かす。これで少しは温まりながら今後を相談する。
 ただでさえ行程が長くて日没間近の下山が予想される計画、起床が遅れ、寒いなか準備もはかどらないだろうし、冷えと寝不足とで体の動きも悪かろう。ようよう外は白みゆき、風も弱まっては来たものの、どうにか行程を短縮したいという思いは口にせずとも共有していた。
 頭を回すにも身体を動かすにもまづは朝御飯、雑煮を作る。晩の鍋と同じ白菜・人参・エリンギはすでに切って、ダシの煮干しとともに水に浸けてある。やはりこれも凍っているが、少し水を足して切り餅を入れ、火にかける。氷が全て融け、沸いてしばらくすれば出来上り。晩の昆布鍋の残り汁もそのまま混ざっているから色々な味がするがそれも旨味、凍える冬の朝には上等だろう。
 さて改めて地図を開けば、蕎麦粒山を越えて川苔山の脇から鳩ノ巣へ降るにはまだ五時間半を要す。仙元峠から秩父へ降るのは峠越えの計画としては面白いけれど、下りた先が不便だし道がどんなものかわからない。それよりも不要な荷を小屋に残して身軽に蕎麦粒山までを往復し、よい道ではないにしても昨日来た道を戻るならば、全部で四時間半、しかも奥多摩駅に戻れば温泉がある、昨日乗ってきたバスの折返しを狙えばちょうどよい時刻ではないか。

    〇

 七時半過ぎ、小屋の内の温度計は氷点下四度、外はもうすっかり明るく、風もだいぶ静まった、軽くしたザックを背負って小屋を出る。植林のゆったりとした径から雑木林の危ういトラバースへ、奥多摩らしい愉しい道を行く、既に森は目覚め、道の脇の杉の木にウソの群れ。
 尾根に出るとやはり風が寒い、それでも小屋へと急ぐ夕方とは違って、山頂を目指す朝の風は、寒い寒いと笑顔をもたらす。

  *風の歌は山の歌だ。
  *山と山との会話は風の音でききとるより方法はない。

左手には武甲山をはじめ奥武蔵から秩父の山と街、右手には奥多摩の山々を越えて真白き秀峰富士、前方に上った太陽の下に霞むは東京か、雲と街との境に輝く黄金色はきっと海。
 斑に残った薄雪に、北風の手荒い歓迎を受けながら、少しの急登で仙元峠へ、ここは山の鞍部でなく頂を峠が越える。仙元はもちろん浅間のことで、大正六年と刻まれた祠には木花咲耶姫命が祀られるが、山毛欅の林が茂っていて今はここから富士を拝むのは難しい。案内板によれば咲耶姫は「酒の守護神」であり、水の源であるところから仙元と呼ばれたらしい。
 急な降りを経てまたひと登り、山頂直下の林はだいたい山毛欅の類だが、稜線の北側には樺の類が混じっている。小さな山頂に立つ明るい灰色の岩が、憧れの蕎麦粒山、その頂を確かに示す。
 左右を林に限られた稜線の登りから、前方がすっかり開けた山頂に出た気分の清々しさ、足下から続く縦走路を辿れば川苔山へ、その向うにはスカイツリーから東京湾まで、冬の陽に輝く展望。周りを見れば形よく並ぶ岩の群れに、澄まし顔で静かに佇む三等三角点の標石、道標の根元に蕎麦粒山と刻まれたほか山頂を示すもののない、戸惑う程の品のよさ。

  Über allen Gipfeln
  Ist Ruh…

岩蔭に腰を下ろす。水筒はまだ氷水だから、シェラカップで沸かして一服。それにしても目前に見えるこの縦走路はどれほどか愉しかろう。引返すのは如何にも惜しい、川苔山へ行くもよし、棒ノ折山へもよし、有間山もよし、林道が迫ってきているといってもここからまだ暫くは静かな奥多摩が歩けるに違いない。しかしそれも荷が軽ければこそ。東から眺めるこの山の秀麗な姿とともに、この先の縦走はお預け。これほど佳い山だもの、また来ようじゃないか。
 帰りは峠を巻いて戻る。風はさらに穏やかになって、寒さも和らいだ。冬枯れの雑木林の急斜面、枯葉散り敷くトラバース、陽だまりの尾根、人が大勢入る以前の奥多摩の、静かな美しさがここには残っているのではないか。

    〇

 小屋へ戻ると十時過ぎ、扉の温度計は六度にまで上がっていた、室内はまだ三度だから外の方が暖かい。十一時前に小屋を出て、昨日歩んだ不安の道を、今度は心満たされて、狭いトラバースも軽快に、この分なら一時半前にあるはずのバスには十分間に合うだろう、そうして奥多摩の「もえぎの湯」で身体を温めて帰ろう。
 細かく角度を変える左右の風景、冬枯れの山毛欅や楢の樹々を透かして右に長沢背稜、雲取山、石尾根、左は都県境の尾根を経て大きな川苔山、本仁田山、間からは遠く東京のビル群、前方に見切れる立派な山々は大岳山や御前山か。よく晴れた冬の奥多摩、多少寒くともこんなに穏やかな天気なら、朝からテキパキと予定通りに歩けばよかった。しかしこれが今日の我々の御縁だ。この山にはきっとまた来るだろう。

  Knowing that Nature never did betray
  The heart that loved her…


□反省
 山を計画する度、山を歩く度に思うのだが、荷は出来るだけ小さくしなければならない、これは山への敬意からも要請されることだと思う。その一方で小さな山でも泊まって歩く魅力はある、そうすると荷は増えてしまう。特に冬場は防寒着だけでも大きな荷物になって、静かな山を歩くには滑稽だ。
 今回、色気を出した食料や臆病に嵩んだ防寒具で二十キロにもなってしまうくらいなら、小屋泊まりの計画は暖かい時期に回して、いっそ日帰りハイクにしてしまう方がよかったのかもしれない。無粋な山行を力任せにやるのは高校生くらいまでに……。


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  物思ふと過ぐる月日もしらぬまに今年は今日にはてぬとかきく

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