2018/3/24-25 雲取山・飛龍山
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
雲取山・飛龍山山行計画書 確定版(3月23日)
作成者 木下亮平
□日程 3月24・25日(土・日) 一泊二日
□山域 奥秩父
□在京本部設置要請日時 2018/3/25 1900
□捜索要請日時 2018/3/26 0900
□メンバ(計2名)
CL木下 SL遠藤
□地図
■2万5千図 「丹波」「雲取山」
■山と高原地図 「23/24奥多摩」または「24/25大菩薩嶺」または「25/26雲取山・両神山」
□行程(通過目安時刻)
■1日目
鴨沢バス停0930
→堂所1145
→七ツ石山1300・1320
→奥多摩小屋1410
→雲取山1505・1530
→雲取山荘1550
[歩行計5時間35分]
■2日目
雲取山荘0530
→雲取山0600・0630
→北天のタル0920
→飛龍山0950・1010
→前飛龍1100
→サオラ峠1230
→丹波天平1305
→親川バス停1450
[歩行計8時間30分]
※バス時刻との兼合いで、エスケープルートによりサオラ峠から丹波バス停へ、または丹波天平から役場前バス停へ下りてもよい。丹波又は役場前に下りた方が集落や風呂屋があるので、基本的には短縮する予定。
通過目安は
サオラ峠1230→丹波バス停1400 [歩行計7時間40分]
丹波天平1305→役場前バス停1415 [歩行計7時間55分]
□エスケープ
・七ツ石山から鴨沢へ戻る
・北天のタルから三条の湯へ(早急に小屋または林道へ出たい場合)
・サオラ峠から丹波バス停へ
・丹波天平から役場前バス停へ
・親川バス停へ進む
□集合
3月24日奥多摩駅0825
□交通
■行き
・JR線中央線・青梅線
新宿0646→奥多摩0821 1080円
・西東京バス丹波行
奥多摩駅2番0835→鴨沢0909 630円IC可
■帰り
・西東京バス
丹波 1202/1328/----/1545/1820/----/---- 1010円
→親川 1213/1339/----/1556/1831/----/---- 1010円
→鴨沢西 1218/1344/1442/1601/1836/----/---- 690円
→留浦 1221/1347/1445/1604/1839/1919/1959 630円
→奥多摩駅1256/1422/1521/1639/1914/1954/2034
※バス停間徒歩移動所要時間
丹波→親川 90分
親川→鴨沢西 35分
鴨沢西→留浦 25分
・JR青梅線・中央線
奥多摩→新宿 毎時2本 100~110分程度 1080円
ホリデー快速おくたま発車時刻1527/1618/1654 約90分
・タクシー
親川→奥多摩駅 約40分 7000~8000円程度
奥多摩側 リーガルキャブ。 042-550-2712
京王タクシー 0428-22-2612(青梅・小作)
■エスケープ時
・鴨沢発バス時刻0951/1016/1220/1346/1444/1603/1838
□共同装備
■テント(ゴアライト)
■鍋(竹・小竹)
■ストーヴ(私物)
■ガス缶*2
■調理セット(ガジャ・マダ)
■救急箱(エーデルワイス)
□小屋
〇雲取山荘 0494-23-3338
幕営500円 素泊り5300円
・七ツ石小屋 090-8815-1597
幕営500円 素泊り4000円
・奥多摩小屋 0494-23-3338
幕営500円 素泊り4000円
・三条の湯 0428-88-0616
幕営600円 素泊り5700円
□温泉
・丹波山温泉のめこい湯
600円 1000-1900 食堂有
・観光荘 奥多摩駅徒歩3分
650円 1100-1430 0428-83-2122
・玉翠荘 奥多摩駅徒歩3分
750円 0428-83-2363
・荒澤荘 奥多摩駅徒歩5分
750円 0428-83-2365
・もえぎの湯 奥多摩駅徒歩10分
780円 0930-1900 食堂有
□遭難対策費
200円/人*2人
計400円
□日没日出
3/24日没(東京):1756
3/25日出(甲府):0543
□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:東京594kHz/甲府927kHz
■NHKラジオ第二:東京693kHz/甲府1602kHz
■NHK FM:東京82.5MHz/甲府85.6MHz
□警察署電話番号
山梨県警上野原警察署 0554-63-0110
警視庁青梅警察署 0428-22-0110(七ツ石山から雲取山荘の東側)
埼玉県警秩父警察署 0494-24-0110(雲取山荘から飛龍山の北西側)
雲取山行記録
5月13日 木下 作成
□日程 3月24・25日(土・日)
□天候 24日:晴のち曇 25日:快晴
□メンバ
木下 遠藤
□計画
□行程(通過目安時刻)
■1日目
鴨沢バス停0930
→堂所1145
→七ツ石山1300・1320
→奥多摩小屋1410
→雲取山1505・1530
→雲取山荘1550
[歩行計5時間35分]
■2日目
雲取山荘0530
→雲取山0600・0630
→北天のタル0920
→飛龍山0950・1010
→前飛龍1100
→サオラ峠1230
→丹波天平1305
→親川バス停1450
[歩行計8時間30分]
※バス時刻との兼合いで、エスケープルートによりサオラ峠から丹波バス停へ、または丹波天平から役場前バス停へ下りてもよい。丹波又は役場前に下りた方が集落や風呂屋があるので、基本的には短縮する予定。
通過目安は
サオラ峠1230→丹波バス停1400 [歩行計7時間40分]
丹波天平1305→役場前バス停1415 [歩行計7時間55分]
□実行程
※2日目は飛龍山へ向わずに雲取山荘から鴨沢へ引返した。
■1日目
鴨沢バス停0900・0925
→小袖乗越0958(便所使用)
→900m付近廃屋(地形図「小袖」ノ左上)1028・1038
→堂所1140・1152
→七ツ石小屋1244・1255(アイゼン装着)
→七ツ石山1326・1338
→奥多摩小屋1429・1444(ヨモギノ頭巻ク)
→雲取山避難小屋1539・1548
→雲取山荘1613
■2日目
雲取山荘0614
→雲取山頂0649・0729
→奥多摩小屋0800(衣服調整、ヨモギノ頭経由)
→七ツ石水場0850・0907(アイゼン解除、七ツ石山巻ク)
→茶煮場(チャニッパ、1100m程ノ急ナ支尾根ノ張出タル所)0957・1015
→小袖乗越1100(便所使用)
→留浦バス停1132・1150
□エスケープ判断について
エスケープの直接の原因となったのは水の不足である。事前に小屋のwebページを見たところ、七ツ石小屋は「水場は年中枯れない」としており、雲取山荘も最新のトピックが「水不足は解消しました」だったので、水場はもう凍っていないのだろうと踏んでいたのだが、雲取山頂周辺や山荘を経て三峯方面へはまだ雪に閉ざされていた。雲取山荘は七ツ石小屋と標高が違うし、雲取山の陰になる位置にあるから、山行の週の半ば(先の山荘webページ更新の後)に降った雪が積っているだけでなく、それ以前の雪もかなり残っている様子だった。しかしこれは前年同時期の記録をヤマレコなどでチェックしておけば事前にわかっていたことかもしれない。雪の多い上越国境三国峠の計画をやめて近場の雲取山に変更したことや、山行の前週、雪が降る前の記録では残雪がほとんどなく、新緑期と変わらない写真ばかりだったことで気が緩んでいた。しかし高校のときやはり3月に、雪の殆どない両神山でさえ水枯れ撤退を経験していたのだから、今回は想定がよほど甘かった。
雲取山荘で水場を訊ねると、今は凍っているから一人1Lずつくらいなら分けてやれる、ということで、ひとまづ2Lはもらったのだが、この水は随分と茶色く、自分たちで雪を溶かした白っぽい水の方がまだ綺麗だった。いづれにしてもこれらは直接飲用できそうになかったので炊飯や調理に使ったのだが、2日目出発前の時点で上水の残りは二人で2L、茶色や白色の水も1.5L程しかなく、水場のない道を8時間歩くのは無理だった。1日目が予想以上に難儀だったことや2日目は気温上昇が見込まれたこともエスケープを支持した。
ただし結果的には、水不足は安全で楽しい下山のためのいい契機だったと捉えることもできる。稜線上には予想以上に雪が積っていて、鴨沢からのルートはよく歩かれていたものの、無雪期はメジャールートである三峯への道でさえ気軽に入るのは危なっかしい状態だった、ましてや雲取から飛龍への道は、入口には足跡こそ一人分ついていたが、その後どんな難所があったか知れない。またコースタイムが長いから2日目は雲取山頂を巻いた可能性が高く、我々が雲取山頂から七ツ石の手前にかけて得た好展望はなかったかもしれない。
計画や事前準備はお粗末だったが、快晴の空の下、引締った朝の雪を踏んで春の山を満喫できたことは、エスケープの判断は適切で、山の神は確かに微笑んでくれたということだと思う。飛龍へはまた今度の機会に。
□ルート状況
■小屋など
「標高年」だった昨年に整備されたのか、新しい案内板が多い。鴨沢からブナ坂あたりまで「平将門迷走ルート」として伝承を記した案内が10個建っている。下から5個目の「茶煮場」は広場になっていて休憩適地、近くに水場もあるので闇テン場になりそうだ。人がいない季節なら山へ登らずにここに数日暮らしてもいいような雰囲気。「堂所」は尾根を乗越す小鞍部に古い小さな道標があるが、その少し上が開けた休憩適地になっていて、ここに将門の案内板がある。
七ツ石小屋のテン場は展望がよい。小屋も素泊りのみのこぢんまりしたものだが、落着いた雰囲気でよさそうだ。少し離れた水場にはよい水が出ている。冬以外は小屋までパイプで引いているらしい。七ツ石山まではややきつい登りだが、立派な山なので一度登った方がよい。雲取側の道が急で長いようなので、雲取からの下山時には巻くのもよいかもしれない。
奥多摩小屋もよい立地。テン場は稜線上の細い土地だが、展望や日当たりはよい。雪の斜面を下ったところに水場があるらしいが、こちらは枯れていなかったのか不明。奥多摩山荘での幕営が我々ともう一組だけだったのに対してこちらにはいくつもテントがあったから、水はあったのかもしれない。この小屋は平成30年度末(一年後)に閉鎖とのこと。ヨモギノ頭はさほど大きくないが雲取へ登る際は巻くのが無難か?小雲取へはかなりの急登。
山頂の避難小屋には水場が無いが、ここに泊まる人も何組かあった。中にテントを建てている人もいたようだ。小屋の傍には山梨県の小さな山頂標があり、少し北へ離れたところに東京都と埼玉県の大きな山頂標がある。
山荘へは樹林に潜って急な降り。小屋は大きく綺麗だが、テン場は狭い稜線上で、風が強いとテントごと落とされそう。幕営者用の外トイレは冬は冬季トイレのみ使えるが、利用者が少ないから入口前の雪が深くて大変だった。
■交通
奥多摩駅からのバスは予定していた丹波行の前に、8時28分発で臨時の鴨沢西行が出た。鴨沢からの帰りのバスは10時前後に2便あるが11時台にはないので、小菅から来るバスが合流する留浦(とずら)まで歩いたが、次の鴨沢のバスを待っても30分ほどしか違わない。留浦にもバス停近くに食堂があった。
■奥多摩駅の温泉と食事
もえぎの湯は遠く、高く、混雑しているから、今回はいつも看板だけ見る「玉翆荘」に頼んだ。宿の人は非常に感じがよく、こんどは奥多摩に泊まる機会を作って来たいと思わせた。風呂は小さいが空いているので、もえぎの湯の休館日でければ少人数パーティには十分。湯もカルキ臭くなく、もえぎより良いと感じた。ロビーには麦茶が用意されている。旅館はいくつかあるから他も試してみたいが、ここはとてもお勧め。
風呂上りの食事は、これもいつも暖簾だけ見る、バスロータリィ隣の蕎麦屋に入った。「氷川サービスステーション」という無機質な名らしいが、だいぶ寂れてきた今となっては奥多摩らしい風情がある。蕎麦は太めのしっかりとした手打ち、山菜は近くで採っているらしく雪が降ると山菜そばは売り止め。奥多摩らしいセットもののほかラーメンなどもある。ビールは麒麟、特に小瓶はクラシックラガーなのも気に入った。常連が多いようで、ちょうど昼過ぎだったからそこそこ混雑していた。ザックは喫煙所になっているベランダに置ける。
□雑感
週の半ばに雪が降って、しかし土曜日はかなり暖かくなった。鴨沢でバスを降りてから、タイツを脱いでペラペラのズボン一枚で歩きだした。今回はテント泊だが荷物は60Lのザックに何とか収まった。ゴアライトは結構軽く、鍋と食材を持った遠藤さんの方がずっと重かったらしい。見た目にも一泊と思えないような丈のザックを背負っておられる。
こんな季節でもさすがに鴨沢から雲取へ歩く人は結構いるらしいが、それでもハイシーズンよりはずっと静かに違いない道をゆったりと登って行く。12月の蕎麦粒山と同じような、谷側に植林、山側に雑木林のトラバース、されどこちらの方が幾分、登りはゆるく、道幅は広い。えっちらおっちらと高度を上げていくと道に雪がついてきて、七ツ石小屋の前はだいぶ積っていたので、ここでアイゼンとスパッツを装着。テン場は狭いが展望がよく、まだ昼過ぎだがすでに二組、テントを支度していた。小屋もこぢんまりとして雰囲気がよい。
稜線に上がるとやはり大分雪があった。当初は「残雪の山」をやるには奥多摩では不足、上越国境などでは過剰、という風に考えていたのだが、数日前に降った雪のおかげで雪の奥多摩をたっぷりと味わえそうだ。
七ツ石山は立派なピークで眺めがよい。大きな山頂標も建っている。ここからは綺麗な雪に覆われた道をぐっと降って行く。一応トレースは付いているけれど、まだ踏まれていない雪の上を真直ぐに、沈みながらも滑るように下りていくと気持ちがよい。
しかし鞍部からまた登り返していくのはしんどい。こちらは南寄りの斜面で、雪が解けているところを大勢踏んでいくものだから、ドロドロの川になっている。汚い雪解けは見た目にも暑く、苦しい。奥多摩小屋にはすでにテントがいくつかあった。ここで泊まってもよい気分だが、なんだかんだ言って遠藤さんはそういう緩みにはなかなか応じない人だ。ヨモギノ頭は巻いたが、小雲取への雪の急登はなかなかのものだった。
小雲取までくれば雲取の避難小屋はすぐそこに見える。まずは避難小屋の軒先に腰を下ろして、小休止。二重戸の付いたなかなか立派な避難小屋だからここで泊まってもよいのだが、「水とバッチがある」山荘までもうひと頑張りと立上がる。だいぶ雲が多くなって空は暗くなってきた。後をついて登って来た大学生らしき男3人組に写真を撮ってもらって、また我々が先に、山荘へと樹林の中を降る。
もうあと少しと気が急いて、雪の深い急な降りを転げるように走るようにして小屋へ出たのは16時過ぎ。雪を払って小屋の内へ、幕営の会計を済ませ、バッチを買って水場を訊ねると、「まだ水場は一切凍結している、一人1Lくらいなら分けてやるがあとはどうにかせよ」との回答、これは想定外だった。仕方ないから空きボトルを二本持ってもう一度小屋へ、二人分の水を頼むと、詰められた水は素敵に茶色い。能天気な幕営者へのお見舞か、小屋の調理も飲み水もこれだとしたらむしろ小屋泊のお客が気の毒だ。
テン場は三峯へ行く尾根上に狭く作られている。こちらは鴨沢側に比べて歩く人もずっと少ない様子。幕営は我々と、後から来て朝早く出た若い夫婦の二組だけだった。雪を掻いて整地し、テントを張る。ペグはフライだけで済ませてしまった。寒いからまずは、遠藤さんお得意のマッシュポテトをカラシマヨネーズで作って腹を温める。それから近くの深い雪を掘って水を作る。雪は綺麗で、テン場の外や外トイレの前など1m程積ったところでは長波光が吸収されて青く見える。雪を沸かした水の方が小屋の泥水より見た目には飲みやすい。夕飯はこれも遠藤さんお得意のマーボ春雨様のもの。
シュラフはいつものペラペラで、特段の防寒着も着けていないが、下着は乾いたものに替えていたし、狭いテントに二人だし、気温もさまで低くはないので、蕎麦粒山の一杯水避難小屋よりは寝やすかった。しかし0時近くなって強い風が吹いてきた。尾根上の狭いテン場でペグもまともに挿さなかったので、風が更に強まればテントごと谷に落とされてしまうのではないかという不安が頭をよぎる。蕎麦粒の時は夜中から吹き始めた風が明け方に最も強くなった。この風が強まってテントが潰されるようなら、どう避難したらよいだろう、テントをどうすればよいだろう。そんなことを考えていたら、「不安なら飛龍はやめて鴨沢へ引返せ」という声が聞こえた。もちろんそれには抗った、「夜中の風さえ乗り切れば明日は予定通り歩けるはずだ、もし夜中の風でやられたら鴨沢へ帰ることすらできないだろう」と。
風はその後おさまって、朝になってみれば、どうやら水が足りないらしい。特に遠藤さんはとても飛龍へは行かれない、鴨沢へ戻っても七ツ石で給水しないといけないくらいのようだった。しかも今日は天気がよくなるはず、暑くて水を消費しそうだ。それでは仕方がない、飛龍はやめて、代わりに昨日は眺望がよくなかった雲取に再度登り、それから鴨沢に戻ろう。まずは茶色と白色の水で朝御飯、きのこたっぷりのほうとうはとても美味しく、麺がよいのでゆで汁を煮込んだまま飲めるのも便利だ。
昨日の大学生3人組は、雪でびしょびしょに濡れたカットの浅い靴を履いて、人の少ない三峯方へ歩いて行ったが、大丈夫だったろうか。我々は反対に、雲取へ登り返していく。空は明るく、樹林の向うには、朝の薄い靄の中に両神山や浅間山が見える。これは山頂からの展望に期待できる。息を切らして上がった山頂は雪が輝き、両神山など北側は樹林に遮られるものの、三方は見事な展望が開けていた。冬ほど引締った景色ではないが、富士山も真白な南アルプスもよく見える。鴨沢へ引返すことにして、雲取に再度登頂することにして、やはりよかった。そして飛龍は立派な姿だ。しかしここから歩いていくのはなかなか大変そうでもある。これは今度にお預け。
山頂からは朝の締まった雪を踏んで、ざくりざくりとあっという間に下りていく。綺麗な雪を目一杯味わいながら、かかとを沈めて軽快に。南アと飛龍を右に見て、ヨモギノ頭もピークを踏んで、気候がよいので奥多摩小屋で上着を脱いで、獣と人の足跡が交わる雪道を思いのまま、トラバースしたり稜線についたり、雪に踏込む二人の足音は快晴の空に吸われていく。
七ツ石山は大変そうだから巻道をとったが、これは意外と長かった。七ツ石の水は勢いよく出ていて、山荘の水とは比べ物にならぬほど綺麗で美味い。下界の上水道もそのまま飲むならこちらの方が美味かろう。ここでアイゼンを外し、山の水で洗って収納。高度を下げると雪はすっかりなくなり、日が当たっておだやかな山道。人もだんだん増えてきて、抜きつ抜かれつしながら降る。小袖の集落を見込むあたりから小屋の跡や大きな廃屋を見て、実にのどやかな雰囲気だ。
林道をダラダラと歩いて留浦へ、バスで奥多摩駅へ。春の昼間の奥多摩の町もやっぱりのどかで、がらんとした玉翠荘は風呂に入るだけの我々を快く迎えてくれた。下山の祝宴は、蕎麦粒山の帰りにチェックしていた駅前の「寿々喜家」とも迷ったが、いつも暖簾だけ見るバスターミナル前の「氷川サービスステーション」へ。蕎麦のセットにしめじの唐揚げとキリンビール。意外と繁盛店のようだった。風呂上りの身体にビールが回る。
奥多摩からの帰りは結局、よい気分で電車に乗るのだ。「鴨沢へ引返せ」は正しかったのだった。
□反省
色々と予定が詰まっている中で急拵えな計画だった。遠藤さんと一緒だからと気が緩んでいた。しかし下山後の気分は、飛龍に行きたかった遠藤さんには悪いが、十分満足だった。残雪の甲武信から始まった雷鳥の四年間を、やはり残雪の奥秩父、しかもやっと初登頂の雲取で締め括ることが出来たのは、幸せなことである。