2018/10/21 飯士山

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
飯士山 山行計画書三版(10月19日)
作成者 木下

□日程 10月21日(日) 日帰り
□山域 南越後・湯沢
□在京本部設置要請日時 2018/10/21 1800
□捜索要請日時 2018/10/22 0900

□メンバ(計4名)
 CL木下 SL木口 飯田 吉田

□地図・参考書
■2万5千図 「越後湯沢」
■『分県登山ガイド 新潟県の山』(山と渓谷社)など
※山と高原地図 「越後三山」及び「谷川岳」に隣接するが掲載なし

□行程
 越後湯沢駅0850
→神弁橋登山口0920
→標尾ノ頭(鋸尾根稜線830m)1050
→飯士山南峰(1030m分岐)1220
→飯士山1250・1300
→飯士山南峰1320
→岩原スキー場ゲレンデ
→岩原登山口(車道出合)1400
→越後湯沢駅1500
 [歩行計6時間00分]
※岩原登山口から真直ぐ南下して岩原スキー場前駅へは40分ほど
□エスケープ
 登り稜線上900mあたりを境に、神弁橋に引返す、または南峰から岩原スキー場方面へ進む

□集合
 10/21 六日町越前屋旅館

□交通
■行き
・上越線
 六日町0731/0812/0845→越後湯沢0752/0830/0907
■帰り
・上越線
 越後湯沢1508/1751
→岩原スキ1512/1755
→東京(着)1855/2200
・上越新幹線利用
 六日町 1525/1533/1628/1709/1726/1759/1903/1950/2044/2052/2156
→湯沢(発)1548/1601/1713/1733/1812/1828/1940/2025/2109/2140/2224
     とき/Mxた/Mxと/Mxと/とき/とき/とき/とき/Mxと/Mxた/Mxと
→東京(着)1700/1728/1840/1900/1940/1952/2100/2151/2228/2308/2340
   Mx:Max(2階建て) と:とき た:たにがわ(越後湯沢始発)
   2109発Maxときは高崎で始発Maxたにがわを増結
   他に越後湯沢から上りは1621とき、1901Maxとき、1913始発たにがわが発車
  乗車券3350円 新幹線特急券自由席2800円(大宮・上野まで2590円) 指定520円増し

□共同装備
■救急箱(苺)
■熊鈴(金)・スプレィ
■ツェルト(アルファ)

□宿泊
 越前屋旅館を予定(二部屋予約済み)
 朝食付6600円? 六日町駅徒歩5分

□食堂
 あさひ食堂
 六日町駅徒歩3分 夜1730から など

□日帰り温泉
■六日町周辺
・六日町温泉湯らりあ
  400円 1000~2200 石鹸類なし
  025-770-0215 駅徒歩5分
・島新田温泉金城の湯
  300円 1000~2100
  025-782-1739
■湯沢
・江神共同浴場
  400円 1300~2200 水曜定休
  025-784-2727 東口徒歩3分
・ぽんしゅ館 酒風呂
  800円(HP割700円) 1030~1730
  025-784-3758 改札50m
■水上
・ふれあい交流館
  570円 1000~2100 隔週火曜定休
  0278-72-8885 駅徒歩12分
■上牧
・風和の湯
  550円 1200~2000 水曜定休
  0278-25-4126 駅徒歩5分

□遭難対策費
 100円/人*4人
 計400円

□日没日出
 10/21日没(前橋):1701
 10/22日出(長野):0600

□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:六日町1323kHz/新潟837kHz/東京594kHz
■NHKラジオ第二:新潟1593kHz/東京693kHz
■NHK FM:越後湯沢85.3MHz/新潟82.3MHz/沼田83.4MHz/東京82.5MHz

□役場
 南魚沼市商工観光課 025-773-6665

□警察署電話番号
 新潟県警 南魚沼警察署 025-770-0110

飯士山 山行記録
12月31日 木下 作成

□日程 10月21日(日)
□天候 晴
□メンバ
 CL木下亮平36
 SL木口瞭39
  飯田佑美子37
  吉田拓矢38

□計画
 越後湯沢駅0850
→神弁橋登山口0920
→標尾ノ頭(鋸尾根稜線830m)1050
→飯士山南峰(1030m分岐)1220
→飯士山1250・1300
→飯士山南峰1320
→岩原スキー場ゲレンデ
→岩原登山口(車道出合)1400
→越後湯沢駅1500
 [歩行計6時間00分]

□実行程
オーダ:木口-吉田-飯田-木下(スキー場まで)
 越後湯沢駅0808
→神弁橋登山口0823・0833
→「東山第一休憩所」(尾根ニ取付ク)0850・0855
→標尾ノ頭0928・0938
→900-950m急登ノ上1045・1055
→飯士山南峰1120・1137
→飯士山1153・1208
→岩原スキー場舗装道出合1245
→車道1310
(→450m下カラ車ニ拾ル)
→越後湯沢駅1343

□二日間の計画と変更について
 当初は20日に四人で飯士山を歩いて六日町に泊まり、飯田さんは信濃川を見物したいということなので翌21日は他の三人で金城山へ向う予定でいた。しかし土曜は天候が悪いらしく、翌日沢沿いを歩く金城山のルートに影響が出るほどではなかろうと思ったが、折角なら四人で歩ける飯士山を日曜に延期して、一年越しで憧れていた金城山はまたの機会に送ることにした。代わりに、新幹線を予約してあった土曜日は四人で十日町に信濃川見物をし、その後天候が持つなら、昨年も歩いた坂戸山へ行こうということにしていた。しかし降りた新幹線に接続する北越急行の超快速でそのまま十日町へ向い、坂戸山を後に回す計画にしたのだから、もとより坂戸山へ行く気はあまりなかった。
 結局、土曜日はどんよりと曇って断続的に雨が降り、坂戸山は中止にして、十日町から越後川口を経て小千谷まで足を延ばし、六日町へ戻った。小千谷は飯田さんご指名の美容師さんの出身地だとかいう御縁らしい。
 飯士山は想定よりかなりハードな登りで、もっとハードな金城山と二日続けるのは無理があったろうと思う。しかも直前に計画変更でバタバタしたのだから、ゆっくり風呂に入って飯士山のみで帰るというのは最適なプランだったろう。却って「天候に恵まれた」ことになったのだと思う。金城山は万全の準備の上でまたいつか。

□ルート概況
■飯士山
 魚野川にかかる神弁橋を渡ると、あまり歩かれていなさそうな出だしからやや急な登山道が沢沿いをゆく。地形図では右に直角に急登が始まるが、ここは分県登山ガイドの地図が正しいようで、少し行き過ぎてから一段上を折返して来て400m付近で急登に乗る。降りには厳しいかなりの急登が終ると、木の根に邪魔された狭いトラバースに乗る。ここは道が悪いのもあって少し迷う。地形図でも分県登山ガイドでも、急登は段々と立ってくる支尾根についたまま540m超の小ピークに出ることになっているが、実際には500mあたりでトラバースになり、高度を変えずに(むしろやや下降気味に)街を見ながら南を回り込んで、南南東に突出した支尾根に乗って小ピークに達する。ここには「東山第一休憩所」という古びた道標があるが、この先休憩適地に順に立っているわけではない。もっと古びて字が読み難くなったものがもう二つほどあったと思う。
 暫くは穏やかな尾根道だが、少し急なところもあり、またやや単調である。標尾ノ頭まで行くといよいよコースのハイライト、鋸尾根で、激しいアップダウンの度に草の根を掴むような急登や危なっかしい岩登りがあり、気が抜けない。降るのは無理だが登りもしんどい。ようやっと南峰に出たときにはへたり込んでしまった。(しかし我々の数分先に入山したソロのオジサンは、我々が南峰でへばっているうちにもう山頂から下りてきて、「随分遅かったようだから心配しましたよ」と煽られてしまった。)
 ひと登りすると山頂で、360度の展望が得られる。山頂はまあまあ広いが、他ルート(次項参照)から来たと思われる高年集団で占められていて、あまり気分良くはなかった。
 降りはスキー場を真直ぐに下りる。正面に三国山脈の大展望で、開放的。スキーシーズンになればリフトで肩まで上がってしまって、アイゼンでひと登りすれば、手軽に山頂からの眺めを楽しめるのかもしれない。スキー場が終ると曲がりくねった車道を延々と歩いて、街から湯沢駅まではなお小一時間あるが、今回は幸運なことに、途中でゴミだか資材だかを運んでいたオッチャンのトラックに拾ってもらった。(おかげで風呂へ行って午後の鈍行に乗るのにちょうどよい時間になった!)
■ほかの登山ルート
 拾ってくれたオッチャンの話や、宿で入手したガイドマップの情報を見ると、飯士山のメインルートは石打の方から舞子スキー場を経て尾根を上がる舞子ゲレンデルートのようだ。他に、地形図には見えないが、舞子ルートの一つ南側の谷筋か細い尾根の横にも五十嵐ルートというのがあるらしい。また舞子ゴンドラの山頂駅までアクセスできれば高度差なしに飯士山頂に達せられる。
 いづれにせよ今回の鋸尾根ルートは、オッチャンに言わせれば「一番きつい」「この辺の人も滅多に歩かない」とのこと。6時間コースにしてはハードだという認識を持っていれば、むしろ楽しめるルートだと思うし、また駅からも近いので便利だ(それ故に分県登山ガイドに採録されたのではないか)。
 なお毎年11月11日は、飯士山の標高1111.2mに因んで「飯士登山祭」が催されるらしい。岩原から往復で清掃登山をやるようだ。紅葉もこのくらいの時期がピークだろうか、今回は少し早かった。
■六日町の宿と食
 六日町はなんだかお気に入りになってしまった。今回は駅から少し歩いた越前屋に世話になったが、隣近所にタクシー屋が二軒(銀嶺タクシーと桝形タクシー)あって山へのアクセスも便利。朝食付き諸税込で6600円だったから全然安いことはなく、その上隣の部屋との壁も道路に面した壁も薄く、用意された袢纏の内張りが破れていると来ちゃあ、普通はいい気はしないものだけど、そんなのも含めてこの宿・この街の味という気がした。老夫婦は切り盛りがしんどくなってきたが継いだ息子(?)は手が回りきらない、という感じ。でも皆とても親切。そして風呂がよい。女風呂は小さいらしいが、男湯はちょうど良い広さで、湯加減もドンピシャで(湯らりあのように熱くない)、窓からは坂戸山の頂が拝める。上越線の鈍行でぶらりと来て、ここに泊まって湯に入って帰る、そんな旅もよかろうと思う。朝食も何と言うことはないがたっぷりと食べた、米がよいのだろう。
 夕飯はあさひ食堂へ。少々ぶっきらぼうな女将さんだったがまあまあの値で満腹に食える。親戚一同で宴会、というようなこともできる個室がいくつか。飯田さんの頼んだ天ぷら定食が豪勢で良かった。もちろん米は美味い。
■越後湯沢の湯と食
 湯沢駅東口から商店街を一区画下ったところに江神温泉浴場というのがある。銭湯のようなスタイルだが山行帰りには十分、石鹸類は備え付けてあり、入浴券も自販機の飲料も安い。
 東口の商店街にはいくつか食事のできるところもあるようだ。昨年の巻機山の帰りにはたしか、スキー場に近そうだから街があろうと思って西口に出たのだが、道路や大きなバスターミナルは東口についており、こちらが栄えている。
■駅そばそれぞれ
・十日町「雪中庵」
 十日町ではコスパの悪そうな地そばまつりが大混雑で、他に手ごろな食堂も近くになかったので、駅構内改札外のそば屋へ入った。NRE共通仕様かと危惧したが杞憂で、大当り、駅そばとしては最高級のものだった。麺はもちろんだが天ぷらも旨い。喫茶店風にも使える内装で、雰囲気もよかった。
・越後湯沢「湯沢庵」
 帰りは列車まであまり間がなかったので、吉田くんと木下は湯沢駅コンコースで立ち食い。ここもNRE化はしていないらしい。何を食ったのかも覚えていないがまずまずだったと思う。駅弁も売っている(湯沢の駅弁はあまり評判よろしくなかった気がする)。
・高崎「たかべん」(?)
 高崎で吉田くん以外は列車を一本見送って湘南新宿ラインに乗った。その乗換え待ちに木下は2-4番ホームのそば屋へ。夕方で天ぷらは大方売り切れで、ちくわ天そば。ここは完全に吹きさらしの立ち食いだが旅情があってお気に入り、味もオバチャンの愛想もよし。「駅そば」のイデアに近いと思う。
#JR東日本管内の駅そばは、その殆ど(全て?)が、従来運営してきた地元業者(駅弁屋など)とNREとの合弁のような形態になっているようです。そして更に、恐らくは首都圏を中心に、従来ルートで麺を仕入れつゆを作って来た地元業者が完全に撤退して看板も麺もNRE共通仕様になる店が拡大しているようです。上越線周辺は東京から近いわりに美味い駅そばが多いようで旅に向いていますね、車窓もよいですし。
□反省
 山と高原地図に収録されていない山なので分県登山ガイドを参考にしたが、その情報をメンバに共有していなかった。地形図とガイドブックとでルートに相違がある点は全員が知っているべきだった。コピーを配布またはメール配信すればよいだけのことなので。

□木口さんによる山行記
 「熊スプレーが先頭で」という亮平さんの指示で、共装のそれを持っていた私が先輩方の盾として先頭を歩きました。途中、湯沢町と南魚沼市の境の道で飯田さんが反復横跳びをされていて楽しそうでした。吉田さんが道端の草木の名前や特徴を教えてくれました。南峰手前の急な登りと下りの繰り返しは、根っこを掴んで登るとボルダリング10級くらいの道で楽しめました。
 山頂からは目前の金城山と巻機山の間に3日後に行く予定の南ノ入り沢が見えました。普段は山の景色はどうでもいいと思っていますが、次行く場所が見えるとテンションが上がりました。こんなに近い山に3日後に行くのに量子力学演習と物理実験学のために東京に戻らねばならないこと、それらの課題が終わっていないことを思い出して辛い気持ちになりました。
 下りは開けた稜線を気持ちよく歩いていたら分岐で間違えて別の道に入ってしまいました。道がなければ慎重に歩きますが、道がまっすぐ続いていると何も考えず突き進んでしまいます。飯田さんに指摘されて正しい道に入りました。南峰の分岐から岩原スキー場へ向かうと、道はすぐ終わって広い原っぱに出ました。駆け下りていく吉田さんがすごく元気で楽しそうでした。亮平さんと飯田さんも走っていましたが、私は膝が不安でずっと歩きました。
 車道に出ると越後湯沢駅までは徒歩1時間の距離で、先月の竜喰谷山行が思い起こされました。竜喰谷山行のように軽トラに拾ってほしい…と思っていたら軽トラ(亮平さん曰く軽ではなく開放式のトラックらしいです)が拾ってくれました。しかも軽トラは狭いからと途中でセレナ(?)に乗り換えて送ってくれる大変優しい人でした。ありがとうございます。
 全体としてはほぼずっと町やスキー場が見えるゆるゆる感で楽しく歩けました。山中で現役の人工物を見ると山に入りきれていない感じがして私はあまり好きではないですが、吉田さんは町が見えるのが好きなようです。また、先頭だと緊張して焦ることが多いですが、後ろの先輩方が歩き方やペース、休憩の取り方、ルートが間違っていないか等々たくさんのアドバイスをくれてとても頼もしく安心でした。ありがとうございました。
#木下コメント:
#想定していたよりも木口さんに楽しんでもらえる山だったのではないかと思います。今回潰した金城山の登りはもっと面白かろうと思いますよ。
#「軽トラ」というのは文字通り、トラック型の軽自動車を指すのですが、若い都会っ子は平ボディのトラックを何でもかでも「軽トラ」と呼ぶのだそうです。保冷車や幌付きの軽トラも、平ボディのトレーラもあるというに、これでは話が通じませんね。「軽トラ」は「ママチャリ」や「原付」と同じく、それぞれの原型からすれば特殊なその形態と、その為に広く普及した親しみやすさと、そしてそれが使われる文化的背景までをも意識した語であると思います。

□飯田さんによる前日(20日土曜日)の信濃川見物記
 東京駅で木口さん、亮平さんと合流した後、新幹線のホームへ。山へ行くのに新幹線を使うのは初体験なので、なんだか変な感じである。土曜日の朝ということもあり賑わうホームから、Maxたにがわに乗りこむ。2020年末に消滅するという二階建て新幹線だ。もっとも私たちが座ったのは1階でも2階でもなくフラットシートで、車窓の高さは通常の新幹線と相違なかった。大宮駅から吉田くんが合流し、各々本を読んだり勉強したりで、気づいたら越後湯沢駅がもうすぐ。やはり新幹線は速い。そして国境の長いトンネルを抜けると雪国…ではなく残念ながらどんより雨模様であった。この雨で山へ登るモチベーションは急下降してしまったが、午後に晴れることを期待してまだ中止にはせず、とりあえず観光へ。私の「信濃川を見たい」という要望により、十日町へ向かうこととした。
 越後湯沢駅で第三セクター北越急行のほくほく線に乗り換える。が、何か様子がおかしい。私たちは運よく座れたが、1両しかない車両に次々と人が乗り込んできて、その混雑具合はまるで東京の通勤ラッシュ時である。乗客の会話に耳を傾けると、どうやらみなさん十日町で開催される地そばまつりが目的らしい。十日町の駅に着くと、ゆるキャラと振袖や着物を着た女性たちがお出迎え。祭りの存在は知ってはいたが、思っていたのの30倍くらい盛大なイベントだった。とりあえず人の波に乗って祭りの会場まで向かってみると、会場は大盛況であった。とはいえ私(たち)の目的はそばではなく川である。祭り会場裏で開催されていた土木展を冷やかしつつ、信濃川を目指す。ちなみに土木展にはダムの顔出しパネルがあり、顔出しとは…という気持ちになりつつせっかくなので顔を嵌めて写真を撮った。歩行者の少ない県道を進み、2kmほど歩くと念願の信濃川とご対面。甲武信ヶ岳からやってきた水がここからさらに123kmかけて河口を目指すのだなあと日本一長い川に思いを馳せてみた。川に満足したので駅へ戻り、お昼ご飯は駅そばで済ませる。雨が止む様子がないためここで本日の山行の中止を決定し、在京責任者の位高さんに電話を掛けた。
 山の中止が決まり時間を持て余してしまったが六日町へ行くにはまだ早い。とりあえず飯山線と上越線を使って小千谷へ向かってみた。錦鯉や闘牛が有名な町らしく、マンホールやゆるキャラのデザインにはそれらがモチーフとして用いられていた。駅前の商店街は普段は閑散としているであろうよくある地方都市の商店街だったが、この日は少し違っていた。ハロウィンコスプレをした小学生が練り歩き、ハロウィンの曲が流れ、かなり盛り上がっている。すれ違う小学生が元気よく挨拶をしてくれて可愛らしい。私たちは登山客のコスプレということにしておこう。ここでもとりあえず信濃川を目指して歩き、川に思いを馳せた後、雨に降られながら駅へ戻った。
 上越線で南下し、本日の宿泊地である六日町にたどり着いた。駅前の図書館は大変綺麗で羨ましい。晩酌用の地酒や明日の行動食を調達してから宿へ。古いながらも清潔さの感じられる温泉宿である。まだ夕飯には早い時間なので、温泉に浸かる。二人までしか入れないであろう小さな浴槽だが、久しぶりの温泉でのんびりできた。温泉に満足すると日が暮れてお腹も空いてきたので、町へ繰り出し定食屋で美味しいお米を食べる。今まであまり意識してこなかったのだがコシヒカリはもっちり柔らかめの品種らしい。お米をおかずにお米を食べられるくらいのお米好きとしては、今後品種にもこだわっていこうと思った。宿に戻ってからはもう一度温泉に入り、地酒を飲み、日付が変わる頃には眠りについた。
#木下コメント:
#E4系のことまで調べて書いてくださって、感激です。えきねっとの割引では2階が指定できず、多少は眺望があり荷物があっても便利なFL席にしたのですが、折角の惜別乗車なら階下の方がよかったかな。
#十日町の地そば祭りは予想外の大繁盛でしたが、これはJR東日本が、かつてやらかした一件の償いとして盛大に支援しているのではないかと勘繰っています。どうやら毎年、盛況のようですが、開催日の快速列車だけでも車両を増結する余裕が、北越急行にはないのでしょうかね。
#ダム放水の顔出し写真は、共有アルバムに上げておいてくれと飯田さんに頼んだのですが、拒まれたようです。
#川もまたよいものですね。私も旅先の見知らぬ街で、乗換え待ちの間などにぶらぶらと歩くとき、川や橋が見えればとりあえずそこまでという気分になりますし、目的地まで多少回り道をしても川沿いの遊歩道があればそちらを歩きます。山をやるということについて、人間の原記憶というような議論を持ち出すのなら、川の方がよほど人を惹きつけるだろうということは、当然かもしれません。

□雑感・メンバへ・山行に参加してくれた方へ
 上越国境の向う側、南北魚沼の山はすんなりとはいかない。2年生の魚沼駒は雨で予定の半分だけ実施、3年生の巻機山は仲間が集まらず一年越しで実施、その時に見出した金城山は今回、あと一歩のところでめぐりが合わず、フラれてしまった。それでも、もしかしたらそれ故によりいっそう、僕はこのあたりの山に憧れ続ける。そしてこれらの山は帰るまでにきっと、山そのもののほかで勉強になることが沢山あるのだ。
 今回は全く僕の趣味のような計画で、しかも直前にバタバタしたけれど、参加してくれた三人には大いに感謝している。南魚沼の魅力を感じてもらえただろうか。そして余分の一日一晩に色々な話をしてくれてありがとう。学び、考えることが多かった。
       *
 山と自己との関係について、山は単に即物的な対象であるか、もっと対話的なものであるかという話。前にも書いたことだが、思考実験として、脳に電極を付けて適切な電気信号を与えることで現実と全く差異のない事件を経験し感覚することが出来るとしたならば、すなわちその人にとって現実と区別不可能な仮想現実が創造できるならば、それで代替可能な用事は社会にごまんとあろう。その時、「山をやる」ことは電気信号で代替できるものであるか。もしそれを否むなら、その理由を真面目に考えなくてはいけない。ただ気分の問題として判決していいものではないだろう。
       *
 それから、3年前の五竜岳の山行のことが話題に出たので。もしある山行に参加して楽しくなかったなら、それはその人が悪いのではなく、リーダに至らぬところがあったからなのだ。いや、こう一般的に書いてしまってはまた誤解を生む。木下のどの山行であれ、参加してくれたのに不満を持って帰ったことがあるなら、それは木下に何らかの非があった。あなたが悪いことはない。
 しかし、複数人のパーティに広く均しく気を配って、パーティの最大幸福を見定められるほどのキャパシティは、僕にはない。だからまづは、心を砕いて念入りに、よい計画を作らなくちゃいけない。そうしてその計画が出来る限り独り善がりに陥らないために、多くは山行毎に、心密かにメインゲストを据え、計画はその人のために「当て書き」している。山行でその人を笑顔にすることがリーダの務めと心得ている。
 結局それは自分の勘違い、独り善がりなのかもしれないけれど、持って帰った写真の中でそのゲストが楽しそうに笑っているとき、僕の中でその山行は報われるのだ。