2019/8/16-19 槍穂縦走・焼岳

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
槍穂縦走・焼岳山行計画書 ver.1.2
作成者: 山本

■日程 8/16(金)-8/19(月) 予備日1日
■山域 北アルプス
■在京本部設置要請日時 8/20(火) 20:00
■捜索要請日時 8/21(水) 9:00
■メンバー (計3人)
CL山本 SL谷口 金丸

■集合
8/16(金)5:30 上高地バスターミナル
新宿駅西口アルピコ交通バス乗り場
https://www.alpico.co.jp/access/station/shinjuku_west.html

■交通
□行き
・谷口、山本
アルピコ交通85805便
新宿西口8/15(木)22:35-上高地バスターミナル8/16(金)5:20
※新宿駅西口アルピコ交通バス乗り場
https://www.alpico.co.jp/access/station/shinjuku_west.html
・金丸
前日までに電車とバスで上高地入り

□帰り
上高地からバスと電車で東京へ
※松本から東京都内までは18きっぷや学割が使える。

■行程
□1日目
上高地バスターミナル-(2:00)-徳沢-(1:10)-横尾-(1:00)-一ノ俣-(0:40)-槍沢ロッヂ-(0:40)-槍沢キャンプ地-(1:40)-大曲-(1:00)-天狗原分岐-(1:30)-坊主の岩小屋-(0:40)-殺生ヒュッテ-(0:40)-槍ヶ岳山荘
[計10:20]
※風雨の関係から殺生ヒュッテまたはババ平で幕営する可能性が高い。
※槍ヶ岳山荘到着後に余裕があれば槍ヶ岳ピストン(往復1:00)
※ババ平、天狗原分岐過ぎに水場あり

□2日目
槍ヶ岳山荘-(0:30)-槍ヶ岳-(0:30)-槍ヶ岳山荘-(0:10)-飛騨乗越-(2:30)-天狗原分岐-(0:20)-南岳小屋-(1:20)-長谷川ピーク-(2:10)-北穂高小屋-(0:15)-北穂高岳(南峰)-(0:50)-最低コル-(1:10)-涸沢岳-(0:15)-穂高岳山荘
[計10:00]
※大キレット(コースタイム3:45)の主要部は下記の通り
南岳-大キレット最低鞍部-長谷川ピーク-馬ノ背-A沢のコル-飛騨泣き-北穂高岳
(最低鞍部とA沢のコルが休憩ポイント)
※大キレット通過時は強風に注意。危険な風速であれば南岳小屋で停滞する可能性あり。
※槍ヶ岳ピストンはカットする可能性あり

□3日目
穂高岳山荘-(0:50)-奥穂高岳-(3:00)-天狗のコル-(2:50)-西穂高岳-(1:10)-西穂独標-(1:00)-西穂山荘
[計8:50]
※奥穂高岳~西穂高岳の主要部は下記の通り
奥穂高岳-馬ノ背-ロバの耳-ジャンダルム-コブ尾根ノ頭-天狗のコル-逆層スラブ-間ノ岳-西穂高岳
※技術的に余裕があり、かつコースタイム以内に大キレットを通過できた場合のみ、ジャンダルム以降に進む。そうでない場合は、ジャンダルム以降をカットして前穂高岳方面に下山する。
※三点支持を心がけること。また、浮石、落石、下りは特に注意すること。

□4日目
西穂山荘-(3:00)-焼岳小屋-(1:10)-焼岳(北峰)-(0:40)-焼岳小屋-(2:10)-田代橋-(0:20)-上高地バスターミナル
[計7:20]
※焼岳ピストンはカットする可能性あり(その場合、西穂山荘から上高地BTまでコースタイム2:50)
※焼岳小屋から焼岳まではサブザック行動

■エスケープルート
・南岳まで 上高地へ引き返す
・南岳から穂高岳山荘 涸沢、横尾経由で下山(穂高岳山荘から5:10)
・ジャンダルムまで 奥穂高岳に引き返し、前穂高岳方面に下山(穂高岳山荘から6:20)
・ジャンダルムから間ノ岳 天狗のコルから岳沢経由で下山(急斜面のガレとザレ、落石注意)
・間ノ岳から西穂高山荘 そのまま進む
・西穂山荘以降 焼岳をカットして上高地に下山(2時間50分)または新穂高ロープウェイで新穂高温泉に下山

■小屋
□ルート上の小屋
・槍沢ロッヂ 0263-95-2626
・殺生ヒュッテ 0263-77-2008
テント泊50張1000円/人、水200円/L
○槍ヶ岳山荘 090-2641-1911 / 0263-35-7200
テント泊39張1000円/人、水200円/L
・南岳小屋 090-4524-9448
・北穂高小屋 090-1422-8886 / 0263-46-0407
テント泊20張1000円/人、水200円/L
○穂高岳山荘 090-7689-0045 / 0578-82-2150
テント泊40張1000円/人、水無料
○西穂山荘 0263-95-2506 / 0263-36-7052
テント泊30張1000円/人、水200円/L
※西穂ラーメンが有名
・焼岳小屋 090-2753-2560
□周辺の小屋
・ヒュッテ大槍 090-1402-1660
・涸沢ヒュッテ 090-9002-2534
・岳沢小屋 090-2546-2100

■地図
2.5万分の1 「槍ヶ岳」、「穂高岳」、「笠ヶ岳」、「焼岳」、「上高地」
山と高原地図 38「槍ヶ岳・穂高岳」

■食当
1日目 夕
2日目 朝 夕
3日目 朝 夕
4日目 朝
※全て各自
※停滞時に備えて各自で予備食を1日分持ち込むこと。
※お湯だけ沸かせば作れるメニューにする。軽量化に留意。
※酷暑が予想され、また稜線上は水場に乏しいため、行動時は十分な量の水を携行する。

■共同装備
テント(エアライズ3型):金丸→適宜分担
ヘッド:金丸×1、谷口×1、山本×1
カート:金丸×1、谷口×2、山本×1
救急箱:谷口
※全て私物

■個人装備
□ザック □ザックカバー  □登山靴 □替え靴紐 □ヘッドランプ □予備電池 □雨具 □防寒具 □帽子 □水 □昼食 □非常食 □行動食
□ゴミ袋 □コッヘル □武器 □調理器具 □軍手・手袋 □歯ブラシ □新聞紙 □トイレットペーパー □ライター □地図 □コンパス
□筆記用具 □計画書 □遭対マニュアル(緊急連絡カード含む) □学生証 □保険証 □現金 (□学割証) □常備薬 □着替え □日焼け止め
□エマージェンシーシート □ヘルメット
(□サブザック) (□学割証) (□温泉セット) (□サンダル) (□サングラス) (□カメラ) (□モバイルバッテリー) (□ハーネス)
(□スリング) (□カラビナ) (□お助け紐)
※ヘルメットを必ず持参すること!
※荷物の軽量化を徹底すること!
※装備の外付けは避ける。
※調理器具は各自で用意(共装なし)

■遭難対策費
各600円
計1800円

■悪天時
出発前日昼頃までに判断

■山岳保険
モンベル山行保険(運動等危険補償特約付国内旅行傷害保険)など

■備考
日出(8/19 松本)05:08
日没(8/19 松本)18:34
長野県警安曇野警察署 0263-72-0110
長野県警松本警察署 0263-25-0110
長野県登山安全条例
(本計画は登山計画書の提出が必要)
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/tozanjorei/tozanjorei.html
焼岳の活動状況
http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/activity_info/310.html
NHKラジオ第一 540kHz(松本)/819kHz(長野)/792kHz(高山)
NHKラジオ第二 1512kHz(松本)/1467kHz(長野)/125kHz(高山)
NHK FM  84.8 MHz(松本)/ 86.1MHz(高山)
アルピコタクシー 0261-23-2323
新穂高ロープウェイ 西穂高口終発17:15
http://shinhotaka-ropeway.jp/price/
docomo 携帯電話がご利用いただける登山道
https://www.nttdocomo.co.jp/support/area/mountains/

■過去記録
2017/8/11-8/13
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1223484.html
2015年 北アルプス長期縦走記録+Appendix(大キレット)
[raicho 11560]
※ワンダーフォーゲル2018年8月号p.74以降がルートの参考になる。

槍穂縦走・焼岳山行記録
■作成: 山本・金丸
■日程: 2019/8/16(金)-2019/8/18(日)
■山域: 北アルプス
■天候:
1日目: 雨時々曇り 2日目: 曇りのち時々晴れ 3日目: 晴れ
■メンバー
CL山本(37期/OB)、SL谷口(37期/M1)、金丸(37期/M1)

■行動記録
□1日目
6:14 小梨平キャンプ場
6:49 明神
7:30 徳沢
8:14-8:44 横尾
9:24 一ノ俣
9:51-10:11 槍沢ロッジ
10:38 ババ平
10:55 大曲
11:33-11:44 天狗原分岐
12:23 ヒュッテ大槍分岐
12:48 殺生ヒュッテ

□2日目
4:31 殺生ヒュッテ
5:01-5:10 槍ヶ岳山荘
5:21-5:30 槍ヶ岳
5:50-5:56 槍ヶ岳山荘
6:03 飛騨乗越
6:39 中岳
7:23 分岐
7:38 南岳
7:45-9:10 南岳小屋
9:48 最低コル
10:09 長谷川ピーク
10:24 A沢のコル
11:03-11:17 展望台
11:37-11:57 北穂高小屋
12:06 北穂高岳南峰
13:04 最低コル
13:57-14:14 涸沢岳
14:31 穂高岳山荘

□3日目
4:20 穂高岳山荘
4:50-5:23 奥穂高岳
6:18-6:33 ジャンダルム取り付き点
6:37-6:54 ジャンダルム
7:00-7:04 ジャンダルム取り付き点
7:57-8:10 天狗のコル
8:26-8:34 天狗岳
9:20 間ノ岳
9:43-9:55 赤岩岳
10:21-10:26 P1
10:33-10:47 西穂高岳
11:19 ピラミッドピーク
11:41-11:59 西穂独標
12:45-13:30 西穂山荘
14:19 新穂高ロープウェイ西穂高口

■記録(文責:金丸)
□0日目
○甲府~松本
「大型の台風10号が西日本を縦断し……」「積算雨量は800mmを超え……」「不要不急の外出は控えて……」
朝からそんなニュースばかりがテレビから流れていた。甲府では雨は時々だが、生ぬるい風がやや強く吹いており、嫌な感じがした。実際、明日16日は風雨が強く登山には向かない予報が出ている。19日以降も雨が降る予報だが、その間は天気が良いらしい。その晴れ間に難所を通過する2日間をねじ込む形で、この計画は決行された。

思い返せば、私が初めて北アルプスに足を踏み入れたのは、大学1年の夏合宿で常念山脈を縦走したときのことであった。そのときに見た急峻な峰々に、ものすごい岩峰だ、これが噂に聞く大キレットか、これは今の私には厳しいだろうなと畏敬の念を抱いた覚えがある。
その後、同年の北アルプス長期縦走で訪れた三俣蓮華岳と双六岳、大学3年の焼岳、西穂高岳(独標まで)、笠ヶ岳と、順調に周りの山々を制覇するにつれ、あの岩の縦走路への憧れは強くなっていった。
とはいえまだ1人で行くのは心もとなく、誰かと行ければなと思っていた。そこに昨年、槍穂縦走の企画が立ったため参加したのだが、天候に恵まれず流れてしまった。今年は社会人になったメンバーもいるし、厳しいだろうと思いながら南アルプスを縦走する計画を立てていたのだが、この山行が計画されたため迷わず参加した次第である。
今年はたまたま予定が合ったが、来年以降また集まれるとは限らない。山屋である私の父も、「若いうちに難しいところに行っておいた方がいいよ」とよく言っている。不要不急の外出ではない。やるなら今しかないのだ。

駅のホームには思っていたより人が多く、特に浴衣を着た若い男女が目立った。いぶかしげに眺めていると、「本日上諏訪駅で花火大会が開催されるため臨時列車がございます。その通過待ちのため、次の列車は5分遅れて……」とアナウンスがあった。なるほど〜。謎が解けて安心した気持ちと、混雑が嫌だという気持ちが入り交じった表情で、電車に乗り込んだ。
車内には通常の5割増くらいの人がいた。小淵沢で乗り換え、北へ北へと進むにつれだんだんと人は増えていき、茅野あたりまで行くと通勤時間帯の山手線くらいの混雑になった。
エネルギーの高い「気」に包まれた車内では、大荷物持ちの陰キャコミュ障はきまりが悪く、縮こまって印刷してきた論文を読んでいた。幸いなことにそれも長くは続かず、上諏訪駅でほとんどの人が降りた後は、普段の平日の昼下がりに戻った。
なお、諏訪湖花火大会の開始時刻は19時、上諏訪駅の通過時刻は14時32分であった。4時間半前だぞ。そんな明るいうちから花火大会に向かうなんて、私にはとてもそうしようとは思えないなあと思いながら、松本駅まで時間をつぶした。

乗ってきた電車と接続するアルピコ交通上高地線を1本見送り、今日の夕食と明日と朝食を調達するため駅ビル内のnewdaysに入った。しかしこの立地のためか、おみやげとオシャレな食べ物ばかりでkcal/円が悪い。時間はあったので駅ビルを出て、道路を挟んで向こう側のセブンイレブンでパンを買った。やっぱり私にはこれが合っている。
ここまでの電車内ではあまり山装備を持っている人はおらず、茅野と岡谷と松本で降りた3人だけだった。松本駅のコンコースは花火大会へ向かう人で混みあっていたが、その中に20人ほどの中~大型ザックを持っている人がいた。やはり松本は我々の街だ。西を見ると、上高地方面の山々はべっとりと雲に覆われていた。こんな中にも同士が沢山いるのは心強い。トイレを済ませてホームへ向かい、やってきた電車に乗り込んだ。

○松本~上高地
アルピコ交通上高地線は何度も乗っているが、やはり目を引くのはマスコットキャラクターの渕東なぎさだ。大学1年の頃には既に誕生していたと記憶しているが、4年経った今も愛され続け、車内の液晶画面から笑顔を振りまき、乗客を案内している。液晶画面に流れる映像がセンスの良い案内から広告に変わると、「アルピコバスツアー」と立体太字が踊るのが、なんとも地方交通機関らしい。
この名前の「渕東」と「なぎさ」はそれぞれ上高地線の駅名からとっている。こんな海から遠い地に「渚」という地名があるのは不自然だが、それは松本盆地が昔湖で、ちょうどその辺りが「渚」であったかららしい。今となっては見る影もないが、今日に限っては風で田んぼの稲が大きく揺れ、海のように見える。まさに「波田」だなあなどと思っているうちに新島々駅へ到着した。電車を下りるとすぐになぎさちゃんの立て看板があったので、写真を撮ってニンマリした。また来ます。オタクチョロ。

チケット売り場を抜けると30人ほどの人が行列を作っており、バス乗れるか……?と思ったが、並んでいる場所をよく見ると、今乗ってきた電車に乗り込み松本駅へ帰る人の列だった。明日は台風の影響が1番強い日なのだから、良く考えれば当然である。松本駅のザックを持った人々もそうだったのだろう。バスは10人弱の登山客や観光客を乗せ、雲に覆われた上高地へ出発した。
渕東なぎさはあくまで上高地線のマスコットキャラクターという位置づけらしく、バス内でのバス停名や名所のアナウンスは、あまり可愛らしくない普通のバスアナウンスだった。バスは梓川沿いをウネウネと進みながら、途中さわんどで人を拾ったり、ぽろぽろと下ろしたりしながら上高地へたどり着いた。

○上高地
最後まで残っていた数人の乗客とともに、重い荷物を担いで梓川を遡って少し歩いた。小梨平には40張ほどのテントが張ってあった。てっきり人が少ないと思っていたので、その賑わいに少々驚いた。受付を済ませて、翌日準備を済ませた後逃げ込める炊事棟に近く、風を避けられそうな場所にテントを張った。5cmほどの腐葉土の下は砂利っぽく、ペグが入りづらかった。
父から借りた3〜4人用テントは広く、1人でいるのは少し寂しかった。夕食にパンを食べ、19時半頃寝る体勢に入った。程なくして降り始めた雨は、降ったりやんだりを繰り返しながらしだいに強くなっていった。時々吹き抜ける風と雨垂れの音に何度か起こされながら眠った。

□1日目
○上高地~横尾
4時半起床。雨は依然強く、風上側のフライがテントにくっついてテント内が少し濡れてしまっていた。夕飯の残りのパンを胃に押し込みながら天気予報を確認すると、麓は8時ころまで10ミリを超す豪雨で、15時までは雨が降るらしい。風も明日の午前中までは3100mで10mを超すようだが、その後は19日の午前中まで持ちそうだ。
下界の飯は時間がかからず便利だ。5時には撤収開始し、トイレなどを済ませても起床1時間後の5時半には準備を完了することができた。炊事棟の屋根を借りて雨をしのぎ、夜行バスで来た山本と谷口と合流した。
穂高連峰の上手な油絵が寂しそうに雨だれを聞いているのを横目に、天気が最も良い明後日にジャンダルムを超えるため、今日進めるところまで進むことで合意した。2人の朝食、トイレ、荷物の分配などの準備を済ませて出発した。

元々あまり面白くない梓川沿いの長い長い林道を、雨の中歩くのは非常に面白くない。会話のネタもすぐに切れ、スピードを上げて淡々と歩いた。晴れていれば明神岳がよく見え、そういう会話が生まれたであろう明神館のあたりでも、山の中腹以上にずっしりと垂れこむ雨雲を眺め、立ち止まると寒いからまだ歩こうなどと悲しい会話が交わされるのみである。数多の水たまりを超え、山本と金丸の靴は水の侵入を許し、毎歩足の裏で靴下を絞る状態になった。否が応でも北ア長期の惨状が思い出される。谷口は、額から滴る雨水を、ダシが出てうまいと食べ続けていた。

徳沢も見送り、横尾でようやく一本。ここまでCT比6割強、時速5kmと、アスファルトを空身で歩くのと遜色ないスピードである。登山道開始を前にトイレの建物の軒下を借り、しばし雨宿りすることとした。一度雨を逃れられる環境を手に入れてしまうとなかなか脱することができなくなり、トイレなどを済ませた後もだらだらと居座っていた。30分後にようやく重たい腰を上げ、再度歩き始めた。

○横尾~槍沢ロッジ
横尾にはたくさんの登山者がいたが、その多くは涸沢に向かうらしく、槍沢方面の登山道は人がガクッと減った。川幅も狭まり、これまでは少し水量が多いくらいだった梓川は、川幅いっぱいに不気味な色で轟々と流れていた。雨はずっと強い。風はないが、暑くもなく、会話もない。逃げるように先を急ぐ。

このルートは本来、渡渉を要する箇所には全て橋がかかっているのだが、一ノ俣を過ぎた頃から、キャパシティオーバーした分を渡渉しないといけなくなった。気をつけていれば問題なかったが、最も大変なところで足首の上までの深さがあり、これには谷口のゴアテックスの靴も太刀打ちできなかったらしい。

槍沢ロッジで水汲みを兼ねて一本。風の様子を見ながら殺生ヒュッテか槍ヶ岳山荘に泊まることに決めたので、今日の宿の水が有料になったため、ここでできるだけ汲んでおく。
地図を見て、既に距離では今日の行程の2/3が終わっているものの、標高では1/4も来ていないことを確認し、嘆息をもらす。
「寒くなってきたからそろそろ……。」体力を回復させるための休憩で、寒さから体力を奪われるとはなんとも悲しいものである。

○槍沢ロッジ~殺生ヒュッテ
槍沢ロッジを過ぎたあたりからだんだん上り坂が多くなってきた。じわじわと標高を上げるにつれ徐々に樹高が低くなり、風が強くなってくる。登山道から見える岩峰の谷という谷に、立派な滝が出現していた。一ノ俣川、二ノ俣川といった大きな支流と別れた槍沢は流量を減らし、「穏やかな流れだなあ」などという冗談が、水音に虚しくかき消されていった。
天狗原分岐で一本。天気予報の通り、雨は弱くなってきた。先が見えてきたこともあって、メンバーに少し明るさが戻ったような気がした。
ガレた斜面をしばらく歩くと、登山道脇の岩に1550と書かれていた。「標高ではないだろうから、殺生ヒュッテまでの距離かなあ」と言って歩いていると、700くらいで殺生ヒュッテに着いた。

○殺生ヒュッテ
「休憩するんでしたら雨具は脱いで、濡れているものは奥の雨具置き場に置いておいてください」と言うスタッフの方のご好意に甘えてとりあえず土間のテーブルで休憩させてもらい、作戦会議をした。
雨は弱くなったが、風は10m近い。恐らく稜線上はもっと強く、テントは張れないだろう。選択肢はここでテン泊か、槍ヶ岳山荘で小屋泊かの二択だ。悩んだ末、「天候が回復せず大キレットに進めなかった場合、小屋泊で槍ヶ岳往復という結果に終わるのは渋い」という思いから、ここでテン泊することに決めた。

殺生ヒュッテの(というよりこの辺りの小屋の)テン場は、ガレた斜面を段々畑のようにして、何とかテント1張り分の幅の平地をこしらえたような感じである。3~4人用テントを張れる場所はそう多くはなく、風を避けられそうで、小屋からそこそこ近い場所を選んだ結果、下がゴツゴツとしたところに張ることになった。
テントは今朝撤収する際に雨が降っていたため、ぐっしょりと濡れていた。それを入れていた金丸のザックはもちろんだが、山本と谷口のザックも、背中とザックの間から雨水の侵入を許してしまっていた。服も雨が汗か分からないが濡れている。寒い寒いと防寒具とシュラフを着込むが、山本はシュラフも濡らしてしまっていた。ガタガタと震えながら、食べる機会が無かった行動食を食べたり、昼寝をしたり、山本が持ってきた湿ったワンダーフォーゲル2018年8月号を読んで明日明後日の予習をしたりして、17時半頃夕飯にした。
山本は米を炊いて中華丼、谷口はα米、金丸は棒ラーメン。谷口はバーナー自体の点火機構でも、ライターでも火を付けにくそうで、随分と粘った挙句、ガスを出した状態でフリント式ライターをカリカリしながらかざすという技を編み出していた。
順番に調理することでなるべく長時間室温を一定以上に保つという悲しい努力と、温かいものが胃に入ったおかげで体温が上がり、なんとか気持ちを持ち直した。しかしトイレに行くために外に出ると、濡れた体が強風で一気に冷やされ、小屋の発電機で暖を取る始末である。
なお、トイレは綺麗に掃除されており、トイレットペーパーも付いていた。テントは我々の他に2つしかなかった。後で聞いた話だが、小屋内にも2グループしか泊まっていなかったらしい。
19時頃就寝。雨はいつの間にか止んでいた。風は強く、稜線を越える不気味な音が、一晩中槍沢カールに響いていた。テントは風に大きくひしゃげ、端に寝ていた金丸と谷口の顔に冷たい壁を押し付けながらも、私たちを強くしなやかに私たちを守ってくれた。雷鳥のニ゛エーという声に我々以外の生物がいることに安心しながら眠りに落ちた。

□2日目
○殺生ヒュッテ~槍ヶ岳山荘
2時半起床。相変わらず風は強く、ちょくちょくテント壁アタックを受けていたため、あまり寝られなかった。山本は熟睡できたと言ってはいるが、寒そうにしている。あたりはガスで30m先も見えないが、隣のテントに明かりがついているのが見えた。
シュラフに包まりながら場所を作り、朝ごはんにした。山本は棒ラーメン、谷口はパスタ、金丸はα米。スープも作って飲んで温まり、なんとかシュラフから抜け出て支度をする。風が多少弱まった隙に4時頃撤収開始。トイレを済ませ、4時半にまだ暗い中出発した。

視程10~20m、風速5~10mの中を、ヘッドライトの明かりを頼りに慎重に歩く。寒さから足の進みは早く、ようやく明るくなってきた5時頃に槍ヶ岳山荘に着いた。稜線上はさらに風が強く、15m程度あったと思われた。北ア長期の薬師岳のあたりを思い出した。
天気予報を見ると、11時頃風が弱まるとのことであった。この風の中大キレットに行くのは渋いので、暇つぶしも兼ねて、荷物をデポしヘルメットを被って穂先へ向かった。

穂先は岩の塊で、落ちたら死ぬので危険でないわけではないが、必要なところは鎖やハシゴがしっかりと整備されており、上り下りが別れている部分が多いため登りやすい。ほとんど人がおらず、スルスルと登って10分くらいで山頂に着いた。
山頂には、ガスと爆風にもかかわらず10人ほどの人がいた。本来なら360°の素晴らしい展望と高度感を得られるはずであるこの山頂だが、見えるのは祠と足元の岩、そしてカッパを着て寒そうにする人々のみである。我々も寒そうに写真を撮って寒そうにうずくまり、寒いので早々に下山しようとした。
その瞬間である。パッと上が開き、青空が見えたのだ!松本からのバス内で見てからおよそ1日半ぶりの再開である。10秒ほどでまたガスの向こうに消えてしまったが、非常に感動した。
下りでは、登ってくる人とのすれ違いや渋滞があり、20分ほどかかってしまった。山と高原地図の片道30分というのは、渋滞込みの時間なのかもしれない。

槍ヶ岳山荘に戻ると、数人が歩き始める支度をしていた。「この天気だから槍まで来れただけで御の字」「大キレットは無理だよねえ。」
我々が行き先を聞かれ、奥穂高山荘と答えると、「勇者だ!」と言われる始末である。他にも大キレットを越えるというパーティーと、お互い気をつけましょうと挨拶を交わして槍ヶ岳山荘を後にした。

○槍ヶ岳山荘~南岳小屋
ここからは特にこれといった特徴のない岩稜を淡々と歩いた。ガスがなければ素晴らしい展望なのだろうが、それを見ることは叶わず、あったことといえば中岳の先で2羽の雷鳥に会ったことと、南岳山頂でやたらテンションの高い外国人と「イェーイ!!!」と叫んで体力を消耗したことくらいである。CT比6割でサクサク歩き、南岳小屋に着いた。

相変わらず風は強く、この爆風の中大キレットを越える気にはならなかったので、風が弱まる11時頃に難所の長谷川ピーク付近に差し掛かるよう、10時頃まで中で休むことにした。
前室に荷物を置いて中に入り、山本はホットココア、金丸はホットカルピスを注文した。しばらくすると、同じように思った人が続々と小屋に入ってきた。中には槍ヶ岳山荘で挨拶したグループや、南岳のハイテンション外国人のグループもいた。
南岳小屋には大キレットノートというものがある。大キレットを越えてきた人やこれから越える人などが、「どこから来ました!」とか「こういうルートで行きます!」とか「何年ぶり何回目です!」など、大キレットに抱く思いの丈をそれぞれに述べていくノートである。「馬場島から上高地に行きます」「親不知から太平洋まで行きます」など、頭の狂った書き込みも2年に一度くらいあった。私もちょろっと書き込んだところ、他のグループの人に読み上げられて恥ずかしかった。
やることがなくなって飽きたこと、他にも出発するグループがいたこと、風があっても気をつければ問題ないと思ったこと、そして何より小屋内が10℃と寒かったことから、9時過ぎに南岳小屋を出発することとした。

○南岳小屋~大キレット~北穂高小屋
風は相変わらず強い。ここから北穂高岳までが大キレットと呼ばれる箇所で、「切戸」の名の通り250m以上尾根が切れ込んでいる。南岳小屋から最低コルまでは槍ヶ岳穂先に毛が生えたくらいの難易度で、順調に標高を下げていく。
最低コルが近くなってくると雲の下に出たらしく、本沢カールが見えた。最低コル付近では常念岳も雲の向こうにチラチラと見えるようになった。100m以上向こうを見渡したのは、昨日の午前中以来約1日ぶりのことである。特に常念岳は、メンバー全員が1年の夏合宿で登頂した山であり、あの時眺めたあの切れ込みを今歩いているのだという実感が湧いて感慨深い。

長谷川ピークへの登り返しは特に問題なかったが、下りからは高度感のあるナイフリッジを進む箇所が出てきて、グレーディングEという感じになってきた。とはいえそこまで怖くはなく、注意していれば問題ない。
A沢のコルを通過してしばらくすると、飛騨泣きがある。飛騨側は切れ落ちており、落ちたら泣くだけでは済まないだろう。岩に打ち込まれた鎖や杭、鉄製のステップを頼りに登った。
しだいにガスは薄くなっていき、太陽の存在が分かるようになった。それと共に体温も上がり、体力を消耗した。たまらず展望台で休憩をとった。ここからは滝谷の展望が良いらしいが、残念ながら風上側は厚い雲の中である。まあ、これまでの天気を考えれば、本沢カールの眺めと、何かをついばむ雷鳥の姿だけでお釣りがくるというものだ。北穂高小屋の方の話では、このあたりには2家族の雷鳥が住んでいるらしい。この少し前にも見たので、その2グループなのだろうか。だとしたらかなりの幸運である。
ここから最後の長くて急な岩場を乗り越えると、北穂高小屋がふっと頭上に現れた。

北穂高小屋は昼食時で、小屋内もテラスも混雑していた。なんとかベンチに3人で座れる席を確保し、荷物を下ろす。パスタやラーメンなど、下界と変わらないクオリティーに見える料理にそそられた食欲を行動食で満たしながら休憩した。
谷口は北穂高小屋Tシャツを買い、それを着て売店のお姉さんと写真を撮っていた。「まそれを着て北穂高小屋に来てくださいね」というお姉さんに見送られて北穂高小屋を後にした。雷鳥のみんな、大キレットに行きたくなったら谷口に声をかけよう。

○北穂高小屋~涸沢岳~穂高岳山荘
北穂高岳南峰まではすぐだった。またここからグレーディングEのルートとなる。歩いた感想としては、大キレットより岩場そのものの難易度は低いが、鎖やハシゴが少なく、浮き石も多い印象で、私はこっちのほうが歩いていて緊張した。
こちらの最低コルでも雲の下に出て、今度は涸沢カールが見えた。赤い屋根と沢山のテントが見える。顔を上げると、これから登る岩壁が行く手を阻むようにそそり立っていた。本当にこれを登るのかと思ったが、ところどころに〇や→が見えるので、本当なのだろう。登っているとだんだん雲が晴れてきて、前穂高岳方面が見えるようになってきた。風はいつの間にか弱くなっていた。
涸沢槍を過ぎ、岩場がガレた平坦な道になると山頂はもうすぐだ。山頂の登り口は奥穂高岳方面にあるが、それより手前の道標があるあたりから登れそうだったので、適当に登った。最低コルからの距離300m、標高差150mに1時間弱かけ、やっとの思いで涸沢岳にたどり着いた。
山頂からは奥穂高岳方面が良く見えた。大きな奥穂高山荘の赤い屋根の向こうに奥穂高岳、そしてジャンダルムが見える。明日はあれを超えるのだ。後ろと西側はガス。東側は辛うじて常念岳が見える。心地よい風と日差しでいつまでもこの満足感に浸っていたかったが、早くテントを干したいので仕方なく下山した。

○穂高岳山荘
ガレた下りを少し下りれば奥穂高小屋に着く。下りの途中に奥穂高小屋の向こうに見えた石垣と平坦地をテン場だと思っており、一番乗りじゃん!と言っていたが、実はそれは登山道と砂(石?)防ダムで、実際のテン場は涸沢岳側にあった。
サイトには既に多くのテントが張ってあり、小屋近くの広いサイトは全て占領されていたため、登山道の下の、小屋からかなり遠い場所に張った。落石があったら止まるスペースがないスリリングな場所だが仕方がない。

テントを張ると、シュラフから財布まで、全ての荷物を外に出して乾かした。靴も脱いで靴下になり、ヘリポートで日向ぼっこをする。荷物も服もみるみるうちに乾いた。濡れたものは干せるときに干して乾かすのは、北ア長期で身に着いた癖だ。
ヘリポートの段はその日もうヘリが来ないと分かってからテン場として解放され、すぐにテントで埋まった。穂高岳山荘のテン場は30~40張とのことだったが、テン場なのかよく分からないところを整地して張っている人もおり、最終的な数は46張だった。

明日の天気を検索すると、夕方遅くから雨になっていた。西穂高岳方面に下山することを検討し、バスやキャンプ場を調べていると、隣のテントの方が穂高荘倶楽部という施設を教えてくれた。穂高荘倶楽部は、180°倒れるリクライニングシートを備えた休憩室のある温泉施設で、1200円で翌朝まで過ごすことができる。1900円払えばより静かな半個室状の場所で過ごすことも出来るらしい。結局今回我々は利用しなかったが、皆様も機会があれば利用してみてはどうだろうか?

さて、山本以外は焼岳登頂済みであることもあり、こうなると4日目をカットして下山したくなってきた。皆それで合意したためこの時点で4日目カットが決まったのだが、すると残り2日分の食料が邪魔である。ヘリポートで行動食をモリモリと食べて、これまで失ったカロリーを取り戻した。その他にもワンダーフォーゲルを読んだり、テント内に逃げ込んできた羽虫の多さに少々引きながら写真を撮ったり、「ジャンダルムのJ!」とはしゃぐ大学生グループを見て、Gendarmeなんだよなとつぶやいたりして時間を潰し、17時頃夕食とした。
山本は米を炊いて麻婆茄子、谷口と金丸はα米。みんな量多めであるが、さっき行動食を食べたにもかかわらずペロリと食べ切った。山本は2日とも炊飯に成功しており、すごいと思った。山本が持ってきたオクラを茹でて食べたが、山の上で食べる野菜はとても美味しかったし、五目御飯にも合って良かった。その後の煮汁でコーンスープを作ったが、意外と気青臭さがにならなかった。

その後は、夕焼けは見えなかったが夕暮れの山を眺めたり、無料の水を汲んだりトイレに行ったりした。トイレは洋式も紙もあり、手洗い場には洗面台まで付いていた。すごい小屋だ。
19時頃就寝。谷口は日が暮れて、星が見えてくるのをしばらくヘリポートから眺め、19時半頃に戻ってきたらしいが、その記憶がないくらいよく寝られた。

□3日目
○穂高岳山荘~奥穂高岳
2時半頃起床。今日はテント壁アタックも、ついでに落石もなかった。テントの通気口から頭を出すと、オリオン座から夏の大三角まで満点の星空が広がっていた。山々は十六夜に照らされ妖しく光っている。涸沢カールに輝く色とりどりのテントや、奥穂高岳や前穂高岳に登る人々のヘッドライトも美しい。最高の天気だ。北ア長期でも最終日はこうだったなあ。
朝食は山本と金丸が棒ラーメン、谷口はパスタ。山本は2人分のスープを飲み干すのに一苦労していた。大の米好きにもかかわらず、山の中での食事はkcal/円の良い棒ラーメンだけで済まし、下山後にツナマヨおにぎりを食べることを何よりの楽しみとしている、自称棒ラーメンマスターの金丸は、1食分の水量で2食分調理できることを知っているのだ。
4時頃に撤収。昨日までは雨でぐっしょりと濡れていたテントを、多少の結露だけでザックに入れられることがたまらなく嬉しい。荷物が軽くなったのは、水を最低限の2Lしか持っていなかったり、食料を消費したりしたことだけでなく、荷物を乾かしたことも大きいだろう。常念山脈方面の山際がほのかに色づき始める中、トイレなどを済ませたりテントのタグを返却したりして、4時20分出発。

奥穂高岳までの登りは、暗かったせいか多少分かりづらいところがあり、槍ヶ岳よりも難易度が高く感じた。だんだんと染まってくる空に急かされるように30分で山頂に着いた。

山頂には祠があり数人しか立てず、そのすぐ側の方角と山が書いてある金属板のところや、それらの麓で時間待ちをする人が多かった。前穂高岳方面の近くのピークにいたり、朝日には目もくれずジャンダルム方面に向かう剛の者もそこそこいた。既にジャンダルム山頂にも人影が見える。
近くに見える笠ヶ岳、槍ヶ岳、常念岳、焼岳などはもちろん、北には薬師岳から立山、剱岳や、黒部五郎、水晶、鷲羽の黒部源流の山々に、鹿島槍、五竜、白馬岳などの後立山連峰と北アルプスの秀峰が勢揃いしている。それにとどまらず、南には御嶽山や乗鞍岳、中央、南アルプス、西には白山と、360°どこを向いても絶景だ。
一昨日は手前に重く垂れこめる雨雲を見つめるのみで、昨日はその頂きを制したにも関わらず見られなかった槍の穂先の全体図を、やっと見ることができて感無量である。どこから見てもそれだと分かる天を指す矛は、これだけの山々の中でも独特のオーラを纏っていた。
反対側に伸びるこれから向かう道のりは、これまでより明らかに険しく、「国家憲兵」から転じて「行く手を阻む者」という意味を持つジャンダルムが、その名の通り大きく立ちはだかっていた。

我々も記念撮影をしたり、景色を撮ったり眺めたりして、朝日が出てくるのを待った。5時8分。朝日が昇り、おお、というざわめきとシャッター音が山頂にこだまする。
30歳前くらいの男性(Mさんとする)に槍ヶ岳方面をバックに写真を撮ってもらうように頼むと、これからどちらに向かうんですかと尋ねられた。Mさんはジャンダルム越えは初めてで、心もとないので一緒に行きませんかとのことだった。それは我々も一緒だったので、行動を共にすることにした。
「西ホへ→」のペンキに背筋がゾクッとするような緊張感を感じながら、日本最難関の一般登山道へ足を踏み入れた。

○奥穂高岳~ジャンダルム
奥穂高岳を出てすぐに出くわすのが、最初の難関である馬の背である。尾根が切り立っておりとても高度感がある。満足な足がかりがないところでは、手がかりを信用して腹ばいになり、ズルズルと下りた。そのあとのトラバースも角度があり足がかりが細く、慎重を要した。
渋滞しており、前の人を見ながらゆっくり進めたため、恐怖感は弱かった。
その後もこれまでとは比較にならないほど難易度が高い岩稜が続く。よくここをルートにしようと思ったものだと呆たくなるほど傾斜のある岩場、全ての岩を疑わねばならないほど多い大小様々な浮き石。一挙手一投足に気を配って進んだ。どこも難易度が高く、ロバの耳がどこかはよく分からなかった。我々が奥穂高岳山頂にいた時ジャンダルム山頂にいた人は、暗いうちにこの馬の背やロバの耳を超えて行ったのだろうが、私にはとてもそうしようとは思えない。

ジャンダルムは、向かっていくときに見える岩壁は難しく(クライミングルートが拓かれている)、半周トラバースした方に簡単なルートの登り口がある。付近には1坪ほどの平らな場所があり、荷物をデポしておける。日焼け止めも塗れるし服も脱げる。
Mさんはトラバース中に外付けのボトルを登山道から10mくらい下に少し落としてしまい、スリングで作った簡易ハーネスを装着し、山本が確保して取りに行った。ボトルには穴が空いてしまっており、中身はなくなっていたが、ゴミは減った。良かった良かった。自分も気をつけないと。
山本と谷口はザックを背負ったまま、金丸とMさんはスリングや最低限の貴重品のみを持ち、山頂へ向かった。ここからは道がちゃんと1人分あり、比較的容易に山頂に達することができる。
ジャンダルム山頂には10人程度の人がおり、中には先述のクライミングルートを登ってきた人もいた。天使のプレートや山名板を持ち、狙いの山をバックにするよう、ちょろちょろ動きながら写真撮影をした。
奥穂高岳方面を見ると、到底道とは思えないような岩壁に人がへばりついていた。よくあれを下りてきたものだ。逆側には変わらず険しい道のりが、すっと端正な姿をした西穂高岳まで伸びているのが見えた。まだ先は長い。しばらく景色を堪能して、同じ道を戻った。

○ジャンダルム~天狗のコル
ここからは天狗のコルに向けて標高を大きく下げていく。地図上では淡々と下るルートだが、尾根から外れて下った後登り返すこともあり、次第に強くなってきた太陽光線も相まって体力的を消耗する。15kgを背負ってやるもんじゃないただのフリークライミングのような場所もあって気が抜けず、精神的にもきつい。
ロープで繋がれたパーティーがそこそこおり、落石起こしそうで危ないのではないかと思ったが、結局最後までそれによる落石はなかったので、気をつけていればそうでもないのかもしれない。

ジャンダルムから1時間ほどで、やっとのこと天狗のコルにたどり着いた。ここから岳沢ヒュッテに下るエスケープルートがある。上部はつづら折りになっており、これまでの道よりは歩きやすそうだ。岳沢ヒュッテのブログを見ると、ちょうどこの日に「天狗のコルまで散歩に出かけた」と書いてあったが、散歩気分で来られるところなのか……?
休憩中、ウエストポーチに入れておいたペットボトルをしまう際、誤って落としてしまった。あーあやってしまった。人のいない方だからまあいいか。あまり難しい場所に落ちた訳ではなかったので山本が取りに行ったが、穴が空いてしまった。その場で出来るだけ飲み、後はザックの中のペットボトルに入れた。

○天狗のコル~西穂高岳
この後の登りが、登りでは個人的には1番怖かった。手がかりが甘い上、ほとんど垂直に近く、ヘルメットとザックが邪魔でちょうど良い手がかりを探すのに苦労した。昨日のような風があったらとても登れたものではなかっただろう。
なんとか登り切った天狗岳山頂でも一休みした。2909mの山頂から、間ノ岳(2907m)、P1(約2900m)、西穂高岳(2908.8m)が、角度を変えてほぼ同じ高さに見えて面白い。

ここからしばらく下ると逆層スラブがある。足をひっかけられるところがほとんどなく、鎖とフリクションをだけを頼りに下らないといけないところもあった。鎖が無かったり、岩が濡れていたり凍っていたりしたら、通過は厳しかったと思われる。
振り返ると、下ってきた場所だけでなく、この斜面全体が逆層スラブになっていた。この岩山の縦走路の中で、ここだけこのようになっているのは面白い。

間ノ岳への登りにも、垂直に近く緊張を要する箇所があった。不安な気持ちで渋滞待ちをしている傍に咲いていた黄色い花に勇気づけられて岩にしがみつく。
間ノ岳山頂は狭く切り立っており、登山道も山頂を経由していなかったため立ち寄らなかったが、登山道脇の岩に「間ノ岳」と小さく書いてあった。間ノ岳からの下りは特に浮き石が多く、大きな岩でも信用できない。一歩一歩確かめながら慎重に下る。
赤岩岳でも小休止。西穂高岳の標柱と、そこに立つ人々がはっきりと見えてきた。暑さと疲労で集中力が切れそうになるのを、気力でなんとかつなぎながら、依然浮き石の多い道を下っていく。
父が大学生の時、冬季にこのコースを踏破していたことを思い出して、雪がついていれば浮石はマシかもね、という話をしたら、それ以前の難易度が無雪期とは比較にならないだろうと総ツッコミを受けてしまった。私も全面的に同意である。この話を父にしたら、「あの頃は若かったからね」とのことであった。まだ当分は父の背中を追うことになりそうだ。

P1には、今朝中の湯を出て奥穂高小屋を目指すという若者がいた。彼は南岳小屋に立ち寄り、大キレットノートにその正気でない事実を書き込むのだろうか。そういえば今年は正気な登山者しか書き込んでいなかったなあ。そんなことを考えながら最後の急登を終えると、20人以上の人であふれた西穂高岳山頂に着いた。
難所に次ぐ難所、絶景に次ぐ絶景。そんな日本最難関の一般登山道を、無事通過することが出来たことを4人で讃えあった。振り返ると、今にも崩れ落ちそうな岩々が積み重なったジャンダルムが大きくそびえ立ち、その山頂はガスに包まれようとしていた。ちょうどいいタイミングで通過できたなあ。

○西穂高岳~西穂山荘
ここからのルートはグレーディングDとなっている。ところどころある岩場はジャンダルム越えの通常地帯くらいの難易度だが、浮き石は格段に減った。また、ピークを巻く水平な道が整備されており、そのような気の利いた道を作れるだけなだらかなところまで下りてきたのだという実感が湧いた。
西穂高岳は山頂を主峰として、2峰、3峰と13峰までギザギザと峰が続いている。巻く峰も多いが、山頂や登山道脇の岩に数字がペンキで大きく書いてあるので、何峰だか分かるようになっている。大きいピークには名前が付いており、4峰にはチャンピオンピーク、8峰にはピラミッドピークと書かれた標柱が立っていた。だらだらしていて今よりも混むと嫌なので、標柱の写真だけ撮って先へ進んだ。

しばらく進み、11峰の西穂独標で休憩した。西穂高岳を構成する13のピークの中でも、主峰に次いで立派なピークである。目の前には2年前に歩いた道が、反対側にはそのとき強い憧れと共に眺めた景色が、同じようにそこにあった。
西穂山荘からここまではグレーディングCとなっており、往復2時間半で来られるため、ここまでで折り返す人も多いのだろう、山頂は人でごった返していた。ヘルメットをしていない人や子供も多く、ほぼ安全地帯まで下りてきたことを実感する。安心して油断したのか、水の入ったペットボトルを忘れていきそうになってしまった。どうりでヘルメットを外してザックに入れたのに、やけに素直に荷物が収まると思った。

独標直下の岩場を超えると、もうほとんど危険な場所はない。足運びを気にせず雑に歩いても足を置けるし、落石も起こさないのは素晴らしい。しかしそういうところなので人は多く、しかも初心者の割合が増えたことで渋滞はさらに酷くなった。直射日光に晒される時間が長くなるだけ暑さで体力が削られる。

西穂山荘に着くと荷物を下ろし、下界まで下りてきたことを4人で改めて讃えあった。時間はあるので長い休憩をとることとし、私と山本は名物の西穂ラーメン(900円)を食べた。山での食事に慣れた我々には、味玉とチャーシューがとてもおいしく感じた。下界の味だ。谷口はぺったんこに潰れたパンと行動食を食べ、パンうめ~~と言っていた。
しばらく座って休んだ後、ロープウェイへ向かった。

○西穂山荘~新穂高ロープウェイ西穂高口
ここからもなかなか渋滞が酷かった。しかし樹林帯に入ったため暑さはマシになり、歩きながら雑談が出来るようになったので、野球の話や他に行った山の話をしてゆっくりと歩いた。

ロープウェイ駅付近には登山の格好ではない人もいた。そうなると途端に、3日以上風呂に入らず野外で運動をして、異臭を放つようになった自分の臭いが気になってくる。ロープウェイ駅脇には水場があったので、それで顔を洗った。火照った体が冷やされて気持ちいい。何度か顔を洗ったが、額から落ちてくる水はまだしょっぱくて、美味しかった。
階段を下りていき、切符を買おうと千円札を機械に入れたところ、ウイーンと返されてしまった。どうやらお札が乾き切っておらず、認識されづらかったようだ。何度かチャレンジしてなんとか認識してもらい、切符を購入して無事ロープウェイに乗り込んだ。
それにしても文明の乗り物はすごい。西穂高岳山頂からロープウェイ西穂高口駅までに相当する標高差850mを7分で下りてきてしまった。こっちは2時間半かかったのに。
ロープウェイの中からは、そのギザギザとした稜線が、ガスに包まれ消えようとしているのが見えた。

○下山後
Mさんは岐阜市付近に住んでいて、途中の平湯温泉まで車に乗せてくれると申し出てくれたため、ご好意に甘えることにした。ロープウェイ白樺平駅から歩いて20分くらいのの駐車場まで歩き、平湯温泉のバスターミナルなで送ってもらった。奥穂高岳山頂からお世話になったMさんには頭が上がらない。今日は岐阜に頭を向けて寝よう。

平湯温泉では私はいつもバスターミナルの建物の温泉を利用していたが、山本と谷口の勧めで、2分ほど歩いてひらゆの森へ行くことにした。お値段は500円とリーズナブル。大型の荷物を預けて置ける場所はないが、フロント付近に置いておける。広々とした休憩所の他、食べ物、飲み物の自販機があってゆっくりできる上、宿泊施設もあるため、帰りたくなくなった時も安心だ。お土産もバスターミナルより規模は小さいが売っている。
貴重品と着替えを持ち、長い廊下を抜けて脱衣場に入る。服を脱ぐと自分たちが臭いのがよく分かり、こんな不清潔な人間がいることに申し訳ない気持ちになる。貴重品ロッカーの100円は帰ってこないため、全員分の貴重品をまとめて入れておいた。
さて、いよいよ3日間我慢したお風呂とご対面である。洗い場、内湯は30人入れる大容量。もちろんボディーソープとリンスインシャンプーは付いている。サウナと水風呂、給水器もあり、整いオタクもニッコリ。そしてその全ての印象をかっさらっていくのが露天風呂だ。非常に広い敷地に、温度、湯船の材質、泉質が違う7つの湯船があって、どれも広々としていた。バスターミナルの温泉も広いが、さすがにこれには勝てない。ここまで歩いてきた甲斐があった。
ともかくまずは洗い場で顔の汚れの残りと、3日分の全身の汚れを洗い落とす。汚れのついでに山コミュ力も落としてしまったらしく、シャワーの管で隣の人のシャンプーを落としてしまったが、ッス…とだけ言って戻してしまった。その後は内湯から始まり、広い露天風呂の湯船を次々と試し、最後は水風呂まで入って久々の風呂を満喫した。
今回は温泉に入りに来た訳ではないので、荷物削減のため色々なQOLアッパーを置いてきている。タオルは日本手ぬぐい1枚のみだし、登山靴の代わりに履くサンダルも持ってきていない。着替えは一応下着だけ1セット持ってきたが、上着は3日間着通したものしか持っていない。お風呂でリセットされた鼻にはこれが非常に不快に香るが、仕方の無いものは仕方がない。
上がった後は畳敷きの広い休憩所で、バスターミナルに向かう時間まで休憩した。西穂山荘ではラーメンを食べたので我慢したアイスを欲望のままに買い、ほおばる。うめ~~。

ここで谷口はちょうど旅行中だという親に迎えに来てもらった。山本と金丸は日曜日の終バスに乗ることになるので、乗れないことを危惧して時間の30分弱前にバス乗り場に向かった。しかし並んでいるのは10人弱しかおらず、もうちょっと浸かっていれば良かったなあと思った。しばらくして時間通りにやってきた高速バスに乗り込んだ。トランクに大きなザックが乗客数の半分以上入っているのは、流石平湯温泉である。車窓からは、3日前に荒々しく波打っていた田んぼが、穏やかに緑を湛えているのが見えた。
松本駅で電車を待っていると通り雨が降り始めた。上で降られなくて本当に良かったなあと思った。日曜日の緩やかな帰宅ラッシュでやや混雑したホームに滑り込んできた、甲府行きの電車に乗り込んだ。金丸は学割で実家の甲府まで、山本は18きっぷで東京まで。山本はこれが終電で、最寄りに着く頃には日付が変わると言う。大変だった山行を締めくくる大変な電車旅が始まった。

■感想(以下、文責:山本)
・天候とメンバーに恵まれ、2年越しで念願のジャンダルムにたどり着くことができて最高。初日の修行を耐えた甲斐があった。
・快晴のジャンダルムから北アルプス全域を見渡した時、表銀座・裏銀座などこれまでの山行が懐かしく思い出され、北アルプス総集編感があった。
・雷鳥の公式記録にジャンダルムを加えることができてうれしい。大キレットは数年ぶり、ジャンダルムは初めてになるのだろうか。
・大キレットもジャンダルムも想像の範囲内の難易度の岩場で、評判ほど怖くない。YouTubeにアップされている西穂~奥穂の動画を見てもビビる必要はない。
・北アルプスの岩場縦走はスリルとスケールが楽しい。今後は後立山縦走、ジャンダルム逆ルート(西穂→奥穂)、今回逃した快晴の大キレットを狙っていきたい。

■大キレットについて
・あくまで一般登山道の範疇であると感じた。ホールドもスタンスも安定しており、難しいと感じる箇所はなし。
・難所を挙げるとすれば、馬ノ背(狭いリッジ)、飛騨泣き(一歩目が鉄杭とステップ頼り)、各所下降(落石)だろうか。
・大キレットよりも北穂~涸沢岳の方が難しい印象を受けた(特に滝谷ドーム鎖場の下降)。とはいえ大キレット通過後に悪天候が予想される場合は、北穂高小屋での小屋泊を選ぶことができる。
・高度感を楽しめる晴天時に歩くべき。ガスっていると岩場を淡々と突破するだけで、せっかくの縦走感に欠ける。
・雨天時は岩場が滑りやすく危険。風については、吹き曝しのリッジが少ないため風速10m/sくらいまでは強行できるように感じた。今回は風速5m/sほどで、風に怖さを感じる場面はなかった。槍ヶ岳の梯子の方が風に振られて怖かった。
・荷物はテント泊装備で問題ない(わざわざ小屋泊にしなくてもよい)。登攀時に振られたり、下降時に岩場に引っかかったりすると危険なので、荷物は50L程度には収めたい。
・行動は早めに終了したい。天候が悪化すると危険であること、小屋(南下:穂高岳山荘、北上:槍ヶ岳山荘)の幕営可能数が少ないことが理由。
・大キレットを禁止している大学山岳部もあると聞くが、やや厳しい印象。雷鳥もその危険性を理解した上で、一般会員が無理なく大キレットに通える水準のサークルであり続けてほしいと思う。

■奥穂高岳~西穂高岳について
・バリエーションルートとまでは呼べないだろうが、登攀の難度とは別種の危険性(落石、悪天候、熱中症、縦走装備、行動時間など)に満ちていることは間違いない。
・確保が必要だと感じる場面はなかったが、大キレットより確実に難しい。鎖や梯子が少なく、落石や浮石が多い。
・保険としてお助け紐と簡易ハーネス用のスリングがあると便利。ただし、そもそも確保しないと突破できない人間はこのコースに足を踏み入れるべきではない。
・奥穂からの南下コースがおすすめ。暑く長い体力勝負の1日になるところ、最大の難所である馬ノ背を序盤に迎えられるからだ。
・悪天時は極めて危険。滑ると即滑落の岩場が無数にある。
・馬ノ背はホールドが細かく、スタンスも遠い。すれ違い不可の狭いリッジで、確保も出来そうにないので、怖ければ大人しく引き返そう。
・ジャンダルムは○印に従って登ると容易。クライミングルートもそれほど難しくないようなので、次回は登攀具を持参してそちらから。
・逆層スラブは圧巻。この規模の逆層を見られるだけでも歩く価値がある。登山靴ではフリクションが効かないため、鎖に頼らざるを得ない。雨天時の下降は特に要注意だろう。
・天狗沢のエスケープルートはザレ場の落石が怖いが、歩けなくはなさそう。初夏は雪渓が残っていると厳しいかもしれない。いずれにせよエスケープは存在しないという覚悟で臨みたい。
・参加メンバーにはバリエーション山行の経験と、連日の10時間行動に耐えうる体力を求めたい。
・想像以上に人が多く、馬ノ背など数ヶ所で待つ羽目になった。若いアルパインパーティーから高齢の危なっかしいガイド登山パーティーまで様々な人が入っていた。これだけ多くの人が入っていると毎年死亡事故が発生していることも理解できる。
・今回はOBと院生2人で歩いたが、今後は足の揃った現役生パーティーが続いてくれると期待。雷鳥もジャンダルムに定期的に通える山岳サークルになると素敵だなと(危ないですが)。

■反省
・強い雨にはザックカバーだけでは立ち向かえない。防寒具やシュラフなど濡らしてはいけない装備には防水対策をしておくとハッピー。
・岩場にビビって軽量化を頑張った結果、防寒具が足りず南岳小屋で寒さに震えた。3,000m峰で雨に打たれ風に吹かれると相当寒いので、防寒具はケチらず持参しましょう。
・岩場縦走時の荷物外付けは慎むべき。岩に引っ掛かって自分が危ないだけでなく、外付け荷物を落とすと落石と同様に他者に危害を及ぼす可能性がある。
・棒ラーメンは一人前分の水で二人前調理できる。二倍の量の水を飲むのはつらい。特にソロ山行では気を付けたい。

■メンバーより一言
□谷口
三日目の朝、朝日を浴びるジャンダルムを正面に、両側が鋭く切れ落ちた馬の背を進んだときの、緊張感、高揚感、爽快感は格別だった。あの気持ちを再び味わいに、今度は穂高岳山荘からジャンのピストンも悪くないとすら思う。
南岳から西穂高岳までの岩稜は、全体を通して、滑落よりもはるかに落石の危険を感じた。特に天狗のコルから西穂高岳頂上までは、トレイル上に、絶妙なバランスで急斜面に張り付く不安定な岩が多く、いかに落石を起こさないか、いかに他人の落石を早く察知するかにかなり気を使った。
以前から1つの目標としていたルートを、山本と金丸と歩き、その感動と達成感を共有することができて本当に良かった。
ジャンダルムには登頂することができたが、北アルプスにはまだまだ行っていない魅力的な山やルートが残っているので、また来年以降、1つずつ大切に登っていきたい。

□金丸
ずっと行きたかったルートだったので、無事踏破することが出来て感無量です。自分には難しいかと思っていましたが、意外とどうにかなりました。皆さんもぜひ、少しだけ勇気をだして、今の自分よりちょっとステップアップしたことにチャレンジしてみてください。不安なら強そうな人について行きましょう。まだ若いうちに……。