2019/11/10 吾妻耶山・大峰山

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
吾妻耶山・大峰山 山行計画書確定版(11月9日)
作成者 木下

□日程 11月10日(日) 日帰り
□山域 水上・谷川連峰前衛
□在京本部設置要請日時 2019/11/10 1900
□捜索要請日時 2019/11/11 0900

□メンバ(計5名)
CL木下 SL川瀬 寺垣 平岩 岩瀬

□地図
■2万5千図 「猿ヶ京」
■山と高原地図 「谷川岳」
□行程
 群馬サイクルスポーツセンター駐車場0830
→大沼越0910
→大峰沼0930
→鳥居平0950
→赤谷越峠1020
→吾妻耶山最高点1050・1100
→吾妻耶山三角点1105
→赤谷越峠1140
→大峰山1205・1215
→大沼越1315
→大峰沼1335
→上牧駅1515
 [歩行計6時間25分]
□エスケープ
 大沼越、大峰山、赤谷越峠、鳥居平の各方面から大峰沼を経て上牧駅へ
 群馬サイクルスポーツセンターに人や車の出入りがある場合は引返すことも検討

□集合
 上毛高原駅0800
□交通
※上毛高原(上越新幹線)と後閑(上越線)の間で選択乗車が認められているので、上牧までの往復乗車券を購入すれば、上毛高原での(途中)下車が可能です。距離が短いので往復割引にはなりません。
 参考:旅客営業規則第2編第4章第2節
  https://www.jreast.co.jp/ryokaku/02_hen/04_syo/02_setsu/03.html
  https://www.jreast.co.jp/ryokaku/02_hen/04_syo/02_setsu/06.html
■行き
・新幹線
 たにがわ401号 東京0636・上野0642・大宮0702→上毛高原0754 ※乗り遅れ注意!
  山手線内→上毛高原2640円(学割可) 新幹線自由席料金2640円 東京発210円増し 指定席530円増し
・タクシー
 上毛高原駅→群馬サイクルスポーツセンター 20分 3000円(x1.5程度ジャンボ割増?)
  関越交通タクシー沼田営業所 0278-24-5151 配車予約済み
■帰り
・上越・高崎線・東北
 上牧1426/1559/1653/1750/1850/1939
→東京1738/1855/2000/2100/2200/2251
  上牧→山手線内2640円(学割可)

□共同装備
■救急箱(苺):川瀬
□個人装備
■ザック ■登山靴 ■替え靴紐
■カッパ ■スパッツ ■防寒具
■ヘッドランプ ■予備電池 ■レスキューシート
■水 ■行動食 ■非常食 ■ヴィニル袋
■帽子 ■手袋・軍手 ■日焼け止め (■サングラス)
■タオル ■トイレットペーパ・ティッシュペーパ ■新聞紙
■地図 ■コンパス ■筆記用具 (■ラジオ)
■計画書 ■遭難対策マニュアル(緊急連絡カード含む)
■学生証 ■保険証 ■現金 ■ライタ ■常備薬
■風呂セット (■着替え) (■カメラ)

□温泉
 上牧温泉風和の湯
  20時まで 600円 0278-72-1526

□遭難対策費
 100円/人*5人
 計500円
□日没日出
 11/10日没(宇都宮):1636
 11/11日出(長野) :0620
□ラジオ周波数
■NHKラジオ第一:東京594kHz
■NHKラジオ第二:東京693kHz
■NHK FM:東京82.5MHz/沼田83.4MHz/榛名80.5MHz
□警察署電話番号
 群馬県警 沼田警察署 0278-22-0110

吾妻耶山・大峰山 記録
 12月30日 木下 作成

□日程 11月10日(日)
□天候 晴
□メンバ
CL木下 36期 M2
SL川瀬 38期 B4
・寺垣 36期 OL
・平岩 37期 OL
・岩瀬 40期 B2

□計画
 群馬サイクルスポーツセンター駐車場0830
→大沼越0910
→大峰沼0930
→鳥居平0950
→赤谷越峠1020
→吾妻耶山最高点1050・1100
→吾妻耶山三角点1105
→赤谷越峠1140
→大峰山1205・1215
→大沼越1315
→大峰沼1335
→上牧駅1515
 [歩行計6時間25分]

 □実行程
オーダは概ね、岩瀬-川瀬-平岩-寺垣-木下
 郡馬サイクルスポーツセンター駐車場0825
→大沼越0906
→大峰沼キャンプ場跡0926・0936
→吾妻耶山1042・1105
→大峰山1152・1210
→大峰沼キャンプ場跡1258・1320
→風和の湯(下山)1439

□概況
■計画
 このところ特集している上越線の山、これまでは越州の低山ばかり歩いていたが、今回は上州の山を選んだ。吾妻耶山、大峰山はこのあたりで名低山と言われることも多く、アクセスもさほど悪くない。表情の異なる二山と美しい沼とが楽しめる充実したコースだと思う。しかし紅葉シーズンの日曜日でも山中で会った人は数人だったから、混むことは殆どないのだろう。今回のように日帰りにちょうど良いコースタイムではあるが、やや遠出になるため、当初は前日に三国山を歩き猿ヶ京温泉に泊まる二日の計画を考えていた。その場合、「越後湯沢まで新幹線、西武クリスタルまでバス、三国山から旧街道を永井または法師温泉まで歩き、コミュニティバスで温泉へ」「温泉からタクシーで仏岩林道、南ヶ谷林道、またはサイクルスポーツセンターの登山口へ、吾妻耶山・大峰山を歩いて上牧へ」という二日間になろう。猿ヶ京温泉は小さく地味な温泉郷だが宿は多く、安く味のある民宿も何件か探せるようだ。
 今回はメンバの都合により日帰りにした。沼を朝夕二度見られれば色が違って面白いだろうかという期待と、最も眺望のありそうな吾妻耶山に午前中に達したいという思惑から、上記計画にしたが、鳥居平から吾妻耶山へのスキィ場内は当然降りの方が景色が良く、急なゲレンデの登りはしんどかった。吾妻耶山頂は木が多いため眺望はさほどのものではなく、当日は午前中やや低いところに雲が多かったこともあって、期待したほどの景色ではなかった。雲を被った谷川岳には雪が付き、中段の紅葉・落葉と麓の針葉樹林とで三段染め風にはなっていた。雲は午後になるほど晴れていったので、谷川岳方面は帰りの上牧駅ホームからの方がよく見えた。
■ルート
 上牧駅から大峰沼までは歩けるし、他の登山口も水上駅や上毛高原駅からタクシーですぐ。上毛高原からサイクルスポーツセンターまでは2490円だった。東側の大峰沼の駐車場でなく西側のサイクルスポーツセンターに向かってもらうように注意、「大峰峠」はあまり通じないらしい。タクシーは普通車でも乗客5人まで(合法的に)乗れる仕様になっていた。
 サイクルスポーツセンターは正体のよくわからない施設だが、自動車好きがサーキットコースを走れるのか、駐車場には朝早くからお客がいて、エンジンを吹かす音が大峰越周辺までうるさいほど聞こえた。駐車場から林道を道なりに進んでいくと右へ分岐し、更に先で登山道を右に分ける。それぞれ道標があるのでよく見ていれば問題ない。なお入山する途中で進入禁止のゲートがあり、脇をすり抜けなければならない。サイクルスポーツセンターからの道はさほど歩かれていないらしく、台風の後だったこともありぬかるみが多かった。また大沼越の手前はルートのはっきりしない急登になっていた。
 大きな沼はいくらか観光地らしく案内板があり道も歩きやすくなっているが、静かでよいところだ。黄葉した落葉松が美しい(植林されたものか?)。沼を周回する道は途中が崩落したまま通行止めになっているらしい。少し開けたキャンプ場の跡地にロッジが建っているが人影はなく、便所は封鎖されていて使えなかった。
 沼から先、暫くは歩きやすい道だが、ゲレンデに入ると長い急登。ゲレンデ上端から急な山道をさらに登ると吾妻耶山頂に達する。山名にもかかわる立派な祠が三基。細い木が多いのでぐるりの眺望ではなく、またさほど広くもないので(我々のような人数の)先客がいると休みづらい。大峰山に向けて西側の稜線に渡ったところが三角点ピークのようだが、三角点の標石には気づかなかった。
 大峰山への縦走はややアップダウンが多い。丸く大きな吾妻耶山に対して、赤谷越峠を過ぎるあたりから大峰山のエリアは岩がちの痩せた尾根になる。大峰山頂は長い稜線の中で最も高く大きなひとコブにすぎず、山頂標は道の真ん中のようなところに現れる。このあたりには電波塔や「展望台」やといった人造物が多い。大沼越へ向かう途中の「キレット」には長い長い急階段がついている。あまり長いので登りは尻がヘトヘトに疲れてしまう。鉄の手摺りが冷たいが落ちるのは怖いので離せない。
 大峰沼に戻り、上牧駅へ降る道はさほど歩かれていない様子。地図上では山への表参道のような道だが、多くの登山者はマイ・カーで来て、南側の「大峰沼登山口」駐車場から出入りするのであろう。「分水不動」は立派なものであるし、下界に出て農家の家並みも美しく、やや長いが悪くない道だ。人家が見えてくるあたりで獣害防止の電気柵が道を塞いでいたが、(道の上は)通電していないらしく、繋目を外して通ることができた。関越道をくぐり国道を渡った先で駅への道を人家の間に失ってしまうが、利根川へ降りていく方向にまっすぐ進めば問題ない。家の裏道のような急坂と右へ回り込んだ遊歩道とは合流して、急な降りで橋に出る。渡った先がすぐ風和の湯、駅まではさらに5分か10分かというところ。付近に喫茶店や食堂はなかった。

□反省
・山にお喋りしに来ている訳ではない、視野を広く持ち、歩くことに集中すべし
・歩くときは地図などを手に持たず両手を空け、また必ず帽子を被るべし
・山と高原地図は事前調査のための参考書に過ぎない、山中では必ず地形図を参照すべし
・道が見えないときは高い所へ上がる、明確な意思疎通なく隊から離れない、地形の大まかな推移は予め頭に入れておく、などいつも基本に忠実に行動すべし
・雷鳥の山行記録は、特に自分が参加した山行や次の予定と同じ山に関する過去の山行のものは読んでおくべし

□雑感と余談
■上越線と上越国境
 郡馬北部から魚沼にかけての魅力的な山々を何と呼ぶべきか。山域を細かく分けて「水上」「三国山脈」「南魚沼」とするか、まとめて「上越線沿線」とでもしようか。上越線並びに上越新幹線は上州と越州を結ぶことから両者の頭文字をとって命名されたものであり、従ってこの地域や山域を単に「上越」と呼称するのは本来適当でない、上越国境を越えた先は中越地方なので。
■山と経済
 これは木口さんに天王岩のことを教えてもらって考えたこと。
 駒場にいたころ農学部の出前授業で秩父の山に行き、山の価値はどう評価されるかという話を聞いた。具体的な内容は忘れてしまったが、林業や狩猟といった地元の人の生業の場として、あるいは水を貯え浄化する装置として、また趣味的登山者らを集める観光資源として、というようないくつかの価値基準が考えられるというようなことだった。僕はそれを聞いていささかの反発を覚え、地元の人の心の拠りどころとして、また山を志す人のあこがれの対象として、数字で計れない「価値」もあるべきだという発表をした気がする。
 しかしこれは、少なくとも趣味者たる我々が言うのでは単なるエゴにすぎない。地元の人にとって、また当の山にとっては、余所者が勝手な興味でやって来て、森を歩きまわって、知らぬ間に帰って行く、というだけである。だから持続的に山を志すならば、山の旅をする上では、極力、山の村で風呂に入り、飯を食い、宿をとり、せめてバスやタクシーを使い、すなわち山の足下に正しくお金を落としていくことが、山に対する礼儀ともなろう。山と人間とはあるレヴェルでは相互的な関係を持つものであり、また山は間違いなくその村のものであるから。
 自らを省みれば、幼い理想主義や原理主義にとって実際的な経済は何となく汚く見えたものだけれど、そのシステムの中で生きる限り、ある程度積極的に参画して、正しくお金を使うということが、オトナの山なのであろう。JRやモンベルやさかいやにばかりお金をかけるのではなく、つまり山をやる自分達=趣味的侵略者のことばかり考えるのではなく、真に山を、そしてその村を愛するということが。
■山の記録
 雷鳥の山行記録は何のため?意味あるの?という話。山行記録の価値や意義については二年生の時の記録(曽爾高原ハイク)にも思うことを書いたけれど、よりシンプルに。山岳愛好会雷鳥は、山岳を愛好する人がそれぞれ勝手に山へ行くために装備と保安システムを共有する場、ではないんじゃないか。どの山行もあくまでも「雷鳥の活動」として認められた公式なものであって、会員全員の参加は物理的に不可能であってもその活動を共有する努力はしなければならないというところに、計画書による事前承認と記録による事後報告の義務が生じるんじゃないか。
 山へ出掛けて身体を運動してああ楽しかったね、で終わらせてしまっては、個人プレイの運動部になってしまう。山って文化活動であるべきはずじゃないの、と僕は思います。

□結び
 学士を得てなお度々、大学のサークルである雷鳥の世話になるわけにもゆかぬので(年寄りが関わるのは見苦しいですからね)、修士号取得見込みのこのあたりで一区切りとするつもりです。この先さらに3年間は東京で(?)学生をやっている予定なので、overageな皆様は山にご一緒してください。また前途有望な学徒への投資はどんな形であれ歓迎します。

------------------------------

今度も岩瀬くんに、気合の入った紀行を書いてもらいましたので、以下に収めます。
(12月21日木下受領)

 各自上越線新幹線に乗車して集合。上毛高原まで誰とも合流することなく運ばれていると、せっかくの新幹線の旅で爆睡してしまった。危うく寝過ごす所だった。
 駅に降りるとメンバーの顔が見られて安心する。上毛高原駅改札内に顔はめパネルが設置してあったが駅員のイラストの背景は上毛高原らしさゼロなデザインであった。改札を出て、寺垣さんが駅弁ガチャを回す。中身は山頂で開けて確かめることに。僕は峠の釜飯と予想。
 タクシーでサイクルスポーツセンターの駐車場まで。スポーツ用らしき道の上を渡ったりくぐったりして植林したての道に出る。若い木でも紅葉しているのが可愛らしい。登山口まで曲がる角には大きな“畑”が広がっていて、太陽をたっぷり浴びようとパネルが沢山広がっていた。
 登り始めると、若い木だけしかないため雨滴侵食が強く、ぐちゃぐちゃの道。大沼越までは急で暗い人工林を登る。大沼越を越えると明るくなり、大峰沼まで下っていく。下っていく最中、大峰沼が見え始めたが、空の雲を映し出していたのか、まるで地面がそこで途切れ空の上の地面を歩いているようだった。沼畔に着くと、空の雲赤と黄色に染まった反対の沼畔が水面に映って心が和む。風がほとんどなく水面は静かだ。上はまだ木について赤い紅葉、下は落ちてカサカサの落葉、秋を目と耳で楽しむ。湖畔で少し休憩して吾妻耶山を目指す。
 鳥居平には一本鳥居が建っている。鳥居の上の横棒が一本ない。何度建て直しても、壊れて一本になるという伝説があるそうだ。確かに壊れた沓石や石柱、額束が転がっている。
 しばらくするとスキー場に出る。毎年(?)雷鳥はスキーに行っているそうだが、皆計画のモチベーションがなく今の所計画はない。亮平さんは人工的に作られたアクティビティが好きではないらしく、スキーはやらないらしい。スキー場は人間の手で切り開かれて森林が破壊されているようなイメージの人もいるが、春から秋にかけての雪のないスキー場は非常に生物の多様性に富んでいて、僕は好きだ。シーズンになれば綺麗な花が咲く。小さい頃夏のスキー場をバッタや蝶を追いかけて走り回っていたのが懐かしい。急なゲレンデの前に来ると亮平さんに坂道ダッシュを唆され勢いをつけて走り出す。最初こそ足が動いたもののいざ登ってみると下から見上げる以上に急でどんどんペースは落ちていく。ダッシュの目標地点の半分くらいのところで腰をおろしてしまった。結局休み休み走り登ったが、コースの角度が変わって目標地点の先にも坂が続いていて萎えた。それでも後ろを振り返ると、山並みが見下ろせて少し回復した。残りのメンバーが上がってくるのを息を切らしながら待つ。リフト降り場のところで集合して、4人で急坂の淵でジャンプしている写真を背中から亮平さんにとってもらう。撮影後の立ち位置がまるで四人の生徒と引率の先生のようだった。
 吾妻耶山頂上に着くと、谷川連峰に雪がついているのがわかる。雲がかかっていたが、景色が見られて何より。そろそろ雪と戯れたくなってきた。各々昼食を食べる。僕は水筒に入れてきたお湯をカップヌードルに注いで食べた。平岩さんが芋羊羹を持って来ていてみなさんに配っていた。かなり大きく、見た目は石鹸のようにのっぺりしている。(ボリュウミィだったので僕はあとで頂こうと言っていたら結局食べることがなく山行は終わってしまった。)
美味しかった、そうだ。
 紅葉の道を進み大峰山へ。特に展望はないが葉っぱはないので木々の隙間から景色は見える。これこそ秋と冬の山歩きの醍醐味の一つだろう。山頂には蛾がたくさん飛んでいた、たくさん。山頂から少し進んだところに展望のない展望台が設置してある。折角だから登ってみるが展望は、ない。なんなら展望台の真正面に木が生えているし、下に降りた方がまだ景色が見える始末である。更に進むとテレビ局の施設がある。「こちら大峰山です。こちらの気温は、」という中継をしてもあまり役には立たないだろう、などと話す。
 稜線の途中に急激に陥没したところがあって長いハシゴが下りと上りで設置されている。大嶺沼畔からみた時にもすごく急に思ったが、実際に降りて登るとより急に感じた。
 大沼越に戻って来て再び大峰沼に降りていく。デジャブの反対が存在するのか知らないが、この道通ったっけ?と思いながら下った。午後になって陽の当たり方が違うので沼に映る景色もまた違う顔を見せる。本当に静かだ。一度目に来た時と同じ場所で休憩。ベンチに座って平岩さんが持って来てくれたお湯とスープの素で温まる。ふと、何かが降ってくる。また、降ってくる。隣に座る川瀬さんの頭の上にも降ってくる。何かと思えば松の葉であった。囲んでいた机に松の葉がびっしり。「うわっ、松だらけじゃん」と僕。「松だらけって松平健に似てない?」という亮平さんの一言。爆笑、爆笑。みなさんも口に出してみていただきたいが、松だらけと松平健は似すぎている。松平健の名を聞いて、徳川吉宗は別に暴れん坊将軍である訳はない、から始まって、話題は大河ドラマや朝ドラの話に。今はスカーレットをやっていると言うと、「ブルーレット奥岳♪」と歌う方がいたり、戸田恵梨香が10代の役をやるのは無理がありすぎると話したり、と下りの風景はあまり覚えていない。「木漏れ日が気持ちいいなあ」と僕が言うと、松任谷由実さんの『木漏れ日』を亮平さんが歌い始めたのは覚えている。
 車道まで降りて来て温泉に向かう。温泉施設の前で亮平さんが在京に連絡している間に、今回の山行紀を誰が書くのかを決めるためにジャンケンをする。見事に負けた。実を言うと、上り始めの時から亮平さんに幾度となく「山行紀、誰が書いてくれるの?」と問われ続けた4人であったが、うまく(?)話をそらして決定から逃げて来た。山行が終わるとなって決めざるを得なくなった結果だった。
 内風呂には西日が入り込んで眩しい、そろそろ露天風呂に行くかと思って外を見ると、亮平さんともう一人地元の方が入っていた。普通なら気にせず僕も入りに行っただろうが、躊躇った。と言うのも露天風呂とは言っても1.5m四方くらいの小さな風呂で、二人入ると、残りの一人は二人の間で体が密着しかねなかったからだ。おじさんが出て行くのを待って露天風呂へ。男の露天風呂はさっき歩いて来た道から丸見えだ!しばらく温まってあがる。
 お風呂から出ると休憩室のテレビには両陛下のパレードの様子が中継されていた。アイスを食べながらぼーっとテレビを見ている。女性陣も上がって来て、アイスを食べながら、露天風呂が狭かった話をする。「いや本当にあれは男三人で詰めたくなかったですよ」と僕。「まあこのアイスは冷たいけどね」と亮平さん(正確なセリフは忘れました)。うまい!、、っのか?
うまい、のか。僕も頭の回転をよくしておかなければ。
 高崎駅で前回南魚沼の山の帰りには食べなかったホームの蕎麦屋で舞茸天そばをいただく。器も手に持っていただく。美味しかった。ホームに停車している電車が数分後に発車してしまうと言うことで急いで食べたのだが、川瀬さんがどうやら間に合わなさそうだ、と言って次に早く帰れる電車にすることに。先に亮平さんは食べ終わって別のホームに移動したが、川瀬さんも先の電車が出発する前に食べ終わった。寺垣さんは翌日朝早いとのことで先の電車でお帰りになったが、残った3人は寺垣さんを見送って、亮平さんのいるホームへ。まあ、こういうこともありますよね。
 先輩方と一緒に紅葉に囲まれての秋の登山を満喫できてよかったです。またご一緒できると嬉しいです。
 亮平さんの記念すべき山行にご一緒でき、記録を書くことができて光栄です。

#木下コメント
・山を志すならば、特に低山を愛するならなおのこと、山スキィと藪山はやるべきだと思うのですけれど、踏込む機会と勇気がなく。ゲレンデ・スキィってどうなのですか、僕の趣味と対極なマッチョな文化の臭いしかしない。
・会話は一回性のartとして楽しんでいるので、特にことばの音(オン)に乗せた刹那的な思考の飛躍は、文字に起こされるとなかなか辛いですねえ。僕の中では、とにかく自分の思考を表出させてみて、場の人が誰もついてこられなければ「可」、場の人々のレヴェルにドンピシャでウケた場合は「良」、一部の人が少し思考を拡張して理解してくれたというギリギリのセンに乗った時が「優」です。面白く言語化できなかった思考は(発話のアートとしては)「不可」。
・「記念すべき山行」と言うほどのものではありませんよ、院生になってからの山行はほとんど余興というつもりなので。雷鳥の記録にない山をご紹介できてよかった。雷鳥に記録を提出する山行はこれを最後にしようと思います、大勢来てくれてありがとう。