2022/4/30-5/1 宮之浦岳

山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
宮之浦岳計画書 確定版
作成者 河野、桐原
■日程 2022/4/30-5/1(土、日) 1泊2日、予備日なし
■目的 宮之浦岳の登頂、観光
■山域 屋久島
■在京責任者、助言者 新居
■在京本部設置要請日時 2022/5/1 19:00
■捜索要請日時 2022/5/2 6:00
■メンバー(3人)
CL河野, SL渡邉, 桐原

■集合、交通
□集合
4/29(金)鹿児島 谷山港 17:00集合
鹿児島市内~七ツ島1丁目行き(5番線 卸本町・七ツ島1丁目線)バス時刻
金生町発(15:41)→中央駅発(15:48)→谷山港着(16:34)
□行き
4/29 18:00発→(フェリーはいびすかす)→4/30 7:00屋久島宮之浦港着(片道3,240円)
※フェリーは先着順
※フェリーは先着順での搭乗なので早めの行動を心掛ける。
※まつばんだタクシー利用(予約済)。宮之浦~白谷雲水峡までで約30分、3,700円
(バス利用の場合8:00(8:10)宮之浦港→→8:45白谷雲水峡 550円)
□帰り
屋久島交通バス紀元杉14:55乗車 安房方面へ 安房港まで940円
間に合わない場合タクシー利用 安房方面へ 50分、普通車6,700円

■行程
□1日目 計5時間55分(新高塚小屋着の場合7時間15分)(太鼓岩ピストンの場合+0:25)
白谷雲水峡-1:05-白谷山荘-0:40辻峠-(太鼓岩ピストン+0:25)-0:50-楠 川分かれ-1:10-大株歩道入口-0:30-ウィルソン株-1:00-大王杉-0:30-縄文杉-0:10-高塚小屋(-1:20-新高塚小屋)
□2日目 計9時間45分(新高塚小屋発の場合8時間25分)(黒味岳ピストンの場合+0:55)
(高塚小屋-1:20-)新高塚小屋-0:40-第一展望台-1:20-平石-0:50-焼野三叉路-0:30-宮之浦岳-1:40-投石岩屋-0:30-黒味岳分岐-(0:35-黒味岳-0:20-黒味岳分岐-)0:15-花之江河-1:30-淀川小屋-0:50-淀川登山口-0:20-紀元杉
※全体的に木の歩道が多い。雨天時は滑りやすいので注意。
※頂上直下は笹藪になっている。必要に応じて長袖の準備。

■エスケープルート
・楠川分かれまで;引き返す
・楠川分かれから第一展望台まで;荒川登山口へ
第一展望台-0:35-新高塚小屋-1:10-高塚小屋-0:10-縄文杉-0:25-大王杉-0:50-ウィルソン株-0:25-大株歩道入口-1:10-楠川分かれ-0:40-休憩舎-0:50-荒川登山口(計6時間15分)
・第一展望台以降;そのまま進む
※荒川登山口からの交通:
バス:荒川登山口(15:00/16:00/17:00/17:45)→(15:35/16:35/17:35/18:20)屋久杉自然館 700円
タクシー:荒川登山口から安房まで 普通車約5,100円 40分

■個人装備
□ザック □ザックカバー □シュラフ (□シュラフカバー)□マット □雨具 □防寒具 □登山靴 □替え靴紐 □帽子 □水(水場は豊富。1Lくらい。) □行動食 □非常食 □ブキ □コッヘル □ヘッドランプ □予備電池 □ゴミ袋 □トイレットペーパー □ライター □新聞紙 □軍手 □地図 □コンパス □エマージェンシーシート □筆記用具 □計画書 □常備薬 □学生証 □健康保険証 □現金(協力金2,000円含む。多めに) □遭対マニュアル(緊急連絡カード含む)□日焼け止め □マスク □歯ブラシ □充電バッテリー □タオル □消毒液orアルコール除菌シート (□サンダル □サングラス□着替え □リップクリーム)
※防水を徹底する。

■共同装備…適宜調整
テント(ステラ4(加藤私物))
本体・フライ:渡邉
ポール・ペグ:河野
救急箱(アゲハ):河野
鍋(竹、小竹):桐原
調理器具セット( ガジャ・マダ ):桐原
カート*2(確保済):河野
ヘッド*1(緑7):桐原

■食当
4/30 夜 桐原  5/1朝 河野 

■地図
 山と高原地図:61(旧59)「屋久島」
 2.5万分の1地形図:「宮之浦岳」「栗生」

■遭難対策費
メンバー 3人×200円=600円

■悪天時判断
決行

■備考
□日の入日の出(屋久島):日の入り5/1 6:54 日の出5/2 5:33
□世界自然遺産屋久島山岳部環境保全協力金 1人2,000円
下山後、屋久島観光協会 安房(あんぼう)案内所・事務局(屋久島町総合センター内)で支払う。
□小屋情報
・高塚小屋  収容20名、トイレあり、水場10分 
・新高塚小屋 収容60名 トイレ・水場あり テント数張(デッキ)

■各種連絡先
□警察署・駐在所
屋久島警察署  TEL.0997-46-2110
屋久島南分遣所 TEL.0997-47-2125
屋久島北分遣所 TEL.0997-42-0119
□タクシー(基本現金。流しはなしで要予約。まつばんだ交通タクシーは宮之浦港と空港でクレカ清算が可能。)
安房タクシー 0997-46-2311 7:00~22:00
屋久島交通タクシー 0997-42-0611 7:00~24:00
まつばんだ交通タクシー 0997-43-5000 8:00~18:00

□コロナ対策 ※[raicho_all:342]3/2より一部改訂
1. 遭難などの緊急時を除き、山小屋の使用を控える。
2. 長期休暇中は平日の活動を中心にする。
3. 山頂付近などの人が多いところでは長時間滞在しない。
4. 最大10人以内のパーティーとする。
5. 常に、パーティー内の連携を損ねない範囲で十分に距離を取る。
6. マスクを常用する。
7. 水や食料は事前に購入しておき、登山山域での買い物を控える。また、下山後の会食も控える。
8.テント内の人数は定員の半分程度とし、余裕をもって使用する。
9. メンバー全員が2週間前から当日朝まで毎日検温して担当者に提出。少しでも風邪の症状がある場合は参加を控える。
10.メンバー全員が 2週間前から行動記録をとって担当者に提出。
(9.10については担当者が管理し、必要があれば提出できるようにしておく)

■参照
屋久島観光協会サイト http://yakukan.jp/doc/
フェリーはいびすかす https://www.yakushimaferry.com/
屋久島バス時刻表https://www.jrk-hotels.co.jp/Yakushima/wordpress/wp-content/uploads/2018/01/2179af125a308cb63906729eff5c3f7f.pdf
世界自然遺産屋久島山岳部環境保全協力金 http://yakushima-tozan.com/kyouryokukin/
2018年度記録

屋久島遠征・宮之浦岳山行 記録
文責:河野、渡邉、加藤、桐原
■日程 2022/04/30-05/01(土日)
■山域 屋久島
■天候 1日目 曇り 2日目 曇りのち晴れ

■メンバー(3人)
CL河野, SL渡邉, 桐原

■タイムスタンプ
□1日目
7:45 白谷雲水峡発
8:00 さつきつり橋
8:33 シカの宿杉(白谷山荘周辺)
9:03 辻峠
9:53 楠川分かれ
10:59-11:10 大株歩道入口
11:33-11:50 ウィルソン株
(大王杉は見のがした)
12:50-13:05 縄文杉
13:10 高塚小屋
14:10 新高塚小屋
(計6時間20分)

□2日目
5:05 新高塚小屋発
5:33 第一展望台
5:50 第二展望台
7:25-7:55 宮之浦岳山頂
9:14-9:37 投石平
10:10 黒味岳分岐 黒味岳ピストンを渡邉、桐原で。河野は分岐で待機。
10:30-10:40 黒味岳
11:00 黒味岳分岐
11:10-11:20 花之江河
12:30-12:55 淀川小屋
13:43 淀川登山口
14:02 紀元杉
(計8時間57分)

■総評
縄文杉や巨岩に加え、予測不能な踊り方をするヒメシャラ、白い長石が露出する花崗岩、突如として現われる高層湿原、南国を感じさせる常緑樹や安房川の水などの原初の自然をたたえた景観が次々と現われ、見どころが尽きない面白い山だった。本山行は1日目は霧、2日目は霧のち晴れという天気のなか行われたが、屋久島の原生林の幽玄な雰囲気と、花崗岩が織りなすダイナミックな地形を良いとこどりできる山行となった。
屋久島はそもそも雨天が多い上に天候の予想が難しく、また世界遺産登録地域周辺は混雑もする。いつも以上に余裕を持った計画や行動を推奨する。

■反省
水場での供給をあてにして普段より携行する水の量を減らしていたが、水場を見つけることができず行動中に水がなくなった。他のメンバーが多めに携行していたため事なきを得た。目標の山の特徴に合わせて適宜荷物の量を調整することも重要であるが、不測の事態のための備えをする姿勢を忘れない。

■ルート概況等
・全体として木道が多い。歩きやすいが濡れていると大変すべりやすいので、階段や木の根が多い場所は注意が必要。一方で岩は概して花崗岩が多く、フリクションは問題ない。
•水場は豊富にあるが、基本的には湧き水なので少し見つけにくい。
・ウィルソン株から縄文杉までのコースは登山客が非常に多い。エアリアの情報によるとここでは水場が豊富にあるとのことだが、登山者とのすれ違いが多く速やかに通過しなければならないため水を汲めない可能性もある。初日は普通の山行と同程度の水を持参するのが望ましい。(本パーティは水を汲めなかった)
・携帯トイレブースは豊富にある。また小屋でも携帯トイレの使用を推奨されているため、持参するのが良い。
・高塚小屋のテントは6張程度、水場は確認できず(縄文杉よりも手前まで戻ればある)
・新高塚小屋は到着時点で5割程の混雑(内装は2階建てで、想定通りの使い方をすれば一段7人×4段で28人程度の収容になる)、最終的には部屋の中に入りきらず玄関まで人が寝て、テントも10張以上がひしめき合う状態になった。大人数収容のテントを張るのはきわめて難しい。また、早めの行動開始が望ましい。
・帰りの飛行機でガス缶を回収された。
・「はいびすかす」の学割は学生証ではなく学割証(JRで使うものと同一)が必要

■山行記
□屋久島入りまで(桐原)
 谷山港行のバスには、休日とはいえ意外に多くの客が乗っていた。大きな荷物を抱えた同族の方が数組いたが、それ以外は一般の乗客だった。鹿児島市街地から谷山港まではかなり離れていてバスだと1時間ほどかかる。穏やかな西日も手伝って、眠気がひどい。
 この日はここまで、かなり忙しい日程を経てきていた。当初予定していた韓国岳への山行は中止になった。「山・海のレジャーは危険!」というこちらに向けて放たれたような天気予報が目を引いた。代わりに、我々は渡邉さんの運転(感謝)で車を南へ走らせた。豪雨の指宿で砂蒸し風呂を体験し、折り返し知覧の武家屋敷群に立ち寄って、鹿児島に戻った。帰ってきた時点で午後1時を回っていた。昼食をとる暇もなく天文館のスーパーで買い出しを済ませると、路面電車に揺られて中央駅に向かう。かろうじて夕食を買ったりする時間はあったが、当初の予定ではこの日程で霧島に登ろうとしていたのかと思うと、やや無理のあるプランだったかもしれない。
 バスは海岸沿いの工場団地を通り抜けて、更に南へ進む。乗客は少しずつ濃縮されて同じ匂いのする人ばかりになってきた。長く続いた市街地も終わり、いよいよ港が近づいてくる。最初に目に入ったのは、白地に青、海上保安庁の立派な船だ。恰好いい。だが、それは目的の船ではない。その隣に、何やら強烈な雰囲気で佇む船がある。潮にもまれて褪せ剥がれたピンク色の船底、長い船歴を物語る錆び付いたブリッジ。明らかに旅行客にもてなしを提供しようという気のないことが外見だけで分かるその船こそが、今宵の私達の宿だった。
 バスは乗り場のすぐ脇まで乗り付けてくれる。下車すると、改めて「はいびすかす」の異様な威容が眼前に迫った。埠頭にはたくさんのコンテナが積まれていて、フォークリフトが華麗なさばきでそれらを次々と甲板に積み込む。この船の主役はあくまで貨物、私たちは隙間に乗せてもらっているようなものだ。プレハブの簡易的な待合室で乗船券を購入すると、乗船開始までしばらくの間待つ。誤算があったとすれば、学割の適用に学生証ではなく学割証明書が必要だったことだ。渡邉さんだけなぜか財布に学割証を忍ばせていたため運がよかった。
 暇つぶしに埠頭の際までふらつく。こちらにももう一隻海上保安庁船があり、その向こうに桜島が聳えている。海から一気にせり上がる姿には、標高1000m強とは思えない迫力がある。午前中の雨がうそのように晴れ渡っている。なるほど確かに鹿児島に来ているのだと、その実感が強まった。
 「はいびすかす」を背に写真を撮りあったりしているうちに、時間が迫ってくる。コンテナと車両の積み込みが終わり、いよいよ旅客の案内がはじまった。歩行者用のタラップの類は無かった。まず車両甲板に入っていくと、通用口のような小さな扉があって、そこから狭く薄暗い階段を上って客室にたどり着く。外から見ていると一体どこに客室の収まる空間があるのか想像できなかったが、入ってみると客室は3つもの部屋にわかれ、さらにそれぞれにカーペット敷の区画が二つほどあった。構造自体は典型的な二等船室だが、ただ、やはり狭い。GW初日とあって多くの人が乗り込んでいたため、客室内は文字通り足の踏み場の無い状況となっていた。私たちも4人で一ヶ所にのることはできず、2人ずつに分かれ、それでも最低限のスペースしか確保できなかった。私は特に陣取りの手際が悪く、全方位を他の乗客に囲まれる場所に落ち着いてしまった。
 出船の時間が近づいてくると、多くの人が船外デッキに出払うため、客室内は少し空いてきた。そのタイミングを見計らって、4人が一ヶ所に集まって駅で購入した黒膳弁当を広げる。運び方の丁寧さが出て、河野さんの弁当は写真映えのする配置をとどめていた。ヘルシーが売りの弁当のようで、熱量は100g当たりで表示して内容量そのものは表示しないという策略をとっていた。品数豊富な弁当を食べきれないうちに、船はゆっくりと動き出した。
 食事を終えて船外に出てみると、今日一番の景色が広がっていた。後方に桜島を望み、左右はそれぞれ大隅・薩摩両半島に挟まれ、遠くに開聞岳がちらりと見える。鹿児島県の形が手に取って分かる眺めだった。船は、外海の波風から隔絶されて穏やかな錦江湾を一直線に進む。海を背景におくとあらゆる被写体が2割増しに見える。私達は思い思いに写真を撮りあった。
 しばらくは多くの人が海の景色を楽しんでいたが、日が沈み風の冷たさが際立つようになると、一斉に退却が始まった。先輩3人も船内に戻ったが、私は更にしばらく粘った。河野さんから戻って来ないと心配されるほど、景色に見とれていた。開聞岳の存在感は言うまでもないが、大隅半島の山々も険しく立派だ。名前は分からない。知らない名峰がまだまだ沢山ある。
 西の空の残照がだんだん頼りなくなって、風と揺れも強まってきた。さすがに寒いので一旦船内に退却する。戻ってみると、加藤さんと渡邉さんが山と高原地図を広げて話し合っていた。加藤さんは体調が芳しくなく、つい先ほど宮之浦岳山行を断念することに決めたのだった。空いてしまう2日間をどう使うか、代わりのプランを考えていた。4人で登れないことは非常に残念だ。屋久島が登山以外にも魅力に富んだ島であることが、せめてもの救いかもしれない。そうこうしているうちに河野さんもやってきて、明日以降の行動予定などを確認しつつ、のんびりとおしゃべりをする。
 それにしても、先輩方は仲が良い。周りから見ていても嫌なところが何一つない仲の良さである。推せる…! と心の中でつぶやきつつ、この方々と6日間の長旅をできるという幸運を無駄にはできないと思った。
 と思っておきながら、私はまたひとり船外デッキに出た。やはり他人の目線に包囲されて座るのは間が悪いし、なにより、すっかり船旅に憑かれてしまっていたのだ。エンジンの振動も風の鋭さも海原をかき分ける船の姿も、何もかも心地よい。ほとんど人影のなくなったデッキで「グングニル」を口ずさむなどして、幸せな時間を過ごした。
 加藤さんが船外にやって来た。あまりにも戻らない私を心配して下さったのかもしれない。しばらく景色を見たり星を見たり何もせず潮風に打たれたりする。一人も楽しいが、やはり人と共有する旅には別の楽しさがある。ふと、加藤さんは今なにを思っているのだろうと考えた。ここまで来て肝心の宮之浦岳に仲間と一緒に登れないというのは、私だったら絶対冷静ではいられない。しかし、加藤さんはいつもの通り落ち着いた声で生意気な後輩とも話してくれるし、それどころか登山に必要ない荷物は預かるとまで言ってくださる。私もこんな大人になりたい。そして、もう一度屋久島を目指さなければならない。
 加藤さんが退却してしまうと、デッキにはもうほとんど誰もいなくなった。エンジン音と波の音以外には何も聞こえない。星空は惚れ惚れするような美しさで頭上に広がり、ほかはすべて闇である。昔は星を頼りに航海をしていたという話は知識として知ってはいたが、こうして夜の海を経験してみると、その話が圧倒的な現実感を持って再構成される。
 船は夜9時半過ぎに種子島の西之表港に着いた。ここで、予想以上に多くの乗客が下りて行った。屋久島をわざわざ「はいびすかす」で目指す人はあまり多くないのかもしれない。とにかくも客室はだいぶ空き、しっかり足を延ばして眠ることが出来そうで、これは非常に幸運だった。明朝5時まで、船はこの港に停泊する。揺れのない今のうちにしっかり眠っておかなければならない。明日への期待に高まる胸を押さえつつ、夢の中へ落ちた。

□1日目(河野)
午前5時頃、はいびすかすは奄美大島から屋久島へと出航する。パッキングをしていると急に酔いが回ってきたので、加藤くんに挨拶をしたあと早々に甲板に飛び出し景色に魅入る渡邉くんと桐原くんに構ってもらう。他愛のない話や屋久島にあるチェーンの店を当てていく失礼なゲームをしたりして気分の悪さをどうにか紛らせた(渡邉くんが見事Can Doを当てて勝利)。海を突き進む船体から逃げるようにしてトビウオが飛び出してくる。薄い雲でぼやけた日の光に照らされながら放射状に飛んでいく銀色の小さな粒が印象的だ。彼らは我々の想像をはるかに超える飛距離を出しており、逞しく海を飛び出す雄姿に歓声が自然とあがる。前方には屋久島が近づいてくる。膨らむ期待と同時にどこからともなく誰かが声を発した。「思ったより天気微妙だ…」
宮之浦港に到着すると、まつばんだタクシーの運転手さんが出迎えて下さった。生まれも育ちも屋久島だという運転手さんと談笑しながら白谷雲水峡までぐんぐんと標高を上げていただく。今年は例年よりも季節の訪れが早い、昨日は屋久島も雨だったがそこまで増水はしていないだろう、「まつばんだ」は土地の民謡からとった名前である、安房付近のおいしいお店はここだ、などなど。あっという間に白谷雲水峡に到着。4人で3400円程度、これでバスより1時間巻けるのはお得である。
受付がいなかったので協力金は下山後に払うことにし、お手洗いをすまして頃出発。まずは辻峠まで目指す。
昨日の雨もあったからであろうか、岩や巨木を覆う苔の緑は深く沈んでいる。水の流れを遮らないナメの上をとくとくと豊富な水が滑り、岩にあたって白く泡立っていく。まさにもののけ姫の世界観である。運転手さんがおっしゃっていたサクラツツジは、その名の通り色はサクラ、見た目はツツジといった具合でかわいらしい。道はよく整備された登山道といった感じで階段が多い。一方で傾斜もそこそこあり、一見すると一般客が好んで訪れるような観光地の相貌には思えない。
さつきつり橋の手前まで来て、加藤くんと惜しみながら別れを告げる。渡邉くんが「元気になったんじゃない?」と最後まで渋り加藤くんに窘められていた。仲良しで大変好ましい。その後加藤くんは周辺を散策してから歩いて宮之浦まで帰ったそうだ。白谷山荘で初の水場が出現。持参していたコンビニの水をじゃばじゃば捨てて湧き水を汲む。ちょうど良い冷たさでとてもおいしい。。特に2日目に感じることになるのだが、屋久島は植物だけでなく岩も立派である。ちょうど人間の慎重程度の隙間を残してくれた岩にすっぽりと収まり、サザエさんのタマよろしく撮影。近くにいたパーティのガイドさん(亀仙人のような風貌をしているファンキーなじいちゃんだった)に綺麗に写真が撮れる位置をアドバイスしていただいた。
ここ数日間悪天候が続いていたと聞いており、渡渉が少し心配だったが、屋久島の自然はたくましく特に増水した様子はなかった。荷物をつっかえさせながらくぐり杉を通過したり、杉の立て看板のフォントに趣がないと酷評したりしながら、運転手さんが「まずはここまで頑張りな」とチュートリアルのごとく提示してくださった辻峠に到達。太鼓岩は展望がなさそうだったので寄らずにそのまま進んだ。楠川分かれ以降はしばらくトロッコ歩きが続く。道は平坦で特に難しいところはないので時々見える遠くの滝や橋の下を流れる渓流の美しさに適宜歓声をあげつつ、さくさく進む。途中に出現したトロッコの方向転換機はまだまだ動くらしく(後日調べたところ現役とのこと)、ギミックを変える貴重な体験に一同興奮した。
大株歩道入口では橋の一端で多くの登山客が少し早い昼食に興じている。休んでいるパーティの中には6度目の再訪だという小さなお子さん連れのご夫婦もおり、まだまだ山の楽しみが残されているこの島の深淵さに心惹かれるばかりだ。ウィルソン株への道は橋を渡らず手前の階段を行くのだが、初っ端から急な階段だったのでオーダーを河野先頭に変更。注意書きの細かな時間に関する指示(午前10時までにここを出発するようにとか、縄文杉から午後1時までには引き返すようにとか)や、人がぽつぽつと降りてきてなかなかのぼりはじめられない階段から、ようやくここは人気の観光スポットなんだなという認識が湧いてきた。
ウィルソン株で例のハートの写真をぱしゃり。ウィルソンが何者なのか気になって仕方なかったが電波は入らない。渡邉くんは先日の伊豆ヶ岳新歓ハイクに引き続きスマホを株内の水たまりに落としていた。ロック画面のハチワレが泣いている。
これ以降の約1時間の登りでは、GW期間ということもあってか大量の登山客とすれ違うことになる。木道もすれ違いを想定して2段構えになっている箇所がところどころあるが、それでもなお反対方向から押し寄せる登山客の量は膨大で、適宜譲ったり譲られたりしながら縄文杉を目指していく。中にはガイドさんを雇っているパーティも多く、我々登りのパーティを見るなりガイドさんの指示に従ってすぐに山側に避けるさまは訓練されている感があった。これまで登ってきた山とは人間の雰囲気が違って何とも新鮮な感じ。しかし実際にはそんなことに感嘆している余裕はない。とんでもない数の通行人を待たせることになるので、疲れていようとなんだろうと速やかに通過しなければならず、個人的にはここの登りがかなりきつかった。面白半分で我々を激励(煽り?笑)してくださるガイドの方々を皮切りに、花道状態で山側からしきりに「なんて大きな荷物なんだ!」「泊まり装備でこのペースはすごい!」とか不当に超人扱いされては頑張るしかない。多分100人くらいいたと思う。人生であんなに激励された日はいまだかつてない。
花道を抜けてしばらく歩くと、ガイドを伴った先行パーティが「唯一触れる屋久杉」について説明をしていたので、僭越ながら我々も耳をそばだてる。屋久島にいる動物の話の文脈で父親に熊鈴持っていくように言われたことをガイドさんに話したら、「屋久島で熊鈴鳴らしてたら趣妨害の罪で結構ガチめに叱られる」とのこと。このあたりで自分のズボンにヒルが這っていることに気づく。屋久島の生き物は本州の生態系のそれに似ており、小さな個体が多いということは桐原くんが教えてくれたことだが、丹沢で猛威をふるいハイカーを脅かしているヤツらも、この南国の地では爪半分にも満たないかわいいサイズである(昨年の行き先ミスで鈴木くんのシャツを職質レベルで血まみれにしたことを未だにいじられる)。ここに来て初めて人間以外の知っている生き物を見られてうれしい。
そんなことをしていたら水場も大王杉も夫婦杉も見のがして縄文杉に到達していた。先日部室の整頓の際に発見した「’92 男4人春物語 in屋久島」でOBの方々が写真におさめていた縄文杉での倒立ポーズ。’93に世界遺産に登録されて以来はできるはずもなく、周辺には縄文杉を取り囲むように複数のバルコニーが設置されており、そこから縄文杉を見ることになっていた。霧が濃いので良く見えるところを探す。北側の方が若干見える気がする、なるほど大きいがいかんせん霧が…。幽玄で雰囲気があるという好意的な解釈をして、3人で縄文杉をバックに写真を撮ってもらう。
少し歩くと高塚小屋に到着。近年再建されたこともあって綺麗な外装をしていた。
ここから約1時間の新高塚小屋までの道のりは、一気に人が減って静かな登山道に。ウィルソン株からのボーナス水場タイムをあてにしていてあまり水を用意していなかったのが仇となり、河野の水が尽きてしまった。適度な備えはやはり必要である。渡邊くんに水を少し分けてもらう。申し訳ない。人の声がしなくなった道は少し寂しく、ヒメシャラのいびつな造形や白い長石が混じった屋久島独特の花崗岩にリアクションしながら黙々と登る。最後尾の桐原くんは自分のペースで気に入った景色や植物を写真におさめている。渡邉くんと河野は縄文杉で出来なかった’92倒立ポーズを適当な杉でチャレンジ。そもそも倒立が出来なくなっていたことが若干ショックだったが、桐原くんの的確な撮影でそれっぽく収めてもらった。普段の部会での真面目な出来た先輩像からは遠く離れた渡邉くん(と筆者)の酔狂ぶりに桐原くんは若干困惑気味であったが、遠征を通して快く写真を撮ってくれた。ありがとう。
時々息を整えながらふと同期のことが思い出される。「加藤くんは今頃何をしているのだろうか」渡邉くんは「淀川登山口でレンタカーの後ろに大量に魚乗っけて『乗りな』って言ってほしい」と欲望丸出しである。豊永氏については、あの謎めいた生活はなんなんだろうという話にいつもどおり終始していた。そろそろ2年越しの全盛期に入ってもらい、一緒に色んなところに行きたい。
人工物を見つけて14時頃に新高塚小屋到着。二人が一緒に元気に登ってくれたおかげで頑張れました。途中全く人とすれ違わなかったので一番のりかと思われたが、小屋のキャパの4割程度のハイカーがシュラフの中でぬくぬくしていた。桐原くんが右の上段の一角を確保してくれる。備え付けのハンガーで濡れた服を吊るしたり着替えたりした後、米を浸水させてお昼寝タイムとした。新高塚小屋では電波は入らない。娯楽アイテムを一切持ってきてなくて申し訳なさを感じていたら、桐原くんがザックからにゅっとiPadを取り出して将棋アプリを開いてくれた。そこからしばらくは渡邉VS河野で造詣のある人にブチギレられそうなカオスな戦いを繰り広げる。双方の無理筋に桐原くんがどこまでも忖度してくれていたが、そんなフォローを加味してもお粗末な対局だったと思う。
夕飯は桐原くん特製のさつますもじ。鹿児島の郷土料理で、ちらしずしの具にさつま揚げやかまぼこなどの練り物を加えた一品だ。1時間半も浸水した甲斐があって米はふっくらと炊きあがり(しかも焦げ付きがほとんどない)感動の山ごはんとなった。疲れた体に酢の酸味と練り物の塩分が染み渡る。心意気で持ってきてくれた味のりも最高で、3人で3合をぺろりと平らげてしまった。加藤くんの参加を想定した量だったので食べきれるかしらと心配していたが、まったくの杞憂だった。天狗岳で絶品の生姜焼きをふるまったと聞いて以来、桐原くんの山ごはんをずっと楽しみにしていたのだが、今回でまた一つ期待値をあげてくれた。ごちそうさまでした。
その後も小屋にはじわじわとハイカーが押し寄せ、最終的には通路や玄関に至るまでシュラフが敷き詰められる事態に。小屋内は長袖のレイヤーとフリースで十分というほどの暖かさであった。8時前に就寝。初めての小屋泊は非常に快適だったが、大人数での寝泊まりによる民度低下の弊害は個人的にやや強烈で、世の大人はこんなにもいびきをかくのか…と若干引いた。「いずれにせよ、山では常に他の登山者の便宜ということを忘れないようにして欲しい。山岳道徳といっても、何も難しいことをいうのではない。互いに登山者同士が相助ける精神を養っておきたいものだというだけのことである。」(吉田博『高山の美を語る』)いつもお上品に睡眠を取ってくれる雷鳥のメンバーには感謝である。
余談ではあるが、早朝目を覚ますと桐原くんと渡邉くんが寄り添い合うようにして寝ていて尊かった。泊まりではいびきではなくこういうのを拝みたいものだ。

□2日目(渡邉)
3:30前に起床。小屋内はそれほど寒くないし、外気もそこそこである。起床してから、今日これからがどうなるだろうかを、少し考えた。就寝中にしっかりと雨音がしていた事、テン場の木板が濡れてつるつるに滑る事、前々日に予想されていた霧予報、それも当たってか、周囲がやや霧がかっている事を想えば、一体今日どういう天候、どういう環境になろうかというものは、何となく、心の底では分かっていた。そんな心算ではあったが、兎にも角にも飯を食わにゃ始まらない。食当の河野さんお手製の焼き鳥鯖うどんを、美味しくつるりと頂く。
雨具、ザックカバー、ヘッ電の完全装備で夜明け前の5:00に新高塚小屋を出発。雨は降っておらず、木々から露が滴り落ちたり、濡れた葉に触れたりする形で、我が身が濡れるばかりであった。そんな中でも霧の中に幽玄に現れる木々の植生は、ひと時たりとも飽きさせるものではない。植生的には天城山を想起するものもあるが、やはり種類・規模感共に比べものにはならないだろう。
雨後の地面だがさして問題はなく、第一展望台辺りで日の出時刻を迎えると、小鳥のさえずる声がよく聞こえる。さえずるくらいの天気であるから、やはり天気は悪くないのだろう。前日すれ違った、亀仙人風貌の明らかに踏んできた場数が違う屋久島ガイドの方が仰った、「最近雨ばっかでキミ達本当いい時に来たよ」の言葉が過ぎる。お願いだから天気、もう少しだけなんとかなれーーーッ。
第二展望台も展望は濃霧で無いに等しく、そのままロープの岩場などを超えていく。岩場は屋久島に特徴的な、長石のデカい長方形の結晶がてんこ盛りの花崗岩であり、面白い。ぐにゃんぐにゃんに幹が曲がった低木(名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた)が、道の両側を取り囲むようにして広がる。我々はぐにゃんぐにゃんなポージングをして、写真をパシャリ。
しばらくすると、森の合間から、左手側遠くの山々を見渡せる開けたポイントに出る。すると雲こそ立ち込めるが、高層のものばかりで霧が晴れており、山々が見渡せる。これはもしや……?メンバー一同、ギアがここから掛かりだす。そして平石のピークまでは少なくとも、見通せる事がこの時点で分かる。このうちを逃すまいと、ひとまず保険として3人で自撮りをしておく。「行けるんじゃね?」と期待に胸を膨らませまくっており、笑顔が良い。そのうち左手の山々のみならず、海までを見渡せるようになる。
平石で一本。平石のピークまで登ると、見えるのは宮之浦岳までの稜線である。さて、どうであるか。内心恐る恐る見れば……ピークこそ霧を被ったままだが、しばらく続く稜線が割と、見える!永田岳の方面も、時たま顔をのぞかせている!しかし風がどうにも強く、興奮したのも束の間、直ぐに見えなくる。それでも断続的にこうして稜線を窺える時間が以後何回もあり、割と期待が持てそうであるという事については、私の中でさらに確信に変わっていった。
植生はガラリと変わって、稜線上は藪に囲まれる。電波が入ったので、通信回線はおろか、AM電波さえろくに入らず、新高塚小屋でできなかった天候確認をざっと行う。ひとまずナウキャストによれば、通り雨が2度ほどあるとの事だが、雨もひとまず直近はその程度であるようだ。
風は時折やや強めに吹き付け、雨がぱらつく瞬間もあるが、気分は高まったままで、進んでいく。ピークの下では登山道に沿って、常に水がちょろちょろと流れており、水場にはまず困らない。屋久島恐るべし。
三又路で一本。依然風もそこそこにあり、止まっているとやや冷えてしまう。ささっと口に放り込むものを放り込んで、動きだす。ここまで来た稜線も、振り返ればかなり窺えるし、右手の永田岳〜ネマチの急峻な稜線も、霧の合間からもよく見える。
そして宮之浦岳直下のひと登り。登りは木道も恐れていた程ツルツルではなく、一息入れつつ登る。無我夢中に登ったので、記憶がない。
そして標識が見える。宮之浦岳山頂だ。到着時はそこそこの風とガスで、稜線や下方の景色はやはり冴えない。それでも明るいガスであり、風の吹き方を考えれば、視界が開けるのも時間の問題と判断し、暫し九州最高峰、日本百名山最南端の頂に留まる。さ、寒い!
数分すると予想通り、ガスの切れ間から青空が見え始め、全方向の視界もうっすら見え始める。……と思ったらまた厚めのガスが吹いてくるの繰り返しを何回かする。「宮之浦岳やればできるじゃん」とガスが薄くなった時に言って、甘やかしたのが良くないという事で、「宮之浦岳しっかりしろ!」と他人に厳しく自分に優しく念じていると、その執念深さに観念したのか、ガスがどき、青空が薄く広がり、周囲の稜線、果てしなく広がる海がしっかり見え始める。一同歓声を上げ、かなり興奮している。これくらいで帰ろうかと言って離れようとする度に天気が更に良くなるような塩梅であり、全然出発が出来ない。個人的にはピーカンよりも稜線に雲が程よく掛かっていた方が、屋久島の神秘的な雰囲気、とりわけそのジブリ的なイメージとは相性が良く、望ましいのではないかと思われた。そういった意味で、私にとっては極上の時間であった。先述したように当初、私はこの日この場所での景色に全く期待していなかったのだが、こうもしてやられると困ってしまうものだ。なんというかこう、どんよりした今朝から、段階踏んでボルテージが高まっていくこの流れが、スゲーとなる所以である。私を雨男と言った人、誰だ(私だ)。
ついつい長くとってしまった山頂での時間も終え、下山に入る。とは言え、ここからがかなりの見所だ。
稜線の風もほとんど和らいで、薮の間の登山道を意気揚々と進んで行くと、やがて花崗岩の巨岩群が見えてくる。タマゴを5・6個にスライスしたような巨石を横目に進むと、これまた巨石の栗生岳が見える。そこを超えて、翁・安房・投石のピークを左手に巻いていく。その方向からは、相変わらず水が渾々と湧き出す。前方に見えている黒味岳の北側はかなりの傾斜地だが、巨岩の数々と、深緑・黄緑が混在する樹々に覆われ、何となく中国の奥地の渓谷にありそうな地形である。
薮が張り出し、やや急な下り道を抜けると、投石平だ。ここで一本。既に空は鱗雲程度で青空が広がり、日差しが暑い。私たちの影をしっかり作る程に、照っている。投石平は投石岳と黒味岳の合間にある平らな所で、これまた平らな巨岩がいくつか鎮座する。暑いので3000円の安雨具を脱ぐと、内側が湿気でびしょびしょである。雨具の意味が問われる。ここに腰を下ろすと、先程触れた黒味岳の中国風の景色が、ちょうど背後に広がるので、折角そういう雰囲気が広がっているのだからと、私は座禅風の写真を撮って頂く。決まった。今度は桐原くんが徐ろに横たわり始める。これはッ……釈迦涅槃図……ってコト!?という事で釈迦涅槃のポーズで写真を撮る。「お撮りしますよー。はい、解脱」の掛け声。釈迦はインドの人物では……?河野さんは、阿弥陀仏の来迎印で写真を撮る。聞いたことがない。桐原君の涅槃は教養で対応出来たが、流石にこのレベルになると、的確な突っ込みは困難である。更に桐原君と河野さんで、涅槃に入った釈迦を桐原君、周囲で泣く弟子を河野さんが再現をした。あのーどうしてでしょうか?
黒味岳の方へ少し登り返して、ロープの岩場を降って暫く行くと、黒味岳分岐である。時間的には割と余裕があり、私と桐原君だけピストンする事とした。河野さんに荷物番をお願いして、サブザックで行動開始。ほとんど空身で、快調に登る。ロープの岩場が10ヶ所弱あり、下りは嫌だなーなどと呟きつつ、登頂。この日一番晴れ渡った屋久島の青空、安房であろうか、港町や一面に広がる海をも広く見渡す。山頂を二人占めした。
分岐まで降りて、皆で歩き出す。やがて辿り着いた花之江河は、国内最南端の高層湿原だという。この日の池塘には、そこまで水は溜まっていなかったが、それにしても天然の庭園のようである。ただただ見惚れる景色である。少し行った小花之江河は、ミニマムではあるが、より水を湛えた湿原が広がる。この日はおたまじゃくしがうじゃうじゃ生息していた。うじゃうじゃ。
ここからは、淀川小屋へと250mほど下る。単調な木道や階段が多いが、綺麗な水流が木道の下を潜るようにして走っていて、全く飽きることはない。あの丹沢も、こんな木道なら飽きずに楽しめるというのに。
下り道、どうしたら泊まり山行人口が増えるだろうかと話す。河野さんは「多少は清潔でないことへの抵抗感の有無」が大きいのではと話す。桐原君も、桐原君にしてはそこまででもないトイレのある山小屋に、宿泊山行が初めての方を連れて行った際の反応が、あまり芳しくなかった事を話していた。確かに体力的な意味とは別として、そういうところはあるだろう。私も抵抗感はある部類の人間であったが、農鳥小屋の便所に出会ってからというものの、そうした感情が消失してしまった。例えば北八の山小屋は割と綺麗だから、そういった所を入り口に慣れてもらう他ないだろう。
それにしても、日差しが照って暑くなると、夏の匂いがしてくる。1年振りにこの夏山の感覚が蘇ってきたが、そんな話をすると、ヨルシカの歌にそういう歌詞があるという事を河野さんが教えてくれた。そんなこんなで桐原君と河野さんがヨルシカの話で盛り上がり始めたのだが、私はヨルシカの事を一つも知らず、全くついていけなかったので、ヤクシカの事を考え歩を進める。
降り続け、そして橋を見つける。その橋がかかっているのが淀川であり、その対岸に建つのが、淀川小屋だ。それにしても淀川の美麗さは、誇張抜きに別次元のものである。深さにして20~30cmほど、完全に透き通った水が、苔蒸した木々に囲まれて静かに流れている。川底に触れたとしても、泥のようなものはちり一つ舞わず、川面に反射した木漏れ日が、岸辺のヒメシャラの幹にゆらゆらと光を照らしている。時間も余裕があるので、迷わずここで長く休憩することにした。
桐原君は夢中でカメラのシャッターを切っている。私はぼーっと川面を見つめ、しきりに嘆息している。そのうち沢タビを履いた半袖短パンの人々が、川に入っていって、遡行し始めた。格好から沢登りではないにせよ、確かに入りたくなる気持ちがよく分かる川である(それにしたって、見ていると寒々しいのだが)。
思いの外長く滞在した淀川を離れて、ラストスパート。若干の登り返しを過ぎれば、緩やかな下りを木々に囲まれて、進むだけだ。
淀川登山口に出て登山道は終わり、一同ホッとする。林道歩きを20分弱して、紀元杉に着くと、バスまで1時間半ほど時間が余ってしまった。それに電波も通じず、実に手持ち無沙汰で、紀元杉がどこにあるのかもよく分からなかったので、行動食を食べたり、隣のご年配の男性ハイカーとお話しして時間を潰す。この方に紀元杉はどこなんですかとお尋ねすると、「ここから100メートルだって。でもいいや。だってもう散々杉見たんだもん」と仰る。確かになあとは思いつつ、桐原君と河野さんもそんな感じであったが、流石に暇であったので、私1人で見に行く事にした。
結構しょぼくれた杉かと、たかを括っていたのだが、樹齢3000年、それに縄文杉よろしくデッキがしっかりと整備されている巨木であり、終いには団体バスもやって来て観光客がわらわらという感じであり、一体全体何を今まで渋っていたのかと反省した。電波が微かに入ったので、ここで下山連絡を新居さんにお願いして、その上で見た方がいいと、隣の方と2人に伝えに戻った。戻ってみれば桐原君は、そこで優雅にコーヒーを淹れようとしていた。オイ〜!隣の方も、「絶対行かれた方がいいですよ」と私が勧めても「ほ〜ん」くらいの反応しか示されなかったが、もう1人のご年配ハイカーも一緒に勧めると、重い腰を上げて見に行かれた。桐原君・河野さんも、一緒に向かった。
数分後戻って来た隣の方に、「いかがでした?」と尋ねると、「いや〜……良かったよ(笑)」と仰る。私達と同じく、縄文杉が霧に包まれて何だかようわからんという姿しか見ておられないようであったので、めでたしめでたし。
バスに乗って、16時前に安房に到着。快晴。この日は宮崎駿監督が、「もののけ姫」のロケハン時や、その後の訪問時に滞在したという「水明荘」に宿泊。バス停から安房川沿いを歩く事5分、到着。女将さんに手続きをして頂き、2階の部屋へ。廊下からは監督が愛したという超清流、安房川が窺える。ちなみにこの民宿の玄関には、スタジオジブリスタッフらの寄せ書きや、監督が民宿のご家族に宛てた色紙が展示されている。建物もノスタルジックな造り・匂いで、帰省して、田舎に帰って来たような感覚がある。そして16:30頃、加藤と再会。加藤から2日間何をしていたのかを色々と聞いて、またこちらも色々と伝えた。加藤は滝や杉(漠然)を見に行ったり、トビウオの唐揚げを食っていたらしい。ここにまた屋久島メンバーが揃い、互いの健闘を称えあった。
屋久島、サイコ〜〜〜ッ!!

■感想
□河野
・今回も遠征の計画そのものから山中での歩きに至るまで、一緒に行ってくれたメンバーに沢山助けてもらいました。渡邉くん、加藤くん、桐原くん、在京・助言役の新居さん、ありがとうございました。加藤くんもまた一緒に山行きましょう!
・遠征や泊まり山行の旨味は色々あるが、一緒に行った人間と仲良くなれた気がするというのが私にとっては一番大きい。今回もメンバーの今まで知らなかった一面を知ることが出来て良かった。
・登りでバテてメンバーのことを気遣う余裕がなかったので、もっと体力付けないとな、と思うばかりです。
・良かった~と思うことは山ほどあるのですが、心に移り行くよしなしごとで思ったことの1割も書けていないのが悔しい。ここにアウトプットできなかった楽しさが2日間に沢山ありました。
□渡邉
・屋久島の天気は難しい。事前に把握していた天気は1日目:晴れ、2日目:霧であったが、それがついぞ逆転してしまった。
・遠征はやはり良い。というのもどう転んでも、必ず面白さが保証されている。夏にもう一つくらいは遠征をしようと考えている。
・酢飯は疲れが取れる。米ってひとり一合食えるんだ。
・加藤とはやはり一緒に山行に行きたかったし、本人がそれを一番感じておられるだろう。彼が来られなくなってから、出発前にメンバーの不要な荷物を預かってくれると申し出てくれて、本当に頭が上がらなかった。下山後に再会して話を聞くと、加藤なりにも屋久島を満喫していたようで、そこは安心した。下界で色々やれたのもとても楽しかったが、また必ず近いうちに山に、屋久島に行こう。
□加藤
・体調が万全ではなく、不安がある状態で登るのはよくないと判断しました。すぐそこに山があり、三人が登っているのに登らないもどかしさ/寂しさは大きかったので、日頃からの体調管理をより徹底したいと思います、
・屋久島は登山道ではない場所の滝や、数々の立派な屋久杉からだけでも、これぞ世界遺産と言う自然のダイナミズムを感じられる素晴らしい場所でした。
・宮之浦岳にリベンジしなきゃなので、皆さん屋久島に行く際は、是非お声がけください!
□桐原
・どこを切り取っても濃密で楽しい遠征になりました。本当にありがとうございました。
・関東近郊の山々では見られない植生や景観が印象的でした。
・今回は計画をほとんどお任せしてしまって美味しいところだけもらってしまったので、今度は自分の番、いろいろな遠征を企画したいと思います。屋久島リベンジもやりましょう。