2023/3/20-23 熊野古道
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
熊野古道山行計画書 メンバー・在京用計画書
作成者: 桐原、宮島、吉田、小島
■日程 2023/03/20(月)~23(木)
■山域 大峰・熊野
■目的 極楽往生
■在京責任者・助言役
・3/20~22 豊永
・3/23 近
■在京本部設置要請日時 2023/03/23(木) 18:00
■捜索要請日時 2023/03/24(金) 09:00
■メンバー(4名)
CL桐原, SL吉田, 小島, 宮島
■集合
高野山 千手院橋 7:40
小島は当日朝大阪発、他3人は高野山(奥ノ院地区)泊
■交通
□行き
難波-[南海高野線 ¥890]→極楽橋-[高野山ケーブル ¥500]→高野山-[南海りんかんバス ¥300]→千手院橋
□帰り
那智-[紀勢線・関西線など]→名古屋
■行程
全行程【39時間05分/101.1km/↑5,930m/↓6,759m】
<1日目>【8時間50分/23.1km/↑1,533m/↓1,122m】
千手院橋-0:20-ろくろ峠-0:10-小辺路分岐-0:30-薄峠-0:45-御殿川橋-0:25-大滝-0:40-スカイライン出合-0:30-水ヶ峰分岐-0:30-林道分岐-1:00-平辻-0:40-大股-0:50-萱小屋-0:50-檜峠-0:45-伯母子岳分岐-0:20-伯母子峠-0:20-伯母子岳-0:15-伯母子峠※伯母子峠-伯母子岳間はサブザック行動
<2日目>【11時間20分/29.6km/↑1,789m/↓2,208m】
伯母子峠-0:45-上西旅籠跡-0:40-水ヶ元茶屋跡-0:40-待平屋敷跡-0:25-伯母子岳登山口-0:15-三浦口-0:35-吉村家跡-0:40-三十丁石-0:45-三浦峠-0:20-古矢倉跡-0:25-出店跡-0:50-矢倉観音堂-0:40-西中-0:25-樫平橋-0:20-田原田橋-1:00-太子堂-0:25-昴の湯-0:10-果無越え蕨尾口-0:40-果無-0:40-天水田-0:40-観音堂
<3日目>【10時間05分/26.2km/↑1,240m/↓2,019m】
観音堂-0:30-果無峠-1:20-七色分岐-0:45-八木尾-0:20-三里橋-0:10-道の駅-0:25-三軒茶屋跡-0:20-ちょっと寄り道展望台-0:30-熊野本宮大社-0:05-本宮大社前-0:15-大斎原-0:10-大日越え登り口-0:40-請川-0:05-下地橋-1:25-万歳道分岐-0:30-百間ぐら-0:15-林道出合-0:20-石堂茶屋跡-0:35-桜峠-0:10-桜茶屋跡-0:30-椎の木茶屋跡-0:25-小和瀬-0:20-小口
※湯の峰温泉を経由すると+1:25 (大日越え登り口-0:20-月見ヶ丘神社-0:10-鼻欠地蔵-0:25-湯の峰温泉-1:10-請川)
<4日目>【8時間50分/22.2km/↑1,368m/↓1,410m】
小口-0:35-円座石-0:35-梅の久保旅籠跡-1:30-越前峠-0:25-石倉峠-0:15-地蔵茶屋跡-0:35-林道分岐-0:20-色川辻-0:20-舟見峠-0:35-登立茶屋跡-0:30-那智高原-0:20-三丁分岐-0:10-熊野那智大社/青岸渡寺-0:15-飛龍神社-0:15-大門-0:20-二ノ瀬橋-0:20-市野々王子-0:25-荷坂峠-0:20-牧野々分岐-0:20-川関橋-0:10-補陀落山寺-0:10-那智の浜
■エスケープ地点
野迫川口-(徒歩1km)→野迫川村役場前[南海りんかんバスor野迫川村営バス]
大股→大股橋詰[野迫川村営バス]
三浦→三浦口[十津川村営バス]
西中→西中[十津川村営バス]
昴の郷→昴の郷[奈良交通,十津川村営バス]
八木尾→八木尾[奈良交通,十津川村営バス]
熊野本宮大社→大社前[奈良交通,熊野御坊南海バスなど]
小和瀬→小和瀬[熊野御坊南海バス]
那智大滝→那智の滝前[熊野御坊南海バス]
■地図
山と高原地図:「51 高野山・熊野古道」
■共同装備
テント(ステラ4 No.2):吉田
テント(桐原私物):桐原
ヘッド(緑1):吉田
カート*3:小島、桐原
鍋(竹小竹):桐原
調理器具セット(キャサリン):吉田
救急箱(有紗):小島
※携行時の分担は適宜調整
■食当
1日目夜:宮島
2日目朝:吉田
2日目夜:桐原
3日目朝:小島
3日目夜:吉田
4日目朝:宮島
■個人装備
□ザック □ザックカバー □登山靴 □替え靴紐 □ヘッドランプ □予備電池 □雨具 □防寒具 □帽子 □水□行動食 □非常食 □カトラリー □コッヘル □ロールペーパー □ライター □ゴミ袋 □軍手 □地図 □コンパス □筆記用具 □計画書□遭難対策マニュアル(緊急連絡カード含む) □学生証 □保険証 □現金 □常備薬 □日焼け止め □タオル □歯ブラシ □エマージェンシーシート □シュラフ □マット □マスク □消毒液 □予備食 □着替え □温泉セット □学割証 (□熊鈴) □トレッキングポール
■注意点
・各日ともコースタイムが長いため時間管理は厳格に行う。
■悪天・緊急時対応
<天候判断>
決行可否:前日までに判断
山行中:随時天気予報を確認し停滞・行動短縮
<各日行程を完了できない場合の対応>
1日目→萱小屋泊、翌日三浦峠まで。3日目は観音堂または本宮(※長時間行動注意)まで
2日目→三浦峠泊、以下上と同様。以南では天水田泊。登り返し困難ならバスで移動し本宮泊
3日目→本宮周辺泊。翌日は那智へ。
<離脱対応>
・山行継続に困難がありかつ自力での帰京が問題なくできる場合に、三浦口・果無口(十津川温泉)・本宮・小口の4地点で離脱を認める。(公共交通機関を利用した一時離脱/再合流等を行う場合もあり)
・2名以上の離脱が避けられなくなった場合は山行自体を中止。(ただし最終日は除く)
・怪我等対応が必要な場合は山行を中止。
■遭難対策費
600円×4=2,400円
■現地連絡先
和歌山県警橋本警察署 0736-33-0110 (高野町)
奈良県警五條警察署 0747-23-0110 (野迫川村,十津川村)
和歌山県警田辺警察署 0739-23-0110 (田辺市)
和歌山県警新宮警察署 0735-21-0110 (新宮市,那智勝浦町)
■登山道情報
□避難小屋
[伯母] 萱小屋跡避難小屋:水場✕、トイレ✕、幕営可
[伯母] 伯母子峠避難小屋:水場〇、トイレ〇、幕営可
□キャンプ場・幕営適地
[三浦] 三浦峠:水場✕、トイレ〇
[果無] 天水田:水場✕、トイレ✕
[果無] 観音堂:水場〇、トイレ〇
[小雲] 渡瀬緑の広場キャンプ場:1,400円/人、入浴無料、チェックイン~20:00
[小雲] 田辺川湯キャンプ場、700円/人、チェックイン~18:00
[小雲] 小口自然の家:(1,800+500*n)円、入浴無料
[大雲] 地蔵茶屋跡:水場✕、トイレ〇、自動販売機・休憩所あり
□水場
[野迫]大滝
[伯母] 伯母子峠
[三浦] 五百瀬、三十丁石、西中
[果無] 果無、観音堂
[大雲] 円座石先
□トイレ
[野迫] 大滝、大股
[伯母] 伯母子峠
[三浦] 三浦峠、玉垣内、昴の郷
[果無] 果無、三里、三軒茶屋、本宮
[小雲] 小雲取山、小和瀬、小口
[大雲] 地蔵茶屋、那智高原、市野々
□売店
[高野] ニューヤマザキ:8:00~22:30
[三浦] 田上商店:10:00~18:00 ?
[三浦] コミュニケーションストアーふくおか(十津川):7:00~20:00(9:00~19:00) ※木曜定休
[三浦] スーパーヤマイチ(十津川):9:30~18:45 ※日曜定休
[果無] 道の駅奥熊野ほんぐう(三里):9:00~18:30
[果無] ヤマザキYショップ(本宮):7:30~18:30
[果無] 八屋(本宮):9:30~18:30 ※水曜定休!
[小雲] ヤマザキYショップ(請川):7:30~18:00
□温泉
[三浦] 十津川温泉星の湯(昴の郷):12:00~17:00、1,000円
[三浦] 十津川温泉庵の湯:8:30~20:00、600円、火曜定休
[小雲] 湯の峰温泉公衆浴場:6:00~21:00、400円
■備考
□日出・日没時刻(伯母子岳)
3/20 日の出5:56 日の入り18:15
(参考:https://alumicase.com/acdc/mountain.html )
□ラジオ
NHK第一 666kHz(大阪), 1026kHz(新宮)
NHK第二 828kHz(大阪), 1359kHz(新宮)
□その他連絡先
野迫川村村営バス 0747-37-2104
十津川村村営バス 0746-64-0408
□過去記録
2017年度記録
(雷鳥外)
2022年 https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=245852
2019年 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1807085.html
など
□コロナ対策※[raicho_all:461] 5/26より一部改定
1. 遭難などの緊急時を除き、山小屋の使用を控える。
2. 長期休暇中は平日の活動を中心にする。
3. 山頂付近などの人が多いところでは長時間滞在しない。
4. 最大10人以内のパーティーとする。
5. 常に、パーティー内の連携を損ねない範囲で十分に距離を取る。
6. マスクを常用する。
7. 水や食料は事前に購入しておき、登山山域での買い物を控える。また、下山後の会食も控える。
8.テント内の人数は定員の半分程度とし、余裕をもって使用する。
9. メンバー全員が当日朝検温して担当者に提出。山行前の体調管理はしっかりと行い、少しでも風邪の症状がある場合は参加を控える。
3/20-23 熊野古道(小辺路・雲取越)山行 記録書
■日程 2023/03/20(月)~23(木)
■山域 大峰・熊野
■山名 熊野古道(小辺路・雲取越)
■天気
1日目 晴れときどき曇り
2日目 曇りのち雨
3日目 晴れ
4日目 雨
■メンバー(敬称略)
CL桐原 SL吉田 小島 宮島
■総評
幾つもの峠越えを繰り返す長い山旅の中で、移り変わっていく自然や風土を楽しむ事ができた。展望の良い場所や歴史ある見どころも想像以上に多く、ロングトレイルの魅力が詰まった4日間だったと思う。厳しい行程や変動する天気は生易しいものではなかったが、楽しいメンバーとともに歩き通せて良かった。
■タイムスタンプ
<1日目>(CT8:50 / 行動7:19+休憩1:35)
7:35 集合
7:43 千手院橋発
7:57/8:04 ろくろ峠
8:38 薄峠
9:10 御殿川橋
9:27/9:42 大滝休憩所
10:12 スカイライン出合
10:23/10:32 野迫川口
10:49 水ヶ峰分岐
11:16 林道出合
11:34/11:45 1108mピーク下休憩舎
12:15 平辻
13:01/13:23 大股登山口
14:05/14:16 萱小屋
14:59/15:09 桧峠
15:54/16:31 伯母子峠着(水場往復)
16:44/16:54 伯母子岳
17:04 伯母子峠
<2日目>(CT11:20 / 行動10:38+休憩2:25)
2:00 起床
3:35 伯母子峠発
4:22 上西旅籠跡
4:30/4:40 1080mピーク
5:14 水ヶ元茶屋跡
5:40/5:50 950m鞍部
6:42/6:52 三田谷
7:09/7:20 三浦口
7:54 吉村家跡
8:28/8:35 三十丁の水場
9:19/9:35 三浦峠
10:10 出店跡分岐
10:42/10:53 600m地点
11:06 矢倉観音堂
11:42/11:58 西中
12:18/12:29 川合神社
13:15/13:23 椎平
13:48/13:57 大津越(雨具着用)
14:18/14:28 柳本橋
15:04/15:11 果無集落
15:52 天水田
16:01/16:10 山口茶屋跡
16:38 観音堂着
<3日目>(CT10:05 / 行動8:52+休憩観光3:18)
3:00 起床
4:55 観音堂発
5:26/5:31 果無峠
6:21/6:32 本宮町展望所
6:48 七色分岐
7:30/7:34 八木尾
7:57/8:16 道の駅奥熊野ほんぐう
8:37 三軒茶屋跡
9:01 ちょっと寄り道展望台
9:22/10:00 熊野本宮大社
10:10/11:10 本宮下(食事・補給)
11:23/11:32 大斎原
12:20/12:28 下地橋登山口
13:35/13:46 万歳道(伊勢路)分岐
14:12/14:14 百間ぐら
14:45/14:56 石堂茶屋跡
15:26 桜峠
15:50/16:00 390m地点
16:16 椎の木茶屋跡
16:41/16:51 小和瀬
17:05 小口自然の家着
<4日目>(CT7:30 / 行動6:11+休憩観光1:05)
1:00 起床
2:13 小口自然の家発
2:46 円座石
3:01/3:11 290m地点休憩舎
4:10/4:15 700m地点
4:43 越前峠
5:18 石倉峠
5:35/5:47 地蔵茶屋跡
6:42 色川辻
7:06 舟見茶屋跡
7:18/7:28 730m地点
8:14/8:19 那智高原公園
8:43/9:06 青岸渡寺・熊野那智大社
9:29 那智大滝着
■共同装備使用記録 [持ち出し→携行→持ち帰り]
テント(ステラ4 No.2):吉田→桐原・吉田→桐原
テント(桐原私物):桐原→桐原→小島
救急箱(有紗):小島→小島/桐原→桐原
ヘッド(緑1):吉田→宮島→吉田
カート×3:小島・桐原
鍋(竹小竹):桐原→宮島→宮島
調理器具セット(キャサリン):吉田→吉田→吉田
■ルート概況
□全般
・道標類は非常に良く整備されており、山中道迷いの心配はほとんどない。ただし下界(集落内)は分かりづらい所があるので注意。
・特段危険箇所はないが、道幅が狭く滑落のおそれがある区間は多い。落石にも注意。(小雲取越の途中、目の前で危険な落石を目撃)
・石畳は濡れると滑る。下りは時間に余裕を持って。
・エアリア(2022年版時点)の情報が古い?のか現実と一致していない所がままある。最新の情報・現地からの案内を確認のこと。
・十津川村製作の小辺路マップが有用。無料で郵送してもらえる。
□登山道
・伯母子峠→上西旅籠跡の通行止めは解除されている。
・大斎原→大日越登り口バス停の道は橋の崩落により通行止め。またエアリア記載の大斎原→奥駈道へ直接入る道は存在しない。請川方面へは、大鳥居まで戻ると国道へ短絡するあぜ道がある。
□幕営・宿泊
・萱小屋…避難小屋数名、水場・トイレなし、幕営も可能、ストーブあり
・伯母子峠…避難小屋〜8名程度、水場・トイレあり、幕営も可能
・三浦峠…数張、水場・トイレ・東屋あり
・観音堂(果無)…数張、水場・トイレあり
・本宮周辺…いくつかキャンプ場あり(田辺川湯、渡瀬緑の広場)
・小口自然の家…フリーサイト、1,300円×人、炊事場・トイレあり、入浴代込み
・地蔵茶屋跡…休憩所が避難小屋として使えそう、水場なし・トイレあり
その他、水場は限られるが幕営適地は多数
□水場
・エアリア記載のうち、大滝(葵の井戸)、三浦口は確認できず。
・三浦峠南直下、重里に記載外の水場あり
・三十丁石の水場は水量僅少
□売店
・コース上で確実な補給地点は本宮のみ
・平日であれば田上商店(西中)が営業している可能性はあるが当てにしないこと。
・確認済みの自動販売機:高野山、大股、三浦口(吊り橋手前の右手)、西中、重里、道の駅奥熊野、本宮、地蔵茶屋跡
・三浦口と西中~果無間では野菜の無人販売がいくつかあった。
□トイレ・休憩所
・観音堂には記載外のトイレあり。
・石堂茶屋跡に記載外の東屋、一方舟見茶屋跡の休憩所は確認できず。
■前後泊・観光情報
□宿泊
前:高野山奥の院 高野山ゲストハウス kokuu
後:紀伊勝浦駅前 Why Kumano
どちらもオーナーさんが非常に親切で柔軟に対応してくださいました。
□高野山
・山内の寺院の拝観時間は17時まで
・壇上伽藍の参道、奥の院は夜間でも観光可
・コンビニは奥の院寄りにはなく、千手院橋近くのヤマザキは開店遅いので注意
・極楽橋→千手院橋の登山道はウォームアップ兼交通費節約になるのでおすすめ(桐原が前日に使用)
□那智勝浦
・日帰り入浴多数
・朝7時から鮪の競りが見学可
・鮪の無人販売所:格安で刺し身等が手に入る
■記録
〈1日目〉(桐原)
前夜、桐原・宮島・吉田の3人は「高野山ゲストハウス kokuu」に宿泊した。我々の大きな荷物とバラバラの合流にも融通を利かせてくださり、温かいお茶やコーヒーを頂きながら小辺路の諸情報も教えてもらえた。ドミトリーも快適だった。
同宿の方はほとんど外国人。私達と同じように小辺路→雲取越で那智を目指すという方もいて、すこしお話をした。その方はピーターさんといって、南アフリカから来ているそうだ。大学で学んでいることを尋ねられたり、ナミビアの素晴らしさについてプレゼンされたりしつつ、互いの旅路の無事を願い合った。
翌朝(1日目)、宿の近くの奥の院に参拝して「生身供」という儀式を見届けた後、支度を整えて登山口へ向かった。高野山と一般に呼ばれる小盆地には東西3km強の広がりがあり、東の端にある宿から小辺路の入口までは30分ほど歩く必要がある。空は完璧に晴れて、少しひんやりした空気が気持ち良い。
7時半頃千手院橋バス停に到着。ここで小島の合流を待つ。彼は前日夕方まで関東で用事があって、昨日夜遅くに大阪まで入っていた。今朝難波を発ったのは5時台(私が始発で来るよう要請したのだが、今更少し申し訳ない気持ちになる)。定刻通りやってきたバスから、小島が降りてきた。本山行第一の難関である複雑な合流は無事完了した。
高野山をみんなで観光したかったが、そういうわけにもいかない。今日の行程は短い方とはいえ8時間以上あり、すでに時刻は8時近く、宿泊予定地は山の上なので日没との勝負を制さなければならない。速やかに準備して、やや慌ただしく長い山行のスタートを切った。登山口には、「世界遺産熊野古道小辺路」の文字。これから4日間、ずっと世界遺産の上を歩くのだ。高揚感に不安が溶け込んで炭酸水の味がする。
高野山小学校の朝の放送を聞きながら緩やかに登っていくと、すぐに女人道との交差点、ろくろ峠に着く。先に歩き始めていたピーターさんと再び出会った。4人の集合写真を撮ってくださった。彼は今日は萱小屋までとのことなので、会うのはこれで最後かもしれない。どうか、よい山旅を。
ピーターさんに見送られつつろくろ峠を後にすると、しばらく尾根上の林道。ところどころ視界が開けて、紀伊山地の山々が延々連なっているのが見える。視界無しの森を覚悟していたので、意外に明るい雰囲気で気分がいい。薄峠で林道を外れ、谷へ下っていく。古道と言われればそんな感じがしなくもないが、基本的には普通の登山道。下りきると、1軒だけが生き残っている集落を抜けて、御殿川にかかる立派な橋を渡る。
小辺路は紀伊山地の西部、山脈が東西方向に連なっているところを南北に突っ切って進む。したがって、アップダウンの繰り返しになる。下ったら同じくらい登らなければならない。その事始め、御殿川の登り返しは、なんと舗装路だった。しかも勾配は登山道並み。激しい登りで一気に谷底から這い上がる。なかなかに辛い。嘘、かなり辛い。みんなして、ぐあぁ…と呻きを上げる。でも大丈夫。熊野古道には、魔法の保険がある。「熊野詣は辛ければ辛いほどよい」ここで苦しむことが現世での罪を滅ぼすことになり、極楽往生が約束されるのだ。それこそが熊野詣の意義であり、中世近世の人々を山だらけの紀伊半島へ駆り立てた原動力なのだという。この論理によれば、本山行にこの後待ち受けるあらゆる困難は、すべて将来への投資に昇華される。だから、大丈夫。(なわけ)
多少の滅罪を果たしたのち、大滝休憩所で最初の休止。休憩所にはトイレと東屋があり、どちらもとても綺麗。小辺路の全体を描いた大きな看板があって、あまり見たくない断面図も書かれていた。標高差800m前後の上り下りが1個、2個、3……。「パルス波だ」吉田くんが呟いた。
大滝からは比較的穏やかな登り。たまに訪れる倒木スクワットに耐えれば、じきに車道に出る。県境の稜線伝いに、高野龍神ラインと名付けられたこの国道をしばらく歩く。律儀に県境の標柱がいくつもあって、和歌山と奈良を行ったり来たりしているのが分かる。野迫川口で少し寄り道。奈良県側に出ると、素晴らしい眺望が広がっていた。遠くにアルプスのように連なるのは、大峰山脈。ところどころ雪も見える。前景には、(離島を除いて)日本一人口の少ない村、野迫川村の山と森が広がる。すぐ下の谷に村役場があるはずだが、まったくその気配がない。「豊かな緑 のせがわ」と書かれたありがちな看板も、ここでは圧倒的説得力を誇る。
水ヶ峰分岐からは登山道に入り、廃集落に残された大昔の原付などを鑑賞しつつ進むと、また林道に出る。今日は(今日も)車道歩きが長い。古道を壊して作られた林道は建設当時から批判の対象だったし、ここを歩く私達のような登山者にとっても嬉しいものではない。しかし一方で、野迫川はじめ紀伊山地の交通事情の厳しさもまたひしひしと痛感するところであり、生活と文化財を天秤にかける葛藤も想像に難くない。これを間違いだと言うことは、私にはできないと思った。これも含めて熊野古道の姿、今も生きている道の姿だろう。
西側の視界が開ける休憩所で2回目の休憩。お昼前。長い山行となると行動食のやりくりが難しく、文化性を捨てたラインナップが目立つようになってくる。私はフルグラを買った袋のまま持ってきてボリボリ食べている。美味しいと思って食べている。吉田くんは、グラノーラ→柿の種→(繰り返し) の甘味辛味サイクルを構成して、永久機関を実現したとかなんとか。小島と宮島さんは、まだ比較的、人間を諦めていない。
林道歩きと並行する古道区間とを何回か繰り返す。石の道標やお地蔵さんなど古道らしいものが増えてくる。お地蔵さんに投げられた賽銭には見慣れない硬貨も混じっている。罰当たりを承知で手に取ってみると、ユーロ硬貨だった。東京で暮らしているとき以上に国際色を感じるのが不思議な気分だ。平辻で林道と分れ、川底まで一気の下り。葉を落とした森で明るいが、そのせいで対岸の壁のような登り返しが見えてしまう。橋かけられたらなあ。どこまで下るのだろうという位下ると、やっと民家が見えてくる。アマゴで有名な大股の集落は、こんな山奥の割に戸数が多くて集落の体を成していた。目標より少し早い13時に着けて、CLとしては少し心の荷が降りた。登り返しで焦らなくて済む。ここから桧峠までは全山行中でも随一の急登で、多分きついのだ。長めの休息で体力を回復して、直登にかかる。こまめにGPSで高度を確かめて自分も仲間も励ましつつ登る。
萱小屋でも休憩。約20km歩いて来ていて、さすがに口数が少ない。…と思ったら、休憩後の登りから小島と吉田くんが何かの話題で盛り上がり始めた。聞いていると、理系には有名な某Y教授の線型代数がいかに鬼かという話をしているのだった。結局、弊学生は勉強・授業の話が大の好物である。悪いとは言ってない。楽しそうだ。散々愚痴った(訂:称賛した)後、某Y教授の鬼性は「乗り越えるべき苦難」なのだという結論に至った。なんだそれ、熊野詣の精神に通じるものがあるじゃないか。
熊野古道と某Y教授の間の知りたくもなかった同型性を導出しているうちに、桧峠まで登っていた。会話の力は偉大。斜光に照らされて伯母子岳と峠が見える。もう登りはほとんどない。斜面を巻いていって、コースタイムも巻いていって、伯母子峠に出た。16時前に着けるとは。
避難小屋はきれいに整備されていて、詰めれば10名ほどは寝られそうな大きさがある。思い出ノートが3冊、さらに小屋の壁面もノートの代わりになっていた。今日の同宿は1名。親切に話しかけて下さった。同じ小辺路を歩いているという連帯感が、他の山よりも少し強い感じがする。
南側に5分ほど降った沢で水を補給。小島は少々疲れがあるとのことなので、他の3人で伯母子岳までピストンする。100mほど登った山頂は、開放的でとても眺めが良かった。360°、全て山。西に護摩壇山、東に大峰山脈、南に果無山脈、北に荒神岳など。人家の一つも見えないという点では、北ア水晶岳にも引けを取らない。誇張ではない。谷には一足早く夕闇が溜まり、尾根はやわらかく輝いていた。その対比が遥か遠くまで繰り返される。おそろしく奥深い土地に来ているのだという実感がした。
本山行最高峰からの絶景に満足し、小屋に戻ったら、すぐに食事の準備にかかる。今夜はキムチ鍋だ。食当の宮島さん、アサリの缶詰や野菜に加え、液体タイプのスープを担ぎ上げてきたという。労力の割き方からして只者ではない。ありがたや。ご飯もうまく炊けて、非常に美味しかった。ほどよい辛さが体を内側から暖めてくれた。本山行は食当の工夫と努力によって長期の割に食に非常に恵まれた旅となるのだが、今夜はその華々しい幕開けになった。
食べ終えてしまうと、寒さに気づき、明日への期待と不安と不安と不安が思い出されてくる。とにかく今日は早く寝るしかない。快適な避難小屋の中で、少しそわそわしながら就寝。
〈2日目〉(小島)
朝、2時。起床。一緒に泊まっていた大学院生を起こさないように気を付けたが、最終的には起こしてしまった。ごめんなさい。朝食は吉田シェフのペペロンチーノ風そうめん。卵も載せておいしくいただきました。
大学院生に見送られながら、3:30に出発。道が狭いので、慎重に進む。前日に同じ道を通って水場に行ったので、安心感があった。泊まりのザックをしょっていると、狭いところでは前後で会話がしずらいと感じてしまう。黙々歩いて三田谷を目指す。日の出は6時近いので、歩けど歩けど辺りは明るくならない。時折、遠くから変な音も聞こえる。山奥なので、街灯が眼下に見えることもない。暗闇。4人で歩いていることのありがたみをひしひしと感じる。夜間に歩いているときに感じるじめっとした湿気の感じが、高校時代の初日の出登山を思い起こさせる。
どれだけ時間が経っただろう。辺りが段々と明るくなってきて、荘厳な朝を迎える。普段生活していて、明るくなってきたなあと感じる機会がかなり少ないので、熊野の鼓動を感じる瞬間だ。三田谷に到着。桐原によると、今回の行程で一番の標高差だという。どうりでクタクタなわけだ。しばらく車道を歩く。十津川方面に向かうバスを横目に見ながら、橋を渡ってすぐに三浦峠への登り口に到着。少し趣のある石段が増えてきて、写真をパシャパシャとりながら進む。日帰り登山を何本も一日にこなす感覚なので、まるで下界に集合したかのようだ。
三浦峠までは桐原CLの後ろを歩いていたのだが、結構ペースが速め?だったので、息が上がる。試しに桐原の歩くリズムに合わせてみると、自然と歩幅も一致してきて、しまいには動かす足も一致した。するとさすがの桐原の歩行メソッドでテンポ良く歩けるようになり、三浦峠前の急坂をクリアできた。しばらく進むと滝が現れる。水量はかろうじて汲めるくらいのチョロチョロ。交代で水汲みをしながら、フルグラを摂取する。三浦峠を前に視界が開けると、眼下には先程までいた三田谷が遥か下に見える。この日は昼過ぎから時折雨が降る予報だったが、幸いにもまだ晴れていた。
三浦峠にはトイレが設置されているのだが、その横に手洗い用の蛇口があり、「この水は飲めません」という張り紙がある。その張り紙の横には登山用のコップが置かれているのは、見なかったことにしよう。外国人が多い山域(道標には必ず英語が併記されている)だが、日本語の張り紙を読めない外国人は飲んでしまうのだろうか…?
ゆっくりと休憩し、次なる外界へ降下を開始する。目指すのは僕が個人的に憧れていた十津川村。日本一大きな村である。最寄り駅から村の中心部まで、バスで3時間もかかるのだから、その秘境ぶりにとても興味があった。昨晩今朝の出来事の話をしながら降りていく。一般登山者(軽装の日帰り登山者)にも出会い、熊野古道の人気コースに近づいていることを実感した。
ところで、熊野古道の森は本当に綺麗に整備されているのがとても印象的だった。どこを歩いても杉の切り株(間伐跡)や下草刈りの跡があり、木の匂いが漂っている。2週間前に奥多摩の杉林を歩いているが、杉の密林というのが的確なくらい、放置された悲しみを醸し出すような暗い雰囲気を放っていた。それとは大きく異なる明るい森を見て、さすが世界遺産だと思わざるを得なかった。ぜひ、世界遺産文化遺産の森(自然遺産だったら易々と入れない)を体感してほしいです!
十津川に到着、と家族に現在地の連絡を送る。docomoは電波が弱く、山中では他社に比べて繋がりにくい印象だった。しばらくして弟から、WBC準決勝メキシコ戦の9回裏をやってるとの情報が入った。村上がサヨナラを打った日に、紀伊半島のど真ん中にいる独特の隔絶感を体験できました。
十津川の集落を果無の入口に向けてひたすら歩く。地元の人たちがみんな挨拶して下さり、温かい村だと秘境感を満喫した。舗装道を1時間位歩いた頃から足の裏が痛くなりだし、特に3人は悲鳴を上げる事態に。途中から雨も降り出し、歩き出して10時間位のタイミングで雨具を取り出した。
それから観音堂までは、かなり気分的に疲れが出てきてしまい、特に果無集落を出てからは無の境地に達していた。雑念が浮かんでもすぐに消え、逆に疲れたという気持ちもすぐに消える。修行とはこういうことなのだよ、と熊野の山々に教えられているようだった。
歩き始めて13時間。観音堂に到着。桐原シェフのサバカレーうどんを堪能し、快適に眠りについた。
〈3日目〉(宮島)
3時ちょうどに起床。小辺路で迎える2回目の朝だ。運良く快適な宿泊地を与えられたおかげで、装備を雨に濡らさずに済んだ。本当にありがたい。朝食は小島氏によるカレーメシドリア。ソーセージを炒めたところにお湯でふやかしたカレーメシとさけるチーズを投入する。カレーメシを容器まるごと、4個持ってきてくれたので、コッヘルを取り出さず、容器を食器代わりにした。山中でのカレーメシは2回目だったが、同一商品とはとても信じがたい「料理」だった。小島氏と小竹氏と火(五十音順)の力は偉大である。しかし、鍋にこびりついたカレーメシはしぶとい。拭いても拭いても茶色。粘った末、少量のお湯を沸かすことになり、じゃんけんで勝利した私が、アマノフーズ様の茄子のお味噌汁をいただいた。こうして朝食を満喫し、5時前に観音堂を発った。
さっそく急勾配の階段に取りつく。昨日の終盤に感じていた疲れはかなりとれており、順調に果無峠へと進む。第十九観音近くにある展望ポイントからは、釈迦ヶ岳方面に広がる雲海を望むことができた。夜明け前のこの時間帯の空気にしか生み出せないであろう静謐な景色は、我々を自然と立ち止まらせる。熊野古道っぽさを感じながら、代わる代わるシャッターを切った。十津川村のマップに記載の通り、果無峠直下は向かって左側が切れ落ちていて道が狭かった。果無峠から先、本宮町展望台までは、ところどころ急坂が現れるが、着実な下りが続く。 本宮町展望台でも再び雲海を見られたが、先ほどと比べると高度感は薄く、随分下ってきたのだなと感じた。三十丁石と七色分岐の間にある、県境の展望ポイントで休憩をとり、引き続き下り坂を進む。やはり時折急坂が現れる。七色分岐を過ぎた辺りからは和歌山県田辺市本宮町。八木尾にかけて景色がひらけてきて、またひとつ峠を越えた実感が湧く。他のメンバーも似た感覚を覚えていたのだろう、八木尾に到着した頃から、本宮で離脱する小島さんが、たくさん写真を撮り始めた。4人全員での写真も何枚か撮影した。八木尾では、十津川温泉発八木行きのバスに遭遇し、盛り上がった。
ここからしばらくは、国道168号線に合流し、熊野川を左手に進む。途中、道の駅でゆっくり休憩した。どのタイミングで着替えを消費するかとか、フルグラの減り具合だとか、そんなどうでもいい話に、桐原さんが地学の知識を織り交ぜてくれる。平岩口バス停付近から国道を逸れ、三軒茶屋跡から再び古道に戻る。三軒茶屋跡には休憩小屋があり、すぐ近くには九鬼ヶ口関所跡が施されている。ここで中辺路と合流し、古道感溢れる石畳が続き、観光客の姿も散見された。「ちょっと寄り道展望台」からは、大斎原の大鳥居(高さ約33m、平成12年建立)と、その先の稜線が織り成す風景をたのしんだ。明治22年の大洪水の後、現在の地に社殿が移されるまでは、熊野川と音無川に挟まれた三角州には社殿が立ち並んでいたらしい。
9時過ぎ、ついに熊野本宮大社に辿り着いた。裏鳥居から入って荷物を下ろし、皆で参拝する。じっくりまわった後、荷物置き場に戻って装備の再割り振りを行った。小島さんの離脱が近い。寂しい。時間に余裕があったので、どこかで食事をしようという話になり、本宮大社近くの「キッチン」というカフェに入った。二晩お風呂に入っていない我々を、快く入れてくださった。何を頼むか迷いながらも思い思いに注文し、至福の時を過ごした。牛丼を前にした吉田くんの笑顔は、全会一致で本山行のベストスマイル賞に選出される幸福そうな表情であった。CLの入念な下調べのおかげで、無事デイリーヤマザキで飲食物を補給し、ここで小島さんと別れの握手を交わした。我々は大斎原の鳥居を経由して請川方面へ歩みを進める。ルート概況に記載されている通り、事前に知り得なかった道路の通行止めに遭遇し、大鳥居まで戻って国道に合流した。バスが通るたびに、小島さんが乗っているのではないかと3人で目を凝らした。
下地橋登山口から、小雲取越えの古道に入る。道は歩きやすいうえ、某Y教授の話題という強力なエナジー剤が加わり、さくさく進んだ。途中、目の前で非人為的な落石が起きたこと以外に、危険箇所等はなかった。とはいえ、疲労が蓄積していることは確かだ。今日も先頭を歩くCLのペース作りに、翌日のことも考えながらパーティを導いてくれているのだなと感じた。小和瀬に下りると、地元のおばあさんにねぎらいの声をかけていただいた。(もうすぐお風呂、もうすぐお風呂)と念じながらアスファルトの道を歩き、小口自然の家に到着。宿舎は外国人のお客さんで賑やかだった。テント客の自由度は高く、翌日の雨を避けるために炊事場に幕営を試みたが、うまくスペースがとれなかったので、ベンチをベッドに夜を明かすことにした。入浴後、食当の吉田くんを中心に最後の夕食を作る。あたたかいご飯とアマノフーズ様のフリーズドライ商品で作った丼をいただいた。翌日の行動についても、このタイミングですり合わせや在京への報告を行った。豪雨を避けるべく1時起き2時発で那智を目指すことが決まり、皆で翌朝のための準備をできる限り進め、翌日の天候の好転を祈りつつ、ベンチに横になって、ひとり、またひとりと眠りに落ちた。
〈4日目〉(吉田)
昨日の計画通り一時起床。(すでにここは外界なので) 夜中は暖かく、炊事場を広々快適に使わせてもらったため、この上ない快眠だった。昨晩と予報は変わっていなかったため、このまま突入することに決定。朝食に棒ラーメンを頂き、雨具を装備して2時過ぎに出発した。歩き始めたときにはすでに雨は降り始めていた。
小口からの登り始めはいくらか傾斜があり道も濡れていたが、前のお二人の足取りは確かで安心感を覚えた。かくいう私も、最終日で荷物が軽くなっており体力的にはちょっとばかし余裕があった。しかし問題は精神的負荷である。早く下山しないと…という焦りももちろんあるが、さらにきついのは虚無感だ。ヘッデン行動時特有の開放感と爽快感は雨と雨具のせいで打ち消され、耳が塞がっているので会話もできない。ここにきてまた属性の違う試練が来たなと、苦しみはすべて試練と変換する熊野マインドで前進し続けた。
東屋での休憩で一瞬虚無から解放されつつも、単調な登りが続く。特に500m地点前後はかなり急だったが、とにかく早く下山したい我々によってそのままのスピードで突破された。途中で私の靴が木の根の間にちょっどスポッと挟まり5秒程度動けなくなったのがハイライト、というくらいに代わり映えがなかった。
越前峠を越えるとやっと味気ない道が終わり、沢ありアップダウンありと味が出てきた。しかし、このあたりから一層雨足と風が強くなり、とにかく前へ進むことだけを考えていた。
石倉峠を越えて下っていくと地蔵茶屋跡だ。ここには立派な休憩所に立派なトイレ、立派な東屋に加えて自動販売機もあり、避難小屋として利用できそうな施設が並んでいる。東屋で雨を凌ぎつつふと顔を上げると、すぐ横を通る沢の勢いがずいぶん激しくなっており、これはひょっとすると那智の滝が増水してすごいことになっているのでは?という期待が生まれた。そうでも考えないと雨の中をいくモチベーションが保てなかった。
ここからしばらく傾斜のある車道歩きである。相変わらず雨は降りしきっており道の轍の位置には二つの立派な沢()ができていた。それらをよく見ると、左手側の沢は細かい菱形を敷き詰めたような波形が水面で観測できるのに対し、右手側の沢は大きな楔形の波形が間隔を開けて流れていた。地面の形状は左右でさほど変わらないはずなので流速が関係するのだろうか流体力学って面白いなそういえば昨日桐原さんと熊野川で流体力学の話をしたな昨日はポカポカした街中を意気揚々と歩いていたはずなのになんで今こんなコンディションの悪い中行動しているんだろうというか世界遺産を歩いているのに車道を流れる水を見て思いにふける自分やばくないか、などという雑多な思考が一瞬のうちに頭をめぐってえも言われぬ気分になった。早く那智につかないだろうか。
100mの登り返しを突破し舟見峠を越えれば後は下るだけだ。ここで木々の隙間から海でも見えればテンションもあがるだろうが、まあ相変わらずの曇天模様である。舟見茶屋跡が見つからず雨がしのげる場所で休憩していると、旅の終わりが近づいてきたからか下界に残してきた仕事や悩みが一挙に思い出されてきた。会の運営のこと、バイトのこと、成績のこと…(は線型に限って山行中に散々話を聞いてもらってしまったが…)ただ、熊野の異空間と苦難に満ちた行程がそうさせるのだろうか、以前と変わらない無聊な日常が戻ってくるというよりは、試練を乗り越えて少し成長した自分として改めて新生活に臨もうという心持ちになった。これも一種の熊野マインドであるといえよう。
ガスの中を稜線に沿って下っていくとついに視界が開けた。那智高原公園の一角に降り立ったのだ。ここで、那智の滝までで行程を終えてそこからはバスで降りることを最終決定した。こうなってしまえばあとはウイニングランである(走りはしないが)公園を突っ切り石階段を行けば青岸渡寺、しいては熊野那智大社の裏手に出る。鮮やかな赤が緑の中に映える本殿にお参りをした。参拝客はそこそこいたが古道からきた人は我々のみのようで、大荷物を背負ってずぶ濡れになっている3人に奇怪と憐憫の目が向けられたのは言うまでもない。
そこからつづら折りのアスファルトを横切るようにしばらく下り、大木立ち並ぶ参道を行けば、ついに那智の滝が姿をあらわす。落差133m。その高さは落下境界線が視認できないほどであり、今まで我々を見下ろしていた杉の木立を遥かにしのぐその佇まいは、まさに名瀑と形容するほかなかった。予想以上の絶景に気圧されながら、私は旅の終わりをしみじみと感じていた。下山連絡の後、滝のすぐ近くにあるバス停で那智勝浦へと向かうバスに乗り込み、この4日間我々を苦しめつつも導いてくれた熊野古道からついに足を離すこととなった。さらば……!
那智勝浦に着き、今宵の宿のWhy Kumanoへ向かう。まだチェックイン時間前だったがオーナーの方のご厚意で、荷物を置かせてもらえたばかりかなんとシャワーまで使わせていただいた。ありがたい。事前に郵送していた荷物や近くのホームセンターから衣服や靴を手に入れて着替えればもうすっかり旅行モードである。その後、オオシケの海を見に行き、食堂日の出丸で大ボリュームの昼食をいただき、(やっと公開された教養学部のシラバスをみて、)無人販売所でマグロの刺身を購入し、足湯につかり、bodaiというお店で海鮮ディナー(中トロカツ&海鮮丼&くじらの竜田揚げ!)を満喫し、ゲストハウスに付随しているバーで小島さんとzoom打ち上げを敢行し、ジントニックと名も無き(!?)オレンジジュースで乾杯し、今日1時起きしたと言ってオーナーの方にドン引きされたりと、午前とは打って変わってキラキラトラベラーと化していた。翌日は先輩方の運転するレンタカーに乗り、潮岬とジオパーク、橋杭岩、熊野速玉大社、志摩半島の横山展望台、そして伊勢神宮を巡り、紀伊半島半周旅行を完遂し名古屋で解散したが、このあたりの旅行記はまたの機会に!
■感想
◯桐原
・ずっと温めていた思い入れのある計画が事故無く完遂できて本当に良かったです。100kmの達成感はすごい。
・展望や自然の豊かさを楽しめて登山対象としても魅力的だった上に、古道要素・地学要素や美味しい寄り道、山行前後の観光などもできて満足度の高い4日間(アプローチ後泊含めて個人的には8日間)の旅でした。
・参加して一緒に山行を作ってくれたメンバーに心から感謝します。誰ひとり欠けてもこの楽しさは実現しなかった。
◯吉田
・苦しくも楽しい4日間で、自分の大学一年目を締めくくるのに相応しい山行でした。みなさんありがとうございました。
・SLらしいことを何もできないでいたので、せめてと思い最後尾から先輩方を見守りつつ写真を撮っておりました。
・峠越えが連続し水平方向へどんどん進んでいくので、地図を見るたびもうここまで来たのか…と驚いていました。
・ヘッドライトの電池は横着せずにすぐ切り替えましょう(戒め)
◯小島
・長いルートをしっかり調べて、当日も引っ張ってくれた桐原、重たい食材を背負って美味しい〜夕食を準備してくれた宮島さん、きつい中でも疲れたひとつ言わずに楽しいムードを作ってくれる吉田くん、みんなに感謝です。
・泊まり山行の経験値が少ない中、ノリで参加を決めた熊野古道修行でしたが、本宮大社までたどり着けて我ながらによく頑張ったと思います!
・熊野古道もとても楽しく充実していましたが、熊野古道を想像しながらのトレーニング山行も非常に充実していて、春休みの山行全体として、凄い充足感に浸っていました。ありがとうございました!!
・日程の都合で那智まで行けませんでしたが、次回の長距離山行は完走したいです。
◯宮島
・いくつもの峠を越え、集落にであう、これまでにない登山経験になりました。移り変わる景色が面白かったです。
・2件の忘れ物が個人的な大反省点です。山行に影響が出ないよう助けてくれたメンバーや家族に感謝します。
・雷鳥に入ってよかったなと、あらためて強く感じる旅でした。ありがとう。