2024/5/5-6 女峰山山行
女峰山山行計画書 第二版
作成者:油井
■日程 5/5-6(日-月) 一泊二日 予備日なし
■山域 日光
■目的 登頂、ご来光、避難小屋泊
■在京責任者 吉田(45)
■在京本部設置要請日時 5/6 18:00
■捜索要請日時 5/7 08:00
■メンバー ( 3人)
CL 油井 SL 斉藤 ◯ 小田
■集合
08:20 東武日光駅改札前
■交通
□行き
07:03 南栗橋-08:18 東武日光
08:57(/10:24) JR日光駅-東武バスK系統-9:27(/10:54) 霧降高原
□帰り
13:56/14:29/15:29/16:03/16:33 東武日光-15:44/16:13/17:21/17:42/18:25 南栗橋
(途中栗橋でJR宇都宮線に乗り換え可、南栗橋からは東急田園都市線直通あり)
※東武の株主優待券を金券ショップで購入したので東武線内は片道790円
■行程
1日目
霧降高原バス停-(0:40)-小丸山-(1:10)-赤薙山-(0:50)-赤薙奥社跡-(1:00)-一里ヶ曽根-(1:20)-女峰山-(0:30)-唐沢避難小屋
【5時間30分】
2日目
唐沢避難小屋-(0:40)-女峰山-(0:15)-専女山-(0:10)-帝釈山-(0:10)-専女山-(0:15)-女峰山-(0:30)-唐沢避難小屋-(1:00)-黒岩-(3:00)-登山口-(0:20)-西参道バス停
【6時間20分】
計11時間55分 17.9km △1739m▽2439m
■エスケープルート
女峰山まで:引き返す
黒岩尾根:そのまま下山または志津乗越へ
■個人装備
□ザック □ザックカバー □サブザック □シュラフ □マット □登山靴 □替え靴紐 □ヘッドランプ □予備電池 □携帯トイレ
□チェーンスパイク □雨具 □防寒具 □帽子 □軍手/手袋 □タオル □水(3~4L) □行動食 □非常食 □カトラリー □コッヘル
□ライター □トイレットペーパー □新聞紙 □ゴミ袋 □エマージェンシーシート □地図 □コンパス □筆記用具 □遭難対策マニュアル
□計画書 □学生証 □保険証 □現金 □常備薬 □マスク □消毒用品 □日焼け止め □着替え・温泉セット □モバイルバッテリー
(□サングラス □サンダル □歯ブラシ □トレッキングポール □熊鈴)
■地図
25000分の1:「日光北部」
山と高原地図:「日光」
■共同装備
チェーンスパイク
・ツルマイ:斉藤
ツェルト
・アルファ:油井
・ブラヴォー:小田
なべ
・小梅:小田
・小竹:油井
ヘッド
・緑1・緑11:油井
カート
・(2):油井(購入)
・(2):小田(使い切ろう)
調理器具セット
・キャサリン:油井
救急箱
・有紗:小田
■食当
夜:小田
朝:油井
アレルギー等:ナッツ、豆乳、モモ、サクランボ
■遭難対策費
200円×3名=600円
■悪天時
前日までに判断
■施設情報
□避難小屋
唐沢避難小屋(通年開放、無人、トイレなし、定員24人)
□水場
小屋から往復20分
□トイレ
霧降高原、日光市街
□温泉
日光和の代温泉 やしおの湯(10-21時 700円 0288-53-6611)
日帰り温泉 ほの香(11-18時 650円 0288-53-0500)
■備考
□日の出日の入り(女峰山)
日の出:04:42
日の入:18:34
□連絡先等
日光市役所経済観光部日光観光経済課:0288-53-3795
日光警察署:0288-53-0110
安川町交番:0288-53-2551
駅前交番:0288-53-3557
5/5-6 女峰山山行記録
作成者:油井
■日程 5/5-6(日-月) 一泊二日 予備日なし
■山域 日光
■天気 晴れ
■メンバー
CL油井(45) SL斉藤(45) ◯小田(45)
■共同装備
チェーンスパイク
・ツルマイ:斉藤
ツェルト
・アルファ:油井
・ブラヴォー:小田
なべ
・小梅:小田
・小竹:油井
ヘッド
・緑11、私物:油井
カート
・(2):油井(購入)
・(2):小田(使い切ろう)
調理器具セット
・キャサリン:油井
救急箱
・有紗:小田
■総評
初めて泊まりCLを務め、無事に山行を終えられたことにホッとしている。初日は積雪の影響で思うように進まず、コースタイムより1時間ほど長くかかってしまったが、天候に恵まれ、冠雪した北関東・南東北の山々を一望することができた。2日目は女峰山と帝釈山の間の北アルプスに引けを取らない稜線歩きを楽しむことができ、充実した山行となった。
■タイムスタンプ
(1日目)
9:45 霧降高原-(0:25)-10:20 小丸山-(1:10)-11:30 赤薙山-(2:10)-14:00
一里ヶ曽根-(1:30)-15:35 女峰山-(0:50)-16:55 唐沢避難小屋
(2日目)
4:00 唐沢避難小屋-(0:50)-4:50 女峰山-(0:30)-5:30 専女山-(0:15)-5:45
帝釈山-(0:20)-6:15 専女山-(0:15)-6:30 女峰山-(0:30)-7:00 唐沢避難小屋-(1:40)-9:20
黒岩-(2:00)-11:20 行者堂-(0:10)-11:35 二荒山神社
■ルート概況
・霧降高原から小丸山までは1445段の木製階段で人も多い
・登山道に入ると、本来のルートは侵食で崩壊しているのか無数の踏み跡
・総じて変化の多い登山道
・黒岩尾根のみ単調な笹原
・赤薙奥社〜黒岩までは一部区間積雪あり(多いところで1mほどか)
・赤薙山以降は人気の少ない静かな山域
■山行記
(1日目:斉藤)
この日は朝4時に起床し始発電車に乗車。小田、油井とは東武線内で合流し、電車に揺られているとはるばる東武日光駅に到着した。駅を出るとすぐ右手に先鋭な女峰山を含む日光連山を拝むことができ、「ここに登るのかぁ」と、胸が躍るような心配になるような気分だ。駅で入念にトイレを済ませ、一合瓶だけの日本酒を購入してからバスに乗車した。
霧降高原のバス停を降りてすぐにかの有名な1445段の階段に出迎えられたが(標高差約300m)、階段というのは登りやすさゆえ調子を狂わせるらしく、ここを25分ほどで登ってしまい、この先の行程が不安になるくらい足が疲れた。少し休憩をはさんでから、今度はゆったりしたペースで赤薙山方面へ。左手には壮大な男体山を望みながら、時折すれ違う登山者に挨拶をしながら進む。彼らの多くは軽装であるから、おそらく赤薙山のピストンなのだろう。ところが赤薙山を過ぎても、登山者の数は減ったものの依然として時折軽装の登山者とすれ違う。そのうちの一組と話をしたが、どうやら女峰山のピストンを諦めて下山しているということだった。女峰山ピストンは相当時間のかかる行程であるし、何より残雪への備えが必須だ。GWだからか、装備の甘いまま無謀な登山に挑戦する人が多いのだろうか。行程中盤から先は進めば進むほど人気(ひとけ)がなくなるような感じで、その日最後にすれ違ったのは年配の男性二人で、一里ヶ曽根独標付近14:30ごろのことだった。つまりここから約20時間、翌朝の下山途中に別の登山者とすれ違うまで、我々三人のみの世界となるのだった。
標高2300m付近に差し掛かったあたりから岩場や低木が目立つようになり、女峰山山頂を含むいくつかのピークが正面に連なる様子も相まって、気分はアルプス縦走である。遠くに目をやれば、6月に計画中の燧ケ岳や至仏山なんかも見える。ここ数か月の低山ハイクとは明らかに異なる景色を眺めながら、雷鳥の「シーズンイン」を実感していた。積雪のためか体力不足だからか、計画より時間はかかってしまったが、無事女峰山山頂に到着し、東日本有数の高さを味わった後、宿泊場所の唐沢小屋を目指した。女峰山から唐沢小屋までの道はそう長くないものの、小屋手前にはかなり大規模なガレ場が存在し、ここがおそらく今山行で最も難しい箇所であった。「そっちが正規ルートじゃない?」「こここえ〜」などと苦戦しつつ慎重に進み、唐沢小屋に到着した。
小屋の扉をおそるおそる開けてみると、先客は誰もいないようで、静かな雰囲気だ。荷物をおいてから、小屋の中を軽く探索したり、夕食の準備を進めたりする。始めこそ「小屋の貸し切りだ」くらいにしか思っていなかったが、段々と日が沈むにつれ、孤独感が強まっていった。小田が作ってくれた美味しい炊き込みご飯を食べながらも、近くには自分たち以外誰もいないということ、人里に簡単には辿り着けない場所にいるという事実が、脳裏を過ぎるたび胸が苦しくなった。こんなネガティブな感情を抱えているのは自分だけだと思っていたが、どうやら油井もそうだったらしい(後述)。日光駅で購入した日本酒も夕食時にあわせて開封したが、私は20歳未満であるので香だけ楽しんだ。夜の山の寂しさ、全身に感じる疲労感といったものを、一合瓶は少しだけ和らいでくれるようであった。
夕食の片付けをし、明日の行程について確認をしてから就寝した。私は寝袋ではよく寝られないという贅沢な体質で、普段の山行でも隣の人の寝息を聞きながらただ目を瞑ることに慣れている。この日も起きては寝てを繰り返していたが、油井の方からあまり寝息がしていないことに気が付いた。この時は珍しいくらいにしか思わなかったが、実は不安や考え事で眠れなかったのだと翌朝聞いて、CLに任せすぎたこと、十分に寄り添ってあげられなかったことを反省した。
(2日目:油井)
朝3時。アラームの音で起床した。眠い。というのも20時に就寝してから翌日の行程の注意事項を思い返していたら不安でなかなか寝つけなかったからである。もともと3:30起床、3:45出発、4:40登頂を予定しており、就寝前にその計画を共有した。しかし、シュラフの中で色々と考えていると、果たしてヘッデンの灯りのみで正しいルートを辿ることができるのか自信を無くした。山頂から小屋に向かう時には赤テープや岩についたペイント、木にくくりつけられたプレートの位置を確認しながら翌朝のナイトハイクに備えたのであるが、よくよく考えてみると薄暗い森の中で目印を一つ一つ正確に照らすことは非常に難しいのではないか。
そう考えていると隣の小田から穏やかな寝息が聞こえてくる。彼は周りが宴会していてもすやすや眠る猛者なので本当に寝付きが良いみたいだ。しばらくするとその寝息をゴーという音が遮る。外では麓から風が吹き上げているようだ。そういえば翌日の天気は午後から弱い雨。これから天候が下り坂であるのは明らかであった。ただ、その予報を見たのは朝9時頃。既に11時間以上経過しており、予報が悪化している可能性は十分あったが、小屋に電波は入らない。山頂では電波が入るという情報を入手していたので確認しておけばよかったと後悔する。
こんなことを考えてもしょうがないと思い、思考をストップし眠りにつこうとするが今度は余計な物音に気が散ってしまう。遥か彼方から聞こえるブーンという音はいろは坂をナイトツーリングするバイクの音だろうか。いろは坂はここから1000m以上下の下界にあるが果たしてそんな距離から音が聞こえるものだろうか。そもそも最寄りの車道はここから2時間半も下った志津峠である。そんなことを考えていると自分たちに一番近い場所にいる人はどこにいるのだろうかという点に意識がいく。志津峠には志津避難小屋があるが、唐沢避難小屋ですら雷鳥しか使っていないのだから誰もいないかもしれない。となると自分たちの半径5km以内にヒトは一匹も生息していないのではないか。ひどい孤独感に襲われた。テント泊でこんな思いをしたことはない。おそらく定員24人の小屋をたった3人で使っていたからであろう。
そうこうしているうちに、斉藤が用を足してくると宣言して小屋を出ていく。よくこんな暗い中外に出られるな、と感心する。思っていたより怖がりの自分が情けない。ふとスマホを見ると22時半だった。山にしては珍しく1合分もご飯を食べたのにもう腹が減っている。計画では帝釈山で5:30に朝食であるが、とてもじゃないが耐えられない。それに朝食を摂らずに1時間半も行動するのはシャリバテの危険があるのではないか、と考える。小屋に戻ってきたばかりの斉藤ならまだ起きているだろうと思い、起床時間を30分早めて出発前に朝食を済ませる計画への変更を提案する。すんなり同意してもらえたのでアラームを再設定し、何も知らない小田は朝3時に起こすことにする。これでようやく不安が収まり、眠りにつくことができたようである。
話を朝3時に戻す。長い長い小屋での夜が終わり、自分が夜な夜な考えていたことを共有しながら朝食の準備に取り掛かる。メニューは豚骨ラーメン。朝飯にしてはヘビーだが、手っ取り早く済ませたかったので棒ラーメンにするつもりでその材料を買いにスーパーへ行ったところノーマルの棒ラーメンの隣に豚骨味が売っていたので急遽そっちにしてしまったのだ。具も栄養価なんて気にせず食べたいものを購入していたのでキクラゲ、ワカメ、サラダチキンである。山において不足しがちなタンパク質は、加工肉を凍らせておくことで夏でなければ2日目でも安全に食べられるので、これからも使っていきたい。乾燥キクラゲは本来水で戻して使うものだが、時間がないので麺を茹でるために沸かす水に投入したところ、問題なく食べられる堅さになった。意外となんとかなるものである。
手早く済ませる予定だった朝食は結局片付け含めると1時間ほどかかってしまい、4時にサブザックを背負って唐沢避難小屋を後にした。小屋を出たは良いものの辺りはまだ薄暗く、悪い予感が的中し、ヘッドライトの明かりだけでプレートを探し当てるのはやはり困難だった。GPSを頼りになんとか小屋から山頂へ続く登山道を発見するも、残雪で登山道が隠されていることもあり、こまめにGPSを確認しながら進まなければならず、なかなかスピードも上がらない。日の出を女峰山山頂で拝むことは諦め、ガレ場を登り切ることを目標に慎重に歩みを進める。昨日下るのに難儀したガレ場に差し掛かる頃には辺りは明るくなり始め、男体山を横目に足場を崩さないように通過する。2回目なので少しはマシだったが、やはりここのガレ場ほど歩きにくいところはない。そして何より5月頭の北関東の朝は寒い。ダウンにレインウエアを重ね、最大限着込んでいたが寒風が肌に沁みる。なんとか無事に樹林帯へと復帰すると日の出の時間を迎えた。ちょうど木々の合間からご来光を拝むことができたのだが、この時の感動は忘れられない。山でご来光は何度も見てきているが、女峰山という難敵を攻略した後の日の出は格別であった。日の出を見てから10分ほど登ると女峰山の山頂に再度到達した。山頂ではとてつもない風が吹き荒れており、とてもじゃないが長居できない。手短に写真を撮り、昨日は行っていない帝釈山に向けて縦走を開始する。
女峰山山頂からはいきなり壁のような岩肌を下るのだが、強風に煽られながらの下降はなかなかのスリルがある。帝釈山まではひたすら稜線歩きで、雰囲気はさながら南八ヶ岳のようである。視界に常に入り続ける大真名子山と男体山の並びが美しい。鎖のかかった岩をよじ登ると専女山というピークに達する。そこから帝釈山はすぐのはずだったが、残雪に阻まれ意外と苦戦した。帝釈山に着くと、雪を被った尾瀬や会津の山々がより近く感じられた。眼前には太郎山から男体山へ連なる日光ファミリーが並んでいる。いつかここも縦走してみたい。
帝釈山で一休みすると来た道を唐沢避難小屋まで引き返していく。3回目の女峰山山頂で気が済むまで写真を撮り、再び鬼門のガレ場を通過する。小屋に戻って30分ほどで荷造り・清掃を済ませると小屋を後にして日光東照宮まで続く黒岩尾根を目指す。すぐに足場の悪いガレ場が現れたのだが、これが相当な曲者であった。女峰山山頂下のガレ場と比べれば距離は大したことなく、トラバースなので人に石を当てる心配はないのであるが、とにかく石が不安定である。ここを落石なしで通れる人はいないのではないか。なんとかガレ場を通過し、樹林帯をひたすら下ると周囲が笹原へと変化した。女峰山の登山道は非常に変化に富んでいて歩いていて飽きない。黒岩尾根以外は。谷越しに赤薙山の展望が広がる広場に出ると黒岩を経由するルートと巻道に分岐する。昨日と違ってコースタイムを大きく巻くペースで下山できていることもあり、黒岩のピークを経由することにして、この山行最後の登りに挑む。黒岩のピークでは昨日歩いた赤薙山が名前の通り赤いことを実感した。山頂直下から大きく崩落し、酸化鉄を多く含む赤薙山は、日光連山が古い火山帯であることを証明していた。黒岩からは遂にバカ尾根と称される黒岩尾根に突入する。下山口となる日光東照宮辺りは黒岩からの標高差1200mと遥か下である。バカ尾根という名に相応しく、それなりの傾斜でひたすら下っていく。登山道は2時間もの間、樹林帯の中に広がる笹原であまりにも単調すぎる。写真も撮らず爆速で下山していると10時頃にバカ尾根を登るおじさんとすれ違う。実に20時間ぶりのヒトとの遭遇である。すれ違った地点から少し行くとほとんど木のない笹原へと変化し、日光市街の展望が素晴らしい。まだまだ距離はあるがようやくゴール地点が見えたことで一同安堵する。尾根を下りきると緩やかな斜面に変化し、ツツジのような花が咲き乱れていて綺麗だった。そして11時過ぎに女峰山登山口へと無事下山した。過去一過酷な山行をやり遂げ、達成感は半端なかった(2ヶ月半後に芦別岳が塗り替えることはこの時は知る由もない)。下山後は東照宮横の食堂で空腹を満たし、東照宮に参拝してから東武日光駅まで歩いた。道中食べた三猿のアイスが美味しかった。東武日光駅前からは2日かけて歩いた赤薙山・女峰山が悠然と聳えているのが望めた。山深いところにある山も良いが、麓から見える山は下山後に振り返ることができる点で達成感が増すような気がする。17年もの間、雷鳥で登っていないのが不思議に思えるほど魅力的な山だったので、数年以内に次の山行計画を立てる人が現れることを期待したい。
■感想
CL油井
・泊まりCLは考えること多くて大変だった
・山頂からの絶景に思わず「にょほー」と声が出てしまった
・バカ尾根の下りは飽きた
・北関東に惚れちゃった
SL斉藤
・ハードな行程、孤独な夜を乗り越え、自分の登山歴に大きく刻まれる山行となった(大げさ)
・この時の感動が、後の一連の北関東山行のきっかけでした
・初泊まりCLお疲れ様。懸念点を一人で抱えさせてしまってごめんね
・日光東照宮の拝観料は高すぎる(1600円)。もうこの一回きりで良いや
◯小田
・避難小屋泊はじめてでしたが、悪くなかったです
・2日目の山頂はよかったです
・北関東というあたらしい山域を知りました