2024/9/4-6 槍穂高縦走
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
槍穂高山行計画書確定版
作成者: 中田
■日程 2024/9/4(水) - 6(金)(9/3前泊,2泊3日,9/7山中予備日)
■目的 夏合宿・槍集中
■山域 北アルプス
■在京責任者・助言者 豊永
◾︎在京本部設置要請日時 山行最終日の19:00
◾︎捜索要請日時 山行最終日翌日の9:00
■メンバー(5名)
CL中田SL橋本◯猶木◯桐原◯小唄
■集合
松本駅12:30
■交通
□行き
新宿・高尾→松本
バス:新宿8:55 →松本12:13 新宿〜松本線
鈍行:高尾8:09→松本12:14 4,070円
あずさ:新宿9:02→松本12:27 6,620円
松本→上高地
(12:50/13:29/14:46)→→(14:35/15:30/16:50) 3,260円
□帰り
上高地→松本
(…/12:40/13:20/14:05/14:40/…/17:30終)→(…/14:36/15:15/15:55/16:34/17:13/…/19:11終)
3,260円
松本→新宿
バス:(15:14/17:20/18:20)→(18:38/20:38/21:38)
あずさ:(14:50/15:10/15:50/16:30…)→(17:25/18:05/18:45/19:08…)
■行程
(□前泊 小梨平キャンプ場にて)
□1日目 8時間40分(YAMAP:8時間50分) ➡︎7.2km / ⬆︎1,760m / ⬇︎278m
小梨平−80−風穴−70−岳沢小屋−180−紀美子平−30−前穂高岳−20−紀美子平−110−奥穂高岳−30−穂高岳山荘
*前穂高岳はサブザックでピストン
□2日目 10時間50分(YAMAP:9時間20分)➡︎6.6km / ⬆︎1,137m / ⬇︎1,046m
穂高岳山荘−20−涸沢岳−60−最低コル−75−北穂高岳南峰−20−北峰−100−長谷川ピーク−100−南岳小屋−20−氷河公園分岐−180−飛騨乗越−15−槍ヶ岳山荘−30−槍ヶ岳−30−槍ヶ岳山荘
*13時までに槍ヶ岳山荘に到着目標
*槍ヶ岳山荘にテントが張れない場合、殺生ヒュッテへ(20分)
□3日目 6時間50分(YAMAP:7時間15分)➡︎19.0km / ⬆︎362m / ⬇︎1,935m
槍ヶ岳山荘−20−殺生ヒュッテ分岐−20−ヒュッテ大槍分岐−60−天狗原分岐−50−大曲−25−ババ平−35−槍沢ロッヂ−30−一ノ俣−50−横尾山荘−60−徳沢−60−明神−60−上高地バスターミナル
*明神〜上高地間は梓川右岸により迂回.
■危険箇所
・上高地周辺(熊)
・岳沢小屋〜南岳の岩稜
■エスケープルート
〜前穂高岳:引き返す
前穂高岳〜大キレット(2,748m):涸沢へ
大キレット〜中岳:天狗原経由で槍沢へ
中岳〜:そのまま進む
■宿泊地
□小梨平キャンプ場
1500円/人 入浴18時まで700円/人 売店あり ※夏季繁忙期(今年は8/9-15)以外は予約不要
□穂高岳山荘
2000円/人,60張,水場あり,予約不要
□槍ヶ岳山荘
1000円/人,39張,水200円/L,予約不要
□殺生ヒュッテ
2000円/人,100張,水200円/L,予約不要
その他の小屋(停滞・エスケープ時)
□岳沢小屋
2,000円/人,20張,水無料,予約不要
□北穂高小屋
2,000円/人,20張,水無料,予約不要
□南岳小屋
2,000円/人,50張,水100円/L,予約不要
□涸沢ヒュッテ
2,000円/人,500張?,水無料,予約不要
□槍沢ロッジ・キャンプ場
30張, 水場あり, 予約不要
□横尾山荘
2000円/人, 150張, 水無料, 予約不要
■食当
前泊夜:猶木
1日目:小唄
2日目夜:桐原
*朝・予備日は各自
■共同装備
□テント(エアライズ3 No.1, No.2) 橋本
□救急箱 中田私物
□ヘッド,カート,鍋,調理器具 橋本私物
*適宜分担
■個人装備
□ザック □ザックカバー □サブザック □登山靴 □替え靴紐 □雨具 □防寒具 □帽子 □ヘルメット □ヘッドランプ □予備電池 □軍手 □シュラフ □マット □エマージェンシーシート □水 □行動食 □非常食 □タオル □トイレットペーパー □常備薬 □現金 □計画書 □地図 □コンパス □遭対マニュアル(緊急連絡カード含む) □ブキ □コッヘル □ライター □ゴミ袋 □熊鈴 □新聞紙 □学生証 □健康保険証 □日焼け止め □歯ブラシ □充電バッテリー □筆記用具 □消毒液 □温泉セット(□トレッキングポール □サンダル)
■決行判断
前日17時までに判断
雨天延期
■遭難対策費
400円/人 × 5人=2,000円
■備考
□登山届提出先
コンパス:提出済
東大:提出済
□日出・日没時間
日出5:13,日没18:23(9/4槍ヶ岳)
■各種連絡先
□東大
教養学部学生支援課(平日9:00~16:50)
Tel:03-5454-6074 Mail:shien-team.c@gs.mail.u-tokyo.ac.jp
駒場正門守衛室(常時対応)Tel:03-5454-6666
□現地連絡先等
・松本警察署 0263-25-0110
・アルピコ交通株式会社 0570-550-373
・小梨平キャンプ場 0263-95-2321
・穂高岳山荘 090-7869-0045
・槍ヶ岳山荘 090-2641-1911
・殺生ヒュッテ 0263-77-2008
2024/9/4-6 槍穂高縦走記録
◾︎日程
2024/9/4(水)〜6(金)(9/3(火)に前泊)
◾︎山域
北アルプス 槍ヶ岳・穂高岳
◾︎天気
1日目 晴れのち曇一時雨
2日目 晴れのち曇り
3日目 晴れ
◾︎メンバー(5人)
CL中田、SL橋本、猶木、桐原、小唄
◾︎総評(中田)
本山行は9/2(日)〜4(火)実施予定であったが、本州をゆっくりと進む台風10号が過ぎ去るのを待ち、2日間遅らせて実施した。晩夏の好天のもと、涼しく、危なげなく槍穂縦走を行うことができた。北穂山頂からは北アルプスの全貌を望んだ。北上ルートは槍ヶ岳が徐々に近く大きく見え、気持ちが高まる。
◾︎ルート概況(中田)*一部行程のみ
◽︎前穂〜奥穂
紀美子平-前穂間は少し険しい。吊尾根の起伏は概ね緩やかで歩きやすいが、やや迫り出した岩場の通行には注意。奥穂山頂は狭い。
◽︎奥穂〜涸沢岳
涸沢岳すぐ南の小ピークは地図通り飛騨側を巻いて歩く。
◽︎涸沢岳〜北穂
涸沢岳山頂から急転直下の長い鎖。足場探しに手間取る。これ以降、斜面は切れ落ちており、際どい鎖・梯子が連続する。北穂に向かう登り返しでは鎖設置が節約されている感あり。体を反るようにして通過する箇所、稜線上の岩を歩く箇所に注意。
◽︎北穂〜南岳(大キレット)
北穂から150mほど下るとザレた斜面に長い鎖。ここ以降のすれ違いは1人ずつなら可能。飛騨泣きは階段状になっており下るのも難しくない。A沢のコルまでの下りは落石注意。長谷川ピークの斜面はステップ豊富だが、ピークは狭小。最低鞍部に至れば岩場は一息。南岳への登りで梯子・鎖が数箇所。高度感は強くない。
◾︎タイムスタンプ
◽︎1日目[計 9時間52分]
3:03 小梨平
3:54-4:04 標高1700m地点
4:54-5:04 標高2049m地点
5:23-5:40 岳沢小屋
6:40-6:51 カモシカの立場
7:26-7:33 岳沢パノラマ
7:57-8:02 標高2796m地点
8:10 雷鳥広場
8:30-8:49 紀美子平
9:18-9:38 前穂高岳
10:06-10:20 紀美子平
10:56-11:09 標高2972m地点
12:00-12:30 奥穂高岳
12:55 奥穂高山荘
◽︎2日目[計12時間18分]
4:20 奥穂高山荘
4:40-4:50 涸沢岳
7:16 北穂高岳
7:20-7:56 北穂高小屋
9:27 長谷川ピーク
10:02-10:13 最低鞍部
11:18-11:39 南岳小屋
12:45-13:12 中岳
13:34-13:50 大喰岳
14:10 槍ヶ岳山荘テント場
(槍ヶ岳ピストン)
15:31 槍ヶ岳山荘
15:54-16:15 槍ヶ岳
16:38 槍ヶ岳山荘
◽︎3日目[計 6時間 23分]
3:00 槍ヶ岳山荘
3:20 殺生ヒュッテ分岐
3:41 大槍分岐
4:45 大曲
5:02-5:12 ババ平キャンプ場
5:33 槍沢ロッヂ
5:50 一の俣
6:31-6:43 横尾
7:33-7:43 徳沢
8:14-8:25 明神館
9:11 岳沢登山口
9:23 河童橋
◾︎記録
◽︎前泊(橋本)
今日は小梨平キャンプ場で前泊である。松本に正午過ぎに集合し、上高地まで移動することになっていた。猶木が寝坊してあずさで来ることになり、橋本と中田が乗った高速バスが少し遅れたので、予定より1本遅い便で松本から上高地に行くことになった。
鉄道とバスを乗り継いで上高地へ。上高地は平日だからかそれほど人は多くない。
上高地バスターミナルから15分ほど歩いて小梨平のキャンプ場へ。広いキャンプ場は空いていて、この日は10、20張ほど。登山用のテントが多かった。受付してテントを張る。テント内に食糧があることと熊が学習するとまずいので、水以外の全ての飲食物は食糧庫に入れる決まりになっていた。頑丈な食糧庫に行動食や食当の用意を放り込んだあと、しばし自由時間とする。私と猶木はキャンプ場のお風呂(700円)へ、43期の3人は上高地へ散策にでかけた。お風呂は5-6人が入れる浴槽のあるこじんまりしたものだが、きれいで満足だった。また、売店や食堂が併設されており、売店ではお酒などのほか、おにぎりや野菜、卵、肉なども売っていた。
17時過ぎに全員合流し、夕食を作る。食当は猶木。事前打ち合わせの際に私が「猶木はいつも美味しい飯を作ってくれるから」とハードルを上げる指名をしてしまったのだが、今回も期待に違わず美味しいご飯(パッタイ)を作ってくれた。
以下レシピ。
---------
・材料(1人前)
センレック(中細の米麺,幅3mm前後) 50〜90g
パッタイソース※ 50cc
エビ 5尾程度(殻を剥いて背ワタをとり、下茹でしておく)
厚揚げ豆腐 1cm幅程度
もやし 40g程度
にら 2,3本
サラダ油 大さじ3程度
ピーナッツ 適宜
さくらえび 適宜
生レモン又はレモン汁 1/6個分
チリパウダー 適宜
パクチー 適宜
※パッタイソースの作り方
ナンプラー(魚醤) 1
オイスターソース 2
シーユーカオ 1
シーズニングソース 0.5
トマトケチャップ 1
タマリンド水 3
ココナツシュガー 1
塩 適量
この割合で混ぜる。大さじで作ると約3人前。
シーユーカオがない場合、薄口醤油で代用。
シーズニングソースがない場合、オイスターソースを同量増加
タマリンド水はタマリンドペーストを3倍の水に溶かした物
・作り方
センレックを30分ほど水につける(浸かる程度の水)
厚揚げを1cm角、にらをざく切りにする。ピーナツはみじん切りにする
パッタイソースを鍋に入れて熱し、とろみをつける
サラダ油を入れて熱し、厚揚げ、エビ、にら、もやしを鍋に入れて炒める
水で戻したセンレックをつけ汁ごと入れ、炒める
ピーナツ(半分程度)を加えて炒め合わせる
皿に盛り、みじん切りピーナツ、さくらえび、チリパウダー、パクチーをお好みでトッピングすれば完成
※エビの代わりに豚肉も良し。炒り卵(1人前1個)を加えるのも良し。センレック、ソース類はカルディなどで売っている。
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小梨平キャンプ場併設の売店で購入した日本酒を飲みながら、パッタイを美味しくいただいた。トッピングに唐辛子、山ご飯とは思えないクオリティである。2つ購入したカップ酒のうち、上高地越冬酒は濃厚な甘さで美味しかった。デザートに、河野さん差し入れのシャインマスカットもいただく。満足満足。
明日は長丁場のため、2時起き3時発と決めて、19時頃に就寝。
◽︎1日目(桐原)
いくら登山とはいえ、2時起きはさすがに早いと感じるのが正常なはずだ。最近はそれが常態化して、疑問を持てなくなっている。食事にカレーメシを選んだ人達は辛そうだった。あれは朝に食べるものだが、朝に食べるべきものではない。
小梨平をあとにする。河童橋の下の梓川は、新月の夜のなかをさらさらと清冽に流れていた。橋の先には特に道標がなく、登山道がわかりにくい。上高地ホテルの右横を抜けるのが正解。川の右岸の砂利道や木道を黙々と歩く。木道に設置されたクマベルを鳴らすと、強烈な音が響いて人間のほうを驚かせた。何も見えないがこの辺りは湿原らしい。じきに岳沢登山口が現れた。
岳沢はかつての氷河が作った典型的なU字谷で、谷口の傾斜は緩く、奥へ進むにつれてじわじわと斜度が上がっていく。登山道も少しずつ登りがきつくなっていく。道の整備は完璧。夜でも迷うおそれはなかった。ほとんどは樹林の道だが、何箇所かガレ場に出て視界が開ける。見上げると、西穂高岳にかけての鋸歯状の稜線と、その上には天の川の渡る星空があった。1、2分見上げているうちにも流れ星が何本か走った。嘆声を上げて見とれた。贅沢にもこれから毎日この星夜を歩くことになるのを、私たちはまだ知らなかった。
休憩を挟みつつ登る。行動し始めてからちょっとした準備不足に気づくのはこの世の常で、橋本さんは靴の縫い目が破れていたことを思い出し、中田はヘッドバンド忘れを後悔した。2度目の休憩後にはヘッドランプが不要な明るさになり、もう星は見えなかった。代わりに、モルゲンロートの美しい岩峰群を眺めながら、岳沢小屋に着いた。小屋は峻険な山並みに抱き込まれたところにある。テラスやトイレが綺麗で使いやすかった。ここは今日唯一の途中補給地点、水を十分に補給してから出発した。
小屋の先でガレ沢を渡ると、尾根に取り付いてにわかに急登になる。はじめは草付の斜面で花が多い。秋の匂いがする。やがて尾根は険しくなり、長い梯子が現れる。序の口とはいえ油断ならない。ぐいぐいと標高を上げて、思ったより早く最初のチェックポイント、「カモシカの立場」に着いた。休憩適地だが岩の向こうは断崖になっていて怖い。今日は雲の湧くのが早く、目指す稜線は見えたり隠れたりしている。
標高は2,500mを超え、なおも粛々たる登高。印象に残るほどではないが岩場も点在する。息が切れやすくなってきた。今日は小唄が不調気味。そこで小唄の持っていた水2Lをまるごと橋本さんに移し換えたが、今度は橋本さんが重荷に耐えかねた。結局この日は水の消費が低調で、余剰分は捨ててしまうことにした。適量の予測はなかなか難しい。
急登は厳しいけれど、一気に標高を稼げるので長さは感じにくい。岳沢パノラマ、雷鳥広場など標高差100~150mごとに休憩ポイントがあるのでよい目安になった。みんなそれなりに苦しみつつも、CTより少し巻いて紀美子平に着いた。このあたりから、睡魔に襲われるメンバーが続出し、休憩が間延びしがちになる。原因は良くわからない。睡眠不足というわけでもなさそうなので、疲れか、軽い高山病の類かもしれない。
前穂高岳まではサブザックでピストンする。軽い寄り道のように見えるが、往復50分の無視できない登下降である。ひたすら岩場を攀じて、登頂。頂上は意外と広かった。あいにく、雲で遠望は利かない。雲間から差し込む日差しがぽかぽかと暖かく、疲れ気味の隊は展望を待つという名目でずるずると長居してしまった。小唄は山名標の裏に適当な岩のくぼみを見つけて、完全に寝ていた。夢を見ていたらしい。笑うべきなのか心配するべきなのか分からない。20分ほど居座ったが雲は晴れず、さすがに休みすぎだという感じで、ぬるっと下り始めた。下りの途中で、雷鳥のつがいに出会った。じれったい足取りでかわいい。あの鈍さでよくこの環境を生きてるなぁと思うが、あの鈍さだからこんなところに追いやられたのだろう。やはりかわいい。
紀美子平に戻ってきた。今度は橋本さんが夢の世界へ行ってしまわれた。ほかの人達も挙動の随所にさっきの雷鳥のような鈍さが見られる。それに対し、中田が出発の時間だと喝を入れる。今日は、というか本山行は概ねずっとこんな感じで、休憩の権利を行使せんと座り込む勢力と、規律ある山行を守らんとする勢力(敵方の呼称:"趣なし男")との攻防が繰り広げられた。
奥穂高岳を目指して吊尾根を歩く。前半は緩やかな登りで前穂高岳の山腹を巻いていく道で、特筆すべきことはないのだが、私はここがやけに応えた。あとで聞くと他の人も意外と辛かったらしい。だらだらとした登りが良くないのかもしれない。後半は200mほど登る。岩場はあったがおまけの類である。体力的にはハードな道だったが、技術的にはむしろ、あっさり、といった印象で、正午前に北アルプス最高峰の山頂に着いた。ここも雲が卓越して景色は残念。時々ジャンダルムの断崖がちらっと伺えたのは良かった。そちらの方面から最難関ルートを歩いてやって来た登山者も少なくなかった。
晴れ間を期待して長めの休憩にしたが、前穂高の再放送か、時間は梓川のようにさらさらと流れ、猶木さんと小唄がうたた寝の誘惑に敗れた。一度座るとなかなか動けず、重い腰を上げて集合写真を撮ったりしていたら、30分が経っていた。天気は回復するどころかガスが濃くなってきたので、観念して小屋を目指す。今日の終点は近かった。
しかし悪いことに、雨が降り始めた。気づくかどうかのかすかな降水の時間がしばらくあった後、小屋前最後の梯子を前にして、岩が水玉模様に変わり、あれよあれよという間に本降りとなった。今日は降らないと思っていたのに…。濡れ始めの岩は滑りやすく、弛緩しきっていた神経がにわかに緊張した。
13時過ぎ、なんとか小屋に着いたのは良いが、テントの設営をしなければならない。適当に場所を見つけて雨中設営にかかる。本降りから、激しい雨に、状況が悪化した。私は小屋で受付をしていたのでその困難を直接はわからないが、きっと、山頂で長居したことを後悔するには十分に冷たい雨だっただろう。
受付から戻るとすでにテントが建っていた。感謝。濡れた装備やテント内を整理し、昼寝をして雷雨をやり過ごした。結局、雨粒は午後3時前まで天幕を叩き続けた。
雨が上がり日差しが復活したのを見て、小屋へ遊びに行く。カフェスペースが広くて居心地が良く、めいめいホットレモンやコーヒーなどを飲んで体を温めた。夕食は小唄の定番、スパム焼きそば。前日の猶木さんディナーで余った唐辛子やパクチーなどのトッピングを添えて素敵な仕上がりになった。小唄は10食分も持参して来たが、半分しか消費せず、残りは予備に回ることになった。
この日は夕食後ものんびりする時間があった。冷え込みは厳しくない一方で西日は秋らしくとても過ごしやすい。片方のテント内は雨とは無関係に発生した洪水(発生源:中田)によって被災したので、濡れたマットなどを乾かしつつ外で過ごした。山も岩も人もひとしく長い影を引き、アルプスの夕暮れに包まれた。
眠気に任せて順次寝袋に入り、私も日の入りを待ってから眠りに就いた。明日の行程への不安は入山前より薄れ、ぐっすりと寝ることができた。
夜半、体が痛くて一度テント外に出た。雲は完全に無くなっていた。満天の星空が奥穂高岳の三角形の影に切り取られ、鋏を入れた切符のようである。また流れ星を見た。明日は良い日になるだろうと思った。
◽︎2日目(小唄)
3時に起床。1日目は寝不足で疲れていたこともあり、9時間弱ぐっすり眠ることができた。いよいよ本山行の核心たる大キレットを通過するという高揚感のおかげもあってか、いつもよりも目覚めがよい。お湯を沸かす橋本さんとテントを撤収する残りの4人の役割分担は暗黙のうちに決まっており、静かに撤収を行った。
4時05分、テント場を出発。20分ほどで涸沢岳山頂に到着した。周囲はまだ暗いが、地平の下から漏れ出る漏れ出る光は遠くの山々の輪郭をぼんやりと照らしている。槍ヶ岳も見えるが、あまりに遠く、今日の昼過ぎにはそこにいなければいけないと思うと信じられない気持ちになる。縦走ではいつも遠すぎる目標地点をみて同じ感想を持ってしまう気がする。景色を堪能したあと、続く登山道の方に目をやると、凄まじい下りになっている。次に置くべきステップを目視できず、足で探りながら降りなければならない箇所もあり、とても怖い。大キレットの方ばかり意識してしまっていたが、この下りもかなりの難所であるなと感じた。途中、登り返しで先行者が登り切るのを待っている最中に日の出を拝むことができたが、先行して鎖場に取り付いていた面々はそれどころではなさそうである。激しい下りを下りきると鞍部で休憩して緊張を解した。北穂への登りには鎖も充実していて、難所という難所はないので、着実に進んでいけばよい。北穂では少し長めに休憩をとって、トイレや栄養補給など、来る大キレットに備えた。
7時56分、いよいよ北穂を発ち、長谷川ピーク、大キレットを含む区間を歩き始める。槍ヶ岳方面から奥穂を目指す登山客も多く、出発早々から、すれ違いや鎖場での待ちによりなかなか一定のペースで進むというのが難しい。対向するパーティとの譲り合いも大切だが、あまりに譲りすぎると、5人のパーティが頻繁に分断されてしまい、かえって危険である。先行者が後続の人数を伝えて待ってもらったり、対向するパーティの人数を聞いて全員鎖場を通過し終わるまで待つ、など基本的ではあるが、コミュニケーションしっかりとることも、鎖場を安全に通過するうえでは重要なことであると感じた。鎖場そのものは、一般登山道最難関コースの一つであるだけあって、技術的に難しい箇所も多いが基本的な三点支持を心がけていれば、特に怖い箇所はないように思う。待ちと鎖場の通過を繰り返し、40分ほど歩くと飛騨泣きにさしかかる。最初の名前のついた難所である。ここの通過の際のトラバースは上体をやや反らす必要のある箇所があり、恐怖を感じた。確かに飛騨側は切れ落ちていて落ちたら助からないのは確実だが、信州側もただごとでは済まないだろう。どうせ両方助からないなら「飛騨」泣きである必要はなくないか、と話した。難癖もいいところである。続いてのネームドは長谷川ピーク。昔、長谷川さんが滑落して救助されたことからついた名前であるそうだが、ここから滑落して助かるイメージが沸かなかった。名前付きの難所ではあるが、今では鎖がよく整備されていていて、技術的な難しさはそこまでないように思う。長谷川ピークの上はやせ細った尾根になっていて、すれ違えるところがほとんどない。もしかしたら鎖場というよりかは、尾根上のすれ違いが長谷川ピークの核心なのかもしれない。長谷川ピークからは最低鞍部に向けた下りである。時間にして9時すぎで、ちょうどこのあたりが槍ヶ岳山荘からきたと思われる登山客たちとのすれ違い回数が最も多くなる時間帯である。ここで、落石のヒヤリハットが発生した。やけに自信過剰な(関西弁の)対向者が「俺たち速いから先行かせてもらうわー」と言って橋本・猶木が下り終えたばかりの鎖場に取りつき始める。ここで自分だけ下りきれずに鎖場上部の取りつきに取り残されたのだが、特別急いでいる状況でもないので、素直に道を譲った。しかし、この登山者はたしかにスピードは速いが急いでいるだけで雑な登りである。しかも最悪なことに、鎖場の上部についたときに間違ったホールドを掴んでしまって、小石をいくつか落とし、そのうちの一つが下で待っていた橋本さんのもとへ転がっていった。幸い、直撃することはなかったが、この登山者は謝ることすらせずに進んでいった。大事に至らなかったからよいものの、他人は信用してはいけない、ということと鎖場の通過では間は開けすぎずに同行者の存在をアピールしておくことが大切であるという二つの教訓を得た。
最低鞍部に到着して、北穂を出てから初めてのザックを下しての休憩になった。鎖場での待ちも多かったので、行動時間の割には疲れていなかったが、心は休まっていなかったのでありがたい休憩である。
10時13分、最低鞍部を出発。暫くは平坦な縦走路が続くが、すぐに南岳への登りに入ってしまう。鎖場が連続し、大きく足を上げながら登っていく必要があるので、かなりしんどい。一方で中田・桐原はずんずん進んでいくので橋本・猶木・小唄はついていくのに精一杯であった。やっとの思いで南岳に到着すると、立派な小屋とテント場があり、ここで一泊して、予備日を使えば苦しみから解放されるのではないかという良からぬ考えが浮かんでしまう。15分ほど休憩をとり疲れを癒したが、また歩くのが嫌で、長く休憩をとりたがる我々をよそに、我らがリーダーは時間通りに出発を告げる。
南岳を11時49分に出発。このあたりから少しずつ雲が出てきた。眺望が減ってしまうのは残念だが、暑さのピークを迎える前に太陽を隠してくれるのは少しありがたいかもしれない。南岳から中岳・大喰岳までの道はザレザレですこし分かりにくく感じた。一方でマーカーは豊富にあるので注意深く歩けば大きく逸れることはないと思う。鎖場がありつつも、北穂〜南岳ほどの難しさはない。核心は越えたのだと安心した。しかし、疲労はここでピークに達しており、中田・桐原との距離はどんどん離されるばかりである。中田は槍ヶ岳山荘のテント場が満員になることを気にして足を速めるが、後続組にはそれについていくだけの体力は残ってはいなかった。大喰岳山頂に到着して、槍ヶ岳山荘の方をみてまだテント場に空きがあるらしいことを中田・桐原が確認し、十分に体力が残っているこの二人が先行してテントの予約をしてしまうことが提案された。本来ならば不用意な分隊は推奨されないが、中田と橋本さんがそれぞれ救急セットをもっていることや、メンバーの実力から残りの登山道でトラブルが起こる可能性は非常に低いと判断し、中田と桐原に先に行ってもらうことにした。後発組の三人は少し長めに休憩をとり、ほぼコースタイム通りのペースであるいて20分ほどで槍ヶ岳山荘テント場に到着した。すると、すでに手続きは終わっていて、到着してすぐにテントを設営することができた。本当に中田と桐原には感謝である。
テントを張ってすぐは槍ヶ岳は完全に雲の中で、晴れ待ちをするという名目で小屋の食堂で軽食を食べたり、テントで寝転がったりして思い思いに休憩をした。しかし、槍ヶ岳を覆う雲が消え去る気配はなく、歩いている最中よりもむしろ、長めの休憩をとった直後の方がむしろ疲れる、という山ではよく起こる現象のせいで別に槍ヶ岳登る必要なくないか、という意見すらでてきていた。さすがにここまできて槍に登らないのは違う、ということで重い腰を上げてピストン用のザックに荷物を詰め替えたのは山荘に到着してから1時間半近く立った後である。その時でも天気は完全に曇りだった。
15時31分、槍ヶ岳に向けて出発する。さっきまでは億劫だったが、サブザックに背負い変えたこともあって足取りが軽い。鎖場が連続するが大キレットを通過してきた我々にとっては難しすぎることはなかった。しかし、それは大キレットと比べたときの話であり、鎖場としての難易度はかなり高いなという印象を受けた。15分程度で山頂に到着する。山頂からの眺望は一切ないが、槍穂縦走をやり遂げた達成感で皆山頂から離れたくないようで、20分近く居座ってしまった。下りは来た道を引き返すだけではあるが、梯子は下りの方が高度感があって怖く感じた。
夕飯は桐原のレトルトのカルボナーラ。簡単な一品だが、普通に美味い。あれこれ工夫して作るよりもかえってレトルトの方が美味しかったりするのも、イマイチ山ごはんのレパートリーが増えていかない原因なんだろうな、と思う。夕飯を食べ終え、各自テントに戻る。すると、中田が翌日のバスを確保しようと予約サイトを調べ、あと3席しか残っていないことに気づき、こちらのテントに大慌てで飛んできて予約をするように促した。青春18きっぷでの帰宅を決めていた僕と桐原以外の3人が予約を取ろうとするも何故かできない。席は残っているはずなので通信エラーかな、と思っていると衝撃の事実が発覚した。この短時間で席が埋まってしまっていたのだ!3人は、帰りの手段が絶たれたことに絶望するとともに、話を聞いていた近隣のテントの住民が予約を横取りした説が提唱され憤慨?していた。無関係な第三者としては、コントみたいな状況に笑ってしまっていたが、帰りの手段がなくなるのは由々しき事態である(あずさは高すぎるので実質的にないのと同じ)。よくよく調べると乗る予定の1本前のバスには空きがあるとのことでそれに乗ることになった。無事帰りの手段が確保できたため、3時起床4時出発で話がまとまり、各自就寝した。しかし、またトラブルが起きる。CTの計算ミスが発覚し、4時発ではマージンが5分しかなかった(つまり、温泉に入れない)のだ。中田がまたまた大慌てでテントにやってきてそれを伝える。夢の中から引き戻されてしまった橋本さんは明らかに不機嫌な様子で「だから2時起きがいいって言ったんだよ」と言う。それしか選択肢はないので2時起きで決まり、アラームの時間を変えたあと再び今度こそ本当に就寝した。
◽︎3日目(猶木)
2時起床。また橋本が湯を沸かしている間に各テント2人ずつで撤収作業。相変わらず桐原中田はあっという間にテントを畳んでいた。
朝ご飯は猶木、中田は当初通り個人食だったが、橋本、小唄、桐原は1日目夕飯の余りのスパム焼きそば。私のメニューはハヤシメシだったが、かなり胃がもたれた。一方の焼きそばは朝ごはんにもいいらしい。今回もカレーメシ、ハヤシメシを朝食に持ってきている人が多かったが、皆朝からは重いという評判である。特に今回は前日までの疲れが蓄積していて、胃が弱っていることがよりキツくさせたのであろう。朝ごはんについてはより食べやすいものを探究する課題がある。カレーメシは量が多いということと、やや油っぽいというところが食べづらい。また、軽量化のためスチロール性のカップを捨てて中身だけで持ってきてコッヘルに湯を注いだりする場合、5分の待ち時間のうちに冷め切ってしまうという問題がある。そう考えると、私が初日、2日目にやっていたようにお湯に溶かしてすぐに飲めるスープとパンというのはアリだと思われる。ただパンの賞味期限もあるので、長期の山行などには向かないだろう。長期ではアルファ米などの方がまだ食べやすいようにも思うが、結局冷めることには変わらない。人数が多ければやはり食当で棒ラーメンなど作るのが良いようにも思う。
片付け、撤収が終わったら小屋前で集合し出発である。槍ヶ岳はまだ真っ黒な塊でほとんどその姿を認識することはできない。
まだ暗い中をひたすら降るルートである。オーダーは最初は桐原、中田、猶木、小唄、橋本の順。中田のヘッドライトが周りから見ただけではわからないほど弱い光り方をしているので、ケチらずに電池を変えた方がいいというのがよくわかる。
下降点からすぐはしばらく急な坂をつづらおりでおりる。道は広く、大きめのガレが多めでステップは大きいが浮石はなく歩きやすい。マーキングもかなりの頻度で案内があるのでそこまで迷わないな、と思いきや、途中、マークを見落として道を逸れかけてしまう。数メートル下ったところで明らかに道ではないことに気が付き、登り返して正しい道を探す。本当は斜面に対してもっと右に折れ曲がらないと行けない場所を直進していた。マークがバツ印と矢印がわかりにくいような形で書いてあり、間違った方向に下ってしまった。暗い中降る場合には気をつけなくてはならぬ。ヘッドライトの明るい人が先頭がいいだろうという事で、私が先頭を歩くことになる。
20分ほど下って殺生ヒュッテ分岐に至る。ここで服の調整をする。殺生ヒュッテがある方向を見るが、テントがぼんやりと明るいのみで、小屋は見えない。星を見上げるとこの時間は雲もなくて、満天である。
20分ほど下ってまた坊主岩小屋、ヒュッテ大槍への分岐である。分岐からしばらく下ったところで小さい沢を渡渉する場所があり、最初の給水ができる。また先には水沢と呼ばれる場所があり、この辺りが槍沢から槍に登る場合には無料で水を汲める最後の場所である。高校山岳部時代に登った時にここで汲んでおけばよかったと後悔したのを覚えている。
40分ほど下って天狗原分岐。また30分ほど下って大曲を通過。この辺りから一気に斜度が緩くなりスピードも上がる。登山道の右側を沢の水音が鳴っている。ようやく向かいからヘッドライトの明かりが見え始め、おそらくババ平や槍沢ロッヂからであろうと思われる登山者とすれ違うようになった。空は白み始めていて、槍沢の谷の向こうに蝶ヶ岳だろうか、峰の影が見えるようになってくる。西岳まで1kmもないので、叫べば表銀座隊まで聞こえるかもしれないという話をしている。
道の傾斜がほとんどなくなり、調子に乗ってほとんど駆け足になるほど平らで広い河原が現れるとババ平である。5時2分、槍沢キャンプ場に到着するとだいぶ明るくなっていて、両岸の尾根がまさに幽谷と呼ぶにふさわしい素晴らしい景色である。10分休憩をとるが、岩に座ってじっとしているとまだ寒くなってしまうので昨日までとは打って変わって皆早く出発したいと言う。今度は中田が先頭になりここから横尾まで休憩なしで行けるだろうということで歩き始める。実際この先はほとんど斜度のない道を歩き続けるので特にむずかしいことはない。途中、2箇所ほど先日の台風と大雨で崩落した登山道を迂回などする。つい先日に整備が行われたようで、歩きづらいということもない。槍見というところで振り返ると、木々の隙間を縫って尾根の向こうに槍ヶ岳が見える。2時間ほどであっという間に下っていることを改めて感じさせられる。
6時半横尾到着。ヘロヘロである。ここから先ではほとんど下界の道である。この辺りでも大規模に工事しており、時折工事用車両用の道を歩かされたりした。屏風岩から前穂、明神と右岸側の景色が変化していく。
7時半徳沢到着。徳沢園の食堂横のベンチで休んでいると、カチャカチャと食器の音が聞こえる。その音に、ベーコンとスクランブルエッグとバターの塗ったパンの優雅なモーニングが無性に食べたくなる。徳沢のキャンプ場も芝生になっており、非常に良さそうな環境である。中田はまだまだ元気そうで最初に到着した人から10分で出発でいいですかねという冗談を言いながらまた先を行く。
徳沢をすぎるとすれ違う人も多くなる。おそらく夜行のバスで到着したであろう人たちが続々と槍、あるいは涸沢に向かって歩いていく。橋本とどこまですれ違う時に挨拶をすればいいかという話になり、同類、すなわち登山客ぽい人には挨拶すれば良さそうということになる。
8時15分明神到着。明神から河童橋の間が左岸側がまた通行止めとなっており、右岸側に渡らなくてはならない。この辺りが1番上高地らしく、観光客も猿も多い。桐原中田が猿の写真を撮っていると、近づきすぎたのか威嚇されていたのが面白かった。明神池も見に行く。
また40分ほど歩いて初日に登り始めた登山口にたどり着く。その時には真っ暗で周りは何も見えなかったが、湿原の光景が広がっている。立ち枯れた木が沼にぬっと立っているのが、何ヶ月か前に行った尾瀬と似たようでまた違った景色である。
9時23分河童橋到着。約20kmの長い下山は終了。河童橋の手前にザックを置いてしばし休憩と観光。山頂では1200円だったクラフトビールが600円になっていたので、各々で違う種類を買い飲み比べをした。お焼きを食べ、土産物や酒を買い、予定通りさわんど大橋行きのバスに乗って温泉へ。さわんどの温泉もまたこじんまりとしながらもしっかりとした温泉で気持ちがよかった。
またさわんどバスターミナルから新島々までバス、新島々から松本駅に移動して43期陣が強くお勧めしていた唐揚げセンターにて唐揚げや山賊焼を食い、各々各種交通機関で帰途へついた。
◾︎共同装備使用記録
テント(エアライズ3 No.2):橋本
*エアライズ3 No.1は持出後使用せず
◾︎感想
◽︎中田
・無事終えられてよかった。北穂からみる大キレットが美しかった。
・最終日の下りをいいペースで歩いてくれてありがとうございました。
・大キレットに挑戦する人は、必ず晴れ予報の日程を確保しましょう。
◽︎橋本
・天候に恵まれ、1日目の最後を除いてほとんど雨に降られなかったのが良かった。日程に幅を持たせておくことは重要だと感じた。
・穂高から槍への縦走は、稜線の急峻な岩場とだんだんと槍に近づく景色がとてもよかった。
・この槍穂縦走をきっかけに43期の皆さんと一緒に山に行く機会ができたのが嬉しい。また一緒に山に行きましょう。
・槍集中を企画し、装備の調整などもしていただいた現役生の皆さん(特に45期鈴木くん)、在京の豊永さん&岩田くん、ありがとうございました。
◽︎猶木
・2日目の最後のにわか雨以外は晴れて、素晴らしい山行だった。皆さんありがとうございました。
・大キレットは事前に聞いていたほど難しくはなかったが、高度感ゆえの恐怖はある。足がすくむなどもあったが、慎重に行けば着実に進めるということがわかった。
・初めて山行の時に寝坊したが、目覚ましは二つぐらいかけておこうと思う。前日に全て用意してあったので起床から10分以内に出発してリカバリーができたのは○
・おそらく足の筋力が足りてなく、若干右膝あたりを痛めたのでトレーニングしておきます。
◽︎桐原
・恵まれた条件の中で無事縦走できて良かった。個人的には今までで一番といってよい山行だった。
・終始愉快なメンバーだった。上手く役割分担できていたように思う。
・最終日の平坦な道で足裏が痛く他のメンバーのペースに全く追いつけなかった。体力面でも装備面でも課題がある。
・軽量化のため各装備を普段より切り詰めた。反省も含めいろいろ知見を得たので今後の山行に活かしたい。
・クライミング等未履修のゆるふわ夏山勢として一言:大キレットや穂高主稜線は確かに険しいですが、あくまで一般登山道。必要なのは技術というより岩場と高度感への慣れだと言えます。だから、岩場が苦手な方や初心者の方にも、長い登山人生の目標の一つとして槍穂縦走を位置づけておくことを強くおすすめします。怖いから無理、と決めつけるにはあまりに勿体ない、本邦最高級の自然景観と圧倒的な充実感が味わえます。きっと一生ものの山岳体験になるはずです。
◽︎小唄
・憧れだった槍穂の縦走路を歩き通すことができ、今後も何度も振り返って噛みしめるような素晴らしい山行になったと思う。
・難しいルートではあるが、アルプスの山々を一望できる素晴らしい縦走路なので、経験を積んで実力がついたら是非登ってもらいたいです。