2025/3/1 六甲山縦走(西ハーフ)
山岳愛好会雷鳥(東京大学・お茶の水女子大学公認サークル)
六甲山縦走計画書 確定版
作成者:山口、中田
■日程 2025/3/1(土)
■山域 六甲
■目的 縦走
■在京責任者・助言係 桐原
■在京本部設置要請日時 2025/3/1 20:00
■捜索要請日時 2025/3/2 9:00
■メンバー (3人)
CL 山口(41)、SL 中田(43)、鈴木(43:OB)
■集合
山陽電車 須磨浦公園駅 6:15
■交通
□行き
(三宮方面から)
5:49 神戸三宮―(阪急神戸線・普通・高速神戸ゆき 注)西宮北口始発)―5:53 高速神戸
5:56 高速神戸―(山陽電気鉄道本線・直通特急・山陽姫路ゆき)―6:08 山陽須磨
6:10 山陽須磨―(山陽電気鉄道本線・普通・山陽姫路ゆき)―6:12 須磨浦公園
(明石方面から)
5:52 大蔵谷―(山陽電気鉄道本線・普通・神戸三宮ゆき)―6:07 須磨浦公園
□帰り
有馬温泉―(神戸電鉄有馬線・有馬口ゆき)―有馬口
有馬口―(神戸電鉄有馬線・新開地ゆき)―谷上
谷上―(神戸市営地下鉄北神線・西神中央ゆき)―新神戸(新幹線)ー三宮(JR・阪急・阪神・ポートライナー神戸空港方面)
*新神戸・三宮まで約25分
■行程計 13時間11分
須磨浦公園駅―(0:47)―旗振山―(1:12)―横尾山―(1:42)―高取山―(2:08)―菊水山―(1:56)―全山縦走路分岐(市ケ原分岐)―(1:37)―摩耶山―(1:21)―記念碑台―(0:29)―六甲山頂駅―(0:52)―六甲最高峰―(1:07)―稲荷神社鳥居口(有馬温泉街)
*コースタイムはヤマレコの約0.7倍で計算。さらに大きく巻く見込み(順調に行けば計6-7時間か)。
*チェックポイントの最終到着時刻は以下の通り。メンバーの体力等を見つつ、最終到着時刻に遅れたor遅れることが見込まれる場合は下山。
旗振山 7:00▶︎横尾山 8:10▶︎高取山 9:50▶︎菊水山12:10▶︎全山縦走路分岐(市ケ原分岐)14:05▶︎摩耶山15:45▶︎記念碑台17:05▶︎六甲山頂駅17:35▶︎六甲最高峰18:25▶︎稲荷神社鳥居口(有馬温泉街) 19:30
*横尾山〜東山間の須磨アルプス(馬の背)はスリップに注意。
*鉄拐山〜菊水山間の市街地ルートや、途中分岐点での道間違いに注意。
*菊水山と、摩耶山の登りが肝。
■エスケープルート
引き返すorそのまま進むor適宜下山ルート・交通手段選択。
須磨ロープウェイあり。
高倉台団地(神戸市バス)・妙法寺(地下鉄)・鵯越(神鉄)は市街地。
摩耶山の前、市ケ原経由で新神戸にでられる。
六甲・摩耶中心部(六甲山上)はバス・タクシーなど利用可能。
六甲有馬ロープウェイの終発は17:10。
*六甲ケーブルは車両更新のため運休。バス代行輸送あり
*摩耶ビューライン(ケーブル・ロープウェイ)は定期点検のため運休
*新幹線最終 のぞみ64号 21:09 新神戸―23:45 東京
■地図
山と高原地図:六甲
二万五千分の一地図:神戸首部
■共同装備
救急用具 中田私物
■個人装備 軽量化しましょう
□ザック □ザックカバー □雨具 □防寒具 □登山靴(運動靴でも良い) □替え靴紐 □帽子 □水 □行動食 □非常食 □ヘッドランプ □予備電池 □軍手 □地図 □コンパス □エマージェンシーシート □筆記用具 □計画書 □常備薬 □学生証 □健康保険証 □現金 □遭対マニュアル(緊急連絡カード含む) □日焼け止め □虫除け □マスク□着替え □モバイルバッテリー
■遭難対策費 3人×100円=300円
■備考
日の入: 18:00 (六甲山 3/1)
日の出: 6:22 (六甲山 3/2)
悪天時: 前日昼頃に判断
□登山届
・東大:提出済
・コンパス:未提出
□東大連絡先
○教養学部学生支援課 ※開室9:00~16:50(平日)
Tel: 03-5454-6074 Mail: shien-team.c@gs.mail.u-tokyo.ac.jp
○駒場正門守衛室 ※常時対応可
Tel: 03-5454-6666
□その他連絡先
灘警察署:078–802-0110など
□参考
2016年記録
全山縦走路マップ
3/1 六甲山縦走(西ハーフ) 記録
作成者:山口、中田、鈴木
■日程 2025/3/1(土)
■山域 六甲
■天気 曇のち晴
■メンバー CL 山口(41)、SL 中田(43)、鈴木(43:OB)
■総評(山口)
前日の雨により朝は霧がかっていたものの昼前には晴れ、六甲山ならではの、神戸市街・瀬戸内海・淡路島・紀伊半島の展望を楽しむことができた。たった数百メートルの低山を、途中市街地を挟みながら次々とこなす、六甲山の縦走は、馴染みのないメンバーには新鮮だったようだ。標高は低けれど、途中の須磨アルプスなど様々な顔を見せる山である。菊水山での50-100人?にもなる団体登山による大渋滞は全く想定外で、ペースを大幅に乱されてしまった。後半の急登にはやはり辟易したものの、体調面のトラブルや怪我等なく、無事に終了できたのが何よりである。時間を考慮した上で、摩耶山以降は、単調な車道歩きの代わりにバス利用とし、ロープウェイで有馬温泉へ下山。
■タイムスタンプ(中田)
6:16 須磨浦公園駅
6:42 旗振山
7:44 横尾山
9:06 高取山
11:08 菊水山
13:03 市ケ原(全山縦走路分岐)
14:44 摩耶山
15:19 摩耶ロッジ前バス停
■記録
*ルビ後の数字は標高
◯須磨浦公園駅=高倉台(山口)
[須磨浦公園(すまうらこうえん、12 m)駅前の海沿いの登山口を出発し、六甲最西端の山塊を越える。鉢伏山(はちぶせやま、240 m)・旗振山(はたふりやま、253 m)・鉄拐山(てっかいさん、234 m)を経て高倉台(たかくらだい、170 m)団地へ降る]
「白浪はたてど衣にかさならず明石も須磨もおのが浦々」柿本人麻呂
「かたがたに別るる身にも似たるかな明石も須磨もおのが浦々」藤原伊周
花山院に矢を射かけた罪で、太宰府へ配流となった(長徳の変)藤原伊周が、最初の配流地、播磨で詠んだ歌。柿本人麻呂の歌をもとに、出雲へ流される弟隆家との離別をうたったものである [光る君へ 第38回『まぶしき闇』紀行]。明石も須磨も、近いとはいえ別々の浦で、それぞれが古来より歌枕として知られる。明石海峡(明石大門)、挟んで望む淡路島、藻塩を焼く煙、都から遠く離れた鄙びた漁村の、旅情・哀愁漂う情景である。もちろん源氏物語『須磨』『明石』はその一つの集大成といえよう。
六甲全山縦走の起点、須磨浦公園に6時過ぎに集合する。中田くんは阪大の知り合いの家から来るということで、なんと石橋阪大前4:44発の電車で来た。一方の鈴木くんも新幹線で前日入りし、神戸三宮泊、日帰りのハードスケジュールである。六甲山系の最西端、山と海が最も近づく地点。わずかな隙間に、JR・山陽電車の線路と、国道2号線が通るのがやっとである。海岸線の向こうに広がる海はまだ、朝霧のかかる冬の暗がりに沈んでいる。
最後に全山縦走路を歩いたのが高2の3月だから、実に7年ぶりということになる。前日の雨で湿度が高く、霧がかっているものの、日中は晴れそうだ。せっかく、遠路はるばる2人もきてくれたので、六甲山を存分に味わってほしい。郷愁も相まって気合い十分であるが、2人とも眠気や疲れが勝っているようだ。ここまでしてわざわざしんどい思いをしに来るのは、殊勝なことである。後の登りに備えて、それほどスピードは出さず、落ち着いて歩き始める。
ひとつ目のピークである鉢伏山は、須磨山上遊園地があり、ロープウェイや、その驚くべき乗り心地の悪さでなぜか近年メディアに取り上げられる「カーレーター」がある。歩いても簡単に登れるので、幼稚園や小学校の遠足の行き先や、明石海峡の初日の出スポットになっている。ただ、早朝一発目の登りは、久々の登山である我々には多少堪える。
カーレーター乗り場から右の山道に入り、平坦な道を進むとほどなく旗振山。旗振茶屋があり、朝の散歩だろうか、中高年が数人、何やら体操をしている人もいる。明るくなってきた。本来は明石海峡を見晴らせるが、展望はまだ霧の中である。
次は鉄拐山。右手に鉄拐山山頂の巻き道をとる。しばらく歩いて、中田くんが道間違いに気づく。危うく、須磨駅方面に降りる下山道に入ってしまっていた。すぐに元のルートに復帰できたが、7年前の記憶は頼りにならないというか、細部が抜け落ちている。気を引き締めて歩かねば。須磨駅に下山したとなると最も間抜けである。右手におらが茶屋を見て、まっすぐに続く下り階段。眼下に現れた高倉台団地は、霧に包まれて少しばかり幻想的に見えた。
高倉台は、元は高倉山という山だった。1960年代、海と山に挟まれた神戸市では、人口増加・工業化・港湾整備のための土地開発が喫緊の課題であった。そこで取られた開発方式が、「山、海へ行く」。つまり、六甲山から採取した土を臨海部に埋め立てた上で、土砂採取の跡地をニュータウンとして宅地造成するのである。ただ、採取地は須磨、埋め立ては東の臨海部となると、土砂の陸上運搬はコストと効率の面で現実的でない。そこで、山から海までベルトコンベアを引き、船に積み込んで、埋め立て地まで海上輸送したという。こうしてできたのが、ポートアイランド・六甲アイランド、そして、須磨・西神ニュータウンである [https://www.city.kobe.lg.jp/i73375/kuyakusho/sumaku/syokaitorikumi/sumanewtown/nthistory.html]。
◯高倉台=須磨アルプス=妙法寺(鈴木)
[高倉台団地を抜け、須磨アルプスに入る。栂尾山(とがおさん、274 m)・横尾山(よこおさん、312 m)の後、風化した花崗岩の岩尾根、名勝・馬の背(うまのせ)を通過する。東山(ひがしやま、250 m)を経て横尾・妙法寺(みょうほうじ、50 m)市街地へ降る]
長い下り階段を下りきると、画一的な5階建てくらいのアパートがたくさん聳える高倉台団地に入った。平地に出てきたので、なるべく時間をまくために3人とも速足で歩く。途中、側溝の中に何か動くものを見つける。よく見てみると、タヌキであった。3人とも足を止めて、観察したり写真を撮ったりした。こんなところにもタヌキがいるんだなと妙に驚いたのを記憶している。タヌキつながりで、「たぬき・むじな事件」と「むささび・もま事件」を思い出した。この場面の前に、中田くんの友人が宇奈月温泉に行ったという話を聞いたからだろうか…(鈴木は法学部卒である)。
団地を抜けると、長い階段が現れる。何段か分からないが、とにかく段数が多い [編注) 約400段]。正直、私はこのあたりから足が悲鳴を上げ始め、この後の行程を不安に感じ始めた。階段の途中で休みながら後ろを振り返ると、高倉台団地の白いアパートと色とりどりの屋根の一軒家というコントラストのある景色を霧の中見ることが出来た。
無事階段を登り切り、少し歩くと、今回の山行の中で最も面白い箇所に辿り着いた。それは、名勝「馬の背」である。六甲山の写真を調べると絶対に見たことのある「馬の背」は、風化した赤茶色の花崗岩の岩尾根である。木々に覆われた山々の中で、そこだけ岩が露出した尾根となっていおり、なかなか壮観だった。しかも、このような岩尾根が住宅街のすぐ近くにあるという意外性も面白さを増す点である。
「馬の背」を過ぎて、なんやかんや歩くと、妙法寺の市街地まで下りてきた(「馬の背」の印象が強すぎて、その後市街地まで下りる行程を全く覚えておらず、写真にも残っていない為、簡潔に記載)。
◯妙法寺=高取山=丸山・鵯越(山口)
[妙法寺の市街地を抜け、高取山(たかとりやま、320 m)を越える。丸山(まるやま、200 m)市街地に入り、神戸電鉄鵯越(ひよどりごえ)駅まで市街地を進む]
源氏物語の他にも、神戸・須磨の地を語る上で忘れてはならないのが、源平合戦である。須磨・一ノ谷周辺は、鵯越の逆落としで有名な合戦の舞台で、周辺には平家ゆかりの史跡が数多く残されている。平敦盛の塚が須磨寺に、那須与一の墓が妙法寺近くにある。
余談はさておき、全山縦走路最初の本格的な市街地ルート、妙法寺市街地に入る。次の丸山市街地と合わせて、入念に復習?をしておいた。右折・左折する地点には、電信柱等に「六甲全縦→」の張り紙か看板があり、基本的にはそれを辿れば良いが、気を抜くと見落としてしまう。
まず、横尾南公園に沿って川沿いを歩き、バス道に突き当たる。バス道を下り、右手の細い路地に入る。阪神高速と地下鉄西神・山手線の間を縫うように階段を上り下りする。妙法寺を左手に見つつ、妙法寺小学校の信号をわたり、住宅街を抜けると、高取山登山口だ。案外、市街地の情景は覚えているもので、懐かしい気持ちに駆られる。
高取山といえば、『孤高の人』(新田次郎)はこの山から始まる。神戸を拠点に活躍した単独行の登山家・加藤文太郎もよく登ったという。彼は、和田岬の造船所を出て、全山縦走し、その後宝塚から和田岬まで1日で歩いて帰ったとか。当時の六甲山は、現在のように整備されていなかったことを思えば、信じられない足の早さである。
高取山山頂には荒熊神社・高取神社がある。全山縦走路はその境内を迂回しながら進み、茶屋や売店が立ち並ぶコンクリートの参道を降る。安井茶屋のところにちょうどいい休憩スペースとトイレがあり、そこから左折する。下りた先が丸山市街地で、まず鷹取橋東詰交差点にいたる。
住宅街を抜けていくと、「丸山子羊幼稚園」の看板のある交差点に出る。ここは五叉路のようになっており、子羊幼稚園のすぐ左の道を降っていくのが全縦ルートである。子羊幼稚園、という印象的な名前に加え、山岳部の顧問が、全縦ルート説明で口酸っぱく連呼していたので、非常に印象に残っている。幼稚園がなくなっていなくて安心した。
道を間違えないよう注意しながら進み、神戸電鉄の線路をくぐる。少し急な坂道を登り、道路をくぐる。鵯越駅前の商店が並ぶエリアを抜け、鵯越駅の踏切は渡らず駅の右側から登山道に入る。
市街地の道中は、一同若干オフモードで、変な小学校の先生の話で盛り上がるなど、ペースが落ちていた。ここをもう少し真剣に、巻き巻きで通過していたら、、、と後悔する理由は、以下の通りである。
◯鵯越=菊水山=市ケ原(中田)
[鵯越駅から、六甲山屈指の急登・菊水山(きくすいやま、450 m)に登る。有馬街道(ありまかいどう、251 m)へ一旦降り、鍋蓋山(なべぶたやま、487 m)を登り返し、大竜寺(だいりゅうじ)を経て、新神戸駅の裏手の河原・市ケ原(いちがはら、250 m)へ降る]
鵯越駅をすぎて烏原川沿いにしばらく歩く。沢筋沿いの上りが始まってすぐ、地元のハイキング愛好会が長蛇の列をなして階段の道を登っていくのが見える。50〜100人ぐらいいただろうか。そのうちの何人かと言葉を交わしたのだが、階段の方ではなくて沢筋をそって登る方が早いからいいのではないかとのこと。沢筋の道は地図には乗っていないが、確かにYAMAPには踏み跡がかなりあるようだ。我々はちょうどその分岐の地点に立っていたので、そちらから登ろうということになった。こちらの道は人通りは少ない様子だが、歩きづらいとか特別危ないということはない。ただ、段々と斜度はキツくなっていく。尾根筋に合流すれば菊水山まであと一息。個人的には階段を何百段登るよりもずいぶん楽な道だった。
菊水山山頂は広く、北側も南側も景色がよく見える。この日初めてちゃんとした景色が見えた山頂だった。少し長めに休憩しようということで展望台でのんびりしていたが、待てよ、あの愛好会の後ろをまた歩くのはよくないなと思い、出発しませんかと言った頃にはすでに遅かった。しばらく下ると再度あの団体の後ろに着いてしまった。譲ってもらえる様子もなく、かといって何十人もいるので一気に追い抜くこともできない。(我々の感覚からすれば)ずいぶんゆっくりなペースで菊水山を下っていく。これはYAMAPの記録を見れば明らかで、全体を通してCTの200%のペースで歩いていたのだが、ここの区間だけ100%に落ち込んでいる。
結局、鍋蓋山への登り返しで一気に追い抜くことにした。鍋蓋山山頂では団体に追い抜かれない程度の休憩で済ませて市ケ原へと向かった。市ケ原はキャンプ地として利用されているようで、利用者は焚き火をして暖をとっている。キャンプ地のそばにある茶屋で鈴木さんはフランクフルトを食べて英気を養っていた。
◯市ケ原=摩耶山(中田)
[市ケ原から、全山縦走の関門・天狗道(てんぐみち)の急坂を登り、摩耶山(まやさん)山頂の展望台・掬星台(きくせいだい、702 m)を目指す]
休憩もそこそこにして、この日最後の登りにかかる。山口さんは高校の山岳部時代のことを思い出してきたらしく(この辺りは神戸高校山岳部の練習場だったらしい)、急に元気になった。僕は眠気がいよいよひどくなってきて足取りが重い。鈴木さんもやはり消耗しているようで、元気になった山口さんが鈴木さんの荷物を体の前で抱えるようにして持つ。
摩耶山の登りは標高差から見ても、コースのなかでの位置から見ても、全行程でもっともつらい場所である。全縦する人には毎回この辺りで足を攣る人がいるらしいが、須磨浦公園から累積標高で2000m近く登っていることになるのだから無理もない。ただ、学校林道分岐まできてしまえば残りはそこまできつくなく、なんとなく歩いているうちにあっさり摩耶山山頂の掬星台にたどり着いた。山頂は広く東屋、自販機、トイレ、展望台と充実している。ロープウェイもあるから人がよく来るのだろう。
掬星台からの眺望は壮観そのもので、六甲アイランドやポートアイランド、関空へと続く湾岸線、神戸の街並みがよく見える。百聞は一見に如かずというが、神戸が港町であることが一目で分かる気持ちの良い眺めだ。夜には、1000万ドルの夜景が楽しめる。
ここが今回の行程の7割程度の地点だが、時刻はすでに15時ごろ。想定より時間がかかった感がある。あとは舗装された道路を歩くだけだから、もうバスで良いだろうと山口さんと鈴木さんの提案。ショートカットするのは惜しい気もするが、最初から全縦の計画ではないし、登りという登りはこれで終わりなので大人しくバスに乗ることにして、摩耶ロッジ前バス停へと向かった。
●摩耶山=(バス・ロープウェイ)=有馬温泉(鈴木)
[摩耶山から路線バスを利用し、記念碑台(きねんひだい)・六甲ガーデンテラスを経て六甲有馬ロープウェイ山上駅。ロープウェイで有馬温泉へ]
摩耶山で神戸の町を見下ろす絶景を見た後、バス停へ移動。摩耶山の登りで山口さんに荷物を背負ってもらうなど、僕は普段の運動不足が祟りとてもへとへとだったので、バス移動は渡りに船であった。摩耶山山頂から少し歩くとバス停に到着。在京の桐原くんに、山行を終了したこと、バスとロープウェイを使って下山することを連絡。その後、バスに乗車し、六甲有馬ロープウェイ山上駅へ。バスは交通系ICカードが使えない一方、クレカのタッチ決済が使えることが驚きだった。
六甲有馬ロープウェイ山上駅で、ロープウェイに搭乗し、六甲山の絶景を眺める。夕日に照らされた六甲山は非常に綺麗で、今回の山行のしめくくりにぴったりに感じた。有馬温泉に下山後、我々は「金の湯」へと向かった。温泉が黄土色(金色には見えなかった)なのが特徴だという。とてもいい温泉だったので、有馬温泉に行った際には是非行ってみてほしい!
〈蛇足〉
湯上り後、夕食でも食べようとなって金の湯の周辺を散策するも、ほとんどのお店が17時くらいには閉まっており、食事を断念。そのまま帰ることにする。酒屋で日本酒を物色し、各々気にいった日本酒を購入。そして、中田くんはバス、山口さんと僕は神戸電鉄に乗り、帰路に就いた。
■感想
CL 山口
・雷鳥メンバーとの会話の中でたびたび話題に登り、やってみたいね、とはなるもののハードルが高い六甲全山縦走。ひょんなことからメンバーが3人も集まって、実施の運びとなり、感謝の思いでいっぱいです。
・放課後に何度も登った高校の裏山、摩耶山の登山口・市ケ原が感情のピークでした。6年に及ぶ無沙汰を詫びるとともに、これまでの感謝を伝えました。
・今回は西ハーフ縦走でしたが、芦屋・有馬から最高峰を目指す数々の道(バリ含む)など、六甲の見せる他の面もいつか体験してほしいと思います。芥川賞の『バリ山行』も読まなくては。
SL 中田
・変化に富んでいて、飽きのこない山行でした。特に摩耶山からの神戸の景色はおすすめです。
・今回は西半分でしたが、全山となると結構なペースで歩く必要があるなと実感。また、何年後かに全山リベンジしたいです。
・山口さんの解説が秀逸でした。
〇鈴木
・関西での初の山行でとても楽しめました。ただし、めちゃくちゃきつかったです。普段の運動の大切さをしみじみと感じました。
・山口さん、中田くん、今回の山行に誘ってくれてありがとうございました。特に、僕のザックを背負ってくれたり、色々解説してくれたりした山口さんには感謝してもしたりないくらいです。