2025/3/10 金井山ハイク
金井山ハイク計画書 第二版
作成者:油井45
■日程 3/10(月) 日帰り 予備日3/9
■山域 釜山北部
■目的 登頂、釜山観光
■在京責任者 岩田
■在京本部設置要請日時 3/10 20:00
■捜索要請日時 3/11 08:00
■メンバー ( 3人)
CL油井(45) SL斉藤(45) ◯白川(44)
■集合
07:10 釜山駅前
■交通
□行き
07:16 釜山(부산, Busan)駅-[地下鉄1号線(부산 1호선) 老圃(노포, Nopo)行]-07:41/07:46 温泉場(온천장, Oncheonjang)駅-[バス203系統 竹田村(죽전마을, Jukjeon Village)行]-08:05 南門(남문, Nammun)
□帰り
梵魚寺から地下鉄1号線梵魚寺駅まで徒歩50分
■行程
南門(남문, Nammun)バス停-0:12-東門(동문, Dongmun)-0:55-金井山城第4望楼(금정산성제4망루)-0:07-義湘峰(의상봉, Uisangbong Peak)-0:18-元暁峰(원효봉, Wonhyobong Peak)-0:20-北門(북문)-0:41-姑堂峰(금정산)-0:30-北門(북문)-0:42-梵魚寺(범어사, Beomeosa)
【3:50/7.8km】
■エスケープルート
義湘峰まで:引き返す
義湘峰から:そのまま下山(姑堂峰カット)
■個人装備
□ザック □ザックカバー □登山靴 □替え靴紐 □雨具 □防寒具 □帽子 □軍手/手袋 □タオル □水 □行動食 □非常食 □ゴミ袋 □ヘッドランプ □予備電池 □ライター □エマージェンシーシート □地図 □コンパス □筆記用具 □遭難対策マニュアル □計画書 □学生証 □保険証 □現金 □常備薬 □マスク □消毒用品 □日焼け止め (□モバイルバッテリー □サングラス □歯ブラシ □トレッキングポール □サポーター/テーピングキット □熊鈴)
■地図
アプリ「NAVER マップ」「All Trails」を併用
All Trails:Geumjeongsanseong Fortress East Gate-Beomeosa
■共同装備
救急箱
・エーデルワイス:斉藤
■遭難対策費
100円×3名=300円
■悪天時
前日までに判断
■施設情報
□トイレ
北門など多数
■備考
□日の出日の入り(釜山)
日の出 06:41
日の入 18:26
□連絡先等
警察署:112
消防署:119
在大韓民国日本国大使館:+82-2-739-7400
在釜山総領事館:+82-51-465-5101
金井消防署:051-760-4780
釜山消防本部:051-760-3000
3/10 金井山ハイク記録
作成者:油井45
■日程 3/10(月) 日帰り 予備日3/9
■山域 釜山北部
■天気 晴れ
■メンバー
CL油井(45) SL斉藤(45) ◯白川(44)
■共同装備
なし(救急箱:斉藤私物)
■総評
海外山行の醍醐味である現地人との交流を楽しむことができ、非常に充実したハイクとなった。よく整備された登山道は松林に囲まれ、稜線からは釜山の市街地を遠くに眺めつつ吹き上げる風を感じながら気持ち良く歩くことができた。山頂での歓待は忘れられないだろう。
■タイムスタンプ
8:45 東門-10:00 元曉峰-10:25 北門-11:10 姑堂峰-12:10 北門-12:40 梵魚寺
【3:55/7.2km/↑546m↓629m】
■ルート概況
・終始整備された登山道で歩きやすかった
・残雪期だったため一部ぬかるんでおり、スニーカーで参加した二人は苦戦していた
・金井山城の城壁に沿って尾根道が続いているが、その西側を巻く道も入り組んでおり、ルート選択が悩ましい
・北側斜面には残雪があったが、ぬかるみの元となっていた以外特に問題はなかった
・北門近くにビジターセンターがある、親切に釜山の登山家についての展示を解説してくれた
・山頂直下は木製の階段が続く
■山行記(油井)
6時起床。釜山での2回目の朝を迎えた。別のホテルに宿泊している白川さんとは7:30過ぎに地下鉄車内で合流予定で、駅までは5分もかからないので比較的余裕があるように思われるかもしれないが、自分たちにはやらなければならないことがある。それは洗濯物の回収である。前日の夜にホテルの屋上にある洗濯機(LG製)のスイッチを押したのだが、水が出たところで動きが止まってしまったのである。これではただ服を濡らしただけなので一旦乾かすか迷ったが、深夜にもう一度洗濯機を回して数時間放置することにしたのである。今回は1分間の動作確認済みなので後は部屋干しするだけだと思っていた。しかし、現実はそう甘くはなかった。洗濯機のタイマーは寝る前に見た数字をそのまま示していたのである。目を離してすぐに再度動かなくなったのだろう。中の衣類はたっぷりと水を含んでいてこのまま干しても乾きそうにない。応急処置として乾燥機に入れて一旦乾かし、下山後に取り出すことにした。洗濯機の利用は諦め、夜に手洗いする覚悟を決めたのである。
洗濯できていなかったことにショックを受けつつ、部屋に戻って朝食をいただく。前日は屋台で買ったキンパなど韓国らしい朝ごはんを用意できたが、目ぼしいものがなかったのでこの日はコンビニで買ったインスタントの雑炊である。そう、雑炊だと信じていた。雑炊だと思って買ったものはなんと無味のお粥だった。調味料を持ち合わせていなかったのでそのまま食べたがあまりに味がなくて美味しくない。韓国料理に薄味が多いことは前日までにわかっていたが、いくら何でもこれは韓国人でも薄いと感じるだろう。食べ方としては各家庭でキムチなどを投入してアレンジするのが正解なのだろうか。アレルギー欄だけを確認して肝心の原材料を翻訳していなかったことによる悲劇である。韓国に行かれた際はLG製の洗濯機とインスタント食品に気をつけてほしい。
そろそろ本題に入ろう。予定通りの地下鉄に乗り込み、白川さんにここまでの苦悩を語った。25分ほどの乗車で温泉場駅に到着し、バスに乗り換える。韓国ではGoogle
Mapが使い物にならない代わりにNaver
Mapという独自の地図アプリがあり、乗り換え案内が分かりやすいだけでなく、登山道も地図に記載されているという優れものであった。日本語対応なので、あまり情報のないバスに乗る際も安心である。韓国(少なくとも南部)では在来線が絶滅危惧種であり、都市間移動は高速バス、郊外へは路線バス、大都市内は地下鉄での移動が一般的であるようだった。山行の前日に倭城(秀吉の朝鮮出兵/壬辰倭乱時の日本方の陣城)巡りをしていた自分は釜山広域市のお隣、昌原市の郊外へと出かけたのであるが、漁村と臨海工業地域とベッドタウンが一体化したような田舎?でもそれなりにバスの本数があったので驚いた。日本だったら通勤通学の時間にしか運行されていないだろう。金井山の登山口へと向かうバスも山岳地帯をくねくねと進むのにもかかわらず15分間隔で運転されており、アクセスは申し分ない。運転は荒いのか上手いのかよくわからないが、一番後ろに座っていたからか酔いそうだった。車内の放送は韓国語のみだったので位置情報を確認しながら降車ボタンを押す。計画書では南門バス停で下車することにしていたが、一つ手前の東門バス停で下車し、登山口である東門へはトイレを経由するルートを取った。登山道に入る前なので許していただきたい。
東門への道にはトーテムポールもどきや卵型の兵士?が置かれており、なかなか面白い。金井山城の東門は1972年に復元されたものだが、谷を封鎖する立派なものでかなり見応えがある。金井山城は壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)と丁卯胡乱(後金による朝鮮侵略、先輩のゼミ発表で登場してアツい)を受けて東莱府の詰城として18世紀に築かれたもので、韓国最大規模の城郭らしい。金井山城南麓の傾斜地を城壁で囲んでおり、望楼や門が復元されている。日本の城郭は朝鮮出兵時に戦略的にも技術的にも革新的進歩が起きたのだが、その優れた倭城は日本軍撤退後も朝鮮側に再利用された例が少なく、新たに朝鮮式を踏襲して造られたのがこの金井山城だった。天然の要害の地に築かれたのであろうが、同時代の日本の城と比べて防御面で劣っていると言わざるを得ない。西日本に残る古代の朝鮮式山城と防御プランは変わらないように思われる。なぜ朝鮮は日本の築城術を吸収しなかったのか。興味深い問題である。
東門からは東側の城壁に並行して登山道が複数伸びており、よく踏み固められた道を進む。平日なので人はまばらである。30分ほどで巨岩が出現し、西側の眺望が開けた。とりあえず登ってみたが、写真映えはしなかったようである。残念。城壁からやや西側に外れた道を進んだが、この辺りは標高が低いのに松林が広がっていて驚いた。日本の低山に植樹されるのは杉・檜ばかりであるから新鮮である。城内なので防火として植えられたのだろうか。あるいは文化の違いかもしれない。こんな松林が広がっている一方で、杉・檜の花粉はかなりの量が飛散しているようでメンバーは皆くしゃみばかりしていた。まさか海外に行っても花粉症から逃れられないとは。想定外である。途中の分岐から一番城壁に近い登山道に移ってみると、今度は東側の展望が大きく開けた。目の前にはミニ瑞牆山とでも言うべき岩峰が聳えている。いや、全体的な雰囲気としては御在所岳に近いのかもしれない。前方にも後方にも城壁が延々と続いており、ミニ万里の長城である。これも復元整備によって積み直されたものだろうか。側面から見ることができないので詳細は不明である。
遮るもののない城壁に沿って登ると、陽にあたってかなり暑くなってきた。ここで上着の調整、日焼け止めの塗り直しをしようと小休憩をとる。振り返ると釜山中心部の高層ビル群が霞んではいるもののよく見える。ここから見ると釜山中心部には僅かな平地(それも大半が埋立地)しかないことがよくわかる。現地で学んだことだが、古代以来、現在の釜山広域市の中心は温泉場駅を含む現在の東莱区であり、ここにはそれなりの規模の平野が広がる。近世までの釜山(中世は富山浦)は、日本との貿易港ではあったものの、日本人居留地である倭館を管理するのも東莱府であり、あくまで外港に過ぎなかった。近代に入り、日本の圧力に屈して釜山が開港すると、釜山は国際貿易港として整備され、日本統治下(日帝強占期)において大陸への玄関口として大きく発展した。釜山近現代歴史館では、この発展が日本の植民地支配によってもたらされたという客観的な見解がパネルで紹介されていた。その一方で釜山博物館で近現代の展示を見た光祐によるとそこでは日本の植民地支配の釜山発展への寄与を過小評価しており、歴史の歪曲が行われていたという。釜山近現代歴史館はオープンしたばかりなので、近年歴史の修正が進んでいるのかもしれないが、韓国での歴史教育の実態を知る上でもこれらの博物館を訪問することをお勧めしたい。多くの展示に英語の解説文が付いているので自分のようにハングルがさっぱりな人でも理解できる(あるメンバーは行きの船中で勉強し始めたハングルを韓国滞在中にマスターしていた、恐ろしい)。釜山には国立日帝強制動員歴史館もあり、韓国側の主張を知る上で非常に興味深かった。
脱線してしまったので金井山に話を戻そう。白川さんに借りた日焼け止めを雑に塗って顔が真っ白になった光祐(アルバム参照)をイジりながら、ゆっくりと進む。金井山城の第3望楼は高さがなく、望楼としての役目を果たせているのか甚だ疑問である。本来はもっと高かったのかもしれない。元曉峰というピークまでは緩い階段が続き、山頂からの眺めは良い。このピークの北側斜面には残雪がちらほらあり、春の陽気の中でもまだ3月上旬であることを実感する。途中には全く写真映えしない「PHOTO
ZONE」があった。一体何を撮れと言っているのだろうか。元曉峰と姑堂峰に挟まれた鞍部にある北門へはそれなりに下る。正面には姑堂峰がどっしりと構えていて美しい。中腹には城壁が見えており、北門を超えた姑堂峰側も、城壁に囲繞された城内だということだ。北門の辺りにはカラフルな旗が掲げられており、趣があって良い。北門までは車で上がることができるようで、ビジターセンターもある。折角だからと寄り道したところ、親切にもおじさんが案内してくれた。白川さんの旅行会話知識で軽く挨拶し、英語でのやり取りを試みたが、向こうは翻訳アプリを使って解説してくれた。館内は金井山の展示ではなく釜山の登山家の紹介がメインで、ヒマラヤがどうのこうのといった話だった。翻訳アプリでは山の名前といった固有名詞を上手く変換できないようでまだまだ技術の未熟さを感じた。
おじさんには結局15分ほどお世話になり、山頂へ向けて出発した。登るにつれて岩山となり、それに伴って登山道も階段が増えてきた。鈍った身体にはしんどい。オフシーズンのため1ヶ月以上雷鳥の山行に参加していなかったので仕方ないとはいえ、情けない。それにしてもかなり気合の入った整備がなされている。韓国の山はどこもこのように人工的に「下界化」されているらしい。誰でも登頂できるようにという配慮だろうが、これではどの山を登っても景色以外一緒ではないか。もし、姑堂峰に階段以外の登山道があれば、乾徳山並みの鎖場があってもおかしくないと思うと惜しまれる。これが日韓の登山の大きな違いだろう。違いというと、今回の山行で一つの説を立証した。それは「韓国の山、整備されすぎて挨拶しない説」である。勿論、自分から「アニョハセヨ」と言うと返してくれるのだが、向こうから挨拶してくることはついに一度もなかった。自分たちが外国人だからかな、とも思ったが韓国人どうしでも声をかけている姿は見られなかった。やはり金井山は「丘」だ。韓国の「山」にも是非登ってみたいものである。
階段を登りきるとデッキ状の展望台があり、西側の展望が開ける。そこから山頂は目と鼻の先である。登頂するや否や、山頂で宴会?していたおじさんたちに歓待される。サムスンのロゴが書かれたコップを使っていたのでサムスン勤務なのだろうか。どこから来たのか聞かれたので、日本から来たことを伝えるとかなり嬉しそうに日本での思い出を話し始めた。それと同時に次から次へと宴会の品々が自分たちにも振る舞われる。生マッコリ、イチゴなどの果物、お菓子などなど。こんな熱烈に歓迎をされるとは思っていなかったので、とても嬉しい。まだ就業時間外の釜山市民と接触できていなかったので、いつ韓国人の反日感情が表面化するかヒヤヒヤしていたのが本音だが、思っていた以上に韓国人は親日なのかもしれない。それまで韓国の歴史教育を批判的に捉え、韓国に反日国家のレッテル貼りをしていた自分も、無意識のうちに偏見を植え付けられて隣国に対する正しい認識ができていなかったことに気づかされた。
おじさんたちと集合写真を撮った後は、雷鳥だけで山頂を満喫した。ポケットに入れていたワイヤレスイヤホンを岩場で落とすという普段の山行ならまず起きないハプニングもあった(なんでポケットにイヤホンが入っていて、しかもそんな簡単に落ちるんですかね、、、)が、360°のパノラマを楽しみながらまったりすることができた。遠征での行動食は現地調達・地産地消をモットーにしているが、韓国のスーパーには菓子パンや惣菜がほとんど存在しないため今回は日本から持ってきた非常食代わりのパンが活躍した。下山には北門まで来た道を使い、そこからは梵魚寺に向けて東側に下った。途中から沢沿いの静かな登山道になり、心地良かったが誰も写真を撮っていなかったようである。梵魚寺に到着したところで下山連絡を流し、その後は寺を散策してからバスで梵魚寺駅まで向かった。
韓国の文化に触れることができた上に、韓国人との交流もできて海外山行らしさ全開のハイクになったように思う。何より金井山に登ったことで韓国人に対するイメージが大きく変わった。なんだ、韓国も良い国ではないか、そう考えるようになったのも束の間、対馬に渡ってから韓国人に対して複雑な感情を抱くようになったことにも少々触れておく(その感情は参加メンバー間で必ずしも一致はしない、ということを付言しておく)。現在、対馬の経済は韓国人観光客のお陰で成り立っている。しかし、その陰で日本人観光客の減少、マナーや景観の問題が発生していることを島民から聞かされた。南北に長い対馬は場所によってインバウンドの恩恵を受ける地域とマナーが悪化しがちなツアー客しか訪れずデメリットの方が大きい地域に分かれ、島民も一枚岩ではないようである。人口減少の中、国境の島を維持する上で重大な問題に対馬は直面している。その中で韓国人に対してどのような感情を抱くか。現地に行って初めて分かることがある。釜山も対馬も国境地帯ということで古来より日本と韓国の文化が混じり合って生活が営まれてきた。お互いの存在は身近ではあるものの、そこには文化の違いでは済まされない対立が生じている。これは他人事ではなく、日本人全員が認識すべき問題だろう。釜山と対馬、僅か50kmしか離れていないが、多くの日本人にとって行きやすいのは釜山であり、対馬には生涯一度も訪れない人が大半だろう。人文科学的にも社会科学的にも自然科学的にも、釜山と対馬はセットで訪問することで100倍面白く実りある旅行になると思う。釜山旅行に行く際は90分フェリーに乗って対馬にも足を伸ばしてほしい。そして国境の島の現状をまずはその目で見てもらいたい、それがこの遠征に参加したメンバーの総意である。
〈対馬遠征 行程〉福岡→東京を除き船での移動
3/7 大阪発
3/8-11 釜山
3/11-14 対馬(加藤は3/10-3/13、斉藤は3/16まで滞在)
3/14-16 壱岐(白川は寄港しただけで3/14に福岡入り、18きっぷで帰宅)
3/16-17 福岡
3/17 東京着
■感想
CL油井
・マツ主体の気持ち良い森だった
・遠くに見える釜山の街が絶景
・ビジターセンターでも山頂でも韓国人に色々とお世話になりました
SL斉藤
・景色が韓国!大規模な開発で埋め尽くされた街を見下ろす景色は日本では見られないね
・韓国の山の典型なのかは分からないけど、松がかなり多いのが気になった
・頂上でお会いしたおじさん達が本当に親切だった。どうやらサムスン勤めっぽい?
◯白川
・自分たちがいる山のすぐ下には高層ビルが立ち並び、下界との距離が近く感じられる景色が新鮮だった。
・道が整備されているならとスニーカーで登ったが、雪解け後のぬかるんだ道や岩場では進むのに少々苦労した。登山靴で行くべきでした。
・苺をもらって食べていると、さらに続けてマッコリ、チョコ、オレンジと手渡されてびっくり!どれも美味しかった。心の広いおじさんたちの優しさはきっと忘れない。