2025/5/5-6 黒法師岳
黒法師岳山行計画書 第三版
作成者:油井
■日程 5/5-6(月-火) 一泊二日 予備日なし
■山域 南アルプス深南部
■目的 登頂、大自然を感じる
■在京責任者 清野
■在京本部設置要請日時 5/6 20:00
■捜索要請日時 5/7 08:00
■メンバー ( 3人)
CL油井(45) SL斉藤(45) ◯桐原(43)
■集合
5/4 13:30 浜松駅在来線改札前
■交通
タイムズカーシェアを利用(18,000円程度) 7人乗りフリードを予約
□行き
丸倉松江町パーキング(浜松駅から徒歩13分)-天竜の森避難小屋 2時間15分
天竜の森避難小屋で前泊
天竜の森避難小屋-麻布山登山口駐車場(野鳥の森ウグイスの門) 1時間
□帰り
麻布山登山口駐車場-丸倉松江町パーキング 3時間
○在来線
18:50発→東京23:07着
19:18発→東京23:46着(全員帰宅可能?)
19:52発→品川24:07着(山手線内・外回り池袋行き、京浜東北線南浦和行きに接続可能)
○新幹線
19:58発→静岡で在来線乗り換えで23:46東京着(自由席990円)
[在来線]20:15発→静岡で新幹線乗り換えで22:27東京着(自由席2530円)
20:54発→小田原で在来線乗り換えで23:36東京着(自由席2530円)
21:35発→小田原で在来線乗り換えで24:07品川着(自由席2530円)
22:07発→23:29東京着(自由席3400円)
■行程(YAMAP×1.1≒ヤマレコ×0.6)
0日目(山行としては扱わない):0:51/1.8km/↑132m↓132m(yamap×1.0)
天竜の森避難小屋-0:26-展望台-竜頭山-0:20-天竜の森避難小屋
1日目:11:59/16.2km/↑2036m↓1291m
麻布山登山口-0:17-三森-0:28-東屋(ヒメシャラ)-1:01-東屋(ミズナラ)-0:50-麻布神社奥宮跡-0:11-麻布山-0:17-戸中山-0:44-前黒法師山-1:17-シブロク歩道分岐-1:12-バラ谷ノ頭-0:23-水場分岐-0:17-上西平山-0:35-黒法師岳-0:30-等高尾根分岐-0:37-カモシカ平-0:40-丸盆岳-0:55-等高尾根分岐-0:35-黒法師岳-0:30-上西平山-0:11-水場分岐-0:29-バラ谷ノ頭
※4:00入山、12時までに黒法師岳登頂ができなければ黒法師岳〜丸盆岳はカット
2日目:5:21/9.0km/↑487m↓1231m
バラ谷ノ頭-0:50-シブロク歩道分岐-1:23-前黒法師山-0:28-戸中山-0:22-麻布山-0:11-麻布神社奥宮跡-0:33-東屋(ミズナラ)-0:50-東屋(ヒメシャラ)-0:33-三森-0:11-麻布山登山口
【17:20/25.1km/↑↓2413m】
■エスケープルート
丸盆岳まで:引き返す
丸盆岳から:そのまま下山
天気予報次第で黒法師岳日帰りピストンも検討(14:00/21.1km/↑↓2090m)
緊急時は等高尾根かシブロク歩道で林道戸中山線駐車場へ下山(※タクシー手配は困難、林道一部崩落のため利用可能性は低い)
■個人装備
□携帯トイレ □ゲイター □ザック □ザックカバー □シュラフ □マット □登山靴 □替え靴紐 □雨具 □防寒具 □帽子 □軍手/手袋
□タオル □水 □行動食 □非常食 □ゴミ袋 □カトラリー(フォーク、スプーン類) □コッヘル(食器) □ライター □トイレットペーパー
□着替え・温泉セット(車内に放置)□ヘッドランプ □予備電池 □エマージェンシーシート □地図 □コンパス □筆記用具 □遭難対策マニュアル
□計画書 □学生証 □保険証 □現金 □常備薬 □マスク □消毒用品 □日焼け止め (□サブザック□モバイルバッテリー □サングラス
□歯ブラシ □トレッキングポール □サポーター/テーピングキット □熊鈴 □コンタクト/眼鏡)
■地図
25000分の1:「水窪湖」「寸又峡温泉」
山と高原地図:「塩見・赤石・聖岳」
■共同装備
テント
・ステラリッジ4 No.2:
なべ
・桜:
ヘッド
・緑9(丑):
カート
・パワープラス×2:
調理器具セット
・キャサリン:
救急箱
・オードリー:(4/27新歓日の出山から引き継ぎ)
チェーンスパイク
・メイジョウ:
・ツルマイ:
・油井私物:
ヒル忌避剤
・油井私物:
熊撃退スプレー
・ユーフレ:
■食当
前泊
夜:斉藤
朝:各自
山行
夜:油井
朝:桐原
アレルギー等:アーモンドを除くナッツ、豆乳、メロン、サクランボ、モモ
■遭難対策費
200円×3名=600円
■悪天時
前日までに判断
■施設情報
□小屋
なし
□水
・水場分岐から東側斜面を5分下った地点(水量豊富)
□トイレ
なし
最寄りのトイレは山住峠観光トイレ(登山口から車で25分)
□天然温泉
・とうえい温泉花まつりの湯(登山口から1時間半、700円)
・あらたまの湯(登山口から2時間、730円)
□銭湯
・やすらぎの湯(登山口から1時間20分、830円) 月火休業
□電波
各キャリアとも絶望的(auのみバラ谷ノ頭で微弱ながら入るか)
■備考
□日の出日の入り(丸盆岳)
日の出 4:52
日の入18:38
□連絡先等
天竜警察署:053-926-0110
水窪分庁舎:053-987-0110
島田警察署:0547-37-0110
奥泉駐在所:0547-59-2215
水窪タクシー:053-987-0118
上島キャンプ場:080-8582-2930
5/5-6 黒法師岳山行記録
作成者:油井
■日程 5/5-6(月-火) 一泊二日 予備日5/4-5(一度予備日程での実施を決めた後に再度変更)
■山域 南アルプス深南部
■天気 1日目:晴れ、2日目:雨
■メンバー
CL油井(45) SL斉藤(45) ◯桐原(43)
■共同装備
テント
・ステラリッジ4 No.2
なべ
・桜
ヘッド
・緑9(丑)
カート
・パワープラス×2
調理器具セット
・キャサリン
救急箱
・オードリー(4/27新歓日の出山から引き継ぎ)
チェーンスパイク
・メイジョウ
・ツルマイ
・油井私物
ヒル忌避剤
・油井私物
熊撃退スプレー
・ユーフレ
■総評
1日目は天候に恵まれ、南ア・中ア・御嶽山を望みながら深南部の大自然を満喫することができた。2日目は生憎の雨だったが、本降りになる前に下山できてよかった。深南部は奥秩父の笹原とも、いわゆる「アルプス」とも異なる趣きで、新しい山域を知る喜びを噛みしめることができた。ガス欠未遂事件や天候判断に関して、熟慮した上で慎重な判断ができたことは非常に良かった。
■タイムスタンプ
1日目:11:21/16.7km/↑2052m↓1317m(うち休憩03:06)
04:05 麻布山登山口-04:15 三森-04:35 東屋(ヒメシャラ)-05:20 東屋(ミズナラ)-05:55 麻布神社奥宮跡-06:00 麻布山-06:25 戸中山-06:55 前黒法師山-07:35 打越峠-07:55 シブロク歩道分岐-09:00 バラ谷ノ頭〈休憩・幕営で1時間滞在〉-10:25 上西平山-10:55 黒法師岳〈20分休憩〉-12:20 カモシカ平-12:40 丸盆岳〈30分休憩〉-13:25 カモシカ平-14:15 黒法師岳分岐-14:40 上西平山-14:50 水場-15:25 バラ谷ノ頭
2日目:3:57/9.6km/↑539m↓1274m(うち休憩0:21)
04:00 バラ谷ノ頭-05:40 前黒法師山-06:05 戸中山-06:25 麻布山-06:35 麻布神社奥宮跡-06:55 東屋(ミズナラ)-07:25 東屋(ヒメシャラ)-07:45 三森-07:52 麻布山登山口
【15:18/26.4km/↑↓2594m】
■ルート概況
〈麻布山登山口-麻布山〉
・整備されたいわゆる一般登山道
・細かい樹種はよくわからないが、マツ科、ナラ科、カバノキ科っぽい立派な木々が立ち並ぶ森
・野鳥は多いが、動物の気配はなし
・人工林は奥宮跡手前の僅かな区間のみでほぼ天然林
・奥宮跡手前の人工林を越えると西側の展望が開けた伐採地?に出る(ザレ場なので注意)
・麻布山山頂含め東屋が3ヶ所あるので休憩に利用されたい(ヒメシャラは傾いていた)
・麻布山周辺にはバイケイソウが群生する
〈麻布山-バラ谷ノ頭〉
・麻布山には「これより標示おわり ご無事で」との看板があるが、実際には水窪山に生きる会の人たちがその先も看板やピンクテープを整備してくれていた
・ただし、整備された階段は麻布山からの下りで終わり
・前黒法師山からはかなり下る、帰りがきつい
・前黒法師山から下りきった鞍部は幅広の尾根で無数にトレースがある、ピンクテープを見失いやすいので要注意
・バラ谷ノ頭直下には残雪あり
・バラ谷ノ頭からの眺望は素晴らしい
・山頂標があるのとは別のピークに「本邦最南2000mの地」の標識が立つ
・山頂は風が強いのでテントは東側に下ったところにある平坦地に幕営すると良い、5張ほど可能か
〈バラ谷ノ頭-丸盆岳〉
・「ようこそ深南部へ」と言わんばかりの笹原
・初めは背丈も膝ぐらい、急傾斜地なので笹の茎を掴みながら下る
・水場(山に生きる会水)へは黒バラ平(バラ谷ノ頭を下りきった地点)から5分ほどやや荒れた道を下る、ホースから出る「文化的」な水場で水量多い
・黒法師岳に向かう道は笹原の中にあるのでどこでも通ることはできる、特に指定されたルートはないので間隔が開かないよう先頭に着いていこう
・黒法師岳への登りは急登、次第に笹は背丈ほどに
・黒法師岳山頂からは展望なし、×印の三角点は必見
・丸盆岳への道は崩壊地形を通るガレ場からスタート、転落注意
・カモシカ平は風を避けられる窪地があり、幕営適地
・丸盆岳周辺からの眺望◎、この辺りまで来ると光岳が近い
■山行記
【0日目(斉藤)】
4日の13:30ごろ、今山行のメンバー3人は浜松駅前に集結した。私は名古屋の実家からだが、残る二人ははるばる東京からである。中略。
駅前のステーションで車を拾って、いざ山のある北方へ。天竜川の左岸沿いの道路を快走する車窓の正面には、まさにこれから向かわんとする深南部の前衛が小さく見えた。途中、地元のスーパーで食糧調達を行った。今晩の食当であった私は、ここで小松菜やウィンナーなどを購入して、鮮度が落ちる前に今晩の食事をさっさと作ってしまおうという魂胆だった。スーパーを出てまたしばらく北上すると、天竜二俣の町へ出る。ここあたりが浜松市街の限界で、じきに電波は入らなくなってしまう。しかも今山行の山域は電波が入りにくいとのことだから、もしかしたら今後まる2日間は電波とさよならしなくてはならないかも知れない。天気予報のチェックやメールの返信などを丹念に済ませておいた。
よく整備されたスーパー林道をずっと走って、前泊地の小屋に着いた。小屋を覗くと中は広々としていて、先着の登山者は一人だけのようだ。荷物を下ろすなどする前に龍頭山に登ってしまおう、という話になって、片道15分ほどのトレイルへ。小さい小径の左右にはバイケイソウが生えていたが、ここは翌日の登山道ともよく似ている。龍頭山の山頂からは、南は浜松のみならず遠く静岡市街まで、北は深南部から光岳、聖岳、上河内岳までを望むことができた。
小屋に戻ったら食事の準備だ。小屋内はまさかの火気厳禁であったので、仕方なく外のベンチへ。今晩のメニューは「トマトみそラーメン」で、5人前を調理した。味もなかなかな感じで良かったのだが、食事後の片付けのとき、カートの残量がかなり減ってしまっていることに気づいた。どうやら寒空のもとで多くのお湯を沸騰させたのが悪かったらしく、想定以上にガスを使ってしまったようだ。山でガス欠を起こしたらそれこそ問題だ、と話し合って、明日の朝のお湯沸かしは中止することにした(明日の朝食として、各自カップ麺を購入していたが、それはお蔵入りになった)。とはいえ、各自行動食を十分に持ってきていたことでカップ麺の一つを放ることになっても問題ないと判断できたのだから、入念な準備のおかげだと言えよう。
明日の起床時間なども決めて就寝した。
【1日目(桐原)】
午前2時半起床。夜半まで月が明るく眩しかったらしいが、皆それなりに良く眠れた模様。さっと片づけて快適な避難小屋を後にする。登山口までは真っ暗な林道を1時間以上辿る。路面は綺麗に舗装されているが、時々落石や木の枝が転がっていて、避けたり取り除いたりしながら慎重に進まなければならない。それにしても油井君の運転が心強かった。
登山口の駐車場には既に数台の車が止まっていた。加えて、我々が出発しようとしていると、門桁山方面から単独の登山者が降りてきてそのまま黒法師方面へ先行していった。昨晩小屋でご一緒した方から少し伺っていたが、思ったより人の入りが多い。
ヘッドライトの灯りを頼りに油井君先頭で歩き始める。しばらくは林の中の緩やかな尾根筋を辿っていく。三森を越えるといったん50mほど下り、鞍部から仕切り直し。東屋(ヒメシャラ)で最初の小休止をとる。今回は約30分毎に短めの休憩をとっていく方針である。1時間歩行+10分休憩のサイクルで歩く経験が多かったが、今回のようにこまめに刻んでいく方が良いのかもしれないと学んだ。
空は白んでライトの要らない明るさになってきたが、雲があるのか、山の陰なのか、日の出の時刻を30分過ぎても日差しの気配はなかった。植生は針葉樹から広葉樹に移ろう。私にはその程度の違いしか確信をもって言えないが、斉藤君は当然のように樹種を見分けていた。途中からは約20〜50mおきに「水造」と書かれた看板がくくり付けられていて、それに導かれる形で進んだ(どうやら「水源林造成事業」の意味らしい)。
東屋(ミズナラ)を過ぎると麻布山に向けて急登になる。階段状に整備されているので歩きづらさはない。南西側の視界が開け、ここまで歩いてきた、さらには車で走ってきた稜線が竜頭山まで見晴らせた。斉藤君はこんな山奥まで延びている林道の偉大さに感服していた。彼の引用した「道路は文化、文化は道路」という表現をしみじみと噛み締めつつ、頭のもう半分では(ロードは虎舞竜、虎舞竜はロード…)とくだらない思いつきに囚われていると、いつの間にか急登は終わっていた。奥宮跡地は空き瓶が散乱して荒れた印象だが、奥宮の歴史を語る標示があるので往時を偲ぶことができる。いろいろあったらしい(ちゃんと読んでおけば良かった)。バイケイソウが“農場のように”整然と生える林の中を進んで少し登ると、麻布山山頂に着いた。手書きの文字で「これより標示おわり ご無事で」と書かれた有名な看板を見つけ、気を引き締める。
麻布山から前黒法師山を経てバラ谷の頭まで、アップダウンを繰り返す。何か所か光岳・聖岳方面の視界が開けるほかは正直単調である。前黒法師山頂は展望がない。難しい箇所もないが、打越峠手前は尾根の幅が広く踏み跡がいくつも走っていて少し分かりづらかった。打越峠からは一気に500m弱の登高。久しぶりのテント泊装備がじわじわと体力をいじめてくるのが感じられる。林床が笹に変わってじきに山頂かな、という感触がしてからが長かった。ちょうど9時ごろにバラ谷の頭に到着。
ここからの眺望は、深南部らしさにあふれた見事なものである。これから向かう黒法師岳、丸盆岳への稜線は笹が美しく、荒々しい鎌崩(かまなぎ)を挟んで不動岳、その奥へ続く主脈は黒々とした森に包まれてはるか池口岳まで繋がっており、もちろんさらに稜線をたどれば丸っこい形の光岳、残雪光る上河内岳と聖岳まで見渡せる。油井君と斉藤君は奥秩父に似た雰囲気を感じると言った。私は足尾のあたり山並みを連想した。遠くにはこれも雪をかぶった中央アルプスや御嶽山も見え、気分が上がる。
山頂付近は南東側が小さな二重山稜のような窪地になっており、びっしり笹に覆われているものの幕営適地だ。2張のテントが残っていた。適当な場所を選んで設営を済ませる。
軽くなったザックを背負って再出発。先に山頂のすぐ南にある「本邦最南端の標高2000m地点」に立ち寄る。看板があるだけの何でもない小ピークだが、こういう地理的な小ネタは私もたいへん好物である。この緯度線より南には紀伊山地・四国山地・九州山地といった西日本の背骨をなす山々が勢ぞろいしているのに、軒並み標高2000m以下というのは、(登山者には常識かもしれないが)一般的な感覚には反するはずだ。
ちなみに、私の調べた限り、ほかの日本の標高2000m端点は以下の通りである:
最北端:愛別岳(大雪山系)付近
最東端:ニペソツ山
最西端:白山・加賀禅定道の天池付近(名前のある山では白山釈迦岳)
意外とどれもまともな道が通っている山なので、踏破を目指してみてはいかがだろうか。
バラ谷の頭山頂に戻り、写真を満足のゆくまで撮り、縦走路に入る。いよいよ笹が道を覆うようになるが、踏み跡は明瞭。かなり急な下りで滑りやすいことのほうが問題である。私は出だしから早速滑った。途中で対向者とすれ違う。山頂に張ってあったテントの持ち主のようだ。バラ谷の頭で泊まって今朝丸盆岳を往復してきたところだという。窪地地形のおかげでテントは快適だったものの、やはり稜線は朝まで激しい風に見舞われていたらしい。強風予報を警戒して日程を後ろにした油井君・斉藤君の判断は賢明だった(任せっきりですみません)。鞍部を過ぎると笹原状の幅広な尾根になる。上西平山という名前のピークがあるはずだがはっきりとは特定できなかった。先にバラ谷の頭にもっとちゃんとした山名をつけてあげるのが義理だろうと思う。尾根幅の広がりに呼応して踏み跡が幾条も交錯するようになるが、どこを歩いても特に問題ない。実際行きと帰りで少し違う道を通っている。
黒法師岳への上りは、今回のルートで最も笹が深く、背丈ほどにまで達した。昨晩の強風のおかげか露は全く無かったので幸いだった。笹に誤魔化されているが、傾斜もあまり常識的ではない。先陣を切る斉藤君の背中を追いつつ、笹を掴んで体を引き上げながら登っていく。急登と引き換えに距離は短く、あっという間に高度を取り戻した。
概ねずっと視界の良好な縦走路だが、黒法師岳の山頂だけは展望が全くない。針葉樹林に囲まれた静かな頂である。山名看板が4種類もあったり、三角点に刻まれた+印が45度ずれて×印になっていたりと、やや個性が強い。
黒法師からの下りは崩壊地の際を歩く。注意が必要だが、個人的な深南部のイメージにはぴったりである。等高尾根分岐までの区間は黒法師の登りに次いで笹が深く、迷いやすいところもあるので気が抜けない。雪国の頑強な奴らと違って静岡の笹は比較的優しいが、それでも踏み跡は外れない方がよい。
丸盆岳へ向けてひと登り返すと、カモシカ平に着く。とても気持ちの良い笹原。あちこちに幕営適地がある。今回は天気の都合で断念したが、ここでのテント泊はさぞかし楽しかろう。秘境の趣と開放感を同時に味わえる環境だ。雷鳥でも誰か来て泊まってほしい。気付けば膝ほどの高さに落ち着いていた笹の斜面を登る。この短い区間でも笹の様子が刻々移り変わるのは興味深い。正午を回ってお昼寝ができそうな陽気に包まれてきたころ、丸盆岳に到着した。
振り返れば歩いてきた稜線が見え、北側には心なしか近づいた気がする南ア南部の山並みを望む。この先の鎌崩が通行困難で事実上の袋小路ということもあって、来るとこまで来たなあという印象が強い。奥深い頂にいる感慨と日差しの暖かさと眠気が混ざって、生ぬるい時間が流れた。40分ほどだらだらと山頂に滞在していた。
重い腰を上げて、遠くなってしまったバラ谷の頭まで戻る。長丁場で溜まってきた疲労をなだめながら、午後の稜線を歩いた。藪「漕ぎ」という言葉は言い得て妙だ。両手で掻き分けながら、笹の海を泳いでいく。ときどき風に波立つのも海らしい。最近まったく追えていなかった雷鳥の情勢、諸事情を教えてもらいながら、人と山に登る楽しさに改めて向き合いつつ、登り返しでは無言になりつつ、着実に戻る。最後の登り返しの前に、水場に寄っていく。水場までの下りも地味に嫌な傾斜だが、5分弱下るとすぐ沢の源流に当たる。稜線直下とは思えないほど豊富に流れていた。午後3時半にバラ谷の頭へ帰還。行動開始から11時間半、さすがに疲れた。
夕食は油井君の炊き込みご飯。前日の消費でガス残量が心許ないが、油井君がスーパーで購入したマシュマロも食べたいので、米を火にかけつつ鍋の下からマシュマロを火に近づけた。多少でも焼くと美味しい。マシュマロは焼く前提の食べ物であるという見解が3人の中では共有された。けれど、パッケージには「焼いて"も"おいしい」と書いてあるから、焼くのはあくまでオプションらしい。本当はマシュマロもありのままの自分を愛してほしいのだ、と斉藤君が教えてくれた。
炊き込みご飯のほうは少し水分が多くて雑炊風になったが、とても美味しかった。かつおフレーク、わかめ、塩昆布など磯の香りを感じる味わいだった。切干大根もすこぶる優秀な仕事ぶりだ。味付けに棒ラーメンのスープを使ったところなども含め「実験的な」料理に挑戦していく姿勢も、実験と言いつつ高品質に仕上げてくるところも流石である。見倣っていきたい。ガスも十分余ったので安心した。
幸か不幸かネットが繋がってしまったので、明日の天気を確認する。降り出す前に下山できないか期待したが、朝から雨のようだ。仕方ない。最後に山頂からの眺めを目に焼きつけておくことにした。「深南部」という名前がいい仕事をしているよなぁと改めて思った。最南部でも南縁部でもなく、確かにそれは深南部だった。
西の遠方、恵那山の上空辺りから少しずつ雲の広がってくるのに目を見遣ってから、テントに戻った。油井くんがお土産に「壱岐酒」を持ってきてくれていた。3人でちびちび嗜む。程よく内側から温められる心地がして、そのまま眠りに落ちた。
【2日目(油井)】
2時起床。テントにぽつぽつと打ちつける雨音がする。どうやら予報が外れて夜明け前から雨のようだ。昼にかけて強まっていくはずなので、下山だけとはいえ憂鬱だ。雨に降られる前に下山するという夢が儚く散ってしまった今、下山のモチベとなるものもないので、3人とも普段の0.5倍速で片付けを進める。風の当たらない窪地に幕営していたのに夜中には風で頭にテントがせり出してきて邪魔だったという話をすると、どうやら光祐も同じ苦しみを味わっていたようである。寝ている間に遠くで唸っていた風の音は少し収まったようで、そこは一安心である。
ガス不足のため元から決めていたことではあるが、テント内を一通り片付けると真ん中を空けてそこで調理を開始する。桐原さんによる豚骨棒ラーメンである。起床時から雨に降られた泊まり山行は1年半前の北岳以来だが、その時は一旦雨を避けられる場所まで下山してから朝食を作ったので、テント内での調理は記憶の限りこれが初めてである。テントはふかふかの笹原に張ってあるので床は不安定である。ヘッドをどうやって固定するか試行錯誤した結果、鍋蓋を土台にして片側の脚を固定することにした。今後使えそうな裏技だろう。
前夜の時点である程度のガスを残していたため、テント内なら沸騰するまで気長に待つことができる。とはいえ、5人前(今回の山行の食当には幻の2人が見えていたのだろうか、0日目夜から2日目朝に至るまで5人分の食事を作り続けたのでお腹いっぱいになることができた)のラーメンを茹でるにはそれなりの量のお湯が必要となり、沸騰まで時間がかかる。それを飲みきらないといけないことも考慮して水は少なめに入れた。嬉しいことにスライス餅も持ってきていただいていたので、それも投入する。すると、少ない水分+餅の吸水の相乗効果でみるみるスープがなくなってしまい、、、重たい麺塊が誕生してしまった。
棒ラーメンあるあるではあるが、ベテラン食当桐原さんはかなり落ち込んでいるご様子。しかし、味は美味しく腹持ちも良さそうで、派手さのないこの山行にはぴったりである。ここで「ビジュパ」の話を桐原さんが持ち出し、すっかり雷鳥内で浸透していることを実感した(2024/12/31-2025/01/01山伏・八紘嶺年越し山行記録参照)。桐原さんは雷鳥の山行記を熟読されているようで、嬉しい限りである。こちらも読者の存在を想定して書かねばなるまい。
食後も片付けのペースは上がらず、重い腰を上げてテントを出てびしょびしょのテントを解体する。テントの担当は自分なので、水分を吸ってずっしりしたテントを運ばなければならない。折角前夜に食当を終えて軽くなったと思ったのに、またもやザックの重量が嵩んでしまった。パッキングを終えるとバラ谷ノ頭から下山を開始する。この時、既に4時前であり、起床から2時間近く経過していた。山においてモチベがいかに大切か思い知る。桐原さんを先頭に手がかりの少ない細い道を探しながら真っ暗闇を進む。暗い中でのルーファイにはある程度自信があったが、桐原さんの能力はレベチである。足元も照らして確認しなければならないはずなのにすいすい進む。目が4つ付いているのだろうか?
打越峠に差し掛かる頃には空は明るくなっており、雨も少し落ち着いた。辺りを見回すと鳥の巣のようなものがたくさんある。光祐に指摘されたが、これは巣ではなく宿木であるらしい。そこから前黒法師山に向けては標高差250mの登り返しである。前日に累積2000m登ったことを考えると大したことないはずだが、疲れた身体にはしんどい。ペースを100%近くに落としながら、なんとかこれを越える。麻布山に至り、ようやく現れた雨宿り適地である東屋で休憩をとる。振り返ると例の「ご無事で」の看板。二人の顔にも安堵の色が見える。ここから先は所謂一般登山道である。黒法師岳への道のりも決してバリエーションルートと呼ぶほどのものではないが、こまめに標示がある安心感は半端ではない。まだ6時半だが、既に朝食から4時間ほど経過していたので東屋で行動食を頬張る。普段なら歩きながらフルグラや柿ビー(ピーナッツではなくビーンズ)を食べているのであるが、この雨では蓋を開けられない。休憩を終えて出発する時には雨脚が強まっており、次の東屋まで行動食はお預けである。全身をレインウエアで覆っているとはいっても、少しずつ水を吸い始めたのかだんだん身体が冷えていくのを感じる。最後の東屋を出るとゴールが近づいた安心感からか久々に会話をする余裕が生じ、中京圏の交通事情についてで話が盛り上がる。気が付くとペースは250%を超えていた。山行記録を見ていると意識的に会話を入れてペースを落とすこともあるようだが、苦しくなければ自然と話しているので自分たちの場合はそんな小細工は必要ないのだろう。
三森の最後の登りを越えると、遂に駐車場へと帰還!びしょ濡れの3人で写真を撮り、労い合った。駐車場にはトイレがなく、電波も入らないのですぐにでも7km先の山住峠に車を走らせたいところだが、びしょ濡れのレインウエア、ゲイター、登山靴を片付けるのに時間がかかる。傘を持ってきていなかったのでこの片付けで更に身体を冷やしてしまった。山住峠までの天竜スーパー林道は今回の山行で一番注意が必要な箇所だろう。点々としている落石を避けながら慎重に進む。電波も入らない山中でパンクでもしたら一大事である。山住峠でトイレと下山連絡を済ませ、近くの温泉を探す。営業時間を確認しつつ、各々の温泉への譲れないポイントを擦り合わせた結果、とにかく早く入りたいよね、という見解で一致し、最寄りの温泉に向かうことにした。「最寄り」と言うと聞こえは良いが、県境を跨いだ先の愛知県東栄町に所在するのでここから50km先である。大きく遠回りすることになるので普段なら温泉は諦めるところであるが、身体をすっかり冷やしてしまった我々の温泉モチベは本物である。それに、滅多に来ることのないエリアなので折角だから寄ってみたいという思いが旅好きの3人に共通していた。名古屋出身の光祐も東栄町には行ったことがないようである。
桐原さんに運転をお願いし、「下界」へと向かう。飯田線沿線の水窪という町までグネグネとした山道が続く。林道ではないので落石もないかと思いきや、たまにデカいのが転がっており気を抜けない。水窪からは国道や無料の高速道路を走り、1時間半ほどでとうえい温泉花まつりの湯に到着。営業開始10分前だが、既に駐車場は混み始めている。どうやら地元民が一番風呂を狙って押しかけているようだ。開館までの暇つぶしに温泉の裏にある蔦の渕という景勝地を見学する。奥三河のナイアガラという名に恥じぬ、立派な滝であった。
温泉は天然温泉らしいが実態はスーパー銭湯のような雰囲気でかなり広い。それなりに混雑はしていたが、しっかり疲れを癒すことができた。湯に浸かりながら光祐と今回の総括を始める。深南部とは?という問いに何かしらの答えを与えようとする。第一印象は奥秩父似だったが、荒々しい山肌、ザレ場からアルプスであることを実感し、山の並びが丹沢だよね、という桐原さんの指摘もあって、どの山域とも異なるように感じた。同じ標高帯でも山域ごとに全く別の様相を呈しているからこそ、登山は楽しいのだろう。人はおろか、鹿の影響も感じさせない本来の姿の大自然を是非その目、だけとは言わず全身で感じてほしいものである。僕も黒法師岳を再訪する機会があれば次はカモシカ平に泊まってみたい。
さて、温泉を出ると隣の売店で五平餅を食べた。五平餅というと木曽あたりのイメージを持っていたが、近接する奥三河でも食べられるようである。小腹を満たすのにちょうど良い。食べながらこの先のことを相談する。議題は「どこのさわやかを狙うか」である。最寄りの店舗は奥浜名湖の細野店で、1時間程度の待ち時間で入れそうである。ちょうど浜松駅に向かう道中ということもあり、即決した。再び運転席に座り、三遠南信自動車道経由で浜松市内へと戻る。さわやかで整理券を取り、待ち時間で近くの龍潭寺へ。龍潭寺は井伊直弼を輩出した井伊家の菩提寺である。歴代の位牌や小堀政一作の庭園など日本近世史を専攻とする自分にはたまらない。2人も展示パネルをじっくり読んでいたので楽しんでくれたのだろうか。思いがけず行きたかった場所に寄れたので感謝である。さわやかへと戻り、げんこつハンバーグを食す。さわやか初心者はBセットのオニオンソースを注文しがちだという話になり、桐原さんは果敢にもデミグラスソースを選択した。今度行く時は自分も試してみたい。奥三河・奥浜名湖を十二分に満喫し、浜松駅へと向かう。道中、今年の夏山の話になる。桐原さんは今年の雷鳥にはちょくちょく顔を出してくださるとのこと。嬉しい。平ヶ岳お願いします。
車を返却し、荷物を下ろしてパッキングをしていると、突然眩暈に襲われ、今にも倒れそうだった。運転を終えたことで、これまでの疲れがどっと吹き出したのだろう。帰りに新幹線を使うかどうか2人は迷っているようだったが、僕は交通費を削ってより多くの山に行く派なのでこんな体調でも鈍行一択である。時間はかかるが浜松、熱海、小田原と始発を乗り継げるので確実に座って爆睡できる。結局、桐原さんのみ課金することになって浜松駅で解散した。
行動時間3時間の日の割には長々と記録を書いてしまった。山行後がそれだけ充実していたということである。今年も有意義なGWだった。裏で新歓合宿に行ってくれた46期の皆さん、お疲れ様でした。
■感想
CL油井
・憧れの先輩である桐原さんとご一緒できて幸せ、これからもよろしくお願いします!
・麻布山という山名が東京の麻布由来でびっくり
・笹もそうだが森が綺麗だった、樹種がわかる大人になりたい
・藪漕ぎ自体を楽しめる境地には達しておらず、まだまだ手段としての藪漕ぎだった
・シーズン初めということもあり、息が上がってしまった
・そのせいで歩いている時に喋る余裕がなかったが、その分自然と対話できた気がする
・厳しい山行だったけれど新しい山域を開拓するのは楽しいね
SL斉藤
・雷鳥の夏山シーズンインを感じさせる、なかなかしんどい山行だった!
・シカ食害評価☆☆(馬酔木、バイケイソウ多し)←独自指標です
・稜線はザレ場や立ち枯れが多くて、なんだか荒涼としている感じだ。環境悪化によって、より”アルプスらしい”景観に近づいているのかもしれないと思った。
◯桐原
・なかなか行く機会の無かった山域を歩けて満足度の高い山行だった。計画・運転等ありがとうございます!
・ほかの山以上に自然に身を委ねている感じが強く楽しい。
・半年ぶりの泊まり山行でそれなりに疲れが残った。夏に向けて精進したい。雷鳥山行にも積極的に参加したい。
・棒ラーメンで失敗した。何より自分が胃もたれ気味になったので反省している。