谷さんから頂きました。岡嶋さん(17期)のページのままです。おされです。

**ルサ乗り越し・知床岳〜知床岬山行記**

(知床半島先端部)

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序章

「岡島さん、今年の秋は何処にいきます?」…思えばこの一言から始まったの だろう。夏のとある日、とある2305mの山の中の話である。個人的には毎 年恒例となった秋の北海道遠征も大雪('96)、日高(中南部'97,中北部'98)ときて 今年で4年目。谷隊長(このネタ、わかるかなぁ)には、懇願して昨年の日高中北部 縦走に加わってもらったが、どうもそれで北の山々に味をしめたらしい。
「う〜ん、色々と考えているんだけど、適当な所がないのよね、これが」と返 答しつつ、実は頭には次の構想だけは出来上がっていた。知床…最果ての岬に向 かって果てなく続くハイマツの海、そして日本に残された数少ないヒグマ達の楽 園…我々が全力をもって当るのに、これほど相応しい山もないだろう。しかし、 頭に膨らむイメージとは別に、具体的な事は何一つできていない。ただ、羅臼岳 〜硫黄山を経てルシャ川を下降しコタキ川を溯行する。知床岳からは稜線をひた すらに縦走し、帰路は海岸をづたいにとる、ということを知人に聞いたことがあ るだけだった。ともかく、そんなイメージを描きながら夏の日は過ぎていった。

諸々の事情から、出かけるとすれば9月末から10月初旬。北海道の山々からは 初雪の便りと共に、北の川からは鮭の溯上の便りが届く頃、となれば必然的にヒ グマの楽園、知床の川の河口では彼らに遭遇する機会も多くなろう…。とりあえず 各山岳会、山岳部の記録漁りを始めると、羅臼岳からの縦走は東岳〜ルシャ川へ の下降に手間取りそうなこと、途中の水場に雪渓を当てていることが判明し、2 名のパーティーでは負担が大きすぎるように思えた。完全縦走は無理としても、 知床岳と知床岬には行きたいとなれば、知床大橋からゲ ートを乗り越えてコタキ川河口から入山というのが妥当な所である。

しかし知床の状況を肌で感じていない我々としては、いきなり突っ込むのも気 が引ける。そこで、前々から別に考えていた、かつてのアイヌの交易路だったル サ乗り越えを組み込むこととし、羅臼側ルサ川溯行〜ルサ乗り越え〜ルシャ川下 降〜コタキ川〜…とすることにした。始めに知床半島横断を行い、状況が悪けれ ば知床大橋に帰れば良く、柔軟性のある計画になったといえよう。

旅立ち

9/27: 晴
早朝。夜もまだ明けやらぬうちに自宅を後にする。一応の耐寒装備と12日 分の食糧他を詰めたザックは殊の他重く、果してこれで知床の山々を跋扈できる ものか怪しく思いながら大森海岸へ。京急蒲田で乗り換えて羽田空港に向かう。 早朝便の利用者か、空港線もそして羽田のターミナルビルも意外に賑やかで驚く。
ターミナルで寛ぐ余裕もなく、JL529便へと搭乗する。羽田発一番5:50発、機 材はB767-300。前方窓側を希望したところ、運良く19Aを得られ、進行左側、朝 日が見えないが下界を見るには絶好のシートである。それにしても、特定便割引 とは言え、50%OFF 12350円(片道)といのはあまりに安い。多分、今後も利用する ことになるだろう。
曇空の羽田を離陸、雲の下では実家付近を見下ろしつつ、雲から出ると遠くに 富士山と八ヶ岳の頭が見える外は雲海に覆われている。富士山頂からの眺めも、 今日は素晴らしいだろう…と思いながら、ひたすらにあそこを登り下りしていた のかと思うと、妙な感慨が湧いて来る。
北上するにつれ天気も良くなり、機内誌巻末の航空路地図を片手に下界の山々 を同定し始める(山歩きをする人の性かな)。那須連山、猪苗代、磐梯、安達太良、 吾妻小富士、蔵王…そして鳥海、八郎潟、田沢湖、十和田湖、八幡平 と見えてくると下北半島は間もなくで、 やがて津軽海峡を越え、噴火湾となり新千歳への降下姿勢を取り始める。ま ったく飛行機だと早いものだ。
結局、ゆっくりする間もなく7:10新千歳着。ともかく、あまりに体の疲労が取 れていないので、4003Dおおぞら3号接続の千歳線まで1時間程、待合室で仮眠す る。早朝便の欠点は、とにかく朝がせわしないことに尽きる。
南千歳からは183DC9連の4003Dおおぞら3号。もう少し新千歳着が早いと4001D スーパーおおぞら1号に乗れるのだが…。禁煙自由車8号車DC184に乗り込むが、 意外と利用者があり70%程の乗り。もっとも、自由車の設定が少ないのでこうな るのは仕方の無いところか。車窓に広がる広大な景色に、 北海道に「帰ってきた」ことを実感しつつも、通い慣れた道とばかりに、 シートに身を委せしばしの睡眠時間とする。
新得を過ぎて、トンネルも無くなったところで谷隊長へ電話。彼も無事に帯広に 着いた模様だ。乗車位置を告げて席へ戻る途中、車掌氏に指定席があまりに空 いていますね…と尋ねたところ、団体用に連結しているのだとか。折り返しの札 幌行で使われるのだろうか。ちなみに増結車の車内アコモは旧来のDC183と同様 で、正規車のような鶴の入ったシートではなかった。
帯広で乗客の多くも入れ替り、谷隊長と合流。今後の打ち合わせをしながら釧路 へと向かう。
13:40釧路着。10分の接続で阿寒バス羅臼行が出る。久しぶりの釧路を楽しむ 余裕もなく駅前のバスに急ぐ。バスは50%程の入りだが、道内の人間は平気で荷 物を座席に座らせるせいか、空席は無く補助席となる。釧路の市街の外れで、運 転手氏の機転で増車され、中標津へ先行するそちらに移る。
中標津、標津、そして羅臼へのR272、R335はかつて自転車で走った道。確か羅 臼まで2泊3日(実働1泊2日)かかったことに比べれば、早いもの。当時、見上げる ようにして退避したバスに揺られるのは、なんとも言えず楽しいものだ。どの程 度景色を覚えているかと思ったが、いざ流れていく車窓を見ていると、必死に なって登った坂や、休憩したセイコーマート、牧場…次々と往時が甦ってきて、 再度走ってみたくなってしまった。
別寒辺牛の原生林を抜けて別海町に入ると途端に大きな牧草地帯が広がり、や がて陽も傾き掛けると中標津町で正面に標津岳を望むT字路に当ると、右折して 間もなく中標津の市街である。ここで帰宅する高校生に混じって元のバスに乗り 込み、標津を経て海岸線沿いに羅臼へ、陽も落ちて羅臼営業所17:20着。 12時間前にはまだ東京にいた身には信じられないものがある。
明朝のバスを確認した後、駐在所に計画書を提出し併せてヒグマの情報も尋ね てみる。「ま、何処に行ったって、会わねってことはねぇ」とそっけない。下山 後の電話連絡をするように言われて、それきり。もう少し何かあるかと思ったが 拍子抜けした感じである。夕食を取るべく町中を歩くが何も無く、セイコーマー トに寄って熊の湯を目指す。
この日は熊の湯の熱い露天風呂につかり、向かいのキャンプ場に設営。地元の 方との摩擦もあって、谷隊長はあまり羅臼の町に対して好感をもてないようだ。宇 登呂に比べ、漁師町の雰囲気が強いだけに、多少ぶっきらぼうな町の人に戸惑っ ているのだろうか。根は良い人達なのはわかってもらえたようだが…。そんな訳 で明日から始まるだろう苛酷な日々を前に眠りにつく。

第1章 いにしえの交易路〜ルサ乗越を越えて

9/28: 晴
朝、早々にテントを畳み、元来た道を羅臼へ戻り、セイコーマートで朝食を揃 えて羅臼漁協前から岩見橋詰行バスに乗る。沿道の民家への新聞配達を兼ねて、 適当なバス停毎に車内から新聞の束を放る運転手氏。なかなか気さくな人で、途中 乗客がないので、ついつい話し込む。今年は海が暖かく、鮭が寄りつかないだと か、かつて冬に遭難騒ぎがあったとか、そして、こんな時期に知床岬に行くなん て…と心配までしてくれる。30分弱、遠くに国後を見ながら海岸の道を走ると終 点。先に見えるルサ河口も指さして教えてくれた。
バス停からは更に車道を歩くこと30分。ようやくルサ河口に到着、柔らかな陽 射しの中、沢支度を整える。「行くよ、全てOKだね?」言わずもがなの最終確認。 空は青く、遠くの稜線は知床の主稜線だろうか、明るく開けた川のようだ。少し 奥の孵化場までは道がつけられ、これを辿り、いよいよ川に入る。復た無事に此 所に戻るべく全力を尽くさねば、でも無理はしないように、と気合いを込めて熊 避けのホイッスルを高らかに吹鳴する。
川に足を踏み入れた瞬間、その冷たさより先に水面を動く幾つもの影に目を奪 われた。!…目を凝らすと、そこここに鮭が溯上し、中には産卵している姿も見 られたのだ。知床に残された自然というものを多少は理解していたつもりだった が、こんな形で接するとは思いもしなかった。歩を進める度に、水面を影が素早 く動いていく。鮭のカップルを邪魔するのは心苦しいが、鮭とともに川を遡るの は非常に愉快な体験だ。更に進むと河原にはヒグマの喰い跡のついた鮭が散見さ れてくる。間違い無く、ここはヒグマ達の世界なのだ。さっきまでの闊達な鮭の 姿とはうってかわった光景に、思わず背筋に緊張が走り、ホイッスルを鳴らしま くる。どの程度御利益があるか判らないが、少なくとも我々の存在だけでも彼ら に伝えておけば無用のトラブルを避け得ると信じるしかない。さもなくば、我々 とてあの鮭のような運命を辿ることにならないとはいえまい。あまりに衝撃的な 幕開けに、谷君ともども「知床にいる」ことの意味を体感する。
川自体は単調とも言える穏やかな歩きが続く。ルサ右股出合と思しき二股を見 つけるが、規模の小ささと共に、あまりに早い到着に疑問を感じて素通りする。 しかし、これが間違いでかなり先のキタルサ川出合の先まで行ってしまう。幸い 戻るのに困難は無く、30分程で先に通った二股に戻る。かなりの荷物と沢歩きだ ったが、意外とペースは良いようだ。ある意味、確実に二股を確認できた訳で 全く無意味だったとは言えないだろう。誤って詰めれば、目指す主稜線最低鞍部 のルサ乗越ではなく、密な薮に覆われた稜線越えを強いられてしまうのだから。
小滝を越えて右股に入ると沢床はナメており、美しい渓相を示す。いよいよ 沢登りといった雰囲気である。沢床に遊ぶ水が陽射しにきらめき、まさに楽園の 入口といったところか。地形図通りにルサ乗越に上がるように沢筋を選んで上が って行くが、やがて水流も途切れがちになり、密な笹に覆われた沢筋を辿ること になる。それにしても、人の臭いのしない沢である。
途中、ヌタ場らしき小さな沼地で一本取り、再び密笹を潜って沢筋を詰めるが 周囲の状況も把握したく、沢筋を抜けて樹林帯内部の笹薮を分ける。極力、獣道 を探して高みを目指すが、それでもさすがに知床の薮は濃い。高々300mに満たな い鞍部への登りとは思えない雰囲気である。当然、そうこうする間にも、ホイッ スルを鳴らす。そして、乗越に上がる沢筋を見つけ、再度沢筋に戻り、ひたすら に詰め上がる。この辺りの力技となると、さすがに谷隊長の独壇場である。
乗越の手前で一本、振り返ると遠霞の中に、淡く水平線が見えた。主稜線は眼 前。乗越の少し南西側で主稜線に出てしまい、少し主稜線を歩くが、全く踏み跡 らしきものはない。ようやく着いたルサ乗越にも、それと示す人工物は何一つ残 されておらず、改めて知床の奥深さを感じた次第。乗越では互いに記念撮影する。 目指すルシャ川方に目をやれば、川筋は大きく曲がっているのが良く判り、オホ ーツクは山の陰になっているようだ。
乗越からルシャ川支流の沢筋へは低い笹薮を分けること10分もかからない。 あっけなく小広い河原に降り立ち、あとはひたすら海を目指して下るのみ。石の ゴロついた河原歩きで、足裏の痛さに閉口した谷隊長だったが、地学科御用達の カメラ「現場監督」を首に下げて、いろいろとフィルムに収めているようだ。
今日は計画ではルシャ川奥二股に、欲張って河口付近まで行ければ更にラッキーと 思っていたので、奥二股着が早かったこともあって、もう少し下り、 110m付近の右岸台地、 林の中に張ることにした。今日は沢の溯行、下降とも技術的に問題となる部分は 無かった。沢以外の部分でも、知床に入る人間にとっては問題となるレベルでは無 いだろう。鮮やかなmont-bellテントを設営後、谷隊長が炊事担当、岡島は焚火担当 という訳で各々の任務につく。
レトルトカレーライスの夕食の後、入山祝いの焚火。沢筋の夜は流石に寒い。 ちろちろ燃える炎をみつめながら、互いに興奮醒めやらぬ口調で一日を振り返る。

9/29: 晴後霧雨

5:25出発。まだこのテン場付近では鮭の姿も喰い跡も見られなかったので 多少は安心していたが、70m付近、川幅が広くなるあたりから散見されるように なってきた。早朝は出会う確率が高いというので、なおのことホイッスルや声を あげることになる。時折、河原に上がり、林の中の踏み跡を辿ってショートカット を試みる。谷隊長が2ヶ所程で温泉(硫黄泉)の源泉を見つけていた。素人目では 全く気づかず、さすがというところか。
喰われた鮭の腐敗臭が多少気になる55m付近で一本入れて、更に下ると空の色が 変わってくるのがわかる。林の中に道を求めて、両角が残るエゾシカの骸骨を見 つけたりしながら堰堤を3つ程越えると、孵化場の奥に待望のオホーツクが広がっ た。テンションは一気に上がり、声にならない雄叫びを上げて海岸へ足を速める。 海岸に着いて記念撮影、そしてコタキ河口まで少し林道を歩いて一本。
まずは無事に知床半島横断を完了。この林道は宇登呂から知床五湖を経て知床 大橋のゲートに至る林道の先端部にあたる。今回の山行では唯一の安全なエスケ ープルートである。我々の更に奥には番屋に人が出ており、沖には鮭を満載した 漁船が宇登呂へと急ぐ。長閑な風景に、一時の休息、である。

第2章 最果ての一等三角点を目指して〜知床岳から知床沼へ

オホーツクの風に吹かれながら、とりあえずの状況を把握する。さしあたって の問題はないことを確かめ、コタキ川から知床岳を目指すべく腰を上げる。コタ キ河口からしばらくはヒグマとの遭遇報告も多く、いつもよりホイッスルを念入 りに吹く。河原につけられた林道を歩くが、見通しの良くない細い道では、出会 い頭になりそうで神経を使う。
林道が尽きて程無くテッパンベツを右に分け、樹林の河原もなくなっていよい よ沢らしくなってくる。この川にはあまり鮭が上がらないのか、鮭の姿や 喰い跡を見かけることがルシャ川より少ないように思える。魚止めと思しき小滝 を越え、更にいやらしいへつりの釜持ち滝を越えて行く。幸い、水量は多くなく、 深い部分でも太腿程度まで浸かればフットホールドがある。それにしても、 縦走装備を背中にへつるのは、毎回ながら体の動きがぎこちなくなってしまう。 夏ならそのまま飛び込んでも面白いと思うのだが、今の季節では…。
その名の通り、小滝の続く沢であるが320m先からのゴルジュは中を行かずに右 岸を高巻く。丁度大岩の左から巻き始める。この巻きがコタキ川遡行のポイント らしいが、谷隊長のルートファインディングにより的確に踏み跡を拾え、途中に ゴルジュを見下ろしながら15分程で完了。あまり高く巻かないのが重要な点か。 巻きの入りには印はないが、下降路の一部にテープを見つけた。
巻き終って一本、あとは水量の減った本流を三股まで辿るだけだ。空はオホー ツクからの風に雲が湧いて怪しい雰囲気だが、600m付近の小広い庭園に感動 しつつ、ゴロついた河原を歩き詰める。正面に知床岳と思われる山体が見えてく ると思わず、歓声を上げてしまう。
今日の目的地、670m三股には14:55着。中股の20m滝を望む右岸のちょっとした 台地に2張り程の切り開きがある。小雨が降ってきたので焚火はなし。テントに 入って暖まる。流石に9月末では、陽がないと濡れた格好では寒い。思いがけなく 良いペースで上がれて、計画に比べ一日短縮。多少の余裕も感じなくもないが、 明日からはいよいよ知床のハイマツを相手にしなければ。手持ちの資料に沿って中 股から直接知床岳に詰め上げるか、右股から知床小沼を目指すか、このあたりも 重要なポイントだろう。

9/30: 曇一時雨後晴

霧雨けぶる早朝、手早く撤収を済ませて5:30出発。協議の末、右股から知床 小沼を目指すことにした。主稜線にでれば踏み跡もあろうし、長いこと源頭のハ イマツを漕ぐより、多少なりとも平かなハイマツ漕ぎの方がいい、という横着な 気持ちも否めない。しかし、それより知床小沼のさらに南西にマークされた小池 印を訪れたい気持ちが強いのだ。
右股は適度に岩の積み重なった登りやすい小沢で、非常に快適。水量比1:1の 二股を左にとり、中股と右股の間にルートを定める。水量が僅かになった辺りで 2リットル程水を汲み、水が消えて密笹に覆われた沢筋だけになったところで沢 足袋から靴に履き換える。辺りは霧に包まれ、地形図、コンパス、そして誤差の 大きい高度計と我々のセンスだけが頼りとなった。
さすがに、密笹の沢筋を辿るのは苦労するので、潅木の斜面についた獣道を 拾うことにする。僅か2名で重装備をしている以上、無鉄砲に薮を漕ぐわけには いかない。出来る限り消耗を避けて「スマートな薮漕ぎ」をしていかないと最後 まで体が持たないだろう。高度が上がればハイマツを漕がねばならないが、極力 ハイマツとの接触を遅らせるべく、潅木帯をつないで回り込むように登り詰めて いく。一度、露岩に道を阻まれ荷揚げをしたが、その他はひたすら詰めるのみ。
やがて、斜度も緩くなり、現在位置確認を兼ねて一本。どうやら右股右岸尾根 1020m付近のようだ。ガスの切れ間に待望の知床岳が姿を見せ、知床小沼南西部 の台地が一面に広がりを見せる。一面の潅木とハイマツに覆われ、道らしきものを 見つけることなどできない。「これが知床か…」思わず口をついてでてしまう。
まずは1050m付近南側の池マークを目指し、殆んど無いような踏み跡と獣道を 追ってハイマツの海に身を沈める。噂に聞いていたが、北アルプスにみられるよ うな細身ではなく、非常に太く力強いもので、なかなか手間取る。しかも意外に 丈があるため、視界はあまり効かない。半ば勘と後の谷隊長からの方向指示で歩 き続けること30分程で小さな沼にたどり着いた。地形図と照合しても、目指した 南の池マークとしてよいようだ。あまりにどんぴしゃに当って、二人して大喜び する。非常な苦労をする覚悟でいたのだが、意外な展開に自分達のルート取りに 変な自信を持ってしまう。もっとも、あとでしっぺ返しをくらうことになるのだ が…。
小沼からは北側の沼を目指して踏み跡を辿るが、始めは明瞭だったがやがて幾 つかに分かれ、薮に消え入ってしまった。やむなく薮の上に見えるピークを目印 にしつつ、直接知床小沼南東の1182ピークに当て、左に巻き込んで小沼に出るこ とにする。ところが、目標のピークへの登りに差しかかり、小沼のそばになって いるはずなのに、いっこうに踏み跡が見当たらない。それより恐れていたハイマ ツ帯の登りに突っ込むことになってしまう。「どうも妙な雰囲気だナ」と二人共 思い出しているのだが、あえて口には出さずに目標のピークを目指す。
結局、目標のピークを越えてピーク北西の鞍部に下った小沼で一本。確かにピ ークの北西に小沼の存在があることは知床小沼と状況は似ているが、知床岳との 間に一つピークが見えてしまう。そんなことはあり得ない。冷静に地形図を読む と、1182mピーク南東の1159mピークを誤認していたらしく、間に見えるのが本物 の1182mピークであった。こんなときは、一種の現状否認の状況に陥るもので、頭 では判っているつもりでも、どうしても知床小沼であることを信じたがるものだ。 御丁寧にハイマツ漕ぎをして東に大回りをしたことになった訳で、それを考える と時間と体力のロスは痛い。つい、南の池へのルート取りがうまくいったので油 断していたようだ。こんなことでは岬を目指す資格などあったものではない。
幸い、現状の把握ができたので気を取り直して目の前の1182mピークへ足を向け る。すぐ近くに見えるが、薮の状況から一本位はかかるだろう。おまけにやんでい た雨が降り出し、その上、雷雨となって我々に叩きつける。「こんな隠れる所も なく(雷が)落ちたら、たまらんなぁ」と思いながらも、歩くしかない。
予想通り一本程で1182mピークに到着。谷隊長がルート探しに飛び出し、「あり ました、知床小沼です!」の声。声の方に進むと、草紅葉で色づいた草原に幾つ もの池が点在する知床小沼一帯が姿を見せた。声にならない声を上げて、唯々そ の美しい光景に立ち尽くす二人。雨は上がっていた。
逸る心を抑えて斜面を下り、小沼の一角に降り立つ。あまりに美しい景色に 「今日、ここに張ろうよ」と声を掛けると、「たとえ、行くぞ、と言われても俺は ここに張りますよ」と谷隊長。最も大きく、北側に位置する沼のほとりに設営。 13:30と時間は早いが、知床岳を往復する余裕はないだろうし、山頂はガスの 中。交互にテントキーパーをしながら、小沼散策に出る。
まったく人の臭いの感じられない雰囲気。誰もいない知床の主稜線のポケット にはまったような感覚。海の色を映した空にたなびく雲は、やはり海上のそれだ。 その稜線とのギャップを面白く思いながら装備を広げてキーパーをしていると、 知床沼へのル ートを偵察してきた谷隊長が帰幕。代って岡島が散策へ。とりあえず明日のスタ ートとなる知床岳へのトレースを探すことにする。幾つかの池を巡り、湿地を 知床岳に寄った方向へ歩いていくと、切り開きと赤布を見つけた。一応、自分の 赤布も縛りつけ、テントに戻る。
問題もあったが、大事なく主稜線に上がることができて何より。結果的にこん な素晴らしい山上の楽園に張ることができた訳でもある。思わず『知床旅情』が 口をついて出そうになるが、これは岬で歌おうと決めている。『岬めぐり』を口ず さんでいると夕暮れが訪れた。

10/1: 晴

予定起床時刻になったが、風が強く撤収も苦労しそうなので、起床を2時間 程遅らせる。風よけのない幕営地なので状況は変わらないと思ったが今日は知床 岳往復と知床沼まで、と行程が短いので疲労回復の足しにでもなれば、と二度寝 となる。
やはり風は強く、撤収に手間取ったが運良く晴れており知床岳山頂も見えてい る。昨日偵察済みのルートを辿り、登りにかかる。やはり人の踏み跡を辿ると 進み方が違う。ルートは崩壊地の縁を行くので、所々薮に入って安全なルートを 取る。彼方のオホーツクの海が濃い。それにしても、単なるピストンであっても ヒグマ対策に全ての装備を背にするのは…と思うが、これも北海道の山ゆえの事 と納得させる。
知床小沼から1時間15分程、8:30知床岳山頂着。最果ての一等三角点を踏みしめ 辺りを見回すと、頭を雲に隠した硫黄山から小沼の台地、そして岬の方に向かって ポロモイ台地と知床沼、ポロモイ岳…と続き、彼方に一本の水平線が繋がっている。 これから辿る峰々に、「来たなァ」という感慨と共に湧き上がる気合い。夢にま でみた頂きに立ち、夢にまでみた光景を目にし、どうしようもなく心が昂ぶるのを 感じた。
15分程で山頂を辞し、往路を戻って知床小沼へ。そして、知床沼へと足を進める。 最も1182ピーク寄りの池から北へ進むとテープと踏み跡が見つかって、これまた 容易に進むことが出来る。知床沼までも崩壊地の上の細い尾根を進むので、気は 抜けないが、足元に広がる根室水道と国後は見事で、ついつい景色に目を奪われる。 1132m点まで来れば沼に向かって下るだけだが、下部で踏み跡が不明瞭になる箇所 があり、谷隊長の指示で問題なく沼にたどり着いた。
昼過ぎに着いてしまい、谷隊長は少しでも先に進んでおきたいようだが、この沼 が最後の容易な水場であることを考えると、ここで泊まって完全に給水して岬への 縦走に取り組みたい。彼も理解を示してくれ、沼のほとりに設営する。小さな池が 点在した小沼と異なり、大きな沼が南北に並ぶ知床沼は立派ではあるが、美しさで はやはり、小沼に軍配が上がるように思える。
設営後、ルートの偵察を兼ねて周辺散策。手元資料の理科大のパーティーはいづれも この沼〜ポロモイ岳間でハマっていることを考えると、出だしのルート取りがポイ ントだろう。始めは北沼の西北西から切り開かれた道を調べたが、どうもこのまま 西海岸方面への仕事道のようだ。一旦テントに戻り、谷隊長に記録を見せてもらい、 今度は北沼北側東端からの切り開きを見つける。辿ってみると、チェーンソーで 切り開かれ、ピンクのマークが乱打されている。しばらく辿って、ポロモイ岳方面 に下ることを確認する。帰路、沼越しに1132mピークと知床岳が見え、改めてその 大きさに感激した。
今回は気温が低いシーズンであることも手伝って、行動中の水の消費が非常に 少ない(2人で300mlという日もあった)。そこで最後の水場付の幕場で、ふんだんに 水分摂取することを心がけた。今日はちょっとした休憩日となったが、ほぼ行程も 中頃で良かったのではないだろうか。

第3章 シルェ・トクへの路〜知床沼から知床岬へ

10/2: 高曇後雨
湖畔の夜が静かに明けた。最後の水場、そして確実なエスケープルートに別 れを告げ、最終目的地:岬への縦走に取り掛かる。互いに生水4リットル、飲料水 2リットルずつを持ち、最大4泊はできるようにした。もし、途中で切れれば多少 大変でもメオトタキ川源頭で汲むことになるが、おそらくその必要はないだろう。 昨日偵察したルートを追ってポロモイ岳を目指す。あまりの切り開きに「誰がこ んなジェイソンみたいなことを…」とは谷隊長の弁。苦労する予定だった884mピー ク直前まで切り開きとピンクのマークは続き、884mピークを越えるのに1時間弱しか かからなかった。
ポロモイ岳への登りでは古いマークと踏み跡を頼りに進んだが、尾根の西側に出 ると明瞭なトレースがつけられていた。相変わらず、ルートは背丈を越えるハイマ ツの海。ポロモイ岳には8:45着。先端部の稜線がはっきりと見えてきて、妙に白い ウィーヌプリも確認できた。ここまで予想以上の快調なペースで飛ばしてきてしま い、少し気分的にも余裕がでてきた。947mピークとの鞍部までは尾根も細く、比較 的ルートも取りやすい。
今日の一番の問題は947mピーク。地形図も示すように非常にまろやかなピークで、 これでは位置把握が難しい。ピークから東に下り、主稜線から下ったところにある という踏み跡をめざす方法もあるというが、天気は下り坂、周囲のピークもガスの 中に消えて行く状況では主稜線をトレースするのが確実といえよう。
ピーク付近の背丈を越えるハイマツをつたっての空中散歩に知床の真髄を感じ ながら、時折現れるダケガンバに登って、谷隊長がルートを探索する。幸い、947ピ ークも南西、北西両面が僅かに急斜面を有していることを利用して、ピークの 縁を歩き、なんとかピーク北東の沢筋を捉えた。このまま沢筋が北西に向かう辺り で814m点に上がり、更に北北東への滝川の源頭の沢に乗り換えればOKなのだが、 おそらくここを辿るパーティーが選ぶだろうルートにしては踏み跡もマークも見 当たらない。一度、数本の踏み跡と幕営跡を見かけたに過ぎず、いま一つ自分達 のルート取りに確信が持てない。視界は相変わらずで、更に雨が降り出した。
結局、こうなると自分達を信じるより他無く、沢筋を下って樹林低笹帯に入った 所で進路を横切る踏み跡を見つける。最も楽観的な予想では、左(西)方に進めば 主稜線、しかも763mピークとの鞍部に出るはず…と思いながら、谷隊長の「ここは 左ですね」の声に頷き、平らになった辺りで行動を打ち切ることにした。雨の中、 確信の持てないまま動いたところで得るものは無い。
幕営の準備をしていると、手近のダケカンバに登った谷隊長が叫ぶ。「あれ、 763ですよ!うまく鞍部にでています」その声に振り返り、確認をとると前方に 西に傾いたようなぴピークが見える。地形図と照合すると、たしかに763mピークに 違いない。これで一安心。それにしても、よくルートを取れたものだ。
10月の雨は冷たい。雨の薮漕ぎはさらに冷たい。早々にテントに入って暖をとる。 この分なら、明日には岬を狙えるな…と思っていると、彼は既に岬に着くことは 当然、釧路の打ち上げに思いを馳せているようだ。やはり、この男、ただも のではない。

10/3: 曇強風一時小雨

雨は上がった。一面の笹原の向うに根室水道と、連なる雲をまとった国後。 岬を目指すのに悪い雰囲気ではない。一度トレースを追って700m付近まで下ること も検討したが、このまま笹薮に突っ込むことにする。予め高い位置にいれば、 自然と下ることになろうし、マークが期待出来ない以上、主稜線を確認しやすい 位置にいた方が良い。
笹原といっても、やはり背丈が没する非常に密な笹で、南ア深南部の薮を漕いだ ことのある谷隊長にしても、この笹の密度と丈は比較にならないという。それでも 昨日のようなハイマツ帯よりは楽ではある。
700mのラインを保ち最終的にウィーヌプリ手前の640mピークと 580mピークの鞍部、600m付近を目指すため、地形図とコンパスを睨みながらルート をとる。といっても、前を行く岡島はそれどころでなく、極力ハイマツとの接触を 避け得る近視眼的なルート取りをしつつ、そこに後を詰める谷隊長からのコンパス による 大局的なルート指示を反映させるような形になる。今回の山行ではこの システムが多かったが、よく機能していたように思う(が、如何に?>谷隊長)。
次第に目標の鞍部に近付くにつれ、樹林帯に近付いていく。そういえば、樹林帯の 中では日照他の関係で下草は大きく成長できない、という話を思い出し、樹林帯 内部にルートをとる。歩きやすいのは人間だけではないようで、途端に獣道も散見 されるようになり、目標の鞍部に到着。木々に囲まれた平地で、幕場にするには 快適な場所だ。
鞍部からウィーヌプリ手前の鞍部までは踏み跡がみつからず、適当にトラバース をする。久々の樹林帯の柔らかい土に、妙に安堵感を覚えるのは何故だろうか? 樹林の合間にみえるウィーヌプリが大きい。鞍部では始めて赤布を発見。 明瞭なトレースもついている。白骨化したハイマツの中を10分程登ると山頂だった。 遮るものが無く、風が強い。そしてそのためか、連なる雲は妙な迫力を感じさせ ていた。これも半島先端部故か。ピーク東側に風を避けて一本。
運良く青空も見え、記念撮影。遠く知床岳は山頂が雲の中だったが、そこから 手前に続く峰々はよく見えた。ここまで来れば岬へのメドはついたといえよう。 谷隊長の撮影の合間にルートの偵察。一度北西尾根に入って右に下ると尾根から 一段下がってトレースがあった。
30分程、休憩をとって出発。主稜線はハイマツに覆われていて非常に苦労しそ うなので、602mピークまで樹林帯の中をトラバースする。602mピークからは主稜線 の脇に明瞭なトレースが踏まれており、あとは逸る心を抑えて、的確に岬を目指す だけ。516m点の先の下りがいやらしい他は問題になるような部分はないが、注意 を怠ると脇へ下る踏み跡に導かれるので最後まで地図は手放せない。
天気はまた下り坂のようで、風も強く海岸に打ち寄せる波もしぶきをあげている。 できることなら好天を待って岬に着きたいが、ここまで来ている以上、今日中に着いて しまいたい。初めてハイマツのすき間から、知床岬灯台が見えたときに強く思った。 最後、一本取ってしばらく下ると尾根は消え、森の中に幾つもトレースが別れて 消えて行った。あとは岬の灯台を目指して森の中を歩くだけ。突如として森の中に 笹原が広がった。あまりに幻想的な原っぱに、!と思うも、心は既に知床岬。再度 森に入り、岬の海岸段丘の上に出た。岬はあの足元の草原の先に見える電波塔だ。 逸る谷隊長に悪く思ったが、しかし、やはりここは灯台に行っておきたい。 森の中を5分程歩くと灯台に着いた。
岬の段丘の突端に立てられた灯台の根元に立つ。眼下に広がる草原と水平線、 そして雲。いままで森の中で視界が効かなかっただけに、突如として広がった景色 に圧倒され、風の中呆然と立ち尽くす二人。「これが知床岬か…」知床という地に 出会い、その先端に立ちたいと強く願い続けてきたが、いざ立ってみると意外にも 落ち着いていたように思う。ただ、静かに感慨に耽りたい、そんな気分だった。
思いついたように、谷隊長と握手。そして記念撮影。いよいよ、岬の先端、本当 の岬へ行こう、と灯台からの階段を降り、草原に降り立つ。期せずして雲間から 日射しがこぼれ、草原は光に包まれた。信じられないようなタイミングに、 二人とも感激 するより他になす術がない。草原につけられた一筋の道を辿りながら、今回 の山行を振り返る。岬の先端に立ち、そして電波塔脇の小屋の陰に設営。
アブラコ湾の水場は見つからず、谷隊長期待のウニもいなかった。それでも充分 である。ともかく、ひとしきり岬周辺を散策し、『知床旅情』を口ずさ んでみた。「ここで終りじゃないんだ」と、どこかに手放しで喜べていない自分に気 づいたが、岬の笹原に寝転んで空を見上げると「本当に帰らなくちゃいけないの かな」という自分にも気づいて苦笑い。
夕食はジフィーズだったが、予定より一日早く到着できたこともあって、予備食 一泊分も料理して、量だけは腹の底から満足するまで食った。そして、 珍しく酒を断っていた(!)我々だが、量は僅かでも酔う程に呑んだ。安堵感と 疲労のせいと言ってしまえばそれまでだが、何より岬の雰囲気に酔ったのだろう。
夜中にトイレに起きると満点の星。人工の光は灯台以外ないのだから当然だが、 この夜ばかりは何を見ても、岬に歓迎されているようで感動してしまった。

第4章 〜相泊への帰路

10/4: 晴一時小雨
国後から上がる知床岬の朝日を拝もう、と撤収を遅らせる。Speak Larkする谷隊長を 撮っていると、爺々岳の方の雲間に御来光。最後までこの山行の無事を祈る。 これから相泊までの海岸線、気を引き締めてかからねばならない。
朝から気持ちの良い晴れ。太陽に照らされた明るい草原を歩きだす。灯台の足元 を過ぎて、振り返る。今度来ることがあるだろうか、ちょっと感傷的になりながら 東海岸へ降りる。番屋の並ぶ海岸線は昆布の時期を終え、人の気配は全く無い。
谷隊長は昨日に続いてウニを探しているようだが成果は無いようだ。朝日を浴びて 辿る海岸線はとても暖かく、昨日までの寒さが嘘のようだ。順調に足を進め、このま まならば今日中に相泊につけるかも…なんて思った矢先、カブト岩付近で難渋する。
そもそも、この海岸線ルートは岬を目指す旅人達も用いる道と聞いていたので それなりに踏まれた路で、手も加えられていると思い込んでおり、干潮時 でないと通れない箇所が二箇所程あるという、朧ろげな情報しか得ていなかった。 そこで、基本的に海岸づたいに行けばいいのだろうと安易に海に突き出した磯を へつりだしたのだが、しまいにはあまりに厳しいへつりになってしまった。
沖に漁船がこちらを監視しているかのような感じで停泊しだし、これは穏やか ではないな…と言うわけで一旦引き返した。足に波を被りながらのへつりは初めて であるし、落ちれば多分、ただでは済まないだろう。やり直しのきく、小滝のへつり とは違うのだ。それに、昨日の今日で、どこかに気の緩みもあるだろう。必要以上に 慎重にならなければなるまい。
戻ってみれば、最初は単なるルンゼと思った窪みにロープが残置されており、 偵察の上カブト岩を高巻く。それにしても結構な斜面だった。単なる旅人には 厳しいのではないか?と思いながら、まずい所には高巻きがあることが判り、多少 は潮が満ちても突破できそうだと変な確信を抱いた。
念仏岩付近も巻き路を見つけて高巻いた他は、海岸通しにルートをとることが でき、快調なペースで女滝、男滝、滝川と過ぎて行く。山ではヒグマに会わなか っただけに、河口付近では気をつけねば。比較的はっきりした河口にはやはり鮭が 上がり、喰い跡も散乱しているが、溯上不可能な滝の下にも上がってくるのは不可 解である。
12:30頃、ペキンノ鼻の二つ程手前の入江でルートを失った。どうも岩場を越える ようだが潮が満ちて向うの入江に降りられない。良く探してみると、谷隊長がはるか 上方に巻き路らしきロープを見つける。しかし、あまりにも高巻きすぎているようで 信じがたい。彼が偵察に出た結果、きわどいながらルートがついている、という。ど うしたものか悩んだが、大休止をとって潮の様子をみることにした。当初下山予定日 近くの干満は調べていたのだが、早くなるとは思わず情報がない。多分、今が満潮の ピークだとは思うのだが…。
一時小雨がぱらついたが、その後は再び晴れ上がり、国後をバックに大きな二重の 虹がかかる。なかなか穏やかではない帰路と、情報収集の甘さに半分投げやりになっ た岡島だったが、2時間半程休んで気を取り直す。谷隊長は脇で昼寝、彼の神経は大 したものだと妙な感心をする。
結局、当初通り薮を漕いで上方の巻き路から、更に高く上がり、獣路を拾って 一気にペキンノ鼻をも巻き、ペキン川左岸に出て海岸に戻った。途中にあった小さな ほこらが印象に残った。ペキン河口ではまさに鮭の群が溯上し、産卵の光景もみるこ とができた。初めての光景に感激する。流石に河口ではヒグマが恐いのでもう少し 足を伸ばして泊まることにする。数ヶ所、浜に飛び降りるように岩場をへつって 断崖に囲まれ、川もない浜に出た。偵察してみたが、どうもその先は外海に突き出 した岩場を越えねばならないようで、まだ潮が高く通れそうにない。果して、干潮 時でも通れるか、確信がないが山にルートを求めることもできないようだ。
進退窮まり、明日のメドも立たないが暗くなってきたので設営。どうも憂鬱である。 本題の連山縦走より神経が疲れる。やはり、海について何も知らないというのは 恐いものだ。せめて干満情報の足しに、と東京第一放送を拾ってラフな予想をつけ る。どうやら、朝7時頃が干潮のピークのようだ。

10/5: 晴

潮が引いていても通れない、となれば戻って大高巻きか、と覚悟を決めたが テントを出てみると、なんとか通れそうだ。大急ぎで撤収して出発。今ま では一応、空身で偵察をしていたが、満ち始めてはどうにもならない。「偵察します か?」と先行く谷隊長の叫びに「退路さえ確保できそうだったら突っ込め!」と 怒鳴り返す。今は少しの躊躇も許されない。干潮の、それでも波が打ち寄せる磯を しぶきをあげて駆け抜ける。
どうやら、我々が泊まったのはメガネ岩の手前だったようで、かなり外海の方へ 出なければならないかと思ったが、岩に開いた穴を抜けて予想外に楽ができた。 更に剣岩を越え てモイレウシ河口の入江を抜けて軽く一本。妙に神経が昂ぶり、朝一番から半ば走っ ていても苦に感じている余裕がない。勢いもそのままにタケノコ岩を越え、化石浜を 抜けウナキベツ河口まで一本半程走り続けた。幸い、どこも潮が引いているために 巻く必要はなかった。メガネ岩周辺始め数ヶ所で巻き路らしいロープを見かけたが どれも現実的なルートとは思えず、やはり干潮を利して渡らねばならないようだった。
ウナキベツ河口には簡単ながら橋も架かって、ルートにロープも張られており、 多少は知床岳への登山ルートらしさが感じられた。それでも、やはり鮭の喰い跡は 見られヒグマの世界であることは変わり無いようだ。この先は問題となるような 箇所もなさそうで、落ちついて休憩を入れた。おそらく次は相泊だろうから最後の 一本か。
観音岩の所で残置ロープをつたって巻くと、あとはゴロゴロとした浜を辿るだけ。 いよいよこの山行も終わりの雰囲気が濃くなってくる。丁度、充実した山からの帰路 の林道歩きのようなものだろうか。ようやく張り詰めた緊張も解け、周囲に目を やる余裕も出てくる。相変わらず沖では定置網からの鮭を積んだ漁船が行き交う。 まったく長閑な雰囲気。思わず『知床旅情』が口をついてでる。
「来年は何処にしましょうか?」「何処があるかなぁ、今度は谷隊長が企画してよ」 「う〜ん、そうですねぇ」…こうして満ち足りた山行を振り返りながら、次の山へ 思いを馳せる時間はこの上もなく楽しい。相泊の手前の昆布番屋でようやく人影を みる。そういえばルサ河口出発以来、ちゃんと人を見たのはこれが初めてだったこと に気付き、改めて人の入らない山(時期?)だったと思うのだった。
相泊には9:30着。これで本当に終わった、堅く握手をして山行の〆とする。

終章 〜山を離れて

無事下山を果たした我々には、まだやるべき事が残っている。相泊、そして近くの 瀬石にはそれぞれ海岸に温泉が湧き出し、旅人たちに親しまれている。ここまで 来れば当然のこと、と心は既に温泉巡り、早速国道を歩き出す。
しかし、そんな我々を待ち受けていたのは「渇水のため入浴不可」という看板と 「管理人に連絡下さい」と書いてありながら管理人の姿の見えない空の湯舟。やっ ぱりオフシーズンのせいだろうか、結局そのまま根室水道の海を眺めながら約10km の道のりを歩いて、岩見橋詰のバス停に向かうことになった。途中、入山地のルサ 河口に立ち寄り、海岸に降りてみる。相変わらず、溯上する鮭の姿があった。 「これで本当に帰ってきた訳だ」、妙な感慨に耽る我ら。
岩見橋詰バス停に到着、次のバスまで1時間20分程。装備を干したり、心行くまで 行動食をつまんでは、必死の山を思い返す。この後の行程についても、なかなか決ま らず、谷隊長が色々と意見を出しては、岡島が実現可否を検討し、更にアイディアを 出す…といった中で、今日中に宇登呂に出ることにした。やっぱり彼は羅臼が気に入 らないらしい。
13:15バスが到着。いよいよ知床半島先端部ともお別れ。バスに乗り込んだ我々は 小さくなっていく彼方のルサ河口を背に、いつも以上に安堵感と満足感、そして寂し さの混じった思いに沈むのだった。
斜里岳山行記に続く

末筆乍ら、本山行の企画・実施にあたり資料提供下さった山岳愛好会雷鳥の深畑さん、 現地からの連絡を受けて下さった佐藤(公)さんに、お礼申し上げます。そして、何より 同行の谷君には、限りない感謝を捧げます。

(文責、編集:岡島)