![]() ルサ川下流にて |
遡る鮭に感激していると、なれの果ての姿が…。おそらくヒグマの仕業と 思われる。やはり、ここはヒグマ達の楽園なのだ。 |
![]() ルサ川右股にて |
右股に入るとようやく沢らしくなってくる。ナメた感じの清流に期待も 膨らむ。 |
![]() ルサ乗り越えにて |
まったく人工物のない乗越。ただ薮に覆われていた。アイヌの交易路とし て通られたであろう昔に思いを馳せる。ここが知床連山の最低鞍部である。 |
![]() ルシャ川を下る |
2日目、オホーツクを目指しルシャ川を下る。問題となる所もなく、適当に ルートをとる。この辺りから、喰われた鮭の死骸を散見するようになる。 |
![]() ルシャ川河口にて |
知床半島を横断し、自分の足でオホーツクに到着。背後の断崖はカムイワッカ そして五湖の断崖方面になる。かつてアイヌの集落があったと言うだけに、 開けた土地となっている。 |
![]() コタキ川320m付近の大岩 |
コタキ川を遡行し、唯一の巻きとなる。この岩の左から巻路に取り付く。あく まで小さく巻くようにすれば踏跡をひろうことができるだろう。 |
![]() コタキ川右股右岸尾根1020m付近にて |
三股幕営後、コタキ川右股を詰めて、知床小沼南方の台地の一角に出たようだ。 しかし、あいにくの天気、頼みの視界も良くなく、ハイマツの中でルートを 定める。いよいよ稜線縦走が始まるのだ。 |
![]() 知床岳への登路より知床小沼 |
小沼に幕営した翌日、知床岳からの帰路にたたずむ。小さな沼が点在する小沼は ハイマツに覆われた稜線の中のオアシスである。訪れる人も少なく、もともとの 雰囲気を感じさせる。いつまでもこの光景が残されるように願ってやまない。 |
![]() 知床岳より岬を望む |
知床岳に立つと、水平線がつながっていた。これから辿る知床連山主稜線を一望 し、気合いが入る。写真右の高まりがポロモイ岳、手前は知床岳北西面の崩壊地 を囲む尾根である。 |
![]() 1132m点付近からの知床沼 |
知床沼は小沼と異なり、南北に分かれた2つの沼を言う。沼の周辺は低い笹と 草地で覆われていた。ポロモイ台地に浮かぶ様は、非常に美しい。写真奥が ポロモイ岳である。 |
![]() 知床沼北沼から知床岳方面を見る |
設営後、ルート確認の帰路に小沼の北から知床岳(右奥の稜線)を見上げる。 縦走もほぼ中間点、ここを最後の水場として、いよいよ縦走後半の薮尾根 へと向かうのだ。 |
![]() ポロモイ岳への登路にて |
884mピーク手前まであったマークも無くなり、おぼろげな踏跡を追って ポロモイ岳を目指す。一面のハイマツの海、知床縦走の真髄、ここにあり! といったところか。写真下、ハイマツから顔をのぞかせた谷隊長。 |
![]() ウィーヌプリにて連山を従えて |
ポロモイ越えの翌日、いよいよ岬へ向かう。ここウィーヌプリは一面白骨化 したハイマツに覆われた奇怪なピークだが展望は抜群。後方、雲がかかって いるのが知床岳。 |
![]() 岬方面を望む |
ウィーヌプリを過ぎて樹林帯の中の踏跡を岬へと下っていく。天候は一時 悪くなり、海岸に打ちつける波がしぶきとなって白く飛んでいる。このあ たりから岬周辺の海岸段丘(写真の黄緑色の部分)がはっきり見えてきた。 |
![]() 知床岬灯台へのラストスパート |
やはり最後は灯台を目指したい。目的地はすぐそこ、最後に灯台へ続く笹の 丘を辿ってゆく。 |
![]() 知床岬にて |
岬での谷隊長。このポーズに語りたいことは全て詰まっていよう。後の丘の端 に灯台が立つ。笹に覆われた海岸段丘が広がる岬、そしてそこから眺める北の 海の印象は強烈だった。天候も回復、間もなく夕暮れ時がおとずれる。 |
![]() 知床岬の御来光 |
知床岬の夜が明けた。国後の爺々岳のシルエットの後方から上がる日の出は 美しかった。この山行で初めて、御来光を意識した日だった。それぞれの思 いを胸に、すぐさま撤収、岬に別れを告げる。 |
![]() カブト岩の巻路から相泊方面を見る |
順調に見えた海岸線だったが、カブト岩付近で難渋ののち、巻路を上がる。 入江は砂浜を歩けばよいが、ここからもいくつも見える海へ突き出た磯を どう抜けるか、これが問題だ。 |
![]() 知床最後の朝 |
結局、海岸で一泊を必要とした。翌朝、運良く干潮となり、潮の引いた磯を 水しぶきをはねあげて駆け抜ける。メガネ岩を抜けて、ちょっとした瞬間に 知床最後の日の出を見る。 |
![]() |
ようやく、人のいる番屋が出て来る。相泊はもうすぐだ。穏やかな日射しの 中、充実した山を振り返っては話に花が咲く。おつかれでした、谷隊長、そ してありがとう! |